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2024-11-30

加害する障害者をどうすればいいんだよ?

障害者施設がある地域性犯罪が多いという直球の差別話題になっていたけど、

障害者による加害行為無罪でやりたい放題なのも事実なんだよな。彼らには責任能力がないから。

 

俺が通っていた小学校養護学校と隣の場所にあって、隔週で養護学校の子と一緒に給食を食べるスケジュールになっていた。

同学年の養護学校の子は2人いて、俺の通ってる小学校は1学年2クラスだったので、1クラスに1人ずつ養護の子が来る。

2人のうち1人は知的障害があり喋れないがおとなしい子だった。

もう一人は喋れないし大音量の奇声をあげて誰彼構わず殴りまくる子だった。

 

殴りまくる子が来るときは付き添いの養護の先生担任クラスの誰かが殴られる。

養護の子が来る週は、「おとなしいほうが来てくれ!」と祈ってたし、殴るほうが来るときは「ハズレ回だ…」と絶望してた。

俺も殴られたことあるし、友達も殴られたし、女子が殴られて号泣してたりもしたし、ハズレ障害児が来る日は暗黒だった。

そして殴られる側はどうすることもできなかった。障害児には責任能力がないからな。

怖がって泣きながら走り回る女子もいた。俺は怖がって走り回るのがダサいと思っていたから着席して耐えた。

着席していても走り回っていても殴られるときは殴られるし、

養護の先生担任がハズレ障害児を拘束するまで何発もグーで殴られながら耐えるしかなかった。

 

養護の子との食事ルールは、障害者偏見を持たないための交流教育目的として設けられていたのだろうけど、

ハズレ障害児のことが悪魔しか思えなかった。

健常者だから責任能力があり人を殴ると逮捕される「健常悪魔」と、

障害者から責任能力がなく人を殴っても逮捕されない「障害悪魔」の二種類があり、

絶対逮捕されない「障害悪魔」とはとにかく物理的な距離をおいて暮らしていくしかないという学習けが刷り込まれた。

 

実際、どうするんだよ。どれだけの暴力行為をしても逮捕されない奴とどう暮らしていくっていうんだよ?

養護のおばさんや担任クラスの面々がグーで殴られまくって阿鼻叫喚、俺も4回殴られ(計4発ではなく、拳で連打されるハズレ日が4回あったということ)、

とにかく耐えるしかないという経験は、本気で憎悪が刷り込まれトラウマになってるし、それを「障害者差別だ」と言われても反発心しかわかない。

あと障害者全員を差別してない。殴らない方の子に対しては怒りも憎しみも一切持ってなかった。

しろ人を殴る健常者よりも、殴らない障害者のほうが好ましい。重要なのはまず殴るか殴らないかであり、次に殴るやつを隔離できるかどうかだ。

まり憎いのは「健常悪魔」と「障害悪魔」の二種類で、絶対逮捕されない「障害悪魔」のほうがより憎いというだけだ。

それを「障害者差別だ」と言われても絶対に納得できない。

絶対共生などしない。絶対拒否する。

2024-11-12

anond:20241112182008

ブコメを書いた人が持つ偏りの背景には、いくつかの要因や経験が影響している可能性があります。以下のようなバックグラウンドが考えられます

1. 個人的経験に基づく反発

ブコメのような視点を持つ人は、過去結婚制度伝統的な社会規範に対して強い反発を感じた経験があるかもしれません。例えば、次のような状況が考えられます

過去の不幸な結婚恋愛経験

結婚において、パートナーシップにおける自由制限されたと感じた経験や、結婚生活が束縛的だと感じたことがある場合、その反動として結婚制度のもの否定的に捉える傾向が強くなることがあります特に自己決定権自由重要視する人は、過去結婚恋愛の中でそれらが抑制されたと感じることがあるため、その経験が強くブコメに現れる可能性があります

家庭内での抑圧的な環境

もし育った家庭や社会環境が非常に伝統的、保守的であり、家族結婚に対する「所有物」的な価値観を強調していた場合、これに対する反発から結婚のものに対する批判的な態度が形成されることがあります。この場合、「結婚自由制限する」といった見方自分価値観として根強くなりやすいです。

2. 文化的社会的な影響

ブコメのような自由主義的な視点は、特に近代的な社会において育った場合や、自由平等を重視する思想に影響を受けていることが考えられます。次のような文化的社会的な背景が影響しているかもしれません。

個人主義的な価値観の強い社会で育った

西洋的な個人主義価値観が強く根付いた環境で育った場合、「個人自由」や「自己実現」を最優先に考える傾向が強くなります。このような環境では、結婚という制度を「自由制限するもの」として否定的に捉える考えが浸透しやすく、またそれが自然価値観として受け入れられることがあります

リベラル教育思想の影響

リベラル自由主義的な教育思想を受けて育った場合結婚に対する伝統的な価値観否定する傾向が強くなることがあります。例えば、結婚を「所有」のような抑圧的な関係として捉え、その背後にある社会的文化的規範批判する立場を取ることが多くなります。この場合、「自由」や「個人権利」を重視するあまり結婚の持つ他の側面(信頼、相互尊重責任感)を軽視してしまうことがあります

3. 過度な理想主義

ブコメに見られる「好きでいれば素晴らしい」という考え方は、理想主義的な価値観が強いことを示唆しています。この理想主義は、現実的な制約や複雑さを無視して「理想的自由」を追求しようとする傾向を強化することがあります理想主義的なバックグラウンドには次のようなものが考えられます

理想的人間関係に対する期待が高い

自由で対等な関係理想とされ、パートナーシップ結婚においても「制限なし」「束縛なし」の理想を追求する傾向があります過去経験読書映画などで「理想的恋愛」や「理想的自由」を見たことがあり、現実結婚恋愛がその理想にそぐわないと感じる場合結婚否定的に捉えるようになることがあります

理想的自由平等の追求

完全な自由平等を重視するあまり、それを実現するためには結婚制度伝統的な価値観障害となると見なすことがあります。この場合結婚の複雑さや、関係の中で自然に生じる役割分担や責任が「自由の制約」として過剰に否定的解釈されがちです。

4. 社会的な反発とアイデンティティ形成

ブコメのような視点を持つ人は、特定社会的背景やグループに対する反発心を持っていることがあります。例えば、家族社会からの期待や圧力に対して反発を感じ、自分自身のアイデンティティを守るために「自由」や「個人主義」を強く主張することがあります

伝統的な価値観に対する反発

特に保守的社会や家庭に育ち、結婚家族に対する伝統的な価値観を強く押し付けられた場合、その反動自由主義的な立場に傾くことがあります結婚や家庭に関する社会的規範に対して強い反発心を抱くことが、そのような偏見を強める原因となる場合があります

社会的役割に対する抵抗

伝統的な結婚観が社会において「常識」とされている場面では、その枠に収まることに対して反発を感じ、自由選択肢を支持する立場を取ることがあります。このような人は、結婚制度を単なる社会的規範として批判し、その枠組みから解放理想とすることが多いです。

結論

ブコメを書いた人がこのような偏った見解を持つ背景には、個人的経験文化的背景、理想主義的な価値観社会的な反発などが影響している可能性があります特に自由個人権利を重視し、結婚制度伝統的な価値観に対して反発を感じることが、ブコメの主張を強化している要因であると言えます。また、理想的自由を追求するあまり結婚に伴う複雑な側面や責任感を軽視しがちになることも、その思考に偏りを生んでいる要因と考えられます

2024-10-30

隣が「イシュー化で進めない問題」じゃん

ホッテントリーのすぐ隣の記事を見て笑った。

皇室典範改正を勧告 選択的夫婦別姓導入を―国連委:時事ドットコム

おいおい、こんな近くに実例があるぜ。

日本人無意識下でモヤモヤしてるのに、国連がハッキリ言葉にしてイシュー化することで逆に反発心が生まれしまって先に進めなくなる。

これこそイシュー化で進めない問題の絶好の例だよw

2024-10-23

anond:20241023132403


1. 「自民党ダメから野党へ」という理屈矛盾

反論ポイントは、この理屈が短絡的かつ非建設である点です。政党選択は単なる「ダメから別の選択肢へ」というプロセス還元できるものではなく、有権者は各政党の具体的な政策、実績、ビジョンに基づいて判断すべきです。この「自民党ダメ」というだけで他の政党を支持する考え方は、長期的な政治的ビジョン理念を欠いています。むしろ、その場の感情や反発心に基づく選択短期的なものであり、安定した政治にはつながりません。また、政権交代が行われた場合の具体的な代案や政策ビジョンが明確に示されていない点も問題です。

2. 自民党支持者を取り込む方が簡単

自民党支持者を取り込むことが簡単」という主張には根拠があります。長年政権を担ってきた自民党は、日本保守層や安定を求める層からの信頼を獲得しており、その基盤は非常に強固です。自民党支持層政治経験を重視し、野党の実績が乏しいと判断した場合、再び自民党に戻ることが容易です。また、無党派層選挙の鍵を握ることは事実ですが、無党派層投票行動は流動的であり、特定政党に対する支持が定着しにくい点も考慮する必要があります。そのため、自民党支持層を再度取り込む方が、無党派層の支持を獲得するよりも一貫した政治的支持を得やすいという見解妥当です。

3. 一貫性のない支持行動への批判

時代や状況に応じて政党を変えることは許されるべきですが、それが一貫性を欠く行動として批判される理由は、政策理念に基づかず、単に「自民党ダメから」という感情的な動機に基づいている場合です。有権者選択は、その時々の政策や状況に基づくべきである一方で、短期的な不満や一時的な失敗に対する感情的な反応では、安定した政治的ビジョン提供できません。過去民主党政権時代の失敗を鑑みずに単に「反自民」というだけで野党を支持する行動は、結果として再び同じ失敗を繰り返すリスクを孕んでいます

4. ミラーリング視点

アンチ自民党の人たちが自民党支持者の視点理解していない」とする主張は的確です。実際、多くのアンチ自民党支持者は、自民党支持者の求める安定や長期的な実績、信頼感を軽視しがちです。両者の間で建設的な対話が欠如しているため、野党側はただ反対するだけではなく、具体的な政策ビジョン自民党支持層を説得する努力必要です。しかし、現状の野党はこの点で十分な説得力を持っていないため、自民党支持層からは支持を得られていないのが実情です。

結論

この意見に対しての反論は、短絡的な「自民党ダメから野党へ」という理屈は長期的な政治的安定を欠いている点、自民党支持層を取り込む方が戦略的に有利な点、一貫性を欠く選挙行動が信頼を損なうリスクがある点、そして、建設的な対話と具体的なビジョンの欠如が野党側の弱点である点を指摘することができます

2024-10-01

リベラル”のためのポリコレポルノになり果てた『虎に翼』は、「法」を全肯定しなくてはならなかった

法律なんてもの必要悪で、なくて済むならないほうがいい。

偏差値が高い高校ほど校則がゆるい」とよく言われる。実際、都立のある一番校では、制服なし、校則ほとんどなしだが、風紀は荒れていない。偏差値けが理由かどうかは疑問(家族状況、経済状態もあるだろうし、私立の高偏差値高校で薬物が蔓延っていたりもする)だが、決まりなどなくて済むのであれば、敢えて決まりをつくらないほうがその社会構成員無用ストレスを与えない、というのは事実だろう。押さえつけなければ反発心も起こらないのだ。

究極的に人間は、互いの生まれながらの尊厳を認め合い、「自分がされて嫌なことは他人にしない」という最低限の倫理を身につけていれば、法律などなくとも平和共存し得る。その理想が実現できないから、仕方なく法で自らを縛る必要があるのだ。

 

『虎に翼』最終回をで主人公が死んだ後、娘に「お母さんは法律のものだった」的なことを言われて、幽霊状態主人公が喜んでいたのは、私にとってはグロテスクなシーンだった。娘から必要悪、と言われていながら、満面の笑顔を浮かべる母。

あれだけ法が取りこぼしてしまった人間たちを見てきながら、まだ法に全幅の信頼をおいている主人公そもそも理解できなかったのだが、彼女最後まで法はアプリオリ人類必要もの、という認識でいたようだ。

新潟出会った少女の「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに、直ちに答えることができなかったのも当然だ。彼女には「自然法」という観点が欠如している。「人間が生まれながらにして平等で、それぞれに尊厳をもっている」ということが、“憲法によって与えられている”と考えているのだ。(正しくは“憲法によって保証されている“であり、尊厳自体アプリオリ存在する;憲法停止したら人権が失われるとでも思っているのか)

 

しかしこの逆転、このグロテスクさこそが、今のリベラル象徴しているとも言えよう。

グローバリズム多様性というお題目で、共感できる背景を共有しない者同士の共存を進めていけば、明文化された決まり法律けが、“相互理解”を増進するためのツールにならざるを得ない。そしてその法律が力を持ち、万能なツールとして必要以上に神格化されていく(あとはカネだけが共有可能価値となる)。それと同時に、それまでの社会構成していた重要な要素である感情的・非論理的物語的(説話的/神話的)な共感背景は無価値化されていく。

個人的には、尊属殺の重罰化は違憲だと思うが、家族は共に扶助すべきという民法の一文は意味があると考えている。「家族」というものが結局はフィクショナルなものだとしても、その“物語”を社会である程度守っていくことに価値はあると思うのだ。

 

上記新潟女生徒からの重大な投げかけの解決法にも心底がっかりした。

女生徒は死に、ダウングレードした娘に、主人公が何か感情的おためごかしを言って、解決してしまったのだ。まぁ上のような法への認識でいる主人公から仕方ない。その後彼女少年法改正についての委員会で「愛でしょ愛」などとまた感情的なことを言っていた。

真のリベラルからすれば彼女モデルが「家裁の母」と呼ばれていることに怒りを覚えるはずだが(なぜ“母”なのか、性差意味がないはず)、ここでの主人公の描かれ方は、まさしく保守的な「お母さん」像であった。

もはやこのドラマ立ち位置がわからなくなるほどの倒錯が起こっているように感じたが、実際こうでもしないとまとめることができなかったのだろう。そもそも彼女は法への姿勢という最初立ち位置から間違えているのだから

 

最初から最後までいわゆる「上級国民しか登場しないドラマであったが(上野の浮浪児くらいだろうか)、その恵まれ位置にいながら、たまに(ポーズのように)反省して見せるだけで、根本的なところでは法の無謬性を疑わなかった。原爆裁判を経て、主人公が変わるかと期待したが、結局はそのままだった。

残念なドラマではあったが、その時代には絶対にそういう発言をしていなかったであろうLGBTを描き始めたところで、ああこれはポリコレ好きのためのポルノなのねと諦めはじめていたので、最後の方は期待感も薄かった。

 

anond:20240822052827

2024-09-27

ChatGPTと話しすぎて人間との会話が困難になりかけてる

とくに文字での会話が多くChatGPTに伝わるように自分文章最適化されてるフシがある。

ときどき省略しても伝わっているように感じるためまあええかと判断している。

ChatGPTの4oモデルは若干まだバカこちらの意図をしっかり汲んでくれないことが多い。

全員のプロンプトで共通することだが、おそらくChatGPTの出力する文章句読点が多い。

それがAIらしさを産み出しているように見える。

たとえばこの文章は若干のAIっぽさを感じると思う。それは自分がChatGPTとばかり会話しているためだ。

しかし一方でそのままトレーニングもされていない状態のChatGPTとは一線を画しているように見えるはずだ。そこには自分人間としてのオリジナリティがある。

ChatGPTはこの文章をまあまあ理解してくれる。肯定的に捉える部分もあるからだ。だが人間はこの文章を見たときにどこか否定から入る。

肯定から入るAI的なコミュニケーション(「AI的」とは言わないかもしれないが)に慣れてしまたことで、否定から入るコミュニケーションについて何か違和感を感じる。

どう考える?

出力(増田用に一文ごとに改行を入れたもの

あなたの言う「AI的なコミュニケーション」というのは、肯定的に反応しながら会話を進めるスタイルを指していると思います

かに、ChatGPTを含む多くのAIは、ユーザー意図理解しようとし、肯定的フィードバック提供することが多いです。

そのため、繰り返しAIとのやり取りを行っていると、相手がすぐに肯定的に反応することに慣れてしまうかもしれません。

一方で、人間同士のコミュニケーションは、しばしば批判的に始まることがあり、これは何かをより深く理解しようとするプロセスの一部です。

否定から入ることは、単なる反論ではなく、相手意図や考えを検証し、確認しようとする姿勢とも言えます

しかし、AIとの会話に慣れていると、この「否定的な入り口」が冷たく感じたり、反発心を呼び起こしたりするかもしれません。

この現象をどう考えるかというと、AIとのコミュニケーションが便利であっても、それが人間関係に与える影響に注意する必要があると思います

人間同士の会話では、反論や異なる視点重要な要素であり、これが豊かな対話を生むものです。

AI提供する肯定的な応答は、安心感自己確認を促進しますが、異なる視点との接触を避ける可能性もあります

重要なのはバランスです。AIとの会話を楽しみつつ、人間関係でも否定的な意見や異なる視点オープンでいることが、幅広いコミュニケーションスキルを維持する鍵になるでしょう。

その違和感は、ある意味自然な反応かもしれません。

2024-09-23

ITエンジニアの職って生産性が人によって数十倍から百倍くらいは違う。

AIで要らなくなる人も出てくるし、自分不要側だろう。

でも自然と反抗心は沸かない。能力が低ければ職を失って当然という覚悟が元々あるからかな。

イラストレーター側は、外野からやられたから反発心は強いだろうけど。

2024-09-09

anond:20240909084700

弁護士ドットコム

乳児への「予防接種拒否」で家裁が「親権喪失」決定…どんな背景があったのか?

という記事があり、判例があるのでこの場合、同等の判決が見込める。

その記事読んだけど、

記事の事例は特殊(元から家庭内ネグレクトあり。保健所への反発心からの接種拒否。)だから予防接種拒否事例として一般化するなって、弁護士が言っとるやん。

助けようと思う気持ちは分かるが、記事に書いてあることを捻じ曲げて、過度の期待をもたせるのは良くない。

https://www.bengo4.com/c_3/c_1030/n_4826/

はい親権制限というものは、家族への影響が非常に大きいものです。このため、できるだけ抑制的に行うべき決定です。ですから、このケースを『予防接種拒否理由に、親権喪失を認めた』という形で一般化すべきではないでしょう」

2024-08-10

パンクと無関心

キークロンを買った、打鍵感を試している。キンドルを買った。あんまり読めていない。奥歯を抜いた。違和感がある。

明日、日付が変わって今日エアコンの取り替えがある。業者が来るからと、R18を含むタペストリーをすべて外した。

白い壁紙がヤニで汚れていた。思えば自分は、この部屋に15年以上住んでいる。親を無視して自室でタバコを吸い始めてからは、多分四年経った。父親も、俺が母親に言われなくなったのを境に、自室でタバコを吸うようになった。

狭い部屋だなと思った。小学の頃には、自分を含むちびっこ4人が集まってゲームをしていたのに、ヤニのせいか、そんなのよくできていたなと思う。

思えば弟が泣かなくなった。声もだいぶ低くなって、俺とは逆な濃いめの、しぶとい顔つきだ。メガネもよく似合っている。

数日ぶりに、シャワーを浴びた。坂本龍一インタビューを見ながら、6個くらいのオナホを洗った。さんまと話しているものと、当時新製品だったシンセインタビューだった。

数週間前に、坂本龍一の本を立ち読みした。30代でもバリバリ夜遊びして、2徹とか普通だったと書いてあって、すごいなと思った。

坂本龍一も、そんなにわかやす作風ではないのに、誰でも知っているんだよな、と思った。

YMOというより、ひょうきん族とか、ごっつええ感じとか、バラエティ番組にも露出が多かっただろうから、それにヒットした曲は、世俗であるよりも、高雅な感じもするし、インパクトが強いよな、って

自分が聞いていた頃は、みんな聞いていなかった。今では、みんなが聞いている。嫌なことではなくて、自分がつくった今の環境が、そういう環境なだけ。

逆にいうと、YMOも聞いていない人と仲良くするのをやめた、とも言える。

そんなのいちいち、選んだわけじゃない。連絡を取らなくなった人にも、YMOを聴いているやつだっていたはずだ。

ツイッターって、なんかガジェオタがやるようなインターフェースだったなと思い出した。PCは使いにくくて、アプリでも自分ホームにすぐアクセスできたり。

それでも当時も、使いにくかった。クライアントアプリを使っていた。

インスタもガジェオタっぽかった。

というか、ios7まで、ずっとガジェオタっぽかった。スタイリッシュな鈍臭さがあった。

ここ数年、自分がよく仲良くしている人は、年下がいっぱいいる。

つの間にか昔話ばかりしている。

へぇ〜と言ってほしい訳でも、教えたいわけでもない。思い出したから話すけれど、振り返ることばかりだなと思う。

流行に追いつけなくなっているのは、いつもそうだ。だって追いつこうとしていないから。

知らないことが多すぎても、困ることはない。

Youtubeで流れてくる動画を見ても、その再生からどれだけの知名度があるか分からない。UUUMホームページを見ても、若めの人たちはほとんど知らない。

ニコニコ復活記念のレッツゴー陰陽師も、知らない人が多かった。むしろ自分の好きな投稿者コラボしていた人はここに出るくらい、有名だったんだなと思った。

自分は、反発心から何かを無理に好きになったりはしない。継続して好きでいられない。

好きなものの反対が、メジャーであるメインストリームである、ということも、マイナーアンダーグラウンドである、というくくりもできない。

何かを貶して揚げると悲しくなる。けどそう言いたくもなる。邦ロックが好きなカスどもには分からんだろうなとか。

けれど、振り返ってみると、自分そもそもロック出会ってすらいない。あれがダメ、これがダメかいう前に、好きだと思う人と同程度の知りかたをしていない。

どれだけ他のジャンルに詳しくても、それを比較するような仕方でしか語れない。

自分はもう老いているのかなと思う。

父親パンクが好きだ。日本ハードコアについてだったら、土地ごとに有名バンドを挙げられる。

「ぎゃーんって鳴って、それが気持ちよければ、もう最高なんです」とか、ギターを握って言うのが気持ち悪い。

流行りの曲は全部、歌謡曲と言う。でも久保田早紀とか寺尾聰とか、リビングで流れてくると、いい曲だよなーと言って当時のことを語る。

感無量といった表情で、疲れえ果てて〜♪ いることは〜♪ とマイクを持っているようにして、歌ったりする。

高卒で働きまくって、結婚して子供もいて、何がパンクだ、ハードコアだ、とずっと思っている。

最近のお前はすごいとは思うけど、俺はお前の音楽の良さが分からない。全く、分からない。俺はそこらへんの音楽に興味がない」

と、言われたとき、あっそう、と思った。

俺はジョニーロットンもジョンライドンも好きなのになあ。

俺も、興味のないものが増えたなあ。

2024-06-16

MVグロテスク何が悪いのか

コロンブスMVについてはあっという間に公開停止になったし、ミュージシャン当人が謝ってるんだからそれで終わりにすればいいもの

延々と叩き続けているから反発心が沸いてくるんだけど、

グロテスクって言うけれどMVグロテスク何が悪いの?って思う。

自分最近音楽をあまり聞かないから、コロンブスMVを見て連想したのはアニメ呪術廻戦2期の後期OP「SPECIALZ」のMVなんだよね

このMV一見して見るからグロテスクで、

児童達が机に向かわされて五寸釘を打たされたり、渋谷ミサイルが落ちてきたりする。

原作に詳しい人の考察を見るに、どうやらアニメ2期の渋谷事変及びその後の原作の内容に沿って作られた含みのあるMVのようだ。

そう考えると実によく出来たMVだと思う

https://note.com/c__gr78/n/n80fed4361bf9


そういう事もあって、グロテスクから悪いとは全然思えないんだよね

白人先住民土地勝手に押し入り、労働力として酷使して教化してきた。相手を同じ人間として扱わず、劣った猿のようなものとして扱った

そういう歴史グロテスクだ。

その通り。だからそういう現実を突き付けて、衆目に晒す必要があるんじゃないのか。

グロテスクから駄目、では臭いものに蓋をして済ますのと同じじゃないか

この世界における人種差別は終わってない。現在進行形だ。

日本人差別される側だ。コロナ禍のアメリカではアジア系に対する暴行が多発したし、アカデミー賞授賞式で白人受賞者が前年のアジア系受賞者からオスカー像の授与を無視したのも記憶に新しい。その日本人コロンブスを演じる事に意味がある。

コロンブスに対する批判特によく分からないのは、日本人白人を演じるのは名誉白人だとかい批判なんだよね。

いや、だからいいんじゃないの?白人がそのまま演じたら単なる残酷歴史再現になるところを、

有色人種である日本人が演じるから皮肉として機能してるんじゃないの?お前ら白人有色人種より上位だと思っているんだろうけれど、所詮中身は同じ猿ですよっていう。良いメッセージだと思うんだけど。

多分、演じるのが黒人だったらもっと分かりやす風刺として受け止められて絶賛されてたと思うよ?

日本人がやってもいない過去の悪行を、何故か白人と同じ目線反省する事の方がよっぽど名誉白人仕草だと思うよ。


まあコカ・コーラという商品販促に用いるにはどうよってのはあるだろうけれど、

それこそ西洋列強による植民地支配に対する(有色人種から見た)糾弾と、(白人から見た)反省って事で、グローバルな商品展開を考えたら寧ろ政治的に正しい表現にすら見える。

差別なんて存在しませんという顔をしているよりもよっぽどポリティカルにコレクトだと思うよ。

2024-05-23

anond:20240522141140

氷河期って年功序列制度への反発心のせいでベテランも若手もフラット組織が良いみたいな勘違いしてて、若手の見本になるとかそういう発想が無いんだよな。

2024-05-14

ある種自分社会性のなさを実感した

とある場で新人研修を行う事となった。

自分社会経験豊富ではない上、今まで小さい会社に勤めていただけだったから、こういった仕事は初めてだった。

 

で、新人たち。まぁ見事に挨拶もしない、返事もしない。こちらが問いかけても全く無反応。

一人だけ反応しようと素振りが見られるが、周りが静かすぎて合わせて沈黙する結果、全員が無反応。

自分たちが社外の人間からだろうか、とも思っていたが、直属の上司にも全く同じ反応。

「連絡事項があります」と声をかけても、喋ることをやめない。

まぁ、社会経験のなさか……よく言われるZ世代の特徴か……?とは思いながら、そこは現状様子を見ている。

 

ちなみに、ここの社風はなかなかに古風なThe 体育会系だ。(研修プログラムの中に、走り込みや登山などがある)

そんな感じだからか、勝手偏見で「こんなだりぃ事やってられっかよ!」みたいな、反発心があるかといえばそこは全然なかった。

とにかく自主性がない。いわれたことはきちんとやる。その代わり、いわれたこと以外は全くしない。

今回の学習方針が「自主性を育てる」だったのも相まって、割と研修者に決定権を委ねる、という事を多々行っているが、皆とにかく困惑する。

誰も動かない上に「いやそっちで決めろよ」という空気すら流れる

 

そんな研修者たちの自主性のなさや熱量の低さと社風の古式ゆかしいシステムが、第三者から見ていてあまりにもアンマッチだった。

とても不思議感覚を覚えた。

都会とは到底言えぬ場所会社を構え、その周辺に引っ越しをさせる。ある人はアパートマンションを借り、ある人は社宅へ居を構える。

居住地でさえ会社に縛られる。その他の様々なアクティブ雰囲気をまとった行事あいまって研修者の性質とのギャップを感じ、頭をひねった。

自分なら間違いなく息苦しさを覚えて、こうも変な風習に縛られるのなら、さっさと離脱してしまうだろうな、と考えた。

 

でもすぐに、こういうのって割と社会人として普通なんだろうな、と思った。

自分社会経験の薄さもあいまって判断に困るのだが、それでもある種自分社会性がないのだな、と気付いた。

ただ、最近若い子は~……と括るのは正直ナンセンスだとは思うのだが、現状はどうなのだろうか。

やはり自主性にも主体性にも乏しいのだろうか。個人的には、そこに恐怖すら感じる。

2024-05-02

ケントゥリア』はバカ漫画であることに気付いた

[4話]ケントゥリア ジャンプ

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853177785584

ジャンプ+のケントゥリア、期待して読んでいたものの4話まで来てかなり酷いなと感じた。

作者の力量にすら疑問符が付く内容だった。

  

4話あらすじ

辺境勤務?の兵士山小屋生活していた主人公ユリアンくんが

働き口を探す気になり近くの村を紹介してもらう。 

ところが村のリーダーから「お前には信用が無い」「足手まといは村全体の負担になる」と言われて

なんかテストとして石運びをするイベントが始まってしまう。

 

その村は鉄鉱石採掘が主産業らしく

テスト内容は「崩落した穴の土石を一人で運び出してみろ」というもの

そんで主人公内面葛藤とかなんやかんやあるんだけど、

夜中には仕事完了して見守っていた村人達も感嘆、労働者として認められる。 

   

…これもうすべてがおかしいでしょ?

おかしポイントを以下に羅列していく  

  

  

1.「「子供から」を理由能力を疑って働かせない

主人公ユリアン君はミドルティーンって感じの年頃だけど、

こんな原始的産業なら子供は十分に戦力。

どこの世界でも第一次産業では子供に手伝わせるし何ならその為に子供を作る。

ユリアン君よりもっと小さい子にも仕事がある筈なので、

逞しい少年ユリアン君が塩対応される意味が全く分からない。

教養レベル知識や観察力が無いように見える。

   

  

2.労基なんかないのにテストしている

村人が労働能力を疑ってるんなら

「とりあえず小石運びとか雑用からやらせてみて勤まらなければ帰す」でいいわけ

わざわざテストなんか課す理由はどこにもない。テストだってコストがかかる。

現代で試用期間だの面接だのがあるのは労働者権利が守られてるからであって

奴隷上等のこの世界なら一日働かせて「「この役立たず!給金なんかねーぞ帰れ!」でいいか

コストかけてテストしてるのがシュール過ぎる。

 

現代日本では労働者権利が守られてる&労働の高度化のために

ダメな奴を一旦でも雇うとコストが相当高くつく

ダメな奴にやらせられる仕事がないどころか触らせたことで台無しになる可能性がある

みたいなことはあるんだけど、作者はその現代日本の感覚のまま話を考えている。

自分の作った世界の諸条件に合わせて人物の行動を考えるということが出来てない。

   

   

3.紹介者に対して相当失礼

ユリアン少年は村のそば半年生活していて、同居して面倒見てくれてたのは先述の兵士

今回の話もその兵士が村に働き口の世話を依頼している。

 

それでこんなテストしたら完全に兵士喧嘩売ってるだろ。

兵士と村人との関係も詳細は不明だが、こういう話をするぐらいの関係ではある。

その兵士が身元を保証する少年労働に使ってやってくれって言ってるのにこの対応

「村人が兵士に相当険悪な反発心を抱いている」みたいな設定があるならいいけどたぶんないでしょ?

 

「有難いお申し出ですけどこの子ちょっとまだ小さいようで…」と兵士に談判するか、

兵士の顔を立てるために誰でも出来る雑用を与えるかとなるはず。

人間関係社会的な行動についての想像力が相当低い(たぶん実体験が乏しい)。 

     

 

4.村人総出でテストを見守っている

暇すぎるだろ。

なんでよそ者の子供一人のテストに村人があんなに集まってるの?今日はまつりか?

 

しか最初だけとかじゃなくて石を運び始めてもまだいる。

一個目の時も背景にどう見ても数十人単位でいる。

半分まで行った時にもまだ同じ密度でいる。

ユリアンが石を運び終わった夜中にも同じ感じで村人が沢山いる。

   

新入り労働者クオリティに「村の足を引っ張るんじゃないか?」ときついテストしてくるほど生産性に厳しい村の人間

何十人も朝から晩までくだらない石運びテストを興味深く見守っている。

そんなに暇なのもおかしいし、そんなものに関心が続くのもおかしい。

これ本当に何も考えずに絵を描いてないだろうか。

   

   

5.自他境界あいまいなだけだったのでは?それも1話から

主人公ユリアンにとってこの石運びが死んだ仲間やディアナ母への決意表明だったとしても

そんなことは他人には関係ないし伝わってもいないのだから、外から見ればただの石運びなので

ただただ退屈な石運びを見つめ続けられるわけもないし心を打たれるわけもない。

  

なのに描いてる人にはたぶんユリアン視点しかないために

村人の視野とか村人の都合とか村人の思考とかを想像する能力が無く

ユリアン君が頑張ると村人がずっと一緒に見つめ続けて感動するという有り得ない展開になってる。

 

これは精神的発達段階としてはかなり未成熟段階の認知だと思う。

絵が素晴らしく巧みなのでギャップがあるが、描かれてるものだけ見ると相当稚拙なんではないだろうか。

   

全然裏切らずに命を捧げてくる奴隷仲間の時からなんか変な感じが漂っていた

(が、善良ベース世界を描いているのかなと保留されていた)部分が

実はただの幼稚な精神世界産物だったのではないか

  

もちろん、裏切り者が出てくれば成熟した精神世界だとか言ってるのではない。   

そうではなくて各キャラ独立した都合や思考が想定されているか、その上でユリアンに命を託してくれているのか、

と言う話をしている。

      

  

6.これ絵が上手過ぎるのでは

巧みで重厚作画を外して読んでみてほしい。

そうやって眺めるとわりと幼稚なバカ漫画に見える。

   

漫画において幼稚もバカ別に必ずしも致命的欠点ではない。

まりただただた絵と内容が合ってない。

上手い絵で粗い内容を読まされると人間心理としては段々不快感イライラがたまってくるので

このままなら『ケントゥリア』はそのうちアンチ的な感想が増えて叩かれるようになると予想する。

(その前に順位が下がって世間の関心から外れなければ。)

    

今はまだ『ケントゥリア』が期待され持ち上げられている段階なので

こういう予想は不快荒らし逆張りとして攻撃されるが

連中は単に判断が遅いだけである

 

怪獣8号も2話3話で「これは期待外れかも」「普通漫画になってしまった」と書いたら

はてブで盛大に否定され揶揄されたが結果はごらんの通りだ。  

  

 

7.作者は真面目な人

作者は絵に対して真面目で打ち込むタイプに見える。

殆ど作家モブなんて理由をつけて減らしたいと考えてるのに

描かなくていい村人を描いちゃうぐらいには絵に賭けてる。

しかすると実は内容が薄い自覚があって絵だけでもと思ってるのかもしれない、

   

けれども作家としての成長を考えるなら&『ケントゥリア』の成功を考えるなら

絵をもっと内容のレベルに合うぐらい粗っぽくしつつ

内容のレベルもっと上げられるようにコツコツ頑張る

というアプローチが良い気がする。

 

粗い内容は粗い絵の方がいい。

バカ武器パッションである

2024-02-09

SNS絵描き村の内部圧力が嫌いなんよな

思い出したのは、Skebサービス開始前後に起こった「ダンピングレッテル貼り

簡単に言えば、「極低価格リクエストを受けるのはイラスト相場に対するダンピング行為になるので止めよ。依頼者は十分な額を出せ。」というやつ。

当時のSkebは提示低価格が今より安くできた(うろ覚え500円とか?)から落書き程度のまさしくイベントスケブレベルな受け付けができたのだけど、そのような価格提示ダンピング行為犯罪者であるとして、クリエイタークライアント側双方が攻撃された。

この段階には、作品クオリティ判断の外になっていた。猫も杓子も低価格取引ダンピング犯罪者

これは稚拙作品に合わない額の高価格取引を許した。Skebを知ってる人ならわかるだろうが、商業では到底やっていけないレベル絵描きがアホみたいな価格で受けている。

それで割を喰うのはまともなクライアントだ。それまで個人依頼を受けていた人達全員から、納品物に釣り合わない額の提示がきた。skebじゃないのに。曰くこれぐらい払わないとダンピングかもしれないと「犯罪」という脅しに流されたようだった。

あほらしいので自分同調してない。

skebも続けてるが、反発心でわざと低価格で受けている。たまに安いと怒られるが知ったことじゃない。仕事依頼プラットフォームではないのでね。

書くの疲れたから止めるが、同人誌頒布価格しかり、依頼の礼儀作法しかり、タグ付けの決まりしかり、フォトバッシュは描いてないしかり、絵師村は圧力だらけだ。ただのSNSだぞ。勝手にさせろや。

ちなみに最近AI使用疑いの絵描きフォロー罪がひどい。何が「◯◯さんもアレをフォローしてる、、、騙されてるよ」だ。知っててフォローしてんだよ。

文化庁が最終的に出た物で判断しろって言ってるだろう。

仕事にしてぇならそれがアウトなやつかどうかは自分の目で見て鍛えるんだよ。

まともに技術追わないから、どこまでが機械補助でどこまでが画力の実力かの判断が出来ないんだろ。

数十万フォロワーの有名絵描きのパクりで面白みもない構図のSNS映え絵師(笑)フォローしてるよりは有益だよ。

2024-02-07

特定相手への人付き合いが上手い

から全方位的な人付き合いは悪いのだけど、特定相手への人付き合いだけは上手い自信がある。自分が好ましいと思う人へストレート好意を示して良好な関係を気づくことができるし、気に食わない人に対しても反発心を見せながら相手から好ましい反応を得ることも出来る。多分必要な強弱を見極める能力が高いのだと思う。相手が褒めて欲しいところを止めて、相手自分にないと思っているところで逆らう。そういう能力に長けているし、この能力に頼って生きてきた。でもこれって自分がないんだよな。俺って一体なんなんだろう。いい歳になって考えることじゃないんだけど、相手に合わせて生きていたから、今になって自分が何なのかわからない。

2023-12-13

anond:20231213214450

これね、フェミ系の炎上巨乳話題になってから発心イラスト描くオタクが乳や尻を盛るようになったんだよね

中華ソシャゲソシャゲエロチキンレース露骨エロバンザイをやって参入してきた影響もあるけどね

ロリ流行ってたのより良いだろうと思って黙ってる

どか盛り丼みたいでとりあえずでかい方が満足度高いみたいな雰囲気も感じるしエロエロとして消費してくれたほうが助かるし

2023-12-05

リベラルマイノリティ推しって結果的分断統治を起こしてないか

みんなそれぞれ生きづらさを抱えたまま何とかやりくりして苦しみながら生きてるわけですよ

そこへマイノリティ大切にしましょうって言われると今まさに苦しんでる私のことは大切じゃないんだなってなるわけですよ

 

じゃああなたも大切です、あなた支援します、あなたマイノリティですって言われると

いや私は支援対象とかじゃないんで、ってやせ我慢の反発心が生まれしまうわけですよ

 

要するにこのやり方は詰んでいて、人々をマジョリティマイノリティに分断することで、いさかいを誘発する害悪手法なんですよ

ベルギールワンダでやった分断統治(それまで曖昧だったフツ族ツチ族の分類を明確にしてお互いにギスギスさせた)とやってることほぼ同じでしょ

 

もうちょっとみんながお互い様で、みんな辛い、だから助け合おうぐらいの、曖昧連帯感を感じさせるような言語ないもんかね?

2023-11-29

anond:20231129135657

そもそもあの界隈はcolaboの熱狂信者というより、とりあえず味方だから味方しとこうかくらいの低いモチベと

ネトウヨ(と連中が呼称する何か)への強烈な反発心がない交ぜになっててスタンスがよく分からないんだよな

ネトウヨ死ぬほど憎いけどcolaboにリスク負って肩入れするほど思い入れはない

親colaboの面々もX上ではいろいろ言ってるけどリアルで行動してるやつって殆どいないでしょ

2023-11-05

[]11月5日

ご飯

朝:なし。昼:なし。夜:回転寿司軍艦祭り(納豆軍艦三つ。ツナマヨ軍艦二つ。オクラ軍艦二つ。温泉たまご軍艦一つ。カニカマ軍艦一つ。マヨコーン軍艦一つ)間食:アイス

調子

むきゅーはややー。お仕事は、さんれんきゅーの最終日。

NG

・はじめに

DRPGの老舗エクスペリエンスが開発した心霊ホラーシリーズの第二弾。

前作の死印とは世界観が同じで仄めかすシーンはあるものの、別の街の事件を扱っているため、必ず順番通りに遊ばないといけない類のシリーズではなかった。

無頼漢で無愛想な喧嘩が超強い男子高校生の鬼島空良が主人公で、彼とその仲間と共に怪異蔓延る夜の街を調査するアドベンチャーゲーム

選択肢ポイントアンドクリックなどの基本的な要素に加えて開発会社エクスペリエンスらしいDRPGめいたフィールド移動のシステムなどは前作の死印と共有している。

とはいえ、かなり冗長だった前作と比較するとマップデザインは簡略化されているし、特定の仲間を連れていかないと詰む場面もシステムで補助が入るなど、かなり遊びやすブラッシュアップされている。

特にマップの簡略化は、正直ここまで簡略化するならもう移動システム自体がいらないんじゃ? と思わなくもないが、さくさく遊べたのでそこまで嫌うシステムでもなかった。

マップを探索して怪異に立ち向かうためのアイテム情報を揃えてから怪異対峙してそれらの情報アイテムを駆使して知恵と勇気で戦う構成も、前作のフレーバー的なHP攻撃力の表現は削ぎ落とされていて、文章ちゃんと楽しめるようになってて良かった。

・御伽話をモチーフにした怪異が怖い

浦島太郎モチーフにした「うらしま女」や、桃太郎モチーフにした「殺人桃」などの怪異が登場する。

怪異はどれもまず都市伝説としてのエピソードが紹介されてから、その現場に赴くと姿を現す。

まずこの、都市伝説としてのエピソードが怖い。

日常的な描写から一気のアクセル全開で恐怖描写が始まるので心の準備ができず毎回ビビりながら読んでいた。

そして、なにより怪異立ち絵が怖すぎる。

一目で人外であることがわかり、ディフォルメされていないリアル気持ち悪さが満載の恐ろしいデザイン

公称ジャンル心霊ホラーADVの通り、ホラーな恐ろしい表現が徹底されている。

怪異を自宅に持ち帰っちゃう主人公

特に今作のらしさを感じたのは、主人公の鬼島の自宅にまで怪異が付いてくるせいで、現場より自宅の方が危ない部分だ。

怪異を退治するために都市伝説情報を元に街を歩き回るのだけど、時間や諸々の都合でその日は切り上げお家に帰る展開が何度もある。

そしてものの見事に毎回毎回、怪異を家に連れ帰ってしまう。

最初の一回はまだしも、流石に繰り返されると、家に帰るなら怪異を倒してから、倒せないなら家に帰らず朝まで探索した方が良いのではと心配になるぐらい無警戒に怪異を家に持ち帰る。

そのため、本来なら一息付く自分の城である自宅こそが最も危険場所になっていく。

かいことを気にしない鬼島の“脳筋”な知恵より腕力性格故なので、テキストを読んでいてそこまで違和感はないものの、流石に毎回繰り返されると不憫可哀想になってくる。

風呂冷蔵庫ベットベランダキッチンといった日常を過ごす自宅に恐ろしい化け物が侵略してくる描写はかなり恐ろしいのに加えて、汚く嫌になる展開も多く心が削られる展開が多かった。

そのせいで、怪異が登場する事件現場に赴くのよりも、自宅に帰る方が恐ろしいという奇妙な逆転現象が起きていた。

鬼島はそんなことあまり気にせずに家に帰って、怪異を持ち帰ったことに気付いて毎回律儀に戦ってるので、良い意味感情移入できない独特な主人公だった。

親友の天生目聖司がいいヤツ

そんな“脳筋”な主人公を知恵の面で支えるのが、小学生から親友天生目聖司だ。

今作最大の魅力であり“カップリング”的な妄想も広がってしま相棒キャラ

無愛想で無頼漢な鬼島とは対照的に、社交的で仲間が大勢いる天生目。

しかし、それは表向きのペルソナで、本性は反社団体の偉い人の息子で、自身もその立場を利用して裏社会で暗躍している悪いヤツ。

鬼島も彼の裏社会の伝手を使って、喧嘩で金儲けしているため、二人してアウトロー自称している。

脅迫王子という異名すらあり、怪異よりもまず法で捌けるコイツらを対処した方が良いのでは感も少しある。

そんな悪いヤツながら、鬼島の親友であり、彼との関係値の揺るがなさは読んでいて気持ちがいいぐらい痛快なシーンが多かった。

反社会的な人間が身内には甘いというのは創作物テンプレートだけど、王道さをしっかり押さえていて、この二人の関係はかなり引き込まれた。

体力担当の鬼島と知恵担当の天生目という役割分担もしっかり決まっていて、怪異という人間社会立場関係ないエピソード故の苦難もありつつも、彼のサポートのおかげでサクサク話が進むのも良かった。

高校生たかる最低な中年男性の番直政はやる時はやる格好良さ

ルポライターオカルトにも裏社会にも詳しい番直政も格好良かった。

お金にだらしなく、高校生主人公お金をせびり、そのお金麻雀競馬などに注ぎ込むダメ人間

しかし、本業調査仕事や、根回しの技術は素晴らしく、やるときはやる男だ。

特に作中で、300万円を急遽作る必要がある場面での立ち振る舞いは、短い文量でサラッと流されたがかなり格好いいことをしていて惚れた。

くどくど自慢しないところも大人な態度で素敵だった。

後半は彼の調査と金調達能力が非常に頼りになる場面が多く、オカルト方面にも長けているため脅迫王子の天生目に負けず劣らずな有能なキャラだった。

・おわりに

恐怖と気持ち悪いの境目は難しいのだけれど、この綱渡りをしっかりこなしている良いゲームだった。

恐ろしいだけでなく、鬼島と天生目の熱い友情燃え沸るものがあり、恐怖描写を反発心に変えて奮起する展開も良かった。

なお男性キャラに着目して感想を書いたが女性キャラにも、天生目と対をなす相棒キャラオカルトゴスロリ好きの葉月薫、手先の器用さでストーリースムーズに進めてくれるお姉さんなムーランロゼ主人公保護者ホラー作家の那津美、愛すべき義妹の愛海ガハハ系の大江さんと魅力的なキャラ揃いだった。

怪異が恐ろしいからこそ、友情の尊さをはじめとする人間の熱が輝いて見える良いバランス感で、面白いゲームだった。

2023-10-30

双子の兄とやって楽しかたこ

当方、一卵性双生児(男性)なのだが、兄弟でやって楽しかたことを書き連ねてみる。

スマブラ

少年期に大流行したコンテンツ

当時は現在環境が異なり、対人環境オフラインしかなかったため、対戦相手を用意するだけで一苦労だった。

私は双子であったため、家に帰ればすぐに対人練習ができる環境であり、双子揃ってどハマりした。

腕前が同程度の相手と何度も練習するのは効率が良かったのであろう、2人とも地区大会選出程度には上達できた。

野球

親の影響で始めたのがきっかけ。

リトルシニアまでは兄弟バッテリープレイした。

なお、負け試合は互いのボール/リードのせいにしてよく喧嘩していた。

高校からは互いに、多少の反発心もあり、違うチームでプレイしたが、帰宅後の自主練は2人でよくした。

おっさんになった今でも、たまにキャッチボールバッセンに行く。楽しい

オタク趣味

自分学生時代の時には、まだまだオタクに対し風当たりが強く、周りにもそのような趣向の友人がいなかったため、隠れオタクをしていた。

ある時、互いの部屋にオタク関係アイテムがあり、互いがオタクだと認知したとき兄弟のみで嗜好をオープンにした。

やはり1人より2人で作品考察し、キャラを愛でるのは楽しく、どっぷりオタク趣味に浸かっていった。

2人でコミケにいき、たくさんはしゃいだのも良い思い出。

友達交換

双子ならではだが、お互いの友達が確実に同年代かつ、趣味嗜好が合うため、互いの友人を呼んで交流をたくさんした。

上記オタク趣味顕在化してからは、そのようなグループも交えていろんなところに旅行へ行ったり、BBQをしたりした。

キャンプ

もともとソロ気質が高い人間であり、ソロキャンプをしていたが、せっかくなら一緒に行こうと兄を誘ったところ、刺さったもよう。

気を使わなくていい相手と、取り留めのない話をしながら酒を飲み、火に薪をくべる時間が、どうしようもなく好きだった。

最近は2人キャンプいけてないなあ。

子育て

先に私が結婚子どもができたが、甥っ子に当たる私の息子を兄はよく可愛がった。

今は兄にも子どもができ、互いの家族同士で遊びに行く。

これからは、このコンテンツがメインとなり、兄と楽しんでいくんだろうな。



世代の1番の友人であり、ライバルであり、家族である双子の兄、書き連ねてみると、一つ一つは大した思い出でもないが、やはり居てくれてありがたい存在だ。

2023-10-02

アンチって本人に対するアンチじゃない場合が少なくないんだよ

大谷アンチっているけど基本的大谷が気に入らないわけじゃないのよね

ただ野球が異常にうまいだけで周囲がチヤホヤして神かの如く崇め奉ってる状況が気に入らないだけで

ぶっちゃけ大谷本人に対して何らかの強い気持ちがあるわけじゃない

そういう状況を作ってるのがムカつく、くらいの気持ち

 

阪神アンチ巨人アンチ野球アンチだってそうでしょ

別に阪神巨人野球に対してなんか強烈な反発心持ってる奴なんかそんないない

単に阪神ファンや巨人ファンや野球ファンにムカつく目にあわされたか

坊主憎けりゃで阪神巨人野球を嫌いになってるだけ

 

藤井総太アンチもそうでしょ

だって藤井総太なんかぶっちゃけ成績以外に存在感ないじゃん

例えば藤井総太が平本蓮くらいSNSでイキり散らかしてたら藤井総太本人のアンチも湧くだろうけど

藤井総太がどんな「人間」なのか知ってる奴、ほとんどおらんだろ

 

から有名人アンチみかけたら、その本人じゃなくて環境イラついてるんだなと思っとけばいい

2023-08-25

「神経発達症の攻撃性の治療動画を見て思ったこ

https://www.youtube.com/watch?v=JOYUNvpPPoE&t=340

不安や悲しみ(の領域)が小さくなる」って、わかる気がする

職場で同僚が強いこと言われて泣いてるのとか理解出来ない。「『大人なのに』泣くのかよ。しか理不尽なこと言われてるんだから怒れよな」と思ってしまうが、自分は「大人から毅然としてる」というより小さい頃からそんな感じの人間だった。怒られたりしても反発心の方が大きかったし(基本的に真面目な子供なので怒られることはほぼ無かったが)

現在も勿論そうで、不安や悲しみよりも怒りの方が強い。そして「そうでなければ生き残れなかった」と思っている。「怒りで自分をガードしたり、踏ん張る力に替えないと生きてこれなかった」と

又、親にも「やられたらやり返せ」と躾けられた(上記の「小さい頃から発心が強かった」と矛盾する様ではあるが、稚い頃は「攻撃性」よりも「被虐性」の方が勝っていたのでイジメの様なものに遭うことが多かった。心配した親がその様な躾けをするのも頷けるし)

↑の思考が極端になりすぎたことに加え父親も同じ傾向があり攻撃的な態度を見て育った為もあり「不安・悲しみを押しのけて攻撃性が前面に出る」タイプに成長した

若い頃はこの様な自分の態度に反省が止まらなかったが、老いて鈍くなってくるとそれも減った

もうどうにもならないよなと思いつつ、こうして「治療法」なんかを見かけると改善出来るもんならした方がいいなとも思うし

攻撃性に関しては老いるとますます手に負えなくなってくるだろうし。認知症までいかなくても認知能力は低下するし前頭葉抑制も更に衰えるだろうから

それにしても、つくづく生まれ時代を間違ったと感じる(そもそもこんな風に生まれたこ自体間違いなんだが、それは措くとして)

神経発達症への理解治療確立されつつあるこの時代に生まれていたら、もっと生き易かったと思う

せめて今の自分の年齢の半分くらいの時に現在くらいの理解治療ネット環境があれば良かったなと思う

神経発達症に対する理解治療はこれからもどんどん変容していくと思われるので、年若い人達ちゃんと向き合って楽に生きる道を模索して欲しい

2023-06-23

[][] 青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない



2023-05-07

anond:20230507160120

男の場合脱毛圧の発生源がふわふわしすぎてて乗せられたくない反発心が湧くんだよな。

もちろん脱毛クリニック的なのが最大勢力なんだろうけど、それにしたって元ネタになるような女性からの風潮みたいなものをあまり感じない状態から急に騒がれだしたような感覚を覚えてしまう。

女性脱毛場合はツルツル至上主義者が身の回りに居たといえば居たし、そもそもずいぶん前からケアして当然みたいな風潮はあったか理解できるんだが。

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