はてなキーワード: 土曜日とは
うちは土曜日に来る予定なのでまだ余裕がある
どしたん? 土曜日やん
1.まずはセルクマして「すべて」に載せる
セルフブックマークは認められている。
増田の汚泥の底から掬い出す人は少ないので、自分でブックマークをする。
人が多い時間がいい。
早寝早起きな人が多くなってきた印象なので、土曜日曜祝日の20時から22時が狙い目。
雑学:f
音楽:R
エッセイ:m、s
性・恋愛:E、e
フェミニズム:a
テック系:I
三大〇〇:y
きな粉餅:s
ポエム:s
売国:b
3usersになれば「新着」に載る。
とりあえず誰か2人にブクマされる記事を書ければ、3人にはなるのでそこは頑張る。
あとは運次第。
非公開ブクマなのでボットかどうかわからないが、3までの足しにしてもいい。
過去にBOTを釣った事例もあるので、狙ってもいいかもしれない。(8〜9分に投稿すると0〜1分に非公開ブクマされやすい。らしい)
死にたかった。ずっと。なのに死のうとすると「ナゾの踏切」みたいなやつが降りてきて、急激に怖くなって死ねなかった。10年くらいそうだ。
今年4月、突然鬱になった。
地獄の苦しみだった。体が動かない。職場に休みの電話をかけるたび、「ナゾの踏切」がチラついた。
嬉しかった。今にして思えばあのまま死んでおけばよかったんだと思う。
目が覚めたあと、別件で病院に行った。薬が変わった。この薬がまあ、引くほど効いた。
毎朝起きられる、笑える、食える、眠れる。当たり前の毎日が戻ってきた。
実は10年前、全く同じ感覚になった日があった。よく晴れた土曜日だったと思う。包丁を首に当てたところで親が起きてきた。
chatGPTしか話せる相手がいないから、「薬で楽になったんだから、仕事つづけられるってことだよな」と聞いた。
chatGPTは元気いっぱい肯定した後、再発リスクについて教えてくれた。
自分がこの世の何もかもをナメてかかってて、甘えてるのはわかってる。
ここ半年くらいは週末になると甥っ子を預かっている。
子どもにはまだ伝えてないけど、たぶん本人もなんとなく察してる。
甥は今、中学一年生。
ちょうど反抗期というか、難しい時期だとは思う。
俺も妻も慣れてはきたけど、今でもどこかよそよそしい。
金曜の夜、せっかくだしどこか連れてってあげない?と提案したのは妻だった。
映画や動物園など検討した結果、最終的にボウリングに決まった。
俺も妻もたまに行くし、甥っ子も楽しめるかなって思って。
初めて来たようで、靴をレンタルするっていうのもボールを選ぶっていうのも全部が新鮮そうに見えた。
彼はいつもつまらなそうにしているので、少しだけ期待したんだ。
これなら楽しんでくれるんじゃないか?って。
ガッツポーズして「どう?」って笑って甥を見ると、彼は無表情だった。
俺も投げた。
9本倒れた。
「惜しい!」って妻が言ってくれたけど、やっぱり甥は黙ったまま。
甥の番になると、持ち上げるのもやっとな感じで、
二投目も同じ。
それでも妻は「最初はそんなもんだよ!コツつかめば楽しくなるって!」って声をかけて、俺も「だんだんハマるよ。ビン倒すの、気持ちいいし」と言ってみた。
でも甥は、こう言った。
「つまんない」
その瞬間、妻の笑顔が完全に消えた。
「もう一ゲームやる?」ってさっきまで妻は言ってたのに、その言葉が一気に空中に消えていった。
「こんなの、ただボール転がしてビン倒すだけじゃん。何が面白いの?」
甥は吐き捨てるみたいに言った。
まるで、俺たちがつまらない大人に見えてるみたいな言い方だった。
何も言い返せなかった。
「ビン倒すのが楽しいんだよ」と言っても、聞く耳を持たなかった。
俺も妻も、それ以上は何も言えなかった。
帰りの車の中は、地獄のようだった。
誰も一言も声を出さず、妻はずっと窓の外を見ていたし、俺は運転席でハンドルにぎったまま、
家について、甥は自分の荷物を持って無言で部屋に入っていった。
夜になって、妻が「私たち、何やってんだろうね」ってポツリと言った。
俺はなにも言い返せなかった。
ほんとに何も言えなかった。
言われたときよりも、何も言い返せなかった自分のほうが悔しい。
妻は夜、ちょっと泣いていた。
それを見て俺も泣いてしまった。
俺はボウリングの楽しさすら知らないのかもしれない。
「入部届は親同伴で提出すること」
→ 忙しい中、仕事を調整してお休みして、学校に書類を提出。なぜ親同伴なのかを顧問に確認したら「親と顧問が顔を合わせるのが大切だと思って」
は?
所要時間は1分。こっちは同僚や関係先と、あれこれ調整して作ったお休みなんだが?
医者から運動禁止と言われたので、しばらく入部を延期するかお休みしたいと伝えた。
「手の骨折で休むのか、足の筋トレならできるだろう。運動禁止?全部の運動か?何ならできるのか。できないなら見学だけでも毎日すべき。」
医者には運動禁止としか言われてないし、知らんがな。明日、病院に電話して聞くけどさ。。。骨折おしてまで運動する意味ある?
明日はせっかくの土曜日なのに、保護者会から呼ばれて、コーチ様を囲む飲み会にも出ないといけない。
終わったということはそういうことです。
長かったような短かったような……
次はもっとうまくやれると思うけれど次は無い。
誰かの参考になれば、などという殊勝な考え方は持ち合わせておりません。
様子がおかしくなったのは15年?くらい前。私よりも本人が異常を感じたらしいです。
忘れ物落とし物をすることが多くなった。
普段できていることができなくなった。
そこで「なら私がやる」にしてしまうとさらに何もできなくなるという話も聞いていたので今まで通り生活をしてもらってました。
その後、電車に乗れなくなった(東京近郊なんで免許は無くて仕事行くのも買い物行くのも電車という生活でした)という話を聞いてこれはまずいなとさすがの私も思いました。
とは言えそこまで切迫感を持っていたわけではありません。今思うとこの時点で相談すべきでしたね。
洗濯をすると靴下がばらばらになりました。症状は個人によって違うと思うので参考にもならないのかもしれませんがはっきりと覚えています。
そのころから日常的な家事すら満足にできない私に家事を教えたり、自分で地域の包括支援センターというところに相談したりをしていました。
そういう年なんでかかりつけの医者でも相談して例の薬をもらっていました。
そしてある日包括の人から電話が入っていて家族にも話がしたいと。
休みを取って訪問してもらってデイサービス等の利用を勧められました。
やっぱりショックでしたね。そりゃもう。
元気で言葉は悪いけれど「殺しても死ななそう」みたいな人がそういう判断をされるんだから。
介護サービスを利用するには継続的にお金がかかります。私の収入だけでは心もとない。そのお金をどう調達するか。
ところがです。やってしまった。正直に「認知症がぁ」とぽろっと漏らしてしまったのです。
向こうも困っていました。
そういう電話はコンプラ対策ですべて録音されているわけです。「認知症」はNGワードです。全部の会社でそうなのかはわからないですがその会社ではそうでした。
予定が狂いました……
親も働いていた人なので年金はあります。それじゃ足らない。うーん……
それでも今を生きられなくなるよりはましなのでそういう決断をしました。
給料が安くても毎月お金が入ってくる仕事についているのならしがみつけと。
親の介護が大変で仕事を辞めると共倒れしてしまう可能性がけっこう高いらしいです。
「自分を生んで面倒を見てくれた親よりも仕事を取るとはけしからん」という意見をお持ちの人もいるでしょう。
そこまで極端ではなくてもどっちを取るか迷う人はけっこう多いんじゃないかと思います。
私もそうでした。
自分のケースはただ一つですが包括の人は何十ものケースを見ているはずです。
他のケースも見たうえでそういうアドバイスをしてくれるということには重みを感じました。
もちろん最終的な決断は介護をする自分がしなければなりません。
認知症の場合は本人の決断というのが期待できないので家族が決断しなければなりません。
それでも、他の人の言うがままにこうした、と思うより、自分自身が最終決断したと思うことで自己満足ではありますが後々後悔することは少ないのではないかと私は思っています。
デイサービスというのは曜日単位なんですね。午前コースと午後コース、食事付食事無などいろいろなメニューがある。
利用するまで知りませんでした。
車が迎えに来てくれて車に乗ればあとは帰ってくるまでお任せです。
デイサービスの車の走行距離って全国合わせるとすごいことになってるんでしょうね。事故が多く報じられるのも納得です。毎日あれだけ走っていれば事故も多いわ。
最初のうちは私が家にいる土日は利用していなかったのですが土曜日は利用するようになりました。でもなかなか空かない曜日もあって毎日というわけにはいかない。
仕事続けられるんだろうか?
不安になりました。
デイサービスでは無理、常時介護をお願いできる施設の方がいいんじゃないか。
思い悩んでいるところで神風が吹きました。
それまで在宅勤務は0だったのですが100%在宅勤務になりました!
これなら、これならなんとかなる!
みんな「コロナのせいで」」とか「コロナさえなければ」と言っている中私は「コロナのおかげで!」
そう思った時期が私にもありました……
在宅勤務とは言えというか在宅勤務だからこそ打ち合わせとかありますよね。会議室取らなくていい分増えたような気もします。
打ち合わせしてるじゃないですか。
玄関は鍵閉めてその他対策をして簡単には外に出られないようにしているつもりだから盛り上がってしまったりします。
打ち合わせを終えるといなくなってる……
そして……夜眠っている。朝になるといない……
自分だったらこのトラップを初見で解除できない、そう思っている私が浅はかでした。
本当に認知力に問題あるのだろうか?俺に意地悪しているだけなんじゃないか?とすら思いました。
気を悪くする人もいるでしょうが、実際に触れてみると認知症になった人って子供に戻ってるんじゃないかと思うんですよね。
気を引くためにわざと怒られるようなことをしているように見える節があります。
子育てと似ているのかも。
ただ、根本的な違いがあって子育ては将来に希望があるし終わるタイミングがある程度見えている。
対して認知症の介護は将来治る見込みがなく終わるタイミングが全くわからない。
当たり前といえば当たり前ですが精神的な負担は認知症の介護の方が強いのではないかと思います。
育児も大変ですけど……
横道にそれましたがそんなこんなで限界が近づいているタイミングで利用しているデイサービスの方からももっと手厚い介護を受けた方がいいのではというお話をいただきました。
その時点では日中は家にいる時間よりデイサービスにいる時間の方が長くデイサービスでは私と違って誰かしらが見ている状況なのでそれでも厳しいということだったらと思いケアマネさんと相談を始めました。
提案をされたのはグループホームです。家族の収入にも寄りますが私の収入の場合は公的資金を頼るには多すぎて自己負担が大きい施設を利用するには少なすぎるという中途半端な状況。
無理なくとは言えないまでも無理をすれば支払いができるグループホームを何か所か提案してもらいました。
ここでもコロナで助かりました。
昼休みを潰すと見学に行けちゃうんですわ。やることをやっていればけっこう自由にできる職場だったんで「昼休みのあとちょっと遅れまーす」みたいなことを言えば外出できました。
コロナ前だったらこんな対応不可能でしたね。おそらく有休まで使いきって何日か欠勤してたでしょう。介護休暇?んなもん足りるわけねぇww
見学に行ってよさげに見えても私が決断する前に入居者が決まったり、そもそも見学している時には空きが無かったりとかもありました。
競争率激しいですねぇ。
決め手はなにか?
家から近い!
圧倒的に近い!!
施設は小規模で手厚いサポートとかには不安がありましたけど何かあった時にすぐに行けるという安心感でその施設を選びました。
これは入居してから聞いたのですが、施設で働いている職員の中に私の親が外を歩いているのを見ていた人もいました。
自分のところじゃなくてもいいから入居した方がよさそうだなと思っていたらしいです。
病状は進んで暴れたりすることもあり、気持ちを落ち着かせる薬をもらうのに家族の付き添いが必要ということで、そもそもそういう診断ができる精神科が少なくて予約もできないとかまぁいろいろありました。
そうこうしているうちにこれもまた運がいいことに歩きは無理だけど車なら無理なく行ける場所にあるお医者さんが受け入れてくれました。
診察は最初の1回だけでその後は私が様子を伝えれば処方箋と薬をもらいに行くだけという対応で済むようになりました。
そのお医者さんを見つけたのがかなり大きかったです。私がおかしくなったらそこに行こうかと思ってます。その時にもその先生はいるかどうかはわからんですけどね。
それ以外にもけがをしたりとかいろいろあるたびに医者には連れて行きました。最初は自分で連れていけましたが最終的には介護タクシーを利用しましたね。
車いす対応レンタカーを借りることも検討しましたが行く病院によっては介護タクシーの方が安くつきます。
そうこうしているうちに親の病状が落ち着いてきました。
落ち着いてきた……、それはつまり終わりが見えて来た、ということになります。
精神科にも通院しなくなりそうするとその都度聞いていた様子を聞かない月が出て来たり……
毎月のコミュニケーションはあるんですが通院する時のコミュニケーションはやっぱ濃かったんでね。
施設も職員さんも忙しい中時間を作ってくれてるのはわかるので通院と言う理由なしに「変わりないですよ」という一言を聞くためだけに時間をもらうのもなというのもありました。
ああ、ここでは逆に近いことがマイナスに作用したのかも。近いからいつでもいけるとおもっちゃうんですよね。
そして、様子がおかしいという連絡があり、ちょうど予定していた有休があるのでその時に顔を見に行くという話をしました。
しかしもう一度連絡があってその日が土日だったんでスーパーに買い物に行くついでにちょろっと顔を見に行きました。その時も今日明日と言うようには見えないと言われたし私もそう思ったんですが……。
その翌日、眠ったまま息を引き取りました。
親戚づきあいを濃密にしていたわけでもなく、同世代の友人もみんながみんな元気というわけでもなくということで私が1人で見送るつもりでいましたが、連絡がついた親族や友人経由で小ぢんまりには変わりないですが思ったよりも大勢にお見送りしてもらいました。
知らない人がいると思ってびびってたら40年ぶりくらいに会う人だった。わかるわけがないw
終わったらたぶんほっとするんだろうなぁと思ってましたが違いましたね。
後悔は無いです。
でも、次にやるんだったらもうちょっとうまくやります。経済的な、精神的な負担も今回よりは軽くなるようにやろうと思います。
次はありません。