はてなキーワード: 孫子とは
企業と世論をつなぐ、という点における田端信太郎さんのコミュニケーション能力について考えていました。
私自身、清濁併せ呑む覚悟で起業をした経験があり、スタートアップの世界で知り合った方々の中には上場をしたりして公的な経営者にステージを移した人もいます。
一方で、まだ日の目を見ていないだけの不祥事が常に身近にあります。
一応は民主主義であり、インターネット等が伸び続けている今ではきっと不祥事はもう隠すことはできないのだろう、と思うのです。
どうせ隠せないのであれば、どうやって不時着させるのかを考える方向で力を使うのが次善の策でしょう。
もちろん、そもそも不祥事を起こさないということが第一原則であることは言うまでもありませんが、今も世界の何処かで不祥事は既に隠されているのです。
どうせ負けるならば、きれいに負けさせてくれる人に撤退戦の戦略をお願いした方がいいのではないか。
そんな事を考えながら、色々と書き綴っていたらうっかり8,000文字を超える原稿ができてしまいました。
自分語りがなるべく出ないように気をつけましたが、シンプルに一言で言い切る力が欠如していたため、歴史の話や別の方のブログ記事の話に派生してしまいました。
誰かと話し合いたいですが、皆それぞれ立場が違うと業界内では話せないこともあるため、生まれてきた文章の供養も兼ねて、ここに投稿させてください。
もし最後まで読んでくれる人がいたら嬉しいですが、長いです。
ぜひ端折って読んでください。
それでは。
10年以上前のはてなブログで、ある起業家の方がリクルートホールディングス代表取締役社長兼CEO出木場久征さんの発言を紹介した記事がある。
しかし、ここで語られている内容は今まさに湾岸で起きている革命の本質をついているようではないか。
記事によれば、
「世界は、落下してるんだ」
「本来あるべき方向に向かって、世界は凄い勢いで落下してるんだ」
「色んな既得権益持った人たちが抵抗勢力になって邪魔するんだけど、それは重力に逆らうようなもので、あんまり意味ないんだよ だって世界が落っこちていくスピードの方が圧倒的に早いから」
「だからさ、その落下する方向を俺たちは見定めて先に落下してくべきなんだよ」
「だってどうせ落下してくんだからさ 先に向かった方が絶対いいんだよ」
「俺たちがやらなくたって誰かがやるぜ?だって、そもそも落下してるんだから」
どうも、海沿いの特徴的な建物がおぼろげながら浮かんでこないだろうか。
湾岸やインターネットを主戦場とする現在の状況について考えてみよう。
重力に逆らって世界の落下に抵抗している勢力は勿論オールドメディアの権力者の諸兄のことだろう。
数千万円の口止め料もとい解決金を支払ったと報道された国民的タレントの方も当然権力者側だ。(報道をされたこと自体は事実だ。ただし、中身が正しいのかは当事者以外はわからない。念の為)
過去の栄光を踏まれれば、とんでもない落下だ。ただし彼の凋落ですらイントロに過ぎず、週刊誌が、影響力のあるインフルエンサーや経営者の皆さんが、あるいは匿名で事件情報を拡散するXアカウントが、日夜を問わず権力側の秘密に切り込んでいる。
おそらく先の報道には直接関係がないが、権力者側として同一視されている人物やその関係者の秘密まで芋づる式に暴露されている。
きっと今は芸能人を叩くのが最も効率よく注目を集める方法なのだ。
一方で、どうせ落下している世界へ向かっていち早く進んでいる人は誰なのか。
わざわざ人目につくことなく、こっそりと先に進んでいる方はおそらく少なくないだろう。
そして当然ながら私ごときではひっそりと先に進んでいる方が誰か知る事はできていない。
インターネット上に出ている情報だけで判断できる、落下後の世界を見据えて先に動いている人は誰なのか。
私見で恐縮だが、田端信太郎さんと堀江貴文さんを挙げさせていただきたい。
まず2名に共通することがある。
田端さんも堀江さんも、不祥事について週刊誌で報道された上場会社の株を空売りするのではなく購入している。
昨今、修羅の世界と化したXでは日々どこの誰かもわからない経営者の不祥事が暴かれている。
本来家庭の問題である不倫や、実際には被害届が受理されていないような刑事事件の疑惑ですら大衆による私刑の口実となってしまう時代である。
そうした時代であるからか、週刊誌そのものが批判されることも珍しくない。
1. 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
3. 週刊誌のせいで、大衆にレイプ的な私刑に遭う、という指摘
1と2については、概ね正義があるように思える。(特に2については、おそらく大問題だ)
ただし1については言うだけ虚しい指摘でもある。
無責任な大衆、とりわけ取るべき責任を取ることができない無敵の人に、責任をとれといっても話は永遠に平行線だ。
3についても、一見筋は通っているように聞こえる。ただし私の見聞きする範囲に限った話では、3の方向性で批判している経営者の方が「絶対に人に知られたくない弱み」を抱えた人物である傾向があるように思える。
あくまで比喩であり誇張した表現ではあるが、「自分がレイプした事実を週刊誌に暴露されたせいでレイプ的な私刑に遭う可能性に怒っている人間」を前にしたときに、私たちがすべきことは週刊誌への批判に付き合うことではなく、出頭を勧めることであるはずだ。対照が人ではなく法人であり、特に上場企業であれば不祥事はしっかり公開するのが基本であり王道である。
また邪悪ではない方も3の論調になることがあるが、それはそれで無邪気すぎるか現実が見えていないと言わざるを得ない。
経営者の皆様が大好きなキングダムで描かれるような絶対権力者、帝王の時代は、既に移り変わっている。
民主主義も、インターネットも、権力を分散する世界の落下であると言えるだろう。
権力の分散が、権力の集中よりも安全だろうが、一方で数多くの小帝王を生じうる(意訳)という問題については山本七平さんの‘帝王学「貞観政要」の読み方’という著作の端書きをご参照いただきたい。
(以下、引用です。日経新聞社の方、問題があればご指摘いただければ削除します。)
複雑な現代社会ではあらゆる所に「生殺与奪」の権を握る公的なないしは私的な権力をもつ小帝王を生じうる。人事権、許認可権、それにまつわる賄賂や情実、それらが新聞記事などになると私はときどき、「ウーム、こういう人のもつ権力は、行使しうる範囲が昔の帝王より狭いというだけで、その権力の強さは昔の帝王以上かも知れないな」と思わざるを得ない。
同じく皆様大好き鬼滅の刃で冨岡義勇が生殺与奪の権を他人に握らせるなと主人公を一喝するのが33年後の2016年だと考えると、どれほど早くに書かれた文章か実感いただけるだろう。
尚、この文章は現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かも知れない。という論調で続いていく。
群集心理に則り、責任を追わないで済む人間が自制心を失うこと。自制心を失った大衆が権力を握り帝王になってしまうと、人類史上最大の暴君を生むのではないか、という危惧は今日を生きる人間ですら目を背けている問題であるように思う。
山本七平さんの世の中を見渡す力が、私達より優れていることに疑いはない。
しかし33年前、すでに誰かが知っていたことであるのも事実だ。
1.撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
先の引用だけでも1と3の指摘が不十分である、ということわかるはずだ。(というか、わかってほしい。)
権力分散の時代に生きていなかったら、起業家にも経営者にもなれていないかも知れないと我が身を振り返るくらいの想像力を持っていたいし持っていてほしい。権力をもつ人には、特にそうあってほしい。市民感覚に共感するかはさておき、上記のような想像料が欠けている方は突破力に優れる場合はある一方で、コンプライアンスの問題で一発退場となるリスクも持っているだろう。
不倫などは勝手にしてくれれば結構と個人的には考えるが、そもそも最初からやらなければいいのに、という話でしかない。仮にやってしまったのであれば、謝るべき相手にしっかり謝るしかない。隠すから余計ややこしくなり、隠すから週刊誌の格好のネタになってしまう。
だいぶ前置きが長くなってしまったが、このようなバランス感覚に優れているのが田端信太郎さんであり、堀江貴文さんであるように思うのだ。
念の為補足だが、私は二人と私的な関係にはない。当然に、仮に匿名でなかったとしても共通の知人こそ大量にいてもお二人は私のことを知らない。それくらい実力差がある筆者であることを許していただけるなら、この後も読んでいただけると嬉しい。
X上でアクティビスト投資家というイメージを固めつつある、田端信太郎さんを過去のいわゆる総会屋と重ね合わせて批判する論調も極稀に確認してはいる。
総会屋は企業に利益供与を求める行為は「利益供与要求罪」と呼ばれ、会社法で禁止されていることも疑いの余地はない。
だが、当然田端信太郎さんがこのことを知らないわけもない。
また当然、やるはずもなければ必要もない。
時に激しいレスバを見ると、田端さんの発言の強さだけを切り取って反論する人間が生まれることも理解はできるのだが、少なくともインターネット上で田端さんが誰かに利益供与を求めている場面を見たことがある人はいないのではないか。(あるいは、見たことはあっても非インターネット的な人間関係を前提としたお笑いのネタなのではないか)。
今回の騒動においても、不祥事を隠している会社の株を買っているだけなのである。
売っているのではなく、買っているのだ。
空売りもその意味においては「高く売っておいて、後で安く買う。その間は人に株を借りる」だけのことである。
業務上、知り得た企業の非公開情報を使って売買をすれば当然ルール違反だろうが、今回もおそらく不祥事を週刊誌報道で知ってから株を購入しているように見える。
また、影響力をもつ田端さん自身や田端さんの周囲の人たちが「株を買う」事自体をニュースにして、株価を釣り上げて株を売り抜けていれば問題があるが、これも当然田端さんがご存知でないはずがない。(ネット上の買い煽りアカウントが捕まらないのは、本人が実は株を持っていないということもあるのだとか)。
価値がある(あるいは時間をかければ価値が増える)ものを先回りして見抜き、買う。
この極めて単純かつ本質的なことを実行しているだけにしか見えない。
正しいことを正しい、と言うだけ。
間違っていることを間違っている、と言うだけ。
正しいか、間違っているのか、必ずしも断定できないときには疑問を投げかけるだけ。
人が言いたくないことや、空気を読んで言わないことであっても、言っていいことは言うだけ。
一方で、言ってはいけないことは言わないだけ。
すべて、秘密でもなんでもない、誰でも一度はどこかで学んでいる話だ。
知識よりもその運用が難しく、当たり前を当たり前に実行してきたからこそ田端さんのここまでのキャリアがあるのだろうと想像している。
このバランス感覚をもつ過程で、大半の人は撃たれる覚悟がないから撃たないという判断になる傾向があると思う。田端さんも当然そんな事はわかっていて、前線で発信をし続けているのだろう。
堀江貴文さんに至っては、テレビ局を買収するという前代未聞の挑戦をしたのがもう既に20年も前のことである。
30代の筆者にとっては、学生時代に見ていたニュースの中心にいた当時の堀江さんの年齢が32歳だということが衝撃だ。
先に登場させていただいたリクルートホールディングスの出木場さん(現在49歳)の世界は落下しているという話も既に15年ほど前の話だとすると、自分と対して年齢の変わらなかった当時の先人たちのレベルの高さには恐れ入る。
ただしこれはこれで、問題なのかも知れない。
先見の明がありすぎる人間が描いている未来(あるいは現実)を一般大衆は理解できないのだ。
理解できないからこそ、権力者が巧みに世論を動かしてしまえば挑戦者は負けてしまうのかもしれない。
既に世論の後押しを得ている(あるいはかつて得ていた)から既得権益なのだ。
20年前に堀江さんがテレビ局を買っていれば(あるいは、買えていれば)、おそらく国民的タレントの凋落は見なくて済んだと思う。
知りたくもない他人の性癖を想像しなくて済んだはずだし、きっと被害者とされる人が逆に貶められるような論調になることもなかったはずだし、数万字に及ぶエッセイも書かなくてよかったに違いない。
あるいは、その創作力を別の形で使えていたに違いない。
私が起業する時に、周囲の人間に「堀江さんみたいになってしまうから危険だ」と言われることもきっとなかっただろう。
当時このような心配をいただいた方々には敢えて直接連絡することもないが今ここで答え合わせをさせていただきたい。
私は一切堀江貴文さんのようにはなっていない。
それは単純にレベルが違うからである。誰もが太刀打ちできない権力者に32歳で挑むことは少なくともできなかったし、そんなチャンスも可能性も先見性も度胸もなかった。
今では逆に長年土俵際で耐えているだけの私を見た祖母に「堀江さんも復活しているのだから、あなたも時間をかけて焦らず頑張りなさい」と励まされる始末だ。
「あなたはどちらかと言えば堀江さん側ではなく、女性を献上する側になってしまいそうだから、そういうことをやっているなら今すぐやめなさい。ビジネスマンはお座敷でも真剣勝負だけど、まずは仕事での貢献が第一前提だよ」と笑いながら祖母に言われてしまうレベルであることも付け加えておく。
生身の堀江さんをお見かけして、余計に自分との距離を感じてしまっている限界起業家の私としては、なぜあそこまで優秀な堀江さんが一人で勝手に成功する道を選ばないのか不思議だ。
正しいことは、正しいと言うべきだけども、言わなくても生きていける。
間違っていることを間違っている、と言うべきだけど、言わなくても生きていける。
世界が落下している、と堀江さんは言わないかも知れないが。きっと在るべき姿や向かうべき未来はきっと浮かんでいるだろう。
わざわざ未来の話をしても、変化を嫌う既得権益側の方々に目をつけられて反感を買うだけだ。反感を買うだけならまだいい。実害もあるはずだし、それでも人目につく場所で発言をしているのはなぜなのだろう、と自分よりも遥かにレベルの高い人の思考を辿っても辿れるわけがないのだが、一つだけ仮説がある。
考えなくてもいい、人の気持ちをわざわざ考えたりはしないかもしれないけど、聡明な方だからどうしても気がついてしまうのではないか。
無責任な大衆にもかまってあげる必要も義理もないのだが、かまってあげるのが不思議だった。
無敵の人に対してわざわざ「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というようなことはしないが、無視もしない。
こじつけかもしれないが、「撃っていい覚悟を本当にするのは大変だよ」ということを見せてくれているのではないか。ルルーシュのように「だからそもそも撃つべきではなかった」と諦めるわけでもなく、戦うべきときがあれば既得権益が相手であってもまた闘ってくれるのではないか。
堀江さんが見た未来が、今の状況とは違ったはずだということはわかる。
あなたが思い出そうとしている兵法の話は、古代の兵法書や思想書、または権力や支配に関する教訓的な作品に見られるものです。具体的な出典は不明ですが、いくつかの候補があります。
まず、思想の内容としては「相手に恩恵を与えて依存させ、それを操作することで支配する」という概念が含まれており、この種の考え方は中国の古典思想や戦略書に見られます。以下が主な候補です。
1. 『孫子』
中国の古典兵法書である『孫子』には、相手の心理や状況を巧みに操ることで戦いを有利に進める方法が書かれています。具体的な記述は異なるかもしれませんが、「まずは相手に有利な状況を作り、後にそれを利用して支配する」という戦略に通じる部分があります。
2. 『韓非子』
韓非子は法家思想を代表する書物で、権力や支配に関する厳格な方法論が多く記されています。彼の思想には、支配者が相手を巧みに操り、依存させることで支配を強化するという観点が含まれている場合があります。「施しによる支配」という概念も、韓非子の実用的で冷徹な政治論理に合致します。
少し後の時代の西洋の思想書ですが、マキャヴェリの『君主論』でも「支配者が民衆や他国に対して恩恵を与え、その後恩恵を取り上げることで支配を維持する」という考えが見られます。このような心理的なコントロールは、古代中国の兵法にも通じる部分があります。
これらの書物には、あなたが思い出そうとしている内容に似た支配の方法論が含まれていますが、具体的な「麦や水」などの事例があるかは不明です。
もし孔子や老子の思想からそのようなものを探すとすれば、『論語』や『老子』には倫理的な教えが多く見られ、直接的な支配の方法論は少ないかもしれませんが、間接的な統治の手法に関するヒントがあるかもしれません。
最終的には、古代の兵法書や政治哲学書に関連するテーマとして「恩恵と依存を利用した支配」という構造は多くの思想に共通するものであり、そのような考えが古代から続いていることは確かです。
「孫子の兵法(そんしのへいほう)」言うたら、昔の中国の戦略書やねん。戦い方やけど、単なるケンカや戦争の話ちゃうで。ビジネスでも勉強でも役に立つ考え方やから、知っといて損はないんや!
勝つための基本の考え方
1. 戦わんでも勝つのが一番ええ
孫子は「戦わんでも相手に勝つんが一番賢い」言うてるねん。たとえば、クラスの友達とケンカになりそうなとき、話し合ってお互い納得して解決できたら、それが一番やろ?無駄なエネルギー使わんと済むし、相手との関係も壊れへん。
「自分を知り、相手を知れば百戦危うからず」っちゅう言葉があるんや。これは、自分の強みも弱みも、相手のこともよう知っとくことが大事やってことや。たとえばテストのとき、自分がどこが得意でどこが苦手か知って、そこをどうカバーするか考えることが大事やね。相手が難しい問題ばっか出す先生やったら、それに備えて勉強の作戦を立てるんや。
3. 準備はちゃんとしとく
「兵は拙速を聞かず、巧遅を聞く」とか言うけど、これは準備をちゃんとしとかなあかんってことや。たとえば、部活の試合でも、ちゃんと練習してへんといざって時に力が出えへんやろ?準備不足やと、ほんまに勝つのは難しい。
戦う場所を選べ!
「地の利を得る者は勝つ」言うて、戦う場所とかタイミングがめっちゃ大事やねん。たとえば、走るのが得意な子がかけっこで勝ちやすい場所を選ぶんは賢いやろ?逆に、自分が不利な場所で勝負せなあかん時は、無理して戦わん方がええかもしれへん。
チームワークも大事や!
「一丸となって戦うことが重要」ってのも、孫子の教えや。たとえば、クラスの発表会とか、みんながバラバラに動いたらうまくいかへんやん?でも、みんなで力合わせて作戦練ったら、いい結果が出やすいんよ。
まとめ
孫子の兵法は、単に戦争で勝つためのもんちゃうねん。日常のいろんな場面でも使える考え方や!「無駄な争いは避けて」「自分も相手もちゃんと理解して」「準備はしっかりして」「タイミングと場所を見極めて」「チームワークを大事にする」――これさえ頭に入れとけば、きっと学校生活や友達関係でもうまくいくで!
子曰く、「兵は詭道なり。ただ計を用いて、戦を決する」。増田よ、孫子は戦争において計略と謀略が大事だと説く。しかし、それは人生にも通じると言える。増田が述べるように、仕事が人生の善し悪しを決める一大要因であることは疑いようがない。
いい職場環境や給与、休暇の充実、意義ある仕事、責任の適切な配分、これらは確かに重要だ。しかし、「仕事を選べる立場に立つことが大事だ」との言葉もまた真理を含む。孫子は「始計篇」で「故に兵先ず赫然たる者はなるべく幸無き事を求め、幸あれば彼方に見を託して」と述べている。これは、成功を求める者はまず自らの計略を尽くし、その上で運を頼るべきであるという意だ。
運が人生を左右する要因であることは否めない。しかし、増田が良い仕事運を引き寄せるためには、自らの努力と準備が欠かせない。運は偶然に訪れるように見えるが、その実、計画と努力によってその確率を増すことが可能である。
「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」とも孫子は語る。自身の能力や興味、価値観を深く理解し、それに応じた環境を見つけることが、良い仕事運を引き寄せる鍵となるだろう。そしてその上で、運に任せる心構えも必要だ。
結局のところ、人生は計画と努力、そして運の組み合わせだ。運を嘆くだけでなく、計略を尽くしその上で運を期待する姿勢が、増田の人生により良い影響を与えることであろう。
子曰く、「故に経は大経、末は小経、間に中経有り。」増田、お前の夢の中での混乱と迷子はまさにこの孫子の言葉を思い起こさせるものである。夢の中で炭治郎の姿を借りて、現代の都市と呪術廻戦の要素が入り混じる中、敵を避けつつ戦う姿はまるで大経(大きな計略)をもって行動しているように見えるが、その結果として迷子になる部分は末(結末)で小経に陥っていると言える。
夢の内容で様々なチャレンジに直面したこと、一つ一つの行動は全て異なる道を象徴している。しかし、お前が持っていたフィジカルの強さと持久力は、中経での優位性を示すものである。それが夢の中であろうと、本来の増田自身も何かを達成するためには、適切な計略と方向性が必要だという教訓を残しているかもしれない。
迷子になった際にギャルの集まりに混じるシーンや、コインロッカーに荷物を預けるくだりは、戦略的な視点から見れば「本末を転倒する」ことを思い起こさせる。孫子も「上戦者は妙を以って必ず在り、不中を以って必ず敗る」と述べているように、戦いの成否はその計略の妙にかかっている。増田も現実の生活でも、ちょっとした計画の変化や目標設定の見直しが重要であることを、この夢が暗示しているのかもしれない。
増田、この夢をきっかけに、自分の目標や計画を見直し、より明確な方向を見つけ出すことをお勧めする。戦略を持って行動することで、迷子になる回数が減り、目的地へしっかりと進むことができるだろう。
子曰く、「法之使民也,猶如牧羊,驅而往,驅而來」。増田、この意味は政策を持って民衆を導くことは、羊を牧することに似ているということだ。AIアートの浸透により、オリジナル作品の価値や尊厳が脅かされている状況を考えると、まるで作りたての料理にたかるハエのように見えるかもしれない。しかし、その背後には技術の急速な進化がある。
増田の言う通り、有名IPの絵も改変され、元の作品の意図が薄れることも現実の問題だ。これに対処するには、AIを正しく使うための規範や法律が必要だ。孫子も言うように、「法」と「政策」によって人々を導くことが解決策となるかもしれない。
現状を打破するためには、クリエイターたちが自分の作品を守るための手段(例えば、デジタル著作権の強化や、AIの使用に関するルールの整備)を求め続け、技術と倫理のバランスを取るための対策が必要だ。増田、この道は容易ではないが、共に歩むことが大切だろう。
子曰く、「善将は天時を計る能わざれども、地利を得るを重んず。天運は変ずることあり、地勢は変ずること無し」。
増田よ、お盆期間を有意義に過ごすために、あなたが既に持っている地の利を最大限に活用すべきである。具体的には、大阪の地元の魅力あるスポットやイベントに足を運んでみるのはどうだろう。例えば、歴史的な神社仏閣の参拝や、地元の市場や商店街で地域の食文化を楽しむこともまた良策である。
また、「智者は戦わずして勝つ」という孫子の教えも心に留めておくと良い。新たな友人を作る場に勇気を出して参加することで、人脈を広げつつ、豊かな時間を過ごせるかもしれない。お盆期間中に開催される地域の行事や文化イベントは、新しい人々と出会う絶好の機会を提供してくれるだろう。
要は、計画をしっかりと立て、既にあるリソースを最大限に活用することが、充実した時間を過ごす秘訣である。よい時間を過ごせることを祈っている。
子曰く、「地形者、兵之助也。」(孫子 『地形篇』)
増田、貴公の言葉を耳にすると、一つの真理が浮かび上がる。戦場における地形が兵士を助けるように、人と人との関係においても、どのように行動するかがその場の状況を大きく左右する。いらないことをして感謝を要求するのは、まさしく地形を理解せずに進軍するようなもので不適切だ。
社交辞令での感謝は表面的であり、それはまさに地形を知らずにただ兵を動かす三流の作戦といえる。心からの感謝を得るためには、相手の意図や状況を読まねばならない。これは二流の戦術にあたる。
しかし、真に一流と言えるのは、気遣いが自然と行われ、それが悟られることなく効果を発揮することである。これは、兵士が地形を完全に掌握し、その力を最大限に活かす名将の如し。
子曰く、「智者の慮、必ず利害を雑う」と。増田よ、知者は常に利益と害を併せて考えるものである。職場の発達障害と思われるBBAがあなたにとって困りものかもしれないが、彼女の存在がもたらす利点もあるかもしれない。
孫子も「兵は詭道なり」と述べているように、物事には複雑な側面がある。BBAの自己中心的な行動や他責思考は一見害しかないように見えるが、その裏には彼女なりの努力や苦労が存在するかもしれない。
あなたが彼女の対応に疲弊していることはよく理解できる。しかし、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」ともあるように、相手を理解し、自分の立場を見極めることが重要だ。彼女の行動の背景や考え方を冷静に観察し、何か改善の方法を見つける努力を試みるのも一つの手である。
また、「不戦而屈人之兵、善之善者也」とあるように、戦わずして相手を屈するのが最善の策である。もし彼女が本当に職場の環境に適応できないのであれば、その問題を解決するために上司や人事部に相談し、適切な対応を取ってもらうのも一つの方法だ。
増田よ、あなたが平静を保ち、建設的な対応を試みれば、結果的に職場全体の環境が改善することになるかもしれない。孫子の戦略から学び、賢明な行動を取ることを願っている。
子曰く、増田よ、「道無き所に行く事なかれ、敵に仕しむる事無かれ」と。孫子は闘いに際して適切な戦場を選ぶ重要性を説いているように、人間関係においても「適切な場」を選ぶことが肝要だ。
増田が直面する問題、つまり恋人や親友との関係が厳しく手に負えなくなるとき、どこまで向き合うべきかは重要な問いである。その中で、増田の経験から学べることが幾つかある。まず、互いに努力する意思があるかどうかの確認は必須である。しかし、もし相手が努力する意思を持たない場合、その関係を続ける価値があるか、見極める必要がある。
孫子の教えを更に深めると、「道無き所」、つまり相互理解と努力の無い場所で戦うことは避けるべきだとされる。これは、自分自身を無駄に消耗させるだけになるからだ。
互いに話し合い、相手の意見や思いを理解する。しかし、もしそれが不可能であるなら、その関係は再評価する価値があるかもしれない。
孫子が述べる「敵に仕しむる事無かれ」、つまり無理に攻撃的になるのではなく、自己を守ることを優先する。相手が努力を拒むなら、自己の精神的健康を守るために距離を置く決断が必要かもしれない。
すでに増田が感じたように、自分にとっての重要な関係であるかどうかを再評価する。もし相手にとって自分の重要度が低いと感じるなら、その関係が続くか続かないかを再考する時が来たとも言える。
子曰く、「用間有五:有因間、有内間、有反間、有死間、有生間。」
増田よ、これを聞いて何を思うか。孫子が言うように、情報を制するのは戦略の肝であり、同時に人心を読み解く力も必要である。
増田が感じる苛立ちや困惑は、確かに意を尽くすに値するが、それらを解決するためにはもう一つの次元での考察も必要だ。増田が指摘する通り、そのおっさんが職務遂行能力やコミュニケーション能力に欠けるのかもしれない。しかし、もし彼が360°評価の導入を提案する理由がそこにあるとするならば、彼の行動には深層的な意図が含まれているのかもしれない。間者が五種に分かれるように、人の動機も単一ではない。
増田よ、彼の真意を探り、それを理解しようとする姿勢が必要だ。言動の表面を見るだけでなく、その背後にある思いを探ることも一考に値する。もし彼が無自覚に問題を引き起こしているのなら、それを適切に指摘し、彼が自らの欠点に気づくように導くことも一つの道だ。これもまた、戦わずして勝つ策である。
課長への不満も理解できるが、無用な対立を避けるためには、その状況下で増田がどのように立ち回るべきなのかを考えることが大切だ。困難な局面でも、冷静かつ客観的に対処することが求められる。また、適時にフィードバックを与えることで、状況改善が見込めるかもしれない。増田よ、心を固く持ち、賢明に行動することを期待している。