はてなキーワード: 国家主導とは
AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
反AI陣営からは「法規制」という言葉が多用されているが、実際にどのような法にしたいのか具体的な問答は中々見かけない。
大前提としてメジャーな生成AIは海外企業発であり、日本の法改正でそれらの開発や展開を阻害するのは困難だろうし、
抜本的には、金盾のようなインターネット検閲機能を本邦にも導入して、(無断学習している)生成AIサービスの使用や閲覧を国家主導で封じるのが現実的案だったりしないだろうか?
海保の例のように、無断学習した画像生成AIイラストを使うだけで罪らしいので、このくらい徹底的にやらないと反AI陣営も納得しない気がする。
まぁどう考えても悪影響の方が強いんですが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/amneris84/status/1611667323257262085
ここのブコメ見てたら暇空の言う事やる事に関連する物事は全部正しくて指摘は許さん
みたいな危ない空気になってる人が多数居る
現在進行系のロシアがやってる侵略戦争と市民の虐殺をくだらん炎上騒動の例えに持ち出すのは不適切だろってまっとうな話でしかないのに
何故かヒトラーとかナチスみたいな過去に国家主導で独裁や虐殺やった事が確定してる連中の件すら持ち出してまでDD論にしようとしてる奴もいる
完全にアノン化してる
人口が激減する日本で電力需要も落ち込んだら原発建てられなくなるって慌ててるのかもしれんが
様々な発電方式はそれぞれ別のデメリットがあるんで、互いにデメリットをカバーしながら併用するしかない。
国家主導の口減らしで人口激減するんだから、今後20年もすりゃ
最悪の場合の対策なんか必要ない周辺に人っ子一人住んでない原発建設候補地が腐るほど出てくるんで
それまで福一で後片付けの仕方を勉強しながら待ってればいいよ。
いくら日本の科学が衰退中でも、20年もすれば流石に福一でメルトダウンした核燃料も片付け出来るでしょ。
というコメントを見て。
それは確かにあるんだけど、その裏面の意味では、福祉国家ワイマール・ドイツでこそ優生学は発展したんですよね。
「みんなで支え合わなければならない」という前提があればこそ、優生学は受けた。
ナチスの作成したポスターで、屈強なゲルマン人男性が2,3人の障害者を背負って苦しんでいる、という構図のものが、それをよく表していると思います。
ほんと聞きかじりでね。
医療社会学?の人なのかな、(たぶんフーコー研究とかから入ってると思われる)市野川容孝先生がよく書いておられるモチーフなんですよね。
最近?では「優生学と人間社会」の書評をfinalventさんも書いておられた。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/05/post-25f4.html
一方ではヘーゲル左派?で社会主義者のラサールなんかとも交流があったようだし。
ちょっと気になるのは、各国兵士の公衆衛生問題、有り体に言えば慰安婦制度との関係。
どの国にも戦時性犯罪は付き物だが、ここまで国家主導で強く介入し、コントロールしようとした国は日本とドイツで、これ福祉国家の思想が背景にあるんじゃないかと。
日本の慰安婦制度は周知の通りだし、ナチスの占領地における慰安所政策はまだ明らかではないが、相当な規模のはずだろう。
対極などころか、兵士に対する福祉政策ど真ん中の事例だよ、慰安婦制度。あなたこそご冗談を笑。
伝わってないみたいだけど、そういうことが言いたいんじゃないと思うんだよね、市野川先生。
いまだにオバマケアであれだけ紛糾する合衆国と、日本やドイツを比較してごらん?
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00 | 85 | 10489 | 123.4 | 51 |
01 | 56 | 7787 | 139.1 | 58.5 |
02 | 42 | 10333 | 246.0 | 55.5 |
03 | 24 | 11328 | 472.0 | 88.5 |
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本当にこうおもって無意識に差別をしている人が、多く潜伏しているから有事の際に差別が活性化しているのを見る事になるのかもしれない。
おそらく「だれが言ったか」とか「どういう見解で言ったか」というものが「差別」で「現実に即しているから」というのが区別だと思っているのではないか。
そのカテゴリわけをするにあたって「だれが言ったか」は「だれが言ったことであるか」という分類をされ、その発言の効力は発言者の傘下にあるものがその多くです。
「アメリカ国家がいったから差別だ」というのは、その傘下にあたる人数が多いため数で圧倒されるから「差別だ」と感じているのではないでしょうか。
差別の定義についてなのですが 「いわれなき不当な扱いをうけること」 が一般的に差別だと言われている物だと私は認識しています。
先の「アメリカの政府がいったこと」について「いわれなき不当な扱いを数の暴力で受けることになる」から差別だというのは構造的には似ていますが人権も差別も
それを定義する最大の組織が定義しているわけで、それが否定をしたり定義をしなければ「不当」がなくなるのでこれは構造的に「差別」ではなくなります。
実際差別的ではありますが、「動物に人権を与える」とか「特定の民族には人権を与えない」という国家主導の方針がでてしまうとそれは差別ではなくなります。差別的ではありますが。
女性に参政権がないとか、どこのパスポートの人は滞在できないとか、そういうものは事実や経験に基づいているかもしれませんが、定義されてしまうとそういう方針であると受け入れざるを得ません。
そして主に、一般的に差別だ区別だといわれるのは、それ以下の民間の範囲内、既に定義されている平等の空間において、個人が個人を扱う方法を区別するにあたって具体的な裏付けもなく相手の扱いを決めることが「差別」で、実際にそういう問題を回避するために分離させることが「区別」になります。
例題に出している「韓国人は何々」ということについて、そうである韓国人も、そうでない韓国人もいるはずです。韓国籍の日本人だっているかもしれません。なにをもって韓国人なのでしょうか。
それにあわせて、その吹聴している形容についてそわない人達を「そうであるから区別する」という「そうでない=いわれなき」を行使することにあたっては、差別になります。
努力してきた結果があるのに、その結果を反映する場、試験や免許や権利について「あなたの努力は関係なくあなたが何々だから」と不利益を受けさせられることが差別なのです。
これがもし事実に即して区別ならば、「何々な人」個人を個人ごとに対処していくべきです。「〇〇さんはうそつき」という嘘つきの人がいたら、〇〇さんは出禁にすべきです。これは差別にあたらないでしょう。
それが「〇〇な人におおいから」といって先に「〇〇らしき人についての対処法を用意しておく」のはそうではない内面をもつ外見的に対象者である人が不利益を被ることになります。
この不利益をうける側となる人が、その得られるべき利益を別途回避するか選択できる状態をもっておくことは区別の範囲としてあやうくはありますが成り立つこともあるでしょう。
ただ不利益をあたえるために区別をするということは差別になります。その受けさせる不利益を罰かなにかや連帯責任と称して行うことは差別になります。
受ける側として正当な判断をもって区別され、被られる不利益を何らかの形で軽減できるように考慮されている、ということが区別で、そうでない扱いを与えることが差別、という方向性から
岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物がtwitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。
これが非常に面白いのだ。
そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性と彼氏彼女の関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。
もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的に岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得だ自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。
しかし、この暴露漫画がtwitter上で話題になると岡田氏批判と擁護が拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)
何故なのか?
この疑問こそが僕の出発点だった。
僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定派である。
のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。
何故、岡田氏擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。
これこそフェミニズムとネオリベラリズムのねじれ現象だと思うのだ。
批判派の論理はフェミニズム的思想によって行われ。擁護派の論理はネオリベラリズム的思想によって行われているのだ。
しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムとネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)
もちろんフェミニズムもネオリベラリズムも一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニストは基本的に自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム的思想とも
フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史、伝統、文化、国家などを解体し国境や国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争し貿易し取引し資本を儲けるという考え方なのだとしたら、
フェミニズムにとって邪魔な伝統や文化、家や血、身分や階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。
つまりフェミニストの大半はおそらくグローバリストでありネオリベラリストなのだ。
ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。
岡田氏擁護の論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性の自己責任であろう、と。
これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。
さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。
最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである。
そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い。
フェミニストがネオリベラリズムに正当性を与えネオリベラリストがフェミニズムの理論を武装したのである。
ネオリベラリズムの思想のなかには間違いなくフェミニズム的思想を取り込んでいるし。フェミニズムのなかにもネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。
しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループの人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムとネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)
そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。
もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感で不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田はパワハラで性暴力で女性の敵! といった意見)岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想に正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずにはいられないのだ。
これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。
歴史、伝統、文化、国家からの開放という理念、男性社会からの開放という思想は
国家主導の経済政策ニューディーラーやケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストをフェミニストは利用し、
男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用や外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。
そして行き着いた先これである。
自由と平等を過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ。
クルーグマンもスティグリッツも最近話題のピケティも言っている格差問題はネオリベラリズムによるところが大きいが、
フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。
ネオリベラリズム的政策に正当性を与えたことは言うまでもない。
僕は今フェミニストがネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストがフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。
だからこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズムの思想によってフェミニズムの目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食にさらされるという事であっても……。
別に男と女が対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?
フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田氏擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定し資本による自由平等を批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分で自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ。
家や見合いを否定し自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。
金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的な帰結だろう。
このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間や岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。
男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。
弱肉強食と男女平等が共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストとネオリベラリストの理想郷であることは疑いようもない。
リン鉱石は枯渇するといわれている。枯渇しないにしても、日本の食の安保を考えるにあたって中国に依存しすぎることに問題がある。アメリカは安保のため、輸出を禁じている。
リン鉱石や石油をほぼ100%輸入している日本は、循環型・機械自動型の農業に速やかに移行できるような設備体制にするべきだ。
下水の屎尿からリンを取り出す技術も少しずつ研究が進められているが、古代から続いている「骨」を砕いたり焼いたりして肥料にする方が良い。
TPPで議論される稲作文化の保護についてもかかわってくる。現状の日本米は事実上、輸入品なのだ。
各家庭で魚や鶏の骨は生ごみに捨てずに、別の袋に分けて回収しよう。
岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物がtwitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。
これが非常に面白いのだ。
そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性と彼氏彼女の関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。
もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的に岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得だ自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。
しかし、この暴露漫画がtwitter上で話題になると岡田氏批判と擁護が拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)
何故なのか?
この疑問こそが僕の出発点だった。
僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定派である。
のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。
何故、岡田氏擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。
これこそフェミニズムとネオリベラリズムのねじれ現象だと思うのだ。
批判派の論理はフェミニズム的思想によって行われ。擁護派の論理はネオリベラリズム的思想によって行われているのだ。
しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムとネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)
もちろんフェミニズムもネオリベラリズムも一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニストは基本的に自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム的思想とも
フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史、伝統、文化、国家などを解体し国境や国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争し貿易し取引し資本を儲けるという考え方なのだとしたら、
フェミニズムにとって邪魔な伝統や文化、家や血、身分や階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。
つまりフェミニストの大半はおそらくグローバリストでありネオリベラリストなのだ。
ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。
岡田氏擁護の論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性の自己責任であろう、と。
これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。
さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。
最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである。
そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い。
フェミニストがネオリベラリズムに正当性を与えネオリベラリストがフェミニズムの理論を武装したのである。
ネオリベラリズムの思想のなかには間違いなくフェミニズム的思想を取り込んでいるし。フェミニズムのなかにもネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。
しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループの人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムとネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)
そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。
もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感で不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田はパワハラで性暴力で女性の敵! といった意見)岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想に正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずにはいられないのだ。
これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。
歴史、伝統、文化、国家からの開放という理念、男性社会からの開放という思想は
国家主導の経済政策ニューディーラーやケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストをフェミニストは利用し、
男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用や外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。
そして行き着いた先これである。
自由と平等を過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ。
クルーグマンもスティグリッツも最近話題のピケティも言っている格差問題はネオリベラリズムによるところが大きいが、
フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。
ネオリベラリズム的政策に正当性を与えたことは言うまでもない。
僕は今フェミニストがネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストがフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。
だからこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズムの思想によってフェミニズムの目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食にさらされるという事であっても……。
別に男と女が対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?
フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田氏擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定し資本による自由平等を批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分で自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ。
家や見合いを否定し自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。
金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的な帰結だろう。
このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間や岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。
男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。
弱肉強食と男女平等が共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストとネオリベラリストの理想郷であることは疑いようもない。