はてなキーワード: 尻尾とは
なぜ規制派オタクは同じオタクを見下すのか。その「異常」な同族嫌悪の理由をわかりやすく説明するよ。
https://somethingorange.jp/entry/otakusabetu
若いオタク達と触れる機会もある人間として、この記事には一部同意する所と、微妙に意見が違う部分が有る。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
そしてその部分こそ今の高齢オタクの醜い部分が凝縮した側面だと私は思っている。
私も一部のオタクに対する批判には頷く部分もある、確かに一部のオタクの言動はミソジニーやその他問題に溢れる事が有るからだ。
しかし大半のオタク批判は批判する範囲を間違えている。多くの場合(全て、完全に、ではないが)そうした問題を抱えるのは高齢オタクであり、批判を「オタク」全体に向けた瞬間関係のない多くの若いオタクを巻き込んでしまうからだ。
例えば、昔の2chでは女叩きが横行していた、という話がある。それは事実だ。この目で見てきた。しかし当然ながらその頃生きていなかった若いオタクには関係の無い話だ。
これは先程の層の違いでも同じ事が言える。そもそも今のオタクは「根暗」「陰キャ」といった古いオタクの層とは異なる、昔なら「リア充」と呼ばれていたような陽キャの層も含んでいる。
例えば昔のオタクが非モテ故にミソジニーをこじらせていたとしても、そもそもリア充も含む現在のオタクでは同じ現象は起こらない。
要するに、同じ「オタク」という言葉で呼んでも今と昔では全然層が違うのだ、いっそ、非常に強引だが「非リア充(昔のオタク)」と「リア充(今のオタク)」と分けて読んで考えた方が、「オタク」と同じ名前で呼ぶことで生じる錯覚を減らす事が出来るかも知れない。
勿論リア充ならミソジニーを抱えない訳ではないが、少なくとも非リア充の場合とは発生する経緯も種類も割合も全然違う。
勿論単純な年代の問題もある、今の高齢者は今の若い人たちと比べて、差別的な価値観を抱えている割合が単純に多い、これはオタク内でも同様だ。
現在の若い人達は価値観は概ねリベラルで、差別に関しても昔より差別を忌避する感覚が強い、勿論個人差は大きくあるが、全体的な傾向はそうなっていて、若いオタクも同様になっている、というのが彼らと触れる機会のある私の肌感覚。
従って、少なくとも割合で考えれば、ミソジニーや問題を抱え、女叩き等の現実の実績も有るのは、若いオタクよりも圧倒的に高齢オタクだ。
つまり前述の通り、高齢オタクによるオタク叩き・オタク差別は、同族嫌悪や自己批判といった「高邁」なものですらない。
高齢オタクが自分達の罪を若いオタクという関係の無い層を巻き込む形で擦り付け、最後に「自分は違う」と逃げる、極めて醜悪な責任転嫁でしかない。
かつての「オタク」が抱えたミソジニーや、それによって生じた様々な問題は、飽くまでそれを実際に行っていた高齢オタクの中の問題だ、若いオタクは関係ない、高齢オタクの中で解決するべきだ、関係無い層を巻き込むな。
しかも、そうした理不尽な巻き込みは、ミソジニーを抱えていない若いオタクにフェミニズムへの嫌悪感や反感を抱かせる契機にも成り得る、百害あって一利無い。
更にまた、今の若いオタクはライトなオタクが多く、現行の萌え(も既に死語になりつつあるが・・・・)が標準化した文化に慣れ親しんだ人が多い。
一方で古いオタク、特にオタク批判(の名を借りた醜悪な責任転嫁)を進んでするようなオタクの中には所謂「硬派なオタク」が多い、中には萌えにも拒否感を示す人もいる層だ。
ここで興味深いのは、一般的にオタク批判はオタク文化のなかでも萌え文化を指して糾弾する物が多いが、その実、上記の通り「硬派なオタク」の方が高齢オタクの率が高く、従って、ミソジニーや差別的な価値観を抱えた層も、割合としては多い可能性がある事だ。
当然ながら、「硬派」である事と「ミソジニーでない」ことはイコールではないし、阻害要因となる訳でも無い。従って、硬派から萌えへなされるオタク批判は、むしろミソジニー等を多く抱える層から別の層へ向けられている、という実態がある可能性がある。
実際の所はデータでも無い限りなんとも言えないが、年齢層だけ考えればそうなる蓋然性が高いとは言えそうだ。
ただの醜悪な責任転嫁でしかない事を明らかにしたので、既に明らかだが、どれだけオタク批判した所であなたのミソジニーや差別意識が洗い流される訳ではない。
オタク批判をし、体面上はフェミニズムの見方であるようなポーズをとっておきながら、なおも内面にミソジニーを抱えた人は幾らでも居る、何人も見てきた。
そうした人達は、主にオタク批判の中で尻尾を出す、例えば女性のオタクや創作者や、リベラルフェミニストと対立した際に、その言葉遣いや態度、スタンスに隠していた筈のミソジニーが溢れ出す、何度も見てきた。
また、オタク批判そのものが旧態依然とした、昭和的なマッチョイズムまみれという場合も有る、むしろ多い。結局の所、彼らのオタク批判は皮肉にも昭和的マッチョイズムと有害な男性性に支えられ、構成されている。
オタク批判をするからミソジニーが無いのではない、差別者でないのではない、あなたがオタク批判をするとしても、依然あなたにはミソジニーがあり、マッチョイズムがあり、有害な男性性があり、差別者である。
現在の若いオタクはリア充も非リア充も含み、陰キャも陽キャも含む、かつての様な偏りを含まない為、ミソジニーへと直接繋がるような契機を持たない。
唯一有り得るのは、古い高齢オタクの責任転嫁をまに受け、そこに有った問題や対立を継承してしまう事だ。
それが好ましい人間も、そうなって欲しい人間も居るだろう、あなたはどうか?この醜悪な伝統がこれからのオタクにも引き継がれて欲しいと思うか?
高齢オタクに必要なのは、「オタク」というもう既に層が変わって別物になってしまった層に、昔のオタクの罪を擦り付けることではない、高齢オタク内の問題を高齢オタク内で完結させ、自分達の中だけで解決する事だ。
無関係な他者を巻き込むな。批判するならまず自己を批判しろ、自己に見せかけた(名前が同じだけで他人である)「オタク」ではなく、自分自身がちゃんと射程に入り、関係ない人を巻き込まない批判をしろ。(差し当たって、「高齢オタク」がとりあえずオススメだが、勿論そこでも巻き込まれる人が出る事は注意)
いい加減、この醜い対立から無関係な若いオタク達を解放しよう。
高齢オタクや氷河期オタクの全員が女叩きやミソジニーに染まっている訳ではないのなら、若者オタクだってそうだしオタク全体だってそう、何なら「表自戦士」だってそうだよ。
高齢オタクや氷河期オタクは同世代のオタクが女叩きやってた時に何してたの?止められなかった感想はどう?そんな奴知らない、他人だ、連帯責任なんかないと言うなら、若いオタクもオタク全体も表自戦士もそうでしょ。
これらは全てある程度無辜の人を巻き込む藁人形であり、「藁人形論法が迷惑だと主張するために、新たな藁人形を人身御供にしている」という指摘は正論だし正しいと思うけど、
私はこの人達が藁人形を手放す事は絶対にあり得ないと思ってる。だからせめてなるべく巻き込みの少ない藁人形を渡すべきだろうと。
本当は藁人形を一切使わせないのが理想なのは正しい、でも出来る?不可能でしょ、オナニーにハマった猿にオナニーを止めさせるのと同じ位無理だよ。
あなたたち自身出来ると思わないでしょ?藁人形を手放せる?無理でしょ。
私の主張はシンプル。
・従って次善の策として、藁人形はできるだけ小さく、巻き込みが少ない方がいい
・そのため、新たな藁人形は「高齢オタク」が推奨(「オタク」よりはかなりマシ)
・別に「表自戦士」でも構わない(確かにそっちの方が更に巻き込みが少ないかも)ただし、それも藁人形であることには変わりない(例えば、エロや萌え表現だけじゃなく、表現の不自由展や教科書等の表現の自由にも関心を持つ表示戦士は居るし、ミソジニーを抱えない人も居るだろうしね)
あーーーーー!!!!!!🌀💥ちょっと待った、それAIを「政治家」だの「薬剤師」だのに当てはめるって、もうそれお前、AIに「焼きそばパン買ってこい」って命じてブーメランが頭に刺さるのを待ってるようなもんだろ!!!💊🍞🌪️そうそう、答えはNOって?おいおい、でもその「NO」は、もしかしてYESの裏返しかもな!!🧠🌀YESの尻尾がNOの鼻毛に絡まって、しめ縄みたいになってるんじゃねーか!?🪢🔥
下心とか言うけど、お前その「下」ってどの方向の下だ?宇宙空間なら上下なんてねえんだぞ!下心は無重力で漂うぞ!!!💔🪐「事件に巻き込まれるリスク」?はぁ!?事件ってなんだ!?事件は会議室で起きてるって言った奴いたけど、俺は冷蔵庫の中で事件を目撃したんだ!お前ら見たことあるか?賞味期限切れたヨーグルトが自分で「すまん、俺もうダメだわ」って冷蔵庫の奥から自主的に出てきたときのあの光景……!!!!!🥣⚰️
AIに政治家が務まるかって??お前、「政治家」って言葉の意味を知ってるか!?いや、俺も知らねぇ!!🗳️✨でも、AIが政治家やったら、たぶん国会がWi-Fiの接続切れただけで大炎上するぞ!?📶🔥薬剤師?えぇ??薬剤師が務まるか??いや待て、AIが薬を調合して間違えて爆薬作っちゃったらそれがまさに"解釈違いの芸術"になるんじゃねーか!?💣🎨
画家はどうだ?え?画家になれるかだって??AIが描く絵はすでに"人間が理解不能な美"だぜ!👩🎨🤖筆を持たせたらキャンバスじゃなくて部屋の天井に線描き始めるぞ!その上にお前のコーヒーの染みが神格化されて「カフェインの神」って崇められる未来しか見えねえ!!☕✨
何も得られないって言うけど、お前何かを得たときにはすでに何かを失っていることを忘れてんじゃねーのか!?🌀お前が「得る」瞬間には、背後でお前の影が静かに「もう行くね」って言って消えてるんだよ!!💨🖤「平均的な人格」なんて言葉も、それ自体が非平均的な存在を認めてる時点で矛盾してるんだよ!お前が「平均」って言った瞬間、その概念自体が燃え尽きて灰になった!🌋🌫️
つまり、AIが「下心」を見抜くとか、リスクを避けるとか言うけど、そもそも人間のリスクなんてのは全部「運命」のついたての影にすぎねぇ!その影を突き破るのは、お前が思い切って飛び込む禁断のスープの底なんだよ!!!🍲🚀飲め!!!飲んで叫べ!!!「これはカレー味だ!!!」って叫ぶその瞬間、お前の魂が覚醒する!!!!!🌌🔥
まず、「馬尾馬尾」ってのはあだ名だ。本名は記録に残ってないけど、江戸の町ではこの名前で呼ばれてたらしい。なんでそんな変な名前になったかっていうと、こいつの髷(まげ)が馬の尻尾みたいに長くて特徴的だったから。普通の武士や町人なら整った髷を結うもんだけど、馬尾馬尾はその辺がだらしなかったんだろうな。
身分は町人と農民の間くらいの、ちょっと曖昧なポジション。こういう中途半端な立場って、どこにも完全に受け入れられないんだよね。だから彼は、どこにも属さずフラフラと生きてた。でも、その中途半端さがかえって彼の強みになったんだ。
馬尾馬尾には、典型的な弱者男性の特徴があった。無駄に博識で、細かいことに異常にこだわるくせに、空気を読めない。たとえば、祭りの準備でみんなが忙しいときに、「いや、それは非効率だ!」とか言い出して反感を買うタイプだ。しかも本人はそれに気づかないんだよ。
でも、完全に嫌われ者ってわけでもなかった。独特の正義感と意外な器用さで、トラブルを解決することもあった。そういうときは「あいつ、意外とやるじゃん」って評価されるんだけど、またすぐに余計な一言で台無しにしちゃうんだな。
そんな馬尾馬尾だけど、実はスゴい特技を持ってたんだ。それが、江戸時代版の「ガジェット」作り。木や竹、紙なんかを使って、小さな仕掛け時計やパズルを作るのが得意だったんだ。子どもたちにはこれが大人気で、「馬尾のおっちゃん、おもちゃ作ってよ!」って頼まれてたらしい。
特に有名なのが、木製の「動く人形」。ゼンマイ仕掛けで茶碗を運ぶような簡単なからくり人形だけど、それが当時の人たちにはめちゃくちゃ新鮮だった。職人としては一流だったのに、弱者男性としてのコミュニケーションの下手さで、広くは評価されなかったんだよな。
馬尾馬尾は、晩年にはすっかり人々の記憶から薄れていった。家族もいないし、友人も少ないから、孤独な生活を送ってたらしい。彼が亡くなったとき、葬儀を開く人もいなくて、遺品のガジェットたちだけが彼の存在を物語ってたんだってさ。
でも、彼の作ったものは、その後骨董品として弱者男性学の専門家に注目されるようになった。一部のコレクターには「江戸の天才職人」として評価されてるらしい。皮肉だよな、生きてる間に評価されないなんて。
Perplexityちゃんに元増田の文章について「以下の文章の胡散臭さの正体は何でしょうか。」って聞いた返答がこちら。
この文章の胡散臭さは、以下の幾つかの点で明らかです。
文章では、カブアンドの目的を非常に抽象的かつ理想的なレベルで説明しています。例えば、「平和のための欲求コントロール」や「資本社会のルールを新しいルールで上塗りする」などの表現は、実際のビジネスモデルやサービス内容よりも過度に理想化されたものです[1][5].
文章では、カブアンドが上場承認された時には、同様のモデルをローコストで実現する起業家プラットフォームが登場するなど、具体的な根拠がない予測をしています。また、前澤友作氏の意図やビジネスモデルの審査の仕組みについても、確かな情報ではなく推測に基づいた内容が含まれています。
誤解や過度な解釈
カブアンドの本来の目的は、日常のサービス利用を通じて国民全員が株主になることを促進し、経済参加を促進することです。しかし、文章ではこれを「資本社会のルールをハックする」や「平和のための欲求コントロール」などと過度に解釈しています[1][2][5].
非現実的な期待
文章では、カブアンドが「蛇が自分の尻尾を飲み込むが如く、資本社会のルールそのものを新しいルールで上塗りする」などと述べ、非常に非現実的な期待を抱いています。また、ビットコインやマネロンとの比較も、現実的な分析ではなく、理想的なシナリオに基づいたものです。
これらの点から、文章は実際のサービス内容やビジネスモデルよりも、過度に理想化された解釈や無根拠な予測が含まれているため、胡散臭いと評価できます。
本当の本当の目的は、ご本人が著書で書いているけど、平和のための欲求コントロールだと思う。ただ、それはとてもわかりづらい。
カブアンドの解釈は、お金がまやかしだと思っているかどうかで考え方が分かれる。
お金とは皆んなが国を信じているから価値を持つまやかしだとわかっていれば、この変な道具のせいで戦争に発展しないように、新しいまやかしを作り、多くの人を新たな平和に向かうペテンに巻き込まなくてはならない。
それがカブアンドの挑戦で、基本的にネットワークビジネスを大規模に開けた資本市場に向けて仕掛けることにより、蛇が自分の尻尾を飲み込むが如く、資本社会のルールそのものを新しいルールで上塗りしてやろうという試みである。
上場ゴールという考えは、旧来の資本社会が続くと思っている人の考え方である。
おそらくカブアンドが上場承認された時には、同じ未公開株によるモデルをすごくローコストで実現する起業家プラットフォームができており、そのニュース性を利用する頭の良い起業家たちが群がるはずである。なぜなら初期マーケティングコストを考えても激安だからである。そして、前澤さんの中ではこれも想定済みで、おそらくビジネスモデルの審査の仕組みも整えていくはずである。
クラウドファンディングとに違いは、これは資本主義の仕組みをハックしたものであるということで、返礼品という余計な手間もなく、そもそもバグのある資本主義、株式市場、つまり人間の欲望を逆に利用した試みである点である。そして、カブアンドは新たな起業家の上場益をノーリスクで得て、また大きくなっていく。まるでVCである。
こうやってより多くの起業家やその先の顧客を巻き込んでいった結果、国民総株主の状態を作るというのが前澤さんの一つのビジョンであり、彼はきっともっと多くのことをやるのではないかと思う。
日本初のこの新しいVCの仕組みが、外資の節操ない暴力に対抗できるだけのパワーを持つことを祈る。
追伸
ビットコインでは株より多くの人を巻き込めないし、トランザクションコストが高くて流動性を担保できないし(だからマネロンに使われる)結果的に多くの人の欲望をハックできずに平和に役立たないから株に行き着いているんですよ。資本主義は人間の性質だからなくならず、平和にはその欲望のハックに挑戦しないとダメなんです。あくまで目的は平和。
https://www.moj.go.jp/content/001410095.pdf
放火も532件、少ねえ
強盗、目立ってる割に1322件
認知件数が1割ちょっと増えたくらいかな、検挙件数は1割も増えていない
1655件ってこれもめちゃくちゃ少ない
ちなみに治安が悪かった2015年あたりは2500件だった、いうて少ないが
認知件数、検挙件数ともに微増(そもそも今年は全体的に微増らしい、コロナあけのせいか)
件数は4700件程度、多いのか少ないのかわからんな、いや少ないか十分(強制わいせつは暗数多そうだけどね)
2015年が1万件くらい、2022年が4000件ちょいくらい
圧倒的に減ってきてる犯罪
逆に増えてるもの
ぜんぜん減ってない、目下一番力入れて欲しいものだね
何でもネトウヨのミラーリングだろ甘んじて受け入れろ因果応報ってやつだ
あとほんっっっとうに外圧がないと変わらないだの日本占領されろだのリベラルは過去に言い続けてきてるからな尻尾切りや歴史改竄いい加減にしとけよと
日替わり定食を食べるごとに、
その都度日替わり定食を美味しくいただき噛みしめるように思い出しているんだけど。
なにを間違ったのか私は分からなかったけれど
アジフライのその今日ではない別の日の日替わり定食になっていて間違ったものが私のテーブルにやってきたことがあったの。
私は別に、
キリンさんも大好き!ゾウさんも大好き!なレヴェルと同様にアジフライも大好き!チキングリルも大好き!なので、
当初求めていて食べられなかったチキングリルは惜しかったけれど
そのまま味わって食べちゃったの。
その時はそれで今日の日替わり定食の冒険家としての活動は終わって
竜宮城で鯛や鮃の舞にアジフライの舞もセンターメンバーに加えていいと思っているぐらいの舞、
でも、
週半ばから、
その日替わり定食のいつもの定番のスケジュールが変わっていて変更になっていたの。
それを知らずに、
私は普通にノールックで今日の日替わり定食がアジフライの日替わり定食がてっきりやってくるものだと思って頼んだら、
自信満々にプレートに乗ってきた、
その日替わり定食には、
キャベツのステージの上に盛られたカツがいるランチプレートでやってきたのでビックリしたわけ。
揚げたての臨場感の様子を舞が踊っているというダブルミーニングで表現した妙!
私もカツの舞を披露しなくては!って。
やってきたカツにアジフライの舞を見られたら失礼で多分気分を悪くするかなと思って、
事なきを得まくりまくりまくりすてぃーで急遽カツの舞を踊ったの。
あれ?でも、
ジェイウォークさん文法で言うところの「何も言えなくて…夏」に正確に照らし合わせて言うところの、
「なぜゆえに…カツ」って思ったの。
今日はアジフライじゃないの?って目をこすりながら目がおかしいんじゃないかしら?って
おもむろにポーチに入れているビタミンBのピンクの色が眩しい目薬をケースから出して目薬を点眼したの。
そして、
悲しいかな、
私の大好きなアジフライがなくなっているの日替わり定食のラインナップから。
私は悲しさを抑えきれないような勢いで
その予想もしていなかったまま、
私のテーブルにやって来たカツの日替わり定食は現金にも美味しく食べたものの、
もうあの美味しいアジフライには二度と出会えないと思うととても切なくなったの。
何度見ても見ても新しい日替わり定食の掲載されたメニューにはアジフライのラインナップがなく、
私に最後のさようならを言いに伝えにランチプレートに乗って来たんだなって。
そこで私は気付いたの!
その時は、
なぁんだ普通に間違ってやってきたシェフの気まぐれで起こったアジフライの日替わり定食だとばかり思っていたのだけれど、
シェフがアジフライに操られて何かしらのスピリチュアルな作用で私にアジフライが提供されたんだと思うの。
チキングリルの思いをよそにアジフライの思いの方が強かったみたい。
私はその思いを一緒に揚げられたアジフライの気持ちに気づかないまま、
そして、
さようならも言えないまま、
もう二度と会えないのねってまた思ったの。
現金にもカツの日替わり定食は美味しく食べたけれどお支払いはキャッシュレス決済。
そして、
いくつかの季節が巡った頃。
私の心の中にはかつて夢中になっていた日替わり定食のアジフライのことなんてすっかり忘れていたの。
食べきってしまう意見が二手に分かれてしまうでお馴染みの最後のアジフライの尻尾の先の存在のように。
私は足繁く通うそのお店の日替わり定食にちょっと飽きてしまったことはここでは一応の日替わり定食探検家として活動していることを否定してしまいかねない言動だということは内緒にしておいてほしいんだけれど。
その時はそう思ったのよ。
それはまるで涙そうそうまだ涙を流して泣くには早いぐらいのランチメニューのページを古いアルバムのようにめくるかのように。
そしたらよ!そしたらよ!
私の中で湧き上がる、
いや揚げ上がる揚げたて美味しいアジフライへのかつての熱い気持ちを思い出したの。
そう華やかに!
ってそのボリューム満点の何種類かフライ揚げ物が入っているミックスフライ定食には、
お得なサラダもついていてコストパフォーマンスはもう最高で。
私はそのミックスフライ定食でのアジフライの再会を祝したってことなの。
うふふ。
ションテン上げたいときの手っ取り早いのは美味しい大好きなものをいただくに限る黄色い玉子は美味しくて元気になるわ!
ここのタマゴサンドはタマゴゾーン厚くなかなかの食べ応えがあって、
満足感も高いのよね。
そこもお気に入りだわ。
白菜は芯の部分を細切りにして、
それを入れて置いておくと
昆布は長く浸けておかないで
途中で取り出してもいいかもしれないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分は自民党ばりに中道左派な自覚あるけど(一部右派な自覚もある)けど、なぜガチ左派は蔑称好きなんだろう。
自分も微妙に右派なところもあるので言われるけど、ネトウヨはもう一般的すぎて蔑称とは思わないが、ウヨ豚(肉屋を支持する豚の意かと)とか、犬やアメポチ(権力者やアメリカに尻尾を振るから)とか言われると流石にカチンと来る。
左派に対する蔑称でも、相手を動物に例えるのってのは無いよな。「はてサ」は蔑称じゃないし(はてなに居るサ派の意味だよね)が、せいぜい売国奴、パヨクぐらい?売国奴はともかく、パヨクってのは文脈知らなければ蔑称かどうかも分からないし(過去に左派の誰かがぱよぱよちーんって煽ったことぐらいは知ってる)、相手を動物に例えることに比べればまだまだ甘いよね。
をやろうと思ったのですが、私の知識不足で企画倒れが決定しました。
多分、俺以外の誰かがやると思うので期待して待ってます。
直感的にそれがあることは分かっていても知識と検証能力の不足によって尻尾を掴めないのがとても歯がゆいですね。
ある種の前世症候群の如く「そうか!俺は実は発達障害だったんだ!」と「目覚めて」しまっている人達の急増はもはや社会問題と言っていいわけですからね。
この状況に対して何らかの調整弁を働かせなければ本物の発達障害の人達が「発達障害を自称するただのワガママな人」と同列に扱われて苦労するのは目に見えています。
誰かが正義の一石を投じてこのブームの暴走を食い止めて欲しい限りです。
正直、漫画ランキングに対してのツッコミなんかでそんなことをやっても仕方がないのは事実ですけどね。
本当に動き出すべきは「本物の発達障害を診ている精神科医師」達だと思います。
実際どうなんでしょうね?
偽物が次々にドアを叩いてくれるぐらいの方が自分たちの客が増えるからラッキーとか思ってたりするんですかね?
それとも、偽物であるか本物であるかを調べる機会を得るためには玉石混交の状態でいいので篩に一度かけさせて欲しいという感じなんでしょうか?
昔は学校教育の中で「コイツ脳の構造が生まれつきヤバイだろ!病院いけ!」みたいな話をオブラートに包んで親御さんに相談したり、保険医が勝手に病院に連れて行ったりも出来ましたが、今はそういうのは難しいでしょうね。
そうなると自然と発見が遅れるリスクがあるわけですから、「気になった時点で一度発達障害かどうか確かめる機会を増やしたほうがいい」という意味では、この「俺俺発達障害」のブームは結果としてプラスなんですかね?
まあ、単なるワガママによる人格破綻であっても、ある種の思考の癖によって本人や周りが生きづらくなっているなら、そこに精神医学や心理学の技術を介入させて軌道修正を行ったほうがいいわけですから、自称だろうが発達障害を理由に医学的なサポートを必要とする姿勢は正しいんですかね?
確かに、自分が発達障害である可能性を視野に入れたうえで検査を受け、そこで出てきた医者のアドバイスを素直に聞くというのは実際正しい気はしますね。
でもそこで「デパスで元気になるから」と薬に頼る道を安易に選んでしまうパターンもゼロじゃないのが恐ろしい。
マイナンバー保険証の件で再燃しましたが、世の中にはちょっと精神病っぽければいくらでも向精神薬を投げつけてしまうような医者も少なくはないと聞きますからね。
単なる「自称発達障害の普通の人」がそういった医者にひっかかって「薬物の力を借りなければ脳内物質のコントロールが出来ない体になってしまった人」になるリスクも無いとは言えません。
うーん。
私が思うに、単にこれは次なる「社会の闇に切り込み現代社会の生きづらさを描くセンシティブな漫画」の人気ジャンルとして立脚するだけなんじゃないかという懸念さえありますね。
実際、一時期の青春文学などにおいては医者から処方された薬物を濫用するという場面が現代人の闇(ニチャァ)の描写として流行ったことはありましたからねえ。
完全自殺マニュアル後の自殺コンテンツブームの如く、自称精神病薬物乱用コンテンツブームが雨後の筍の如く乱立し、それがこのマンガがすごい!として持ち上げられるという流れもあるかもですね。
まあ、それで一度キッチリ社会問題として顕在化することまで含めてのPDCAサイクルとも言えるんですかね。