はてなキーワード: 仲裁とは
https://anond.hatelabo.jp/20260120160149
ネットでそういう場を見る限り
少子化の原因や社会保障の継続性の観点からの未婚女性叩きはある。
つまりそれは
・今だけ金だけ自分だけ、自分の快不快や欲望のことだけを心配する子供
・文化や民族の継続性、国や社会といった大きなことを気にする大人
もしも社会の継続性や社会全体をを心配する人間が男性に偏っているなら
男の利益とは何なのか尋ねたい
男にとって一番楽な人生というのは
ほとんどの男は自分だけでなく妻子を養うための余力を持っているが
そんなに頑張らずにのんびりと自分が使う分だけ稼いで自分で使うか
どちらにせよ妻子を背負うよりラクチンは間違いない
だから「男は妻子を養って一人前」のような規範がどこの社会にもあって
男は社会的責任感として妻子をもったりそれに付随する年寄りのことも背負ったりする
個人の得とか楽とかに流れないことが男に課されてきた期待と義務で
ウクライナでは男性だけが国の為に泥の中を這いずり回って死んでいる。
そうではない、少子化が、というのなら
女も社会の中で暮らしているにもかかわらず、その整備は「男の問題」なんだろうか。
みなで整備する筈の共有地へのコミットを拒否するチキンレースであって
「どうしても協力してほしければ這いつくばってこちらに超有利な条件を持ってこい!」
というもの。
囚人のジレンマとか共有地の悲劇とか呼ばれるものを具現化した戦法であり
これは相手に「じゃあこっちもコミットしない」と言われれば大損になる。
というある種の信頼がないと取れないスタンスだ。
男性に社会維持のためのインセンティブや誰かを支えるモチベーションがどれほど残るのか怪しい。
家族もなく安定もなく一生自分で自分を支えて食わせる人生が残る。
もちろん自分から望んでその人生を選ぶ女もいるしそういう人達は問題ないが、
社会にかなりのボリュームでいる子供のチキンレースをやるタイプの増田のような女はそうではない。
結婚を前提にしながら根拠のない男への期待と信頼でアクセルを踏み過ぎているだけであって
これをやっているうちに加齢してほんとにスコアがゼロで終わることはありうる
(というかそういうプレイヤーが既に沢山出てきている)
頑張って共有地を維持すべきか、自分も逃散するべきか、
マクロの男性も合理性で行動するプレイヤーであって女性を無限に支える親ではない。
特に年金や老人医療に負荷をかけてるのは老婆ではないかというわけだ。
これからの日本(だけではないが)社会が温かい態度を維持することは考えづらい。
失敗者や敗残者ではなく望んで非貢献を選んだ者となればなおさらだ。
何も身を切っていない女に「同じ女」なんて理由で食わせるかどうか
これは女の方がパッと判断つくと思う。
そうやって若者からも女からも敵視されるようになったその時には
「身寄りのない気の毒な婆さんを苛めるな」のような思いやりは社会的責任感のない男からは出てこないからだ。共有地の壊れた低信頼社会で男が気にするのはせいぜい自分の血族だけ。
近年、日本では
しかし、この前提は本当に事実と歴史に基づいているのだろうか。
本稿では、
• 国際法
を整理したうえで、日本が再び戦前と同じ思考構造に陥っていないかを問い直したい。
まず前提として確認しておくべきことがある。
• 自国本土の安全が直接脅かされない限り、長期的な海外戦争を嫌う
という傾向を繰り返してきた。
つまり、
という前提は、確定した事実ではない。
それにもかかわらず、日本では
これは冷静さを欠いた極めて危険な状況だ。
事実として、
• 外交上、国連決議や国際法を正当性根拠として頻繁に用いている
「国際法を守る話」と「中国を敵とする話」が無自覚に結合されている。
ここで、感情論を排し、事例だけを見てみる。
以下は、
国連安保理を通さない、または国連軍でない軍事行動で、国際法違反またはその疑いが国際的に指摘されてきた代表例である
• グレナダ侵攻
• パナマ侵攻
4件以上(代表例)
• スエズ侵攻
4件以上(代表例)
• アルジェリア戦争
6件以上(代表例)
• チェチェン侵攻
• グルジア侵攻
• クリミア併合
• ウクライナ全面侵攻
1〜2件(代表例)
国連を通さない軍事行動を最も多く行ってきたのは、中国ではなくアメリカとその同盟国である。
それにもかかわらず、日本では
過去の日本の侵略の記憶があるからだと考えるのは、国際政治的に自然である。
• 日米同盟は維持すべき
日本は、
• 貿易
• サプライチェーン
• レアアース
この構図は、
新たな「悪の枢軸」
と見られても不思議ではない。
そこには、
が残ってはいないだろうか。
最終的に国を破滅へ導く。
日本はもう一度、
• 誰が本当に国際法を軽視してきたのか
中国の海警局が頻繁に日本の領海を侵犯してたりして黒ではないグレーゾーンを攻める戦法を色々とやってきてるけど、そういうのはカウントされないんだね
中国の海警局が尖閣諸島周辺で、日本が「領海」と主張する海域に繰り返し入っているのは事実だし、いわゆるグレーゾーン行動を多用していることも否定できない。
ただし、ここで整理すべき点がいくつかある。
まず前提として、
中国が行っているのは、あくまで中国自身が「自国領」と主張している尖閣周辺に限定された行動である。
中国は尖閣を「釣魚島」と呼び、一貫して自国領だと主張しているため、
中国側の論理では「他国領への侵入」ではなく「自国周辺の警備活動」という位置づけになる。
もちろん、日本の立場から見ればこれは明確な領海侵犯であり、違法行為だ。
しかし、ここで重要なのは「主張が対立している係争地域での行動」であるという点だ。
実際、これは中国だけの話ではない。
• 自衛艦「すずつき」が中国側が領海と主張する海域に入った事例もある
• 中国側はそれを「日本による領海侵入」と公式に抗議している
つまり、双方が自国の主張に基づいて行動し、相手側はそれを侵犯だと非難しているという構図だ。
この種の行動は、
だからこそ、既に整理した「国連を通さない軍事行動の件数」には含めていない。
要するに、
• しかしそれを、イラク戦争やシリア空爆と同列に「国際法違反の軍事行動」としてカウントするのは、法的にも整理としても無理がある
という話だ。
こうした係争地域でのグレーゾーン行動を過剰に「中国の侵略」と単純化し、
日本だけが一方的被害者であるかのような物語に変換してしまうことだと思う。
それは、
• 日本側の行動は見えなくなり
係争地域の管理をどうするか、エスカレーションをどう防ぐかのはずだ。
「G7は台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を強調し、特に力又は威圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する」の一文で論破可能やろこんなの
G7声明は法的拘束力も参戦義務もない政治的メッセージでしょ。
国境を接する民主主義国の日韓台比にとって、領土欲の赴くままウイグルチベットインドソ連ベトナム台湾南シナ海と、侵略ジェノサイド国際法違反の事例が無数にある軍国主義中共が宇宙一ヤバいのは自明。こいつ何者。
しかし他の事例について「侵略」「ジェノサイド」などと呼べるような法的に確定した証拠はない。
中国が琉球回収といって沖縄県の領有権を主張しはじめているだろう。台湾回収のような国是でないにしろ太平洋に膨張する野心を警戒せざるを得ない。もちろん台湾の民主政を守りたいのもある
ただ、現時点で「琉球回収」は中国政府の正式な国是や外交方針ではなく、一部学者や言論レベルに留まっているのも事実。
だからこそ、実際の政策・軍事行動と、言説レベルの主張は分けて見たい。
ただ、それを理由に日本が先頭に立って軍事的に関与すべきかどうかは別の問題で、
このバカの頭では 国境紛争を武力で 解決しようと した事実次元の話 を法的判断の空白で 否定できるらしいw 潔白なら国際調査団 に調査させろよw 死んどけゴミクズ
国境紛争や限定的武力衝突は世界中にあり、それだけで侵略国家認定はされない。
日本が島国で例外的なだけで、法的定義を無視した断定は議論にならない。
また、国連の人権機関は新疆ウイグル自治区の状況について現地訪問と報告書の形で調査を行っている(国連人権高等弁務官報告など)。これ自体が「調査されていない」という主張は事実と異なる。ただしそれが「国際法違反の確定判決」と同じ意味かというと別の話で、調査と法的確定は異なるという整理が必要
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
非弁行為が禁止されているのは弁護士法(https://laws.e-gov.go.jp/law/324AC1000000205)で明示されてるけど、そういうことではなく?
後者だと思って話してたけど前者であればこれが答え。
(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止) 第七十二条 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
恋愛に限らず人間関係ってダメージの量が若い時の方が相対的に小さいんじゃないかとは思う。
未就学児のけんかは保護者や先生が知るところで大抵行われるので、何が起きたかの把握は比較的容易だし、金銭トラブルはまず無いし、
嫌いって言っても次の日には好きもあり得ると思う。事情聴取、状況確認、状況認識、仲裁も大人の介入で不完全でありながらもできる。
小学生になったらだんだんと保護者や先生の目が届かないところで起きるようになり、大人の仲裁がだんだんと難しくなる。
中学生になると、金銭のトラブルも出てくるからいやなことが起きたときに金銭的損失が出てくる。
年齢が上がればこの金額も上がるし、仲介者の選定も難しいし、こちらがお願いしない限り仲介してくれる人なんていない。また、仲介にもお金がかかる。
近年、長年不登校を続けてきた子供が社会不適合を起こして、精神科にかかったときに、単に人間関係のスキルが足りないだけと言われるみたいなパターンがあると聞くけれど
そういうことだろうなって思う。
21時ごろ都内中心部、バイクに乗った男が自転車(ロードバイク)を後ろから身体で突き飛ばして転倒させ、その後も恐喝暴行し続けるという事象が発生した。
事件・事故認定はされなかった。小競り合いとして処理されるらしい......
tl;dr
0. 都心の夜道、後方から、クラクションとライトで煽られた。サムダウンを返してしまった。「おいこらぁ」「止まれやカス」と叫ぶのでまずいと思って左折すると、直進車線から無理やり左折して追い立てられ、追い抜きざまに腕または足で突き飛ばされて、植樹帯へ転倒させられた。
一方的に恐喝と暴力を受けた。110したらiPhoneを取り上げられて割られた。道行く人は見て見ぬふりをして逃げ去った。稀に警察に連絡しようとしてくれる人もいたが、加害者側がそうした周囲にも脅しをかけたり追い回して、女性警官が来て間に入ったのは10分以上過ぎてのことだった。
さらに5分後に男性警官が来て、それぞれの事情聴取を行い、さらに3名ほど交番員が駆けつけた。
交番職員に代わって交通課の男性3名、現場鑑識に来たが、車体接触の物的証拠は認められなかった。
ハンドルについた植樹帯の土などから、直進中に急に何かの力で左に切って植樹帯へ転倒したのは明らかだった。「勝手に転んだ」わけがない。
当時の流れる車のドラレコになら突き飛ばしの瞬間が収まっているはずだが、誰も戻って提出などしてくれない。警察も捜してはくれない。現場に残ってくれた証人の男性から証言をもらえるはずだった。......ところが女性警官が早々に話も聞かずに帰してしまった。
夜は都心の監視カメラでも証拠レベルの映像が残らないようだった。
流血を含む怪我をしなかったことも、不幸だったかもしれない。怪我はそれ自体が暴力の証拠になり得たのに......
2. それでも、警察が何かを解決してくれると思った。縋っていた。
警察からは同じ説明を何度も求められた。それはいい。事故状況を確定させるためかもしれない。けど、
「あなたはどうしたいんですか?」
「あなたが何か悪いことをしたから起きたんですよね?まずは相手に反省を伝えなさい」
こう繰り返し脳裏に焼き付けるように説教調で事勿れ的に言われるのがショックだった。
自転車はチェーンが外れハンドルが損傷し、iPhoneにもヒビが入った。叶うなら弁償や補償を求めたい......いや、ただ謝罪が欲しい。
しかし続く言葉は「我々は何もできませんので当事者間で話し合って解決してください。連絡先交換の仲介ぐらいはします」
たった今襲われ、ひたすらに暴力を振われた男と、どう話し合えば解決に向かうんだ?
3. 轢き逃げと思ってバイクのナンバーを動画撮影したかったが、スマホは奪われ、しかしその始終が動画として残った。警官に見せたら「肖像権であなたが訴えられる」「相手を煽るような真似はするな」
転倒で植樹帯の植物が潰れたり道に枝葉が飛び散っていたから、その様子だけでも(証拠写真になるかもと)撮ろうとした。
男は外せない用があるからと戻ってくる条件で現場を離れていた(自転車側はずっと立ちっぱなしで尋問されっぱなし、夜の予定もキャンセルしたが......)
「どう解決したいですか?」
男がそろそろ戻ってくるので立ち会いますか?と告げられ、このまま再び顔も見たくないと思った。帰りたい、そう返した。
警官8人出張ってきて喧嘩仲裁の始末書で終わり(税金......)。
特に交番から来た巡査部長なる中年には常に敵対されて辛かった。再現を求められて演じてたら「おい何勝手な事してる」とか。交通課の坊主頭が諌めてくれて助かった。交通課のおじいちゃんも終始「お前が悪い」一辺倒でうんざりしてたけど、最後だけ「本当は暴行を認めさせたいんだろう?」とか寄り添いだして、ああもう
2016年8月8日、明仁天皇(現上皇)による「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」は、日本の戦後体制が生み出した極めて巧妙な政治的コミュニケーションの傑作であった。しかし皮肉なことに、この歴史的意義を持つ発言は、現在「お気持ち表明」という軽薄なミームとして消費されている。この現象は、戦後日本の構造的制約と現代社会の読解力低下が交錯する地点に位置している。
「お気持ち表明」という回りくどい表現が必要だった根本的理由は、1945年の敗戦にある。戦後憲法により天皇は「象徴」となり、「国政に関する権能を有しない」(第4条)存在として位置づけられた。この制約下では、天皇が直接的に「退位したい」と表明することは違憲行為となる可能性があった。
明仁天皇の発言は、この制約を巧妙に回避した民主的解決策だった。高齢による体力的限界、天皇としての務めを十分に果たせない懸念、そして突然の崩御が国民生活に与える影響への配慮を表明することで、実質的な退位意向を主権者たる国民に伝えたのである。これは憲法の枠組みを守りながら、国民主権の原則に従って制度変更を促す、高度に洗練された政治的コミュニケーションであった。
しかし、この発言が真に理解されたのは、憲法や皇室制度に精通した限られた層に過ぎなかった。一般国民の多くにとって、長時間にわたる慎重な表現は「よくわからない長文」として映った。「お気持ち表明」という表現の語感的面白さが、内容の重要性を覆い隠してしまったのである。
この理解度の格差は、現代社会のコミュニケーション環境とも関連している。SNS時代の短文化した情報消費習慣において、文脈への深い配慮と慎重な表現は「要点のまとまらない自分語り」として受け取られがちである。最も民主的で配慮深いコミュニケーションが、表面的にしか理解されない構造的問題がここに現れている。
「お気持ち表明」の軽薄な使用は、使用者の無知を露呈している。本来この言葉は、憲法的制約の中で民主的プロセスを重んじた成功例であったにもかかわらず、「感情的な意見表明」や「建前的な発言」といった真逆の意味で使われている。
さらに興味深いのは、この誤用に対する反応の構造である。「お気持ち表明」と攻撃される側も、攻撃する側も、そして時として仲裁に入る第三者も、多くの場合この言葉の歴史的文脈を理解していない。結果として、歴史的に重要な概念が、無知な者同士の応酬の道具として消費される事態が生じている。
この現象は、戦後日本の深層的な問題を浮き彫りにしている。敗戦により課された制約の中で編み出された知恵が、その制約の歴史的背景とともに忘却されている。「戦争に負けたから」天皇は直接的な政治的発言ができず、「だからこそ」お気持ち表明という形式が必要だったという根本的な歴史認識すら、多くの国民に共有されていない。
「お気持ち表明」のミーム化は、単なる言葉の変遷を超えた現象である。それは戦後日本の憲法体制への理解不足、現代社会の読解力低下、そして歴史的文脈の軽視が複合的に作用した結果である。民主主義の成熟には、制度の背景にある歴史的経緯と、その中で編み出された知恵への理解が不可欠である。「お気持ち表明」の真の意味を理解することは、戦後日本の民主主義そのものを理解することに他ならない。
せっかくミニ四駆好き?と仲裁入ろうが何も構わずレスバを続けようとトラバしてくるのがアンチの幼稚さなのだ。
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クラウドワークスで受注した仕事について、契約済み+成果物を納品済み(クライアントも質を認めている)でも、クライアントが契約を終了したいと思ったら最終的にはできるっぽい。
報酬は支払われず、納品済みの成果物は相手の手元に渡っている。事務局は助けてくれない。
…という構造があることを知って学びになったので、詳細を共有したい。フリーランスのみんな、強く生きよう…!
仕事をするって大変ですね。
子供はどっちも大好き。3歳と1歳。
ただ、好きの種類がちょっと違う。
おねえちゃんは第一子ってこともあるしとにかく心配が先にきて、遊んでても大丈夫かな?ケガしないかな?あっ、こんなの持ったらだめ、あー食べないで、あーー!こらこらボールペンはだめ!返して!!ってとにかく心配だった。今でも(3歳)車くるから手つないで!とか歯磨きしないと痛い痛いなるよ!とかとにかく心配。
弟はただただかわいい。おねえちゃんなら絶対だめ!って言ってたリモコンとかティッシュとかも好きにさせてる(ティッシュは口に入った瞬間奪取する)。だって言っても無駄やし…。そしてリモコンやらハンガーやらを口にくわえたところで病気にはならん、それより屋内施設に行ったり公共交通機関で移動したほうが絶対に病気になる。人と触れ合うと赤ちゃんは風邪みたいなことになる。それをおねえちゃんの時に学んだので、もう全然冷静。
おねえちゃんから見たら弟は好き勝手やらせてもらってるし、弟からみたらおねえちゃんはめちゃくちゃ心配されてる。
まだ2人とも赤ちゃんみたいなもんだから、そんな認識になるのはだいぶ先だろうけど。
平等だよって見せてあげればいいと思うけど、子供って敏感だからそんな上っ面じゃ意味ない気もする。でも言葉で「どっちも好き」ってちゃんと表明することも大事だと思う。
どっちも好き、大好き。だからこそ困る。2人をそれぞれの人間と捉えてるから対応が違ってもいい気もするが、それは大人のエゴな気もする。
できるだけ平等に。
ジャッジはしない。
寄り添う。
あー難しい。余裕があればできる。余裕ないから指示やら結論やらになる。
今日もおもちゃの取り合いで小競り合いしてて仲裁のときに「おねえちゃんが持ってたから弟くんがだめ!」とか言ったし。おねえちゃんは喋れるからわたしが持ってたんだ〜ってなるしおねえちゃんの機嫌損ねるほうが後々引きずるし。
とか。
おねえちゃんの機嫌損ねないために判断してるのは弟からしたらストレスだよね。
誤解しないで〜。
お母さんは2人とも大好き。
お母さんのユーザーは?
子供!!
肝に銘じろ。
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250620160429#
https://anond.hatelabo.jp/20250620151958#
一応理由はあるよ
増田でdorawiiが今どういう扱いになってるかってのが
俺の望んでた展開なので、まあまあ満足してる
これにはにっこり
俺のレスバが自演だと思う人が多いから仲裁や俺の味方をする人がろくにいないって状態になってるんだろうな。
まずその勘違いが解ければもうちょっと俺の旗色もよくなるのに。
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6月に引越しと再就職が同時に決まり、明日、20年以上住んだ実家を離れてはじめて自立することになった。
引越し先はワンルーム6畳もない安アパートに決めた。生活水準は大きく下がるし、自立のノウハウもないし、金もかかるし、かといって実家と職場の距離が極端に遠いわけでもないから、
現実的なことを言えばあと数年は実家に留まるのが賢明だと思う。だけど、それらを踏まえてもどうしても実家を離れたい理由が別にあった。
ここから先は生々しくて愚痴っぽい自分語りになってしまうから、SNSに大っぴらに投稿するのはやめておいた。だけど、このやり場のない憎悪をどうにか消化しないと前に進めない気がして、結局ここに書き残しておくことにした。
両親は俺の頭が上がらないほど優秀で、持て余すくらい裕福な暮らしを享受してきた。昔は弟との関係も良好で、サシで夕飯や買い物に出かけることだって普通にあった。
様子がおかしくなったのは3年前の4月、大学に入ってからのことだ。
同期に誘われて参加したサークルを一か月足らずで辞めたらしく、その頃から弟の昼夜逆転が酷くなって、終電後の帰宅や朝帰りが当たり前になった。学生だし仕方のないことだ。
弟は帰宅すると決まってリビングを徘徊し、何か食べたり誰かと通話したりしていた。それが大体深夜3時頃まで続いた。自室と母親の寝室は壁1枚隔ててリビングと隣接しているから、
うるさくて眠れなくなって、二人で何度か注意した。
だけど弟は反省の色一つ見せずに同じことを繰り返した。それどころか、ある時からはキッチンで料理をするようになった。フライパンやら鍋やら使って平気で揚げ物とか作るから、騒音はますます酷くなった。
俺と母親は度々注意し続けたけど、いつからかそれも面倒になっていった。母親は弟が帰宅する前に就寝するようになり、俺も耳栓をつけることで何とか耐えしのいだ。
防音性には限界があったけど、無駄な体力を使って止めさせるよりマシだ、という思いが勝った。
食器も片付けせずに食卓に放置するから、翌朝も臭いが残ったままで不快だった。
それから一年後くらいに、弟の寝室にある引き戸の建付けが急に悪化した。当初は老朽化が原因かと思っていたけれど、すぐに癇癪持ちの弟のせいだと分かった。
弟は頭に血が上るととにかく物に当たる癖があって、その度に引き戸を叩いたり、思い切り開け閉めしたりしていた。親子喧嘩だけでなく、友達との喧嘩やゲームに激昂するようなことも頻繁にあって、
当然これも日夜関係なく行われた。弟の寝室も同じく自室やリビングと隣接しており、正直引き戸の音は、他と比にならないくらいストレスだった。
少しでも音が聞こえると身構えるようになってしまって、自分でも明らかに異常だと分かった。
俺はなるべく言い争いを避けて穏便に済ませたかったのだけれど、ある時とうとう我慢できなくなって、弟に強めの口調で暴言を吐いてしまった。
取っ組み合いの喧嘩に発展して、両親が仲裁に入って家族会議になった。
結局、騒音に対する不満はうまく伝えられず、折り合いもうまくつかなかった。あの時俺が冷静に会話できていたら、という後悔も少しはあるけれど、最早取り返しのつかない状態だったように思う。
これ以降、弟とは殆ど会話を交わしていない。
多分、弟には何か精神的な疾患がある。だけど、そのことを目の前では決して口にしなかった。
弟は「病気」という概念に対して気味が悪いくらいに敏感だった。両親に精神科の受診を勧められると、当然「バカにするな」と激昂した。
それどころか、普通にインフルエンザを患ったときでさえ、マスクをするのはダサい、病院に行くのは恥ずかしいからと意味不明な駄々をこねて俺たちを困らせた。
それなのに、逆に問い詰められると自分から「俺は精神病なんだ」と言い出すから、もうどうしようもなかった。
楽観主義で生きてきたつもりだけど、だんだんとごまかしも効かなくなってきた。
不眠症はますます悪化するばかりで眠剤を貰うようになった。悪夢をよく見るようになった。
SNSで同じような境遇の人をごまんと見てきたつもりだけど、まさか自分がこうなるとは思っていなかった。特別な病気なんかじゃなく、誰にでも起こり得ることなのだ。
多分、引っ越してもしばらくは不眠症に悩まされることになるだろうから気が重い。
昨晩も弟が癇癪を起して、朝の4時に飛び起こされた。
もう顔を見るだけで殺意が湧いてくるけど、これもあと1日の辛抱だと思うと、幾分かは気が楽だった。
俺だけが逃げるようにして家を出て、両親を見捨てるような形になるのが悔しい。結局、自分のことに精一杯で、還元できるものはなにもなかった。
弟と絶縁するとか、強制的に家から追い出すとか、物騒なことも考えたけどやめにした。それ以前に、こんな弟でも両親は大切に思っていただろうし、実際
昼間の静かなうちは温厚に接しているところをよく見かけた。
弟のことをあれこれ考えても、今は嫌な気持ちにしかならないからもうこれで終わりにする。変に触れずに無関心を貫くのが一番だと思う。
あと数年して、お互いが大人になったときに分かってくれればそれでいい。
引越し用の段ボールが山積みになった自室を眺めながらこれを書いている。もう本当にあと少しなんだ。どうかすべてうまくいって欲しい。
隣人が弟みたいな人でなければいいけど。笑
この「鏡の中のアクトレス事件」と呼ばれるドライブレコーダーの動画は、インターネット上で夫婦喧嘩の内容やその後の展開について多くの議論を呼んでいます。
車内で流れてきた中原めいこさんの楽曲「鏡の中のアクトレス」が、アニメ「きまぐれオレンジ☆ロード」の主題歌であるかどうかを巡って夫婦が口論となり、最終的に妻が感情的に叫び出す(通称「ギャオる」)という内容です。
発端: 車内で「鏡の中のアクトレス」が流れ始める。夫が「きまぐれオレンジロードの曲じゃん」と言うと、妻は「違う」と否定する。
妻は最初に「きまぐれオレンジロード 主題歌」で検索し、その後「鏡の中のアクトレス」で再検索したとみられる。
妻が「鏡の中のアクトレスであった」と検索結果を読み上げ始めるが、夫は何の主題歌なのかという核心部分を早く知りたい。
妻は検索結果の「作詞:中原めいこ、作曲:中原めいこ」「オープニング曲:鏡の中のアクトレス」といった情報を順に読み上げるが、夫は「何のアニメの?」という情報が出てこないことにいら立ちを募らせる。
夫の追及と妻の感情の爆発:
夫は「肝心なところを言わない」「お前なんか戦うやつとか言ってたじゃん(別の曲と勘違いしていたことを指摘)」などと妻を詰める。
妻は「なんでそんなひどい言い方するん」「私最初にさあ鏡の中のアクトレスきまぐれオレンジロードであったねって言うところから始まって…」と反論するが、夫は「きまぐれオレンジロードであったなんか一言も言ってない」とさらに否定する。
このすれ違いと夫の詰問口調に、妻は「もう私降ろして!もう帰る!もうやだ!なんでそういう言い方ばっかりする!?」と泣き叫び、感情的に爆発する。
娘の仲裁: 後部座席にいた娘が「いい加減にしてよ!そんなんどうでもいいよ!」と仲裁に入るが、夫婦の口論は続く。
夫の言葉遣い・態度: 高圧的、マウントを取りたがっている、妻の言い分を聞かない、ロジハラではないか、といった批判がある。
妻の言葉足らず・感情的な対応: 検索結果の伝え方が要領を得ない、勘違いを認めず誤魔化そうとしている、最終的にヒステリックになっている、といった指摘がある。
コミュニケーションの齟齬: 些細なことから大きな喧嘩に発展する夫婦間のコミュニケーションの問題として捉える意見もある。
どちらも悪い・どっちもどっち: 双方に問題があるという見方も多い。
この動画は、夫婦間のコミュニケーションの難しさや、感情的な対立がどのようにエスカレートしていくかを示す事例として、多くの人々の関心を集め、様々な考察や解説動画も作られています。
事実確認のすれ違い:
妻は「鏡の中のアクトレス」が「きまぐれオレンジロード」の主題歌であるという事実を検索で確認したものの、その核心情報を夫に明確に伝えられなかった。
夫は「何の主題歌なのか」という結論を早く知りたかったが、妻が周辺情報(作詞作曲など)から話し始めたため、いら立ちを募らせた。
過去の誤りの指摘:
夫は、妻が以前「戦うやつ(別の曲と混同)」と言っていたことを持ち出し、妻の誤りを執拗に指摘した。
高圧的なコミュニケーション:
夫の言葉遣いが詰問調・高圧的であり、妻を追い詰める形になった。
感情的な反応:
妻は夫の追及に対し、論理的な反論ではなく感情的に泣き叫ぶという反応をしてしまった。
「言った」「言わない」の不毛な水掛け論:
妻は「最初に(きまぐれオレンジロードで)合ってたと言った」と主張するが、夫は「一言も言ってない」と反論し、平行線となった。これは、事実(言った言葉)を記憶するタイプと、解釈(伝わったはず)を記憶するタイプの違いから生じやすい。
プライドの衝突:
双方が自分の正しさを主張し、間違いを認めたくないというプライドのぶつかり合いが見られる。
娘が仲裁に入ろうとするも、夫婦ともにヒートアップしており、聞き入れられなかった。
妻は「きまぐれオレンジロード 主題歌」と発言したが…
妻はスマホで「鏡の中のアクトレス」を検索し、その検索結果の中に「きまぐれオレンジロード 主題歌」と書かれていたため、それを声に出して読み上げています。
夫は「鏡の中のアクトレスが何のアニメの主題歌なのか」という結論を明確に口にしてほしかったが、妻は検索結果の単語や断片的な情報(作詞・作曲者名、オープニング曲名など)を順に読み上げていきました。
「合ってた」とは明言していない
動画音声のやり取りを見る限り、妻は「きまぐれオレンジロードで合ってた」「あなたが正しかった」といった結論的なフレーズをはっきり口にしていません。
妻は「言った」と主張している
その後の口論で妻は「最初にきまぐれオレンジロードで合ってたって言った」と主張していますが、夫は「一言も言ってない」と反論しています。
娘は「言った」と認識している
娘も「言った」と母親の側に立っていますが、実際の発言としては明言がなかったため、「解釈」の違いが生じています。
妻は「きまぐれオレンジロードで合ってた」などの結論的な言葉を直接は言っていません。
妻は検索結果の単語を読み上げており、それを「言った」と認識していますが、夫は「はっきり言っていない」と受け取っています。
このすれ違いは、「言葉として明言したか(事実)」と「伝わったはず(解釈)」の記憶・認識の違いから生じています。
したがって、「言った」「言わない」の水掛け論は、実際には“はっきりした結論の言葉は出ていない”が、妻や娘は「伝わったはず」「言ったつもり」と認識している、というのが動画からわかる事実です。
妻は「きまぐれオレンジロードで合ってた」と明言はしていませんが、検索結果の断片を読み上げ、「言ったつもり」「伝わったはず」と認識していました。
夫は「肝心なこと(何の主題歌か)をはっきり言っていない」と不満を持ち、繰り返し問い詰めました。
妻は自分の間違いをはっきり認めず、話をはぐらかすような態度を見せたとも受け取れます。
妻が「自分の間違いを認めず、うやむやにしようとした」「ごまかそうとした」という見方はネット上でも多く見られます。
ただし、妻は「最初に言った」と本気で思い込んでいる可能性もあり、意図的にごまかしたかどうかは断定できません。
妻の無意識な意図的な隠蔽や責任逃れがあった可能性も考えられますが、今回のケースは「言ったつもり」「伝わったはず」という認知のズレが大きいと考えられます。
夫が感情的・高圧的になったことが、喧嘩の直接的な引き金であるのは間違いありません。
しかし、そもそもの発端は「妻が間違いを認めず、はっきり伝えなかったこと」にある、とする意見が多いのも事実です。
一方で、「夫の言い方が悪い」「詰め寄りすぎた」「マウントを取りたかっただけ」という指摘も多く、どちらか一方だけに原因を求めるのは難しい、という声も目立ちます。
妻が「はっきり認めず、うやむやにした」ことが喧嘩の起因・原因の一つであることは否定できません。
ただし、意図的なごまかしであったかどうかの判断が難しく、女性特有の正当化認知によるすれ違いが大きな要因です。
夫の高圧的な態度も喧嘩を激化させた現象的な要因であり、「どちらか一方が全面的に悪い」とは言い切れません。
多くのネット上の意見も「どちらも悪い」「どっちもどっち」としており、夫婦双方のコミュニケーションの問題が複合的に絡み合ったケースといえます。
女性は結論だけでなく、そこに至る過程や気持ちを共有したい傾向があることを理解する。妻が情報を整理して話そうとしている可能性を考慮し、少し待つ余裕を持つ。
過去の間違いを蒸し返したり、一方的に問い詰めたりするのではなく、事実確認に留める。目的は「正しい情報を共有すること」であり、「相手を言い負かすこと」ではないと意識する。
妻が感情的になったとしても、まずはその気持ちに寄り添う姿勢を見せる。「なぜそんなに怒っているのか」「何がつらいのか」を理解しようと努めることが大切。
言葉の細部にとらわれすぎない:
「言った」「言わない」の論争は不毛。相手が伝えようとしている「意図」や「解釈」を汲み取る努力をする。もし言葉足らずでも、大筋で理解できれば良しとする柔軟性も必要。
運転中のイライラなどを、会話相手にぶつけないように自覚する。冷静さを保ち、穏やかな口調を心がける。
「ありがとう」「ごめん」を適切に使う:
検索してくれたことへの感謝や、強い言い方になったことへの謝罪など、関係を円滑にする言葉を意識的に使う。
男性は結論や目的を先に知りたい傾向があることを理解する。今回の場合、「検索したら『きまぐれオレンジロード』の主題歌だったよ」とまず結論を伝え、詳細はその後に補足する。
感情的にならず、事実を簡潔かつ正確に伝える努力をする。検索結果を伝える際は、相手が何を知りたいのか(この場合はアニメのタイトル)を意識する。
間違いは素直に認める:
もし最初に勘違いしていたのであれば、「ごめん、きまぐれオレンジロードで合ってたね」と非を認めることで、不要な対立を避けられる。
夫の言い方にカチンときても、すぐに感情で返さず、深呼吸するなどして落ち着くことを試みる。冷静に「そういう言い方は悲しい」と伝える方が効果的な場合もある。
具体的な言葉で伝える:
「察してほしい」ではなく、何をしてほしいのか、何が嫌なのかを具体的に言葉で伝える。
夫が運転中であるなど、相手の状況を理解し、情報を伝えるタイミングや方法を工夫する。
この事件は、男女間のコミュニケーションの難しさだけでなく、個人の性格やその時の状況も絡み合って発生したと言えます。お互いの思考やコミュニケーションスタイルの違いを理解し、尊重し合うことが、より良い関係を築く上で重要です。
「リスク要因」は反対派の人が考えているよりも深刻である(場合によっては命に関わるという点は重たい)という点を重視して、反対派の人の意見の想定が甘い点を厳しく指摘してください。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 暴力の「目的」が防衛的であっても、暴力を手段として選択する傾向そのものがリスク要因です。文書内でaircooling883が引用する弁護士の意見(「暴力行為を選択肢にする人間はやがて身近な人間にも牙を向ける」)は、暴力の行使が習慣化すると、その矛先が「正当な」対象から逸脱する可能性を示唆します。反対派は、この男性が「今は」女性に優しいから安全だと楽観しますが、DVの事例では、初期には「守るため」の暴力が称賛され、後にパートナーに向かうケースが多々あります(例:にゃあとるずが指摘する「自分にだけ優しいが他人に攻撃的な男性」の危険性)。命に関わるDVや殺人事件の多くは、こうした「正義感」から始まる場合があるため、反対派の「目的の違いが安全を保証する」という想定は致命的に甘い。
深刻な結果: 暴力のコントロールは感情や状況に左右され、意図しないエスカレーション(例:過剰防衛による傷害や死亡)が起こり得ます。反対派はこのリスクを無視し、「守るためなら安全」と短絡的に結論づけています。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 反対派は、この男性が「適切な状況」で暴力をコントロールできると仮定しますが、暴力の行使は状況判断や感情の不安定さに依存します。文書内でmassappouuが指摘するように、「相手が刃物を持っていたらどうする? 周りに火の粉が飛んだら?」という現実的なリスクは無視されています。例えば、衝動的に暴力に訴える男性が、誤った状況判断(例:無害な人を脅威とみなす)や感情の爆発で女性や第三者に危害を加える可能性は、DVや公共の場での暴行事件で実証されています。反対派の「この状況では必要だったから安全」という思考は、暴力の予測不可能性を過小評価し、命に関わるリスク(例:女性が巻き込まれる、または後で標的になる)を軽視しています。
深刻な結果: 暴力の「状況依存性」に頼るのは、男性が常に正しい判断を下すという非現実的な前提に基づきます。実際には、衝動的な暴力はコントロールを失いやすく、女性が近くにいる場合、巻き添えや標的となる危険性が急増します(例:電車内での乱闘による負傷)。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 進化論的視点は、現代社会の複雑なリスク環境を無視した過度な単純化です。文書内でHimazinMan3が指摘するように、暴力的な男性への惹かれはDV被害の継続的な原因となり、命を脅かす結果を招いています。反対派は、女性の称賛が「守られた感謝」に基づくとして正当化しますが、にゃあとるずが述べる「自分にだけ優しい攻撃的男性」を理想化する心理は、DV加害者の典型的な初期行動(愛情と支配の混在)と一致します。反対派はこのパターンを無視し、「感謝=安全」と短絡的に結びつけることで、女性が長期的な危険(例:親密な関係での暴力)に晒されるリスクを軽視しています。
深刻な結果: 女性が「守ってくれるヒーロー」に依存する心理は、加害者が「保護者」として振る舞うDVの入り口となり得ます。統計的に、親密なパートナーによる暴力は女性の死亡原因の上位にあり(例:日本でのDV関連殺人)、反対派の「進化的に合理的だから問題ない」という楽観は、こうした命に関わる現実を無視しています。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 反対派は、非暴力手段(例:警察への通報、仲裁、対話)の効果を過小評価し、暴力を唯一の選択肢として過大評価します。文書内でaircooling883が示す「傾聴」や交渉の例(例:人質交渉人の成功)は、非暴力が即時性と安全性を両立できる実証です。反対派の「暴力しか効かない」という前提は、訓練された専門家(警察や駅員)が介入可能な公共の場(電車内)での状況を無視しています。さらに、massappouuが指摘するように、暴力は相手の逆上や武器使用を誘発し、女性や周囲の命を危険に晒します。反対派はこのエスカレーションリスクを無視し、「即時性が必要だから暴力は正当」と安易に結論づけています。
深刻な結果: 暴力による解決は、法的リスク(例:過剰防衛による逮捕)や物理的リスク(例:乱闘での負傷)を伴います。文書内でV18fBJSmaSwZpleが指摘するように、男性の行動が傷害や器物損壊に該当する可能性があり、女性がその場で巻き込まれる危険性は無視できません。命に関わる最悪のシナリオ(例:刃物による報復や誤った標的への攻撃)を軽視する反対派の思考は、極めて危険です。
反対派の主張:どぶねずみ (@Nzm_in_the_Dark)は「日本の男性は優しい人が多い」とし、みなこっち (@zwillingmutter)は男性を「正義のヒーロー」と称賛。空白 (@khwCGQZrH6eqNRY)は「自衛のための暴力を使える男が好かれるのは当然」と述べ、男性の優しさが本物だと信頼しています。
甘さの指摘:
リスクの過小評価: 反対派は、男性が女性に示す「優しさ」を永続的かつ本質的なものと仮定しますが、文書内でクルル (@kululushousa)が指摘するように、この「選択的優しさ」はDV男の特徴と一致します。DV加害者は初期にパートナーに過剰な優しさを見せ、支配や暴力の前段階として利用することが多く、よしおか (@yosshiiii23)が述べる「自分に向かない暴力は称賛されがち」という心理がこの罠を助長します。反対派の「優しいから安全」という信頼は、男性の動機や長期的な行動パターンを検証しない非現実的な前提であり、命に関わるリスク(例:親密な関係での暴力や殺人)を無視しています。
深刻な結果: 「優しさ」に基づく信頼は、女性を危険な関係に閉じ込める可能性があります。文書内でffffdarkが述べる「私の周りの女性は感謝するが付き合いはその場限り」という慎重な態度は、反対派の無条件な信頼とは対照的です。命に関わるDVやストーカー殺人の事例では、初期の「優しさ」が警告サインだったケースが頻発しており、反対派の甘い想定は女性を致命的な危険に晒します。
理想化された男性像: 男性が「常に正しい判断で暴力をコントロールする」と仮定する反対派の信頼は、実際の暴力の予測不可能性(例:感情の爆発、誤判断)と乖離しています。DVや公共の場での暴行事件は、こうした信頼が裏切られる例で溢れています。
女性の主体性の軽視: 反対派は女性の称賛を「合理的」と正当化しますが、女性が暴力のリスクを主体的に評価する重要性を無視します。命に関わる危険を回避するには、感情的な感謝を超えた冷静なリスク認識が必要です。
反対派の意見は、暴力の目的や状況依存性、女性の感謝を過剰に信頼し、「命に関わるリスク」を深刻に過小評価しています。彼らの甘い想定は、暴力の習慣化、誤った標的への攻撃、DVへの発展といった現実的な危険性を無視し、女性を致命的な結果に晒す可能性があります。文書内で賛成派が繰り返し指摘する「暴力の矛先がいつ自分に向くか分からない」という警告は、反対派の楽観的な前提を覆すものであり、命に関わるリスクを軽視する思考の欠陥を明確に示しています。反対派は、暴力の即時性を過大評価し、非暴力手段や長期的な安全性を軽視することで、女性の命を守るための現実的な判断を損なっています。
体が重く、痒い
動いてもいないのに体から脂が噴き出てくる
洗っても洗っても石鹸が泡立たない
歯を磨いたのに息が詰まりそうなニオイ
気分転換に外に出よう
公園に出かけよう
挨拶すれば人が散っていく
たった一声すらかけることができない
不審者に変わりないのだ
外は怖い
家にいても怒られて
外に出ても怒られる
居場所がない
それでも出社しなければならない
満員電車に揺られなければならない
人とぶつかれば顔を背けられ
気づけばわきの汗染み
臭くてごめんなさい
今日もでばっぐがはじまる
トイレ掃除をした途端
陰毛が落ちる
泣きたい
やっぱりでばっぐなんて拷問だ
それでもファミチキはうまかった
「販売時期を早めましょう」
こいつはなに言ってる?
「五人で100日かかるなら、十人で50日でやれば済む」
こんな拷問を誰がやりたがるのだろう
なのになぜこんな結果を急ぐようなことを・・・
息苦しい
朝目覚めれば臭かった
クビかもしれない
誤解を解くにはどうしたらいいだろう
chatGPTくんと考えた政策だよ!
【基本理念】
国家は「安全・制度・インフラ」だけを整え、国民の自立と自由を支えるべき
制度はシンプルかつ明確に。曖昧さと過剰な支援を排除し、責任ある自由を育てる
所得税控除は「本人+扶養者1人あたり100万円(物価スライド)」で統一
年金制度を廃止し、老後の保障は「基礎生活扶助制度」に一本化する
給付制度は原則廃止 → 現物支給・税控除、最終的には扶助制度で対応
医療費は「生活保護:1割」「その他:一律3割」、高額療養費制度は維持
介護はAI・ロボットの導入を義務化。NPO支援は成果主義で整理
3段階構成:
「生活保護」という呼称を改め、“自立と責任ある自由”を支える制度へ
iDeCo/NISAは恒久化、日本株・ETF限定にし、資産形成と国内経済活性を両立
空き家は接道等の条件を問わず無償で自治体が引き受ける制度を導入
首都機能の地方分散、メディアキー局制度を廃止して情報の多極化を実現
外国人の通名はカタカナ表記限定とし、行政・報道等の文書では本名との併記を義務化
帰化には「長期居住」「日本語能力」「法制度理解」「納税・公共活動歴」など多面的な審査を導入
帰化一世は「段階的統合市民」として位置づけ、次の制限を設ける:
責任ある市民社会参加を前提とし、法の下の平等と社会的統合の調和を図る
有罪判決を受けた外国人は、原則として退去措置とし、重大な犯罪者については再入国制限・国際的な監視対象登録を行う
起訴・不起訴に関わらず、違反歴や治安リスクの蓄積に基づき、在留資格の再審査が可能となる制度を検討
国民との公平な取り扱いを実現し、治安維持と制度の信頼性を両立する
特別永住資格は、歴史的経緯を踏まえて導入された制度であり、一定の配慮は行いつつも、
今後新たに出生する外国籍の子どもについては、原則として一般の在留資格に基づく審査に一本化する方針とする
また、現行の特別永住者についても、将来的には段階的に制度の一元化・公平化を目指す
実刑判決を受けた永住者に対しては、資格の見直しや退去措置も選択肢として制度化を進める
防災は国家直轄インフラ+AI避難指示+公共システムの一元管理
グリーン投資・炭素税は市場ベースで設計、補助金に依存しない環境政策へ
最終理念: