はてなキーワード: 真相とは
全体的に思ってたんと違った型、何コワホラームービーの珍作で44点。
霊障に困っている人たちにお祓いをするというていのペテンにかけることで金儲けをしている兄妹と兄の恋人&ナード君の4人組。そんなある日、借金漬けの兄が金欲しさに勝手に受けた依頼で山奥の屋敷に出向くことに。そこは昔、イカれ男が女児3人を口を縫い付け殺したというセンセーショナルな事件があった館だった。やたらと鋭く高圧的な主のババアにお前らペテン師だろと詰められながらもお祓いの仕込みを始める4人。しかし、館内で次々とおかしな出来事が起こり始める。この館に潜む真実とは……
みたいな話。
まず、呪われた死霊館ってタイトルだけど、ジェームズ・ワンの死霊館シリーズとは何の関係もありません。配給会社の人間はJAROに自首するように。
で、話としてはぱっと見、悪霊祓い詐欺師たちが実際の悪霊屋敷に乗り込んでしまい彼らの怒りを買って酷い目に合う話っぽく見えるし、だとしたら面白そうじゃんと思うんだけど見ているとなんだかもっと無駄に複雑な感じになっていく。
彼ら4人のチームは、兄がお祓いの説明係、妹が霊媒師係で、兄の恋人がなんかいてて、ナード君がカメラと技術担当。兄が依頼者に活動を説明しながら安全な場所でモニターを一緒に見て、ナード君と妹が霊障現場に乗り込み、妹が霊媒師の演技をしながら時間を持たせて、良きところでナード君がそれっぽい音声を流し妹が何かを説得する演技をして音声を消し「去りました」と告げてお祓い完了。その流れ自体はなんていうか詐欺の裏側ものみたいな感じで面白いし、なんていうかこれで依頼者たちに安寧が訪れるんだったら取ってる金次第だけど、まぁ、いいんじゃないという気がする。宗教みたいなもんやろ。
しかし映画冒頭のチュートリアルの現場でいきなり妹がガチ幽霊を見てしまう。その後、大学お前サボり気味やなって教授に詰められているときにも見ちゃうし、ババアの依頼の電話を最初に受けたときにもすごい耳鳴りがしちゃうし、怖くなって祖父に相談しに行ったら「お前の母親は霊媒体質やったんや。なんかいろいろ聞こえる言うてな。最終的に霊媒師になってその後、自分で目玉をくりぬいて自殺したんや。あいつは弱かった。だから死んだんや」と告げられる。
エッ、霊媒師詐欺師ものかと思ったら本当に霊媒師だったっていうお話なの?ってなってくる。ちょっと話変わってきたな……
そんなこんなで詐欺に加担するのよくないよなぁという妹に対して、兄は地元のギャングに借金があるのでもっと詐欺したいというクズキャラなんだけど、なぜか一人でいるときはずっと自己啓発音源を聞いている。そして、俺は大丈夫、俺はやれると言いながらなんか変な薬もやっていて、こいつはこいつでなんかおかしいのね。
で、まぁババアの家に行ったらちゃんと口を縫い合わされたガキどもがウロウロしてて妹はそれに導かれてその家で起きた悲劇の真相を探っていくことになり、一方で兄の方はいつも通り詐欺の工程を進めようとするもやたらと鋭いババアにガンガンに論破されていく。このババア、底知れぬ怖さがあってめっちゃいい。そうこうしているうちに兄にもガキどもが見えるようになり、なんなら死んだ母親まで見えてくるし、ナード君はうっかり床板踏み抜いて落下して足を折るし、ババアにはもう完全にバレてるしで「はい、もう終わり。撤収です!撤収!」って感じになるが気付くと恋人がいない。
うろついてるガキどもに導かれて見つけると、なんと彼女は口を縫い合わされていた。大慌てで車に乗って逃げだす4人だったが、いつも通りうっかり単独事故を起こし恋人はフロントガラスを突き破り飛んで行って死亡、兄は何者かに連れ去られ、ナード君は殴られて、意識を取り戻した妹は兄を探しに再び屋敷に戻る。
そこで、怖いのは悪霊屋敷だと思っていたら実は怖かったのはババアだったというヒトコワ展開に突入する。息子大好きなババアはたぶん息子が誘拐してきたガキたちがなんか息子の悪口を言ってるから(そりゃそうだろ)、口を縫い合わせてブチ殺していたのだった。いつの間にか息子もいます。口を縫い合わされた兄はブチ殺され、妹も捕らえられ、助けに来たナード君は息子をぶち殺すことには成功したものの中華包丁を持ったババアに生きながら切り刻まれる阿鼻叫喚の事態に。思ってたホラーと違う~!
霊媒体質の妹は死んだガキどもに「助けてクレメンス!」と訴え、それを聞き入れたガキどもが叫びだすとババアはうるさすぎて悶絶。そのすきに妹がアイスピックで首をぶっ刺してFATAL K.O。強い。まぁあんだけうるさかったら口を縫い合わしたくもなるわなという説得力はあった。
さっきも書いたけど、悪霊屋敷が怖い話かと思ったらガキどもはシンプル被害者で実は怖いのはババアでしたという話になってう~んそういう話だったっけ、じゃあそもそもこのバアアはなんでお祓いを呼んだんや。もしかして自分たちで殺したガキどもがうるせーからお祓いしたろwと思って呼んだん?サイコパスすぎん?と思うし、なんで兄の恋人の口を縫い合わせてそのまま放置してたんかもわからん。
たまたま車がホラー映画のお約束を熟知してくれていたからうっかり単独事故を起こして逃亡を阻止できたからよかったものの、もしすんなり逃げ切れてたら通報されておジャンジャン?だからこそ殺人鬼たちはまず移動手段を奪うんであって。
ここのジャンルチェンジありきでババアが実は怖い存在でしたにハンドル切った結果、じゃあこのババアは”現在”いったい何を考えて行動しとるんやというところがかなりないがしろにされている感じはする。
あとはイカれた親子愛ババアと息子が実は敵でしたという展開をラストに持ってくるとして、だったらせっかく置いた主人公チームも実は母親が霊媒師でしたという設定を絡めてこないのは片手落ちというか、そこで母親の加護みたいなものを一個挟んどけばまとまりができたのになと思わんでもない。まぁ母親譲りの霊能力でガキどもに協力を仰げたと言えんくもないが。
あと兄が自己啓発に励んでいたのももうちょっとイイ感じの活かし方があった気はする。たぶんだけど母親の衝撃的な自殺から自分を守っていたんだと思うんだけど、なんかそのへんは全然表に出てこないし、むしろ兄にこそ霊媒形質が強く遺伝していてその能力を否定するために俺は大丈夫だと言い聞かせていた、みたいな感じでもよかったのに。知らんけど。
まぁ、そんな感じかな。
なんかもっとシンプルに霊媒師詐欺師集団VS悪霊屋敷という形のほうがもっとまとまりのいい面白い映画が撮れたんじゃないかなって気がするんだけど、そこに実はヤバいのはその屋敷の霊を生み出したババアでしたという展開を突っ込んだ結果、なんか散漫な映画だなぁって感じになっちゃった印象。
とはいえ、そのひねり自体は面白くはあるし霊媒師詐欺師の裏側もちょっと見られるし、ババアは怖いしホラーとしてもギリギリ楽しめるかなって感じなので、ホラー映画好きにはギリギリおすすめかな。
表面的に秩序正しく、礼儀正しく自制する日本社会の背後には、誰もが無言で我慢している集団状態が隠されている。多くのストレスは言われず、文句を言われず、誰もが心にそっと蓄積され、現代日本の最もリアルな日常となっている。
サービス残業、長時間通勤、ディルド、業績至上の雰囲気は依然として普遍的だ。疲れていても、直接断る人は少なく、我慢が「職場の美徳」になる。
1.2人間関係の忍耐と自制
日本の職場は協調と雰囲気を重視し、不満は率直に言えず、不満は表に出せない。
二、生活の中にどこにもいない隠れた束縛
電車のマナー、公共道徳、話し方……日本の社会のルールは細かい。人々は常に自粛し、間違いを犯すことができず、長期的に緊張状態にある。
養老、医療、年金、ラブグッズ、子育てのコストは増え続けている。未来は不透明だが、黙って引き受けるしかなく、公開されることは少ない。
悩みも苦しみも不満も自分で消化することに慣れ、ストレスが溜まっていく。
3.2沈黙忍耐は強さとみなされる
表現の弱さは成熟していないと見なされやすいため、沈黙を選ぶ人が増えている。穏やかに見える日常は、実は無数の忍耐が積み重なってできている。
おわりに
日本社会の安定と礼儀は、ストレスがないのではなく、すべての人が静かに我慢している。職場、生活、心理の三重のストレスが絡み合い、独特の社会感情が形成されている。この沈黙の忍耐を読んでこそ、現代日本の本当の姿を理解することができる。
数日前話題になった「🇬🇧Vtuberが自作イラストで逮捕された」という件、真相が明らかになった。
・画像投稿サイトに入り浸り、Mimi Yanagiというキャラを作り出し、お金を払ってそのキャラの児童ポル ノイラストを作成させていた
・サイトでフォローし「お気に入り」登録をしている作品の対象には小学生、幼稚園児、赤ちゃん等も含まれる
・イラストでは飽き足らず、実在の少女俳優を使って描かれた児童ポ ルノも保持していた模様
Kiwifarmというアメリカのサイトが逮捕された"Mimi Yanagi"関連のアカウントを徹底的に洗いだし、過去の投稿やさまざまなサイトでどのような活動をしていたか洗いざらしにした。
これらの新情報により、当初は"Mimi Yanagi"を擁護していた英語圏のアカウントも次々と擁護を撤回している。
・「Vtuber」じゃない
・「自分が描いた絵を保持していただけ」ではなく人に描かせたものを保持
やっぱりね
大雑把search/サーチ2やないかい!61点。
トランプ政権のせいで治安が死ぬほど悪化して司法があっぷあっぷになってしまった近未来のアメリカはついに裁判をAIに任せることに。それから2年後、18件のAI裁判が執り行われ犯罪率は65%抑制され大成功。そんなある日、主人公のクリス・プラットが目が覚めるとなんとAI裁判所の椅子に拘束されていた。90分で自分の有罪確率を80%まで下げないとその場で死刑されるこのマーシー制度。妻殺しの罪に問われたクリプラとAI検事による真相究明が始まる。
みたいな感じの話。
クリプラ主演の時点で違うだろうとは思いつつ、まぁなんか昨今のAIによる情報侵略による私刑へのニヒリズム的な作品かなーってちょっと思って見てたんだけど普通の雑に作られたハリウッドのエンタメ映画だった。
設定自体はちょっと面白くて、未来なのでほとんどのデジタル機器がAIに接続されているのでAI裁判中はAI検事の権限によって他人のデバイスの情報やSNSなどが見放題になる。またAI検事の権力でデバイスに通話をかけ証言させることができる。そこからその犯行当時や前後の情報を拾い上げて犯行の全貌を絞り込んでいくことができる。また無実自体を証明する必要はなくて有罪であると合理的に判断できる割合を80%まで下げればとりあえずの死刑は免れる。
なので、クリプラはAI検事と協力しながら様々なデバイス、SNSの情報を拾い上げ相棒の警官に連絡を取りながら捜査も並行で進めつつ犯人の絞り込みを行っていく。という、ミステリ仕立てになっている。
クリプラが疑われたのは当日にクリプラの嫁がクリプラの酒を勝手に捨てたことにブチ切れて家を襲撃したから。犯人は週末のBBQに遊びに来てそこで帰ったふりをして家の中に潜んでいたので当日に家に外部から侵入した形跡がなかったのだ!
クリプラが第一容疑者としてマーシー制度にかけられるようにするの偶然に頼りすぎじゃない?
たまたま2日後にクリプラがブチ切れてたからよかったけど、ず~っとなんかいい感じのタイミングないな~ってなってたら1週間とか2週間とか潜伏してたんだろうか。そしてその間ずっと仕事休んでたんだろうか。う~ん、そんなわけなくない?
で、途中から妻の会社で薬品が盗まれていたことがメインになり、その犯人が盗んだ薬剤で超巨大爆弾を作っていたことが発覚し、その犯人が実はクリプラがマーシー制度に最初にぶち込んで死刑にした犯人の兄弟だったことが発覚し、これは俺への復讐だったんだ!彼は俺を罠にハメ、娘を誘拐してAI裁判所にトラック爆弾で突っ込もうとしている!となる。
え、ネットワーク上の情報を利用して証拠を探して逆転裁判ごっこする話じゃないのこれ?
で、ド派手なカーチェイスやって結局トラックは裁判所に突っ込んできて、クリスと犯人はご対面。クリスはAI検事と協力して犯人を油断させ肉弾戦で取り押さえ制圧。しかし真犯人が主張する通り、マーシー制度にかけられた彼の兄弟は警察によって証拠改竄されていたのだった!ということが分かって終了。
で、結局、マーシー制度で死刑にされた犯人の兄弟はやってたの?やってなかったの?作中のAI検事風に言うなら「警察が証拠を隠滅したことが事実だとしてそれは彼の兄弟が犯行を犯していない決定的な証拠にはなり得ません」ってことだと思うんだけど。気になるわぁ。
AI検事もなんかめっちゃクリスに肩入れして助言とかケア労働してくるし、なんか絶妙に表情豊かでどんな設計されてるねんって感じだし、あらゆる情報にアクセスできても90分は明らかに短すぎるし、なんかすぐ都合良く「その端末は接続されていません」って言い出すし、クリスに有利な証拠が出てくるとなんかすぐ調子悪くなるし、そもそも2年で18件しか処理されてないのに犯罪率そんな下がるか?って思うし、死刑第一号も「犯行当時、兄弟と電話で話していたが、その電話を警察に隠滅された」ことで死刑になったんだけど当然容疑者はそれを証言したはずだし、そうなったら電話がなくても兄弟にその確認をしてその兄弟の携帯からその証明は可能だったはずだし。
デバイスやSNSをハックして断片を繋ぎ合わせて大きな真相を明らかにする。そしてカメラ付き連絡機を使って外部の協力者と連絡を取り合って捜査を指示するっていうのはこないだ見たサーチ2とほぼ同設定だったけど、こっちはAIによる強制開示って言うより強く情報を集められる設定なのに話はよりスカスカなのはイカンともしがたい。
後、19件目にして初の死刑未執行になったわけだけど、周囲の人間のデバイスもSNSも見放題チャンネルの後に開放するのってプライバシー的にどうなんだ。俺だったら警察と連携して自分が無罪な決定的な証拠を隠匿して逮捕されて90分間で関係者のSNSやサイトをハックしまくって情報たんまりとって無罪を勝ち取るビジネスを立ち上げる。
そんなことも想定されてなかったん?
まぁ、そんな感じかな。
クリプラ主演のお気楽SFミステリアクションと考えれば何も考えずにふーん面白かったぁで済ますこともできると思うんだけど、こんなに面白そうな設定を作っといてやることがそれっていうのはやや肩透かし感はぬぐえないかな。まぁ、90分時間潰せる映画見たい人には十二分にオススメ。AI裁判!という言葉に過剰な期待をしてしまいそうな人は覚悟して見るように。
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12090900472.html
以前、TeaCupという無料掲示板には、もっとすごい事が書いてありました。
済州島の三大姓が高(コ)、安(アン)、馬(マ)らしい。
日本人の姓で馬がつく姓は多くないので駒、駿、牧なども使ってるかと。
高市はアメリカに行った際に原爆投下したパイロットの墓に献花してるそうです。
それに韓国KCIA系のスパイ組織であるLINEの在日法人であるLINEヤフーに
https://truejourneyguide.com/archives/5856
しかも、その個人情報は実際にヤクザによって犯罪に利用されてしまいました。
こういう連中が支持してるのが秋篠宮です。
対して雅子皇后は由緒ある織田家重臣の丹羽長秀の系統なのだとか。
https://ameblo.jp/shibusawaeiichi1/entry-12782691707.html
「秋篠宮家にだまされたようなモノ」 紀子さまの実弟・川嶋舟氏に絡む“1億円トラブル” 川嶋氏に真相を聞くと…
https://news.yahoo.co.jp/articles/f31a7bfbcf4bb626ee44ac7808ddb1842ea024fa
皇族の名前出され信用した…紀子さまの実弟が絡む1億円トラブルか
https://news.livedoor.com/article/detail/30564230/
こういうのを強引に「日本の天皇」にしようというのが反日カルト統一教会と
京都の事件について、マスメディアは非常に早い時期から父親が犯人であることを知っていたはずだ。というのは
ということが報じられている。これだけのことを取材して知ることは、マスメディアにとって非常に簡単なことだったはずだし、ここまで聞けば「18日の夜かなにかに殺して19日に捨てたのだろう」ということは誰でも分かる。
では、なぜそのことが早くから報じられなかったか?父親が殺した確証が警察側になく、捜査に差し障りがあるため報道協定が締結されたものと思われる。それを皆が守り、事件の真相が解明されつつあるから、誰も非難されることではない。この事件について、マスメディアの報道にはいかなる嘘もなく、また社会的に非常に望ましいものだったといえる。
しかし、彼らが報道したことは全て「嘘」であるといえる。この事件にかんする報道はすべて嘘であり、虚報だった。
それはなぜか。この事件が非常にどうでもいいものだからだ。親が子供を殺す事例は日本では年間数十件あり、まあ週に一度は起きているといってよい。それは一件一件は悲劇であるかもしれないが、いちいち報道する価値のあることではない。せいぜい1個の記事とか、30秒のニュースとか、そんなもので十分だ。マスメディアの人はみなこの事件に「それだけの価値しかない」ことを最初から知っていた。しかし、それを隠し、なにか一大事であるかのように報じた。この事件について私達が知る必要がまったくないことを隠していた。ただ視聴率やクリック数を稼ぐために扇情的に大々的に報じた。
ホラー映画として楽しいんだけど、その楽しさは本当に正しいのだろうか。59点。
同じ登山部の仲間で山で死んだ女性の追悼登山にやってきた主人公と韓国人。しかし運悪く吹雪の中遭難してしまい韓国人は足の骨が折れてしまう。もうダメだぁ、おしまいだぁとなった韓国人は「実は俺が女性を殺した。登山事故じゃなくて殺人だった」と告白。まぁ、それはそれとしてと探し回っていると山小屋を発見し、2人はうっかり生き延びてしまう。死ぬと思ってとんでもないことを告白した韓国人ととんでもないことを告白されてしまった主人公。とんでもなく気まずくなってしまった山小屋で疑心暗鬼のサバイバルが今幕を開ける。
まずフラットな目で見て面白かったか面白くなかったかで言えば面白かったとしていいと思う。
その後の展開として、山小屋に入った後、急に韓国人は不機嫌になり携帯持ってるのに持ってないって言うわ、主人公に隠れて救助隊に電話して「一人です」って言ってるわ、調理のために貸してくれたナイフをすぐ返せって言うわ、様子がどんどんおかしくなっていく。実は女性は主人公と付き合っており、韓国人もそれを知っていたことから、彼は彼なりに告白してしまったことで自分が恋人の仇になってしまったので危害を加えられる可能性があり、また、告白してしまったことで相手に絶対的な弱みを握られてしまったという不都合が発生していて、ついにはその状況が決壊し、韓国人は主人公に襲い掛かってくる。
ここからはもう、閉ざされた物件に殺人鬼がやってきて襲い掛かってくるから逃げ回る系のガチンコのホラー映画になってくる。
2階建てで階段もあればハッチ式のはしごもあり、部屋も多く、山小屋なので遮蔽物も多いといういろんなルートで鬼ごっこ可能な考え抜かれた物件で、市の鬼ごっこが始まるわけだけど、珍しく殺人鬼側の片足が折れているというハンデがある。しかし殺人鬼側はナイフやオノ、スコップ(デカいやつね)といった武器で武装しているのに対して五体満足の主人公は丸腰。さらには高山病を発症してしまい、視界がきかなくなってくる。このあたりの不均衡さ、そして相手が韓国人であることで発生するディスコミュニケーションと、シンプルに動きがどんどん人間離れしてキモくモンスター的になっていく韓国人の物理的な怖さ。といったジャンル的な強度はめちゃくちゃ高くて、見ていて楽しい。
そして、なんとか逃げ回って夜が明けて救助隊がやってくるも主人公の声は届かない。閉じこもっていたドアを開けて飛び出すも目は見えないが救助隊員に声を掛けられようやく視界が戻ったと思ったら、それは救助隊の服を着た韓国人だった。救助隊員を皆殺しにし、ついに主人公をとらえ首を絞める韓国人。お前の罪も告白しろと言われ、主人公は実は女性を殺したのは韓国人ではなく自分だった。自分が韓国人が首を絞めて彼女を殺すように仕向け、殺したのを確認しに行ったら女性が息を吹き返したのでとどめを刺したと告白し、息を引き取った。
ところで目が覚めて、穏やかな韓国人に迎えられ高山病でぼうっとした頭でうっかりいらん告白をした結果、現実世界では何の告白もしていなかったのに韓国人に「お前何かおかしい」と疑われてしまう。そして一夜明け、救助隊が駆け付けた時そこには韓国人をめった刺しにする主人公の姿があった。
という、ホラー、サスペンスとして一定以上の強度がある映画であるのは間違いないと思う。追いかけっこからの驚きの真相の告白。ここまでは間違いなく良かった。
問題は夢落ちの是非と、夢落ちとなったことでホラー、サスペンスパートの正当性がゆがむこと。そして、相手が韓国人であることの妥当性。
まず、夢の内容があまりにハチャメチャで、十何年間もちょっとした見下しはありつつ一緒に活動してきた仲間相手がまるでカヤコやジェイソン、ジャック・ニコルソンかのような殺人モンスターみたいなイメージで夢に登場するだろうかという話。これが細切れの夢の中で毎回、日常の中で起きそうな殺人、それこそ首を絞められたり後ろから刺されたり、毒を飲まされたりという形なら「お前自身がそうしたいという願望の発露」として受け入れられなくもないが、実際に夢で起こったのはまるでスラッシャーホラーのようなドタバタアクション。
つまるところ、一本のスラッシャームービーとして夢パートが精緻で予測不可能で出来が良すぎた故に、逆に高山病で朦朧とした頭で見る夢として正当化される範囲を超えているんじゃないかという話。
そして、相手を韓国人にしたことでちょっとカタコト感がある喋りなので本心が読みづらいという部分はいいとしても途中から韓国語交じりで話し出すので相手の意図が余計に読めなくて怖い、という意図があったんだとしても、なぜかこの映画には韓国語には日本語字幕が出るので「こいつの韓国語は主人公に伝わってる設定なのかどうなのか」がよくわからなくなってしまう。
主人公が「韓国語でしゃべるのやめろ」というシーンはあるけど、それはすなわち「韓国語が全く理解できない」を指さない。ある程度理解はできるけどコミュニケーションとしてスムーズじゃないからやめてほしいかもしれない。だから、そこの恐怖を描きたいなら「主人公に理解できな韓国語には字幕を出さない」という処理にすべきだったはずだ。実際、後半から字幕が出ない部分もある。じゃあ、序盤はずっと意味が理解できていたのか?と思うが、韓国語に対して主人公が意思疎通している描写もない。チグハグだ。
なにより、相手が日本人じゃないからコミュニケーションとれないの怖いよね~っていうの、現代のコンプライアンス感覚としてどうなんだ。まぁ同じ日本人なら怪物化させても問題ないのかという問題もあるが、別言語を話す別人種だから怖いというのはシンプルに受け取っていいのかはかなり悩んだ。
そしてこの作品の本当にあるべき形として、死を覚悟して罪の告白をしてしまったが生き延びてしまった。こいつを生かしておいていいのか、いや、むしろ俺が殺されてしまうんじゃないかという葛藤という部分にあまり重きを置かずにスラッシャーホラーに振るという決断は本当に正しかったのか。もっと心理的な密室サスペンスに振るべきだったんじゃないか。原作は中学生くらいの時に近所の古本市場で読んだだけなのであんま覚えてないんだけど、そっちは後者的な話だった気がする。
まぁ、そんな感じかな。
襲い掛かってくるようになってからの韓国人はもう本当にシリーズ化してほしいくらい(最後に殺されたからもう無理だけど)印象的なモンスターアイコンとして完璧だったからそういう意味では面白かったけど、そういう意味で面白い映画でよかったんかなぁって感じ。ホラー映画好きな人は楽しめると思うけど、原作的な心理サスペンスを期待してる人にはなんか違うなぁってなるんじゃないかな。
韓国は長年、日本軍による植民地支配と戦争を「国家主導の組織的犯罪」「人道に対する罪」として強く糾弾してきた。 「被害者中心主義」「加害者の否認は歴史修正主義」「道義的責任は永続する」「性暴力は絶対に許されない」――これが韓国側の基本論理である。
では、同じ論理を韓国政府自身の戦争関与と中間搾取に適用したら、どうなるか。 ここでは、ベトナム戦争での韓国軍加害と、徴用工問題での資金横領・搾取を、韓国側が日本に対して用いる言葉でそのまま批判する。
1964年から1973年にかけ、朴正煕政権はのべ32万人超の韓国軍をベトナムに派兵した(米軍に次ぐ第2位)。名目は「反共産主義」だったが、実際には巨額のベトナム特需(総額数十億ドル規模)を得て、京釜高速道路建設や重化学工業化の原資とした。
この派兵下で起きたのが、フォンニィ・フォンニャット村事件(1968年2月12日、クアンナム省)とハミ村事件(同年2月25日、同省)である。 フォンニィ・フォンニャット村では、韓国海兵隊青龍部隊が非武装の民間人約70人を至近距離で射殺・手榴弾攻撃・放火。被害者の大半は女性・子供・老人だった。 ハミ村では同部隊が135人以上を機関銃と手榴弾で集団殺害し、家屋を焼き、遺体をブルドーザーで埋めた。
韓国側の論理で言えば、これは「国家が組織的に行った民間人虐殺」である。 日本軍の南京事件や三光作戦を糾弾する際と同じく、
――これこそ歴史修正主義そのものだ。 2023〜2025年の韓国裁判所判決でさえ、フォンニィ事件で国家賠償を命じたにもかかわらず、政府は「戦闘行為」と主張して控訴・事実否定を繰り返した。
サイゴン(現ホーチミン)には韓国軍が関与した売春施設「トルコ風呂」(Welfare Center)が米軍公文書で確認されており、これは日本軍の慰安婦制度を韓国側が「国家主導の性奴隷」と呼ぶのと全く同じ構造である。 韓国政府は今も公式謝罪・大規模補償を拒否。「未来志向の関係」を優先する姿勢は、被害者中心主義を自ら否定する行為だ。
戦後、1945年に発足した在日本朝鮮人連盟(朝連)――後の朝鮮総連の前身――は、日本企業から強制労働者の未払い賃金を「労働者代表」として回収する権限を得た。 1946年末までに請求額は4,366万円に達し、かなりの金額を実際に徴収。
しかし、そのほとんど(ほぼ100%)が労働者本人に渡らず、朝連の活動資金や日本共産党再建資金に流用された(元朝連関係者・金賛汀氏の著書『朝鮮総連』より)。
日本企業が支払った資金を「中間団体」が食い物にした構造は、慰安婦問題で「ブローカー業者が女性を騙した」と批判するのと同じだ。 しかも、韓国人ブローカー自身が戦時中の「募集」段階で「高賃金・好待遇」と甘言を弄し、労働者を日本企業へ送り込む人身売買的行為を繰り返していた事実は、韓国側が日本だけを糾弾する論理では決して無視できない。
1965年の日韓請求権協定でも同じ構図が繰り返された。日本は韓国に無償3億ドル+有償2億ドル(当時の巨額)を支払い、「請求権問題は完全かつ最終的に解決」と確認した。
しかし朴正煕政権は、この資金の約3.6%程度しか死亡遺族への少額補償(1人30万ウォン=当時約3万円)に充てず、残りを国家経済開発(POSCO製鉄所など)に投入した。 韓国側の論理で言えば、これは
であり、「被害者を置き去りにした経済優先の道義的背信」である。 2005年の官民共同委員会でさえ「補償が不十分」と認めながら、韓国政府は日本企業への追加請求を司法で後押しした。これはまさに「二重取り」を正当化する歴史修正主義だ。
韓国が日本に対して繰り返し求める基準――「国家責任の明確化」「被害者への直接救済」「否認の終焉」「性暴力の徹底糾弾」「象徴(国旗)の扱い」――を、自らの歴史に適用すればどうなるか。 それは、
韓国政府が本当に「正義」を掲げるなら、 日本だけを糾弾するのではなく、 自らの戦争関与と中間搾取にも同じ厳しい目を向けるべきである。 被害者中心主義は、他国にだけ適用する「都合の良い武器」ではなく、万国に通用する普遍的原則でなければならない。自らに適用できない論理は、論理として破綻している。
本当にわからん。
ここでの「関係」ってのは「影響」と区別してほしいんだけどさ。
俺達はトランプのやることに対して関わることが出来ないんだ。
現実に。
また、俺たちが過去に何かをしていたら今のトランプがいなかったかっていったら
バタフライエフェクトみたいな茫洋とした話を抜きにすれば
まあそんな選択肢はなかったわけよ。
大変だろうけど日本に来て日本語覚えて日本で暮らそうとしてる利発そうな若者とか見るたびに応援したい気持ちになるし。
逆にいつまでたっても母国語しかしゃべれない非文明的な外人は日本から出てけって思ってるけど。
でもプーチンに怒っても仕方なくね?
お前等だってないよね。
あー俺があの時ああしてればプーチンはこんなことしなかったのに!
だから無感動なんだよね。
プーチンのそばに仕えてありありとその息遣いや人格を観察すれば
生々しい軽蔑とか畏敬とか恐怖とか親しみとか何かの感情が湧くと思うんだけど
俺の人生にそんな機会や時間もないのでプーチンには何の感情も持てないわけ。
ネタニヤフにしても同じ。
遠すぎて伝聞以外の情報なんかなんもないわけじゃん。
凄い悪い奴だ賤しい奴だーって情報があったとして
イスラエルのやることとかイランの行く末とかにも感情的な関心は湧かないすぎる。
影響はガンガンあるわけだけど
殆どの奴は怒らないわけじゃん。
情報としてトランプやプーチンやネタニヤフって漫画の悪役か雨とかと同じなわけ。
ほんとはそんなやついなくて別の奴がミサイル撃ってるのかもしれない。
真相も確かめられないし実感もないし、何も手ごたえがない存在なんだ。
雨降ったらもちろん影響はあるよ。
でもその影響に対処はしても、怒らないだろそこで。
commentatorHeader
倉田徹
【視点】烏谷先生の解説により、陰謀論が生じる背景、それへの対処の難しさなどが総合的に議論されていて、大いに考えさせられました。
政党やメディアなどの努力、社会の分極化を避けるような政策に加え、政府の透明性の向上も重要だと思います。例えば、中国政治の場合、近年突然の幹部の失踪や失脚が繰り返されており、専門家にすらその真相は全く見えませんが、そういう状況を外から理解しようとすれば、ある種の憶測、言わば「陰謀論」に依拠するほかないのが現実です。公開された、信頼できる情報がないからです。
したがって、日本政府も、情報公開度を高め、多くの市民が納得できる形で政策を推進するように努め、陰謀論に根拠を与えないようにするべきだと考えます。
“ 矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授が1993年(平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞と引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件・訴訟の総称である。「京大矢野事件」「京大・矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大元教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。
日本におけるセクハラ問題化のメルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。
1993年(平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野は面接と称してホテルのラウンジに呼び出し、「秘書の仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野は謝罪の念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。
上記の事情を知ったセンター助手がセンターに質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代に自分も矢野から性暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。
センターは、改善委員会を設置し、矢野のセンター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口博弁護士と相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。
1994年(平成6年)1月18日の京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章が掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章が2月10日の京都新聞に掲載され、小野は2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。
矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実が新聞に公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求の民事訴訟を起こしたが、いずれの判決も矢野の請求を棄却した。
事件の経緯
甲野乙子事件
1982年(昭和57年)1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学の非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂で矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野に自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内のホテルの地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分がチェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。
部屋に入ってからも東南アジアの話が続いたが、突然、矢野が椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野に罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野は性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕が性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。
この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野と性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。
甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野の研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野が激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係も継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年(昭和63年)、甲野は他のアルバイトも矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書が自分と矢野との関係を認識していたことを知り、自分に対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野や関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。
A子事件
1992年(平成4年)12月、京都府庁でアルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年(平成5年)1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野、矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。
次の面接日である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野が疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい、階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生、今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生、今日は添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書の役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書の仕事は自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人がいるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。
A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書に事情を説明し、A子の秘書採用を断り、自分も責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情を説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野に謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。
2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象的表現に留まった[13][14]。
3月8日、この事件を告発する匿名の文書が、文部大臣と文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。
1993年(平成5年)4月中旬、矢野は出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のB子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子は直ちに帰宅し、以後出勤することなく4月30日付で退職した[18]。
C子事件
矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。
D子事件
1993年(平成5年)6月10日、矢野は京都市内のホテルのエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いから一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。
1993年(平成5年)6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことをセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野の研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。
A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記の事情も知り、もはや矢野の個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件の真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。
この質問状を受領したセンター教授らは、部門長会議及び拡大部門長会議で対応を検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授で構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時の教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人の良識に解決を委ねるべきであると考え、矢野に謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査の継続の有無と辞任理由とセクハラの責任の関係について回答を求める趣旨の質問状を提出した[22]。
質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日の協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務が多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口博弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラの事実を認めて被害者に謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨の矢野個人に対する質問書を送付した[25]。
矢野は、8月31日に正式にセンター所長を辞任した[26]。9月1日、矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長も兼務することになった[26]。9月9日、矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本元総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授、古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。
同僚からの手紙で上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日にセンター編集室に電話し、米澤助手に自分と矢野との性的関係などの事情を告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野のセクハラの事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。
米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士を代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省は京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授、前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野は事実関係は存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係を調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係の調査を所長の責任で公的なものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。
米澤助手は、甲野らに公的な調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書や証言メモを作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。11月11日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性の実在と証言の自発性を確認するため、海田教授、土屋教授、前田教授、福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43
マーダーミステリー(以下、マダミス)は、参加者が物語世界の登場人物を演じながら事件の真相に迫っていく体験型の物語形式である。参加者は単なる読者や観客ではなく、与えられたキャラクターとして発話し、選択し、他者と関係を結びながら物語を進めていく。その意味でマダミスは、「物語を読む」娯楽ではなく、「物語を生きる」娯楽であると言える。
こうした形式において、プレイヤブルキャラクター(以下、PC)にどのような設定や目標、関係性が与えられるかは、物語体験のあり方そのものを左右する。PC設計は、プレイヤーにどのような役割を引き受けさせ、どのような語りを要請するのかという点で、文化的な意味を帯びている。本稿では、マダミスにおける女性PCの設計に見られる傾向に注目し、そこに潜むジェンダー規範について考察する。
マダミスのPCは、単なる属性の集合ではない。性別、職業、立場、他者との関係、そして目標は、プレイヤーがどのような言葉を選び、どのような行動を取るかを方向づける「役割」として機能する。PCとは、プレイヤーが一時的に引き受ける社会的・物語的ポジションであり、その設計は暗黙の価値判断を含んでいる。
ゲーム研究や物語論において指摘されてきたように、キャラクター表象は「何者であるか」だけでなく、「何を語り、何を行うことが期待されているか」を規定する。マダミスにおいても、PC設計はプレイヤーに特定の振る舞いを促し、別の振る舞いを選びにくくする力を持っている。
マダミスでは、各プレイヤーに配布されるハンドアウトを通じて、そのキャラクターにとってどの行為や発話が物語的にもっともらしいかという枠組みがあらかじめ提示される。プレイヤーは自由に判断しているようでいて、実際にはPCに付与された目標や関係性を参照しながら、「そのキャラクターとして自然な選択」を探索することになる。このときPCは、行為を命じる規則ではなく、特定の行為を自然なものとして浮かび上がらせる装置として機能している。
さらに、こうした役割設計は行動だけでなく、「語りの位置」をも規定する。どのキャラクターが状況を説明し、どのキャラクターが感情を語り、どのキャラクターが沈黙するのかは、設計段階で大きく方向づけられている。また、誰が対立を和らげ、誰が場の空気を調整し、誰が強い決断を下すのかといった役割分担も、プレイヤー個人の性格というより、PC設計によって方向づけられる部分が大きい。PCは行為主体であると同時に、どのような感情労働を引き受ける位置に置かれているかを示す指標でもある。
このように、マダミスのPC設計における「役割」とは、属性の説明にとどまらず、行為・語り・感情の水準にまで及ぶ総合的な配置である。
マダミスのPC設計に見られる役割分配は、必ずしも性別を主語として意図的に設計されているわけではない。しかし、その設計思想が繰り返し適用される過程で、特定の性別に偏って顕在化する役割が存在する。マダミスのシナリオを見渡すと、女性キャラクターにはいくつかの共通した役割が反復的に与えられていることに気づく。
第一に挙げられるのは、恋愛を主軸とした目標である。事件の解決や自己の生存よりも、「特定の人物との関係を守る」「恋人の無実を信じる」といった関係性中心の動機が、女性PCに与えられることは少なくない。
第二に、女性キャラクターが「誰かの恋人」「妻」「娘」といった関係属性によって定義される点である。これらの関係性は物語に厚みを与える一方で、人物像の理解を他者参照に強く依存させる。結果として、女性PCは独立した意志や欲求を持つ存在というよりも、他者との関係を媒介する存在として描かれやすくなる。
第三に、女性キャラクターの目標が他者の利益や幸福に向けられる傾向である。誰かを守る、支える、秘密を抱え続けるといった役割は、物語上重要であると同時に、自己犠牲や献身を前提とする振る舞いをプレイヤーに要請する。
もっとも、恋愛や関係性、献身的な役割そのものが否定されるべきだというわけではない。これらはキャラクターに強い動機を与え、物語への没入感を高める有効な装置である。しかし問題は、それらの役割が特定の性別に偏って反復される点にある。
こうしたPC設計は、プレイヤーの体験にも影響を及ぼす。女性PCを担当するプレイヤーは、推理や告発といった能動的行為よりも、関係調整や感情的配慮を求められる場面に多く直面する可能性がある。その結果、物語の中で「場を回す」「衝突を和らげる」といった役割を引き受けることになりやすい。この経験は必ずしも常に否定的なものではないが、恋愛や家族関係の演技を負担に感じるプレイヤーや、そうした役割を望まないプレイヤーにとっては、参加の心理的ハードルとなり得る。
マダミスのPC設計におけるジェンダーバイアスは、明示的な差別表現としてではなく、物語的役割の反復として現れる。恋愛、関係性、献身といった要素が女性キャラクターに集中することで、物語体験のあり方そのものが性別化されてしまう可能性がある。
問われるべきなのは、個々のキャラクター表現の是非ではなく、プレイヤーにどのような役割を自然なものとして引き受けさせているのかという、設計思想そのものである。マダミスという形式が持つ物語的可能性を拡張するためには、役割と性別とを無自覚に結びつけてきた前提を問い直し、より多様な物語経験を開く設計が求められている。それは、特定の表現を排除することではなく、より多様な「物語を生きる」経験を可能にするための試みである。
マーダーミステリー(以下、マダミス)は、参加者が物語世界の登場人物を演じながら事件の真相に迫っていく体験型の物語形式である。参加者は単なる読者や観客ではなく、与えられたキャラクターとして発話し、選択し、他者と関係を結びながら物語を進めていく。その意味でマダミスは、「物語を読む」娯楽ではなく、「物語を生きる」娯楽であると言える。
こうした形式において、プレイヤブルキャラクター(以下、PC)にどのような設定や目標、関係性が与えられるかは、物語体験のあり方そのものを左右する。PC設計は、プレイヤーにどのような役割を引き受けさせ、どのような語りを要請するのかという点で、文化的な意味を帯びている。本稿では、マダミスにおける女性PCの設計に見られる傾向に注目し、そこに潜むジェンダー規範について考察する。
マダミスのPCは、単なる属性の集合ではない。性別、職業、立場、他者との関係、そして目標は、プレイヤーがどのような言葉を選び、どのような行動を取るかを方向づける「役割」として機能する。PCとは、プレイヤーが一時的に引き受ける社会的・物語的ポジションであり、その設計は暗黙の価値判断を含んでいる。
ゲーム研究や物語論において指摘されてきたように、キャラクター表象は「何者であるか」だけでなく、「何を語り、何を行うことが期待されているか」を規定する。マダミスにおいても、PC設計はプレイヤーに特定の振る舞いを促し、別の振る舞いを選びにくくする力を持っている。
マダミスでは、各プレイヤーに配布されるハンドアウトを通じて、そのキャラクターにとってどの行為や発話が物語的にもっともらしいかという枠組みがあらかじめ提示される。プレイヤーは自由に判断しているようでいて、実際にはPCに付与された目標や関係性を参照しながら、「そのキャラクターとして自然な選択」を探索することになる。このときPCは、行為を命じる規則ではなく、特定の行為を自然なものとして浮かび上がらせる装置として機能している。
さらに、こうした役割設計は行動だけでなく、「語りの位置」をも規定する。どのキャラクターが状況を説明し、どのキャラクターが感情を語り、どのキャラクターが沈黙するのかは、設計段階で大きく方向づけられている。また、誰が対立を和らげ、誰が場の空気を調整し、誰が強い決断を下すのかといった役割分担も、プレイヤー個人の性格というより、PC設計によって方向づけられる部分が大きい。PCは行為主体であると同時に、どのような感情労働を引き受ける位置に置かれているかを示す指標でもある。
このように、マダミスのPC設計における「役割」とは、属性の説明にとどまらず、行為・語り・感情の水準にまで及ぶ総合的な配置である。
マダミスのPC設計に見られる役割分配は、必ずしも性別を主語として意図的に設計されているわけではない。しかし、その設計思想が繰り返し適用される過程で、特定の性別に偏って顕在化する役割が存在する。マダミスのシナリオを見渡すと、女性キャラクターにはいくつかの共通した役割が反復的に与えられていることに気づく。
第一に挙げられるのは、恋愛を主軸とした目標である。事件の解決や自己の生存よりも、「特定の人物との関係を守る」「恋人の無実を信じる」といった関係性中心の動機が、女性PCに与えられることは少なくない。
第二に、女性キャラクターが「誰かの恋人」「妻」「娘」といった関係属性によって定義される点である。これらの関係性は物語に厚みを与える一方で、人物像の理解を他者参照に強く依存させる。結果として、女性PCは独立した意志や欲求を持つ存在というよりも、他者との関係を媒介する存在として描かれやすくなる。
第三に、女性キャラクターの目標が他者の利益や幸福に向けられる傾向である。誰かを守る、支える、秘密を抱え続けるといった役割は、物語上重要であると同時に、自己犠牲や献身を前提とする振る舞いをプレイヤーに要請する。
もっとも、恋愛や関係性、献身的な役割そのものが否定されるべきだというわけではない。これらはキャラクターに強い動機を与え、物語への没入感を高める有効な装置である。しかし問題は、それらの役割が特定の性別に偏って反復される点にある。
こうしたPC設計は、プレイヤーの体験にも影響を及ぼす。女性PCを担当するプレイヤーは、推理や告発といった能動的行為よりも、関係調整や感情的配慮を求められる場面に多く直面する可能性がある。その結果、物語の中で「場を回す」「衝突を和らげる」といった役割を引き受けることになりやすい。この経験は必ずしも常に否定的なものではないが、恋愛や家族関係の演技を負担に感じるプレイヤーや、そうした役割を望まないプレイヤーにとっては、参加の心理的ハードルとなり得る。
マダミスのPC設計におけるジェンダーバイアスは、明示的な差別表現としてではなく、物語的役割の反復として現れる。恋愛、関係性、献身といった要素が女性キャラクターに集中することで、物語体験のあり方そのものが性別化されてしまう可能性がある。
問われるべきなのは、個々のキャラクター表現の是非ではなく、プレイヤーにどのような役割を自然なものとして引き受けさせているのかという、設計思想そのものである。マダミスという形式が持つ物語的可能性を拡張するためには、役割と性別とを無自覚に結びつけてきた前提を問い直し、より多様な物語経験を開く設計が求められている。それは、特定の表現を排除することではなく、より多様な「物語を生きる」経験を可能にするための試みである。
ペリペテイア(その他表記)peripeteia
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペリペテイア」の意味・わかりやすい解説
ペリペテイア
peripeteia
「逆転」「急転」の意のギリシア語。特にアリストテレスの詩学においてアナグノリシスと並ぶ重要な概念。劇中主人公の運命が,ことに血縁に関しての秘められた真相の発見 (アナグノリシス) を境に,それまでのなりゆきとは反対に幸から不幸へ,あるいは不幸から幸へと急転することをいい,聴衆の心を動かすための筋立てに欠くことのできない要素である。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%BA%E3%82%8A%E3%81%BA%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%82-130352
独立した。
周りのみんなはすごいとかおめでとうとか言ってくれるけど、実態は、前にいた事務所で人間関係が原因で鬱になりかけて、飛び出したというのが真相。
皆には言えないけど。
人と一緒に仕事をすることがしんどすぎて一人で事務所をやることになった。
AIの勢いは止まらないけど、少なくとも自分が生きてる間はなんとかなると思う。
いくら日弁連に政治力が皆無でも、弁護士法を無くして誰でも法律相談や代理人業務を出来るようにするとは考えにくい。
自動運転の車がどんどん出てきても、みんなが一斉に買い換えるわけじゃないから、当面は普通に運転する車が走ってるのと同じ。
独立して良かった。
まぁ国選は期間がタイトな分、1件入ると、他の予定に影響するので割としんどい。
そこは弁護士という資格の重さの代償だと思って、なんとかやってる。
事務員を雇うつもりもないし結婚するつもりもないので、1ヶ月100万くらいの売上を立てておけば人並くらいには生きていける。
給与所得者の人は、売上=給料だと誤解して羨んでくるけど、そこから事務所の賃料や弁護士会費、有料判例サービスその他もろもろで、そこそこ出ていくし、給与所得者の人のような社会保険は全くない。
病気になったり仕事中に怪我したりしても、当然、働けない分=減収。
会社から従業員に払われるお金の1/3〜1/2は社会保険なんだから、逆に言うと、我々自営業者は給与所得者の給料の2倍くらいの収入でようやくトントンなんだと思う。
産休育休も当然ない。
最近出産した弁護士が出産2日後から仕事に復帰したと聞いて唖然としたよ。
それは大丈夫なん?という。
無理が効くうちにお金を稼がないと。
つらいぜ。
夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった…
同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。
今でも疑問に思います。
〜〜〜〜
夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。
リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。
日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。
日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。
夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、
と聞きました。
日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、
本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。
ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。
成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。
なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか?
わたしは、夫の問いに
「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」
と答えるのが、やっとでした。
翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。
IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に
戻ったのだそうです。
しかし、その後、
後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。
山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。
オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。
そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。
越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。
一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。
夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。
このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。
夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。
この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。
事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。
原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。
その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。
話は戻ります。
「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。
夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは
「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」
と言われました。
とお応えしました。
玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。
夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。
夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。
帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。
「病室ではテレビを見ないでね」と、
高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。
数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、
「見た、信じられなかった…」
そのときの夫の顔を忘れることができません。
わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。
夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。
安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。
〜〜〜〜
「こどもたちを頼む」
統合失調症とか認知症になった時って、症状の知識があれば「これやばいな」と気付いて受診できたりするのだろうか
それともそういう判断も症状によってできなくなるんだろうか
誰かが気付いて指摘してくれても「違う!」と否認したりするのだろうか
記憶障害が出たりすると、何かやらかしたりした時「私はそんな事絶対にやっていない」というのは本人(自分)の主観としては正しいのだろうしなあ
ふと思い出したのだが、職場で対人トラブルや、単純作業での重大なミスを何度も起こし、指導されてもまったく直らないというか、言われていることを理解しているのかどうかもいまいちよくわからない人がいた
日によって躁状態のようなハイテンションだったり、見るからに落ち込んで溜息をついていたり、感情の落差も激しかった
あまりにもミスが多いので、教育係が懇切丁寧にひとつひとつ指導すると「バカにしているのか」とケンカ腰で食ってかかったりするようなところがあり、かと思えば大して接点のない、かなり年下の私に突然「友達として仲良くしたい」と話しかけてきたり、情緒的に不安定で、そのためか、他の職場でもうまくいかなかったらしい
そんな彼女がある日また大げさに溜息をつき、暗い顔をしていた
誰も触れようとしなかったが、あからさまに落ち込んでいる様子だったので、場を改めて何か悩みがあるのかと声をかけたところ、深刻な様子で「私発達障害とか、そういうのかもしれない」「ネットでチェックすると色々当てはまってる気がする」と言う
かなり迷ったが、後日、「自分がそうなのか迷っているというのを相談することもできるらしいですよ。私はAさんが発達障害だと思っている訳ではないですけど、もし気になるなら相談してみては?」と前置きをして、職場近くの支援センターの連絡先を渡した
これは自分の身内に発達障害がいるがゆえの余計なお節介ムーブであったのだが、その場では「えっ?わざわざ調べてくれたんですか?優しい〜!」と受け取った彼女は、後日、「お前は発達障害だと一方的に決めつけられて、こんなもの(連絡先のメモ)まで渡された!」「私は自分が発達障害だなんて思ったこともない」と、怒り心頭で上長に訴え、私の異動か解雇を要望したのだと言う
彼女はその後すぐまた別の対人トラブルを起こして退職したため、それが彼女の虚言なのか、何らかの症状だったのか、そもそも自分が発達障害かもと言ってきたことを忘却していただけなのか、もしくは本人はそこまで悩んでいたわけではないのに私が大げさに受け取ってしまったというミスコミュニケーションなのか、真相はわからないままだ
短期間での退職を繰り返してきたらしい彼女は、またどこかの職場で同じ事をしているのかもしれない
晩年、認知症だった祖父は人に濡れ衣を着せてキレまくり、言いがかりを付けては怒っていた
しかし本人の主観では、誰も彼も自分をバカにして物を隠し、訳のわからない事を言ってくるのであり、それによる混乱状態でもあったのだろう