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はてなキーワード: シークエンスとは

2025-11-04

anond:20251104103907

「Aが起きるとBが起きる。するとC→D〜」という事象(の解釈)があり、

並列的に「いっぽうイが起きるとロが〜ハニホヘトが〜」ということが起きている

これは追求すればいくらでも続けられるしいくらでも拡散するのだが、

「A→B→C」の話をしてる所に「お前らは何もわかってない!その先にはD、Eという事態があるのだ!」とか「ワカヨタレソもあるだろ!」という論法名前はあるのかな?

「結局困るのは貧乏人だぞ!」と言ってるが、そこが“結局”ではない。

なんで自分はEで止めるのか?OPQRや甲乙丙丁のシークエンスは放っておくべき理由があるのかという話である

2025-10-28

デアデビルボーンアゲインを見てるんだけど

最後まで見たらまた感想代わるのかもしれないけど今のところ「デアデビル君、君そんな感じだっけ?」ってなってる。

今作では最初シークエンス以降マードック君はデアデビルにならずに弁護士活動に邁進して、そのうち復活して活躍するんだけど、今のところ3回活躍シーンがあってそれぞれ大切な人が害されているからかデアデビル君は怒りに任せてヴィランボッコボコ制裁というよりは完全に暴行を加えている。

もろちん現代ネット自警団トランプ云々による自警団危険性に警鐘を鳴らしたいっていうテーマ性はわかるんだけど、今のところ作中で「デアデビル」君は3回中3回、常にブチ切れてて犯人暴行を加え続けている。

う~ん、いちおうネトフリ版も見てたんだけどデアデビル君、君ってそんな感じだっけ?君がそんな感じだったらそりゃフィクス君も「自警団危険だ」って言うよ。カウンセリングにかかるのはフィクス君じゃなくて君の方だよ。デアデビル君が自分に関わりはないけど困ってる市井の人を助けたりする描写がないのがよくないんだろうな。

たぶんあと2,3話だと思うけどこれがどう着地するのか楽しみ。

2025-10-27

映画】終末の探偵を見た

現代社会問題の幕の内弁当Vシネマって感じ。42点。

 

箇条書きにしよう

ヤクザ中国人マフィア放火疑惑調査を頼まれ主人公

・両親が強制送還されるも日本に残ったフィリピン人女性依頼人

・その依頼人からクルド人の友人の探索を頼まれる。

主人公たちを襲う「社会存在価値のない人間は殺していい」と思っている大学生

・すべての黒幕土地再開発のために地域浄化を狙う実業家ヤクザだった。

 

さーすがにおなかいっぱい。胃もたれするわ。

主人公現代ハードボイルド探偵像として擦られ尽くした「面倒くさがりでくたびれたおっさんだけど芯は真っ直ぐで熱い男」っていうのも正直ナンダカナーだし。ドラマIWGP長瀬君40代になったらこんな感じやろたぶん知らんけど。

話の筋書きの「再開発のために地域浄化を狙う実業家ヤクザ」っていうのも、実業家だったり政治家だったりするけど何十回そのネタ擦るんって感じだし。まぁ、現実にそういうことがあるからそういう話にするしかないんだろうけどさ。

主人公実業家の家に乗り込んで大立ち回りして囚われてたクルド人連れて帰るシークエンスも、海外マフィアじゃねぇんだからなんでただの実業家の家にあんなにボディガードがいるんだよ。門番2人に中にも5人くらいいたぞ。黒幕実業家との対決も、イキる実業家を殴るふりして彼が怯えるの見て「なんだよ、ダッセ」とか言って帰っちゃうし。ええんか?

ジェネリック植草、もしくは行動力のある若い増田的な大学生もそれドラマでもいっぱい見たわ~って感じ。

 

アクションもっさりしたスタイリッシュさはないながらも泥臭い戦いっぷりでリアルっちゃリアルなんだろうなとは思った。結構頑張ってたと思う。あと、主人公頑丈すぎな。後ろから金属バットで頭をバコン、正面からパイプで頭をバキン。死ぬから

 

最終的にクルド人は救出できたもの入管にとっ捕まって強制送還され、これまで通りヤクザマフィアがトムジェリする街でうまい中華を食って変わらぬ日常が続きますよエンドで終わるのは妙な爽やかさがあってそこはよかった。

まぁよっぽど暇な時か社会問題インスタント摂取したいとき以外はオススメできないかな。

映画】霊薬を見た

ネットフリックスでなんか上位だったから見た。

う~~~ん。現代ゾンビ映画指標で見たら悪い部類に入るかもしれないけど将来性に期待して51点。

 

原題は「Abadi Nan Jaya」でインドネシア語永遠栄光というような意味

インドネシアの有名な愛国歌であるIndonesia Pusaka」の中の有名なフレーズでもあり、この楽曲は作中でも確か流れていたはず。

インドネシア映画の中である程度予算をかけて初めてつくられたゾンビ映画とのことで、過去ジャンル作品へのリスペクトが感じられきっちりゾンビ映画のツボは抑えながらも地域性が見られる点はなかなか興味深かった。

 

まず良かった点はゴア描写に手を抜いていないところ。

けっこう銃を撃つシーンがあるんだけど毎回ちゃんと当たると部位欠損していてGood。ここを手を抜く作品は信用できない。車で轢かれたゾンビの腸飛び出しもよき。ある程度リアリティのあるゴア表現が続き、"ちゃんと"ゾンビ映画しようという気概が感じられた。

今回のゾンビは目が完全に濁っていておそらく視力がない。なので音に反応する形になっている。

そんな中で警察署に立てこもった主人公たちが行き詰っているときに遠くから礼拝の声が聞こえ(インドネシアイスラム教圏)ゾンビがそちらに向かって走り出し、これが神の救いか!と思ったら礼拝の声が消え悲鳴が聞こえるという皮肉な展開もよい。

また、急に大雨が降りだし聴覚を奪われたゾンビたちが立ちすくむ中脱出するシークエンス中に急に雨が止み再び追いかけられるという展開になるのだが、俺たちからすれば都合のいい雨やなと思うんだろうけど、現地の人からすれば「スコールあるある」みたいな緊張感がおそらくあるんだろうと思う。

こういう地域性を活かした展開はよかった。

 

ほかは、まぁ悪かったかな。

ホラー映画あるあるバカで考え無しな登場人物たちが大集合してわっちわっちゃする。こいつらどうせ耳しか聞こえてないんだからずっと静か~~~に立てこもってればそのうちどっか行ったんちゃうんか?という疑念が絶えない。知り合いがゾンビになるんだけどいろいろあって殺さずにおいておいた結果、大ピンチになる。

わかったわかった、もうそれとっくに見たよ。という展開がほぼほぼを占めているので、それこそがゾンビ映画というのもわかるのだがどうしても得点は上がらないという形になってしまった。

 

今回の作品田舎漢方薬企業が作った新作漢方作品が原因でゾンビ化するというジェネリックバイオハザードみたいな感じだったんだけど、これも漢方ビジネス一般化していて民間療法日本の1000倍は信じられていて一種社会問題にもなっているインドネシアならではの切り口だなと。

最後最後でその試作品が実は大都会にも送られていて……という続編を期待させるオチで終わるのもテンプレでよい。

今作の経験を活かして大都会ならではの規模感で続編を取るならそれはそれで期待したい。

くらいには力が入った作品だったし、応援したいと思えるくらいには頑張ってた。なので51点デス!

2025-10-21

映画ドント・ハング・アップを見た

高度迷惑Youtuberが高度ストーカー犯罪者に追い詰められる話。

良くもなく悪くもなく、60点くらい。

 

とにかくこの映画の褒めどころ且つ、多くの映画監督に見習ってほしいところがある。

しょうもない映画の上映時間は90分以内に収めろ」

ということである

この映画はエンドクレジットを除くと75分しかない。

そのせいで話がよく分からんところもあるのだが、じゃあそこを補填して135分くらいやれば名作になったのかというと全くそんなこともないだろうし75分という短さは英断であると言える。

 

主人公イタ電Youtuberグループ警察官保険会社弁護士等あらゆる職業擬態してイタ電をかけまくり時には隠しカメラも仕込んで相手の反応を動画化してバズりまくっている。冒頭のシークエンスはかなり良くできていてアメリカ迷惑Youtuberレベル高すぎるし、遵法精神低すぎるだろ!となってワクワクさせられる。

その後、彼らの元に謎の電話がかかってきてそれを無視していると家のテレビが突然乗っ取られ、そこに監禁される彼らの両親が映し出され謎の電話がイタズラではなくガチ脅迫電話であることがわかる。「電話を切るな!」という、それスクリームやないかーいというコテコテオマージュを挟んで、電話を切れない中犯人を捜すというソリッドシチュエーションスリラー的な感じになっていく。

ゴア表現は少ないながらも脅迫シチュエーションスリラーとしての一定の緊迫感と主人公2人組の精神的な葛藤ちゃんと描いていて普通に見ごたえはあった。特に男優の2人はいい演技してたと思う。全然知らん俳優だったけど。

 

問題は、2つあって1つは犯人がわかりやすすぎる上にちょっとルール違反なこと。こういうのって既に登場している人物犯人であるべきだと思うんだけど、犯人は厳密には登場していなくて、でも「それしか考えられない」という人物になってる。これは作中の論理に基づくものではなく「映画として考えればそれしかない」というメタもので、これは正直あん面白くない。

2つ目は犯人が万能すぎること。犯人主人公の家のあらゆる電話を完全にジャックしてテレビ勝手操作し、家の電気を付けたり消したりし、主人公の両親の家に乗り込んでビデオ撮影後に殺害し、友人を殺害したり拉致したりし、家に出たり入ったりしてるがその理屈が作中でほぼ全く説明されない。

さすがに万能感強すぎて簡単に言えば「なんでもありやん」になって問題解決への推理への没入感が下がる。

 

個人的には主人公2人が最終的に疑いと混乱の中殺し合って、主人公1人は死に残った瀕死主人公の元に電話がかかってきて「犯人を殺せたようだな。よく聞け。これ……いたずらでした~~~www」と主人公たちのイタ電のキメ台詞が流れて犯人不明のまま電話が切れて終了、とかでもよかった気はする。

犯人があまりにありきたりすぎてそこで逆に評価下がってる感じは俺はしたので、フォーブース的に終わってもいいかなって。まぁ、犯人がアレであることは映画的に意味があるのもわかるんだけど。

 

なんやかんやで粗もあるんだけど75分で一気に駆け抜けるので「なんかソリッドシチュエーションスリラーの佳作を見たな」くらいの感じで見終えることができるので、悪い気はしない。

マジで盆百の監督はなんかダラダラ尺稼ぎするくらいなら80分くらいで終わる映画撮ったほうがいいよ。

その方が視聴後感がよくなるので評価が上がると思う。でも世の中の80分くらいの映画って40分くらいの映画を尺稼ぎして伸ばしてる場合もあるので難しいところかもしれん。

2025-10-07

映画】Play Dirtyを見た

70点くらいの普通に面白い1990年代アクション映画だった。

よかったところはテンポスケール感、悪かったところはノリ?とシナリオ

 

プレイ・ダーティー」はシェーンブラック監督が贈る、アクション満載の骨太で巧妙なスリラー作品強盗団を率いる冷徹な男パーカーマーク・ウォールバーグ)。彼はグロフィールド(ラキース・スタンフィールド)やゼン(ローササラザール)といった腕利きの仲間たちと共に、桁外れの価値を持つお宝の強奪に臨むこととなる。しかし彼らの前には、ニューヨークに根を張る巨大な犯罪組織が立ちはだかるのであった。

という紹介文を見て、いや「シェーンブラック」が撮る映画じゃ無くね?と思って見たらこ文章から感じられる内容では全然なかった。リーサルウェポンとかラストアクションヒーローとか撮った監督だぞ!って感じのアクションコメディ

 

紹介文から感じられる特殊能力に長けた腕利き強盗団による綿密な計画に基づいたクライムアクションみたいな感じだけど、実際に出てくる奴らアホばっかりだし、ウォールバーグも冷酷ではあるけど基本はアホだし、頭使って見る映画だと思って見たら脳みそ溶けちゃうよ。

例えば冒頭の強盗シークエンスからしてこう。

銀行強盗に乗り込んだウォールバーグ一味。なぜかアホな若者が仲間にいて事態をかき回す。計画は上手く進んでいると思いきや休日忘れ物を取りに来た警備員強盗気づき裏口で待ち構えていて襲撃を受け、盗んだ金を奪われてしまう。車で逃げた警備員を素顔を晒して銃を撃ちまくりながら走って追いかけるウォールバーグ。レース開催中の競馬場に追い詰め、大衆環視の中警備員を撃ち殺すウォールバーグ。金を取り戻しめでたしめでたし

いや、アホなん?今の時代SNSで晒されて終わりやで。

こんなテンションで終始展開される映画なのでそういうもんだと思って見るべき映画

 

そんな中でもちゃんスティング!な展開が盛り込まれていたり、シェーンブラック的なコメディ要素もウザったい部分も多いながらもクスリとさせられる部分もあり、シェーンブラック的な無駄に規模の大きいアクション個人的にはよき。高架を走る貨物列車脱線させるも落下位置を見誤って仲間全員巻き込まれシークエンスとか「うわ~~~~バカだな~~~!!」って感じでよかった。

個人的に一番よかったのは冷酷なマーク・ウォールバーグという設定が途中、こいつやっぱアホなのではという1990年代主人公的な展開を挟みつつも最後まで活きていたところ。

最初強盗シークエンスの後、メンバーの一人が裏切り主人公は重傷、他の仲間は全員全員死亡してしまう。復活した主人公裏切り者を探し出し追い詰めるも彼女祖国を救うために巨大な強盗計画を企んでおり、最初強盗計画はその資金調達のためだったことが判明。ウォールバーグは半ば巻き込まれる形でその大強盗計画に乗り出していく。

その計画の中で彼女の助けを借りたり想いを聞いたりして本当の仲間になっていき、最終的に計画は別の形で成功をおさめ彼女祖国は救われたことがニュース流れる中、主人公彼女をきちんと射殺する。仲間を殺したケジメをつけるために。

個人的に見ながらずっと「でもこいつ仲間撃ち殺したやつなんだよなぁ」と思いながら、なんとなくそこはうやむやな感じで終わるのかなとか、ウォルバーグをかばう形で死んだりするんかな思ってたんだけどきちんと主人公の手でケジメをつける展開はよかった。

 

紹介文の「骨太で巧妙なスリラー作品」と思って見始めたら???ってなっちゃうけど、ノリの古さとかも含めてまぁこんな感じの作品でしょって感じで、今日ちょっとなんも考えずにアホなアクション映画見たいな~ってときに見るにはちょうどいい作品だったと思った。

サブスク無料で見る分には上等な映画だと思うのでオススメ

2025-09-30

dorawii@執筆依頼募集中

お答えしましょう。「ふかづめまる」はよく見てた(今はたまに)。

男の娘化や性転換過程シークエンスでよく調べてた時期もあったな。

https://www.pixiv.net/artworks/10299457

↑昔はこれで抜きまくってたなあ

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https://anond.hatelabo.jp/20250930165904# 
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-----END PGP SIGNATURE-----

2025-08-31

ときどきAIサービス既存映画の設定を食べさせて遊んでた

既存映画(や小説)の設定を素知らぬ顔で主人公職業や、時代はいつで、場所はどこで映画シナリオを書こうと思ってるんだけどさって投げかけて返事を読む。



ChatGPTだと「面白いですね!」のお決まり台詞からかんたんなキャラ紹介やあらすじを書いてくれて、どこを深堀したいですか?どんな形式で書きなおしましょうか?なんて感じで対話というか手さぐりで進めていこうとするんよ。こっちは、いやそのシークエンス要らんてと返すとか。それに慣れてた。

 

で。Claude使ってみたんよ。したら、いきなり「長編脚本作成させていただきます。」からしばし沈思黙考したかと思うと

第一幕:

シーン1:

とフルで書き始めたんよ。ビビった。で

約30シーン(5000文字超)書いて最後

~FADE OUT.

THE END

まで最後まで書きやがった。

2025-07-27

ミンボーの女を観た

友人におすすめ日本映画を聞いたときに、返ってきたのがミンボーの女だった。

伊丹十三監督映画は、恥ずかしながらこれまで一度も観たことがなかった。

しかし友人曰く「めっちゃくちゃ面白いし、伊丹十三作品の中でも特にいから観た方がいい」とのこと。

そこでこの三連休レンタルし、観てみることにした。

物語舞台は一流ホテル

このホテルヤクザからたか被害を受けていて、ホテル側は波風立てたくないの一心ヤクザ要求をずるずると受け入れてしまう。

一言でいえばビビって何も言えない。そんな様子がもどかしく、どうにかできないものかと観ていてモヤモヤしてしまう。

そんな中で登場するのが主人公井上まひる弁護士

この人がとにかくカッコいい。ホテルから依頼されてヤクザへの対応を引き受けることになるんだけど、最初から一切ひるまない。

徹頭徹尾ヤクザは悪だという明快な立場を崩さず、法律的方法ヤクザを的確に対処していく。

これが序盤のモヤモヤを吹き飛ばすほど痛快。

ヤクザ相手毅然とした態度を取り、一歩も引かずに正論で戦うまひるの姿は今でも時代を超えてすごく魅力的に映る。

そしてこの映画、凄いのはヤクザを徹底的に「悪」として描いてる点。

日本映画って、ヤクザが題材になると何処かヤクザ美学のようなものを描いて一辺倒的な悪の存在としては描かない。

しかミンボーの女では、勧善懲悪的な悪として描かれている。

まひる活躍によってヤクザ側もだんだん追い詰められていき、次第に暴力的手段に訴えようとしたり裏からさぶりをかけようとするんだけど、そこでもまひるは一切怯まない。

この一歩も引かない姿勢がとにかく気持ちいい。

それでも終盤、まひるが組の鉄砲玉に刃物で刺されるシーンがある。

このシーンの意図はとても分かり易い。

これまでの流れでは弁護士法律によってヤクザを退けてきた。

しかヤクザは法のみでは縛り付けられない存在だってことを示しているわけだ。

この映画の最大のポイントはここのシークエンスにあると思っている。

まひるが刺される手前のシーンは公園ブランコ

そこでまひる彼女の部下(ヤクザ対策に任命されたホテル従業員)がブランコに並んで座っていて、従業員の男がまひるに尋ねる。

「どうしてそんなにヤクザが怖くないのか?」と。そこでまひる自分過去を明かす。

彼女父親町医者をやっていて怪我したヤクザをよく受け入れていた。

からヤクザを見るのには慣れているのだと。

重要なのはその話の続きで、ヤクザ親分治療をしているところで別の組のヤクザが乗り込んできて、その親分を出せと脅してきた。

そのときまひる父親は、医者として怪我人を差し出すことは出来ないと断り、ヤクザ親分を守ろうとして殺された。

この話のあと、鉄砲玉のヤクザまひるが刺される。鉄砲玉はすぐに逮捕されるものまひるは重傷となる。

映画の流れとしては、法によってヤクザを退ける → しかし法の力でも防げない事態が発生する

これが現代作品であれば十中八九、この後の展開として「昔助けたヤクザ親分が間に入って助けてくれる」となるはずなんだよ。

何故ならそうすることでヤクザ側の肩も持つことが出来るから

まりこれまではヤクザ絶対的な悪として描きつつも、最終的にはそのヤクザにも義理人情があるってことを示すことでヤクザを一辺倒な悪として描かずに済むってこと。

でもね、だからこそこの映画の凄いところはここにある。

このあとまひるが居なくなったホテルへと敵対したヤクザたちが攻め込んで来る。

しか過去に助けたヤクザ親分は出てこない。良いヤクザは出てこないんだよ。

最終的にはまひる抜きで、ホテル従業員たちが一致団結して自主的ヤクザを追い払う。

そして刺されたまひるは容体が回復して無事に退院

ホテルには以前のようにヤクザの姿が見えなくなり、無事ハッピーエンド

すげぇなって思ったよ。

まるで迎合しない。

ここまで一貫してヤクザを悪として描くスタンスって、そうそうあるものじゃない。

それも架空存在じゃない、ヤクザという実在する存在をこうも徹底して悪として描くことには正直だいぶ驚いた。

からこそ、これまでの日本映画にはなかったようなカタルシスがあった。

宮本信子の演技の凛々しさも含めて、本当に痛快という言葉がぴったりの作品だった。

伊丹十三映画ちゃんと観たのはこれが初めてだったけど、他の作品絶対観てみようと思う。

2025-05-10

時間誰も増田を書かなかったら

はてな自爆シークエンスが発動するって話、信じる?

2025-03-23

【最終追記あり】ギブアンドテイクの概念がわからない人

最近になって、ギブアンドテイク、トレードオフ概念自分に欠けていることに気がついた。


例えば、特定の人から何か助けてもらったときに「今度はあの人が困っていたら、進んで助けよう」という気持ちにならない。

もちろん、その人が困っていたら助ける。

だがそれは、以前助けてもらったからではなく、目の前で困っている人がいるから助けているのであって、その「助けたい度」は過去善行依存しない。

また、逆もある。

例えば、特定の人から何か嫌なことをされたときに「もうこいつのことを助けないぞ」という気持ちにならない。

さっきの例えで言うと、その人が困っていたら助ける。

目の前で困っている人がいるから助けているのであって、その「助けたい度」は過去の悪行に依存しない。

こう言うと一見優しい人に見えるかもしれないが、まるで違う。

他人から親切をしてもらった時に、全くそれを覚えていない(もちろん情報として覚えてはいるが、その後の行動の変化には寄与しない)ため、

その後、その人が「ちょっとオマケしてよ。(前に〇〇してやったでしょ?)」等の【少しだけ過剰な要求】をしてきたときに、それをするのが嫌な場合、断ってしまう、ということが起こる。

あいつ、〇〇のとき助けてやったのに……。」と思われていると思う。

数学で習った、「互いに独立事象」ってやつが一番しっくり来る。

自分場合、全ての物事が一回ずつの独立事象であり、過去が引き継がれない。

では、なぜこれを認識して記録できるかだが、最近やっと、もしかしてこの世界自分が考えているよりもギブアンドテイクやトレードオフ関係でできているんじゃないか?(独立事象ではないのではないか?)と気がついたかである

最近読んだルポ、「ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス」では、マンション管理組合を崩したい陣営が有志で集まりクーデターを起こす様子が詳細に記録されていて非常に面白い著書となっているのだが、

「あのとき〇〇していただいたので」

「〇〇さんには頑張っていただいてるので、私も」 

「では僕は印刷物を自腹で印刷します」

と、人と人とが関わり合う中で生まれていくギブアンドテイク(と言ってはなんだか陳腐だが、もっと暖かみのある表現がほしい)のようなものが有志の人々を動かす原動力になっていることが、衝撃だった。


また、今まで、ほとんどテレビドラマというものを観たことが無かったのだが、仕事関係大河ドラマの「べらぼう」を1話から視聴している。(面白い

主人公本屋江戸を駆け回り、様々な人に声をかけ仲良くなり、仕事を回していく様子が自分の中では目から鱗だった。

男色家平賀源内書評を書いてもらいたいときは源内のために男装女郎を用意して気分を良くさせたり、

吉原に行っていることは黙っててくれないか。」

武士の弱みを握ったら

「その代わり、祭の芝居を監督して盛り上げてくれないか?」

プロデュースをお願いしたりと、ドラマとはいえポンポンと人を繋いで仕事を依頼する様子に頭が下がる。

自分平賀源内だったら、好きな女郎を用意されてご機嫌になっても書評の件はまた別で一考してしまうし、

自分主人公だったら、武士の弱みを握ったとして「それを利用して祭を盛り上げてもらおう」と思いつかない。

なんてったって自分にギブアンドテイク、トレードオフ概念が無いらしいことに最近気がついただけなので、具体例が上記しかなくふわっとしているのが申し訳ないのだが、一事が万事これで人生をやってきてしまった。

プレゼントのお返しとか、最後の出勤日の挨拶とか、社内政治とか、何もかも、わからない。

シンプルアスペなんだとは思うが。

流石に、人を傷つけたり、テイカ気質になりたくないので、どんな人にも優しくするよう気をつけてはいる。

だが、あまりにも自分の中にギブアンドテイクがインストールされていなくて、上記のような親切にされたことを覚えていられない。

これで人を傷つけていたら怖い。

もし、同じような独立事象系の思考回路の人がいたらどうやって日本社会を生き抜いているかコメントをくれると助かる。

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追記】2025-03-24-12:45

みんなコメントありがとう賛否両論あるけども、みんなの文章を読むのがいちいち勉強になる。

仕事やりながらだからまだ全コメント見れてないんだけど、少し追加します。

特性理解してくれたのか、書籍を紹介してくれた人、ありがとう

影響力の武器21世紀貨幣論、贈与の歴史学古代中国裏社会、読んでみる。

他にも、おすすめ書籍があったら教えてほしい。

言語となって記述されていると、構造理解できる。

構造理解できないままでは、いくら枝葉の作法だけ学んでも、現実人間たちとリンクしないから、助かる。

ブコメの方で池井戸潤小説にいたら破滅しそう」って書いてる人いたけど、マジでそれ。ありがとう

本文には書かなかったけど、池井戸潤の話はマジで理解ができない。登場人物たちが、各々の個別目的のために動いて好き嫌いしあったり欺いたりする様が頭に入ってこなくて、話の骨子はとても面白いのに登場人物感情機序がわからいからみんなが何をやっているのかわからないという不思議感覚に陥る。

ちなみに本文で紹介した「べらぼう」も、主人公が本を売るために奔走するシークエンスはギブアンドテイクの勉強になるし興味深いのだが、徳川家対立とか政治的なところはサッパリわからん。だからテレビドラマ観ないんだけどな。

4000円のバレンタインデーのお返しがしょぼいチョコだった、っていうXのエピソード引用してくれた人、ありがとう

自分もその一連を読んで、完全に夫側だったからXで色んな人のコメントを読んで勉強していたところ。

自分はそういった「バレンタイン↔︎ホワイトデー」とか「出産祝い↔︎内祝い」「誕生日↔︎誕生日のお返し」のような、言語記述できるお返しに関しては理解はできる。

逆に記述されてないと覚えられないから、「バレンタインのお返しは同額程度のもの、内祝いは出産祝いの半額程度のもの」と法律で決めてほしいまである

まあ、“そういうんじゃない”からこそのお返しなんだろうけれども。

この増田、私の夫みたい、という奥さん意見も多いねマジでごめんって思ってるよ。

そんなギブアンドテイクの概念が無い人間を、何故好きになって結婚まで至ったのか、可能であれば追記して教えてくれると嬉しい。

あと、自分らみたいな人間は言えば動きはするから、「バレンタインのお返しは〇〇がいいな」と言ってくれると、本当に嬉しい。

ギブするのが嫌な人間でない限り、リクエストされるの嬉しいと思う。

貴方が考えた贈り物が良いのに!」と思ってるかもしれないけど、それは本当にごめん。愛情プロトコルが違うと理解してほしい。

「そうやって言語化できるってことは本当はわかってるんだろう」という意見もあったけど、本当にわからないからこそ苦労してきて、最近勉強を始めてやっと言語化ができるようになったんだ。

でも指摘してくれてありがとう

みんなにはあまりにも当たり前の原理かもしれないけど、自分からしたら今まで裸眼視力が0.01なのに眼鏡をかけずに生きてきて、眼鏡をかけたら「世界ってこんなだったのかよ!」と衝撃を受けたから、それを表したくて、言語化している。しかあくま自作の変な眼鏡ありきの視力しかないので、キモい文章になってたらごめん。

この性格で得しているのは、どんな押し売り営業トークにも靡かないことくらいか

色んな営業本に書いてある「先に少しサービスをしてあげると、返報性の原理でお客さんは貴方に何かを返さないといけない、と後ろめたくなり、契約が結びやすくなります。」

原理が全く働かないので、試食させてもらったり試飲させてもらったり粗品を貰ったりしても、それとこれ(本題の商品を買うかどうか)は全く関係がない事象なので、「ありがとうございました!買わないです!」と言うことができる。

……いや、胸を張って言うことじゃないけど。

若い頃は「なんでこんなに優しくしてくれるんだ?!この会社って儲かってるんだなー!」と思ってた。馬鹿だ。

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【最終追記】2025-03-25-12:15

まさかこんなにコメントをいただけるとは思っておらず、正直びっくりしています

書き込んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。すべて読ませていただきました。めちゃくちゃ勉強になる!

本文が長くなってしまうのは申し訳ないが、それでも性分ってやつで、追記します。


いろんな人に言われてる、「“情けは人のためならず”の話じゃない?」とか「“義理の話”じゃない?」

いやほんと、それ。ありがとう。
無理に自分の中にない概念言語化しようとしたけど、日本語には義理って言葉があったね。ワハハ。義理わからん。ワハハ。

あと、これも複数の人に突っ込まれてた「それトレードオフって言わないのでは」

ほんまそれ。
しかもこれに関しては、なぜこの言葉を使ったのか自分でも思い出せない。
多分だけど、それこそ池井戸潤小説理解できないって話を書こうとしてて、池井戸潤ってトレードオフ的な概念がよく出てくるのに、自分はそれを読んでもピンとこなかった……みたいな話をしたかったんだと思う。たぶんね。

「これをするかわりにこれをやってくれ、と頼まれたら増田はきっと断らないでしょ?」

って意見ももらったけど、ちょっと前提が違う。

自分が言いたかったのは、そういった交渉の仕組みが分からない、と言う話じゃないです。
「(これをする代わりに)これをやってくれ」と前半が省略されている場合普通相手過去に何かしてくれた→自分が何か返す、という流れに自然と至るものなのかもしれないけど、自分そもそもその「その人に積み上がった恩ポイント」を覚えていないので詰んでいる、という話です。

まり、ギブアンドテイクが分からないというより、「恩や害が特定個人に蓄積されない」が正しい。
タイトルミスってました。申し訳ない。

概念がわからない、ではなく行動規範に組み込まれてない、だろ」って意見、ほんとそれ。

自分でも「わからない」って言葉を雑に使いすぎてたなと反省してる。
概念として理解はしてるし、言葉も知ってる。

ただ、それが自分無意識な行動を決めるロジックの中に入ってないだけ。それだけの話だったのに、そこをごっちゃにして書いたせいで、全体的にズレた伝わり方してる気がして、コメントくれた人に申し訳ない。

から全部書き直したいくらいには、色々ミスってるなぁ……。

「〇〇さん△△さんではなく「ヒト一般」として見てる」

って書いてくれた人、まじでそれ。ありがとう。


多分この人には伝わる気がするから、もうちょい踏み込んで言うと、自分の中にはこの社会システムと見なすような全体構造があって、その中に「people」とか「everyone」みたいな、複数を指してるけど一語で済むような「ヒト一般」っていうモジュールが組み込まれてる。

で、その「ヒト一般」が社会の中で苦しんだり困ったりするのはシステムにとってマイナスなので、メンテナンス必要。(これが俗に言う人助けってやつや)

から「people」の一部を助ける、「people」の一部に助けられる、ってのは、「モジュールとしての人間群」を正常稼働させるための処理であって、そこに特定個人への重みづけは基本的存在しないという感覚

自分自身も「people」モジュールの一部なんで、普通に忙しかったり余裕がなかったりする時は助けられないです。
そこはもう、仕様的に無理なときは無理、みたいな割り切りです。

多分、返報性の原理自然に働く人って、「people」という大雑把なモジュールなんかではなく、きちんと一人一人に対して、
「〇〇してもらった」「〇〇してくれなかった」みたいな専用の関数を紐付けてるんだと思う。
で、それが非明示的に記録されてて、後から無意識の行動に影響してくる。

その感覚って、自分にはちょっとピンとこないけど、たしかにそういう視点あったら便利だなって思う。


見えてる世界が違うなーって純粋面白い

「例えば誰かが自らの命を犠牲にして増田の命を救ったとしても全く恩を感じないということ?」

それは、すごくいい人だな〜、と思う。


でもそれって、“増田から”助けてくれたというより、“その人は誰でも助けるんだろうな、素晴らしい人だ!”という認識


そういう人は普通尊敬するし、幸せになってほしいと思う。


でも、助けられたのが増田じゃない、全然知らない人でも同じように感じると思う。

助けた(行動を起こした)その人が立派なのであって、助けられた対象別に自分でも、他の誰でも、関係ないと思う。

上記のようにトロッコ問題みたいな極端な例えを出してくれてる人も沢山いるけど、それが自然に出てくるって時点で、みんな「義理」の発想がちゃんとあるんだなと思う。


自分からすると、「朝トーストを食べたんだから、じゃあ野党支持者なんでしょ?」みたいな極論に聞こえてしまう。


いや、野党支持かどうかって、朝トースト食べたかどうかじゃ決めないでしょ、っていう。

あと、「ヒーロー」とか「いいやつ」とか「炭治郎」って言ってくれてる人、かなり誤解してる。

「嫌いな人でも困ってたら助ける」って、嫌いな奴がピンチの時に万難を廃して駆けつけて「俺が助けに来たぜ!」とかっこよく立ち回ることじゃないです。


嫌いな奴が仕事ミスしてて、「自分が直した方が全体として良くなる」って判断したら、巻き取ることもあるし、


そいつが体調崩してゲロってたら、「迷惑かけられても嫌だし」って理由で水を買って横に置いておく。

全体としてスムーズに、自分が快適になる方を選択する。

その人のためにやってるわけじゃない。自分のためでもない。その「場」における「ヒト一般」が上手く回るためにやっているという感覚


もしそのあと重要な予定があったら助けない(助けられない)と思うし。

助けたかどうかの結果、ってのは、自分の中ではあまり重要じゃない。

それで優しいかどうか、人として優れているかどうかを判定するのはピンと来ない。


自分の助けにそこまで価値を置いていないというか。

ただ、コメントでも多くあったけど、大半の人は「助けたかどうかの結果」をめちゃくちゃ気にしててだからこそトロッコ問題みたいな例え話で“結果”を知りたがるんだろうなと思う。

それこそが、ヒトが義理堅い証拠なのかもしれんね。

恋愛してるのか、したいのかはわからないけど「なんでそう言う人と一緒にいるの?」って聞くのが愚問なくらい、増田恋愛市場で素敵な人間なんじゃないかと思います。」

……優しいコメントありがとうございます


正直、自分バツイチでして、恋愛とかそういう話題を正面から語るのは流石にちょっと気恥ずかしくて、あえて割愛してましたが、そうやって思ってくれる人がいるんだなってこと、教えてもらえて嬉しかったです。ありがとう

あと、これは旦那さんから伝言だけど、バレンタインのお返しとかプレゼントのお返し関連は、ブランド名・型番・色番まで書いてくれるとめちゃくちゃ助かるってことは覚えておいてください!笑




長くなってすみません。
でも、コメント読んで、自分の変なクセとか思考パターンが整理できた気がして、書いてよかったなと思ってます

最後に、「返報性の原理を越えて、困っている者を助けるって、アガペーだよな......アスペじゃなくて。」コメントしてくれた人、週明けにめちゃくちゃ笑わせてもらった、マジでありがとう!!

2025-03-16

シーケンスっていつからシークエンス」っていうようになった?

きどってんじゃないわよ

2025-02-15

シン・カリ城とかオンライカジノから盗んだ仮想通貨が偽造であることを発見するシークエンスから始まるだろうね。

2025-01-23

腐女子機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-を見てきた感想

ついに公開された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』、初日に飛び込んできた私の目はスクリーンに釘付けになりました。タイトルからしちょっと変わった雰囲気を醸し出していましたが、見始めてすぐに「あ、これは絶対に外せない新世代のGガンダムだ…!」と確信。いや、正確にはGガンダムというよりも、宇宙世紀の要素がバッチリ盛り込まれつつも、そこにアナザー要素が混ざり合った不思議感覚を覚える作品でした。今回の目玉は何といっても主人公メカであるガンダムジークアクス」の存在感。新たなフォルムが持つその圧倒的な威厳は、旧来のガンダムファンでもきっと興奮せずにはいられないのではないでしょうか。

さて、ここからが本題。私、何を隠そう腐女子目線ガンダムシリーズを愛し続けてきた人間です。モビルスーツのかっこいい活躍はもちろん大好物ですが、それ以上にキャラクター同士のドラマ関係性が気になって仕方がない! そして今作、私にとって特筆すべきポイントは「シャアが出てくるうえに、何とシャリア・ブルとマブダチ」という衝撃の設定。このふたり関係は“宇宙世紀のどこかで匂わせていたかもしれないけど公式ちゃん説明されなかった”ラインだっただけに、ファン的には「そこにスポットを当てるの!?」というサプライズでした。

まず、シャアシャリア・ブルが作中でどんな関係なのか。序盤こそ「旧知の仲」という雰囲気をにおわせる程度でしたが、中盤以降は「こいつらガチでマブダチなんだな…」と確信できるやり取りがふんだんに描かれています。とりわけ、シャリアパイロットとして圧倒的なニュータイプの才能を示す一方で、シャアはいものクール仮面の裏に隠された複雑な心情をちらりと見せるシーンが最高。表向きは常に飄々としているシャアが、シャリアの前だけでは少し弱音を吐いたり、逆に「お前はもっと自分信じろ」と熱い激励をする姿は、腐女子目線で見るとまさに “完璧なバディもの” の土台です。ここで萌えないはずがない!

しかも、シャリア・ブルといえば『機動戦士ガンダム』(一年戦争時)で悲運の死を遂げたキャラクター。あまりにも早く退場してしまったため、旧作では“シャアにとっての特別存在”だったのかどうか、確定的には語られませんでした。そのため今作での「生存ルート(?)」というか、まさかこの新たな timeline でシャアと肩を並べて登場するとは…ファンとしては胸が熱くなる展開ですよね。序盤の顔合わせシーンでは、シャリアさらりと「相変わらず真面目だな、シャア」と言い、シャアが「お前こそ、そういうときは黙っていてもいいんだぞ」なんて口調がやわらかいまま言い返す。このやり取りだけで、「はいはいはい! 尊いです!」と何度スクリーンを拝みたくなったことか!

そんな二人に加え、今作を牽引するニューカマーともいえる若き主人公パイロット名前は仮にルーカスします)が乗り込むのが、ガンダムジークアクス。これがまたすごい。視覚的にガンダムらしさを大きく踏襲しつつも、背部に印象的なウイングバインダーを備えていて、“ジーク”というドイツ語ニュアンスを感じさせる硬質なデザインが目を引きますビームサーベルの形状すら独特で、左右に展開する可変式。さらに、コックピットシーンではルーカス重力下と宇宙空間で別々の操作体系をとる描写リアルかつ斬新。ストーリー上でも試作機ゆえの不完全さが強調され、そこをシャアシャリアが「大丈夫、我々がいる」とサポートする展開は、“兄貴分”を感じさせてもうたまりません。

シャアシャリアが、主人公の成長のために陰日向から支えているような構造は、まるで兄弟一人っ子の弟を甘やかしつつも鍛え上げているかのよう。腐女子的に「いや、そこはお互い同士ももっと絡んで…!」と思わずはいられないところですが、この序盤の時点ではまだ二人の過去小出しにされている段階。きっと今後の展開でもっとディープな絆や秘められたエピソードが語られるのではないか、そんな期待を抱きました。

戦闘シーンはハイスピードかつ爽快。宇宙フィールド自由自在に動くジークアクスに、シャアの赤い専用機(やっぱり赤!)と、シャリアの機体が光の残像を残しながら連携するシークエンス胸熱一言しかしその華やかさの裏で匂いつのは“男たちの内面”。シャアがこれまで背負ってきた宿命や野望、シャリアが見据える新時代ビジョン…。それがどう交錯していくのかを想像しながら鑑賞すると、もっと奥行きが生まれます。加えて、ルーカスという若者を通して二人が何を託そうとするのか。腐女子の私としては、やはり「いつ裏切りが起こるのか」「いつ離反してもおかしくない危うい関係がどこかに潜んでいるのでは?」とドキドキしつつ、彼らの関係を見守りたくなるんです。

総じて、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』はガンダムシリーズの新たな可能性を提示する作品でした。ガンダムジークアクスという主人公メカデザインギミックの魅力は言わずもがなシャアシャリア・ブルのまさかの“マブダチ”設定がもたらすドラマ性はシリーズファンも思わず唸るところでしょう。個人的には「腐女子妄想が捗りすぎる…!」という感覚がありありと湧いてきて、今後の展開でさら多面的関係性が描かれることを期待せずにはいられません。今までは断片的だった二人の関係に光が当たることで、シャア人間的な弱さや優しさ、シャリアの持つ本来の魅力があぶり出される展開になる予感がします。

長年宇宙世紀シリーズを見守ってきた腐女子としては、こんなにも美味しい人間模様を出してくれるなんて…!と、思わず劇場を出るときには顔が熱くなるほど興奮していました。まだまだ始まりに過ぎない本作ですが、次回作や続編があるならば、さらに深堀りされたシャアシャリアエモーショナルな絡みを期待しています。そしてガンダムジークアクスは、そんな二人の物語を映す鏡のような存在として、更なる進化を遂げるのではないかと。今後の展開から目が離せない、大満足の一作でした!

2024-11-19

久しぶりにあった友人がINVOKEに嵌っていた

テテテ テッテレテーテテン デデンデデーン

やっぱいよな。

フリーレンが見てたレベルアニメとか言われるけど、発進シークエンスの分かりやすいアゲ感は未だに超えるものなしだろり。

平成夢色チェイサーと言ってもいいクオリティだね。

テテテ テッテーン テテーンテーン

2024-10-05

アラ還(around 還暦)の思考

最近のこととかとか直近に何をしたかはなかなか思い出せないのに、ふとしたことで随分と昔のことや昔に見て読んで聞いたこはいきなり思い出す

三大増田ポルカネタで当時べつに聴いたこともないのにポルカドットスティングレイなんてバンド名が脳内に浮かびあがって当惑するし、街中でゾンビに近い濃さのアイシャドウした人を見て昔のパ・リーグ選手は目の下に反射光よけのメイクしてたけどアレいつからしなくなったんだろなんか近鉄バファローズがよくしてたイメージあるなぁとか連想するし、

ティプトリー大先生が「老人たちが何かを訊かれた際にワンテンポおいて返答するのは、彼ら彼女らが貯めこんだ経験や想い出が莫大な量で脳内を駆けめぐるからだと信じたい、そうでなく単に処理速度が遅くなるという能力の低下ならば耐えられない」って書いといて結局は老齢で不具になった夫を撃ち殺したあとに自分も同じ手順で心中したってことはそういうことだよなぁ…

しかし銃で頭、つまり脳を撃ち抜いてそうすぐに死ねるのだろうかねぇ、脳内出血だって相当イタイときくのに、脳に風穴が開いてその瞬間に心臓制御ストップして血流が止まるわけでもないしただひたすら痛いだけの時間が死に終わる()までには絶対存在するよな、

そうだ、そういう自殺っていうか安楽()死っていうか、死んだときコンピューターシミュレーションってできないのかね?例えば人間みたいな思考をする回路を造って実際に物理的に撃ち抜いてみたらどういうシークエンス機能停止=死に至るのか、って

これ、安楽死賛成派と安楽死反対派の両方が役立つ知見を得られるとおもうがな🤔

2024-09-01

どれだけメディアに取り上げられたかという指数など

死にかけのヤサジュー(野菜ジュース)は「これは真剣シークエンスです」みたいな音を立てる

増田纏めるために、selenium的なの使って自分アカウント文字列収集しなければならない?あるいは閲覧した文字列収集する拡張を使いながら増田をめくっていく

[増田アイディア]

2024-07-29

パリオリンピック開会式共同執筆者たちのインタビュー

マリアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図しりたくて、いろいろ読んだ。

具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。

id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。

増田フランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。

フランスインテル(という名の番組っぽい)

https://www.radiofrance.fr/franceinter/podcasts/l-invite-de-8h20/l-invite-du-week-end-du-samedi-27-juillet-2024-3772628

ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリアントワネットゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。

ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネット斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的イベント世界中が知っています私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たち価値見出していた(後述する)ロンドンエリザベス女王ジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。

ホスト歴史家パトリック・ブシュロンはどうですか。

パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的モニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たち勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家アイデンティティではなく、あくま政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。

(中略)

ホストダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分であるような感覚ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。

ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人白人アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループカリブ海)の音楽オーヴェルニュの音楽ヨーロッパ音楽を、同じ時にね。

LeParisianのブシュロンのインタビュー開会式前のインタビュー

https://www.leparisien.fr/jo-paris-2024/ceremonie-douverture-des-jo-2024-au-debut-vous-allez-peut-etre-vous-dire-oh-la-la-cest-cliche-26-07-2024-S35XYLUGNBG53ARPSYLRKMM5PM.php

トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。

(中略)

最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージ正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちエッフェル塔私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」

(中略)

幸せな猥雑さ(売春宿)」を見せる

共同執筆者たちは、過去の開会セレモニー研究しました。そして、アテネ謙虚さと、ロンドン自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズム拒否することにしたのです。

ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」

開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である

私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージ軍隊デモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」

パリ歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます

軍事パレードではない

英雄物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいていますセレモニーはそうでなければならない。私は歴史家からナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニー軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」

少し考えた後、彼はこう付け加えた。

「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリ世界を迎えるのであれば、ありのまま世界ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的ものですから政治的もの排除するということはありえません。しか世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」

彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。

RFIまとめ記事開会式の朝に出た記事

増田はルモンドやリベラシオン課金はしていないので、まとめ記事が助かった)

https://www.rfi.fr/en/france/20240726-we-need-this-moment-of-peace-say-olympic-opening-ceremony-storytellers

(略)

ジョリーと4人の作家2022年末に共同の冒険を始めたときルートはすでに決められていました。

東のアウステルリッツからまりノートルダム大聖堂マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリールーブル美術館ガラスドームが特徴のグランパレなど中世遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります

私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツからエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリール・モンドに語った。

私たちパリ歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑広場彫像文学的書簡映画ミュージカルも調べました。」

彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏執筆を続けた。

フランスカルト映画アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズエミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句アメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。

彼らはショーを12絵画セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートパレードと掛け合わせた。

3,000人を超えるダンサー俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンス披露し、それぞれの絵画は、パリシンボルと、過去現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界パリ​​の歴史建築の旅へと誘う。

例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式記念碑であり、19世紀作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています

世界最後テレビノートルダム大聖堂を見たのは、火災ときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志物語です。」

自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。

パーティーを開いてお気に入りプレイリストをかけるのとは違います世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」

(略)

エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年フランス革命から1948年世界人権宣言まで、「解放自由の偉大な物語」を提供すると述べた。

セレモニーの詳細は秘密ベールに包まれているが、フランス価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランスモロッコ人の小説家であるレイラスリマニは、パリ集合的であろうとする努力価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。

4人の作家は、自分たち物語に寛大な精神を持たせたかったという。

「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的価値観だけでなくね。」

ラグビーワールドカップの二の舞は避けたい

(略)

一方、昨年9月パリで開催されたラグビーワールドカップ開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。

アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽バゲットという出立ちで、1950年代フランスの村々を再現した模型自転車で巡り、ミルク絞りの女性ダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から時代遅れ陳腐フランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。

「ただの古臭い過去イメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家アイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから私たちセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」

フランス革命200周年

ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年フランス革命200周年記念式典を挙げている。

当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。

「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年ソ連中国天安門広場抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たち多文化フランスと呼ばれていたもの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」

数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗セレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。

結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。

それでも、暴力への抵抗必要性は残っている。

私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。

「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」

以下私なりの見解(読まなくてもいい)

なんでマリー・アントワネット

と思っていたけど、セーヌ川コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。

最後の晩餐のシーン

開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィア存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから真正からね。

要は、暴力クィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリ包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。

2024-07-28

H3の最初打ち上げで飛ばなかったのは失敗じゃない

通信社記者が「わかりました、それは一般に失敗といいますありがとうございます。」と放ったやつです。

打ち上げシークエンスに異常発生時には打ち上げ中止を行うことが含まれていて、それ通りに機体は停止したんだから、あれを失敗と言うのは無理があるだろ、と。記者さんは「計画を途中で意図してやめる」ことを中止と言うんだ、と言っているが、まさにその状況だろ、と。

なんでか分からんが止まった -> 失敗 というなら分かるが、「ブースターに点火されなかったので止まった」とシステム意図して止めているんだから、繰り返しになるが、これを失敗と言うのは無理がある。

まぁ、最終的にはちゃんと飛んだから最早どうでもいい話ではあるんだが

2024-06-06

核のスイッチについて疑問があるんだけどさ

核のスイッチを押したらそれが核ミサイルの発射機構と連動していて、即時発射されるの?

それとも核のスイッチが押されましたアラート核ミサイル発射施設で鳴って

大慌てで施設職員核ミサイル発射準備を整えて、準備が整い次第発射されるの?

 

ミサイル(ロケット)の発射シークエンスとかを見るに、常時発射準備万端だとは思えないか

スイッチ押してから発射準備を整えるか、

発射準備が整った状態でないとスイッチが押せないかのどっちかかと思うんだけど

どちらにせよ例えばテロリストが核のスイッチを手に入れたところで何の役にも立たないと思うんだよね

それとも、核保有国は常に発射準備万端OK状態を保ってるってこと?

2024-05-22

anond:20240522214746

「クラメカガリ」の主人公少女は何も望んでいない 街を出たくもないし、世界秘密を知りたいわけでもない。只管に受け身だ。

登場人物には、たとえ水一杯でも、何かを求めさせるべき” カートヴォネガット言葉だ。

「トラぺジウム」の主人公の良い点は目的欲望を持っているところだ。しかし、「トラぺジウム」の主人公動機不明だ。

厳密には過去体験したアイドルのようになりたい、という動機はあるが、それが観客の共感に結びつかない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4753317722498627616/comment/srgy ”「何故そこまでアイドルに執着するのか」という理由描写されないのがモヤモヤする…”だ

主人公悪人である映画はいくつもある。薬物中毒殺し屋主人公の「パルプ・フィクション」など。

「トラぺジウム」の主人公自分欲望のために他人を道具にするという意味悪人だ。

https://www.youtube.com/watch?v=NmmYIs0czfk公式

彼氏がいるんだったら友達にならなきゃよかった」

劇中屈指の悪人描写シーンである。この後、謝罪しているのだが、これ以外にもいろいろ自己中心的な~他人をうまくコントロールしようとして思い通りにいかないシークエンスや助けられるシークエンスがある。

それらのあと、礼を言ったり、相手を慰めたりするシーンはない。(上記シークエンスが唯一の例外

これが、主人公への共感応援したいという思い)を大いに削いでいる。

2024-04-22

anond:20240421174815

はあ?

リリース10周年超えても自分とこのメンテナンス時間が掴めなくて毎度毎度最終シークエンスで手戻りが発生してメンテ延長だったり

公式ホームページが無くてアップデート情報はX(旧twitter)の投稿のみで、メンテ入ったらアップデート情報全部流してしまえばいいのに

メンテ明け直前に手動投稿しはじめるからメンテ明けましたの宣言が適時にできないくせに

メンテ明けを待てなくてアクセスが集中すると不正アクセスはおやめくださいとかのたまう艦これ運営

まるで異常なシグナル出しっぱなしみたいな言い方するじゃねえか

なあ?

増田さんよお?

2024-02-16

田舎者に教えて

タワマン住みの都会人って車乗るまでにエレベーター乗って自分の車選ぶボタン押してリモコンでゲート開けてたりするんでしょ

そういう発進シークエンスの時ってワンダダバダとか歌ったり教室の机にメダルをセットするフリとかして盛り上げてる?

田舎って玄関開けたらすぐ目の前に車あって、なんなら既にエンジンかかってるし、歩く距離より車で家出距離の方が長いくらいで情緒ないよね(苦笑

ライジンオー世代にとっては羨ましいわー

2024-02-12

ポケモンメザスタがすごかった

当方普段ゲーセン行かない民、コンビニミライドンのメザスタ用タグが配布されてて、そういやそんなのあったね、ということで初めて遊んできた。

メザスタってのはポケモンデータが入ったプラスチックタグを使って遊ぶ筐体で、まぁ詳しくはググってね。

それで何がすごいってその集金力よ。

まず1プレイに100円を払う。

ゲームを始めると任意ボスポケモンが登場するステージ選択レアリティの高いボスポケモン1匹と普通ポケモン2匹が敵として出現する。

自分ポケモンがいない場合レンタルポケモンを3匹借りて出撃が可能

遊び方は単純明快で、①相手に相性の良いポケモンを選ぶ→②引いた数字分だけ攻撃力を増加させるルーレットを回す→ボタンを連打して技の威力を上げる、の繰り返し。未就学児童でも一回やれば覚える。

攻撃をしているとだいたい雑魚敵が先に倒れる。と、そこでゲットチャンスが到来する。

ここで100円を払う。

雑魚敵のゲットチャンスに100円?と思うかもしれないが、ここで雑魚敵のゲットチャンスを押さえておくと戦闘ターンが増えるのだ。このゲーム、通常だと3ターンしか攻撃チャンスがないんだが、レアリティの高いボスキャラを倒し切るには3ターンだと足りない場合がままある。

そこでゲットチャンスに課金してターンを増やすことで、ボスキャラを倒す=レアリティの高いポケモン捕獲するチャンスを増やすわけだ。

ボスキャラを倒すと再度ゲットチャンスが到来する。

ここでも100円を払う。

ボスキャラをうまく倒せた場合、2匹目のボスキャラが登場する。ここでも戦闘を一通り終えたらゲットチャンスが到来する。

ここでも100円を払う。

なお書き忘れたが、ゲットチャンスが訪れた際にはボールの種類を決めるルーレットを回す。グレードの高いボールを引ければ捕獲チャンスも増える。バトルで使うルーレット目押しっぽい挙動をするがここだけ完全に確率。見た目上は明らかにハイパーボールで止まっても実際に投げるのはモンスターボールになったりする。なんでやねん

モンスターボールとかだとボスキャラは大抵捕獲できず、横にいる雑魚敵が捕まえられる程度である

まり、ここまで人によっては3〜400円を投じているにも関わらず、出てきたモンスターボールのせいでレアリティの高いポケモンは捕まえられずに終わり・・・とならないのがメザスタのすごいところである

バトルが終わると「最後のゲットチャンス」が到来する。

このシークエンスでは闇鍋形式だが捕獲1回につき必ず何かしらのポケモンを1匹ゲットできる。捕獲1回あたり100円で、である

ポケモンコンスタントに4匹程度は登場するので、全部やると400円である確率は少ないが高レアリティポケモンはここでも入手ができる。(実際自分も星5のテラスタルゲンガーを引いた)

恐ろしいことにプレイヤーはこの手前でレアリティの高いボスポケモンをあと一歩のところで逃した状態にあるので、ゲーム全体の中で最も課金密度の高い部分があたかも救済措置であるかのように感じてしまう。そしてこの最後のゲットチャンスで高レアポケモンを引いたら、最初に狙っていたボスポケモンを倒せるかもしれない、とさえ思う。

まりだ、最初100円のように見えた1プレイあたりの料金は、一連のバトルが終わるまでには最大で1プレイ400円に化けており、最後のゲットチャンスを全てこなすと1プレイ800円に膨らんでいる。

しか文章では怠くなってしまった一連の工程は適度な集中を要求されるテンポの良い演出により1周15分程度でグイグイ進んでいく。ゲットチャンスに100円を投入するにも時間制限があるので短い時間課金するかしないか判断を平均して2〜3分に1回程度迫られる。1回あたりは少額とはいえソシャゲも驚きの課金である

今回初めて遊んでみて、大人はまだしもメインのターゲット層であろう自制心の弱い子供にこれを慣れさせちまうのはだいぶヤバいんじゃないかと思える内容であった。4〜5回やったら買い切りポケモンソフトも大抵のグッズも買えるじゃん・・・

冒頭に書いた通り自分普段ゲーセンに寄らないので、そもそも今のゲーセンってそんなもんよ、ってことだったら申し訳ない。

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