はてなキーワード: 精神科医とは
その結果なのかわからないが、あまりにもケアレスミスが多くなってしまいとうとう上司に酷く怒られてしまった
自覚はあるので、パワハラだ!とかそういう怒りはないのだが、ただただ申し訳ない…
そんなとき、ふと社内サイトを見ていたら何でも相談室みたいなものを見つけた
何でもと言いつつ、よくよく読むとどうやらメンタルになりそうな人へのカウンセリングの時間らしい
そこそこ人気らしく、次の日にすぐ相談できるとはいかないのだが、予約しようと思った時点から3週間後の予約を取ることができた
まだ実際に話していないので何とも言えないが、そのサイトのコメントを読んでみると病院への斡旋もしてくれるらしい
正直、まだADHDなのかわからないが何かしらの治療ができたら嬉しいな、と思っている
とりあえずその機会を作ってくれるのは大手だからだろうな、と大学生活、就活など色々うまく行ったことに今感謝している
普段は周囲からも人当たりが良いとよく言われ、コミュ症的な要素がなかったから周りから指摘されることもなく今まで気づかなかった
ただ、よくよく思い返すとドリル的な宿題は一切やらなかった(テストの成績で親と教師を納得させた)し、ADHDのきらいは昔からあったのかもしれない
死に向き合ったことがあることはひとつの経験だと思う。気持ちとは別に身体がどう反応するものなのかとかも。飛び降りだとその逡巡を一瞬で行って、止めたくなっても止められないんだよね。成功した自殺は事故のようなものだと思う。直前には死にたくないと思ったろうに。
とりあえず相談する人がいないなら普通に通院すべきだと思った。一度も医者にかかったことが無さそう。田舎暮らしっぽいからまともな精神科医を見つけるの難しいだろうけれど。
通院のためにも人口が多い場所に行った方がいいんじゃない。父親の所とか。そんなに自分のことをおおごとに捉えるのも視野が狭いからに見える。無理やり広げるのも手よ。なんか全体的にすごい閉じてる感じがした。
寝れてる?食えてる?
メンタル(脳と消化器)に良いことをやり、人と競ったり見栄を気にする要素のない趣味をしながら2ヶ月くらい様子見て、それでもだめなら医療支援を受けるコースでどうか
メンタルに良いとされていること例:
など
どうすればいいか分からんかったら、福祉保健センターか役所の福祉課へ
あと、くれぐれもSNSや動画サイト等でクソ精神科医やカウンセラー()どもの投稿を見たり、奴らの本を読んだりしないこと
アルコール依存症が身体拘束嫌だから同室の老人殺したみたいな話もちょっと、お、おぉ…、って感じに思ったけど、
それでも、普通に警察に引き渡す事件だし、起っちゃったもんはしょうがないし、遺族と裁判で揉めることになるのが嫌とか?
でも、病院側の落ち度があるだろうとはいえ、歯ブラシで頭部を滅多刺しとか、防ぐの難しいよなぁと思うし、
もしかしたら、なんか事件と別のことが発覚するのが怖くて、ウソの診断書を作成したんじゃないかと思ってたけど、
まさか、ずっと昔からウソの診断書を作り続けてた、深夜に死亡診断をするのがめんどくさかった、までは思わなかったわ…😟
あと、院長先生と精神科担当医が親族で兄弟とか、やっぱりデカい病院でも、医師がやたら親族の親族経営のところとかあるし、
イヤな印象しかないんだけど、やっぱよくないね、仮に精神科医の弟がやったとして、親族だから甘くなるし処罰や解雇しないだろうし…😟
精神科の閉鎖病棟でも、普通にみんな並んで歯磨いたりするし、歯ブラシ取り上げるってのも面倒よな
でも、そんなレベルじゃなくて、ずっと昔からウソの死亡診断書を作成してたなんて、前代未聞だし、病院ごと潰すべきだわ、内科の病床もあるし、怖いわ
精神科医の観点から、この人生訓を唱える人物の心理状態を分析すると、以下のような問題点が浮かび上がります:
結論として、この人物は深刻な心理的問題を抱えており、専門的な精神医学的介入が必要です。自己否定感の軽減、対人関係の改善、そして人生への前向きな姿勢の構築が治療目標となるでしょう。長期的な精神療法と必要に応じた薬物療法の組み合わせが、この人物の心理的健康の回復に効果的であると考えられます。
Citations:
[1] https://s-office-k.com/technique/psychoanalysis
[2] https://www.direct-commu.com/chie/mental/jikohitei01/
[3] https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyushuneurop/67/2/67_35/_pdf/-char/ja
[4] https://www.youtube.com/watch?v=-Hy5e9GNa4A
[5] https://www.hoikuplus.com/post/usefulnurtureinfo/2430
[6] https://www.natural-c.com/blog/2020/08/post-222-748927.html
[7] https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyushuneurop/63/3_4/63_153/_pdf
精神的な異常がみられる長文に対してプリントアウトして精神科医に見せろという人を見かける。
私は精神科にも皮膚科にも定期的にかかっているが、少なくともその医者たちはそういう手製の参考資料を見せても、読み上げても、適当な反応しかしないような人だった。
読み上げる場合は適当に聞いているふりして、chatgptのようにうわっつらの回答をされる感じだった。
親も精神科ではないがADHDの気を自覚していて、自分の病状について気になっていることを正確を期そうと長ったらしく質問するくせがあるが、結局細部はほとんど聞いていないような答えをされているのを感じるそうだ。
知っているかもしれないが精神科は一人に対して時間を多くとればそれだけ多くの診療報酬が得られる制度なのに対し、皮膚科はそうなっていない。
よって皮膚科はより回転数を上げるためか、診察室に入るやいなや、事前に決めていた問診をさっさと消化しようと前のめりに発言してくるような態度が顕著だ。
こちらはこちらで診察室に入った瞬間質問してもそれとほぼ同時にあちらは自分の言いたいことを言ってくるので、話がかみ合わずあちらの異常がみられる長文に対してプリントアウトして精神科医に見せろという人を見かける。
私は精神科にも皮膚科にも定期的にかかっているが、少なくともその医者たちはそういう手製の参考資料を見せても、読み上げても、適当な反応しかしないような人だった。
読み上げる場合は適当に聞いているふりして、chatgptのようにうわっつらの回答をされる感じだった。
親も精神科ではないがADHDの気を自覚していて、自分の病状について気になっていることを正確を期そうと長ったらしく質問するくせがあるが、結局細部はほとんど聞いていないような答えをされているのを感じるそうだ。
知っているかもしれないが精神科は一人に対して時間を多くとればそれだけ多くの診療報酬が得られる制度なのに対し、皮膚科はそうなっていない。
よって皮膚科はより回転数を上げるためか、診察室に入るやいなや、事前に決めていた問診をさっさと消化しようと前のめりに発言してくるような態度が顕著だ。
こちらはこちらで診察室に入った瞬間質問してもそれとほぼ同時にあちらは自分の言いたいことを言ってくるので、話がかみ合わずあちらのペースになってしまう。
精神科のほうがまだましなはずなのだが、大学受験の国語の問題ようには一生懸命向き合ってくれてなそうな部分は変わらない。
プリントアウトして見せればより治療が最適化されるという考えはあまり適切とは思われない。
病院も慈善事業ではないので、素人の長文を熱心に分析してくれるほどの赤ひげ先生並みの聖人があまり期待できないのは仕方のないことなのかもしれない。
分裂病の少女の手記←事実上はルネという患者の少女とその精神科の担当医との共著なのに精神科医だけが著者という扱いになっててなんか可哀想になった。
印税分配ぐらいしてあげたのかなあ。
なんか統合失調症の陽性症状というよりは躁状態っぽいな〜と思いながら読んでた。
保護入院ってのは医療保護入院のことかな? だとしたら元増田が同意してようがしてなかろうが強制的にぶち込まれてたと思うよ。医療保護入院は非自発的入院の一形態なので。
元増田の同意があってはじめて入院が成立したならそれは任意入院だ。
発達障害でも一過性に統合失調症様症状(Psychosisと言う)が出ることがあるから、結局のところ増田はそれでしたって判断になってるのかな、現時点では。
精神科病名は暫定的診断であることが多いから今後の推移次第でまた病名が変わってくる可能性はあるよね。
たとえば統合失調感情症だとか、精神症の特徴を伴う双極症とか、変わった精神科医なら非定形精神症の病名をつけるかもしれない。
発熱のくだりとか、NPSLEかな?器質性かな?症状精神症かな? と思わせるようなくだりもあるし。
なんかでも、いま発達障害という診断名で落ち着いていようが、少量でもいいから抗精神病薬は服薬し続けていたほうが良さそうな感じはするね、元増田の経緯を読むと。
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童精神科専門になってしまい、私のような大人の発達障害や統合失調症を受け入れなくなってしまったと風の噂で聞いている。dorawiiより
どうしよう、急に合宿行きたくなって切なくなってきた。
大学時代はそりゃもう楽しかった。すごく楽しかった。大学に入って本当に良かったと思っている。
学生時代に戻りたいみたいなの全然ないんだけど、軽音サークルの動画やインタビューを見てたら、急に合宿に行きたくなった。
4年間一度も。
私は躁鬱病を患っており、大人数での宿泊、合宿に行くとなぜだか必ず精神の体調を崩す。躁すぎて突拍子もない行動をしたり、鬱すぎて泣き喚いたりなど、とても通常とは言い難い状態になる。
高校生の頃はそれでもなんとか参加していたが(そのあとしばらく学校に休んだりした)大学では教授が精神科医として活動していることもあり、私の様子を見て、参加はやめておいた方がいいのではないかと、参加しなくても滞りなく学習が進む提案をしてくれた。
私もあんな目には空いたくない(&周りを巻き込みたくない)し、精神の体調を崩すことによる留年や中退のリスクを避けたい気持ちもあり、同意した。
仲のいいグループと楽しい時を過ごせなかったのは残念だったが、合宿中はグループLINEの通知をオフにしていたため寂しさを感じることはなかった。
合宿で得るはずの単位は他の授業で補完し、無事大学を卒業した。
今思えば、私が合宿中に寂しさを感じなかったのは、仲のいいグループのみんなが私に配慮してくれていたからだと思う。私の前では合宿の話をほとんどしなかった。
卒業旅行ではなくみんなで遠くにお出かけしよう!となったのも、宿泊ができない私のことを考えてくれていたのだった。
とても優しいメンバーだが、実はグループ内でのちょっとした不仲が発覚し、その後あの時のみんなで集まることは一切なくなった。(個人個人で会うことはある)だから、大人になって旅行しよう!!というのも今更できない。
合宿に行かないという選択をしたのは自分だけど、旅行じゃなくて合宿の一環としてみんなで海に行ったり花火したり、浴衣ではしゃいだり、今になってすごーく憧れる。飲みつぶれてフラフラとかさ(飲みつぶれるのはよくないけど)
並んで集合写真撮ったりとか
もうできないんだよなー
私が精神科にかかりたいと話すと、親は占い師に相談した。占いの結果を元に「そう思い込んでいるだけだ」「甘えてるだけだ」「精神科に行けば薬漬けにされる」などと家の中で罵るようになった。
私が自殺未遂を繰り返すようになると、近場の新興宗教の知り合いから、新橋にある漢方薬で精神病を治す医者のことを聞き、親はそこなら通院を妥協する言ってきた。
都心にまで出かけられるようになるまで数年かかったが、遂に、その新橋の精神科医のところに辿り着き、薬を飲むと、確かに体調が良くなった。
動悸がするようになって、内科を受診するために、新橋の精神科医から紹介状を貰ったのだが、実は漢方薬ではなく、精神科の薬を5種類を細かく砕いて、茶色の粉末に着色してることが分かったのだ。
親に問いただすと「先代は漢方薬を使っていたはずだ。二代目の息子は学歴が低いから漢方を扱えないに違いない」などと怒鳴り散らしながら新橋に押しかけ、一発で出禁となった。
これは私も出禁になったのだろうか。
私は薬に何のこだわりがない。新橋の先生は話をよく聞いてくれて、私に合う薬を出してくれていた。
しかし、親は「先代の漢方の名医がいる時に受診しなかったお前が悪い。私は悪くない。」などと喚き、私を無視するようになった。
今、私が何を許されているのかが、分からなくなった。新橋に通えないなら、別の病院にまたいちかは通っても、また親から難癖をつけられ、病院に嫌がらせをして迷惑をかけたら申し訳ない。
田舎で自転車に乗ってると不審者扱いされるって話があったので、サンプルとして自分の地元の紹介をしたい
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住民同士の遭遇率が高い
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「●●のとこの息子さんはスポーツマンだね~w(やや蔑みのニュアンス有)」
殴り書きであれですがこんな感じ。今は地方を脱出して都心部で暮らしてるけど、この生きやすさは何物にも代えがたい。年とって実家に戻るというオプションがあるが絶対に避けたい選択肢。。。
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むかしは家に鍵を掛けないのが自慢だった
今は掛ける
落伍者に優しくない
免許持ってないと異性を紹介してもらえない
髪を染めてる奥さんは陰口言われる
ピアスしてても言われる
離婚すると一生噂話の種
少ない人口密度
住民同士の遭遇率が高い
住民の均質性が高い
「●●のとこの息子さんはスポーツマンだね~w(やや蔑みのニュアンス有)」
殴り書きであれですがこんな感じ。今は地方を脱出して都心部で暮らしてるけど、この生きやすさは何物にも代えがたい。年とって実家に戻るというオプションがあるが絶対に避けたい選択肢。。。
田舎で自転車に乗ってると不審者扱いされるって話があったので、サンプルとして自分の地元の紹介をしたい
人口3万人
平成の大合併で市or町になった
県庁所在地までは車で40分
観光地は無い
転校生は珍しい
戸建住みが多い
マンションには住まない
スーパーは3択。ローカルチェーン、ヨーカドー系列、イオン系列
買い物に行くと知り合いに会う。会わないことはない
芸能人もいない
デザイナーもいない
むかしは家に鍵を掛けないのが自慢だった
今は掛ける
落伍者に優しくない
免許持ってないと異性を紹介してもらえない
髪を染めてる奥さんは陰口言われる
ピアスしてても言われる
離婚すると一生噂話の種
少ない人口密度
住民同士の遭遇率が高い
住民の均質性が高い
「●●のとこの息子さんはスポーツマンだね~w(やや蔑みのニュアンス有)」
殴り書きであれですがこんな感じ。今は地方を脱出して都心部で暮らしてるけど、この生きやすさは何物にも代えがたい。年とって実家に戻るというオプションがあるが絶対に避けたい選択肢。。。