はてなキーワード: 小学とは
母親に送った誕生日プレゼントが宛先人不在で帰ってきてしまった。
先日、私の友人へのプレゼントとともに仕送り(現物支給)が届いていた。そのお礼を兼ねていたので、友人が返送を受け取ってしまい、気まずかった。
中身は母親が喜びそうだと選んだ化粧品と安いお菓子だ。2週間も郵便局に保管されていたことを思うと食べ物は捨てざるを得ない。返送された旨と、食べものは捨てる旨を伝えるつもりで、母に「戻ってきちゃった」と写真付きでLINEした。
母が自身の誕生日前から関西の知人の元へ旅行に行っていたことは知っていた。でもそんなに長くなるとは聞いていない。犬を連れて3週間も宿泊するのだから、仲のいい友人、あるいは私に言わないだけで恋人のたぐいなのだろうけれど、「心配すると思って」言わなかったらしい。
「食べ物は捨ててもう一度おくるね」と返すと、
「言ってくれれば○○(叔母)に受け取ってもらったのに」と拗ねはじめた。友人がお礼をしたいと言うのでプレゼントを贈ることは伝えてあった。
母が「捨てんでよ〜」と送ってきたからと言うより、賞味期限を確認した友人が「これは大丈夫だよ」と言ったから、箱入りのクッキーは捨てずに化粧品とともに送りなおした。
差出人の住所は書かなかった。
母に、「もう一度送りました」「差出人は書いていないので受け取りがなければ処分になります」とLINEした。
「そんなことせなんとかなぁ
言ってもわからんと思うけど」
と母。
言っても分からないのはあなたの方だ。こちらが厚意で送ったものを受け取らず、剰え、贈ることは予告していたのに、受け取れなかったことを私の認識不足のせいにした。自分がわざと旅行スケジュールを隠していたのに。こちらにも友人への面目というものがあるから返送されたら困るのだ。いらないなら受け取らなければいい。それで郵便局が処理してくれる。
そんな内容のLINEを送った。
母は謝りたいと言って、実際ごめんと送ってきていたが、誠意のあるものには思えなかった。
単純に、自分の厚意(好意)を無下にされたのが悲しかった。だが、母親は私が彼女のことを好いているがゆえの行動を過剰に喜ぶ。悲しがったことも喜ぶだろうと思うと悔しかった。
私の母親はシングルマザーで、幼少期の私はほとんど祖父母に育てられた。母と会うのは月に1度あれば多い程度の頻度だった。
会わない間に、私の中での「母」の幻想は肥大化していき、成人して数年経つ今ですら、優しく、正しく、私のことを愛していて、人格者の母を求めている。私の母はそんな人ではない。
小学1年生の私は、当日29歳の彼女に「ママじゃなくて、お母さんの格好をして授業参加にきてよね」と懇願していた。私の「母」の偶像化と、母の生活態度は、その頃からあまり変わっていない。
祖父が死に、祖母がボケてしまった今となっては、そこまで深い付き合いでは無い他人に話すときの「実家」は、母と彼女の飼っている犬のいる場所を指す。そこに私は住んだことがない。帰省時の荷物が他人より多いのは、実家に私服が存在しないからだ。
話が逸れたけれど、私は母親に「お母さんらしい」態度を求めすぎている。私の厚意に過剰に喜ばず、かと言って拒絶しない、成人女性の母としての距離感を求めている。
ただ、それは私の母ではなく、私の中の「母親」の態度でしかないのだ。
母に友人を紹介するべきでは無いし、喜ばせようと思ってプレゼントを贈るべきではない。鳩居堂で買ったメッセージカードに誕生日を祝う文言を書いてプレゼントに入れるべきではない。
分かっているのに、子どものようなことをするのをやめられない。上手くいかず、すねることをやめられない。それが悔しい。
お母さんがほしい。
「結婚をするべきだ」と言われることがある。私が求めている「許容」は、たまたま私を産んだ女性に求めるのではなく、共に人生を歩むと決めたパートナーに求めるべきものだと。
多分それはあっているのだけど、赤の他人に強いるには過剰な負担だという自覚がある。
だから、「生んだ」という負い目のある母にその役割を押し付けたいのだ。
この歳でこんなことを言うのはみっともなくて恥ずかしいが、お母さんがほしい。それができないなら、親離れしたい。できなくて悔しい。
以上、日記。
レシピ通りにクッキーを焼いてもベチョベチョの小麦粉の塊ができてしまう……そんな小学・中学時代を経て、今では「小麦粉余ってるしなんか焼くか」みたいなゆるい社会人サンデーベイカーになりました。
「別に極めるつもりでもないけど自分と家族がおいしく食べられるレベルのお菓子を作りたい」、そのためには何より、失敗をしないようにするということです。
そのために私が気をつけていることを書き出してみました。
レシピ通りに材料を揃えるというのは基本なので守る人も多いのですが、道具は省略したり代用したりする人も多いのではないでしょうか?
私はそれで長らくスケッパーを「ゴムベラでええやろ」と買わずにいたのですが、初めてスケッパーを使ってみた時の衝撃。レシピは道具までレシピなのです。
つぶしが効かず場所ばかり取る道具もあります。ケーキの回転台なんて、ナッペ(スポンジにクリームを塗る作業)にしか使わないのですが、ないと絶対に綺麗なケーキは仕上がらないんです(n敗)。
お菓子作りは手際の良さが勝負といいますが、手際がいい人は単に器用なのではなくちゃんと準備をして、レシピに書いてある作業を行うスペースを確保してから臨んでいます。最近やっと気づきました(n敗)。
最初に使うボウルを全部出して並べてみるといいかもしれません。私はキッチンにキャスター付きのワゴンを導入して、作業効率が大幅に改善しました。
「卵は常温にする」「小麦粉はふるっておく」「型の底を軽く打ちつける」など、お菓子作りでよくある工程についてちゃんと理由を調べておきます。それによって加減や度合いを理解するスピードが早くなります(1回目から難しいと思います)。レシピに書いてある工程で「これは何のためにやるんだ?」と思ったことは何でも検索してみることです。
上にも書きましたが、1回目から成功することは難しいです。さらにお菓子作りの失敗は非常に複合的で、100%これが原因だと言い切れることのほうが少ないと思います。気温や湿度が高すぎた、混ぜ方が足りなかった、工程に時間をかけすぎた…毎回納得いくまでWeb検索したりレシピ本を見返したりしながら一人反省会しています。
SNSに上がっているきらびやかなお菓子の写真の裏には、数十、数百の失敗作の影があります。私はそれをベイクオフ・ジャパンを観て知りました。
増田は窓際のドットちゃんというタイトルの童話を知っているかな。
この童話には、ドットちゃんという小学1年生の女の子が登場する。ドットちゃんは特別な女の子で、彼女はなんとピクセルアートで描かれたかのようなデジタルな世界の存在だった。そんな彼女は好奇心旺盛で、何にでも驚いて、何にでも興味を持つ話好きな性格だった。友達もたくさんできるけれど、彼女には一つの秘密があった。それは、人間の世界を見てみたいという強い願望。
ある日、ドットちゃんは窓際に座って、大きな人間の世界を想像しながら話をしていた。窓の外には広がるピクセルの風景があったが、彼女はそれよりももっとリアルで多様な世界を感じたかったのだ。そこで彼女は、ある日思いきって窓枠をくぐって外の世界へ飛び出そうと決心した。
ドットちゃんは、まず最初に遭遇したのは、特大サイズの猫だった。ドットちゃんが興奮して話しかけると、猫は意外にも彼女の話に耳を傾けてくれた。そこからドットちゃんの冒険が始まった。彼女は様々な生き物と出会い、色んな体験をした。ドット、彼女がこれまで住んでいた二次元のピクセル世界とはまるで別の、多次元の魅力に溢れていた。
しかし、現実の世界は彼女にとって想像以上に厳しいこともあった。ある時、彼女は水たまりに落ちてしまい、ピクセルの身体はだんだん崩れ始めたのだ。ドットちゃんは驚きと恐怖の中で助けを求めたが、誰も彼女の声を聞くことはできなかった。
ドットちゃんは、再びアートの世界に戻る方法を見つけることができないまま、静かに消えていってしまった。そして彼女の存在は、リアルな世界にほんの一瞬の幻想のように溶け込んだ。
小学5年生の頃、録音された自分の声を聞いて変な声だな、低い声だなと思った記憶は有る。
それ以前は声が高かったかと考えてみても、高い声を発した記憶がない。
男は声変わりするものと思われているのかもしれないが、しない人もいるのではないかと思う。
歌を歌っても高いパートが出ないだけで、音痴では無いと思っても、
声帯が分厚いんだと想像してるけど、これって痩せることができるんだろうか。
好きなミュージシャンの曲がほとんど歌えないから、カラオケもほぼほぼ断ってる。
声が通る人とそうではない人の差は何なんだろうと思う事も有った。
こもった、というのかくぐもった声というのか、どう表現すればよいのか分からないが、
これが高い声質の人との差だと思う。
こうなってくると音の高さ=音程、音色、音の大きさの事になってくるのか。
同じ周波数で音程が一緒でも、音色の違いで通る、通らないという事になってくる。
音色とは「同じ音圧、同じ周波数であっても、その波の形が異なることで...」と言われてもピンとこない。
とめどもない話になってきた。
小学4年生の頃、同級生でイモリを沢山飼っている友人がいた(10匹以上飼って繁殖させていた)。
当時の私はその子と毎日登下校していたので、話の流れでその子から2匹イモリをもらった。
それが、まだ生きてる。かれこれ16年程生きている。
今は有り難いことに実家に住まわせてもらっているが、再来月から一人暮らしをすることになった。
これまでその友人に言われた通りにただ世話をしてきたので、イモリについて調べたことがなかった。
今更ながら寿命を調べてみると、イモリは20年ほど生きるらしい、長。
腹は赤と黒で少し気持ちが悪いし毒があるし水はカルキ抜きしなくてはいけないし餌はイトミミズだし、あまり可愛いとも思えない。
特にそのような生き物を好きな訳では無い女が飼うにはなかなかハードだと思う。
本当になんでイモリをもらったんだ、と思い当時のことを思い返してみた。
確かその頃は友人がくれると言うのを断れず、中学生になり疎遠になったら野に放とうと考えていた。
当時は子供過ぎて知識がなかったが、それはダメだと親が止めてくれて、結局ここまで飼い続けて来たのだった。
あと親にも言いたい、絶対に止めてくれ。
自分の飼い始めたものだから最後まで面倒を見るつもりではいるが、もし自分が結婚してもイモリが生きていて、その家まで連れていくのかと考えたら気が遠くなる。
連れていくしかないのだが……。
うちの息子は今小学4年生で、夏休みが終わってから学校に行かなくなった。
どうして行きたくないのか、俺は聞けなかった。聞く勇気がなかった。
夏休みに入る前まで、息子は学校が好きで好きで仕方がないという感じだった。
朝一番にランドセルを背負って家を出ることも珍しくなく、なのでおそらく夏休み中に友達と何かあったのだろう。
うちはマンション暮らしで、2年前に妻が亡くなった。事故だった。本当に突然のことだった。それで俺は少し病んでしまい、塞ぎ込んで、休職して、それから会社も辞めた。
幸い伝手もあって今はフリーランスとしてなんとかやっている。しかし当時は本当に駄目だった。
息子も相当つらかったはずだ。それなのに、俺には弱音ひとつ吐かなかった。むしろ、駄目になった俺のことを気遣ってくれていたんだと思う。子供の癖に、俺なんかよりよっぽど立派だ。
だからこそ、夏休みが終わり「学校に行きたくない」と言われたときには驚いたものの、否定することはしなかった。
「そうか」とだけ言って、「じゃあ、ちょっと休むか」と息子に提案した。
息子は俯きがちに「うん」とだけ言って、ランドセルの方を見ようとはしなかった。
部屋の中でずっとゲームをやっているようだった。
あまり良くないことだとは分かりつつも仕事もあって、それを言い訳にしていたのかもしれないが、とにかく少し様子を見ることにした。
転機が訪れたのは10月のことだった。市で大きなお祭りがあって、その日は関連施設が無料になるという年に一度の大きなイベント。
仕事も一段落しており、せっかくだから何処かに出かけようと思って、息子に声をかけた。
すると意外にも、息子はすごく乗り気だった。早起きして「お父さん、早く行こうよ!」と急かしてくるくらいだった。こんな元気な息子を見るのは久しぶりで、俺はそれがすごく嬉しかった。
動物園なんて、本当に久しぶりだった。当然すごく混んでいたけど、久々の動物園とあって息子も俺も興奮していた。
色々な動物をじっくりと見て回り、コアラのエリアに来た時のことだった。
そこにはコアラの生態についての解説があり、その中に「コアラの寿命は約10年」と書いてあった。
それを見た息子がぽつりと「じゃあ人間の10分の1ぐらいだから、僕らの1日がコアラにとっては10日分なのかな」と言った。
その考え方がなんだか妙に大人びていて、少し驚いた。
「そうかもな」と答えると、息子は続けて「じゃあ、コアラは10分待たされると、人間だったら100分に感じるのかな」と言って、それから「それって、なんか退屈だよね……」とつぶやいた。
その後も他の動物を見て回ったけど、息子は例のコアラのことがずっと気になるのか、どこかぼぉっとしており物思いに耽っているように見えた。
動物園から出て「楽しかったか?」と聞くと、「うん!」と弾むような返事が返ってきて、心から笑っている顔を見るのはいつ以来か分からず俺は嬉しかった。
翌日から息子は少しずつ、自分の部屋以外で過ごすようになった。
そして11月になると、自らの意志で学校に復帰した。どうやら、ゲームの中で学校の友達とも連絡を取っていたらしい。それで自然と学校に戻りやすい状況になっていたようだ。
息子がどうして学校に行きたくなかったのか、それは今でも分からない。
それでも今の状況に正直ホッとしている。
息子は強い。強すぎるが故に弱音を吐かず、妻が亡くなったことで反抗期さえなくなってしまったのかもしれない。
そう思うと悪いことをしたなと思うし、ふがいない父親であることを申し訳なく思う。
でも、11月4日。息子が学校に行き、笑顔で帰ってきたとき、本当に嬉しかった。
その日の夜、息子が眠ったあと、俺は妻の遺影の前で思わず泣いてしまった。
遺影の中の妻は笑っていた。その顔を、しっかりと見ることができた。
子供の頃から宇宙戦艦ヤマトとかマジンガーZとか架空のロボット的なアニメに感情移入出来なくて、学校でも盛り上がっている話題に入れなかったことがよくあった。その流れでガンダムとか巨大ロボットアニメに全く興味が湧かず、それよりもリアルなロボットに興味を奪われた、自分にとってはそれは車やバイクだった。
小学生のとき皆が巨大ロボットアニメにハマっている中で、僕は年の離れた兄が買っていた月刊オートバイを食い入るように毎日毎日読んでいた。確か小学2年生だったか3年生くらいのときにCB750F(A)が発売されてそのフォルムに一発でやられた。当時クラスのみんなの憧れが巨大ロボットだったが、僕の憧れはCB750Fだった。子供心に「戦うロボットなら人型じゃなくてもいいのでは?」と考えるくらいSFに冷めた子供。皆が飛びついているから斜に構えてアンチになっているのではなく本当に興味が沸かなかった。大人が巨大ロボットのおもちゃをプレゼントしてくれたときは、くれた大人の気持ちを考えて無理に笑顔を作り「ありがとう!」とは言うものの、それはそのまま弟にあげて、自分は読み古したMr.バイクを眺めるのが常だった。
こう言うと巨大ロボットアニメ嫌いに聞こえるけどアニメ嫌いなわけじゃなく、単に興味が無いというだけでそういうの好きな人を否定するつもりは一切無い。無いんだけど、たまにそれを押し付けてくる人がいて辟易するときがある。子供の頃にヤマトやガンダムがハマらないなんてとか。ガンダムよりも田植機のほうがメカメカしくて好きだったよ。
でも、吐き出したくて、どこかの誰かに聞いてほしくて、これを書く。
リビングにいる娘にお風呂に入るように伝えて、私は寝室で下の子を寝かしつけていた。
下の子が寝たので寝室からリビングに行くと、娘が慌ててお風呂に向かった。
「まだ入ってなかったの?」と言うと、
「別に、ダラダラしてただけだよ!」と答えるその姿が狼狽しているようで、
何か怪しいとピンと来た私は、そこに置かれたままになったスマホをチェックした。
(スマホを持たせる際、これは親のものをあなたに貸与していること、親がチェックすることがあることを伝えていた。)
数ヶ月前、どうやって赤ちゃんができるの!?と不思議で仕方なかった娘に、
性教育は自分を大切にすることだと考えていたので、ごまかさずきちんと伝えたくて、性教育の本を使いながら、あなた達はパパとママが愛し合って、心から望まれて産まれたんだよと、伝えたところだった。
驚いた娘は、「びっくりしたけど、パパとママはラブラブなんだね!嬉しい!」と喜び、
そんな返事が微笑ましくて、
このまま自分を大切にしていってほしいなと、
きちんと伝えてよかったなと思ったところだった。
そんな想いが、成人漫画に全て踏みにじられた気がして、悲しくてショックでたまらない。
恋愛漫画の延長線上の、愛し合った恋人同士が信頼関係を築きながら、
お互い愛を深めあったその先にベッドシーンがあって...というストーリーがあれば、
まだ全然許せた。
でもこれは全く違う。
ただただ快楽のための、
十分成人してる私が見て思わず目を背けたくなるような、エグい、グロい、カラーの絵。
これを娘が見たのかと思うと、
そしてその記憶はもう消せないのかと思うと、辛すぎる。
性行為は、心から愛する人と、あなたを本当に大切にしてくれる人とするものなんだよと
教えたところだったのに。
うん、うん、とじっくり話を聞いてくれていたのに。
全て、無駄にしてくれた。
ちゃおコミや小学館の漫画サイトで少女漫画を読んでいたことは知っていた。
お友達に教えてもらったんだーと言っていて、
にチェックを入れていたので、油断していた。
コミックシーモア、ピッコマ、めちゃコミ、レンタなどの漫画サイト。
きっと何かの拍子で目にしてしまい、そのまま興味本位で見ていたのだろうと思うけど、
まさか、明らかに18禁の成人向けのエロ漫画に、誰でも簡単にアクセスできるなんて。
なんで。なんで。
年齢認証されていないの。
法規制されていないの。
小学生の告白シーンに「キャー!」とはしゃぐピュアな子なのに。
性的嗜好に少なからずとも悪影響があるのではないかと、そんな不安が拭えない。
取り急ぎ、ファミリーリンクで【承認済みのサイトのみ許可する】に変更し、上記の漫画サイトをブロックした。
あとは、きちんと娘と話さなくては。
決して娘を責めることなく、冷静に、落ち着いて。
話し合いの前に、この今のグチャグチャな気持ちを整理したくて、吐き出したくて、ここに記す。
お願いだから、
18禁の漫画は、身分証明書をアップロードしないとアクセスできないような、
そんな仕組みにしてほしい。
成人漫画をなくせと言ってるわけじゃない。
幼い子どもの目に触れさせないような努力をしてほしいだけなのに。
そんなことがどうして出来ないの?誰が困るの?
あれは昭和の終わり頃、小学2年生の冬。ドラクエ3が発売された日だ。
朝早く、父ちゃんに「行くぞ」と叩き起こされて、まだ薄暗い中で近所のゲーム屋に向かったんだよ。
昭和の時代ってさ、ゲームは特別な存在だったんだ。ファミコンが家にあるだけでクラスのヒーローみたいな感じだったし、新作のドラクエなんてそれこそお祭りだった。
店に着いたらすでに長蛇の列。小学校2年生の俺には、その行列が果てしなく長く感じたよ。
寒空の下で鼻水を垂らしながら「本当に買えるのかな?」って不安だった。
でも父ちゃんは「大丈夫だ、根性だせ」とか言いながら、俺に温かい缶コーヒーを握らせてくれた。
今思うと、あれはちょっと渋すぎる飲み物だったな。子ども向けじゃないのに、なんか大人の気分を味わえて嬉しかった。
やっとの思いで順番が回ってきて、無事にドラクエ3を手に入れた瞬間のあの感動!箱を握りしめて、家に帰るまでの道中もずっと「早く遊びたい」って気持ちで胸がいっぱいだった。
家に着いてファミコンにカセットを差し込んで電源入れた時のジーって音がたまらなかったよ。ブラウン管テレビ特有の音。分かる?そんでプレイ画面が出た瞬間、もうワクワクが止まらなかった。
でも、ここからが苦い思い出だ。クラスの友達が「貸してよ」って言うから、少し悩んだけど、まあいいかって貸したんだよね。その子も楽しみにしてたし、俺もちょっと大人ぶりたかったんだ。
でも、返ってこないんだよ。何度か「返して」って言っても、「まだクリアしてない」とか言われて、ついにはその子が引っ越しちゃってさ。結局、ドラクエ3は戻ってこなかった。借りパクされたんだよな。小2の俺にはショックがでかすぎて、それ以来、人に物を貸すのがちょっと怖くなったんだよ。
昭和の思い出って、こんなふうに喜びと苦さが混ざってるんだよな。でも、その寒い朝に父ちゃんと並んだ記憶とか、最初にドラクエ3を遊んだあの興奮は、今でも色あせないよ。あの時代ならではの体験だし、あれがあったからこそ、ゲームへの思い入れが強くなったんだと思う。
アメリカの分断が一層鮮明なものとなった大統領選だが、日本でも分断は進んでいて、それについて思ったところを書いてみる。
俺が幼少期を過ごしたのは80~90年代の地方の農村だ。そこは受験といえば高校からで、中学受験やまして小学受験なんて概念はなく、その地域に生まれた子供は誰も彼もが同じ小中学校に通っていた。
そのため中学までは実に様々な子供が同じ教室で授業を受けていた。俺の同級生には、医者になった人や地方議員になった人もいれば、暴走族に入った人、少年院に入った人もいる。
小学校の頃には、同じ校舎内の養護学級に、言葉を喋れないレベルの知的障碍の子が母親と共に来ていて、よく廊下で奇声を上げたりしていた。
スネ夫や花輪くんのような極端な人はいなかったが、そこでは「中の上」から「下の下」ぐらいまでの人々が共に過ごしていたと思う。
そこは子供を育てる場として理想的な環境ではなく、いじめとか、不良に授業が妨害されたりなど、様々な問題もあった。
俺は就職を機に上京して、いまでは昔の同級生と会うこともほとんどなくなったが、しかし自分と異なる世界に進んだ人々と一時でも共に過ごしたことは、俺にとって、彼らのことを最低限理解するための一助に今でもなっている。
一方、俺は大人になってから上京した身で、子育てもしていないので東京の学校事情にはあまり詳しくはない。
現在住んでいる場所の近くには有名大学の附属中があって、育ちの良さそうな子供が通っており、中学から受験なんて都会の子は大変だなぁ、なんて呑気に思ったりするが、
ふと彼ら彼女らは人生の中で、どれだけ「下層の人」と接したことがあるんだろうと思ったのだった。
彼らの親は、子供をそうした人々から遠ざけるために附属中を受験させたのであって、そちらの方が子供を育てる環境としては理想的だ。
俺だって子供がいたならば、荒れた学校には行かせたくないし、不良と関わらせたくないと思うだろう。それはそれで理解はできるし否定できない。
一方彼らの中には、医者、政治家、教師などになる人も多く、そうした職業はどうしても下層の人々と接する必要が出てくるはずだ。
その時に、もし人生で一度も下層の人々と接したことがなかったらどうなるのか。特に福祉などに関わる場合、その福祉や支援には、下層の人々に対する実感がどこまで籠っているのか。
暴走族に入ってしまった俺の同級生も、幼少期はごく普通の子供で、一緒に遊んだこともあったものだ。
知的障碍の子が奇声を上げる姿や、その横で世話をする母親の疲弊した表情は正直見たくないと思える光景だったが、それを見てきたことで子供なりに障碍者の現実を学ぶことができた。
それらの経験は、彼らも同じ人間なんだという実感を俺に与えてくれた。
しかし下層の人々と接したことがない人々にとって、彼らはどこまで同じ人間に思えているのか。架空の存在、想像上の存在に過ぎないのではないか。
そんなことを考えた。
小学6年生までは抱っこして連れ歩くべき
長女は生まれながらにして不幸だと思う。
下の兄弟が生まれた瞬間に不幸になることが決定づけられたようなものだ。
「お姉ちゃんなんだから我慢して」と親にも妹にも言われた。妹はいつも傲慢で怠惰で短気である。
妹を簡単に説明すると小学生の時から不登校気味で中学生の今では部活以外で登校はしない。部活は演劇部で脚本を書いているようだがそもそも活動してるのかすらよくわからない。
両親はとにかくこの妹に甘い。
私が中学時代演劇部に入りたくても運動部以外は認められなかった。入ったバレー部で飛び降り未遂をするくらいひどいいじめにあっても部活も学校も休ませて貰えなかった。下着姿で家から追い出されたこともあったのに。
妹はとにかく物に当たる。何かを投げたり蹴ったりしてその対象が私のこともあった。私が耐えられなくて言い返したりやり返そうとすると両親は決まって「この子はもう病気だから何も言い返さないで、やり返さないで、相手にしないで」と何故か私が怒られる。
私がスマホを持ったのは高校1年生のときなのに妹は小学5年生から持ち始めた。
毎日リビングで顔を合わせる度に「死ね」「消えろ」「出ていけ」と言われる。お望み通りと思い夏休みに1週間ほど大学の友人の家や彼氏の家に泊まり、家に帰ると「なぜ帰ってこなかった」「お前が家にいないせいで家事は私がやることになった」と八つ当たり。
私が中学生の時服を買ってもらうのは決まってしまむらかパシオスだったのに妹は常に両親にLIZLISAや夢展望など高価な服を買い与えられている。今でも両親にそんな高い服買ってもらったことは無い。
両親も両親だ。病気かなにかだと思っているならさっさと病院に連れて行って適当に入院させてしまえばいい。そうしたら私が救われるのに。
私が受験勉強で精神を病んで心療内科でうつの診断を受けた時それを甘えと言ったのに妹が中学に行きたくないといえば「辛かったね🥹よしよし」ですぐに休ませる。
どうして妹ばかり優遇される?すぐに家を出たいけれど大学在学中は実家で暮らさなきゃいけない。
バイトもしてるけど稼ぎは安定しないし稼げて月5万円いかないくらいで大学の教材費や画材費に消えていく。その上妹に「バイトしてるんだから金よこせよ」と言われて微々たる額だが渡さないとまた暴言や暴力に襲われると思うと渡さずにはいられない。
私はもうこれ以上苦しみたくない。たすけて。
わたしの子どもが小学1年のときに授業参観に行くと、授業中あっちでぽとっ、こっちでぽとっ・・・とよく物を落としていたよ
幼児がコップを倒してこぼしてしまったりするように、小さいときには体のコントロール能力が未熟なのが大きな理由の一つだが、精神的な意識の成熟度も理由の一つで、机の上全体を自然に意識することができず、自分の手元だけに意識が集まってしまうんだ。
また、例えば鉛筆が机の端から半分ほどはみ出ているときに「落ちそうだ」と無意識に感じる、いわば物理的な感覚もまだ完全に備わっていない。
精神的な発達度(精神年齢)は子どもによって違いがありますので、同じ学年の同じクラスでも、よく物を落とす子とそうでない子がいる。
確かに、よく物を落とす子は精神的に幼いところがある子。幼いがゆえに整理整頓が苦手だったり、人の話を長時間集中して聞くことができなかったり、手遊びをしたり、ぼーっとしてしまったりする。
すべての国民が等しく選挙権を持っていると行っても、それを使いにいけるチャンスが本当に全員にあるのかは怪しいのではないでしょうか。
そこまでの描写を見れば元増田自身はいくつもの地域で選挙にちゃんと行けいているのは明白。
これを読んで「え?選挙にたどり着けないアホが増田書いてるの!?」みたいになってる奴は文盲にも程がある。
元増田の書いてる内容は「俺が選挙会場に行けないってことは全然ないけど、境界知能の人が選挙会場に行けるかというと疑問だ。国民全員に選挙権があるという話だが、境界知能の人や地図が読めない人の選挙権が保証されていると言えるのだろうか」ということだろ?
筆者の主張が最後の最後にシッカリ書かれているんだから、現国の問題だったら簡単すぎて小学3年生レベルだよ。
でもブクマカは文章が読めないから完全にズレた話をしてるんだよね。
「え?こんな頭の悪い転勤族がいるんですか?」って、それは元増田が選挙会場行けなかった時に言う言葉だろ。
元増田の主張は「転勤族として色んな自治体を巡ってきたが、どこもこの問題を抱えているのは同じっぽいね」ということなんじゃないか?
最後までちゃんと読んで読めないのか、最後まで文章を読むだけの集中力がないのかはわからない。
最後までちゃんと読んでもいないのにしたり顔で「内容?タイトルとブコメで何となく分かるっしょ」ですませて書き込むことがバカッター行為であるという自覚が1ミリもないというだけなのかも知れない。
まあどうにしても、救いようがないようなアホが寄り集まってアホみたいなことを好き放題書き込んでいる馬鹿の集まりであるってことだ。
あるのは集合恥だけだ。
「いかつい兄ちゃんは止まってくれる。止まってくれないのは…」 小学6年生が横断歩道の“車の停止率”を調査 “止まる車”と“止まらない車”の意外な傾向とは…?|中京テレビNEWS NNN
↑
小学生の個人研究(笑)でホルホルしてる男さんさあ、現実を見ようよ
↓
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000186788.html
10/27 27時ごろまでにいただいたブコメ・トラバをまとめました! お寄せいただいた知見に助けられております。ご興味のある方はぜひ。
<以下本文>
集英社「別冊マーガレット」の名編集長・小長井信昌が74年「花とゆめ」創刊編集長に就任(のちに「LaLa」「ヤングアニマル」でも創刊編集長を務める)。氏が別マから引き抜いてきた漫画家が、最初期の「花とゆめ」を支えた。
2作まとめて、令和の今でも作品が生きているな、と思わせる説明不要の名作(前者は「連載中」ではありますが)。月刊誌→月2回刊化の目玉として2作同時に連載スタート。コンテンツの息の長さに、編集長の慧眼が察せられる。
主人公のマリネラ王国・国王パタリロに次いで2番手のキャラクターはMI6少佐・バンコラン。彼は主に美少年を愛好する同性愛者で、本作はギャグマンガだが 「同性愛であることそのもの」を揶揄していない点に、作者の品格を見る。
作中に「ドイツのギムナジウムで一緒だったんです」「11月ごろ?」というやり取りを挟むなど萩尾望都ファンであることがわかる。82年アニメ化。「花とゆめ」というより白泉社として最初のアニメ化。
どの作品を推すかが分かれる。世間的には『笑う大天使』(1987~88)が有名で傑作集を出す際のアンケートでも番外編の『オペラ座の怪人』(1988)が2位だが
・作者ご本人はまったくスポ根の人ではないのに、スポーツものに傑作がある
・甲子園という制度に批評的視点を投入 と、一歩踏み込んでいる本作をリストアップ。個人的には『月夜のドレス』(1984)が好き。
メディアミックスとしてはOVAのみであるが「前世ブーム」の火付け役として爆発的な人気を誇った。※ラジオドラマあり。ブコメご指摘感謝
『スケバン刑事』のような「悪に対する憎悪」ではなく「優秀だが他人を寄せ付けない戦災孤児と品行方正な優等生との、互いに相反する感情」など愛憎の陰影が濃い大人びた作風に、当時の読者(主に10代少女)は魅了された。
「久しぶり 君には心底会いたかったよ 秋海棠」以上にインパクトのある「ひき」を未だに知らない。
こちらも説明不要の名作。菊池規子『わが輩はノラ公』(1973~78)以来人語を話すペットが出てくる作品はたびたび登場したが 「人語は解するけどしゃべれない(しかし主張はする)動物たち」が出てきたところが新機軸。よくない形で「ハスキー犬ブーム」がありました…。
※飯森広一『ぼくの動物園日記』(1972~75)はノンフィクションなので除外してます。
(このあたりで「男性読者も多い花とゆめ」時代が終焉したと思っている)
続く『ニューヨーク・ニューヨーク』(1997~98)、『しゃにむにGO』(1998~2009)と第一線で花ゆめ本誌を支えた大功労者。『赤僕』は白泉社では初めて他社の漫画賞(小学館漫画賞・1994)を受賞。ヤングケアラーの立場に置かれた小学5年生が主人公で90年代父子家庭を活写した作品となった。熱量のあるドラマ巧者。
2006年に台湾でドラマ化、2007・2011に日本、2012に韓国でドラマ化。そして今年、初のアニメ化が発表されている。日本ではプライム枠連ドラ案件で『ガラかめ』『スケバン刑事』とは違う、読者ターゲットを広く取れるラブコメが、あの「花ゆめ」から出たのだなぁと感慨。
アラサー(アラフォーですかね)のオタク女子から作品名が挙がることが多い。
2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されているそうで2001年のアニメ化・2019~21の再アニメ化・2022の劇場上映の実績は立派。十二支を背景にしたキャラ設定等、往年の「花ゆめ」らしさが光る(私見)。
(ここから、00年代デビューの漫画家が飛んでしまいます。申し訳なし…)
連載中のラインナップで、今一番勢いがあると思われる作品。アニメ化も決定。男性アイドル(キャラ)・推し活…と、イマドキの設定は鈴木ジュリエッタ「推しに甘噛み」(2022~)でも同様で、ここが今の「花とゆめ」の現在地である。
※「創刊50周年記念 花とゆめ展」ブックレットでは2人の対談が掲載されている
他
選外ってありえないですよね。すみません…。
『花のあすか組』(1987~95)が代表作でありつつ『グランマの憂鬱』(2015~)が昨年萬田久子主演でドラマ化もされている、息の長い漫画家。
1985年は角川書店(当時)がコミックに進出して地殻変動が起きた年で、そのタイミングで白泉専属ではなくなってしまった。 「別冊花とゆめ」連載「赤鼻のアズナブル」(1982~83)、別花短編だと「優しい瞳」(1984)が好き。
この方も白泉社を離れ角川へ。『ミミと州青さんシリーズ』(1979~85)が人気&今はなき「シルキー」でレディースたくさん描いてましたが、一瞬ミステリー&サスペンスものも手掛けていました。こっち路線もよかったのになぁ。増刊号掲載『異国にて』(1984)がベストですが本誌掲載作ということで『マンハッタン』を。
別マ移籍組、和田慎二の盟友。『紅い牙 ブルーソネット』(1981~86)ですよね。とはいえこのシリーズも別マからの移籍なので、あえて本誌掲載の短編を選んでみました。綾波レイみたいなタイトルですが、まさに綾波のようなお話です(ネタバレ回避)。
ヨーロッパを舞台にした華やかな作風。ほかの作品も海外モノ多し。
制服高校生ミステリものの嚆矢といってよいのでは。近い年次のデビューだと佐々木倫子よりずっと早くブレイク。メディアミックスに縁がなかったのが不思議。表題作では『消えた肖像画』が大変な秀作。1巻所収。
「花とゆめ」の「80年代後半のSFもの」のストーリーや絵柄の象徴。キャラ造形についてはフォロワーがたくさんいた記憶。
代表作はこれだってわかってるけど、白泉社作品なら私は『フラワーデストロイヤー』シリーズ最終編 『ダーク・エイジ』(1991)が好き。
1巻完結の表題作がかわいい短編集。所収の『月光夜曲 −ムーンライトセレナーデ−』がすごくよかったの、思い出しました。ビッグヒットがないの、なんでなんだ…。
氷室冴子原作ものの中で、長く支持されたコミカライズ成功例かと。
すごく売れてた! 世界観が魅惑的で熱いファンが多く、「ぼく球」以来のビッグタイトルが出たと思いました。絵のタッチも今見ても素晴らしい。
代表作はこれだってわかってるけど「赤僕」より少し前にスタートした『久美子&信吾シリーズ』(1990~97)が好き。女子高生と小学生男子カップルの物語。大人になった坂田と小沢にはハッピーエンドになってほしかったなー。
いずれ『推しに甘噛み』の人になるかもですが、まだこちらの方が有名かと。2012・15のアニメ化で聖地巡礼企画も出ていました。
<番外・別冊花とゆめ枠>
オリジナル初コミックス「環状白馬線 車掌の英さん」(2009)からずっと、ハートフルなストーリーを展開。恋愛重視の作風ではない、往年(年配)の読者が考える「花ゆめらしさ」は別花に残っていたのかも。それがまさかの月9原作。やはり時代は変わった。
ここまで挙げた白泉社作品の中では一番好き。とはいえ代表作は『始末人シリーズ』(1983~91)かと。このパターン多い。大大大好きな明智抄で(同人誌「単行本未収録作品集」全5巻はコンプリート)10選にも入れたかったのですが、作品リストを振り返ると『始末人』ですら本誌・別冊を行ったり来たり(後半は別花)、かと思うと「チツケイレン」の「アフロディーテはきずつかない」(1988)が単発で本誌に載ったりして、編集部は運用どうしてたん…と。これからも読み続けることには変わりないのですが。
近作に抜け漏れ多くてすみません。明らかな抜けは増田の知識やアンテナが欠落している箇所です。とはいえ総論として、ガラかめ~動物のお医者さんまでは不動かな、と。
もしよかったらブコメでいろいろと教えてください。
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要なマンガ5選 https://anond.hatelabo.jp/20241014232424
週刊ヤングマガジン史上、最重要な漫画10選 https://anond.hatelabo.jp/20241016182953
月刊アフタヌーン史上、最重要な漫画10選 https://anond.hatelabo.jp/20241017235116
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上記シリーズが好きなので、コロコロ大好きっ子の自分も書いてみた。
コロコロは小学生をターゲットとしているため、「自分が子供の時に読んだ時代の作品が一番で、それ以外の作品はそもそもほとんどor全く知らない」となりがちと思われる。そのために「なぜこの作品が入っていないんだ!」という感想を抱かれやすい可能性はあるかもしれない。なるべく公平に選んだつもりだが、あくまで独断と偏見による10選であることをお断りしておく。
いきなりの番外扱いで申し訳ないが、コロコロコミック自体が『ドラえもん』の総集編本として創刊された歴史があり、以降現在に至るまでコロコロコミックにとって『ドラえもん』はいつの時代も特別な存在である。他の雑誌にこのようなスペシャルofスペシャルな作品が存在している例ってあるのだろうか? その存在感と功績は他と比肩できるものではなく、殿堂入りという形で別枠とさせていただく。
ちなみにコロコロコミックに掲載された『ドラえもん』は基本的に「小学一(~六)年生」といった学年誌などで発表された作品の“再録”で、藤子Fの生前コロコロ向けに新作が描かれたのは実は数話のみである。(『大長編ドラえもん』についてはコロコロコミック描き下ろし)
コロコロコミック史だけでなく、マンガ史に燦然と輝く画期的な「ビデオゲーム」漫画の始祖。
単に「ビデオゲーム」を題材とした作品というだけでなく、その後コロコロコミックは「ラジコン(RCカー)」や「ファミコン」「ミニ四駆」といった子供向けホビーを題材としたヒット作品を多数生み出すが、その礎を作った記念碑的作品である。企画はコロコロ編集部発案によるものだが、この題材をすがやに描かせた慧眼も光る。
「つるセコ」などの名台詞を生み出し、アニメ化もされたのむらしんぼ最大のヒット作。元よりギャグ作品の多かったコロコロの中でも当時際立ったヒット作となったが、この作品の画期的なポイントとして「4コマ漫画」という点も見逃せない。当時でも4コマ漫画は“古典的”な形式と見られており、当時では新聞はじめ大人向けマンガ以外で見かけることは意外と少なかったが、児童誌にこのフォーマットを定着させた功績は大きい。
後に『ゴーマニズム宣言』などの大人向け作品で名を馳せる小林よしのりだが、言うまでもなく元はギャグ漫画家である。常識外れに大金持ちのおぼっちゃまが主人公で、ち○こやウ○コなど下ネタも多く小学生男子のハートをガッシリと掴む。「ともだちんこ」「こんにチワワ」などの茶魔語も子どもたちの間でブームとなり、平成初頭のコロコロコミックを牽引する大ヒット作品となった。
ホビー漫画に力を入れるコロコロは田宮模型(タミヤ)とのつながりは深く、同社とのタイアップによるメディアミックス戦略は『ラジコンボーイ』(大林かおる/1983~1989年)を嚆矢とするが、その戦略が大きく花開いたと言えるのがこの作品。田宮模型の「ミニ四駆」も、そしてこの作品もお互いの相乗効果で大ヒットを果たした。当時のミニ四駆ブームを牽引。
熱血主人公の多いコロコロコミックだが、シンプルにスポーツを題材とする漫画は意外と少ない。
その中で、スポーツ漫画といえば「野球」「サッカー」が多くを占めていた時代に、小学生には非常に馴染み深い「ドッジボール」をテーマにした新規性は、意表を突かれながらも「なるほど!」と唸らせられる。アニメ化のほか、ファミコン・スーファミ・ゲームボーイ・PCエンジン・メガドラ・ゲームギアと、当時発売されていたありとあらゆるゲーム機でゲーム化もされている(すげえ)。
コロコロコミックにゲームのコミカライズ作品は非常に多い。ヒット作も数多いが、その中でコロコロを代表する作品をどれか一作を選べと言われたら、これしか無いだろう。
任天堂の人気キャラ・スーパーマリオを題材とした沢田ユキオの超ロングランギャグ作品。連載開始は1990年で、なんと現在も連載中である。昭和末期~平成以降に生まれた子どもなら、きっと誰もが一度は読んだことや目にしたことがあるであろう。
コロコロの歴史を語るうえで、80年代から活躍し『江戸っ子ボーイ がってん太助』『学級王ヤマザキ』などアニメ化されたヒット作も数多い樫本学ヴ作品を外すわけにはいくまいが、その中から『コロッケ!』をセレクト。一話完結ギャグやタイアップ作品の多いコロコロコミックとしては珍しい、連続冒険ストーリー漫画である。2年にわたるアニメ化、そして樫本学ヴはこの作品で小学館漫画賞児童部門を受賞した。
21世紀のコロコロコミックの『顔』である。じーさんと孫が織りなす子供向け不条理ギャグの大ヒット作品。表題作は2010年で連載終了しているが、続けざまに『でんぢゃらすじーさん邪』『なんと!でんぢゃらすじーさん』と20年以上に渡り、コロコロの看板作品として現在も続編が描き続けられている。
強烈で個性的な文房具のキャラクターが繰り広げるギャグ作品。2004年連載開始、現在も続く超絶ロングラン作品である。でんぢゃらすじーさんと並び、長らくコロコロの2大ギャグマンガとして君臨。一話が短めでサクッと読める。SNSを見ると、コロコロコミックは卒業しても、このマンガだけは読み続けているという声もちらほら見られる。
どんなものでも盗み出す怪盗ジョーカーを主人公としたたかはしひでやすのヒット作。魅力的なキャラクターたち、一部では強引とも評される(?)トリックも含め子どもたちの大きな支持を得た。
別冊コロコロに連載開始され、その後月刊コロコロに移籍。根強い人気でアニメもシーズン4まで続く。別コロ時代を含めると10年以上という長期連載で、連載開始時に小学校高学年だった子どもは連載終了時にはもう大人だが、最終話は見届けられたのだろうかと気になる。
一作家一作品縛りのため選外としたものも含め、次点作品を挙げておく。他の方の意見も聞いてみたい。
・とどろけ!一番(のむらしんぼ)1980-1983
・がんばれ!キッカーズ(ながいのりあき)1984-1989
・かっとばせ!キヨハラくん(河合じゅんじ)1987-1994
・爆走兄弟レッツ&ゴー!!(こしたてつひろ)1994-1999
・爆球連発!!スーパービーダマン(今賀俊)1995-2001
・うちゅう人 田中太郎(ながとしやすなり) 1998-2004