はてなキーワード: 経験則とは
「エビデンスには使いどころがある」「十分な経験則のあるソフトウェア開発の設計論に過度にエビデンスを用いるのは使いどころの間違い」という話をしてるのに、読解力ねぇなお前
エビ厨: エビデンスエビデンスと言い始めて組織の生産性を下げる癌
しかし、使いどころってもんがあるし、なんでもかんでもエビデンスを要求すれば生産性は下がる
例えばソフトウェア開発について考えてみよう
開発者は、どうモジュールや関数に分ければ保守性が高まるのかということを経験則でわかっているとする
そこでエビ厨が「そんな経験則にはエビデンスがない!」と言い始める
仮にエビ厨が「ほら、やっぱりその経験則は間違っていたんだ!」と言っても、周囲から無視されるだろう
なぜなら開発者は既存の経験則が生産性を上げるということをわかっていて、エビデンスが間違いだとハッキリわかるからである
そういうわけで、エビデンスは使いどころをわきまえよう
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1)。動画5は、口腔性交 〔2〕 が始まった際にcが携帯電話で動画撮影していたのをXに撮るのは絶対だ めで、携帯電話を置くように言われて置いたというのが始まりの方にあり(同番号6ないし8、29、3 0) この動画が終了したタイミングについて、 cは、 ずっと撮っている認識ではなくて、消し忘れて置い てあったものなので、帰るときに、XとLINEの交換をするということになって、 自分が携帯を拾い上げ たことで動画が終わったのだと思う (c 39 40頁)、 そのとき (動画が終わる直前)、Xは、 リビン グ内の廊下への出口付近のベッド横におり (c 41、42頁)、LINEを交換するために携帯を取った 後、動画5が終了した直後に、 Xの腰か腕に腕を回す感じで抱き付いてそのままベッドに座ったんだと思 う、そのときにはYと被告人はもう既に廊下の方にいた (c 43ないし47頁) と証言するところ、 動 画やそれをキャプチャーした写真という客観証拠を基に説明するもので、 動画の終わり際の会話の内容にも 整合し、被告人aの供述 (被告人a 37頁以降) ともおおむね合致しており、 その信用性を否定できな い。 X が証言するような、 動画5の後に、 何度言っても帰らせてもらえないから諦めざるを得ない、Yだけ でも帰らせてあげてほしいと考えるしかないような展開になったというのは、このような動画5からうかが われる状況に照らすと、 必ずしも信用し難いのであり、むしろLINE交換を名目とするcの引き止めを受 けて、残ることにした可能性を払拭できない。
そして、cの抱き付き行為の後、 被告人 a がY を送りに外へ出て、 戻ってきたときには、 またc と Xの間 口腔性交 〔3〕 が始まっていたのであり、 前同様任意に応じたものとしても、不合理ではなく、cの抱き 付き行為は、強制性交等罪にいう暴行・脅迫に当たるとは認められないし、 その後に行われた膣内性交まで に、新たに暴行・脅迫が加えられたことも認められない。 動画撮影行為が膣内性交に向けられた脅迫に当た るとみるべき事情もない。
以上のとおり、本件性交等(暴行〔2〕) について、前記認定に至った原判決は、X及びYの虚偽供述の 動機等についての判断の不合理さに加え、 X証言がY証言とおおむね合致するとした点等でも不合理であ り、Xが同意の上で本件性交等に及んだ疑いを払拭できない。
念のため、Xが動画の撮影を止められず、 事後に動画拡散防止のための行動に出たことが、 口腔性交 〔1〕、 同 〔2〕 及び本件性交等がXの同意によらずに行われたものであることを推認させるものではない かについて検討を加えておく。 この点、Xは、本件性交等時、 cが動画を撮影していることに気付き、 撮ら ないでほしいと思ったが、それまでも言っていたのに撮られたので諦めていた旨証言する(×43頁)。し かし、前記のように、口腔性交 [2] に関する動画5は、 口腔性交 [2] が始まった際にcが携帯電話で撮 影していたが、Xに撮るのは絶対だめで、 携帯電話を置くように言われて置いたことを示すものであり、X 証言はこのような客観証拠にそぐわない。 Xが本件性交等時に動画の撮影をやめるよう言わなかったのは、 言えなかったからではなく、言いそびれたといったようなものである可能性があり、 後刻不安になったこと から拡散防止のための行動に出たというもので、本件性交等がXの同意によらずに行われたものであること を推認させるものとはいえない。
以上の次第であり、 その余の点について判断するまでもなく、 X証言の信用性等についての原判決の判断 は論理則、 経験則等に照らして不合理であって、 強制性交等罪にいう暴行・脅迫があり、 Xの同意がなかっ たと認めた原判決には被告人両名の関係で判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。
被告人両名の事実誤認の各論旨はいずれも理由があり、 被告人 a に関するその余の論旨について判断する までもなく、 原判決は破棄を免れない。
そこで, 刑訴法397条1項、 382 条により原判決を破棄し、 同法400条ただし書により更に判決す ることとし、 本件公訴事実については、これまで説示したとおり、 被告人両名の関係で犯罪の証明がないこ とになるから、同法404条、 336条により、 被告人両名に対し無罪の言渡しをすることとする。
令和6年12月18日
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と思うから」「ほんとに私も悪い所あったんですけどみたいなことは一切言わずに (〔3〕)」 「警察に介 入してもらおう」と助言した (原審甲40)
Xは、3月18日午後8時28分頃、 Yに対し、 LINEで、 「心配するかなと思っていえなかったんだ けど、 この前最後までやって結構その時の動画録られちゃったんだよね、 それで動画だけはどうにかして欲 しいって事になって性被害相談所みたいなのに相談したら、 警察の人が性犯罪の中でも悪質なものだからこ のことを事件化したいって言って、 結局被害届を出すことになっちゃった。 大ごとになっちゃってほんとに 「ごめんね」と伝えた(原審甲8) <h3>o- *** (イ) このような被害申告の経緯によれば、 Xが被害申告した当初の主たる目的は、 性被害として処罰を求 めることよりも、 動画の拡散防止にあったことは明らかであり、このことはX自身も証言中で認めている。 Xは、 性犯罪被害相談に電話を架けた当初、性行為自体については、前記 〔2〕 の 「自分で断れなかったの でもう、なんか、いいんですけど」 という程度にとどまる気持ちであったのが、 警察官から事件化したいと 言われて被害届を出すことになったもので、Xは大ごとになってしまったという気持ちは全くなかったと証 言するものの X証人尋問調書100頁 (以下、 供述者と速記録の頁数で表す。 )) 動画のことを相談し たら話が急展開したと感じていた様子は、 被害相談の電話をした直後のAとのLINEからもうかがわれる (甲40写真20 21時55分、 「今からとりあえず病院に行くことになった! 警察の人が迎えにきてく れるって」 「結構甘く考えてたわ」)。 このような本件の立件経緯も踏まえると、Xには、 動画の拡散を防 止するという目的のために警察に捜査してもらう必要があり、 Aからの助言 〔1〕 に従い、 実際よりも誇張 して供述したり、警察が捜査をやめてしまわないように、Aからの助言 〔3〕 に従い、自身に不利益な事実 について供述を差し控えたりする動機があるといえる。 実際、Xは、 警察の事情聴取において、 付き合って はいないが性的関係にある人がいることや口腔性交 [1] の事実を話さなかったものであり、 その理由につ いて 口腔性交 [1] の事実を警察の人に言ったら、 警察の人にどう思われるかわからない、 無理やりの性 行為だということを信じてもらえないのではないか 捜査をやめられて、 動画の拡散を止めることもできな くなるのではないかと思ったためであることを認める証言をしている (X50, 93, 111頁)</h3>
以上によれば、Xは動画の拡散防止という目的から性犯罪被害相談に電話を架けたが、 その電話の流れで 事件化したいという警察の意向に応じて被害届を出すことになったもので、 前記目的を達成するため、 状況 等を誇張し、自身の不利な行動を隠して矮小化して供述する明白な動機があり、 実際に、 口腔性交 [1] の 事実等を隠す内容の虚偽供述をした事実 (性犯罪被害相談に電話を掛けた時点では、警察から尋ねられても いないのに、結構脱がされそうになった、 (bと口腔性交をした事実はないのに) 舐めさせられたのは3人 だったとも供述していた。) もあるから、その証言の信用性を判断するに際しては、虚偽供述の動機の観点 から相当慎重に検討しなければならない事案といえる。 <h3>o- *** (ウ) しかるに、原判決は、 Xには誇張して供述をする動機があるなどと指摘する原審弁護人の同旨の主張 への応答という形で一応の検討を加えてはいるものの、 所論も指摘するとおり、やや的外れなものになって いるといわざるを得ない。 すなわち、原判決は、 〔1〕 「犯人の検挙や処罰よりもまずは当該動画の拡散を 防止してもらいたいとの気持ちを有するのは自然な心情であるから、 たとえ本件被害申告の主たる目的が性 的動画の拡散防止にあったとしても、 何ら不自然なことではない」 [2] 「 (警察に対して当初口腔性交 [1] を話さなかったことについて) Xの当時の心情は、刑事手続に初めて携わる若年者の心情としても 自責の念を抱きやすい性被害に遭った者の心情としても十分理解し得る」、〔3〕 (なめさせられたのは 3名であった等事実に反する内容を申告していることについて) 被害直後の段階では混乱や動揺から抜け出 せず、被害を思い出すことにも苦痛が伴うであろうことは想像に難くない」 などという理由で、虚偽供述の 動機があるという原審弁護人の指摘を排斥しているが、原判決の説示は、 それぞれ当時のXの心情を、自然 で、理解し得、 想像に難くないという、 Xの証言が真実であるとして説明が付けられるかという方向から検 討したものにとどまり、 原審弁護人の指摘に対して直接応答するものとはなっておらず、 この点を十分に検 討した形跡がない。 また、原判決は、 「口腔性交 〔1〕 の少なくとも大まかな外形的事実については、cや 被告人 b が供述すれば、 捜査機関に判明することは想定できるので、 Xが口腔性交 [1] について殊更隠す つもりで供述していたとは認められない」 と説示するが、 X自身、 前述の理由から警察に話していなかった 口腔性交 [1] については、話さないといけないとは思いながらも、最初に言ってなかったから言えないと いう気持ちであったと証言しており (X51頁)、cと被告人が逮捕された後、 検察官の事情聴取の際 に、口腔性交 [1] についても自分から話をしたとはいえ (X51頁)、 それまでは殊更隠すつもりであえ て供述しなかったことに疑いはなく、そのようには認められないとの原判決の判断は、明らかに証拠に反し ている。</h3>
そうすると、Xには、誇張、 誇大な供述をし、 あるいは、 実際にはあった事実を伏せて矮小化した供述を するなど、虚偽供述をする動機があり、 実際に虚偽供述に及んでいたことから、X証言の信用性判断に際し ては、虚偽供述の可能性について、相当慎重に見極める必要があるにもかかわらず、原判決はかかる重要な 視点から十分に検討をせず、Xの証言が真実であるとして説明が付けられるかという方向からの検討の仕方 に偏ったものとなっているといわざるを得ない。
次に、Xは、本件当日の記憶が一部ない旨述べているところ、原判決は、 「特に、 口腔性交 [1] 及び口 腔性交 [2] が始まったきっかけについては、 それぞれ印象に残る場面であるはずなのに記憶しておらず」 としながらも、「もっとも、 Xが相当量の飲酒をしていたことや時間の経過を踏まえると、記憶の欠落があ ることは不自然ではない。」 と説示する。
しかし、 又は一次会と二次会で相当量の飲酒をしているとはいえ、その証言によれば、 一次会での出来事 や飲酒状況、 二次会に行くことになった時の気持ち、 場所決めの経緯、店を出てからc方に行くまでの間の 出来事 口腔性交 〔1〕 をした場所やそのときの被告人の位置、 被告人 a と Y が来た後の二次会での出来 事や飲酒状況、その後、 本件性交等に至るまでの状況については、口腔性交 [2] と口腔性交 [3] を混同 する様子は見受けられるが、相応に記憶している一方で、 c方のあるマンションに到着してから、最初の記 憶であるcの陰茎を口にくわえさせられている場面までの間のことは一切覚えていないというのである。 連の性行為のきっかけとなる部分については、 それが最初に性的な接触を持った場面で、その場に二人きり であった相手のcが陰茎を露出しているという非常にインパクトの大きいものであって、 しかも口腔性交は 相手の陰茎をくわえるという一定の能動的な行為を必要とする濃厚な接触を伴う性行為であるから、そのよ うなことになった展開を含めて通常は記憶に残るはずであるといえ、 また、 その後の二次会で更に飲酒して いるのに、その後のことの方を覚えている一方、口腔性交 〔1〕 のきっかけについて記憶がないというのは 不自然であるとも評価できる。 そして、 性行為のきっかけとなるその始まりの場面こそ、 一連の性行為につ いて同意していたか否かという点に関わる重要な場面であるところ、 前述のとおり、 Xが当初の被害相談か ら警察の事情聴取の段階において、 無理やりの性行為であると信じてもらうため、記憶にあった口腔性交 [1] の事実をあえて話さない形で供述していたことからすると、口腔性交 〔1〕 のきっかけについても、
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同様の動機から、記憶があるにもかかわらず、覚えていないといった虚偽の供述をして事実を隠している可 能性が否定できない。
以上によれば、証言について、 性行為のきっかけについて記憶が欠落しているという点は、不自然なも のとみるべき余地があるにもかかわらず、原判決が、 前記諸点について十分な検討を加えることなく、飲酒 量や時間の経過という点のみから不自然ではないと判断したのは、論理則、 経験則等に照らして不合理であ るといわざるを得ない。
X及びYが腕を組んで立ち去る意思を示していたのを、 cがXの身体に両腕を回して抱き付いて引っ張 り、 被告人がYの身体をつかんで引っ張って、 XとYとを引き離したとされる暴行 〔2〕 (以下「引き離 し行為」ともいう。)について、 原判決は、Xの証言内容はY証言とおおむね合致していると説示する。 し かし、 Y証言は反対尋問で後退し、 結局、 ほぼ記憶していないというに等しい曖昧なものとなっており、し かも、 主尋問で述べた引き離し行為の態様も、X及びYの位置、 cがX を引っ張った方向や方法について、 ×証言と食い違うなどしており、 少なくとも×証言と合致しているとして、 その信用性を高めるものとはい い難い (詳細は後記 (4) ウ
以上検討したとおり、 Xには虚偽供述の明白な動機があり、 X証言の信用性については相当慎重に判断す る必要がある。 そして、一連の性行為のきっかけとなる口腔性交 [1] に至る経緯について記憶がないとい う点は不利益になることを危惧して虚偽の供述をしている可能性が否定できない。 引き離し行為について も Y証言がX証言と合致しているとはいい難い。 しかるに、 原判決は、 Xに虚偽供述の動機があるという 観点からの検討が十分でない結果、 X 証言が全体として信用できるとの判断をし、 一連の性行為のきっかけ となる重要な事実に関する記憶の欠落についての検討も不十分な結果、 X証言が不自然ではないと判断して いるのであり、論理則、 経験則等に照らして不合理であるといわざるを得ない。
そこで、 以上を前提に、原判示の暴行・脅迫が認められ、強制性交等罪における暴行・脅迫に当たるかに ついて、 検討する。
原判決は、 脅迫等 [2] (cが 「Xの頭部を左手でつかんでその口腔内に自己の陰茎を含ませて腰を前後 させ」 という暴行、 c が 「苦しいのがいいんちゃう」と言い、 被告人 b が 「苦しいって言われた方が男興奮 するからな」 と言った脅迫) について、 要旨、 Xがc方に入った直後に、リビングでcと二人きりになって 口腔性交をした後、 さらに、 被告人 b がリビングに入ってきたところで行われたもので 口腔性交
[1])、 その具体的態様は、cが、自らの強い支配領域下で、 Xの頭をつかんで、 それ自体が性的な意味 合いの強い有形力の行使に及び、 さらに、 年齢や体格で勝る。及び被告人 b が、 苦しがっている Xに対し、 その苦痛に取り合うことなく口腔性交を強いたものである、 口腔性交 〔1〕 は、Xが、 エレベーター内にお いて繰り返し性交等を拒絶する発言をしていた僅か4分後の出来事であることも踏まえると、脅迫等 [2] は、Xの反抗を著しく困難にさせる有形力の行使ないし害悪の告知といえ、 性交等に向けられたものと認め られる、とした。
また、原判決は、 Xが同意していなかったと推認できる理由として、 要旨 X と c及び被告人b との関係 性は希薄であった上、 一次会において、 被告人ら及びcは、X及びYに対し、一方的に性的な事項を話題に し 性的な経験等を聞き出すなどしていたが、 X及びYからは、 c方に行くまでの間も含めて、 積極的に性 的な話題を持ち出したり、 被告人ら及びcとの身体接触を図ったりしたことはなかったことが認められ、 そ このような経緯や関係性を踏まえると、Xは、 Yとともに二次会に参加するつもりで。 方に入ったのであり、 被告人ら及びcのいずれとも性交等をする意図は有していなかったといえ、 それにもかかわらず、 c方に入 ってから、容易に逃げられない状況でに口腔性交を求められ、 冗談と思っていたことが現実化しそうな状 況になり、 驚愕や動揺により、 あるいは、抵抗すればより強度の性被害に遭うかもしれないなどといった心 情に陥り、 さらに脅迫等 〔2〕 により、 苦しいと言っても取り合ってもらえず、 反抗が著しく困難な状態に なって、他の男性に見られる中で、 口腔性交 [1] をさせられたものであるから、 口腔性交 [1] について Xは同意していなかったものと推認できる、 とした。 <h3>o- *** (イ) 当裁判所の判断</h3>
口腔性交 [1] における脅迫等 〔2〕 が強制性交等罪にいう暴行・脅迫に当たるかを検討するに当たって は、脅迫等 〔2〕 の内容のみならず、 それがどのような経緯で行われるに至ったのかという点も重要である ところ、 被告人 bが撮影していた、 エレベーター内から方入室直後までの間の動画1 (3月15日午後1 1時44分に撮影が開始された57秒間の動画、 原審甲11) 動画2 (3月15日 午後11時47分に撮 影が開始された9秒間の動画、 原審甲11及び12) 及び動画3 (3月15日午後11時51分に撮影が開 始された32秒間の動画、 原審甲11及び12) によれば、 午後11時45分頃に方に3人が入室した 後 午後11時47分頃には既にリビングにおいて口腔性交が始まっており、トイレに行っていた被告人b の入室により中断後、 引き続き午後11時51分頃に口腔性交 [1] が行われている。 このように、 c方に 入室後、 極めて短時間で口腔性交に至るには、 かなり強度の暴行・脅迫が加えられたか、cの求めにXが任 意に応じたか以外には考えにくい (入室時に既に拒絶できない状態になっていたことも考えられるが、 原判決は、 原審検察官が主張した脅迫 [1] (エレベーター内でのc及び被告人の言動) は脅迫に当たら ないと判断している。)。 この点、 動画2によれば、 被告人 b がリビングに入ろうとしてドアを開けた際 に、 Xが自分でドアを閉めたことが認められる (cが指示等した様子は見られない。)。 かなり強度の暴 行脅迫が加えられて口腔性交に至ったというのであれば、 Xがそのことを記憶していると思われるし、誰 かが部屋に入ってこようとしているのに、あえて自らドアを閉めて相手と二人きりになることを選択すると いうのは通常考え難い行動といえ、 Xが口腔性交 [1] の後、 合流した Y や被告人とともにそしらぬ様子 で二次会のゲーム等に興じていたことも併せみると、 Xが、 cから口腔性交を求められ、 任意に応じたもの であった可能性が高い。
一方、 エレベーター内から方入室までの間の動画を見ると、 c 被告人 b及びXの間で以下の会話が 認められる (括弧内は発言者) 「二人じゃないとしたことないの? (c)」 「え、でも。 それやったらも ういいじゃん。 (被告人b)」 「やだー。 (X)」 「みんなといいんじゃない。 (c)」「ヤバい。
(X)」 「なんで? (c)」 「うん。 ダメダメ。 (X)」 「3人。 で、 別、3人でしたことないんでしょ? だって。 (c)」 「はい。 今度今度今度今度。 (X)」 「今度する?じゃ。 (c)」「今度。 いや。 (x)」 「じゃあオレ見とかんわ。 オレ見ないわ。 じゃあ1回これで閉めてもらって。 (被告人b)」。 そ う言って被告人らが先にエレベーターを降りると、 「え、ぜん、 ダメダメダメ。 (X)」 「1回1回1回。 (被告人b)」 「やだやだやだ。 (X)」などと言ってXもエレベーターを降り、 「いや、じゃ、 まぁ、
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality of Life、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須の Permalink | 記事への反応(0) | 21:00
客は男の方がヤバいが社内は女の方がヤバくない?
https://anond.hatelabo.jp/20250130173258
読んだ。
「客として来る分には男の方がヤバいが職場で働く分には女の方がヤバい。縦社会を作る女や悪口を言う女がいる」という内容だった。
この程度の縦社会と悪口で済む女の相対的なまともさに涙が出てきた。
男社会の縦社会と悪口は増田が書いている内容より更に酷い上、縦社会と悪口以上の不正と横暴が横行している。
その後ニートを経て期間工として全国を転々として現在は施設警備をやっている。
手間取った新人に対して真っ先に飛んでくる言葉は「馬鹿!」「いい加減にしろ!」「使えねえな!」などの罵倒。男の底辺職は定着率も低いので丁寧な指導をするという文化があまりない
突如発狂してベルトコンベアを蹴り出した先輩を止めようとして肩をどつかれる
ゴミ袋の回収が遅れて車内で延々と蹴られる
物覚えの極端に悪い後輩が延々と背中を小突かれ続けて四日で辞める
座り込んだ若い男の首根っこを掴んで立たせる
これが平常運転
モラルもない
工場内に置かれている溶接工専用のはずだった水分補給用の小型の冷蔵庫がルールが形骸化してみんな使い始めて溶接工がブチ切れる
ゴミ袋をベランダに貯めて虫が湧いて期間工のアパートから追い出される
「でも最低限の学歴や社会的地位が保障されている職場なら民度も高いのでは?」
そんなことはない
証券会社にいた頃は
・人の失敗をネタにして笑いを取ることで、上司に対する好感度稼ぎと俺を貶めることを並行して行う
・伝達事項をわざと伝えずミスを誘発して蹴落とそうとする
こんな非生産的な足の引っ張り合いが横行していた
> どこも男性の先輩はかなり積極的に教えてくれて、分からないところも書けば結構具体的にサポートしてくれる。嫌味も陰口も言わない
男に対する解像度が低すぎる。
言いたくないけどそれは増田が無能で敵だと思われていないから。
一度ライバル認定した相手に男がどれほど陰湿で攻撃的になるか、相手を引きずり下ろすためにどれだけ心血を注ぐか知らんだろ。
これは経験則だが、特に有能な女が相手だと敵意が凄まじいことになる。
男だけのコミュニティは雑で露悪的で下品で攻撃的であることが尊ばれる文化がある
3院めもすごくよさそうなんだが、
4つめで指摘された
「2年と100万つかって、一番期待していた横顔の変化は期待以下の結果だった」リスクは当然あるよね
正直、はたから見ている分には情報でもっとも重要な点を押さえてきているのは4つめに感じた。
「個人差があるからやってみないとわからない部分はあるが、経験則からはそこまで劇的な変化はないのではないか」
さらに増田がリスクとして懸念している抜歯もなしの方向みたいだし、
以下には勝手なことを書く
「誠実さを感じたがやれば良くなるという前提を混ぜ返されて何もわからなくなった」
この気持ちわかるつもりだ
ただ自分が思うに、これって素人が専門知識がないために非現実的なほど過剰な期待を持っちゃってるときの感情でもあるよね
増田は「歯科矯正すれば自分が満足できる横顔のラインが手に入るはず(むろん事前の想像と違ったり、医療ミスのリスクはあるが)」と思ってるだろう
これが思い込みすぎなのかもしれないと考えて決めたほうがいいかもしれない
やはりかみ合わせを正常にするのが目的なわけだろう
理想の程度によるが、歯科矯正した後で別の手術をしたほうが満足度が高いかも知らん
とは思った
黙って奢るが、女性側の態度が引っかかると何も言わず縁を切る。勉強代だと思って。
これが最適解じゃない?
実は自分が今まで交際した女性は食事代や遊ぶ金は全部割り勘にするか、こちらが多く出すとしても何かしらのお返しをくれていた。
経験則だが(なので一般化できない)、「男が奢って当たり前」という感覚の女性は遊び慣れている人だったり、年増でこじらせている人が多い。
自分の場合、若い頃に交際していた女性ほど真逆の考え方をしていた。ぶっちゃけ、奢ったことがない。逆に30後半くらいになってから出会った女性達は「奢りを期待している」人の割合が増えた。体感だけどな。
「育ちが良い女性は男の奢りが当然だと思っている」
女性=家庭、男=仕事という保守的な家庭なら、そういう女性が育つと思う。でも、俺の妻の両親は会社経営者でお金持ちだけど、妻は専門職で経済的にも自立してて、食事代は折半だったり、むしろ出してくれる。
でも、俺もある程度の年齢になるまで知らなかったけど、世間では奢りたいと思う男性は多いし、奢ってもらうのが普通と感じる女性も確かにそれなりにいると思うよ。
1. 「正直金は欲しいけど借金はしない人は頭が悪すぎる」について
必ずしもそうとは言えません。借金をしないという選択は、リスクを避けたい、安定を重視したいという価値観に基づく合理的な判断である場合があります。また、借金に頼らずに目標を達成できる能力があるとも言えます。頭の良さの定義は多岐にわたり、必ずしもお金を増やすことだけが賢さの指標ではありません。
2. 「周りの金持ってる奴らに借金したことあるか聞くと、ほぼ100%借金経験がある」について
これは、特定の人々を対象とした経験則に基づいた意見であり、全ての人に当てはまるわけではありません。成功者の中には、自己資金のみで事業を拡大したり、借金に頼らずに資産を築いたりした人も多く存在します。また、「金持ち」の定義や、どのような借金をしてきたのか(事業投資、住宅ローンなど)によっても意味合いが変わってきます。
3. 「なんなら現在進行系で借金してる。当たり前じゃん。金増やしたいんだから借金ぐらいするよ」について
借金は、テコのように少ない資金で大きな利益を得る可能性がある一方で、大きな損失を出すリスクも伴います。金利の支払いが発生するため、必ずしも得をするとは限りません。また、借金に依存した経営は、経済状況の変化に弱く、不安定な側面もあります。お金を増やす方法は借金だけではありません。
4. 「ここのリテラシーないやつが貯金して貧乏になってるんよな」について
貯金は、将来の不測の事態に備えるための重要な手段であり、安定した生活を送るための基盤となります。貯金だけで富裕層になることは難しいかもしれませんが、計画的な貯蓄は貧困のリスクを減らす上で非常に重要です。リテラシーとは、単に借金をしてお金を増やすことだけを指すのではなく、お金に関する包括的な知識や判断力を指します。
5. 「日本の教育でしっかり金って科目作らないと駄目だと思う。これをやらないから金貯め込もうとだけして貧乏人増やすことになるんだよ」について
金融教育の重要性には同意しますが、その内容が借金を推奨する方向に偏るべきではありません。金融教育では、貯蓄、投資、消費、リスク管理など、お金に関する包括的な知識をバランスよく教えるべきです。借金はあくまで選択肢の一つであり、全ての人に推奨されるべきものではありません。
借金を活用することでお金を効率的に増やせる場合があるのは事実ですが、それはあくまで手段の一つであり、全ての人にとって最適な方法ではありません。個人の価値観、リスク許容度、経済状況などを考慮し、借金をするかどうかは慎重に判断する必要があります。借金をしないという選択も、決して頭が悪いわけではなく、合理的な判断である場合も多いということをご理解いただければ幸いです。