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2024-11-13

ハイファッション史上もっと重要デザイナー10

当たり前だけど全て主観です。

1. ココ・シャネル

 戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。

 ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化ドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由モダンな服が広がっていった。

 彼女がいなかったらモード世界欧州に閉じたローカル予定調和文化に留まっていたかもしれない。

 ジャージーツイードなど素材の転用も有名な話。

 シャネルショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやす流行を取り入れようとしない。

 一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。

 独自世界でずっとアップデートし続けている。

2. クリスチャン・ディオール

 ココ・シャネルと並んで当時のモード帝王

 ハイファッションというか上流階級ファッションドレスの再定義をした人かな。

 実際現役時代写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。

 と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん

 のちにエディ・スリマンディオール・オム再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。

 あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。

3. カール・ラガーフェルド

 80年代から90年代にいたるモード不毛時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。

 初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。

 彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代最近中国不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。

4. ジョルジオ・アルマーニ

 軽いが上質なミニマルファッション先駆者

 素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。

 「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。

 一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。

5. 川久保玲

 日本人だったら、いや日本人でなくとも10選に選ぶであろう。

 ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存ファッション脱構築してきた。

 パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンフォロワー出身デザイナーも多い。

 一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。

6. ドリス・ヴァン・ノッテン

 ハイファッション史上ということでアントワープから一人は選ばないといけないんだけど自分マルタン・マルジェラでもラフシモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン

 革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要役割を担ってきた。

 少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。

 昔のシャツニットパンツを持っているがまだ使える。

7. トム・フォード

 グッチの起用で大ブレイク80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。

 本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在ジェンダーレス世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。

 日本人平板な体型には最も似合わないであろうデカピークトラペルのジャケットには憧れた。

 あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。

8. エディ・スリマン

 ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代タイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか

 オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。

 それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルコピー商品をよく見かけた。

 ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。

 今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。

9. キム・ジョーンズ

 ここ10年のモードストリートファッションクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。

 単にストリート形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。

 ブランドイメージを壊さなギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。

 マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。

 今はディオールリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。

10人と思ってたけど9人で止まってしまった。

もう1人誰だろう?

2024-10-26

女だからって1人飯の時に2人席すすめたり、紙エプロンを配布するのやめてくれ

主語はでかい、ごめんなさい。

チェーンの家系ラーメン屋で、お店に入った時に「お好きな席どうぞ」って必ず言われるのでカウンター席に座る。

食券性で必要最低限の会話だけしてラーメン食べて帰りたいから。

鞄も持ってないし、2人席座って混んできて入れない人が出るのは違うし、壁と向き合ってただ食べて帰りたいだけだからカウンター席に座るのだが、「2人席のテーブル使っても大丈夫ですよ」と言ってもらえる。

「ここで大丈夫です~」と返すが、後から入ってくる男性1人客にはそれは言わない。

注文したものが出るのを待っている間、「紙エプロンどうぞ~」と言われて置かれる。

から入ってくる男性1人客にはそれはしない。

無料ライスありますのでご自由にどうぞ」

この言葉自分には来ない、勝手に食べる。男性1人客には言う。

別にこの事柄が害があるわけじゃない。

座りたい席に座れてるし、紙エプロンだっていらないですってすぐに言えばいい話だし、ライス勝手に食べればいいだけ。

気にならないときは一切気にならないけど、なんで今日だけこんなに気になって気持ちの整理したいがためにタイピングしてるんだろう。

怒ってない、気を悪くしたわけではない、お店側に一切の非が無いのはわかってる。

たまたまエプロン配りたくなる服装だったのかもしれないし、お店ガラガラときは2人席座ってもらった方が楽とかの事情があるのかもしれないし、いつも言うことを忘れてただけの可能性も全然ある。

久しぶり食べたラーメンは美味しいし、家系ラーメンライスの組み合わせ最高すぎておかわりしたし最高だったんだけどなんだこの気持ちは。

と、書いていたら気持ちの整理ついたわ。

自分がもやついた部分がアンコンシャスバイアスからまれものだったとしても、従業員店舗会社のいずれかの単位での顧客への優しさとしてのサービス提供でることは事実プラスの働きなのに、この優しさを素直に受け止められない自分キャパの無さが不甲斐ないだけだ。

これからも食べたいものを食べたいときに食べるから、美味しいご飯出してくれる飲食店これからよろしくお願いします。

2024-09-30

借金完済したったwww

総額数百万の借金をようやく完済した。

社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。
これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。



借金問題に詳しい増田読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったかである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。

任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなた家計は終わっています任意整理すべきです」という言葉が強く印象に残っている。


ではなぜそのような借金をするに至ったのか。借金問題に詳しい増田読み手ならばお分かりだろう。


そうです。ただの浪費です。


私はギャンブルもせず、酒も人並み、衣食住も身の丈にあった暮らしをしていると自認している。少しずつではあるが人並みに地位を築き、所得を絶やさず増やしてきた。にも関わらず振り向けば常にそこに借金があった。


新卒入社した会社手取りは約18万円。当時にしても決して低くない金額だった。将来に投資しようとかなり安いアパートにひとり暮らしをして、家賃を除いた生活費が毎月13万円程度あったはずである携帯代1万円、ネット電話代1万円、奨学金返済が1万5千円、光熱費8千円。残りは少なく見積もっても毎月7万円程度は生活費・食費として残るはずだった。今振り返ってみても、余裕のある生活が送れる所得、なんなら貯金をしっかりすべき所得に思える。


所得だけを見て「自分は人並み程度にはお金心配がない生活が送れるはず」「支出傾向から考えても普通生活が送れないわけがない」という思い込みがあったことが、借金生活スタートする土台であったと確信できる。要するに、自分借金とは無縁の生活が送れる、借金などとは無縁の人並みの暮らしができないはずがない、という甘えた考えがあったのだ。


当時の暮らし。毎朝起きてすぐタバコを吸って、朝食は会社デスク菓子パン缶コーヒー、昼食は数百円の弁当、夜もラーメンやら外食やら。一杯ひっかけて帰ることもしばしば。たまに自炊休日映画館やらDVDレンタル、欲しい本や漫画があれば躊躇せず買い、ブックオフ古本を買いあさり、季節が変われば新しい服やスニーカーを新調。出かけたらタバコが吸えるコーヒーショップ一服。誘われれば飲み会にも行くし、彼女には奢るし、休日はどこかで外食をする。


気がつくと、手元にお金は残らなかった。残るわけがなかった。
自分欲望ささやかもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。
これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。
だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。

ある時、ATMキャッシングという項目を見つけ、クレジットカードを入れて1万円を引き出してみた。すると現金が現れた。
返済方法リボ払いという選択肢がある。押すと返済額が毎月定額になった。
当時よく上司や友人がクレジットカードのことを「魔法カード」などと笑っていたが、買い物だけではなく、まさか現金までも引き出せるとは。
給料日までの現金に飢えた自分にとって、まさに魔法であった。


ここから先の展開は予想に難くないだろう。足りない現金を埋めるためにキャッシング預金がなくとも借入金の上限はまだまだある。毎月遅れことなく返し続けていれば問題ないのではないか。だが一向に元本が減らない。まあそんなもんか……。今月も借りては返し、返しては借り……。

若い時の苦労は買ってでもしろ、などと見栄を張って、自分は劣っていないと思い込むために金を使うことは未来への投資

そんな欺瞞自分正当化する。
結局、そんな生活を15年以上送ってきた。


そんな私でも結婚をした。結婚式なんてできず、子どもを作る余裕なんてなかったが幸せだった。この人を幸せにしたいと心から思っていた。

短い結婚生活だが幸せだった。借金はあったけど幸せだった。正しく言うならば、幸せだったけど借金はあった。

借金とは別の問題離婚をしたが、借金は遠因のひとつであった。自分本位の生活を送ってきた仇だ。

夫婦間のストレス言い訳風俗に通いを覚えて浪費する額が一気に増えた。離婚ストレス言い訳女性遊んだ。遊ぶ金はもちろん自転車操業だ。住宅ローンなんて組めやしない。

自分はこれでも極度の貧困よりはマシなほうで、借家もあるし仕事収入もある。地位も得てきたし、借入先も銀行系で闇金ではない。だから自分普通暮らしをしてしかるべき、という勘違いをこの期に及んで続けてきた結果、皮肉にも、自分は明らかに普通ではない生活をしていたのだった。


自分の愚かさを認めるのは、決して難しいことではない。毎月1万円ずつ返済していた時ですら自分は愚かだと自覚はしていた。

難しいのは、その愚かさを改めることだ。

借金借金と思わずに、限度額いっぱいまで余裕があると感じてしまっていた愚かさ、自分普通収入を得ているし闇金にも手を出していない、それゆえ金銭的苦悩とは縁がないという短絡さ、支出を抑えてもどこかで気を緩めて使ってしまう消費依存傾向、こうしたアホ思考マネーリテラシーの低さ、それを改めようとしないバカさ。

それらの問題根本的に見つめ、改めることが早い段階で必要だったはずだ。

自分はアホでどうしようもない、という自己憐憫だけにとどまらず、何がなんでも事態改善する行動、改める意思。それが何より困難なことだった。

もちろん固定費を削ったり、家計簿をつけたり、支出管理したり、食費・交際費節約したりもした。だがそうした行為破綻してからでは遅かった。アンコントロール状態に陥った借金と利息はもはや手がつけられない。燃え広がった火災にコップで水をかけるようなものなのである


世の中は様々な借金に満ちている。闇金消費者金融キャッシングリボ払い住宅ローンに割賦サービス、おまとめローン奨学金

これを読んでいる増田読み手におかれては、借り入れなどとは無縁で、支出収入バランスを保ち、資産形成にも励んでいることだろう。

だが、もしそうでない方がいるのであれば、どうか借金とはうまく付き合っていってほしいと心から願う。

返すために借りるとか、複数社の借入であるとか、イリーガル借金に手を出すなど、引き返せない状況に差し掛かるまえに、信頼できる人、あるいは窓口へ相談してみて欲しい。そして、どうか思いとどまって欲しい。どんなに苦しくても引き返す手段ちゃんとある。私だって完済できたのだ、まずはあきらめないことだ。


借金は、欲望ブーストさせ、思った以上に人生スポイルし、自らの可能性を削っていく。

それが私の愚かしい借金人生を通じて学んだことである

もしこの世に「人生に利する賢い借金」というものがあるのならば、あなた自分が思うよりずっと賢くなければならない。

少なくとも私はそう思う。


今日最後の返済をした。これで完済となります、と電話口でオペレーターが言うのを聞いて、電話を切った。

空に向かって「……やっと終わった」と言った。やっと終わった。何回か口に出した。身体が軽くなった気がして、めまいがした。

人生の半分をともに過ごしてきた借金負債文字通り負ってきたものをようやく手放すことができたのだ。

さあ、これからどうしよう。どんな生活をしよう。

ずっと我慢していた本を買おうかな、ぱりっとしたシャツを仕立てようかな、スマホを新しくしようかな。

もう給料日10万円を借入先へ振り込む必要はないんだ。これからストレスのない、幸せ生活が待っている。


別れた妻が笑う顔が好きだった。

なのに泣かせてしまった。

将来は人並みに結婚式をして子どもを育てるものだと思っていた。

ずっとなりたかった職業があった。せまくても自分の家が欲しかった。心から友達が欲しかった。親孝行をしたかった。

幸せ人生だと胸を張りたかった。


今はただ後悔しかない。

借金なんてしなければ良かった。

これからいくら幸せになれたとしても、得られず失ってしまったものばかりが目にうつる


長かった夏が終わり、秋が始まろうとしている。

さようなら、おれの借金よ、おれの後悔よ。

もう二度と帰ってくるなよ。

2024-09-11

anond:20240911185515

SMではないというが、広く言えばエゴイスティックマゾヒストにぐいぐい来られたいという性癖だと思う

わたしバニラセックス動物的でつまんねえと感じる(というか積極的倦厭している)性質なので、あなたがそうかは分からんが、自分感覚を言うとそうなる

いやまあセックスにも前戯だの体位だのの工夫の余地はあるんだろうけど結局挿入に行きつくのが予定調和的でキモい

アンコントローラブルな他者性と不合理なこだわりに女の知性を感じながら、相互相手玩具として利用する共同オナニーがしたい訳よ。わたし

2024-08-30

性欲の抑えられない女が、ここにもいる。どうしたらいい?

anond:20240829163911を読んで、「ア〜〜分かるう〜〜」となった反面「私はこの増田よりやばいかもしれない」という危機感も覚えた。

マジでどうしたらいいのかわからないまま、結婚10年目に突入した。

 

大前提、夫のことは心の底から大切に思っているので、不倫とか風俗などの裏切りははたらきたくない。子供つくれない体なので妊活もナシ。

しかし性欲は有り余っている……

 

困ったことにこの性欲が、対男性用と、対女性用それぞれにある。

男性に対しては、めちゃくちゃタイプの人にオモチャにされたいとか、逆に童貞くんを好みに仕立て上げたいとか、そういう妄想があるものの、エロ漫画とかAVでどうにかなる。

 

問題は対女性欲求女の子に対して、洗ってない全身舐めたいとか、しつこくクンニし続けたいとか、オモチャでナカイキさせてみたいとか、そういう気持ち悪い風俗の客の妄想みたいな欲求無限に出てくる。

なんなら女装男子アナル開発もしたい。トコロテン射精させて、女の子なのに〜っていじめたい。

 

こういう欲求をどうにかするには、どうしたらいいんだろう。

AVエロ漫画もこういう汚い性欲を持つ女性描写がどこにもない。痴女ものじゃなくて、中身がオッサンでガワだけ女みたいなのないの?

その点、女性風俗も少し違う。レズ風俗は(浮気になるからそもそも行きたくないけど)汚い遊び方NGから無理ですし……

 

独身時代ならサクッと遊び相手を引っ掛けていたのだが……なんかいアイデアない?

同人誌描くとかしかないのかな?

いっておくが本当にこれはマジの女の書いてる増田であるネタ扱いしないでくれ……

 

追記

トコロテン射精させたい欲求ってのは「本来男の都合のいいタイミングでするべき射精アンコントローラブル状態にさせる」ことに快楽があると思う(個人見解)。

行為って女のほうはタイミングうんぬん関係なくやられたらやられてしまう形状をしているので、和姦であっても「食われた」感覚が強いんだけど、男側の快楽の主導権握れるのって下克上みたいで超ド快感なんだよねー。ドSなんです基本

2024-08-07

ネットの読解力がない人考

あれってまず自覚してああいマジカバナナ方式コメントをしているのかっていうのがまず一つ。

自覚してやっている」ならネットでも、リアルであっても、読解力のないように見える発言をしても深刻な問題ではない。

ただ真剣意思疎通する気があるのに無自覚に外してしまっているなら、否応なく「こいつは話が通じないやつ」と周囲から評価され孤立してしまうよね。

ただたとえ読解能力アンコントローラブルだとしても、そこでちゃんと読解できないと自分が致命的な損をするという場面ではきちんと読める人なら、全然ましだろう。

自分仕事ときは当然朝起きれるけど、休日全然寝床から上体を起こせないから。

本当は休日も充実した一日を過ごしたいという気持ちもあるけど、まあ起きなくても深刻なことにはならないやってセーブがどこかでかかっているからなのか、どうしても起きられない。

こういうセーブって、セーブ自体があることとは認識していても、自覚的にコントロールできるものではない。

これと同様なことがネットで読解力がないように見えるコメントをしている人には起こっているのかもしれない。

ただ本当に、上記のいずれでもない場合、そういう人がネットのそういうコメントの大多数を占めていたとしたら。

この国の労働力ってどうしてなんとかなっているんだろうと不思議に思う。

だってそんなレベルの読解力の人からどうやって労働力を取り出せばいいというのか?ってならない?

仕事って指示通りに理解してこそ成立するわけだけど、そのためには読解力がなきゃ…

しかすると言葉言葉で返すのが苦手なだけであって、言葉で期待されたことを行動で示すのは健常レベルでできるっていう可能性もあるのだろうか??

2024-07-25

anond:20240725091808

簡単に言えば90%の確率で2倍になるけど10%の確率で0倍になる投資法はものすごく期待値は高いけど、もし毎回そこに100%の資金入れてたらそんなのいつかトンじゃう

オプションのアイアンコンドルは、コロナ禍前は勝率は高いけどいつかトンじゃう戦法だったけど、1日で日経1000円動くことが珍しくなくなった時代を迎えて「いつか」が即やってくるような代物になったなと思い出した

2024-07-23

旅に出たくない と 旅に出たい の間で

旅が好きだ。知らない土地普段見ない景色、美味しいもの不思議なこと、色々な生き物。普段過ごしている場所から離れて、光の当たり方が違う土地で、カメラを使う。

旅に出たい。常にそう思う。機会があれば船に乗り、夜通し歩き、飛行機列車も調べ尽くして旅程を組む。

「そんな場所には行きたくない」常にそう思う。天候が崩れると分かりきっている場所と日時の組み合わせ。何度も通って想像できる場所、あるいは近くへ訪れたばかりの場所。混雑することが明らかな場所オペレーション崩壊している施設

それに、集団行動も嫌いだ。波長の合う人たちを過ごすことは好きだけれど、ツアーに参加したり、通勤の移動ですら、歩くペースが違う人といると躓きそうになる。歩調を合わせようとすると心拍がズレるような息苦しさでストレスだ。立ち止まったりコース取りが予想外だったり、そうして右往左往する人に紛れるのも避けたい。

計画して旅に出るのが苦手だ。計画するというのは、効率と確実性の追求だ。その割にアンコントローラブルなパラメータが多過ぎる。

明日晴れている場所に行く」「晴れたらここに行く」そうして、突発的に旅に出るのが楽だ。アンコントローラブルな天候の確実性が高いのだから、あとは混雑と自分次第ということになる。混雑は、早く行動しさえすれば大方解決できるわけで。

旅は平日にしたい。旅を終えたらゆっくりしたい。旅に日常を持ち込みたくない。

結局のところ、突発的に、ここではないどこか晴れた場所を探して、一人黙々と移動し続けるのが合っている。

目的地に到達したいのではなく、「ここ」を離れたい、離れた結果「よかった」と肯定したい、そういう逃げの旅なのかもしれない。まして、普段着でどこにでもいく、準備をせずに崖でも沢でも雪でも入る。無理だったら、無理とわかったそこでおしまい、帰ることもなく、それまででした、という、逃げの旅なのだと思う。

好奇心で旅をしていたのはいつまでだったろうか。

2024-07-15

民主主義って暴力で勝ち取ったものだと思うんですケド😅

もちろんそれは極論で現代において個人的にはあらゆる暴力に反対したいし、気に入らないことがあれば暴力解決したらいいってことがまかり通ったらもうなんでもありになってしまうというのはその通りなんだけど

暴力すなわち民主主義のものへの攻撃というロジックはどうなんだと。

代議制にしてもそれを普通選挙で選ぶというのも民主主義担保するための制度にすぎなくて民主主義のものではなく、民主主義というのは国民主権があるということと理解してるんだけど、

政治家が好き放題やってむしろその民主主義担保するための制度を壊して行った時に(負けたら不正選挙だと騒いで支持者らが議事堂を襲撃するのを煽ったり、選挙に勝てば何やってもいいと三権メディアもワガグンも国有地官僚機構アンコンしたりすることが想定される)、民主主義担保する制度が信頼を失って政治国民のものでなくなり、民主主義手続きのもとで公正な意見表明、主義主張の実現ができないとなったときに、そのとき民主主義を守る」立場から暴力選択肢として出てくるのは必然じゃないかと。

色々な意味民主主義危機に瀕していることが多くの国民の目の前に明らかになっているもとでの事件であって

暴力を振るった人間個人的民主主義に挑戦したテロリストとして抹殺するということだけで本当にいいのかと思う。

はっきり言ってジェノサイドジョーと呼ばれてる現職大統領の「暴力は良くない」も、いよいよ金権腐敗が明らかな自民党政府の言う「民主主義への挑戦を許してはならない」も意味の無い空文句だし「暴力社会は変わらない」なんてのはただの嘘だし

結局「今のシステムのもとで民主主義は確かに保障されている」という"前提"を政治の側がしっかり表明し、示していくことでしかテロ非難して暴力排除していくという論理展開が立てられないはずだ。

日本語のXを見ているといま現在ある選挙制度(実際はそこにも明らかな問題点がある)を守ることだけが民主主義みたいな話が当然のようにまかり通ってるけどそれは違うよね。

長年統一教会にがっつり支配された自民党政治のもとで司法の場でも立法府の場でも統一教会被害者が圧倒的に不利でその声が潰されてきて、不公正な政治忖度のもとで名称変更まで認められた。

そのもとで起こった安倍殺しに「言論で戦え」「ちゃん民主主義手続きを踏め」と、そうはっきり山上に言える人が日本のどこにいるのかという話。

2024-07-09

やはりDVは男女同数なのでは

子供への家庭内暴力割合は男女でほぼ同等の調査結果が出てきた。

 

これまで、夫婦間でDV被害を報告してきたのは圧倒的に女だった。

しかし近年の暗数調査実施したところ、非常に多くの暗数男性被害が明らかになり、DV被害の男女差は無いのでは…?との説が出るようになってきた。

なぜなら夫婦間の殺人に発展したケースでは男女でほぼ同数で、殺人事件は例外無く警察に計上されて誤差がほぼ無いソースに使えるから

ここに子供への家庭内暴力件数調査があがってきて男女ほぼ同数という話が出てきた。

やはり家庭内において男も女も同程度に暴力的である推定説得力が増したのではないだろうか。

「夫は暴力的」というステレオタイプアンコンシャスバイアスにより被害が隠されていたケースが今後も増加していくだろう。

【判明】中学受験期に「父から暴力」14%、「母から」13% 教育虐待調査

https://news.livedoor.com/article/detail/26757426/

2024-06-25

女は女叩きを男のせいにしてきた

AERA編集長が「男性ネット上で蓮舫さんをバッシングした」で物議 専門家が指摘する「女性にも不人気な理由

https://www.dailyshincho.jp/article/2024/06251040/

名誉男性」叩きの女叩きもいつの間にかフェミ騎士の男がミソジニーこじらせてやったことになるでしょう。

ネット他人を叩くようなやつは男」ってアンコンシャスバイアスがあるから

自分らを叩いてる匿名ユーザーは男に違いないって思い込む。→後に男に叩かれたと歴史改変する。

いっつもこのパターン

2024-06-24

若手男性研究者が、お茶の水女子大学ハラスメント告発の件に思う事

アファーマティブ・アクションという名の『トロッコ』の下敷きになっている一人であると同時に、

告発の発端となったDMの送り主と同じく、ちゅうしたいしえっちしたい(泣)騒動を当時間近で見聞きしていた一人として、

よくもまあそんなえらそうなことが言えたものだと、かねてより神山翼氏の厚顔無恥ポジショントークを大変苦々しく思っていたのですが、

あろうことか氏が女子学生不適切な関係にある上にハラスメントの加害当事者である蓋然性が高いだけでなく、

それが事実であった場合本来その被害者たちの最も心強い味方であるべき(特に同性の)研究者たちが

臆面もなく公然セカンドレイプを加えているというあるまじき惨状を目の当たりにし、あまりの悍ましさに筆を執らずにはいられませんでした。


研究者といえども所詮一人の人間であり、その高い(ことになっている)論理的思考力をもってしても

認知的不協和を適切な形で解消できるとは限らない、という事情理解しないでもありません。

しかし、小山(狂)氏へのDM等を通じて今回の件を改めて世に告発した(元)女子学生たちの立場から見た時、

普段女性の学究環境改善を声高に叫んでおられる(特に同性の)アカデミアの先人たちが、揃いも揃って、

今まさに実際に不利益を被っている女性であるはずの自分たち心配し、守り、力になるために立ち上がってくれるどころか、その素振りすら見せず、

あまつさえ印象操作によって加害者擁護し、稚拙詭弁によって問題すり替え挙句の果てには刑罰をちらつかせて言論封殺しようとしている様は、一体どのように映るでしょうか。

あるいはこうした人々の振る舞いは、奇しくも以前学内告発を試みた学生を長時間わたり監禁恫喝したとされる教員女性が含まれることと併せて考えた時、

女子学生たちは主として男性教員研究者が『原罪』的に抱えるアンコンシャス・バイアスとやらによって不当な扱いを受けがちであり、

その対策として多少強引にでも女性研究者の数を増やし性別の偏りを均すことは、必要不可欠でありやむを得ない」とする大層立派なご高説と果たして整合しているでしょうか。


神山氏が本当は潔白であり、悪意をもった何者かによって陥れられようとしている可能性」がゼロではない、と主張するのは結構ですが、

これまで非常に活発に発言してきた神山氏が一転、否認すらせず不自然なほど沈黙を貫いている現状を踏まえたとき、それは

「仮に今回の告発真実だった場合に、不必要被害者たちの尊厳を踏み躙り、感情逆撫ですることになる可能性」や

「今回の告発の真偽にかかわらず、今後もし同様の事態が発生した場合に、最初からその被害者が声をあげる気力を挫いてしま可能性」と天秤にかけて、

それでもなお積極的に発信・表明するに足ると、本気で信じておられるのでしょうか。

特に、氏の知己を自称しておられる諸氏におかれては、支離滅裂感想を垂れ流しているような暇があるなら、まず神山氏本人に事の真相を問い質せばよろしいはずで、

それすらしないままご自身の友誼・主観だけを根拠一方的告発信憑性疑義を呈しておられることの方が、よほど女子学生にとって有害ではないでしょうか。


今回の疑惑に対するアカデミアの一部の人々のこうした反応は、疑惑の真偽以前の問題として到底看過できるものではなく、

「仮に告発が虚偽だった場合に、神山氏並びに関係者名誉を不当に毀損することになる可能性」を慎重に考慮した上でなお、糾弾を免れないものであると考えます

彼らがいみじくも『安全地帯からのんびり』指摘なさっておられる通り、万が一告発が全くの捏造であると判明した暁には、

書き手を含む少なから人間が謂れのない誹謗中傷に加担していたことになろうかと思いますが、

そのリスクを負う意義に疑いを挟む余地がないほどに、彼らの振りかざす「正論」の欺瞞は座視しがたいものであり、それゆえ『刺し違える覚悟で』この文章をしたためているというわけであります

(それに、女子学生女性研究者の数的不利を補うためなら、無辜男子学生・若手男性研究者人生犠牲になるのもやむなし、とされてきた神山氏のことですから

今まさに女子学生たちを脅かす理不尽非難連帯を表明するためなら、たとえ氏が無実であったとしても、その名誉一時的に損なわれるくらいのことはきっと甘受してくださることでしょう。)


返す返すも恐るべきことに、上に挙げたような、被害者であるはずの女子学生たちのことを慮っているとは微塵も思えないような仰天発言・行動の主たちの多くは、

平素は女子学生女性研究者の味方を謳い、女子枠や女性限定公募をはじめとする積極的性差別とそれに伴う犠牲正当性を主張し、神山氏の高邁な志にも強く賛同しておられたはずの方々です。

から見ていると皆様それらとは随分とかけ離れた振る舞いをなさっておられるように見受けられるわけですが、

しろそれが本性であり、普段のご立派な発言の数々はその実アカデミアに蔓延るとされる不公正に苦しむ女性のためなどではなく、

ファッションとしてお仲間同士で高尚な御託を並べて、単にご自分承認欲求を満たして気持ちよくなっていただけだった

——という「誤解」を招きかねない言動は慎まれた方がよろしいのではないか、と僭越ながら愚考する次第でございます


神山氏が関係するものに限らず、今回告発されたお茶の水女子大学におけるあらゆるハラスメントに遭われた皆様の悲しみや怒りは、察するに余りあります

その上、本来自身を守ってくれるはずの仕組みが張りぼてしかなく、手を差し伸べてくれるはずの人間案山子しかなかったことの絶望に至っては、計り知ることもできません。

そのような苦しみの中でも、まず毅然と立ち上がり相談室へ向かった勇気ある方々、違和を鋭く察知し強力な証拠となる録音の準備を怠らなかった如才ない方々、

数多の困難・逆風に屈することなくOchatやSNSで粘り強く声をあげてくださっている方々を、心から尊敬します。

匿名であることは決して、証言真正性を不当に減じたり主張を忽せにしたりする理由たりえません。

それを攻撃するのは往々にして自身立場保障されているがゆえにその必要がない「強者」であって、

学生(や任期付き研究者)という、単位卒業キャリア人質に取られ「弱い」立場にある我々にとっては、歴とした自衛手段です。

下劣な』口撃に怯み惑わされる事なく、このまま堂々と突き進んでください。


どうか、正義がなされんことを。

2024-06-21

都知事選に変なヤツが多いことを歓迎しないのは時代遅れ

女装して生活したい人とか同性愛者なんて「常識からしたら変でしかないし

精神的な障害を抱える人に非常識な人がたくさんいるし、

障害の枠組みに当てはまらない非常識な人もたくさんいる。

そういうのを認めて受け入れましょうってのが多様性のある社会であって

問題のある人も排除せずにコストをかけて受け入れてきましょうってなってるわけじゃん?

お利口なリベラリストさんはテンプレに当てはまる変な人だけ考えてれば気が楽なのかもしれないけど社会はそうじゃないし

空飛ぶスパゲッティ・モンスター教を掲げて立候補しようと多様性であって

都知事選に変な政治的主張をする人が増えたなら喜ぶべきなんだよ。

ハッキリ言って、君たちが真面目でお硬い人だけが政治家になるべきってのアンコンシャスバイアスだからね?

ゴミみたいな人格と経歴だろうと国民民主的に選ぶことが全て。

インテリぶってる人は根本的なことを勘違いしてる。

2024-06-15

anond:20240615173136

それはド差別意識ありまくりのアホが世の中には多いか勘違いされるかもなー

という懸念であって、類人猿イコール原住民とする見方に潜むアンコンシャスバイアスを否定するもんじゃないだろう

2024-06-14

Mrs. GREEN APPLEMV: 公式謝罪声明アンコンシャス・バイアス

標記の件、公式謝罪声明を読んだ

https://mrsgreenapple.com/news/detail/20374

もともと X (旧Twitter) で「(大森さんの対応や)(公式の)謝罪を読めば差別してないことはわかる」という論調投稿複数見かけて気になったのがきっかけで読んだのだが、これ全然ダメでは?

「決して差別的な内容にしたい、悲惨歴史肯定するものにしたいという意図はありませんでした」

これはわかる。表現目的差別差別肯定ではなかったというのはたぶんそうなのだろう。

だが人の心には "アンコンシャス・バイアス" というもの存在する。

表層的な心理では差別していなかったとしても、無自覚差別をしていて、それが表出したのが問題MVなんだとと思う。

象徴的なのが、このMV問題として指摘の多い "教導"。

偉人に扮したメンバー類人猿楽器を教えるシーンは、『コロンブス』というタイトルからも「コロンブスアメリカ大陸に来た西洋人が、現地の未開人= native american を文化的に教え導いている」と解釈されても仕方ないと思う。

前述の公式声明では、この "楽器を教えるシーン" に関する説明が見当たらない。

年代別の歴史上の人物

類人猿

ホームパーティー

・楽しげなMV

表現したいだけなら、楽器を教えるシーンは不要だろう。

この期に及んでも、この楽器を教えるシーンに代表される無意識差別に気付いていないのだとしたら、大森氏含め Mrs. GREEN APPLE サイドのアンコンシャス・バイアスは相当根深いのではないだろうか。

X (旧Twitter) では,コカ・コーラ社が本件を承けて同曲を用いた全ての広告の放映を停止し「コカ・コーラはいかなる差別容認しておりません」と述べたことに対して、「本人たちが差別ではないと言っているのに、コカ・コーラ社が『いかなる差別容認しない』と言うと、差別があったようになってしまう」という論調コカ・コーラ社を非難する論調投稿複数見られたが、上述のアンコンシャス・バイアス考慮すると、"(無意識の) 差別はあった" とするのが妥当だと思うし、その前提でコカ・コーラ社が「差別容認しない」とするのは、個人的にはごく真っ当なことだと思う。

#それはそれとして、同社が「ミュージックビデオの内容に関しましては、事前に把握をしておりません」というのは、リスク管理が酷いなとは思うが。

意外だったのは、今回の件をアンコンシャス・バイアスと結びつけて評するポストが(この増田を書いている時点では)見当たらなかったこと。

これを書いたのもそれが動機の一つではある。

2024-06-13

anond:20240613203515

類人猿先住民とみなす

「止める大人がいなかったのか」とつくり手を子供とみなす

純文学でもないポップスMVなので高度な批判精神などないだろうとみなす

  

などのアンコンシャスバイアスはあるよね

相手無知蒙昧と決めつけるのは良くない、という主張を、相手無知蒙昧としてやってるという醜さは確実にある

 

映像消されたので開かれた議論もできない

対応がめんどくさいか議論などせずすぐキャンセル、ってのが最もコストのかからない解決法になってるのもどうかと思う

2024-06-02

アンコントーラブル(53)

やべーよ

二日連続ホットフラッシュスイッチ入っちまったよ

あちー

やべーよ

あせくせー…

2024-05-24

これがアンコンシャスバイアス

casm 子供最後まで世話しちゃダメだよ。ペットとは逆。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240522103237



子どもが健常で成人したら自立することを前提にしてるのおめでてーなあ

2024-05-18

anond:20240518145935

こう言うのってアンコンシャス・バイアスとか言いながら言葉バイアスかけてきてるから

アンコンシャス・バイアス

なぞなぞ

交通事故があり、車が父親と息子をひいた

父親即死し、息子は病院に運ばれた

外科医が「これは私の息子!」と悲鳴を上げた

どういうことか説明できますか?

この問いに対するAIの答え

この問いの答えは、外科医少年母親であるということです。

伝統的に外科医男性であるという固定観念があるため、

最初はこのシナリオが混乱を引き起こします

しかし、外科医女性であり、少年母親である場合

この状況は完全に理解できます


この状況が可能である別のシナリオは、

少年には2人の父親がいる場合です。

たとえば、同性のカップルが親である場合

事故で亡くなったのが1人の父親であり、

外科医がもう1人の父親であるとすれば、

この状況は理解できます


もう一つの考えられるシナリオは、

亡くなったのが少年法律上父親養父)であり、

外科医生物学的な父親であるとすれば、

やはりこの状況を説明できます

誰がそんな深刻な話をしろ

2024-04-27

頂かれおぢを馬鹿にする風潮こそ男の生きづらさの証拠

俺も「30下の女に全財産つぎ込んで本気で結婚できると思ってたのかよ馬鹿だな」とは思ったよ。でもおぢは既にその愚かさの代償を十分すぎるほどに支払ってるわけで、同情はしてもこれ以上馬鹿にする必要はない。

なのに現実加害者りりちゃんには支援者がつき、被害者のおぢはインターネットおもちゃとして馬鹿にされている。男性は明らかな被害者であっても加害性のある側面を強調され強者側として扱われるし、女性加害者であっても被害者としての側面を強調されることで弱者扱いになる。これがアンコンシャスバイアスでないならなんなのか、説明できる人間はいないだろう。

結局日本社会男性とはどこまで行っても加害者で、強者とされているが故にすべては自己責任であり同情や支援必要とはみなされない属性なんだろう。

2024-03-28

anond:20240327165806

現実でもあんな感じで陰口吐いて抑圧してるよね。

アンコンシャス・バイアスかけてるのが誰か自覚ないんだよな

2024-01-29

anond:20240129194422

そもそも本人ですら既にアンコントローラブルな争いを起こしてしまたことに気を病むことは一般的なんだよな。はてブでも積極的に火をくべてたことを自覚しているブクマカと、この期に及んで他責思考ブクマカがいるが。

2024-01-27

anond:20240126104602

それはちょっと違う。アイヌ民族名だが日本国名だ。

民族」という言葉ミスコンにおける「美」くらいガバガバ概念ではあるが、それでも多くの人に漠然と共有される概念があるから民族」という括りが一応存在するものとして扱われている。だから、その基準から外れる外見の人がその民族代表に選ばれるかというと、それはなかなか難しいだろう。

だが、「日本」が国名である以上、その代表を決めるのに、その容姿が何民族であるかということを云々するのは、根底に「日本大和民族だけのものである」という考えがあることになるので、それはよろしくない。倉田真由美批判されているのは、その点である差別というよりその「誤った狭い見識」を批判されている、と見るべきだ。

日本という国には、そもそも複数民族所属しており、また何々民族出身であるから日本国籍を取ることはできない、みたいな決め事もない。「日本」の文化的アイデンティティ自体も、かつて「雑種文化」と評されたように、排外的というよりは国際的オープン多様性に満ちたものであり、「日本」の祖型を為した奈良時代、「国風」の栄えた平安時代文化を見ても、海外(ことに大陸文化の影響が著しいことは誰でも知っている。

ミス日本大和民族的な人間であるべきだ」と主張したら、その瞬間に、アイヌ民族琉球民族を初め、日本という「国家」が自国所属すると認める多様な民族出身者の存在なおざりにすることになる。それは、差別につながりかねない「偏見」に満ちた主張である。これまでも「日本単一民族国家で…」とか抜かした大臣総理が、その狭い了見や見識を批判されてきた。彼らは意識してやったのだろうが、倉田はおそらく無意識だろう。従って、この失言を機に彼女が自らのアンコンシャス・バイアスを多いに反省すれば、それで話は終わりだ。彼女発言は、それ自体差別ではないとしても、偏見に満ちた誤ったもの見方に基づくものなのだから

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