はてなキーワード: 敗戦国とは
11話目前ですが、chatgptくんと一緒に考察してたら割とピンとくる内容が出てきたので書いてみます。ひょっとすると他の方が言及済みの内容を含むかもですが、以下ダラダラ書いていきます。
【ジークアクスのネーミングについて】
まずGQuuuuuuXがメタ構文変数で9番目を意味するというのは結構前から言われていた。そしてジークアクス2号機のジフレドのモデルナンバー、gMS-κ(カッパ)はギリシャ文字で10番目なので、やはり初号機のジークアクスは9号機ということで間違いなさそうだ。
では、なぜ9なのか?ということがずっとわからなかったが、これは6とセットで世界の反転(ジオン勝利if)を暗喩しているのではないかと思い付いた。
6ってどこから出てきたんや、6と9セットで反転を意味するって何?という感じだと思うが、
・マチュはサイド6の学校のプールサイドで逆立ちした後に、9号機のジークアクスに乗ることになる。(6を逆立ちして見ると、9になる)
というのが一つ決定的でないかと思う。
あと、6という数字については、
・主題歌のプラズマは正しいスペルのPla"s"maではなくPla"z"ma、そしてゼクノヴァZeknovaの頭文字もZだが、Z=ゼータはギリシャ文字で6番目。
・GQuuuuuuXのuの数は6つ
というところからも導き出せる。
蛇足だが、6と9で反転を示すのは、ひょっとすると易経の影響?とも考えている。というのも本作品と同じく敗戦国勝利ifとして名高いPKDの「高い城の男」では重要アイテムとして易経が登場するが、易経で6は「陰が極まり陽に転ずる」9はその逆を意味するらしい。正直これは自信がないので与太話として。ただ、制作チームの性格上、このくらいのSFネタをぶっ込んでくる可能性はあるかもと妄想したりする。
マチュ=アマテユズリハと、アムロレイって何か響きが似てるよね、と思っていた。
両者をアルファベットで書くと、
・AMATE YUZURIHA
・AMURO RAY
になる。
マチュだけの文字は、E,Z,H,T,I。
ここでアムロ固有文字Oは、ガンダム主人公の始祖(Origin)の地位、あるいはオールド(Old)を示唆すると考える。
そしてマチュ固有文字のE,Z,H,T,Iは以下のとおり、ギリシャ文字の5番目から9番目に対応すると考える。つまり、
#5 Ε(イプシロン)
#6 Ζ(ゼータ)
#7 Η(エータ)
#8 Θ(シータ)
#9 Ι(イオタ)
Θ以外についてはアルファベットとギリシャ文字の対応について異論ないと思う。Θが苦しいが、英語表記ベース(Theta)の頭文字Tということでご容赦いただきたい。
そしてマチュ固有文字で最後のΙ(イオタ)は、以上のとおりギリシャ文字で9番目だ。ここにもやはり9が出てくる。
やや苦しい語呂合わせをすれば、正史世界の主人公であるアム"ロ"=6に対して、反転世界を象徴する数字である"9"を埋め込んだ名前としても解釈できる。
以上、ダラダラ書いてみました。いつか答え合わせができたらいいなあ。
今のところ被害報告はないが、どこかで急に「対象」になる可能性はあると思ってる。
いじめるのは構わんが愛する息子がターゲットにされるのは許せない。
だが残念なことにうちの息子はいじめられ要素がいくつも揃ってる。
・頭もいい。先生ウケもいい。
・体は細身で、目立つ。
・女子とよく喋る。すぐ仲良くなる。
・正義感が強くて、間違いを見て見ぬふりできない。
自分がガキの頃、こんなやつがクラスにいたらちょっかい出してたと思う。
「小学校は幼稚園と違って、理不尽なことをしてくるやつもいる。
君には人と違う部分がたくさんある。
それは“誇り”だけど、そういう“違い”を許さないやつもいる。」
そのうえで、予行演習もした。
「たとえば、“汚いフィリピン人め”って言われたらどうする?」
本人は少し黙ったけど、こっちは準備してた。
このように応戦しなさいと、
「うっせぇわ、何様のつもりだ。
枢軸国の敗戦国、それも三等国民だった日本人が、連合国側の戦勝国である我々フィリピン様に楯突くなんて、百年早ぇんだよ。
思い出せよ。80年前、お前らは「大東亜共栄圏」だの何だのとお題目並べて、平和に暮らしていた我々の国土に土足で踏み込み、勝手に軍靴鳴らして侵略してきたよな?
でも、いざこっちが本気でやり返したらどうよ。腰抜け日本軍、悲鳴を上げて逃げ帰ったじゃねぇか。
それで講和条約だ、賠償金だって話になったら、お前ら何て言った?
「えーん、払えないよぉ、無理だよぉ」って泣きついてきたよな。見苦しいったらない。
それでも戦後、我々は立ち直った。
雀の涙みたいな賠償金で、こっちが「もういいよ」と手を引いてやったのに、恩を仇で返すような態度か?
21世紀に入ってからというもの、アジア通貨危機を越えた我々フィリピンは、経済成長率で日本に圧勝し続けている。
今や世界の金融機関もシンクタンクも、アジアで最も伸びる国はどこかと問われれば、口を揃えて「フィリピン」と答える。これが現実だ。
それでも「汚い」だの「貧しい」だの、まだそんな言葉でマウント取れるつもりか?
笑わせんなよ。
…は? 汚ねぇのはお前ら日本人の方だろ、どう考えても。
口だけ立派で中身スカスカ、謝罪もできずにヘラヘラしてる下品な島国根性。
ただ、息子に言わせると「長い。覚えられん」。
2019年、2025年に世界が捻れた。核を使用した戦争が2045年に百年ぶりに行われた。敗戦国各地が半砂漠化、スラム化。ただし飛び地に元の文明的な施設、きれいな土地が残っている。2084年までに多くの国が一度は負けている。
衛生的ではない所にいる主人公は「無傷の土地」にあるリソースにありつけなければ、半砂漠の住人はジリ貧で死んでいくことを悟る。(強盗の死体を軒先に吊るしてたら伝染病で親父が死んだとかなんとか)
主人公は傭兵みたいなことをしようとする。勉強して資格とって良い会社入って独立のノリで、まず勉強して、その辺の詐欺師相手に「実践」する。(強盗は組織化されている。詐欺の協会は武力的ノウハウが薄く、結束が疎ら。ヤクザ的用心棒がしやすい)
一旦、事前のコミニケーションが肝要で、専門性が要求される状況でなければ、15kgくらいの銃持ってぶっ放しながら歩けるだけで居る意味があると悟る。みたいな結論を出す。
非武装状況の小競り合い(敵味方どちらとも)で、かなり徒手格闘を使うことになるみたいな、そういう感じにしないと競技射撃と戦術戦略の授業になってしまう。
「不発弾」にさえ近づかなければ被爆は限定的だが、放射性降下物を吸い込まないようにスカーフをする。いつまで必要か、どんなフィルターが最低限か、は不明。観測するリソースがない。現地民はある程度、人為遺伝子学的に進化している。鉛のベールで覆われている。多くの人が第二の肝臓を増設されている(分岐だけ人為遺伝子的に作って、実物は外科手術的に設置)。
無傷の土地に干渉する時は、ほぼ確実に武力衝突になる。よってどれだけ金があっても軍事経験は必要。傭兵雇っても帰ってこない。無傷の土地外の金は、土地内のあらゆるリソースに劣る。
[増田設定出し
Q:「産むという役目を男性に担わせる気があるのか、または技術的に女性が産む必要のない社会を目指す気があるのか」
男は黙れ(男は黙れ)
フェミブリッジ・アクション★選択的夫婦別姓!平等平等!ジェンダー平等★フェミブリッジ東京@新宿駅東南口 2025/03/09
件の国際女性デーでのフェミニズム運動が話題になった。「男が産めるのうんこだけ」が注目されがちではある。本当に危ないのは「男は黙れ」のほうではないだろうか。男女平等と「男は黙れ」は矛盾してしまう。この意識はいったいどこからくるのか?
(2015-05-23)フェミが弱者男性の弾圧に一役買っているということ
なんだか、そういう意識があるように感じる。どこか他人事で、一方的で。
この最強論法をどうやって崩すか?というのが一つの課題だと思う。
もし、フェミニズムが「ジェンダーフリーは動員のための聞こえがいい建前で、女性の地位向上しか頭にねぇよ。男のジェンダー不平等など知ったことか」という思想なら、男性のジェンダー不平等なんて無視していればいいけれど、
もしフェミニズムがそうした態度をとるというのなら、ジェンダーフリーという建前を真に受け、フェミニズムにシンパシーを感じてきた1人として、私はフェミニストに裏切られた/騙されたと感じるし、フェミニズムを支持/信頼することもできなくなる。
(2015-05-25) フェミニズムには、男性のジェンダー不平等も解消する義務がある
現状、こういう分断は免れないし、目指すべき方向性を見失って本来のゴールとやらは延々と動き続ける。性役割を棚上げにしたまま突き進むのは限界にきている。
・今はマシになりつつあるものの、女性はまだまだ「産む」という生まれつき備わっている肉体の機能により学業・労働の選択の自由を制限されがち
ここが重要だ。性役割を最終的にどうしたいのか?ということに尽きる。生まれつき備わっていない肉体男性に妊娠・出産「産む」機能を持たせることで、やっと女性の特権と男性のジェンダー不平等が解消しうる。これは同時に女性にも孕ませる機能とその責任がついてまわることにもなり得る。それを踏まえて、本当に男性が産んだり、人工子宮をつかった分娩に賛成してくれるだろうか。性役割をなくす、平等にする気があるのか強い疑いを持ち続けている。
フェミニストらの言葉がどこに向かっているのか推察すれば女性の地位向上、延いては地位の維持に「産む」機能は不可欠であり、「そのままにしておきたいはずだ」という考えに行き着くのだ。その疑いをどうやって晴らせるだろうか。
パイプカット論争からの子宮移植論争をつなげたとき、責任を回避しつつ、最大限の益を得ようとしている疑惑は、ほとんど確信めいたものに変わっていった。 フェミニズムを盾に男性差別をしているだけではないか・・・。
フェミニズムを男女平等(ジェンダーフリー)とするなら、根差しているものが何かを明示しなければ、信用ならないところまできてしまっている。
「女性の問題」「男性の問題」「女性は関係ない」「男性は関係ない」いつまでそんな事するつもりだ・・・。いつまでもそうしているつもりなんだろう。それでいいじゃないか・・・。果てなき戦いコンテンツとして笑うくらいしかできることがない。我々の完敗だ。
ドドドドドド・ミミミミミミ・ドミドミソソソ〜・ドドドドドド・ミミミミミミ・ドミドミド〜
ある・・・まだできることはある。あるはずだ。
女もGASHAPON、男もGASHAPON、子供もGASHAPON
妊娠も出産もプロセス全部GASHAPONすれば、すべて解決(すべて解決)
女が回せ(女が回せ)
男が回せ(男が回せ)
少子化対策ぜんぶGASHAPON(少子化対策ぜんぶGASHAPON)
温泉むすめもGASHAPON(温泉むすめもGASHAPON)
【ご報告】
聞きたいこと等あるかと存じますが、詮索せず温かく見守って頂けますと幸いです。
若輩ではございますが、これからもどうぞよろしくお願いします。
ともず@萩ちゃん大好きぽか旦那♨️
余程多くの物語を読んできたためにオルクセンが陳腐・幼稚に思えるなら、是非ともそれらの物語を提示して欲しい。
そうでないのであれば、こうした作品を楽しむ想像力あるいは前提となるオタク知識が欠けているように見受けられる。
パワー系のオークと俊敏・魔法系のエルフのパワーバランスとしては基本的にエルフが強者であり、
そして黒エルフが白エルフとの内戦によって敵対関係であったオークの庇護下に入り復讐を遂げようとする物語の
「何故敗戦国であり弱者であったオーク勢力が僅かな期間に強大になりつつあるのか」
という点に集約されると思うのだけれど、これはやはり王の能力(一般的に変異種や転生者によって成される)
に大きく依っていることは読んでいればわかる。
ただ、キモなのは、この王がチートor最強でない点、そして恐らくはこの黒エルフがこの王とこのオーク勢力を
強大にさせる鍵である点を明に暗に提示し物語の本格的な幕開け(対エルフ開戦~世界(独立)戦争?)を丁寧に描いていること。
1巻でできることは限られるがそれでも読者にどれだけ想像力を膨らませられるかという点において、
当作品は十分にそこらの量産品よりよくできていると思える。
”エルフ美女から崇敬の目で見られてるオーク長が感情移入対象なのかもしれんが” →??? もうこの時点でお察しかも
”ファンタジー的に面白い設定なのか、独自の工夫があるのか、ってなにもないし” →あくまでチートや能力が”面白い設定・独自の工夫”ってことかな?(笑)
何十年経とうが、日本は敗戦国で、敗戦時につけられた鎖の範疇でしか動けんようにされとるわけやから、せめてその鎖をつけた本人から、鎖をゆるめるか外すか、行動示すのが筋やろなーってとこかな
実際に憲法に携わったアメリカ人のドキュメントみたけど、憲法はすぐ改正されると思ってたと言ってる
アメリカの付けた枷を好んで付けてるだけの話なんだよ
実際戦後レジームの脱却に動いた時期もあるけど結局それを止めたのはアメリカでももちろんトランプでもなく、日本の国内世論だったろ
その通りやで
「でも戦後の経緯」は、日本がそれをかたくなに守ってるだけやなくて「そういう日本でいること」を、諸外国から強制されたようなもんなんやで
その中で一番強く強制した 言い換えると、日本の牙を抜いたのがアメリカなんや
そのアメリカが「お前ら、おれらのこと守らへんやんけ!」って言うても「いやお前らがそれ言うか!?」ってなるわけや
日本にもう一度牙をしっかり持ってほしいなら、口だけやなく、一度牙を抜いた側の立場として、牙を持つことを解禁するって、世界にしっかり示してくれんことにはなぁってとこなんよな
はっきり言うと 自衛隊を軍とすること(対外的には、セルフディフェンスフォースで、自衛軍なんやけどな)を、アメリカからの注文として言うてくるくらいはしてほしいな
核の議論うんぬんの前段階だけでもこれくらいは必要なんよ。日本がアメリカを守るためには
集団的自衛権ひとつであんだけ揉めるし、隣の大陸や半島がケチつけてくるんやで?そういう近隣国(てか主にその2国やけど)に、何も言わせんように、アメリカからはっきり言う。それくらいのことしてからいちゃもんつけてほしいもんやなぁって風には感じるかな
何十年経とうが、日本は敗戦国で、敗戦時につけられた鎖の範疇でしか動けんようにされとるわけやから、せめてその鎖をつけた本人から、鎖をゆるめるか外すか、行動示すのが筋やろなーってとこかな
敗戦国日本の三権は、富裕層の著名人や芸術家に圧力かけて米仏に移住させ、現地の保険不動産や米国税に朝貢してないか(USAID代理人も募集してたのだろう)
朝貢されたうえ火事に遭うとか不幸だが、坂本龍馬もたぶん米国戦艦を購入して保険料不払い(高くて払えない)で粛清されたんだ
DSは銀行証券保険産業不動産で、その代理人が、新興国の司法や軍や新興宗教
陸の軍と海の軍の対立がある
…という単純化はもちろん危ないんだけど
旧宗主国の英仏本国はそういう国内事情をどうしたか→コレはあとで調べます
日本は海軍権が強く(515事件と226事件の明らかな差別、裁判族親族の職業からして、裁判所はほぼ海軍)、
陸軍(国交省)もまた水面下で迫害をしてる(インフラ関係の陰謀事件は検察が不起訴)
仮説→
日本国組織は、富裕層を英仏米に朝貢するため、新興国レベル以上の治安活動をしない
憲法は移転の自由を保護するが、同時に裁判官の地位を絶対的に保護しているため、水面下の迫害によっ自主的に移転させることができる
全米鉄鋼労働組合(USW)のデビッド・マッコール会長は3日、「バイデン大統領の決定を歓迎する。組合員や国家安全保障にとって正しい行動であることに疑いの余地はない」との声明を出し、バイデン氏のUSスチール買収中止命令を称賛した。
マッコール氏は「何十年もの間、不当廉売(ダンピング)で米国産業を弱体化させてきた」と日本製鉄を一方的に批判。「USスチールは強い企業であり続けられる。我々は取締役会に対し、利益を上げ続けるのに必要な措置を講じるよう求める」とUSスチール単独での生き残りを模索するよう求めた。
今まさに支那の鉄鋼企業各社がとんでもない規模で繰り返してることなんだけど...
過去の商売敵(オワコン敗戦国)と手を組むぐらいなら現在の商売敵(経済大国で戦勝国)に好き勝手やらせるほうがマシということか
人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。
続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。
この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから「天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃんと表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石が英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石の長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。
このエントリにしたって、自分の過去の好みや性癖について書いてはいるものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去の日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記に感想文を記しておけばよかったか。しかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。
イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカは収奪と貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手の文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。
だからと言って歴史を正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史の議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在を無視するわけだからね。黒人対白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物の単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国の人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。
エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。
世界の神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様と人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ、神話にゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界と社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的にアチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父の本棚から貰って来たアレックス・ヘイリー「ルーツ」はまだ積んである。
これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学や歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量がヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。
語り手が複数おり、時系列もバラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれてしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペンが貧困ゆえに受けた一つの屈辱から生まれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。
ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹「海辺のカフカ」を読むとわかる。
ところで、フォークナーは日本を訪れて「私も敗戦国の人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動が燃え盛っている時に、思い出していた。
数世代にわたる大河小説と言えば、最近は学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫が尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後の世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである。
全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和を舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。
実はどちらも内容をほとんど覚えていない。
とはいえ、ポール・ニザン「アデン、アラビア」のように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。
ジャン・ルオー「名誉の戦場」は過去の大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんがヌーディストビーチをのぞきに散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。
手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか。文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車に突撃していった僕なんかは、そう思うのである。
アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人のスラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないか、イエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。
二分法はそもそも好きじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。
正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国のSF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義の理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。
うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなたの人生はあなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?
やっと納得できたのは、アイヌ民族の議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨の言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的な言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。。
とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分の立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランスで民主主義が機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民が女性を、女性が障害者を、障害者が外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャー「ライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家や安易にSNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的に糾弾してやりたい思いは消えない。他人の言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手を批判しても全然解決しないんだろうな。
この作品も一度褒めた。
エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公の愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情を表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親は義務で動いているわけじゃなくて、一般的に義務で動くキャラって意味。感情を表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃんと父親の内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。
閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ「日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。
ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」は書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。
あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。
続く。