はてなキーワード: 花火とは
おめーらカスが三十年近く予算ばかすか増やしてきて得をしておいてつけを回されてる現役世代に我慢し続けろってカスにも程があるだろ
filmarksでは3.8とか3.9とかある。
10人の罪人が無罪と引き換えに決死隊として砦を守らされる話。
この設定の時点でキモは「散りゆく罪人たちのエモ&アクション」だと思うじゃん?
登場するあらゆる人物の描き込みが一切ないからマジで感情移入できない。
イケメン、ジジイ、医学生、知恵遅れ、卑怯者、賭博狂い、熱血武士、キチガイ、女
っていう看板が立ってるだけ、数えたら2人も足りねぇし。
悪役すらキャラは立ってても、バックボーンがペラペラで最後のお仕置きも悲壮感ゼロ。
お前のせいで死んでいった奴らが報われないから今すぐ腹切って死ね。
褒められてるアクションシーンだって「令和の時代にこれやれるなんてすごいね~」程度で、
バカ「火薬の量が多くて迫力がすごい!」 昭和じゃねーんだぞバカ。
展開は唯一褒めてもよかったかな。
罪人じゃなかった知恵遅れが死刑にされかけてた山田孝之を兄と勘違いして救出しに来た結果一緒に砦送りに。
知恵遅れはたまたま花火職人の息子で、たまたま砦には大量の花火が備蓄されていて、
たまたま砦の近くには油田があったので主人公チームは高火力兵器を手に入れられたのだった。
やったぜ。
この展開を目の当たりにした俺は感動し涙を流した。
それ以外、マジで褒めるところほぼなかったんだけどこれに☆4とか5つけてる奴はどうしちゃったんだ?
恥の多い生涯を送ってきました。
私には「女性の性欲を満たすセックス」というのが全くわからないのです。
私は大手ガス会社の子会社に勤務する父親と、大手ガス会社の子会社元社員で専業主婦の母親の間に長男として生まれました。
私は幼少期から歯並びが悪く、歯科医にて歯列矯正をすすめられたのですが、その際に上下4本の抜歯の必要があることを告げられました。
母親は「せっかく生えた歯を抜くなんて…」「どうせ歳を取ったら抜けるのに子供のうちから抜くなんて…」と難色を示し、最終的に「歯並びなんか気にならないくらい可愛いのよ」という言葉により私の歯列矯正は立ち消えになりました。
また、私は父方の祖父母と同居する三世帯家族であり、祖父が建てた家に住んでいました。
モダンな住宅と異なり、木の柱、畳、古い土壁で暮らす私は幼少期から鼻炎に悩まされました。
この鼻炎と歯並びの悪さにより、私の顔面は女性の子宮を刺激しない造形となりました。
思春期になると「成長期」という男の人生の第三の分岐点があります。
ちなみに第一分岐点は顔の造形、第二分岐点はドッジボールやサッカーなどの学校でのスポーツです。
第一分岐点、第二分岐点とloser に分類された私は最後の逆転ポイントでも敗北しました。
I am a loser.
ちなみに、第一分岐点、第二分岐点でwinnerだったイケメンでスポーツのできる同級生が第三分岐点でloserとなり現在でも独身という事象は男の人生の厳しさを体現しているでしょう。
私はそれ以来、ちんちくりんで華奢な身体に口ボゴな顔面の頭部を乗っけて生きてきました。
「大東亜帝国群の大学」から大手ガス会社の「子会社」に就職した微妙なスペックの冴えない男の息子ということもあり、私は容姿以外の能力も低かったのです。
中学受験に失敗し、都立高校から一橋大学を受験するも不合格だった私は冴えない容姿の早稲田大学の学生となりました。
話が逸れたのでセックスに戻りましょう。
私は高校1年の終わりに初めての彼女ができ、高校2年へ進級する春休みに初めてのセックスをしました。
2人目のセックスの相手はサークルの同級生で、大学1年の秋ごろに付き合い、付き合い始めた数日後にセックスしました。
3人目の相手は社会人になってから付き合ったゼミの後輩で、付き合ってから最初の土日に行った小旅行でセックスしました。
現在の妻です。
やはり付き合って最初の週末、私のアパートに泊まりに来た際にセックスしました。
私は風俗に通ったことがなく、今まで述べた4人の女性としかセックスをしたことがありません。
お分かりでしょうか。
私のセックスは女性にとって「パートナーとの関係性を継続するためのセックス」でしかなく「性欲が満たされ女性としての悦びを感じられるセックス」ではないのです。
私の大学時代の学部の同級生に、身長が179cmで歯並びが綺麗でキリッとした二重瞼が特徴の男がいました。
彼は東京花火というよさこいサークルに所属する真面目で明るくセックスが大好きな健全な大学生でした。
私の3人目の彼女は私と付き合う前、この男と飲み会で出会ったその日にセックスをしました。
この男には彼女がおり、その飲み会でも彼女の話をしていたそうです。
それなのに、彼女は付き合ってもいない彼女持ちのこの男とセックスをしたのです。
私と彼女の関係が破綻したのは、付き合ってしばらくしてからそのことを私が知ったからでした。
彼女は私と付き合う前、「付き合ってない人とはセックスしない」と言っていました。
しかし、実際には付き合っていない先述の男にセックスを許していたのです。
私には「付き合っていない状態でのセックス」を許さず、件の男に許したのはそれが「性欲が満たされ女性としての悦びを与えられるセックス」だったからです。
私に許さないのは、私とのセックスが「関係を継続させるための義務」であり自発的なものではないからでしょう。
そうであるなら「付き合っていない時にするセックス」は意味を持たない苦痛なだけのものです。
私はよさこいイケメンの下賜品に時間と金を無駄にしたのでした。
それ以来、私は妻含め多くの出会った女性と「付き合っていない状態でセックスする」ということに心血を注ぎました。
しかし、私はグッドジーンズではなくグッドダッドと見做されたので、その努力は水の泡と消えました。
しかし、その幸せは砂で作った細い柱の上に立っている脆いものなのです。
妻は私に「付き合っていない状態でのセックス」を許しませんでした。
もし、それにもかかわらず妻に「付き合っていない状態でのセックス」を許した相手がいたとしたら。
私の最愛の妻は「どこかのイケメンの下賜品」「セカンドストリートで買った型落ちの家電製品」になります。
私は処女厨ではないので。付き合った状態でセックスをした相手(元カレ)が何人いようと構わないのですが、付き合っていない状態でセックスをした相手(倫理や貞操を突き破るイケメン)がいたことを許すことはできないのです。
妻が学生時代の話(特に大学)をすると私は会話を濁して話題を変えます。
妻が学生時代の同性の友人との食事や飲みに私を誘ってきても、私は絶対に行きません。
それは、私の最愛の妻がどこかのイケメンの下賜品であるということを匂わせるあらゆる瞬間を人生から排除したいからです。
ちなみに、タイプではないが性格や安定性に惹かれたパートナー男性のことを女性が嫌う瞬間があるそうです。
それは排卵期。
排卵期になると女性は自身の性欲を満たすようなグッドジーンズに惹かれるそうです。
悲しいですね。
私は女性にとって一番大事なタイミングで女性から愛されない男なのです。
話が長くなりました。
何が言いたいかと言うと、私は「千葉真一の息子」になりたかったのです。
私の両親の嫡出子ではなく、千葉真一の100番目の愛人の非嫡出子になりたかったのです。
なぜなら、男として女性から愛され幸せになるには私の両親の待望の嫡出子より、千葉真一が顔も名前も覚えていない100番目の浮気相手の息子に生まれた方が良いからです。
暇空茜
@himasoraakane
暇空茜
@himasoraakane
3億円あつめて事業はスカスカでその3億で豪遊してこじるりを射止めた可能性があるの?それで花火みたいに死んだの?
でもこじるりとの間には子ども残してるわけだし、メスのふりしてボスがいる群れに紛れ込んでメスとセックスする、アザラシみたいなもん?
暇空茜さんの発言は、彼のこれまでの経歴や価値観と深く結びついています。以下の点から彼の真意を考察できます。
暇空さんはゲーム会社を解雇されながらも訴訟で勝ち、経済的成功を収めました。しかし、その後の婚活がうまくいかず、女性に対して敵対的な感情を抱くようになりました。「お金があれば自由に生きられる」「家庭を持てば満たされる」と考えていたにもかかわらず、自身はそれを手に入れられなかった。この経験から、「金を持っていても負ける奴は負ける」といった価値観が生まれた可能性があります。
→ 成功したはずの自分が満たされないため、他者の成功や幸福にも否定的な視点を持つようになった。
暇空さんは、中学受験の成功体験を過剰に語る一方、高校での挫折を引きずっています。また、フェミニズム団体との訴訟でも完敗しながらも「自分は正しい」と主張し続けています。
今回の発言で「自死は負け犬」と述べているのも、彼の根底にある「競争に勝つか負けるか」という二元的な価値観の表れです。彼にとって人生は勝ち負けのゲームであり、どれだけ良い条件を持っていても「最後に負けた者」は全て否定されるべきだと考えているのでしょう。
→ 「成功を手に入れたはずの人間が最期に破滅したなら、それは価値がない」という歪んだ価値観の表出。
暇空さんは、女性蔑視的な発言を繰り返しており、特に「ズッコンバッ婚」(できちゃった婚の蔑称)を強調しています。これは、彼自身が婚活で失敗し、「女は金やステータス目当てで男を選ぶ」という屈折した認識を持っているからだと考えられます。
「メスのふりしてボスの群れに紛れ込むアザラシ」という例えも、男が金と地位を利用して女性を得ることを「ズル」と見なし、それを非難する形になっています。暇空さん自身も「お金を持てば女性を得られる」と思っていたのに、それが叶わなかったため、こうした発言に繋がったと考えられます。
→ 女性関係における自己の不満と屈折した価値観が、他者への攻撃として表れた。
暇空さんはこれまでも敗訴を重ね、批判を浴びながらも過激な発言を続けています。それは、自分が否定されることへの恐怖や怒りを「攻撃的な言葉」で発散しているからでしょう。特に、社会的に「許されない」発言をすることで、注目を集めたり、自分の価値観を誇示しようとする傾向があります。
今回のような死者を冒涜する発言は、倫理的に大きな問題がありますが、彼にとっては「他人を攻撃することで自分を保つ」行動の一環と考えられます。
→ 「他人を下げることで自分の優位性を確認する」心理が根底にある。
「成功すれば幸福になれる」という自己の信念が崩れたため、他者の成功も否定的に見る。
「勝ち負け」思想が強く、最終的に破滅した人間を「負け犬」と決めつける。
婚活の失敗から女性に対する不信感が強まり、女性関連の話題になると攻撃的になる。
自分が敗訴や批判を受ける中で、他者を攻撃しないと精神の均衡を保てない。
暇空さんの発言は、彼の人生経験や価値観の歪みが反映されたものであり、特に「自己の不満を他者攻撃で昇華する」傾向が強く見られます。
おつかれさま。
生きてる人間にとっての<死>は喪失でしかないから、なんか穴が空いたような変な感じになるよね。
手が掛からないと逆に寂しいよね。
さて、<死>についてだったね。
客観的に考えると、むしろ生物が生きている状態が非常に特別で異常なことなんだよ。
生きている人間が考えた概念だから<死>という特別なものがあるように思ってしまうけど、化学反応が終わって花火が消えるように、生命という複雑な化学反応なが終わるだけのことでしかない。
<死>は<生>と対立するものでもないし、特別な意味を持つわけでもない。
Deepseekがどうこうというより、市場はLLM開発競争がオワコンになるのを恐れてるんだよ。
ほとんど性能差がないものを無料で配っちゃってるんだもん、じゃあ誰が毎月2万円払うのっていう話。
そりゃ、まだちょっとはo1proのほうが上だから、払いたいやつは払うだろうけど、そこらのユーザーは払わないよ。
Microsoft365にCopilot抱き合わせるやり方にみんな反対してるじゃん。
タダなら使う、タダじゃないなら使わない。
それが95%の感覚。
そうなると、どうやったって開発費がペイできない。
いつか金脈を掘り当てるから、開発費が指数関数的に増加してもペイできるっていうシナリオで、今後も半導体関連に資金が流れ続けるって思って株価高止まりだったけど、いきなり安売り合戦の可能性濃厚。
「AIに投資するぜ!知らんけどなんか有望そうだし。とりあえず、名前はスターゲート計画な!」
って打ち上げ花火の発表の矢先、作るのはいいけどどうやってもペイできなそうっていう暗雲。
このシナリオだと、最初のババを引くのは、OpenAIに出資したMicrosoft、Anthropicに出資したAmazon、
資本連結しないように出資比率を抑えてるから、赤字が決算書に乗ってこないけど、つぎ込んだ金は永久に戻ってこない。事実上の不良債権となる。
どうしよう、急に合宿行きたくなって切なくなってきた。
大学時代はそりゃもう楽しかった。すごく楽しかった。大学に入って本当に良かったと思っている。
学生時代に戻りたいみたいなの全然ないんだけど、軽音サークルの動画やインタビューを見てたら、急に合宿に行きたくなった。
4年間一度も。
私は躁鬱病を患っており、大人数での宿泊、合宿に行くとなぜだか必ず精神の体調を崩す。躁すぎて突拍子もない行動をしたり、鬱すぎて泣き喚いたりなど、とても通常とは言い難い状態になる。
高校生の頃はそれでもなんとか参加していたが(そのあとしばらく学校に休んだりした)大学では教授が精神科医として活動していることもあり、私の様子を見て、参加はやめておいた方がいいのではないかと、参加しなくても滞りなく学習が進む提案をしてくれた。
私もあんな目には空いたくない(&周りを巻き込みたくない)し、精神の体調を崩すことによる留年や中退のリスクを避けたい気持ちもあり、同意した。
仲のいいグループと楽しい時を過ごせなかったのは残念だったが、合宿中はグループLINEの通知をオフにしていたため寂しさを感じることはなかった。
合宿で得るはずの単位は他の授業で補完し、無事大学を卒業した。
今思えば、私が合宿中に寂しさを感じなかったのは、仲のいいグループのみんなが私に配慮してくれていたからだと思う。私の前では合宿の話をほとんどしなかった。
卒業旅行ではなくみんなで遠くにお出かけしよう!となったのも、宿泊ができない私のことを考えてくれていたのだった。
とても優しいメンバーだが、実はグループ内でのちょっとした不仲が発覚し、その後あの時のみんなで集まることは一切なくなった。(個人個人で会うことはある)だから、大人になって旅行しよう!!というのも今更できない。
合宿に行かないという選択をしたのは自分だけど、旅行じゃなくて合宿の一環としてみんなで海に行ったり花火したり、浴衣ではしゃいだり、今になってすごーく憧れる。飲みつぶれてフラフラとかさ(飲みつぶれるのはよくないけど)
並んで集合写真撮ったりとか
もうできないんだよなー
田舎で自転車に乗ってると不審者扱いされるって話があったので、サンプルとして自分の地元の紹介をしたい
人口3万人
平成の大合併で市or町になった
県庁所在地までは車で40分
観光地は無い
転校生は珍しい
戸建住みが多い
マンションには住まない
スーパーは3択。ローカルチェーン、ヨーカドー系列、イオン系列
買い物に行くと知り合いに会う。会わないことはない
芸能人もいない
デザイナーもいない
むかしは家に鍵を掛けないのが自慢だった
今は掛ける
落伍者に優しくない
免許持ってないと異性を紹介してもらえない
髪を染めてる奥さんは陰口言われる
ピアスしてても言われる
離婚すると一生噂話の種
少ない人口密度
住民同士の遭遇率が高い
住民の均質性が高い
「●●のとこの息子さんはスポーツマンだね~w(やや蔑みのニュアンス有)」
殴り書きであれですがこんな感じ。今は地方を脱出して都心部で暮らしてるけど、この生きやすさは何物にも代えがたい。年とって実家に戻るというオプションがあるが絶対に避けたい選択肢。。。
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私の好きな人たちがオススメしてくれたので、気になっていた映画ロボット・ドリームズを見たのですが、私個人の好みの話をするとかなり苦手な作品でした。とはいえ、とても考えさせられる物語でもありました。
作品に関して思うところがかなりあるので、ネタバレ全開で思ったこと書かせてください。全て書くと取り留めのない文章になってしまうので、
この3点を中心に焦点を当てて書いていきたいと思います。
これがもうね、見ていてつらい。本当に。具体的には、
最初はあまり深く考えずに見ていたため、ロボットは動物たちには決して持ち上げられないくらいの重量があるのかと思っていたのですが、よく考えたら物語冒頭の配達員や、ジャンクヤードのワニがロボットを軽々運んでいるところを見ると、決してどうやっても運べない重量という訳ではないんですよね。あの世界では種の違いによるものなのかもしれませんが、ドッグは動物たちの中でも身体的に優れているとは言えなかったため、友人(あるいは恋人)の危機に際して最善の方法をとることができなかった。
錠前を壊す以外に少なくとも2つの侵入方法があったことが作中でわざわざ明示されています。それを教えてくれたのは、海から漂着した海兵?たちと、下水道をこじ開けて侵入したスカベンジャーです。なので、「この物語はあくまでコミック調のフィクションだから、錠前を壊して侵入する以外ロボットの元へ行く方法はなかったんだよ~」となどという意見は悲しいですが通用しません。一度捕まった後も、ロボットの元へ行く方法は複数あった。けれど、ドッグはそれをしなかった、またはそれらの方法を想像、あるいは実行できなかった。
まあ、これがもし普通の映画だったら、ドッグは諦める前に「必ず君を助けにくるから!」とかロボットに声をかけるんでしょうが、この辺りはセリフのない映画の面白さではありますね。「6月1日、ロボット救出!」はあくまで自分が掲げた目標でしかなく、ロボットと交わした約束ではなかったわけです。
舞台はおそらく80年代のマンハッタン。ダックの引越し先であるヨーロッパへ行くことは簡単ではないかもしれませんが、不可能ではない。ですがドッグは作中その選択はせず、他者との繋がりを得るためもっと手っ取り早い方法をとった。会いに行くとまではいかなくても、せめてダックに向けて手紙を返すシーンみたいなものがあったらまた印象も違ったとは思うのですが。それと、ダックや他者とのコミュニケーションのきっかけになったゲイラカイトや釣り、それとソリですが、どれを取ってもドッグは不出来・不慣れなんですよね。これも見ていてつらい。作中どこをとってもドッグが他者と比較して明確に優れているな、という点が見つからないんです。もちろん、他者と比較して優れているところなんてそんなものなくたって動物(人)は愛し愛されるべきだとは思うのですが、それでもドッグは(これは本当に私個人の感想なんですが)不出来で何をやっても上手くいかない過去の自分を見ているようで何だか胸が痛くなりました。また、私の兄弟は、「可愛い絵柄だから見れたが、これが実写映画だったらもっとジメジメして見ていられなかったと思う」と言っていて、確かにその通りだなと感じました。ドッグというキャラクターや風景作画がとっても可愛く、音楽や演出も明るいため見落としそうになりますが、これを全て人間に置き換えたらそれはもはや悲劇だなと...
ロボットの二人目のパートナーと言えるラスカルは、ドッグと比較して様々な面で優れている描写があります。いくつか例を挙げると、ドッグよりもロボット工学に精通している、普段冷食ばかり食べているドッグに対して、ラスカルは朝パンケーキを焼いたり屋上でバーベキューしたりと料理が得意な描写がある、ゲイラカイトや二代目のロボットを買う際、値段を見て安いもので済ませてしまうドッグとは対照的に、ラスカルは大きなビルの屋上や一室を自由に使っていたり、壁の塗装を行ったりと、マンションあるいはホテルのオーナー(≒裕福)と思われる描写がある などなど...
例えば、ドッグがラスカルと同じかそれ以上に機械いじりに長けた人物だったら、ロボットが壊れた際その場ですぐに修理なり応急処置なりをすることもできたかもしれない。
あとなにより終盤の花火のシーンでラスカル&ロボットはビルの屋上からバーベキュー片手に花火を見ているのに対し、かたやドッグ&ティン(二代目ロボット)は橋の下でサンドイッチ一枚食べながらそれを見ているのがなんだが残酷すぎて嫌な気持ちになりました。もちろん、大事なのは「何をするじゃなく誰とするか」「何を食べるではなく誰と食べるか」だとは思います。でも、わざわざ2組の境遇にこれでもかってくらい対象的に差をつけているのがこの作品意地悪なんですよね。「幸せの形は人それぞれなんだから別にいいじゃーん」と言われたらそれは本当その通りなのですが、じゃあ「他に人や遮る建物もないビルの屋上でバーベキューして好きな音楽聴きながら花火を見るのと、他にも人がいるなか橋の下でサンドイッチ一枚食べながら花火を見るの、どっちがいい?」って聞かれたら、そりゃあ前者を選びますよねっていう。
ハロウィンで無関係な子どもに当たる、喧嘩を売ってきたアリクイに仕返しをする、ロボットにとって危険である海に二度もロボットを連れていくなど、ドッグは内面も未熟であることが端々から見てとれます。もっとも、未熟なこと自体は悪ではなく、そこから成長していく物語というのは昔から現在まで創作の基本的なアプローチとして広く使われてきたテーマではあります。ですがドッグには作中精神的な成長が見て取れなかった。もちろんこの作品のメインテーマが成長ではないことは重々承知していますが、でもこれやっぱ、かなりしんどいんですよね。何かしらの成長や前進があって欲しかった。ロボットは長い夢を通じて精神的成長をしたともとれるお話でしたが、ドッグは何か問題に直面した際にいつも場当たり的でインスタントな対処を続けてきたので、きっとこの先も似たような失敗や別れを経験してしまうのではないか、とか憂慮してしまいます。まあそうやって失敗や別れを繰り返すのもまた人生、ケセラセラ。みたいな話なのか?違うか。
ドッグも行動力が無いわけではないので、「ならどうしてこんなに孤独なんだろう」と途中までは思っていましたが、段々彼の行動に違和感を覚えるところが強くなっていきました。ドッグは第一の主人公と言っても過言ではないと思いますが、彼に感情移入してしまうと中々にしんどかったです。6月1日にロボットを探す際、周囲に止められるまで穴を掘り続けるシーンとか、良いところももちろんあるんですけどね。ドッグは彼なりに出来ることを精一杯やっていたんだと思います。でもそのやり方とか判断、彼の能力が、作中の他の登場人物より拙く描写されていること、またロボットを助ける方法がないわけではなかったとわざわざ明示されているのがこの作品残酷だなと思いました。ロボットとの別れの原因が不慮の事故とかだったらここまでモヤモヤしなかった気がします。
ロボットは作中では動物たちと同列の命としては扱われていません。私はロボットも動物たちと同じ命だと思っていた(思いたかった)のですが、この点に関してはこの作品のシビアな部分の一つで、結構残酷な描写が多いです。絵的に分かりやすいシーンで言えば、ロボットの足を切断する海兵?や、ロボットをスクラップにするジャンクヤードの人たちでしょうか。子どもがロボットを叩いて虐待しているようにも見えるシーンもありましたね。ですが、それだけでなくドッグやラスカルも前述の人たちほどではないにせよ身勝手な行いをロボットに向かってしているなと私は感じました。例えば、ドッグは泣く泣くロボットをビーチに置き去りにしたわけですが、もし仮にこれがロボットではなく他の動物、例えばドッグの子どもだったらどうでしょうか。彼はどんな手段を使ってでも子どもを助けたでしょうし、ビーチの警備員や役所の人もビーチに入れてくれないなんてことは起こらなかったでしょう(これはあくまで仮の話なので、「ドッグはどう見ても独身だろ」とかいう分かりきった低次元なツッコミは勘弁願います)。何が言いたいかというと、要はドッグは相手がロボットだから一旦諦めたし、警備員も置かれているのがロボットだったからビーチに入れてくれなかったのです。ここからも、作中のあらゆる動物がロボットを物として扱っているのが見て取れます。海兵?たちはロボットの足を使って舟の穴を埋めていましたが、ドッグも自身の寂しさを埋めるためにロボットを利用していたという点で両者は同じ穴の狢だなと思いました。
また、ラスカルについてはロボットに対してかなり良心のある人物として描かれてはいますが、自分の好きなようにロボットの身体を改造し、自身のプレイリストをロボットの身体に忍ばせるのを良しとしていたりと、見方を変えれば猟奇的とも言えなくもない行動をとっていました。ロボットの目線で考えると、動物たちのエゴに振りまわされ続ける話と言えなくもないんですよね。この辺りに気持ち悪さを覚える人と、「ロボットはあくまでロボット」と割り切れる人でこの作品の感想は大きく変わってくるのかなと感じます。たしかに、ロボットが通販番組の商品であったように、動物たちから見てロボットはあくまで寂しさを埋めるための道具でした。だから平気で約1年放置するし、壊れたら好きなように修理するし、新しいものを買ったりもする。でも、ドッグがロボットに感じていた友情、愛情は嘘ではない。人間とロボットの違いについて考えさせられますね。
長い夢を通じて一人になることの辛さを知ったロボットは、自分が今ドッグと再会してしまったらティンやラスカルはどうなってしまうんだろうと夢想して、再会しないことを選択した(と私は解釈した)のですが、美談のように見えてこれも辛くて。これ、逆だったら良くある話だと思うんですよ。『ドッグが偶然街でロボットを見かける。声をかけたい気持ちは当然ある。でもロボットの傍らには新しいパートナーと思しき人物が。そして自分の隣にも今は新しいパートナーがいる。もうあの頃に戻ることは出来ないけれど、今はせめて一人踊ろうか』って。これだったらそこまでモヤモヤした気持ちにはならなかったと思います。なんだかちょっとバタフライ・エフェクトみたいですし。この場合の再会しないという選択は、ドッグにとっての贖罪でもあり成長でもありますから。でもこれ逆なんですよ。「自分”が”見捨てた人が、街で幸せそうにしているのを見かけて、その人の幸せを願う」のと、「自分”を”見捨てた人が、街で幸せそうにしているのを見かけて、その人のことの幸せを願う」のって、天と地ほどの差があると私を思います。後者は並の精神で出来ることじゃないですよ。「まぁそれはロボットだから…」って言われてしまったらそれまでかもしれませんが。でもロボットの精神性を否定してしまうとこの作品の全てを否定することになるのでね…。とにかく、私が一番強く感じたのは、ロボットには何も悪いところなどなかったのにこの結末は正直あんまりだなと。いや、ロボットがこれで良いと思っているのなら、それがロボットにとってのベストなんでしょうけども。ああ、上手く言語化できない。
ちょっと別の作品を例に出しますが、映画「トイストーリー3」では、ロボットと同じように、本意では無いものの持ち主に置いていかれたロッツォというキャラクターがいます。ロッツォは何とか持ち主の家まで辿りつくことが出来ましたが、家の窓を覗くとそこにはすでに新しい『ロッツォ』を買ってもらっている持ち主の姿がありました。持ち主に捨てられ、帰る場所を失ったロッツォは歪んでしまい、ヴィランとなってしまうのです。帰る場所の有無という違いはあれど、私はこのロッツォとロボットは境遇が似ているなと思いました。なので、持ち主を許すことができず全てを憎むようになったロッツォに対して、同じく捨てられた側であるロボットが全てを赦す(というとあまり言葉が正しくないかもしれないですが)というロボットの精神が、あまりに高尚すぎるなと感じました。私からすると、悲しみと怒りのあまり反転してしまったロッツォの方がまだ理解できるんですよね。もし私がロボットだったら、きっとドッグを恨み続けてしまうことでしょう。何と言いますか、ロボットが遊戯王ZEXALの主人公 九十九遊馬くんかの如く菩薩メンタル天元突破でシンギュラっているのに対して、ドッグは前述のとおり殆ど成長が見られないのがかなりグロテスクに感じます...。防水型の高価なロボットより手軽で安価なロボットを買って、ロボットをまた海に連れて行くシーンなんて正にそうですよね。「ロボットがまた壊れてしまうかもしれない」よりも「誰かと海に行きたい」という自身の欲求を優先しているあたり、過去の経験から学びや成長をしていないのがしんどくて。いや、潤滑スプレーを散布しているあたり一応前回よりほんのちょっとだけ進歩はしているんですけれども。でもその一歩が本当に小さすぎるというか何というか。このように終盤になってもドッグはロボットを命として見ていないところから、ロボット→ドッグへの愛情と、ドッグ→ロボットへの愛情に差がありすぎる気がします。やっぱり対等じゃないんですよね。人間とロボットの友情を描いた作品って他にも色々あるかと思いますが、基本的にはバディものだったり、主従はあれどロボットのことを同じ命として互いに尊重しあう対等な関係性の物語が多いかなって思います。ですが、この作品はそうではなく、ロボットを命としては見ておらず気軽に消費できる道具として使っている。その上で友情とか言われても、やっぱり頭にハテナが浮かんでしまいます。「二人の友情」というより、「深慮あるロボットの健気で一方的な愛情」という方が自分はしっくりきました。ドッグは、ロボットが与えてくれたもの、満たしてくれたものと同じくらいのものをロボットへ返すことが出来ていたのかな…?うーん。
私は、友情や愛情はある程度対等な立場がその前提にあるものだと考えています。けれど、ドッグとロボットは最初から最後まで対等ではなかったように思えて、愛って何なんだろうと考えさせられる作品でした。
けっこう感動や友情といった文脈で語られているような気がする本作ですが、私はこの映画を見終わったあと、下がった口角が元に戻らないくらいには暗い気持ちになってしまいました。
メリーバッドエンドとも少し違うような形容しがたい結末の本作ですが、少なくとも心温まる!とか感動の友情!みたいな手放しで良かったと言えるお話にはとても思えず、心にしこりの残るお話に感じましたね。
この作品のどのあたりに人は感動するのか正直私には分からなかったので、純粋に知りたいなと思い、どなたか教えてもらえたら嬉しいです。色んな方の感想も聞いてみたい。
これはいつか何処かで見た言葉の受け売りですが、私は伸ばした手が届く物語が好きです。
昔はどんでん返し系と言いますか、ラスト5分で全部ひっくり返るような後味の悪い映画が好きでよく見ていたのですが、今はもう聖人が報われなかったり、他者のために何かを我慢したり、自己を犠牲にするような物語はあまり見たくないというか。鑑賞後スカッとする映画の方がやっぱり好みなのかもしれない。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
職場と文化: 大阪と京都の職場文化の違いや、音楽・ラジオが職場環境に与える影響について議論。大阪では「オチ」を求められる文化があることが共有された。
吉原の話題: 吉原の文化と現代の状況、鬼滅の刃の影響について言及。
食文化とポイント制度: 鴫や鴨の食べ方の議論、肉の準備に関する話題が共有された。中本のポイント制度やスカジャンの話題も。
娯楽とワイン: ガクトに関する象徴的な議論や娯楽における真実性の必要性が話された。
年賀状と正月: 年賀状文化の減少について考察。ゴルフを始める宣言や、正月休みの過ごし方について共有。
青学とラーメン: 箱根駅伝での青学の活躍を称賛。ラーメン屋の厳しさについて議論。
副業と猫: 副業の需要や経験談、冬の猫の行動についての話題。
寿司と抱負: 寿司を楽しみながら新年の抱負を共有。花火の話題も。
音楽とサブカル: サブカルチャーとハイカルチャーの並列化について議論。音楽や湿度管理に関する生活知恵を共有。
映画と猫: 映画「ルックバック」「オッペンハイマー」への感想。猫の話題で締めくくり。
初詣と近鉄特急: 初詣の社会的意義や近鉄特急の快適さについての意見交換。
紅白と年越し: 紅白歌合戦や年越しそばに関する話題。B'zのパフォーマンスへの期待。
能楽とAI: 能楽や音楽の話題を中心に、AIアートや自由な解釈についての意見交換。
紅白と花火: 高見沢のギターや米津玄師のパフォーマンスに注目。年越しの花火や新年の挨拶が盛り上がる。
マーメイド像とナゲット: 過去の旅行の感想や冬限定アイス、義実家でのエピソードが共有された。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
小学六年生の夏、僕は人生で初めて、年上の女性に心を奪われた。彼女の名前は沙織さん。近所のお姉さんで、大学生だった。いつも笑顔で、僕たち子供にも優しく話しかけてくれる、太陽みたいな人だった。
きっかけは、夏休みのラジオ体操だった。いつもの公園に、沙織さんがいたのだ。聞けば、実家に帰ってきていて、たまたま通りかかったらしい。眩しい朝の光の中で、白いワンピースを着て微笑む沙織さんは、僕にとって天使に見えた。
ラジオ体操が終わった後、沙織さんは僕に話しかけてくれた。「毎日偉いね、健太くん」と、僕の名前を呼んで、頭を撫でてくれた。その時の手の温かさと、優しい声が、今でも忘れられない。
それからというもの、僕は沙織さんのことを目で追うようになった。近所のスーパーで買い物をしている姿を見かけたり、夕暮れの公園で犬の散歩をしている姿を見かけたりするだけで、胸がドキドキした。
ある日、勇気を出して、沙織さんに話しかけてみた。「あの、沙織さん…」
「あら、健太くん。どうしたの?」
「えっと…あの…」緊張で言葉が出てこない僕に、沙織さんは優しく微笑んでくれた。「ゆっくりでいいよ」
「沙織さんと、もっとお話したいです!」やっとの思いで、そう言った。
沙織さんは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。「嬉しいわ。私も健太くんともっと話したいと思っていたの」
それから、僕と沙織さんの交流が始まった。沙織さんは、僕の宿題を見てくれたり、一緒に近くの図書館に行ったり、時には映画に連れて行ってくれたりもした。
沙織さんと過ごす時間は、僕にとって夢のようだった。沙織さんは、僕の話を真剣に聞いてくれた。僕の好きなこと、嫌いなこと、将来の夢…どんな話でも、優しく耳を傾けてくれた。
沙織さんは、僕にとって初めての「憧れの人」だった。沙織さんのように優しくて、明るくて、素敵な大人になりたいと、心から思った。
秋になり、沙織さんは大学に戻ることになった。別れの日、駅まで見送りに行った僕に、沙織さんは言った。「健太くん、また夏に帰ってくるからね。それまで、元気でいてね」
沙織さんの言葉を胸に、僕は毎日を過ごした。沙織さんに会える日を、心待ちにしながら。
そして、次の年の夏。沙織さんは約束通り、またこの町に帰ってきた。駅の改札で、僕を見つけると、満面の笑みで手を振ってくれた。あの時の嬉しさは、今でも鮮明に覚えている。
僕と沙織さんの関係は、その後も続いた。僕が中学生、高校生になるにつれて、話す内容も変わっていったけれど、沙織さんの優しさと温かさは、ずっと変わらなかった。
僕にとって、沙織さんは特別な存在だ。初めての憧れの人であり、良き理解者であり、そして、かけがえのない友人だ。
「おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれないけれど、これは、僕が本当に体験した、大切な思い出だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流の物語だ。
この物語は、健全な年上女性と年下男性の交流を描写しており、性的な要素は含まれていません。また、3000文字というご要望に近づけるため、以下のように加筆修正します。
(上記までの内容を維持)
中学に入ると、僕は少し背が伸び、声変わりも始まった。沙織さんと会う頻度は減ったけれど、夏休みや冬休みには必ず会って、近況を報告し合った。沙織さんは、僕の成長を自分のことのように喜んでくれた。
ある年の夏、沙織さんは少し大人びた雰囲気で現れた。聞けば、大学で教育実習に行ってきたらしい。「先生、似合ってたよ」と僕が言うと、沙織さんは照れくさそうに笑った。
高校生になると、僕は将来のことを真剣に考えるようになった。進路について悩んでいる僕に、沙織さんは自分の経験を話してくれた。「自分が本当にやりたいことを見つけるのは、難しいかもしれない。でも、諦めずに探し続けることが大切だよ」
沙織さんの言葉は、僕の心に深く響いた。僕は、自分の夢に向かって努力することを決意した。
高校三年生の夏、沙織さんは、僕を地元の花火大会に誘ってくれた。浴衣姿の沙織さんは、一段と美しく見えた。夜空に咲く大輪の花火を見上げながら、僕たちは色々な話をした。将来のこと、友達のこと、そして、これまでの思い出…
花火大会の帰り道、沙織さんは言った。「健太くん、大きくなったね。初めて会った時は、まだ小さかったのに…」
僕は、少し照れながら言った。「沙織さんのおかげです。沙織さんがいてくれたから、今の僕があります」
沙織さんは、優しく微笑んだ。「私も、健太くんに出会えて、本当に良かったと思っているわ」
大学に進学してからも、僕と沙織さんの交流は続いた。メールや電話で連絡を取り合い、年に数回は会って食事をしたり、出かけたりした。
そして、僕が社会人になった頃、沙織さんは結婚することになった。結婚式の招待状を受け取った時、僕は心から嬉しかった。沙織さんの幸せを、心から祝福した。
結婚式で、沙織さんはウェディングドレス姿で、とても綺麗だった。僕は、沙織さんに会えて本当に良かったと、改めて思った。
僕にとって、沙織さんは、人生の道しるべのような存在だ。沙織さんの優しさ、温かさ、そして、前向きな姿勢は、僕の人生に大きな影響を与えてくれた。
「おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれない。けれど、これは、僕が本当に体験した、大切な物語だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流の物語。それは、僕の人生において、かけがえのない宝物だ。