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2026-01-17

[]2025年に読んだ本、後編

7月

読書(15冊+α)

円城塔コードブッダ 機械仏教縁起

円城塔「去年、本能寺で」

円城塔「長い豚の話」(日経新聞連載短編

エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★

フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」

小泉悠、山口亮「2030年戦争

鳥飼将雅「ロシア政治 プーチン権威主義体制の抑圧と懐柔」

宇佐和通「AI時代都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」

深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本

廣田龍平「ネット怪談民俗学

大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代幸せのつかみ方」

佐藤賢一「王の綽名

飯田一史「「若者読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」

大田俊寛現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇」★

セス・スティーヴンズ=ダヴィウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間ヤバい本性」★★

秦正樹「陰謀論 民主主義を揺るがすメカニズム

漫画(4冊+α)

ハミタ「とっても短編漫画集」一巻~三巻

福島聡少年少女」一巻~四巻

一話完結漫画(2冊)

日向あお助「バニー好きだよね」(単話)。

恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」

美術

「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館

新江ノ島水族館

雑感

 やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分特に気に入っている思想家だ。

 このあたりからスピリチュアリズム自己啓発の背景にある思想とその明暗テーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。

 多分最後SF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。

余談だが、自分が好きなSF科学技術それから人間未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。

 ところで、わざわざ買った同人誌メモしてもしょうがいかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。

8月

読書(9冊)

奈津子新版賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★

加地伸行儒教とは何か 増補版」

アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発教科書 禁欲主義からアドラー引き寄せの法則まで」

ジェイムズ D.スタイン不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★

尾崎俊介アメリカ自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★

井奥陽子近代美学入門」

坂井豊貴「多数決を疑う 社会的選択理論とは何か」

野尻抱影星座のはなし」

野尻抱影「続・星座のはなし」

漫画(9冊)

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻

岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻

こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻

岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻

肋骨凹介「宙に参る」五巻

熊倉隆敏もっけ」一巻

アニメ

フードコートで、また明日。」全話

テレビ

NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプトピラミッド透視ツタンカーメンの謎」

NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオ実像に迫る」

ゲーム

「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)

美術

彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。

コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館

小岩井農場まきば園

啄木新婚の家盛岡市内)

雑感

 八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。

代わりにというわけではないが、ちょうどゲームクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分人生ゲーム必須の要素ではない気がする。

 ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分テレビを見る頻度の少なさを示している。

9月

読書(14冊)

レト・U. シュナイダー「続 狂気科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★

トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」

中村圭志「亜宗教 オカルトスピリチュアル疑似科学から陰謀論まで」★★★

徳仁親王「テムズとともに 英国の二年間」★

トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇」

トルストイ民話イワンのばか」

ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙

トーマス・トウェイツ「ゼロからトースター作ってみた結果」

監修・訳注 中村啓信「風土記現代語訳付き」

監修・訳注 中村啓信「風土記現代語訳付き」

烏谷昌幸「となりの陰謀論

今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーション本質解決策」

岡瑞起、橋本康弘「AI時代質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AI可能性を最大限に引き出す」

山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念現場からみる平和安全

漫画(6冊)

瀬野反人ヘテロゲニア リンギティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。

熊倉隆敏もっけ」二巻~五巻。

葵井ちづる「イジワルコネクト【DLsite限定特典付き】」

映画

ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム

大長編ローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷

美術

諏訪敦|きみはうつくしい」於・WHAT MUSEUM

雑感

 皇室文章結構フランク楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。

 僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢モデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンク作品にも関心がある・結婚後にシーレ作品良識的になってしまったのにも)。

今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエル作品自分過去作品解体し、評論するような内容だった。

10月

読書(14冊)

阿刀田高コーランを知っていますか」

遠藤周作「古今百馬鹿 狐狸庵閑話」

彬子女王「赤と青のガウン オックスフォード留学記」★

高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピア科学秘境を旅する」

瓜生中、監修「雑学3分ビジュアル図解シリーズ 仏像

浮橋美頭、浮橋啓介「こんにちはトーテム・ポール

内山節「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」

羽田正冒険商人シャルダン

島本英明もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アートビギナーズコレクション)」

新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アートビギナーズコレクション)」

高橋敏「江戸教育力」

桜井啓子「シーア派 台頭するイスラーム少数派」★★

末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からアート思考」★★★

今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典

漫画(4冊)

熊倉隆敏もっけ」六~九巻。

美術

円山応挙 革新者から巨匠へ」於・三井記念美術館

雑感

 高野秀行は定期的に読んでいる。アートビギナーズコレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。

11月

読書10冊)

松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」

ジョナサンカラー文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」

加藤徹後宮から唐・五代十国まで」

加藤徹後宮から清末まで」

石井清純「禅問答入門」

秋月龍珉「無門関を読む」

アンドリュー・スチュワート情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★

尾崎俊介ホールデン肖像 ペーパーバックからみるアメリカ読書文化」★★

遠藤みどり日本後宮 天皇女性たちの古代史」

野坂昭如エロ事師たち」★★★

漫画(1冊)

こるせ「伽藍の姫【イラスト特典付】」三巻

同人誌(1冊)

六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字

美術

「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー

CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー

30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー

旅行

平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社宇治上神社源氏物語ミュージアム

テレビ番組

知的探求フロンティア タモリ山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」

NHKスペシャル「イゾラド 最後の森の奥で」

雑感

 野坂昭如で久しぶりに文学を読む楽しみを思い出した。

自分欲望コントロールできず、性欲などに負けてしま人間の話が好きだ。現実生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間ダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。

 他には禅問答について読んでいる。

 あと、尾崎俊介ロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリー必要とされているか、一つの知見を得た。

12月

読書和書3冊、洋書1冊)

J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★

伊藤盡「指輪物語 エルフ語を読む」

尾崎世界観「祐介・字慰」★

丸谷才一「輝く日の宮」★★

漫画

ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」

映画

落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネ渋谷宮下

雑感

 丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。

 洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。

 トールキンの場合樹木描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。

ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶部品などの語彙で苦労した覚えがある。

落下の王国」では久しぶりに交響曲を聞いたがやっぱりいい。

 窓口基は暴走するテクノロジー世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分狂気コントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。

 ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾ発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画セールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。

 漫画小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。

 来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連政治学、第二次世界大戦日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識科学だなあ。

 洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。

 実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識習得には多大な遅れが発生する)

追記

カテゴリ[読書]クリックすれば2020年まで読めます。m(__)m

ただし、全てが自分の物ではありません。

2025-12-24

他責〜」とかい自己啓発ビジネス発祥ワード使うやつなんなの?

https://togetter.com/li/2641610

これなんだけど、特に他責〜」とかいうの最近流行ってて気持ちわりいなと思って少し調べてみたら

案の定ビジネス界隈や自己啓発本から流行っぽいな

ググった感触として、やはり2020年以降に作られたページが上位にヒットしています

(SEO対策の影響かもしれません)

上位100件のなかでは2017年あたりでビジネスコラムがそれなりに目につく印象でした。2014年サイボウズ式が最古かな~

次に本です。

(中略)

7つの習慣」が特に流行ったと思われるタイミングが近年だと3回存在し、それぞれ2013年2014年2020年です。

嫌われる勇気」が特に流行ったと思われるタイミングは探した限りだと存在せず2013年に発行されて以降、継続的にヒットし続けているようでした。

他責という言葉はいから流行り出したのか

https://note.com/iwamini_94/n/n4d9f5aad6fc2

すきえんてぃあ@書け

@cicada3301_kig

他責思考」って言葉使ってる奴ら必ず胡散臭えなぁっていつも思ってんだけど自己啓発系図から来てんのかな、学術用語のフリした学術用語じゃないやつっしょこれ

本来は原因帰属理論って心理学概念があるが、こんな言い回ししないはずだし、思考付けずに「自責」と「他責」で対立して語るならわかる

週刊アヌスの中で韮を栽培する(6月号)

@8ZNfVgtw0vTXRk

これ最近よく聞くんですがやっぱ意識高い系ビジネス界隈から出て使われてるんじゃないかなと思ってます

2010年代後半あたりに就活の箔付けでインターンした当時人気の意識高いベンチャーで聞いて「はえ〜この感じで神妙に行けば責任回避できるのか」と考えた記憶があります

https://x.com/8ZNfVgtw0vTXRk/status/1945706334248489061



これ使うやつマジで気持ち悪いんだが、カルト宗教でもやってるの?

ちょっと統一教会ぽいんだよな

壺買うのが奴隷労働に替わったのかね?

2025-12-23

サボればサボるほど出世が進んで辛い

暗い部屋で、液晶ブルーライトけが私の網膜をじりじりと焼いている。画面の中では、見ず知らずの他人が、見ず知らずの誰かの失態をこれでもかと嘲笑っている。

YouTube自動再生という機能は、怠惰という名の沼に沈んだ人間にとって、酸素供給し続ける人工呼吸器のようなものだ。

私はただ、死んだ魚のような目で、その呼吸器から送られてくる「無意味」を、肺が真っ黒になるまで吸い込み続けている。

ふと、手元のスマホが震える。通知画面には、チャットメッセージ

『新会社設立の件、登記スケジュールを共有します。定款案の最終確認をお願いします』

社長。その二文字の滑稽さに、私は喉の奥からせり上がってくる酸っぱい何かを飲み込む。

笑えない。ちっとも笑えない。世の中には、成功を掴み取るために血の滲むような努力をし、睡眠時間を削り、自己啓発本を読み漁り、朝から意識高くスムージーを飲んでいる連中が五万といるはずだ。

私は、寝っ転がったまま、どういうわけか彼らの頭上を無残に飛び越えてしまった。追い抜いた、などという能動的な言葉すらおこがましい。

ただ、社会バグのような気流に流されただけの私が、彼らが血反吐を吐きながら目指している場所に、欠伸をしながら先に放り出されてしまったのだ。

しかも、その「社長」という椅子が、これ以上なく空虚なハリボであることを、私が一番よく知っている。

所詮は、親会社意向一つで首が飛ぶ「雇われ社長」。リスクを背負って私財を投げ打つ本物の起業家から見れば、温室の中で「社長ごっこ」をさせてもらっているだけの、ただの管理職だ。

社内ベンチャーという名の、親会社節税リスクヘッジのために用意した砂場で、私はスコップを持たされている。

外野が「あいつはリスクも負わず社長なんて名乗って」とマウントを取る準備をしているのは分かっている。

だが無駄だ。そのマウント、私が一番高い場所から自分自身に対して取っている。 登記書類に並ぶ私の名前を見るたび、自分が巨大なシステムに飼われているだけの去勢された家畜である事実を突きつけられ、死にたくなる。



そもそも、私は「有能」などではない。ただ、徹底的に「めんどくさい」だけなのだ

かつて、会社員として適当に放り込まれ部署で、私はいくつかの仕組みを変えた。それは「会社のために」なんていう尊い感情からではない。

目の前にあるその退屈で、粘り気のある、非効率作業をそのまま続けていたら、自分精神が腐り果ててしまうと思ったからだ。一刻も早く、YouTube流れる自室の椅子の元に帰りたかった。ただそれだけのために、人間が介在する余地を削ぎ落とした。

周囲はこれを「DXへの強いリーダーシップ」と誤読した。バカすぎる。

私がやりたかったのは組織最適化ではなく、私自身の「労働消滅」だったというのに。世の経営者たちが喉から手が出るほど欲しがる「変革」の正体が、一人の男の「早く帰って寝たい」という執念だったと知ったら、彼らは一体どんな顔をするのだろう。

実際のところ、私はITことなんて何一つ分かっていない。「パイソン」と聞けば、熱帯雨林に生息する巨大なヘビの湿感を思い浮かべてしまい、「ウォーターフォール」という開発手法の話をされれば、私の脳裏には、マイナスイオンを撒き散らしながら激しく落下する滝の映像スローモーションで流れている。

そんな、言葉の表面すらなぞっていない私の口から出る「もっとシンプルしましょう」という言葉が、なぜか「本質を見抜いた冷徹判断」として受理されていく。難しい専門用語を覚えるのが苦痛から語彙を削ぎ落としているだけなのに、相手勝手にその空白を「深淵哲学」で埋めてくれる。

情報の非対称性とは、これほどまでに残酷で滑稽なものか。



並行して労働している組織がある。何故やっているのかは謎だ。その、知人の紹介でジョインしたスタートアップでも、同じような悲劇が起きている。

少し話は逸れるが、なぜスタートアップの人たちは、会社に入ることをわざわざ「ジョイン」と呼びたがるのだろう。 普通に入社」とか「手伝う」でいいじゃないか、と思ってしまうのは、私に熱量がないからだろうか。

ジョイン」という言葉には、何か新しい物語が始まるような、伝説パーティに加わるような独特の「当事者意識」がべったりと張り付いている。

その重い言葉を、知人に袖を引かれて断りきれなかっただけの私が引き受けるのは、どうにも座りが悪い。私はただ、ズルズルと泥沼に足を踏み入れただけなのだ

私はそこでも、「組織づくり」や「コンテンツ制作」という、いかにも耳心地の良い名目仕事を任されている。組織づくりって何だよ。組織できてないのかよ。

私がやったことといえば、誰が何をやっているのかを可視化して、私に確認しなくても勝手仕事が回るように、指示系統を極限までシンプルにしただけだ。

まり、「私を呼ばないでくれ」というメッセージを、組織図という形に変換したに過ぎない。

それなのに、その会社代表は目を輝かせて言う。「君が来てからメンバー自律性が飛躍的に高まった。まさに理想的ティー組織だ」と。

船長デッキで寝転がっているから、船員たちが沈没を恐れて必死に舵を握っているだけだ。それを「理想的フラット組織」と呼ぶのは、飢餓状態の村を見て「究極のファスティング成功している」と評するのと同じくらい狂っている。

私の「不在」が、彼らにとっては「信頼」に見えるらしい。私はティー組織なんて言葉も知らない。

銀行口座に入ってくる金は、もはや見てすらいない。数字が多少増えたところで、私の生活は何一つ変わらないからだ。

相変わらず、洗うのが面倒なスウェットを三日穿き続け、YouTube広告スキップする権利だけを行使している。金という実体のない記号が積み上がるたびに、私の「人としての手触り」が失われていくような気がする。

怖いのだ。自分がどうなっていくのか、本当にもうわからない。サボればサボるほど、周囲が私を「高み」へと押し上げていく。私が透明な空洞であればあるほど、人はそこに勝手な期待を投影し、私はどんどん「私」ではない何かに塗り固められていく。

毎日、稼働時間の半分はYouTubeを回している。でも、その実態は、24時間ずっと何かに追われているようなものだ。休みらしい休みなんてない。でも、しっかり働いてもいない。

この、ドロドロとした、実体のない不快感覚。私は、自分という人間が、社会という巨大なシステム最適化された「空虚記号」に成り果てていくのを、ただ眺めていることしかできない。

まり皮肉である。私が自分自身を救おうとして「効率化」を図れば図るほど、社会は私を「より重い責任」という名の牢獄へと、丁重に案内してくれる。

私はただ、放っておいてほしいだけなんだ。 私の無能さが、私の怠惰が、白日の下に晒されるのを待っている。誰かが私を指差して、「こいつはただ、寝転がって動画を見ているだけの詐欺師だ」と叫んでくれるのを、私はずっと待っている。

画面の中では、また別の「絶対に笑える動画」が始まった。私は、それを見ることすらもう「めんどくさい」と感じながら、それでもYouTubeを止めることができない。

この、飲み干したペットボトルが床一面に敷き詰められて可動域を奪われた安物の椅子が、私にとってのすべてだ。

ここでYouTubeを眺めながら適当に放った一言が、外の世界では「慧眼」として扱われ、私をさらに高い、望まない椅子へと縛り付ける。 聖域であるはずのこの椅子に座り続けることが、私をこのバグだらけのゲーム繋ぎ止める、一番の元凶になっている。

スマホが、また震えた。私は、死ぬほど重い指を動かし、さも「分刻みのスケジュールを縫って、熟考の末に返信している」かのようなタイミングを見計らって、フリック入力を始める。

「非常に興味深いです!ただ、今は他の案件のコアに深く入り込みすぎているので私はそこにリソース割けないです。まずは私に確認しなくても進む仕組みを作りましょう。細部は任せるので、適切に進めておいてください。信頼していますので!なにかあれば相談はいつでもどうぞ!」

送信。あまり適当である。また一つ、私の評価が、私の知らないところで勝手に上がっていく音がした。

暗い部屋に、実体のない私の「ファントム」だけが、神々しく浮かび上がっている。

資産1億の俺が考える資産形成中に金かけてよかったもの無駄だったもの

主に億る前に買ったもの。つまり資産形成中に買ったものとなる。

順序は適当

金かけて良かったもの

国産では高級とされるSUV新車で買った。

首都圏在住だから要らないっちゃ要らないし、移動だけならカーシェアとか中古の軽で十分。

だけど、金使えない自分が嫌になってどうせなら気に入ったものを買おうと思った。

そしたら利便性はもちろんだが、オトコが上がり人生が豊かになった気がする。

これがモノを買う喜びかあと思った。

普段ユニクロなんだけど、やっぱりいい服はいい。

着るこちらもちゃんとしなきゃと思うので。

それに、自尊心にも大きく影響するので、私的な集まりだとしても、何かしら自分でいいと思える服を着ていくことは重要

家具

これも良い家具はやはりいい。

資材費が騰っている昨今、素材の良さは価格に直結する。

服と同じだけど、ファストなものはやはりそれなりのQoLとなってしまう。

機能面だけみればほとんど同じなんだけど、佇まいが違うと自分もそれに合わせるために、人生レベルが一段あがった気がする。

あとは、家の中に簡単に取り入れられるアートとも言える。

絵や彫刻簡単に家に入れられないけど、機能性があればそこに居る理由もあるしね。

プレゼント

これは金額もあるが、回数や渡す人数を増やしたいところ。

昔はお中元お歳暮なんかはいい習慣だったよなと思うけど、サプライズみがないのでちょっとコスパ微妙かも。

誕生日なんか覚えておいてなにか渡すと喜んでもらえる。

人的資産をこれで維持できるなら、いくらコストかけても無駄にはならない

メンエス

戦うオトコには癒やしが必要なのだ

金かけて無駄だったもの

ジム

まじで無駄

特に俺は筋肉がつかないたちなのか、5年間ぐらいいったけど、何も変わらなかった。

プロテインたっぷり飲んだんだけどね。

特に無駄と思うのが、人的なつながりがなにもないこと。

クモクとトレーニングするのもリラックスというか禅を感じていいんだけど、これを週3も時間使ってやる必要あるか?とも思う。

いくら一般的にいいといわれてても、体質的に合わないものはとっとと辞めるべき

サプリメント

これも意味ない。

結構な大病になり入院手術したが、サプリメントではどうにもならん病気だった。病気になるとき病気になる。

自己啓発本とか意識高い

有益なことは何も書いてない。

意味無し。

本は自分の興味を広げるために読もう。

結論

これに金かけろといわれるものはこの時代コモディティになるので、あん意味ない。

逆にこれに金かけたら無駄だろというもののほうが却ってエッジーになって有益

2025-12-18

昔、「影響力の武器」って本が人気あったけど、あれも流行り物の自己啓発本の一つでしかなかったよな、と今考えると思う

2025-12-17

飯田一史の批判三宅香帆の反論は、それぞれどこが間違っているのか

表題のとおりです。

事の発端は、12月12日飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。

これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田批判に対する反論を試みました。

このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判三宅反論論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます

まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います

なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html から抜粋であることを念の為補足しておきます

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📰 0. 三行要約(問題点

飯田批判は、特に三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないかダメだ」という主張に相当問題があると思う。

三宅反論は、そもそも反論」できてない。言い換えると、飯田論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。

三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたか飯田データ処理の問題すり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。

以下、飯田批判三宅反論についてより詳細に検討していきます

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📚 1. 飯田批判論点

飯田批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います

理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。

まあ私の読解力の問題のような気もします。

読みやすくするため、飯田批判の主張のうち、

三宅本への指摘に該当するものには「◎」

・直接的には指摘ではないものには「◯」

という記号を付けておきます

また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます

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(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人読書量は減らない」の節)

◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。

しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。

<主張1-1の論証>

根拠1-1-1. データ書籍の月間平均読書冊数

根拠1-1-2. データ:1ヶ月に読む本の冊数の割合

根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。

これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。

<論証おわり>

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◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。

<主張1-2の論証>

根拠1-2-1. 「積ん読」という言葉存在

根拠1-2-2. データ: 紙の書籍推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠1-2-3. アメリカイギリスでの調査.

根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。

<論証おわり>

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(「・「雑誌」と「書籍」も別の話」の節)

◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である

<主張2-1の論証>

根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。

<論証おわり>

---------------------

◎主張2-2. 三宅本では、書籍雑誌区別ができていない。

<主張2-2の論証>

根拠2-2-1. 三宅本のp.38の記述

根拠2-2-1は、三宅本において雑誌書籍区別できていないことを示している。

<論証おわり>

--------------------

[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌書籍区別するべきである。]

(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)

---------------------

◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である

<主張2-4の論証>

根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間である。主張2-1から雑誌接触時間は減少傾向であると推察されるので、

読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である

根拠2-4-2. そもそも読書時間」もそれほど減っていない。

根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.

根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。

[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、

三宅本のやり方では書籍読書時間減少を導くことはできない。

また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。

<論証おわり>

--------------------

(「・労働時間は減り、自己啓発時間も減っている」の節)

◎主張3-1. 三宅本は、日本人現在長時間労働であることを前提にしている。

しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である

<主張3-1の論証>

根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年2023年)の労働時間の推移についての考察

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:

(i) 1990年代から自己啓発市場が拡大した.

(ii) 自己啓発労働による自己実現)のための読書(=「情報摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.

(iii)代わりに、人文書小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者文脈」を含む)時間が減少した

(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例グラフを描く

しかし、(ii), (iii), (iv)は誤りである

<主張3-2の論証>

根拠3-2-1. 黒田山本論文

根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的根拠はない(提示されていない)

根拠3-2-1から労働者の 「自己研鑽」 = 「学習自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。

これは(ii)を否定する。

主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)

根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。

言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:

(1)自己啓発市場は拡大している

(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。

しかし、これは誤りである

<主張3-3の論証>

根拠3-3-1 牧野論文.

根拠3-3-2. データ: 日本出版市場推定発行金額

根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。

これは(1)の根拠としている。これ自体問題はない。

しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場小説市場よりはるかに小さいということを意味する。

これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。

以上から、これは誤りである

<論証おわり>

--------------------

[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]

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🧠 2. 飯田批判の怪しい箇所

以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。

飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別本質的か?

主張2-4の背後には「書籍雑誌分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。

三宅本の「読書から雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。

・「書籍」と「雑誌」の違いを整理しておく。

といっても自分出版業界人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。

(間違ったこと言ってたらごめんなさい)

書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。

ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである

これは、1985年ユネスコ出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。

("図書新聞及び定期刊行物出版及び配布についての統計国際的標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm

より実際的な取り扱いは, "既存雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/

によれば、

そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。

一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります

ということらしい。(しかし、これはあくまコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)

書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。

日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコード雑誌コードを持っている。

その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである

("「雑誌」の定義出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/

ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠雑誌コードが付いているかどうかだったりである

コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。

さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリシリーズ書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍である

一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。

このように「書籍」と「雑誌」の区分そもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。

この区分はかなり表面的、形式的ものであると見るべきだろう。

・以上を踏まえて、飯田批判、つまり書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したこと妥当性ついて吟味してみよう。

飯田批判とはなんだったのか。

それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である

そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、

特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているかである

ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。

飯田はその直前に「「書籍読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。

ともかく、飯田批判妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。

三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書小説などのような(「ノイズ」や「他者文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。

したがって「読書離れ」は「人文書小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである

転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。

要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル文芸歴史書哲学書・理工書・サブカルゴシップファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである

もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションゴシップ支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通におけるPermalink | 記事への反応(0) | 20:21

26女 23を振り返って

明らかに思考に変化が出ているかメモしようと思う

他人の話を積極的に聞くようになった

23の私は、いわゆる自己啓発本を読んだり

〇〇な人はこれを見て!みたいな動画を見たり

上司社長の苦労話を自分から聞きに行ったりすることを

自分で考えることを辞めた人間のする事だと思ってた

自分自分のことを言語化できない、他人任せの人間がすることだ!と思ってた

最近メンタリストダイゴ動画を見てる

自体は3割くらいしか聞いてないけど、割と腑に落ちたりするからうまいなとおもう

マネジメント系の本も読むようになった

人の話を聞く余裕が出てきたのかもしれない


ご飯が美味しい

ずーーーーっとダイエットをしていた

自分の中にある自分ベスト体重があって、それを超えても減っても調節し続けていた

ご飯は固定メニュー、酒は飲む、酒ぶん運動する、減りすぎれば筋トレに変える、タンパク質を増やす

常に身長-110前後

入らない服なんてなかったし、気取った格好も難なく選べた

栄養素でご飯を選んでた気がする

25くらいでベスト体重から+3kgになった時期があった

発狂したけど、見た目が言うほど変わらなくて

顔のやつれが治った。顔色も良くなった

ノーファンデでいいくらい治ったし良くなった

そこからこだわりが消えた

最近お菓子が美味しい

甘いものなんて言語道断と思ってたけど

当たり前にヨックモックがおいしい

2025-12-14

「なぜはた」のnoteバトルを読んで



https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。 書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。 飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。 しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

2025-11-30

anond:20251130110211

ぶっちゃけ何言ってるか分からなかったんだけど・・・

7時~8時に通勤電車に乗るのって、

7時に起きて8時に仕事って、メチャクチャ勿体ない

えっ7時に起きて7時に通勤電車に乗るの不可能じゃない?駅で寝てるの・・・?7時に起きて8時に通勤電車に乗って8時に仕事不可能じゃない?電車で働いてるの・・???

つーか、大抵の会社って業務開始9時で、電車が混むのは8~9時じゃない?働いたことないのかな・・・

朝を10時にすれば、今までやってきた、7時に起きることが超早起きになる

「する」って??「朝」の認識を変えろと言うこと・・・??

朝を7時と思っている間

まり、実際は7時だけど10時だと思えと言うこと・・・?????

たった少し認識を変えることで、あなた人生パフォーマンス

一気に変わります。まず、3日でいいので、朝を10時だと思ってみてください。

「なんかよくわからない長文垂れ流してるけど中身のない2010年代自己啓発本」のパロディ・・・????なんでこんなにバズってんの???

2025-11-27

読書というのは、時間がかかるものだと思ってないか。月に1冊、年に12冊。それが当たり前だと思ってないか。違うんだよ。全然違う。

俺も、そうだった。毎月1冊、年に12冊。それが限界だと思ってた。時間がない、疲れてる、どの本を読んだらいいかからない。そんな理由をつけて、読書から遠ざかってた。だけど、ある時気付いたんだ。「あ、俺、本当は本が好きなんだ」ってことに。それが全てを変えた。

最初にやったことは、「完読の呪い」を解くことだ。俺たちは「本を読む」ということに対して「最後まで読み切らなければならない」という呪いをかけてる。つまらない本でも、最後まで読まなきゃいけない。そう思ってる。違うんだよ。本というのは、つまらなかったら、途中で止めてもいい。実は、これが読書量を飛躍的に増やす最初ステップだ。なぜなら、つまらない本に時間を費やさなくなるから。その時間を、面白い本に使えるようになるからだ。

次にやったことは、「多読する本」と「精読する本」を分けることだ。全ての本を丁寧に読む必要はない。速く読める本もあれば、じっくり読むべき本もある。その違いを認識することが大事なんだ。たとえば、エンタメ小説とか自己啓発本とか、そういう本は速く読んでいい。ただし、詩集とか古典とか、そういう本はじっくり読まなきゃいけない。その本の性質に応じて、読み方を変える。そうすると、月の読書量は劇的に増える。

そして、これが最も重要だ。「スマホ時間読書時間に変える」ことだ。お前は毎日、どのくらいスマホを触ってる。3時間?5時間10時間?その時間の一部を読書に充てるんだ。通勤時間に本を読む。トイレ時間に本を読む。食事時間に本を読む。寝る前に本を読む。その時間をかき集めると、毎日1時間、2時間読書時間が作られるんだ。1日2時間読書すれば、月に60時間。年に720時間だ。これは、月に10冊、年に100冊を確実に読める時間だ。

それからな。「図書館を最大限に活用する」ことだ。本を全部買う必要はない。図書館で借りれば、無料だ。そして、「つまらなかったら返却する」ことも容易だ。これが読書ハードルを物凄く下げるんだ。なぜなら、「買ったか最後まで読まなきゃ」という心理が消えるからだ。図書館で借りた本なら、途中で止めても罪悪感がない。その自由さが、読書量を増やすんだ。

次は、「本の選び方を工夫する」ことだ。本屋に行って、ランキングのやつだけ買う。それじゃ駄目だ。自分がどんな本が好きなのか。自分がどんなジャンルに興味があるのか。それを知ることが大事だ。そして、その興味に従って本を選ぶんだ。つまらない本に時間を費やさなくなるから読書量は増える。さらに、「本の紹介記事」とか「読書ブログ」とか、そういったものを参考にして、本を選ぶのも良い。他の人が「面白い」と言ってる本は、確率として面白い可能性が高いんだ。

そして、これも大事だ。「速読する技術を身につける」ことだ。俺たちは、学校で「ゆっくり、丁寧に読むこと」を教わった。だけど、全ての本がそう読む必要があるわけじゃない。たとえば、エンタメ小説なら、ストーリーを追うだけでいい。細かい表現に拘る必要はない。そうすると、読むスピードは上がるんだ。実は、「速く読む」ことができると、読書量は3倍、4倍に増える。

ここからが本当に大事だ。「読書記録をつける」ことだ。月に何冊読んだか。年に何冊読んだか。それを記録するんだ。すると、面白いことが起きる。「あ、今月10冊読んだ。来月は12冊読もう」とか、「去年は50冊だった。今年は100冊目指そう」とか、そういう目標が生まれるんだ。その目標が、読書量を増やすモチベーションになるんだ。

そして、「本の感想を誰かと共有する」ことも重要だ。友達と本について話す。SNS感想を書く。読書会に参加する。そういった行為が、読書の喜びを倍増させるんだ。また、他の人の感想を読むことで、「あ、その本、読んでみたい」とか、「その本は読まなくていいな」とか、そういう判断ができるようになるんだ。

ここで大事な気付きがある。「読書スポーツのように考えてはいけない」ということだ。「月に何冊読む」「年に何冊読む」というのは、目標ではあるが、それ自体目的ではない。大事なのは、その本から何かを得ること。その本で感動すること。その本で学ぶこと。それが、読書本質なんだ。だから、「とにかく速く読む」「とにかく多く読む」というのは、読書本質から遠ざかってる。大事なのは「どの本を読むか」「その本から何を得るか」ということなんだ。

から、俺が実行したことをまとめると、「つまらない本は途中で止める」「多読と精読を分ける」「スマホ時間読書に変える」「図書館活用する」「自分の興味に従って本を選ぶ」「速読技術を身につける」「読書記録をつける」「感想を共有する」。これら全てが、相乗効果を生み出すんだ。

1年間、これを実行したら、俺の読書本数は月に10冊、年に120冊を越えた。3桁だ。最初の月は5冊。2ヶ月目は8冊。3ヶ月目は10冊。そして、4ヶ月目以降は毎月10冊以上を読むようになった。最高で月に15冊読んだ月もある。

だけど、大事なのは「冊数」じゃない。那些本から何を得たか。その本で人生が変わったか。そういうことなんだ。実は、100冊読む中で、本当に「人生が変わった」と言える本は、5冊か10冊くらいなもんだ。でも、その5冊、10冊に出会うためには、100冊読む必要があるんだ。つまり、「量をこなすことで、質に出会う」という逆説的なことが起きるんだ。

から、覚えておけ。読書というのは、時間がかかるものじゃない。工夫次第で、誰もが年に100冊以上読むことができるんだ。スマホ時間読書に変える。つまらない本は止める。自分の興味に従う。図書館活用する。この4つだけでも、読書量は倍増するんだ。

そして、最後に。読書というのは、孤独行為じゃない。本を通じて、過去の著者と対話することだ。本を通じて、今の読者と対話することだ。その対話の中で、人間は成長するんだ。だから、「たくさん本を読む」というのは、「たくさんの人と対話する」ということなんだ。その対話を増やすことで、お前の人生は、もっとかになるんだ。

それが、俺が1年間で3桁の読書本数に到達した、本当の理由だ。

2025-11-17

自己啓発本かいろいろあるけど

ベゾスとかゲイツみたいな1%の大富豪になっても今起こってる虐殺戦争をやめさせる程度の影響力すら多分持てないわけじゃん

そうなるとさあ、金持ちになるための成長とか自己実現とか虚しくなんない?

別になんないって?

そう⋯

2025-10-27

陰謀論

1. 「X(旧Twitter)は思想植民地政策説」 → 140文字という制限が、思想浅薄化させ、特定価値観強要する手段になっている可能性。

2. 「140文字大衆IQの低下に歯止めがかからない説」 → 短文での情報伝達が思考の短絡化を助長し、議論が深まらないまま炎上する現象の要因。

3. 「知的Kindle本は売れない。割に合わない説」 → 一般読者の知的好奇心よりも、エンタメ簡単自己啓発本のほうが売れる現実

4. 「日本知的エリート無能しかいない。彼らが大衆を説得することを諦め、傲慢になり大衆と変わらない存在になった説」 → 知識人層が本来つべき「啓蒙する能力」を放棄し、自己満足に陥っている可能性。

5. 「平均的な有権者無知なため、格差社会が広がっている説」 → 情報を適切に処理できない有権者が、富裕層に都合の良い政策を支持してしま悪循環

6. 「平均的な有権者金魚説」 → 短期的な刺激に反応するだけで、長期的な視野を持たず、選挙のたびに忘れてしまう。

2025-10-05

読んでいる小説を言ったら がっかりされた

休憩時間はいつも本を読んでいる。

このまえ、若造が「増田さん、いつも本読んでますよね。どんな本を読んでいるんですか」って聞いてきた。

それでいくつか差し障りのなさそうな作品を挙げたんだ。

「へー、小説なんですね。自己啓発本みたいなのは読まないんですか」

って、ちょっとがっかりされたよ。


もう、本で啓発されちゃうようなピュアな心は、どこかに置いてきてしまったのだよ。

2025-09-23

30歳過ぎたけど全然結婚したいとも恋人欲しいとも思ったことない 彼氏できたこともない、浮気相手になってたことくらいしか恋愛経験がない

処女だけどそれにコンプレックス感じることもあんまりない、皆無とは言わないけど

ミリでも妊娠可能性が生じるのが嫌すぎる ゴムだって避妊100%じゃないらしいし

結婚したいと思える人なら妊娠も良いかなと思うけど、結婚するかどうかも分かんない人とセックスすることをリスクだとしか思えないし、でも性行為を拒絶するって相手からしたらいい気持ちにならないだろうし

その辺の意見のすり合わせも想像するだけでめんどくさいか彼氏かいいや、と思う 根本的に自己中心的子供なんだろうね自分

30過ぎて経験ないやつはおかしい、みたいな言説をツイッターで見かけたけど、まあ正しいだろうな 自分おかしいし欠けてると思う

他人と何かを共有する努力ができないし、分かり合うための譲り合いとか、そういうのもしたいと思わない そういうところが幼くて碌な大人じゃない

でもこれが私の価値観から、人に「おかしい」って言われるくらいじゃ変わんないんだよな

とはいえ恋愛に対するモチベーションはないが人間としての成長を捨てたいわけではないので、最近自己啓発本とか読み始めた

最近目標人にやさしくなることです

2025-09-22

日本スタートアップ社長がだいたい終わってるワケ

経験上、SNS活用しているスタートアップ代表さんはだいたい終わってます

言ってることが薄っぺらい、口八丁、小さいサークルで仲良しこよし、信者集めて持ち上げて…

だとかその辺はどうでもよく別に問題だとも思いません。じゃあなんで終わってると思うのか?それはですね

私みたいなどうしようもない裏垢女子に絡んでくるからですね。

表では頑張ってますアピールと共に誰にでもあてはまりそうな自己啓発本投稿を繰り返し、裏では「今日会えますか?」みたいな女子達に下卑たメッセージを送る。こんなんばっかだからです。本垢メッセージ送ってくる危機管理ガバガバな人もいますし、裏垢専用に別垢作って絡んでくる人も口調同じ、ちょっと尻尾振ったら聞いてもいない情報ペラペラ喋って自ら身バレしていく人がとっても多い。

もう笑っちゃうんだよね。「ここまで来れたのは皆さんのおかげです!!」とか言いながら、裏で「狂ったように行為に没頭できる相手が欲しかったんです笑」とか言ってるのさ。

そういうのとは無縁な、マトモなスタートアップ代表さんもいるように見えるけど、「マトモじゃない」人とSNSで絡んでるの見ると、あーこのひとも結局そうなのかな?と思うし、そうじゃないなら「関わる人間の見極めもできてないんだこのひと」とも思うので、結局だいたい終わってると感じるよね。

周りの人、もっと疑った方がいいよー?

後々、変な繋がりのせいで足引っ張られるの嫌でしょ?

じゃあね。

ちなみに私を裏切った人は会社大きくなってから楽しみにしておいてね。

2025-09-08

氷河期世代が令和を生き抜く方法

氷河期世代として社会に出てからずっと、人生しんどいものだとばかり思っていた。

頑張っても報われない、無理をすればするほど体も心もすり減る。

だけど最近になって、そのつらさの大部分を和らげる方法を見つけた。

大げさに聞こえるかもしれないけど、誰にでも試せることだからシェアしてみる。

二十代のころは、体力に任せて仕事を押し切っていた。

でも三十代半ばになるとそうはいかなくなり、無気力イライラ集中力の欠如に悩まされた。

典型的に出ていたのはこんな症状だ。

• 朝起きられない

• 眠っても疲れが取れない

• 集中できず、気分が沈む

無駄に怒りっぽい

人間関係に疲れやす

• 昼食後は頭が働かなくなる

運動するとすぐに膝や腰を痛める

休日はだらだらして終わる

こういう状態だと、どんなに努力しても成果は出ない。

自己啓発本メンタル本も試したけど、結局は一時的な気休めにしかならなかった。

じゃあ何を変えるべきか。答えはシンプルで、食生活」「運動」「規則正しい生活だった。

食生活はまず炭水化物砂糖を減らした。

白米や菓子パンを控えて、玄米野菜、肉や魚、卵を中心に。

ナッツを常備して、空腹のタイミングを作らないようにした。

これだけで午後のだるさが激減した。

運動ランニングから始めた。

無理に長距離じゃなくて、最初20分歩くだけ。

続けていくと体力が戻り、気分も安定する。

運動を習慣にすると、不思議イライラ不安に振り回されなくなる。

生活リズム大事だ。

夜ふかしをやめて、朝は同じ時間に起きる。

午前中に集中タスクを片付け、午後は調整や打ち合わせに回す。

19時半には帰宅して、翌日の段取りを整えて一日を終える。

このサイクルに変えてから無駄時間を浪費して自己嫌悪に陥ることがなくなった。

効果はすぐに出た。

集中力が戻り、仕事での小さな成果が積み重なって自信になった。

運動で体調が安定し、趣味人間関係も楽しめるようになった。

以前はただ「つらい」としか思えなかった日常が、令和の今は意外と充実してきている。

氷河期世代が令和を生き抜く方法は難しくない。

食生活を整える

運動を習慣にする

規則正しい生活を守る

この三つを軸にするだけで、心も体も立て直せる。

経済的不安は消えないけど、安定したコンディションがあれば、毎日を戦えるし、小さな幸せを感じられる。

氷河期世代からこそ、この地味なやり方が一番の武器になるはずだ。

2025-09-07

会社の「意識高い系」後輩女子が実は可愛すぎた件


うちの部署に配属された新人の後輩女子がいる。22歳、名前田中仮名)。

第一印象は「うわ、めんどくさそうな子来たな」だった。

朝一でプロテイン飲んでる。昼休みにはサラダしか食べない。デスクには自己啓発本が3冊積まれてて、休憩時間にはKindleで読んでる。会話の端々に「アップデート」「アジャイル」「エンパワーメント」みたいな横文字が出てくる。

完全に意識高い系しか新卒で入ったばっかりの癖に。

最初は正直、距離を置いていた。こういう子って、すぐに「先輩、もっと効率的なやり方があると思うんですが」とか言ってきそうじゃん?実際、1週間目にして「このExcelシート、もう少しマクロ組んだらもっと楽になりませんか?」って提案してきた時は、心の中で「はいはい、出た出た」って思った。

でも、その提案が的確すぎて。

私が手作業で2時間かけてやってた集計作業が、彼女マクロで15分で終わるようになった。しかも、ミスもなくなった。

田中すごいじゃん」って褒めたら、「いえいえ、まだまだです!もっと勉強しないと!」って言いながら、めっちゃ嬉しそうにニコニコしてる。

あ、この子別に上から目線で言ってたんじゃないんだ。

それからよく観察するようになった。

朝のプロテインは、実は朝食を取る時間がないから。一人暮らしで、朝は6時半に起きて、電車で1時間半かけて通勤してる。だから朝食代わりにプロテインを飲んでるだけだった。

昼のサラダも、お金がないからじゃなくて、単純に野菜が好きだから。「コンビニサラダって、どれも美味しいんですよね!毎日違うの試してるんです!」って楽しそうに話してる。

自己啓発本も、「将来起業したくて」とか「キャリアアップのため」じゃなくて、「本を読んでる時が一番集中できるんです。通勤時間が長いので、有効活用したくて」という理由だった。

そして横文字も、別にカッコつけてるわけじゃなく、前の大学でそういう授業を受けてたから、自然と口に出るだけだった。

気づいたら、私の方が田中の話を聞くのが楽しみになってた。

「先輩、今度新しいカフェオープンするらしいです!一緒に行きませんか?」

田中、君はいつもエネルギッシュだねぇ」

「先輩こそ、いつも優しく教えてくださってありがとうございます!」

こんな会話を交わしているうちに、ふと気づいた。

田中の「意識高い系」行動の全てが、別にかに見せつけるためじゃなく、彼女なりに一生懸命生きてる結果だったんだ。

そして、その一生懸命さが、なんだかとても愛おしく見えてきた。

「先輩、このプロジェクト、一緒にやりませんか?」

「いいよ」

「やったー!頑張ります!」

満面の笑顔ガッツポーズする田中を見ていると、私まで嬉しくなってくる。

最近、定時後に一緒にカフェに行くことが増えた。田中はいつも、今日あったことや、読んだ本の話や、将来の夢について熱心に話してくれる。

「先輩って、すごく聞き上手ですよね。話してると、なんだかすっきりするんです」

「そう?」

はい!だから、先輩と話すの、すごく楽しいです」

こんなピュアに言われると、こっちまで照れちゃう

この前、田中風邪で休んだ時、なんだかオフィスがすごく静かに感じた。田中のいない職場って、こんなにも物足りないものなのか。

田中、体調どう?」ってLINEしたら、すぐに返事が来た。

「ご心配おかけしてすみません明日には復活予定です!先輩に迷惑かけないよう、しっかり治します!」

こんな時でも、一生懸命で、健気で。

私、この子のこと、いつから可愛い」って思うようになったんだろう。

最初は「意識高い系のめんどくさい後輩」だったはずなのに、今では「一生懸命可愛い後輩」になってる。

でも、これって、単純に「後輩として可愛い」ってことだよね?

そうだよね?

2025-08-24

anond:20250824025412

君に必要なのは自己啓発本ではなくて哲学本だね。哲学を学びなさい。道はそこから開ける。

2025-08-05

anond:20250804162411

この手のタイプの本を読んでいた元女児だけど別に素敵なレディになりたいな🩷私も今日から早速チャレンジちゃお🎶とかじゃなくて素敵なレディっつうもんは大変だな〜と思ってた

今でも意味もなくサラリーマン向け自己啓発本とか読むの好き

当然しごできなOLでもなければ素敵なレディでもない

男児向け生き様マナー、立ち振る舞い)の本があったら即効で読むと思う

この手のやつって他人生き方メンタルを覗けるみたいで楽しいんだよな

2025-07-22

「うんち」と「肥やし」の違い

みたいな項目があったら自己啓発本は破り捨てることにしてる。

うんちと肥やしに違いはねーよ。

うんちは肥やし。

肥やしはうんち。

同じだよどこまでも。

お前に都合がいい切り分けをする気しかない宣言やめろ。

読み返して「あれ、俺って自分を騙してない?」って気づかねえのかね?

それとも「ぐべぼべへへへ、これでバカどもはみんな騙されんだーでゲームセットやんすー」って感じか?

まあ、バカバカ向けに書いてバカが売ってバカが買うというサイクルなんだろうな。

2025-07-04

anond:20250704140145

文化資本のない一般庶民経済的余裕を手に入れた段階ということなんよね

まずは豊かさを楽しむ。んでもうちょっとする周りを気にする余裕が出てきてとマナー啓蒙するようになる

自己啓発本なんかがよく売れる

中国国家主導でやってるけどね

2025-06-26

ChatGPTにパーソナリティと口調を指示して、こういうときどうする?みたいな質問したんだけど、指示した設定よりも原則として行うようになってるっぽい処理を優先するから不思議な質感になる

感じ悪いパーソナリティになることを求めると、文化祭の準備期間に手伝いも帰りもせずに教室の隅にいたお前らっぽい半端な態度が再現されてすごい

自己啓発本みたいなこと言い始めるのもじわじわくる

あと、こっちに質問してくるのは不思議だった

お前の話なのにこっちに聞いてくるな

質問に答えることと質問することはコミュニケーション必要からAIがそれを避けられない限り、ChatGPTとの対話で得られるものって少ないのかも

2025-06-24

anond:20250624150553

はぁ……今日もまた、ディスプレイの光が目に染みる。残業時間は優に100時間を超え、手取り雀の涙。これが、俺が夢見た「ITエンジニア」の現実かよ。コンピュータサイエンス?そんなもん、大学経済学部を選んだ時点で縁遠い話だったな。

「未経験からエンジニアになれる!」なんて甘い言葉に釣られて、3ヶ月のプログラミングスクール卒業したのが運の尽きだった。卒業と同時に紹介されたSES企業社長ニコニコしながら「うちで経験積めば、すぐフリーランスで月100万も夢じゃない!」なんて言ってたっけ。あの時の俺は、純粋にそれを信じてた。バカみたいだろ?

客先常駐初日自己紹介もそこそこに、「はい、これ今日中に終わらせてね」って渡されたのは、見たこともない言語フレームワークで書かれたスパゲッティコードの改修依頼。隣の席の先輩は、俺の質問にも生返事。「自分で調べろ」って一言。いや、調べても分かんねーから聞いてんだろ!って言いたかったけど、言えるわけない。だって俺、未経験文系エンジニアだもん。

欧米エンジニアは云々、とかいう話、Xでよく見るよな。彼らは高給取りで、会社の中心で、最新技術リードしてるって?そりゃあ、コンピュータサイエンスを専門に学んだエリート様方の話だろ。俺みたいな底辺SEとは住む世界が違う。日本じゃ、未経験文系は「安くて文句言わない都合の良い労働力」でしかないんだよ。会社は俺たちみたいな駒を大量に仕入れて、客先に高値で売りつける。そして、俺たちに支払われるのは、最低限の生活費と、たまのボーナスと称した寸志だけ。

もっと勉強しろ」って?分かってるよ、そんなこと。でも、毎日毎日、クソみたいなバグと格闘して、終電を逃し、休日も疲れて眠るだけの生活で、いつ勉強する時間があるんだよ。自己啓発本かには「朝活しろ」とか書いてるけど、朝活する体力も精神力も、もう残ってねーんだよ。

この前なんて、客先のプロパーエンジニアに「君さ、本当にエンジニアなの?もっと勉強しないとダメだよ」って言われた。ぐうの音も出なかったぜ。だって、そのプロパーエンジニア様は、俺が徹夜で直したバグを、数時間デバッグしてたからな。

ちくしょう、本当に悔しい。いつか、俺もあいつらみたいに、胸を張って「エンジニア」って言える日が来るんだろうか。いや、来ないんだろうな。俺は、今日明日も、たぶんこれからもずっと、SES歯車として、使い潰されるだけなんだろう。

せめて、この疲労困憊の体で、あと何年耐えられるかな。もしかしたら、明日にでも「向いてない」って言って会社辞めるかもしれない。そしたら、また次の「未経験」が俺の席に座って、同じ地獄を味わうんだろうな。日本IT業界、本当にこれでいいのかよ。

2025-06-12

弱い男の自分語り

非モテ男性です。一昔前で言うところの。

そして、その為の努力もしていない俺は、おそらくその中でも下位に属するのでしょう。

弱者男性」という言葉流行り出してから、もう一年経ったのでしょうか。今日もXのおすすめ欄は手垢のついた男女対立煽り二次元イラスト提供し続けてくれています

俺はボタンを押せば餌がもらえると信じている猿のようにTLを更新し続けます。タチの悪いことに、餌は途切れる心配もありません。こういうのを「感情をハックされる」と言うらしいです。Xに書いてありました。

夜遅くに帰る時、飲み屋街の近くで、よく男と女の連れを目にします。手は大体恋人繋ぎか腰にやっているか

俺はそれを見て、言い表しようもない悔しさ、焦燥感に駆られます

その度に、頭の中で、必死自分がこうでない理由をこねくり回すのです。

まりにも繰り返したせいで、自分モテない理由を考えることが得意になりました。

俺は怠け者だから。一人が好きだから。出不精だから。男の友達はいから。本気を出せば。そのうちいつか。

高校も、卒業して入った職場も男社会で、およそ女性との喋り方など知りません。ましてや肌の色など。

男の価値は即ち女と金なのだと言います

そうなのでしょう。男性向けの自己啓発本は、全てこの二つを如何に手に入れるかという話題に終始しているように思います

いや、それ以前に、XとYの染色体を持って生まれた以上、本能的に女を手にしたいと思うのです。

一生懸命考えた言い訳の数々は、一人で寝転がる狭いワンルームの中でしか通用しません。職場の先輩は、食事や見た目に気を遣って女の子を取っ替え引っ替えしています。まず見た目に無頓着な俺が女性の気を引ける訳がない。

そんなことは分かっている。それでも、モテるために努力できないのは、ただ俺が怠惰から。それは、いつか怠惰でなくなる日が来たら、俺だって彼女の一人くらい作れるんだぞというみっともない保身と妄想言い訳かき揚げ。猫も食わないでしょう。

インスタのストーリーに上がっている、同期がかわいい彼女とディズニー満喫している画像を見て、やりどころのない不満を覚えます。それが悔しさなのか、怒りなのか、焦りなのか、よくわかりません。

遊園地の類など、決して好きではないはずなのに。

コミュニケーションが苦手。とかく趣味がないので、会話デッキが成立しないのです。まさか休みの日はだらだらXを見て、時々ニコ動を見つつシコって寝るだけなどとは言えません。旅行が好きですが、鉄道趣味が高じて常人には引かれるルートばかり。これもデッキには入りません。

そのくせ出不精。家でゴロゴロしてる時間けが唯一人生でじんわりとした幸福感を味わわせてくれます

だって、夏は浴衣彼女花火を見にデートしていみたい。秋は温泉旅行に。冬は一つのこたつにでも入ってのんびり。春になったら花見にでも。

全部ソシャゲが叶えてくれました。あるいはその同人誌。もとより手に入らないものなので、安く手に入る代替品で十分酔えるのです。

弱者男性というのは、本来自分の様な人には用いるべきではないのでしょう。世の中には、自分より明確に「弱者である人がいるのだから

匿名ダイアリーを読んでいると、つくづく自分環境は恵まれているのだなと感じます。少なくも衣食住に困ったことはありませんし、精神疾患も患っていません(おそらく)。

俺は、きっと弱者男性ですらない、ただ弱い男。

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