はてなキーワード: サイコパスとは
あいつらは、アニメが嫌いとかじゃないんだよ、誰か他人を叩いてないといられない人種なの…😟
多分だけど、彼らが家とかで、何か別の物から攻撃されてるからだと思うんだよ
長い間、彼らのような人種から被害にあって、見えてきた真実はそれで、
で、彼らの特徴としては、他人に自分が殴られたら、自分は別の誰かを殴る権利がある、
と思ってるんだよね、本当に、彼らに共通してるんだよ…😟
だから、他人を差別して攻撃しまくってる人は、実際はその人も誰かの攻撃を受けてるとか、
まあ、なんかストレスをかかえてる、
それで、且つ、その手の人は、自分がストレスを受けている=他人に俺はストレスを与える権利がある、
って本当にそう思ってんの、そういう家庭で育ったり、そういう考え方の親だったり、そういう教育を受けたり、
あと、そういう考え方でないと生きていけない周辺環境で生きてきたので、彼らなりの処世術なんだよ、
他人を差別して、他人を攻撃して、徒党を組んで他人を差別攻撃することで、自分を安心させてるの…😟
はっきり言っておくけど、それって犯罪者で多い考え方だからね…😟
山上は可哀想だし、そうなるのも仕方がないとは思うものの、他人に危害を加えられたから、他人に危害を加える権利がある、
というのは、人を呪わば穴二つの考え方であって、
最終的に穴に落ちるのは、他人を差別したり、攻撃してるあなたたちの方ですよ…😟
因果応報とまでは言わないが、この世界はどこかよくできてるところもあって、
何かを押しすぎれば、何かが凹んだり、そういう報いは、何らかの形で自ずと自分に返ってくるものです、当然私もそうですよ、ええ…😟
そういう人たちに言いたいのは、まあ、そんなことやってたって、つまらなくないですか?どうせすぐに飽きないですか?ということです…😟
面白い、飽きないというなら、サイコパスとしての素質がありますが、
それはそれで、かなり頭がいいとか、高学歴だったりとか、学歴低くても頭が切れないと、サイコパスとして成功しないんですよ
成功しないサイコパスなんて、それもまた犯罪者予備軍ですよ…😟
そんなことより、多分マイルドヤンキーとして成功した人は、子育てとか、アルファードとか、青年会とか、消防団とか、楽しんでると思うし、
他人に迷惑をかけるのが楽しい、という気持ちも人間なんで分からんでもないけど、
俺みたいに絵とか音楽とかプログラミングってのはないにしても、自分がやってたり興味があった範囲で言うなら、
スキー、スノボ、水泳、サーフィン、自転車、ボクシング、みんな楽しいじゃないですか…😟
俺を殴ったり蹴ったりしてたヤンキーとか、ヤンキー以外とか教師もみんな俺は恨んでますけどね、二度と会いたくないですし…😟
久しぶりに映画を鑑賞したので、感想を備忘録としてまとめておく。
ネタバレ注意。
年の暮れも近づいて寒風が吹きすさぶなか、これほどの恐怖と癒しを味わえるとは思わなかったので、いい記念になった。
『スカーレット』について論じる前に、前提に触れておきたい。
少年少女を主人公に据えて普遍的かつドラマチックな物語(以降、ドラマと呼ぶ)を展開する場合、シナリオのテーマは必然的に「これから大人になる子供たちへの応援歌」になる。
何故かと言えば、大人にならない人間はおらず、あらゆる受け手に刺さるテーマだからだろう。
こうなると、あらゆるシナリオ上の敵は「大人になるための障害物」「大人になることへの恐怖」ということになる。
最終的に、物語の中で主人公はこれらの強大な敵を乗り越えて、大人になっていくということだ。
これはたくさんのドラマに触れてきた人なら自明のことだと思うが、親を超えればいい。
つまり、大抵の子供のドラマにおいて、テーマは「親殺し」になる。
古今東西、子供が主役のドラマは星の数ほど生まれているが、脚本家には何を「親」にして、どう「殺す」のかが問われるだろう。
ここで、『スカーレット』の話に戻ろう。
先の前提を鑑みて『スカーレット』のシナリオを俯瞰した時、スカーレット(主人公)はどう「親」を「殺した」のか。
結論から言うと、スカーレットは親を殺せなかった。正確には「殺さなかった」。
「殺し方がうまくなかった」とか「殺しはしたが中だるみした」とかではない。「殺さなかった」のである。
カレーを作ろうとしたがルーを買っていなかったレベルの失敗で、これは叩かれても仕方がない。
なぜこんなことになったのか。
おそらく、これは脚本が下手とかそういう次元の問題ではないと私は感じた。
話は脱線するが、果てしなきスカーレットはハムレットを翻案したものなので、ハムレットの構造にも触れなければいけない。
ハムレットは行間のある物語であるため、様々な解釈があるが、端的に言えば主人公は「父の呪い」から始まり、「父の呪いを断ち切って」己の遺志だけを残して死んでいく。
詳しくはここでは割愛するが、ずっと父の呪いに悩まされ、懊悩していたハムレットであったが、最後は純粋な義憤によって剣を取って悪を処断し、理性的な政治家として死んでいくのである。
もう一度『スカーレット』に戻ろう。
ハムレットのテーマを踏まえると、『スカーレット』は「どう親を殺すか」という問いだけではなく、この「ハムレットがどう悩み、どう大人になったか」を翻案するという大変重い十字架を背負って出発している。
ハムレットは数多くの翻案作品があり、翻案を明示していなくてもハムレットをフレームワークとして利用したと思われる作品は数多くある(ディズニーのライオンキング等)。
残念ながら、『スカーレット』に関しては「戦って負けた」とは言えない。不戦敗である。
何故そう言えるのか。
ここからネタバレになるが、何と『スカーレット』では、父の呪いが最後にやってくる。
物語の大団円、最後の最後に父の亡霊が「自分の人生を生きろ」と告げ、スカーレットが子供のころに描いた父の似顔絵(母親に破り捨てられたもの)に変化して消えていく。
恐怖である。「親殺し」どころか、これで主人公は「親の命令に囚われて一生を生きる」ことが確定してしまった。
死者の国を旅し続けて、数多の試練を乗り越えた末に、似顔絵を描いた幼少の自分の精神に戻ってしまったのである。
その後王になったスカーレットは、集まった民衆に向かって無邪気に父から受け継いだ理想をそのまま語り、条件付きの平和を約束する。
いやいやいや。なぜそうなる。
単純に突っ込むとこれで終わりなのだが、冷静に登場人物を振り返っていくと、この物語が内包している恐怖が浮かび上がってくる。
劇中冒頭の処刑時に主人公に聞こえない遺言を呟き、終盤まで主人公を惑わせつつ、最後に呪いを仕掛けてくる「偉大な父」である。
劇中、なぜか腑抜けとして扱われているが、親しみやすい人柄で子(スカーレット)と民衆からの信頼は篤い。
特に正義もなく極悪非道を貫いているサイコパスのラスボスである。
民衆から慕われている王(アムレット)を民衆の前で殺害できる政治的な超能力を有している。
死の間際、スカーレットの顔面に唾を吐きかけてくるレイパー役も担っている。
あらゆる悪人に手を差し伸べて怪我を癒す看護師であり、道中でスカーレットに守られ続ける存在である。
子供を守って通り魔に刺されて死者の国にやってきて、愛の歌だけでスカーレットを現代の渋谷に飛ばし、ダンスと歌でスカーレットを精神的に生まれ変わらせた。
死の間際、スカーレットに「いきたい!いきたい!」と言わせて死者の国から旅立たせる白馬の王子様役も担っている。
スカーレットはなぜこんなにも性的なメタファーを遠慮なく使われているのか、SNSでは非難も起きていたが、冷静になってほしい。
アムレットは一生を呪ってくるリアルな父、クローディアスは自分を愛してくれずネグレクトする悪魔の父、聖は本来望まれている理想の父だ。
この物語は「父の言いつけを守り、悪しき父に耐えることで理想の父に愛される」という構造になっている。
そう、描き手は「父から愛される」ことを心の底から望んでいる。
「親殺し」ではなく、「親の言いつけを守ることで親の愛という永遠の平和が約束される世界を取り戻す」物語なのである。
王になったスカーレットが民衆に条件付きの平和を約束したのも、このように解釈すれば納得がいく。
「描き手がそのように愛を受けてきた」からだ。
描き手はおそらく、条件付きの愛しか知らない。
何故スカーレットは唾を吐かれたり「いきたい、いきたい」などと言わされているのか。
「可愛らしい女の子でなければ愛を受けられない(自分が愛されないのは女の子ではないからだ)」
「女の子なのだから、遠慮なく父の愛を受けられるはずだ(息子ではない存在なら愛を受ける資格があるはずだ)」
「性的に求められることが愛だ(自分が愛されないのは性的に求められない存在だからだ)」
つまり、描き手は自分の代わりに少女主人公に父からの虐待と愛を存分に受けさせている。
それによって癒しを感じているのだろう。
私は過去の細田守作品をほとんど知らないが、この作品がこの有様なら、おそらく主人公に関わる男性陣は全員「父化」しているのではないか。
ネグレクトしてくる悪魔の父か、なんだかんだで主人公を愛してくれる理想の父かのいずれかだ。
YouTubeの「精神科医が語るサイコパス」的な動画で「サイコパスは器質的に他人の感情に同調できない。だから他人がどうでもいい」などと言われていて笑ってしまったのだが、その後の論調が終始「恐ろしいサイコパス」「どう対処するか」という感じでめちゃくちゃ恐れられていて、「そんなに怯えなくても」と少し思ってしまった。
他人をどうでもよく感じてしまうのは俺もそうだし、面白いなこいつと思い仲が良くなるタイプは大体似たような人の心が無い人間なので、多分俺たちはサイコだと思うのだが、別に他人を傷付けることや犯罪に興味があったことはない。どちらかといえば、「みんなこんな事で傷付くのか?」といううっかりの方をやりがちだった。今は普通の人がどう振る舞うか分かっているので、そんなことは(なるべく)しないが。
嘘を付いて他人を操るとか、魅力的に振る舞うというのは、別に良心の呵責があるかないかで行われるものなのか?俺は他人を操る事に罪悪感は感じないが、「他人なんか操ってどうするんだ?」と思うからそんなことはしない。それに他人だって俺に操られたくはないだろうから、その意思を尊重する。人が人を操るのは良心の呵責の問題ではなく、それによって得られる利益が欲しいからだ。俺はサイコだが地位とかカネに興味がないからそういう事をしない。興味があるならサイコでなくても人を利用するし、その気があれば誰にでも訓練次第でできるはずだ。
その攻撃性はサイコ器質の生み出すものではなくて、誰か(ここではサイコパス)を「われわれ」とは違う「あいつら」と命名することで排除してもいいものと集団的に定義する「普通の人」も、一般的に持っているものに過ぎないのではないか?反社会的なサイコはそれを「わたし」と「それ以外」でやっているだけだ。
俺の人の心の無い友人は、いいヤツ…とは言えないかもしれないが、面白くて信用できる連中だ。むしろ心で物事を判断しないからこそ信用できる。俺は時々、いざとなれば平気で徒党を組んで、心のままに「異端」を潰す、普通ヅラした人間どものほうが恐ろしいと思う。
相手が何らかの見返りを求めている人間関係ってマーケット(市場)的にみると、自分自身や自分自身の一部を購入できる商品として見られてるってことなのかなと、ふと思った。
いや、正確にいえば人間が商品として扱われている以前からわかっていた。
昔、知人女性が「月50万円払う。君を飼わせてほしい」と見知らぬ男性から言われたと頬杖をつきながら語っていたことを思い出す。女性性は(特に18歳から24歳まで)容姿そのものに価値があって、それは(たとえば水商売みたいに)マーケット内にあり取引可能なんだ。そう思った。
翻って、俺はどうなんだ。
つい最近、自分が趣味も兼ねて集めてきた専門的な知識や情報を、善意で、とある人に渡した。理由はない。ただ相手のためになればいいと思った。
相手は喜んで話を聞いてくれた。おそらく元から私の専門知識が欲しかったのだろうと、出会って少し経ってからわかった。彼はたまに気を使って俺の仕事の愚痴などを聞いてくれた。
そういえば、いただき女子のマニュアルとやらにギバーおぢからはたくさんいただけると書いてあったらしいね。
マーケット(市場)的に見れば「資源をどれだけ安く、効率的に入手できるか」は重要だよな。同じように、他人と信頼関係を構築する技術も自分が得するためには必要だ。他人から効率よくギブしてもらえるからね。
俺が他人を信頼したいと思う気持ちは、いただき女子から搾取されたオッサン連中が抱いていた恋心と同じなんだろうかなあ。
人間は金の成る木で、商品で、どうやって安く買えるかが重要なのかなあ。まるで労働者と資本家の関係みたいに。
俺はただ、かわいそうだとかこの人の成長につながればいいとか、あるいはこの人が喜んでくれたらいいなと、そういう気持ちで他人を助けようとしてきた。我々の所属する共同体がよりよく、豊かになればいいと願って。それって市場原理主義者や個人主義者からすればきっと自己資源の無駄遣いで、自分にとって損でしかないからやる価値がないんだろうね。
相手の道徳観や倫理観をハックして自己利益を最大化する。詐欺師や頂き女子などにみられるサイコパスじみた世界観が一般の人間関係にさえ適用されるようになりつつある。
みんなこんな戯言にコメントしてくれてありがとう。ちょっと泣いた。自分が情けなくて。
子どもの記憶がしっかりしてくるまでに何とか立て直したい。立て直せなくても、気付かせない努力する。
なんで産んだんだろ、あの頃の気持ちが本当に思い出せない
楽しいことしても、ストレス発散に子供預けて出かけても、それは「逃避」でしかなくて、戻ったら周りに感謝しまくって、また元の子供のお世話係で、子どもが起きてる間はずっと良い親を演じてなくちゃならない、子どもが寝たら家事
新しい仕事始めようかな、とか転職しようかなって思っても子どものことがあるからそう易々とできない。
子供を育てることが喜びとは今の所、というか未来永劫言えそうにない。なぜなら子どもは別の個性を持った人間であって、その成長を喜びととらえるのって、なんか変じゃない?歩けた、と言われてもふーんそりゃ人間なんだから歩くよね、としか思わんし、歩けないかも、と例えば言われたら、病気?としか思わん。親や夫や友達の変化とか成長を嬉しいとは思わなくない?まして自分に1円も入ってこないのに。
【追記】言葉足らずでごめん。そんなサイコパスな人間じゃない。友達いる。
例えば友達が結婚したとする。それはおめでとう!と思うし、友達が嬉しそうならよかったなあと思う、もちろんお祝いもする。喜ばせたい。私のしたことで喜んでくれたら嬉しいと思う。でも友人の結婚は自分のことではないじゃん?だから別に私は嬉しくはない。夫や親が昇進したとする、喜んでいたらよかったなぁと思うけど、別に私の手柄じゃないし、そういう意味で1円も入ってこないから、嬉しくはない。それと同じ。子供が歩いた、〇〇ができるようになった、というのは子どもの手柄であって、上手だね、とは褒めるけど別に嬉しくはない。私は何もやってないのだし、そもそも歩くも歩かないも子どもの自由なんだから、私のやりがいにもならない。支援センターとかで会うママ友がこういう子に育ってほしいですよね、って言ったりするけど、そんな理想もない。だって自分なら他人にそう思われるのは嫌だから。自分は自分だけのものだから。(と思っているから、自分の存在を領域侵犯してくる子供が苦しいのかもと気づいた、愚かすぎて死にたくなる)社会規範は製造責任で仕込むけど、それを破るも破らないも子どもの自由。18になったら解散、と思っている。
どうしよう、ほんとに。私の人生何を楽しみに、何を指標に生きていったらいいかわからない。
趣味はたくさんあるけど子供がいたらどれもできない。子供がいてもできる趣味をやってみようと思って、手芸とかお菓子作りとかしてみるけど興味ないから全然上手にできない。洗い物増えるし.食も興味ない、甘いもの嫌い.
人前ではいい母演じてるけど、家で2人でいたらほとんどスマホいじってて構わない。寄ってきたら申し訳程度にスキンシップとるけど、すぐリリースする。お互い好きなことしてる.だからほとんど人のいるとこに出かけてる。2人でいると気まずい.
製造責任だ、と思って辛いことは乗り越えてるけど、子どものおかげで仕事辞めなきゃならなくなりそうで、本当に憂鬱。
私みたいなのはなるべく子どもと一緒にいないほうがいいのに、世の中うまくいかないね.
なんで産んだの?って言われたら、それな!って感じ.
本当に思い出せない.数年前の私へ、産むな.
自殺してしまうような人の心の歪みに、増田はまだ直面したことがないのだろうなと思った。
本当にサイコパスなら書類も思い出になってしまうような日記もすぐ捨てるに決まってる。
散々自分を苦しめてきた身近な人が自殺した後、それを人に話せるようになるまでにどれだけの壁があって、どれだけの時間が必要か、増田にはわからないのだろう。
そして、旦那さんの抱えている心の闇をいつか自分が晴らしてみせるねって思えないなら、離婚していいと思う。
ネガティブな感情を向けてよけいに心を傷つけるくらいなら、線引きして。"私は"関わらなくていい人たちなのだって。知らないままでいいって。
なんと、夫の前妻は自死だったらしい。
来月、法要のためにとある遠方の地へ行くと言う。義両親も伴うというので、すっかり親族の法事だと思ってわたしもいく気で支度をしていたら「来ないでほしい」と言われ、不審に思って問い詰めたらすぐに口を割った。前妻の7回忌だそうだ。
それまではバツイチと聞いていたので、驚いた。今まで聞いてきたバツイチトークはすべて嘘だったのか…と思うと軽く目眩がした。夫は、「お互いに愛情が冷めて仮面夫婦状態となり、最終的に性格の不一致で離婚した」という旨を誠しやかに話していたというのに、死別だったなんて。全然話が違う。
子供がなかったことと、離婚裁判の最中の自死だったことから、お墓や法事などの供養は前妻の実家で行なっているらしい。
頭がいたい。
わたしは精神にかなりダメージがあって、代休がたまっていたのもあったので今日は会社を休んで家でゆっくり過ごすことにした。
とはいえどうもこうもモヤモヤして、考えても仕方ないことばかり考えてしまうのも飽きてきて、今まであまり足を踏み入れて来なかった夫の書斎に入ってしまった。
わたしと2人で行った旅行の写真、試験の教本、ポケモンカード、見慣れたそれらには目もくれず、普段絶対に開けない引き出しの中を見てみることにした。
そしたら当たり前にすべてが出てきた。
死亡診断書や火葬許可証のコピー。即死ではなかったようで、死ぬまでの入院中に医者が書いたであろう生々しい書類の数々。その間見舞いに通ったであろう市民病院の駐車券の束。葬儀の打ち合わせ資料。生命保険会社からの郵便物。税理士からであろう相続書類。
そして、夫の日記。
離婚裁判中に自殺企図をくりかえす前妻との戦いの日々。ある日を境に、入院した前妻の看病日記。
僕は[前妻]を愛していた
[前妻]は僕を愛していた
お互い愛し方が違って、愛され方に不満があったんだよな
合わないから 離れよう
それだけだったのにな
[前妻]、楽になったのか
吐き気がした。
過去の妻に対する嫉妬?そんな可愛らしいものではない気がする。
配偶者が自殺しかかってるというのに「離婚」の意思を頑固に貫く夫も怖くて気持ち悪いし、
離婚が嫌だからって自殺なんて選択肢を取る前妻も気持ち悪いし、
前妻が自死して早々にこんな寒々しいポエムを書ける夫が本当にサイコパスに思えて、こんな人と何も知らずにぬくぬくと夫婦をやってたわたし自身が気持ち悪い。
一番気持ち悪いのはこんな重大なことをわたしに隠していたこと。
義両親は?義兄は?当然知っていたであろう。葬儀の出席表に名前があるもの。その上で夫と口裏を合わせていたのか。夫に加担したのか。わたしにこのことを知られないために。
いや、言いにくいのはわかるさ。自分の親族がもしそんなことになって・・・考えられない。こんな最悪の事態になる前になんとかしなかったのか?手助けはしなかったのか?
知ったら結婚しなかった?わからないけど、夫とそれについて会話して自分なりに納得というか、腑に落ちないと無理だ。だって異常でしょ。いろんなことが。
よくあることなんだろうか?
被害者はだれなんだろう。自死に追い込まれた前妻?面倒な過去を背負わされた夫?何も知らないでのんきに後妻を演じていた、わたし?
配偶者が目の前で自死しようとも離婚しかえらべないほど追い込まれていたのは夫なの?
異常者は誰だ?こんな状態で離婚届もとりに行かずに嘘だったらいいと夫の書斎を勝手にひっくり返して調べて嘘じゃないことに直面して涙しているわたしか?
せめて離婚した後の自死だったらよかったのに、何か見落としていないか、救いはないのかと書類を漁るが、除籍謄本の写しが、救いなどないことを突きつけてくる。
なにもわからない。
混乱している。
内容を簡単にいえば陽キャのリア充風景を描いた作品で陰キャをプロデュースする話がやたら不評だったのね
陽キャ主人公のポエムやエゴの押し付けガーって事が一番不快な理由として挙げられてたんだが
それって単なる個性だしもっといえばそれ君の感想だよね。あとやっかみだよね
この手のアニメ視聴者って弱男多そうだし元いじめられっ子とか陰キャだったりするのかな
俺は凄く楽しくて見てたけどそれをSNSで言うと頭おかしいとかサイコパスとか罵られるのよ
でもそれってお前らの(学生時代の)人生経験が乏しかったからじゃないのかと
嫉妬乙
頑張って書いてもどうせAI扱いされるだろうからもう箇条書きでいいよね?
・怒りっぽい
→・注意コストが高い
→・クビにして貰うのは難しそう
・朝たまに髪が脂ぎってたり化粧が乱れてる
→・そういう日はとても臭い
→・じゃあなんで日によって髪のテカリ方が違うんだよ
・健康診断を気にして食事は気をつけてるらしい(昼は仕出し弁当)
・ワキガの手術はしたらしい
→・夏場とかは普通に汗臭いのでそもそもワキガ以前の問題では・・・
・ロッカーで下着を替えたりデオドラントを塗っている様子が目撃されている
→・自己認識では色々と頑張ってるつもりなのか?効果出てないけど自己満足?
→・言わないと気づかないからってことで皆で決めた
→・「ウチの子がゲームばっかやってたまに風呂サボるとマジで臭いんだよね~~」みたいな感じ
・比較的大人しい他の臭い人に対して「なんか今日汗臭いけど運動した?」と牽制
→・その人とは事前に「これからちょっと大声で注意するけどアイツに聞かせるためもあるから」と相談した上でやってる
うん。
もう無理だわ。
なんだろうね。
なんかの病気なのかな?
病気なら病気で在宅ワークできる仕事とか探してほしいんだけど。
自分が迷惑かけてる自覚があるのに堂々と事務所に出てきて働こうって根性が太ましいよね。
サイコパスだと思う。
スメルサイコパス。
サイコスメル。
本当にどうしたらいいのか教えて欲しい。
上司には相談してるんだけど「まあ聞こえるように臭いって言っときゃそのうち何とかなるよ。どうせ風呂や洗濯サボってんでしょ」ぐらいの対応で終わり。
本格的に何とかする気が誰にもないんだよね。
ひどくね—かそれは?
Googleマップの飲食店評価は、食べログなんかに比べたら信頼できるなと思っていたけど、そうでもないな
近所の飲食店が、この前まで3.5点で「そんなもんだろ」感があったけど、さっき見たら4.5点になっていた
外国人観光客のものと思われる、「食べ物はユニークでおもしろいが、お酒の値段が表記よりも高かった」とか「頼んでないものが出てくる」みたいな少数の低評価と、「雰囲気:5 味:5 コスパ:5」みたいなテンプレ記述と思われるテキストの高評価爆撃が大量にあって、「これはやってるな」感丸出し
店舗側のコメントはどんなコメントに対しても「ありがとうございます!引き続きよろしくお願いします」のテンプレコメント連続で、なんかサイコパスみたい