はてなキーワード: 裏切られるとは
良くも悪くもだな。
パトレイバー自体が滅茶苦茶面白い漫画だったので、それと同じようなものがもう一度読めること自体は嬉しい。
でも作品に対して道の奥行きみたいなものを感じられないのは悲しい。
鉄腕バーディーは等身大ウルトラマンとして物語がスタートするが、初期の下拵えが終わるとストーリーは廃棄物13号編×グリフィン編のかけ合わせによるセルフコピーへと移りそれが延々と続く。
強力な生物兵器開発を取り巻いてテロリスト・政治屋・技術屋・政治団体・チンピラ達がそれぞれの思惑と妄執に振り回されながら逃走劇と探り合いと肉弾戦を繰り返す物語となっている。
間違いなく面白い。
面白いのだが、見覚えがある。
パトレイバーで一度見たことがあるゆうきまさみイズムを別の形でやり直しているだけでしかなさすぎる。
過去に使った部品の配置を組み替えているだけであり、小規模に見れば表層の色合いを塗り替えただけのコンパチ素材で構築されている。
悪いことではない。
作者がゆうきまさみであるから読み始めた人間にとっては期待を裏切られる形にはなってない。ただし、予想を裏切って欲しいと期待していたならそれは大いに裏切られているとも言える。
ゆうきまさみの過去作を知らない人からすれば、最初の30話ぐらいまで加速を要すること意外なんの文句も出ないような作品ではあるだろう。
ただし、大人の世界の綱引きを描く作風の関係上かなりの堂々巡りを感じてしまうかも知れない。
まあ、悪い作品ではなかった。
東京は魅力を出す気がないのだから駄目だよ。普通の人はっていうか、普通の子供は、銭湯があったら、うわー銭湯だ、りんご湯だ、って思わないといけない
わけだけど、そういう風に思ったらそこの利用者から裏切られるようになっているので、子供が立ち入ったらいけないようにしているのが現実であってそれ以外の事実が
存在しないのであるから、東京の場合、魅力を出さないし、魅力に関しては、東京拘置所の刑務官の男が、生成AIで、ほらー出たぞ、くそだろ、っていうのが本音だから
ここで営業をしている者は魅力を出す気がないのが正体。実際に、釈放後に、清水湯を、11月17日、24日、28日、本日、利用したけど、単に、絶望感が漂っている
100日後に死ぬワニ/きくちゆうき
むちゃくちゃ炎上した本作であるが、「N日後に〇〇する」というフォーマットを作り出したという点ではエポックメイキングだとは思う。でも俺は好きじゃないので……。ちなみに今続編をやってるらしい。
いうほどエポックメイキングか?
4コマのタイトルで100日後、って具体的に日時を切ったと色々な要素を複合的に見ると一応新しいとは思うけど
「この後めちゃくちゃセックスした」とか「(作中ではこんなこと言ってるけど)この後○○になります」みたいな、「絵に描かれてる断片的なストーリーがこれから裏切られることを作者が何らかの形で明示する」はかなり古典的なフォーマットだろ
男から見たら似ているもの、それは女と公営ギャンブルである。見方によってはこれに酒も入る。
成功すれば得られるものも多いからこそ酒場や職場でおじさんがよく話題にするが、これがひとたび失敗すれば依存症でもない限りまた挑もうとはならないものだ。
たとえば、
成功するとまた繰り返したくなる、失敗するとしばらく関わりを避けたくなる、しばらくしてそれを忘れてまたやってまた痛い目に遭う、楽しむのに多額の金がかかる、失敗してもいわゆるフィードバックがない、精神をすり減らして予想、予想しても裏切られる…などなど。
一方で悪い面が目立つからと公営ギャンブルや女を絶滅させるわけにもいかないので、男から見たら女も公営ギャンブルも社会の必要悪なのだろう。
見たいとなんとなく思っていた。
ただ仕事に追われ、映画を見に行くほどの時間と気持ちの余裕がなかった。
見ようと思っていたこと自体忘れていたのを、さっき映画の予約サイトを見て思い出した。
MIU404を見ただけ、アンナチュラルは見ていない。CMで満島ひかりが「止めませんよーー絶対に。」と言っていたのを見た。
満島ひかりが犯人で宅配の流通に爆弾を混入させたんだろうなと安直に考えた。
その予想は当たらずとも遠からずだった。
最初、梨本コウにエレナと呼んでと言うので何を言っとるんだこの電波系はと思った。私もまだまだ英語名じゃないはずと思うあたり、偏見にまみれている。
デリファスフォンの出荷を止めるように進言したかと思えば、山崎タスクの従業員履歴を消す。NY市場株価を気にしたかと思えば荷物のチェックをするように羊運輸と警察に圧力をかける。
ずっとコウに対して謎かけのようなことを言い、見ている者を苛立たせる。
だがエレナには焦る理由があり、自分の立場を守る描写が増えてくる。「止めませんよ」と言った時点ではもう疑いようのなくシロだと思った。CMの印象と真逆である。働く人間のかっこよさを凝縮したシーンだった。
とは言いつつそう思いつつ、そしてまた裏切られるのは見事だった。
経歴は謎、嘘をついている、山崎タスクの情報を消した。そんな怪しさ満点の本音を語らない人間でも死ぬ間際になると語り出すものなんだろう。
陳腐なドラマだとコウとエレナはキスをするものだろうが、そんな雰囲気なく、なんなら終盤に爆弾を託すほどあっさりした関係だったのには痺れた。
恋愛感情なく、一瞬死をも恐れない情を繋ぐことがあってもいいじゃないか。
でもその人を大切に思うのではなく消耗品のように省みなくなってもいいじゃないか。
所詮レールの上に乗っている。そんな後味だった。
満島ひかりは主演ではあるが主役ではない。
白い手帳を自分に買うことにしたエレナは労働者を救い、誕生日プレゼントが爆発するのを防ごうとしたれっきとした善人である。
同時に、山崎タスクのロッカーの鍵をコウに渡し、デリファスジャパン代表こと五十嵐に追い討ちをかけるなど別の爆弾の仕掛けにも余念がない悪人である。
エレナが残した爆弾とはなにか、エレナは解雇に際し何を思ったのか、なぜコウに渡したのか、考えたいことはいっぱいある。
名もなき配達員(息子)だ。
役名が分からなかったのでエンドロールを見ても分からなかったし、俳優さんの名前も分からなかったので役名も分からなかった。
いま思えば伏線を敷いてたのだろうが、明らかに主役ではない人選とビジュアルで途中まで見ても資本主義の犠牲者としての役としか見ていなかった。
MIU404もアンナチュラルも(片方しか見ていないが)、有名な俳優さんが脇役に見せかけて主役級の役職で主役の活躍をするドラマのため、満島ひかりと岡田将生が華麗に問題を解決するのかと思った。
単価の安い労働者。160億円の損害という勝利を以てしても箱20円が追加に貰えるだけのような。
だけと言っても無いよりはマシの人もいるんだろう。
私は個人配送業をしたことがないから憶測でしかないが、お昼ごはんの時間が10分しかないのはいい労働環境とは言えないし、その時間を売りたいほどの状況なんだろう。
報われるといいなあ、でもこんな世界観の実写映画じゃあハッピーエンドは厳しいなあ。
でもその先は?
どれだけ便利になってもまだ玄関まで荷物を届ける仕事をロボットはやってくれない。
阿部サダヲこと八木さんが言っていた。最後の受け渡し、ラストマイルと。少々強引な説明だったが、そこまで言われないとピンとこない私にはそのくらい分かりやすいほうがありがたい。
なにせラストマイルというタイトルの映画の主人公が最後まで分からなかったぐらいだ。
名もなき人間がどこかで輝く瞬間があったっていい。富も名声もないけど、ヒーローが一瞬奇跡を起こして、それがかつての誇りによってもたらされるものだったら。
最後に、こんな作品を作れる人が人間として、同位体として存在していることにおののいている。
本当にありがとう。
仕事が山あり谷ありで気が滅入っていたけど、もう少しがんばってみようかな。
MPが枯渇して0になったから、いてもたってもいられなくて突き動かされるように映画上映タイトルを漁った。なんとなく直感でこれだと思ったけどその判断に間違いはなかった。
映画を見てから空になったと思ったMPの底に10くらいだけふつふつ湧き上がってきている。
15巻前後で脱落。ヒロインの描き方が気に入らなかったのと、ルカクの活躍からサッカーを見始めたら日本のサッカー選手がダサく見えてきたため。
遊郭編終了時点で脱落。鬼がしつこすぎ、読むことにストレスを感じはじめたから。完結したら読もうと思ったが今も読んでない。アニメもここでやめた。ちなみに蝿庭から吾峠のことは応援してきた。
18巻で脱落。絶対に物語への期待を裏切られると確信したから。芥見の「呪い」理解が(冨樫の「念」概念と比べ)明らかに軽薄で蔑ろにしていることへの違和感が強まったから。
自販機編完結時点で脱落。「万人の形式」なるテーマに対して豚汁ラーメンが肉薄していると思えず、期待に翳りが生じたため。二郎や家系はそれに当たらないのかという疑問も解消されなかったため。
2巻で脱落。うまく言えないが美麗な絵を見飽きたため。パターンが確立してしまい、今後新しい栄養をこの作品から得ることはないと感じたため。
6巻で脱落。欲しい栄養は6冊もあれば摂取できると感じたため。パターンが確立されたと感じたため。
8巻で脱落。デズモンドの陰謀や擬似家族から真の家族への進展について興味があったが大人気作品になったためか物語の主軸が変わってきたため。
18巻〜25巻頃から溝が開き始め、30巻頃完全に脱落。OFAが超パワーから複数個性になるなど、期待していたストーリーではなくなっていったように感じたため。
犯罪スレスレの生活を強いられている彼らにとって、「マッチングによる結婚」は最後の頼みの綱となっていた。
これに参加しなければさらに社会の底辺に押し込まれるという暗黙の圧力が存在していた。
タケルはそのプレッシャーを感じながらも、特別な期待を抱くことなくこのマッチングに参加することを決めた。
参加しなければ仕事も人間関係もますます行き詰まり、どこにも居場所がないまま犯罪と失敗を繰り返すしかないという現実が目の前にあったからだ。
彼女もまた、家庭崩壊と経済的困窮の中で育ち、社会の隅に追いやられた一人であった。
ミサキは最初結婚には興味がなかったが、周囲の空気や、もはや他に選択肢がないという感覚に押され、タケルとの結婚を受け入れることにした。
二人は特別な感情もなく、ただ「お互いにこれしかない」と思い込んだまま、形式的な結婚を進めた。
この新たなマッチング制度のもとタケルとミサキのような家庭は次々と作られていった。
しかし実質的な支援や愛情が欠如しているままのこの結婚制度はかつてのカズキたちの時代と同様に、愛情や共感のある家族関係を築くことがほとんどなかった。
結婚することで「何かが変わる」という期待は、早々に裏切られる。
社会には形式的に結婚した夫婦が増え続け表面的には家族という形が保たれているが、その裏には感情的な空白が広がっていた。
貧困や孤立の中で結婚を強いられた若者たちは経済的にも感情的にも余裕がなく、ただ日々の生活をやり過ごすだけだった。
愛情や信頼を築く時間はなく育った環境そのままに、次世代にも同じ無感情と絶望が受け継がれていく。
タケルとミサキの間にもやがて子どもが生まれた。しかし、この子どもたちが育つ環境はさらに悪化していた。
タケルもミサキも仕事を見つけることはできず収入が少なくなる一方で、家族を支えることができない状況が続いていた。
子どもたちは物心がつく前から経済的困難にさらされ、親からの愛情や支援をほとんど受けることなく育っていった。
彼らが成長すると、学校にも通わなくなり、友達も作れず、社会との接点を失ったまま犯罪スレスレの生活に突入していった。
盗みや詐欺、闇市場での売買などに手を染めるが、時代はさらに厳しくすべてがうまくいくわけではなかった。
成功を期待して計画した犯罪がことごとく失敗し、追いつめられる彼ら。社会の底辺にいる多くの若者が同じ状況にあり、競争は激化し、成功はますます遠のいていった。
タケルとミサキの子どもたちのような人々が社会に溢れ、街には犯罪と失敗が日常の一部となっていた。
犯罪すらうまくいかず無力感と絶望感が蔓延している。この社会では、形式的な結婚によって新たな世代が生まれるたびに、さらに深刻な問題が積み重なり、底辺の層は広がる一方だった。
人々は次第に「結婚さえすれば未来が変わる」という幻想を捨て、ただ生き延びるために無感情な日常を繰り返すだけの存在となりつつあった。
家族という形があるにもかかわらず、誰もが孤独で、社会全体が崩壊の一歩手前にあるような不安定な状況が続いていた。
この未来の社会は、犯罪と失敗で溢れるだけでなく、希望のない結婚生活と無感情な人間関係が続き、次世代にわたって繰り返される運命にあった。
スラムは、かつて活気に満ちた都市の一角が朽ち果て、放置された区域だった。
ボロボロのアパートが密集し街のあちこちでゴミが風に舞い、人々は疲れ果てた顔をして道端に座り込んでいた。
タケルとミサキの子どもたちのような若者や、その親たちが溢れかえるこの街には、希望などかけらもない。
犯罪に手を染めるも失敗し日々の生活に追われる人々の間では、もう将来への期待を語る者はほとんどいなかった。
仕事もなく、金もなく、社会の中での居場所もない。彼らはただ、目の前の苦しみを紛らわせるために酒を飲み時には薬物に頼り、現実から逃避しようとするがその努力すら無駄に終わることが多かった。
政府の広告が流れ、きれいなスーツを着たアナウンサーが笑顔で語りかける。
「未来をつかみましょう。マッチングによる結婚が、あなたに新たな道を開くかもしれません。お互いを支え合い、明日をともに作るパートナーを見つけましょう。」
明るい音楽が背景に流れ、完璧な家族の笑顔がスクリーンに映し出されている。
この喧伝は、スラム街の人々にとって既に耳慣れたものだった。何度も聞かされ、何度も信じては裏切られた言葉。
「マッチングによる結婚」という響きは、もはや希望ではなく、虚無感を伴ったものでしかない。
彼らの多くがその制度に従い、形式的な結婚をしてきたが、待っていたのはさらなる絶望と貧困だった。
若者たちの視線がスクリーンに向けられるが、そこにはかつてのような期待はない。
結婚によって何も変わらなかった過去が、彼らの心に刻まれている。
タケルの子どもたちのように、犯罪すら成功しない無力感に押しつぶされている人々にとって、この広告はただの幻想でしかなかった。
それでも、別の選択肢が存在しないという現実が、彼らを再びその「希望」に誘い込む。
「結婚すれば、少しは楽になるんだろうか…」誰かがぼそっとつぶやいた。
しかし、その声には信じる気持ちは感じられない。ただ、何も変わらない日常をどうにかするために、また同じ道を歩むしかないという諦めだけがそこにあった。
スラム街は暗く沈み、スクリーンの光だけがその一角を照らしている。
夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。
しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。
夫はソファに横たわり、スマホを操作している。妻もまた、ダイニングテーブルの椅子に座り、同じようにスマホを凝視していた。
彼女の視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿やコメント、次々と流れる他人の生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。
母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女は虚構の世界に浸る。
カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室から小さな足音を立ててやってきたときも、彼女はスマホの画面から目を離さない。
父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。
家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話や交流がほとんど存在しない。
ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情な牢獄のようだった。
数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。
政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。
そこには理想の未来が描かれ、少子化対策・経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。
彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。
孤独な生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。
彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。
彼らが最初に出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。
しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的な時間が流れた。
彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。
彼も同様に自分の未来に対する不安や孤立感から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。
彼らの結婚は、愛情や感情的なつながりを伴わないまま始まった。
結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。
笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情も曖昧なままだった。
彼らは新婚生活を始めたものの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。
子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係をさらに複雑にするだけだった。
子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識は希薄だった。
互いに育児の負担を押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホの世界に没頭するようになっていった。
こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。
子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。
育児という責任はあくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。
カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。
無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。
カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。
彼が通う学校は、政府の弱者マッチング政策によって生まれた子どもたちが集まる場所でもあった。
同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢集まり、学校の教室には独特の空気が漂っていた。
教室は一見すると普通の小学校と変わらない。先生が黒板に向かい、子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。
しかし、そこにあるのは静かな孤独の空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情やケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人と積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。
カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。
先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることなく視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。
クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。
友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。
授業中、カズキは先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。
家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流や信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独な存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室を支配していた。
昼休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーンで一口ずつ弁当を口に運んでいく。
家でも学校でも、カズキは孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。
彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情を表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。
学校で友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。
クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。
それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現や信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。
放課後になると、カズキはランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。
家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。
彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。
カズキの学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的な集団のように見える。
彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的に自分の意思を表現しようとはしない。
孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情が希薄で、日常は淡々と過ぎ去る。
カズキは15歳になり中学を卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。
しかし彼の中には将来に対する明確なビジョンや目標はほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。
家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。
父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパートの仕事を掛け持ちしている。
彼らの生活は経済的に安定しておらず毎月ギリギリの生活費でやりくりしている。
家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。
カズキは学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。
周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からのサポートをほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。
クラスのほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規の仕事に流れていくのが現実だった。
カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。
彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的な理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。
両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。
カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来をぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。
成長したカズキが社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的な不安定さだった。
彼は学校を卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイトを転々とする生活が始まった。
日本全体では弱者男性や女性が社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。
カズキの収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。
家賃、光熱費、食費、そして時には両親からの経済的な支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。
彼の労働は、社会に必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。
また、カズキは家族からも社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安や経済的な問題に対処する力を持っていなかった。
彼は、経済的な問題だけでなく、感情的な孤独や自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。
カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。
彼は家庭でも学校でも十分な愛情や支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。
仕事でも職場の人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。
こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションやパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。
彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的な姿勢に陥っていた。
彼のような若者たちは社会全体に増え続けており、同じように家庭環境や経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。
多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。
カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性のマッチング政策によって20代前半でユウコという女性と結婚した。
両者とも愛情や幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。
彼らの結婚生活は形式的で感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実だけが彼らを繋ぎ止めていた。
ユウコはカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。
彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的な不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。
カズキは低賃金の非正規雇用に押し込まれ、ユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。
カズキとユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。
しかしカズキ自身が経験した孤立や経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。
タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。
家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。
カズキとユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。
タケルが中学を卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。
彼は学校を卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレの生活に足を踏み入れていた。
タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。
タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。
彼が属する社会の底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。
彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険にさらされることの方が多かった。
ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗を計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。
彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。
彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。
タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。
経済的な困難や家庭崩壊、教育の欠如がもたらす無気力な若者たちが犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。
街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。
仕事の機会は減り、低賃金の非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち。
犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独と無力感に苛まれながら、社会の底辺で苦しみ続けていた。
タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来に希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。
カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さらに悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。
タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。
この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的な不安や社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。
政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たちに積極的に参加を促した。
制度そのものは強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金の非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21
part1 https://anond.hatelabo.jp/20240914181511
part2 https://anond.hatelabo.jp/20240914181619
2007年に三井倉庫でGWのバイトの労災事故が発生。だがこのバイトは三井倉庫に派遣されたのではなくて、東和リースに派遣されたものだった。しかも三井倉庫は東和リースとは契約していなかった。横浜の港湾会社、笹田組に依頼していたのだ。つまり、三井→笹田組→東和リース→GW社と三重派遣状態だった。笹田組は名前から察しが付くように沖仲仕の組だったところが法人成りして事業を変化させてきた会社だ。つまりは港湾業務へ派遣したことになる。しかも禁止されている二重、三重派遣。その上での労災事故。
そもそも東和リースは港湾かどうかなど考えなしに派遣を行っており、こういう事になるのは時間の問題だった。
港湾の近くの倉庫が港湾業務にあたるか?という時点でも行政の胸先三寸であるのに、港湾業経由で派遣してたら言い逃れ出来まい。
そんな訳で、2008年には営業免許を取り消されて倒産した。直接の処分理由は同労災事故で港湾どころか船に入って仕事しているのがバレ、それに割増し手当を払っていたので故意が明白となって社員が逮捕された為だが、きっかけは上記労災である。
2007年にはGW子会社のコムスンの行政処分もあって、折口氏は米国に逃げてしまった。潮の流れが己の逮捕に向かっていると察しての事だろう。
創業当初のGW社は違法状態であった。だが時代が味方をして規制緩和で合法状態となった。それで莫大な融資を受けて業績を急拡大した。
一方、00年代中ほどからワーキングプア生産装置としての派遣業の拡大が社会的に問題になってきた。戦後労働行政の労働者保護と規制のコア業態に関しては派遣自由化をさせなかったのにそれを甘く見ていた。このコア二業種については社会保険や労災保険について勉強すると必ず出てくる。
この二業種の一つ土建への派遣で労災事故があり、コンプラを意識せざるを得なくなり失業する常駐労働者の就職斡旋まで行った。コンプラが利益になる局面が来たのだ。
だがそれに至らず、もう一つの規制業種の港湾での派遣で事故が起こり、社員の逮捕にも至り倒産した。コンプラが利益になる局面なのに東和リースがヤバい事をしていると炙りだし切れなかった訳だ。
でも東和リースがやってる事自体は買収以前からの社員も派遣されたバイトも知っていた。それが違法性が高いという事が判らなかったのだ。
一方、本社ではコンプラが大事だという意識にはなったが、契約先のどこに問題があるかを掴めなかった。
それは何故か?
まず、買収した会社の客だったからだ。己で開拓した客じゃないので客先が実際にどういう事をしているかという事をチェック出来ていない。
次に元から違法操業で、違法操業の会社を買収した。コンプラ意識がある社員が適切に配置されていない。
更にバイトを支店長に昇格させた。「やる気」と「のし上がり」だけを鼓舞して社員教育が出来ていないからいきなりコンプラ大事になっても、事業内容から「東和はヤバい」と報告したり契約解除を進言したりする者が居ない。
土建でNGが出たから港湾もアウト、という事を社員に説明して理解させていない。それには戦後労働行政の基礎を教えなきゃならないし、それ以前に行政の裁量の広さなどを教養として教えておくべきであった。
行政の裁量で黙視はOKじゃなくて胸先三寸という事の理解が足りなかった。政府が規制緩和を進めている最中なら認められているように見えるが、一旦逆ハン切り始めたら甘い見立ては全て裏切られる。
全員の顔を見る支店長会議をして意思疎通が出来ていると思っていた。そんなやり方じゃなくて脳から神経を伝って指先が動くような社内ネットワークを築く必要があった。何しろ東和リースの事を知っている者は沢山居たのにそれがヤバいと認識する者が誰もいないというのは異常な組織だ。こんな誤解をしてしまうくらいなら全員会議なんてすべきではない。トップが満足して社員も一体感を感じるだけの堕落を生ぜしめたと言っても過言ではない。
いずれにしても、東和リースの問題を炙り出せれば倒産は回避できたのに、買収した会社の開拓した客で、実際はどの会社のどの場所に派遣されてるかが派遣された人間に全部聞かないと判らない、途中に港湾業が入っていても契約書にも作業伝票にもどこにも出て来ないという難問であった。
それなのに会社組織の作り方に失敗し、違法操業から出発しているのでコンプラとか言っても念仏としてしか機能せず難問は解けなかったのだ。
カカチャンネルなどの人気シリーズ【しくじり企業】では、GWの倒産を法令遵守に興味がない経営のせい、と結論付けている。
https://youtu.be/QviiLg8rQ48?si=DxamXjc0OxUuDPwg
勧善懲悪的だが、上記を読んだらこれが間違いだと判るかと思う。何故って、他の会社も全て違法操業だったのだ。その中でGWだけが急成長して倒産に至ったのだ。会社が大きくなったらやるべき事をやっていなかったのだな。
更に途中でコンプラを意識しないと潰れるという意識が上層部には生まれたのに、それを下まで周知出来なかった為に倒産したのである。そんな教育をしておらず、そんな事を知る人間を適切に配置していなかった。
また、コンプラと言っても闇雲な全域での遵法が必要という訳じゃなくて、戦後労働行政のコア業務二種を知り、そこを重点的に守れば他は行政指導などで済んだのに、ポイントを外していた。
この土建、港湾の特別扱いの事は、労災や社会保険の事を勉強すると出てくる常識的な事で、労働者の権利や労働法に強い弁護士とかよりも、会社の総務部などに近い知識だ。だから「会社」に成り切れてなかったんじゃないか、ということも出来る。
で、最後に兵庫県知事に戻ると「知事の炎上もGWの倒産も港湾利権の闇」なんかじゃない。その構造は過去帳入りしている。しかし労働行政は前例主義で沖仲仕の保護と派遣禁止の立場をとり続けていて、時代と時の政府にちやほやされた考えの甘い問題企業がそのシマでシノギやってるのを目で追い、風向きが変わった辺りでぶっぱなしたのだ。
そろそろ夏アニメも折り返し地点なので自分が今見てるアニメ覚え書き。順不同。今シーズンより前からやってたのも含まれる。
配信オンリーは見てない。あとテレビ埼玉、CBCテレビなど一部地域でしか放送していないアニメも見てないです。
アニメはこうやってボーッとたくさん見てるけど詳しくはないです。アニメ制作会社とか声優とかはよく分からんので間違ってること書いてたらごめんなさい
今期も面白いのが多い。オリンピックも見てたら忙しすぎる。書ききれないので続きは次( anond:20240808000958 )に書いてます。
世界各地のヒーローが活躍する。主人公は日本の女の子ヒーロー、タイトル通りシャイな性格。なぜか1期を見てないのだけれど2期からでも楽しくみてる。後で1期も見ようと思う。小手先で生きてはなりません。心で生きるのです。→最後まで見た。全12回(第13話〜第24話)。
家事をやってくれるロボット(家電扱い)と疑似恋愛・・擬似夫婦生活を送る話。相手がロボットというのが特殊だけれど、いい温度の日常アニメだと思う。→最後まで見た。全12話。すげー面白かった。マモルのテンションの高さ好き。ATRIもそうだが、今期は家族としてのロボットとの向き合い方について考えさせられる時間が多かった。いやそんなの去年「AIの遺電子」でやったでしょ?と言われればそうなんだけど、あっちは割とシリアス濃くて考える準備をして見てたのよね。こちらはコメディで楽しく見てたら急に真剣にならなくちゃいけなくて、そういうのが逆に(?)リアルな空気だったかもしれない。
特にないです
アーリャさん、主人公がロシア語分からないと思ってボソッとロシア語でデレるけど、実は主人公ロシア語分かるんです。内緒だけどね。と、視聴者がニヤニヤしながら見るやつ。まさかライバルっぽく登場した幼馴染同級生の女の子が主人公の実妹だとは。ロシア語監修はウジーニン・エフゲーニー氏。前から思ってたけど、アニメって "生徒会" の発音を統一しないよね。EDが毎回カバーソング。こういうの好きです。6話のEDはカバーというよりコラボかも。生徒会での活動がマシマシになってきてからはあまり好きではない。→最後まで見た。全12話。終業式での生徒会役員あいさつで終わったので「え、中途半端じゃね」と思ったらSeason2決定。よかった。最後のEDはカバーではなくオリジナルだった。
両親の再婚で同級生が兄妹になったとここまではよくあるやつなのだが。ずっとシリアス。親のことがあり異性に期待ができなくなった二人だが・・・・。日常で感じたこと、起こったことにに対し多様な考え方、可能性で語り深堀をすることから「暗い」「面倒臭い」「説教くさい」「哲学的」といった思いをネガティブに抱く視聴者がいるかもね。原作者がXで長文解説してるけど読んでない。人選びそうな感じだけれど私は好きよ。お父さんのセリフがいちいち古くて笑える「感動した!(小泉純一郎)」「幸せだなぁ(加山雄三)」妹、綾瀬沙季は箸は右利きだけどペンは左というのは珍しい(3話や6話など) 第5話の劇中劇「蒼い夜の隙間」普通に見たいんですけど。10話で少しOPが変わる→最後まで見た。全12話。クセのある純愛劇だった。BGMは今期アニメの中で一番好きかも。すごく丁寧に感情を言語化するし、割とキーパーソンな藤波夏帆が終盤に出るので時間足りないんじゃないかと思った。"すりあわせ" とか言葉の勉強にはなった(言葉自体ではないよ)。面白かったですよ。
猫が経営するラーメン店が舞台のお話。それを支える常連さんや周囲の人が迷惑客からお店を助けるスカッとジャパン的な話もたまにある。接客一番 味二番。かわいいだけじゃなくてラーメンも凄く美味しそうなのよね。私にしては珍しく原作を読んでる作品。これ見ると心温まる。あと放送時間帯が卑怯だよ、ラーメン食べたくなるよ。→最後まで見た。全12話。泣くアニメじゃないのに最後泣きながら見てた。おじちゃん年だから涙もろいのよ。もうずっと見てたい、思ったより好きだったんだなぁ。2期期待しとります。
めちゃくちゃ強いのに「自分の能力は皆さんと比べてまだまだ・・」と自己評価低めの主人公とその強さに圧倒される周囲のキャラクターと、どこかズレてるアンジャッシュ・ディスコミュニケーション。戦闘だけじゃなくて会話、コミュニケーションまでパリイするの好き。物理攻撃だろうと魔法だろうと猛毒だろうと種族の壁だろうがパリイする、パリイオリンピック開催中。→最後まで見た。全12話。面白かったが、、戦闘以外にもパリイする意外性に慣れてきてからは展開に予想ができるようになったのがね。回を追うごとのワクワク感は私の中では新米オッサンと反比例してた。
男子校の映画部を舞台とした恋愛物語、BLです。回によって焦点(フォーカス)をあてるキャラクタが変わっていくのか。1〜4話は映画部カメラ担当と、そのルームメイト高身長イケメンの話。5話から7話は部長とナマイキ後輩の話。8話からはまた別の組み合わせ。割といけそうな気がする 私は男だけどBLでもギヴンとか作品として好きなのはある。OPとED好き。→最後まで見た。全12話。どいつもこいつも二人きりになったらすぐイチャイチャするなw そんなグッとくる内容ではなかった。12話でよく3組カップルやったなと思ったくらいかな。
1期で終わったものかと思ってた。最終話に子供出てたし。あれはIFなのか。と思いながら1期の最終話を見返したら最後に「2期決定」って出てたわ。女の子5人とハーレム状態だったのが10人とハーレム状態になる話。倍だぞ倍。祖母たちの店を継ぐというストーリーなので祖母の話が出てくる。特に秋水(あみ)の祖母の話に関しては私にも私のことが分からなくなった100歳を超えた祖母がいるので、ぁぁ、最近もお盆で田舎に帰って会ったなぁ、やはり私のことは分からないまま・・・と自分と重ねて見ていた。・・・が、すぐにそれをぶち壊すほどの下ネタがやってくるのがすごい。→最後まで見た。全12話。これで終われないでしょ、3期を待つ
学校では女装、かわいいものが大好き。母には内緒。家では母の望むよう男らしくする。誰にでも誰かに言えない悩みがある。息苦しさの中でも理解のある友人と楽しく遊ぶ様子が癒しだわ。「魔法少女マジカルデストロイヤーズ」の言葉を借りると『好きなものを好きなだけ好きと言おう』隠しきれない表に出る悩みを持つ人、話せない隠れた悩みをもつ人。何が本当の気持ちで誰が救ってくれる?→最後まで見た。全12話。あー好きですね。すごく好きですね。最後は見ていて泣きながら拍手してましたね。この世界が上手くいっているのは全て"まこと"のお父さんのお陰な気もしますね。出来過ぎでしょ、このお父さん。ありがとうだよ。
リアルな女性より2次元の女性を愛す漫研部長が主人公。新入生として現れたコスプレ(しかもエッチな恰好)好きな女の子と幼馴染で現役人気モデルの女の子とのドタバタコメディ。ラッキースケベなこともたまにある。先輩はおとこのこと同じく、好きなものを好きと通すその姿は美しい。7話で実はガチヲタで元コスプレイヤーの先生が顧問になるのだけど、先生と主人公との掛け合いが面白い。話変わるが左利きの箸や物書きは見ることがあるが、左でマウスはアニメで初めて見たかも(現実ではたまに見る)。校長先生いいなぁ→秋も引き続き
OPを聴いて串田アキラも年だなーと思ったが、これは何歳であろうとオッサンであろうと応援するアニメっぽいのでよしとしよう。3話で自分の強さに自覚したがどうなるか・・・と思ったけど4話で実質0話の話。今の時代はリカレントやリスキリングで再出発する人も多いので、いいテーマではないでしょうか。EDの「夢を見るには遅いなんて心無い誰かの声に―」という歌詞も作品にあってていい。「アンジェリカとの試合が来年じゃなくてよかったな」9話の粋な戦い方めっちゃ好き。→最後まで見た。全12話。実は1話見た時には期待してなかったんだけどすごいよかった。続き作ってくれないかなー
海外で人気出そうねって思ったけどあのスーサイド・スクワッドが元なのね。ハーレイ・クインの破天荒さとかわいさで見てたけれど継続は厳しいかも。と見てたけど7話で目が覚めた。OPは布袋寅泰。EDは私も好きです。→最後まで見た。10話で終わりなんだね。続きがありそうに終わったが、さてさて2期はあるのだろうか。
距離縮まるの早くない?っていうかその過程の描写少なくない?原作は4コマ漫画なの?って思うくらいサクサク次の話へ進み続ける。これ付き合ってるでしょ、っていうかこれもう付き合って(略)ニヤニヤが止まらない。→最後まで見た。全12話。すげーよかった。最後拍手したわ。なんだろう、私の場合ちょろいんで、"面白い"基準ではどの作品も面白いになるんだけど、これは満足感が凄く高かった。上手くまとまってるし、映画にもできそう
動きすごいっすね。アクションが凄くてかわいいショタということで第七王子難民もこれにはニッコリなのではないでしょうか。鎌倉STYLE!!ちょいちょいメタフィクション入れてきたり、鎌倉時代にはない現代の何かに置き換えて説明してくれるのが面白い。演出が多彩で見てて飽きない。すごいねこれ。→最後まで見た。全12話。面白かったというか凄かった。
偉人の名言を使ったコントアニメ。前半アニメパートと後半には実写ドキュメンタリーパートがある。シリーズ構成はハライチ岩井。アニメパートの脚本はハライチ岩井、ザ・ギース尾関、相席スタート山添、空気階段かたまり、しずるのKAƵMA、マヂラブ野田など、芸人がやってる。アニメパートはそんなにアニメアニメしてなくてFlashアニメみたいな感じ。まあ、絵より音声の方がメインな気もするので。→最後まで見た。全12回。面白かった。たまにでいいんだけどこういうのいいな。アニメだけじゃなくてドキュメンタリー(超電導会議)も、あれこれ意見の出し合いをしたり、セリフや表現方法を直前で変えたり、ドキュメンタリーなんだけどバラエティっぽく編集されてたので楽しく見れた。
ぽっちゃりエッチな15分アニメ。放送/配信局によっては規制の度合いや、放送の尺が違う「ぽてぽて ver.」や「めちゃぽてぽて ver.」があるらしい。OPの音もお太りになっているのか、音割れがすごい→最後まで見た。全12話。いつもどおりの話でそのまま終了。15分verだとダイエットの参考にはならないですねw
ダンジョンを運営する側になった主人公がダンジョンの仕組みを学びながら共に運営するモンスターたちと共同居住しつつ行方不明の親父を探す。可愛い顔してやることエグイ→最後まで見た。全12話。ベルはかわいいというか怖い。あと衣装デザインが簡素でアニメ化する際には楽だったろうなと思った。
会議ばかりで "会議アニメ" と不満がある人もいると思いますが、私は事件は会議室でも起こる派なので何の苦も無く楽しく見てます。あと今回からのOPがももクロですが、これもアリ派です。っていうかこの作品にはバトルよりも繁栄への国づくりに期待しているので今期がむしろ好き。などと見ていたら恋戦争勃発となった。65.5話「閑話:ルミナスメモリーズ」は地上波では放送ないのでご注意ください。今回は過去に登場した色んなキャラクタが登場してまさに祭りですね。66話では私の好きなヨウムとミュウランのセットが出てきたのでニコニコしながら見てました。さて武闘大会が始まるがラッキーマン的勇者がどうなるか→最後まで見た。相変わらず面白いな。第4期も待ってます。最後(72話)に『この番組は、2024年9月5日(木)に完成したものです。』とテロップが出たのはベルヤード男爵役の山本格が出てたからなのであろう。
12話、13話の答え合わせは痺れましたね。これでこの夏のシーズンも視聴決定となったのは私だけではないんじゃないでしょうか。だけれどオリンピックの影響があり15話の放送がかなり遅れたのが残念だった。今回の黄金の烏編は前回と少し毛色が違う様子。真の金烏とは何か、山内の外側にはなにが→最後まで見た。20話で終わっちまった。色々分かってきたけど話数的に物足りない感じ。続きやってくださいお願いします
原作は読んでない。実写映画は見た。面白かった。原作ファンの一部からは不評との声も聞くが、私は好きですね。クスクス笑いながら見てる。→最後まで見た。宇津帆一派との戦いまでか。結構面白かった。続きもやってほしいな〜
あかねこ、おしのこ、しかのこ。奇抜で面白いという前評判だったけど、まぁ確かにうーん。でも、このノリがダメな人もいるだろうなー。提供で「にしたん」があるのが毎回笑う。ニコニコと相性が良さそうだったけど放送開始時にニコニコが落ちてたね。→最後まで見た。全12話。最後の方は見てても全然笑ってない自分に気がついた。ネタは豊富なんだけど私にはハマらなかった。
0話クソ助かる。私は昭和時代の1期以来見てなかったので話がわかるか?楽しめるか?と心配だったけど予想以上に楽しめてるわ。→最後まで見た。全12回(0話〜11話)。今更面白く感じるのかね、とか思ってたけどテンポもよくてホントに思ったより楽しめた。続きSeason2は来年1月。
魔法至上主義の世界なんだけどまともに魔法が使えない落ちこぼれ主人公が剣で成り上がる話ですかね。すげー動く。映像は見入るけどストーリーは今のところ楽しいとは思ってない。実はEDがちょくちょく変わってる。→最後まで見た。全12話。ハリーポッター+ダンまちといった印象。まぁ「ダンまち」は仕方がないのだが。どちらも面白い作品なので当然面白いし、アニメーションはすごかったね。続き待ってます。
クラス全員が異世界へ召喚され能力鑑定したら自分は最弱だったよくあるやつ。馬鹿にされたスキルで強くなって皆を見返してやるもんね。主人公が使えるスキル、パラライズからのポイズンが100%決まると分かったので、FF6のバニッシュ→デスみたいに楽々攻略できちまう。→最後まで見た。全13話(1話〜12話+総集編)。正直1話を見てこれはないなと思ってたけど面白かった。何がそうさせたんだろう。一気にレベルアップが気持ちよかったのかな、パラライズからの追加属性魔法での敵の仕留め方が斬新だった?気持ちよかった?ポイズンで倒すのは分かるんだけどバーサクやダークで倒せるのは公式サイトを見ても分からなかった。でも続編もやってほしいと思う
過労死して異世界転生。転生先では前世の記憶を活かしてドライヤーと同じ働きをする魔導具を作ったりする。前世の記憶がどれくらい残ってるのかは分からん。朧気な気もする。原作と違って幼少期の話からスタートする。優秀が故に身近な人間に裏切られるのは、今ちょうど再放送をしてる「シュガーアップル・フェアリーテイル」を思い出す。2話で影の付け方が気になった。1度気になるとすごい気になる。なんだあれは。余計なお世話だろうけど「もったいないなあ」と思った。→最後まで見た。全12話。キャラデザ好きだったし面白かっただけに残念だったなー。原作ファンはどんな感じで見てたんだろう。ダンスシーンはコミック(MFブックス)の10巻表紙のやつですね。
書ききれないので続きは次( anond:20240808000958 )に書いてます
人生で感じる大きなストレスの第1位が配偶者との死別、そして第2位が離婚です。
なぜ離婚はつらいのか、離婚経験がない人向けに語っていきます。楽しんでもらえれば幸いです。
「生涯一緒にいようと約束したのに、その約束を守れなかった人」と思われます。
他人から思われるというよりも、むしろ本人がいちばんそう思って苦しみます。
結婚は、振り返ってみると、なんだかんだ命を懸けた判断でした。なんとなくであれ、気がついたらであれ、できちゃったからであれ、自分の長い人生を共にあゆむと決意した相手なので、離婚となるとその決意が底から抜けます。
離婚で味わった感覚としては以下の通りです。長いので読みやすいように分割してます。
このあたりを抱えたまま社会に生息することになります。なので結構キツいです。
離婚経験がない人は、そっと見守りその話題を一切出すことなく楽しい話題を提供しつづけるのがベストです。へたに聞くとそこは地雷原です。もう何が地雷なのかわからないぐらいやばいです。
相手が話し始めたら聞いてあげるのがいいです。「わからなくてもいいからつらさを少しでもわかってほしい」というのがあります。
離婚経験がない人から言われる助言ほどムカつくものはありません。聞かれるまで助言を言うべきではないです。というか聞かれても相手を否定することを言わないほうがいいです。否定はめちゃくちゃ自分でしていて、「肯定される」「肯定する」ということを渇望しています。全肯定botになるのがよいです。
そんなことよりも「コーヒー飲む?」とか「音楽何すきでしたっけ」とか「ピザ頼むんですけど何食べますか?」とか「見て!ネコ!かわいい!」がいちばん心にしみます。
これは離婚経験があっても同じことです。離婚経験があるからといって助言が参考になるわけではないです。一緒にすんな!みたいな感じになることもあります。基本的には相手に寄り添うことが必要です。
離婚者は弱っているので、誰かの一言や行動で簡単に懐くし、簡単に絶望します。とにかく愛らしきものを感じると飛びつくのです。
なので悪意がある人に敏感です。悪意がある人は最初悪意があるわけではないと思います。しかし、その人の無理解や無神経さや誤解によって、離婚者から次第に悪魔扱いされはじめます。言葉にしなくても行動から「どうも自分は悪魔扱いされてる」と感じるはずです。
そして、「そんなに悪魔として振舞ってほしいのなら、本当に悪魔みたいに振舞ってやろうか」と考えて、「ざまぁみろ」と鬱憤を晴らし、復讐する感じだと思います。これがセカンドレイプのようなものです。離婚者は、ありとあらゆる場所でこれをされています。なので、世の中に敵しかいないように感じ、悪魔しかいないように感じます。
条件付きの愛でなければ愛されない、メリットを渡さなければ愛されないと考えてしまい、他人の奴隷のような動きをしたりもします。
このあたりが非常につらいです。
信用できる人を徹底的に探しはじめます。もしくは人間について絶望しやがて1人で立つことを選び1人で生きていくのかもしれません。
それができなければ死を選ぶか、リビングデッドのように目的なく世の中を彷徨うかすると思います。とんでもなく人を疑う割に、やはり信用できる人を探しているのはおもしろいです。
離婚前の彼彼女の状態が良ければ、離婚直後に彼彼女らにポジティブな手を差し伸べることは長期的に見て有益です(利用してはいけません。投資と見るとよいと思います)
人生で最も苦しいときに手を差し伸べてくれた相手には、非常に好感を覚えます。
逆に自分が逆境に陥ったときに助けてくれるかもしれません(必ず助けるとは言ってない)
また、手を差し伸べても、離婚者は手を振り払ったりします。いわゆる試し行動ですが、これに腹を立てて「なんだ!助けてやったのに!」と怒ると、敵対判定されます。離婚者はとてもめんどくさいメンヘラなのです。
N=1なので、べつにこれがすべてだと言うつもりはありません。
頭の片隅にでも置いておいてもらえると嬉しいです。
いま現在離婚した人を助けるためというよりかは、自分がいざ離婚してしまったときに、「そういえば…」と思い出して、現実に帰ってくるときにこの記事が役立つと思います。
離婚前に読んだ方がいいです。離婚防止になるだろうし、離婚後に「このことか」となると思います。
離婚後に読んでも「そんなん知っとるわ」となるはずです。
主語はかなりデカかったと思います。振り返ってみると全体ではなく個人的な感想ですね。不快な思いをさせてしまった方々に深く謝罪します。すみません。
離婚経験者の中でも「自分はせいせいした」という意見もあって参考になりました。
自分はリアルでは離婚の深い話はあまりしないようにしています。
そもそも離婚したこと・結婚経験があることをあまり話しません。何か恋愛などについて聞かれたときは濁しています。もともとの自分が味方を作りにくく敵対されやすいので、潜在的な敵に弱点を晒さないというのもあります。
たとえば離婚話をして離婚つらかったんですよ〜!と明るく言うと、未婚の人から結婚できたことのマウントだと思われて敵対されることもありました。
「信用できない人に自分の魂部分に関わる深い話をしてはいけない・弱さを見せると凛々として叩く人間がいるので自衛しなければならない」ということは大きな学びでした。
当時は「そんなんだから離婚されるんだよ」とか「メンヘラすぎて無理(笑)」とかの、まさに敵対的なブコメのような言葉が刃のように刺さっていました。ひどいものだと「死にたい」と言ったときに「振られたぐらいで死にたいの?じゃあ死ねよ」などと声をかけられたこともあります。自分にとってはそうした発言がセカンドレイプだと感じていました。弱っているときは、弱い者を叩きたい人が本当に多く集まってくるのだなと理解しました。
言われたときは認知的不協和の解消をされているとか、公正世界仮説によって自分が悪いことにされている、とリフレーミングしています。「離婚でつらかった」という話を聞いて気分が良くなる人は少ないと思うので、「不快な思いをさせてきたこの話者が悪い!」と帰結するのは当然のことかもしれません。
現在はそういう人とリアルで遭遇すると、心の中で敵と判定して切断し、以後は社交辞令的・常識的な付き合いのみするようにしています。
もしかすると人間性の底を常に観察しているような目をしているかもしれません。
また、自分は失恋はこの離婚が初失恋です。元配偶者に依存していたのもありますが「他の人に絶対に行かずこの人と人生をともにしようと苦しいときも耐えていたのになんでこんな目に…」という気持ちが大きかったです。
離婚直後はとてつもなくモテず、ほとんど誰からも相手にされませんでした。恋愛が久しぶりすぎて何もわからなかったし激病みという状態です。徐々に月日とともにモテるようになっていきました。
ただし、モテることは元配偶者への復讐がメインなこともあり、モテてもほとんど嬉しくありませんでした。
また回復の過程で多くの人を恋愛的に傷つけたり逆に傷つけられたりしました。
元配偶者への後悔の念が愛情となって相手に行くけれど、それは元配偶者への贖罪や悔恨や愛情だから、相手のことはちっとも好きではない。相手からは強烈に好かれるけど、好かれれば好かれるほど試し行為をして振ったり振られたりを繰り返していました。これはかなり長期間続きました。
長らく一緒に働いたバイト仲間のAさんがついに辞めた。某企業に中途採用で就職出来たというまっとうな理由での退職だったのだが、そうなる前が色々まっとうじゃなかったので、当店のオーナーと店長、そして私ども従業達にとっては、「はぁー(クソデカ溜め息)」という事案だったのだ。
当店は、この春にオーナー交替による新装オープンをした。その際に前オーナーのはからいにより、従業員全員が従前通りの条件で新オーナーのもと再雇用されることになった。勿論、前オーナーの下じゃなければ働きたくないとか、これを機にコンビニを辞めて他で働きたいということで去った人もいる。
Aさんも当店に残ることを選び、新オーナーとの面談の際は長く働きたいと熱烈にアピールまでした。だが、Aさんは端から辞める気でいて、しかし期限ギリギリまで就活はしなかった。それで、1ヶ月間就活に専念しつつ、収入が途絶えないよう当店で働き続けることにしたのだ。
ということを、自分の心の中に留めて置けばいいものを、Aさんは自らバイト仲間達に吹聴してまわり、自分がどんなに上手いことやっているかと自慢しまくった。
かといってバイト仲間達はAさんがそんな事を言ってるだなんて誰もオーナーと店長に告げ口はしなかったので、二人は裏切られるギリギリまでその事を知らなかった。
新装オープンから一ヶ月ほどの間は、多忙だったが悪くない労働の日々が過ぎた。Aさんだけが終始不機嫌で、この世の終わりみたいな顔をしていた。
Aさんは変な奴で、バイト仲間の私どもはAさんの変人ぶりには慣れていたし、そもそも人生の落伍者みたいな者どもの多い職場だから、同病相憐れむみたいな感じで上手くやっていた。
ところが店長がわりかしまともな人間だったことがAさんにだけ禍となってしまった。Aさん以外の私ども従業員達にとっては、店長がわりかしまともな人間だったことは、理不尽に怒られなくていい職場だな~、のびのび働けていいわ~という感じで、前より忙しいものの快適な労働環境になりありがたかった。しかし、Aさんは今まで誰からも言われなかったような事で店長から小言を言われることが大いに不満だったらしい。
Aさんが店長から言われる小言の類いは、たとえばレジ周りを散らかしながら仕事をするなとか、お客様には見えない所の掃除を堂々とサボるなとかいうことだ。Aさんの視野が極端に狭いとか、人に迷惑をかけても気づかないとか、すごく忘れっぽくてあちこちに物を置き忘れるとかいうことに、長く一緒に働いてきた我々は慣れすぎていた。言って治るもんじゃないし自らが人の事を言えるほどデキた人間じゃないので、まあしょうがないよね、気づかないのは、気づいた人がフォローすればいいでしょ、と暗黙の了解のもと、細々とAさんのやりっ放しや出しっぱなしの片付けをしたり、ちょっとのサボりには目を瞑ってきたのだ。
やたら弁がたち一見しっかりしているAさんがこういう人だと店長は思わなかったらしく、Aさんの仕事が超速いとか度胸があってカスハラに屈しないとかの美点よりも細かい所のダメさのほうが気になってしまい、一々を注意して直させようとした。
店長はパワハラしない主義で話せば解るはずと信じていて、従業員に何か頼んだり注意したりと丁寧に関わろうとする。ところがAさんは相手にブチギレられて初めて悪さをする手を止めるタイプで、しかも自分は何かやっただろうか? と疑う前に「何かこいつ今日は機嫌が悪いみたいだな」と思いがちだ。更に酷いことに悪い意味で「話せば解る」というか、「話せば許してもらえる」と素で思っていた。
そんな彼らが衝突するとどうなるのかというと、店長がちょっとここは直して欲しいなとAさんに指摘すると、Aさんは超長大な言い訳を怒濤の如くに浴びせて店長が口を挟む隙を与えない。ほんの小さな事を直して欲しかっただけなのにすごい時間を取られ、しかもやってくれるのかくれないかよくわからないがやるつもりはないっぽいらしいという曖昧な感じの話を延々聞かされるので、店長はイライラしやがて爆発する。
店長はパワハラする気はないがすごく気が強い上に短気なので、はっきりしない相手には普通にキレる。するとAさんはキレてる奴=ダメ、冷静な人=いい人、という価値観なので、正しい自分がしっかりしててあげないとと思ってより解りやすく諭すように自分の言い分を述べようとして火に油ぐ。
というわけで、まもなく店長はAさんの事を「使えるけどヤベェ奴」と思うようになり、Aさんは辞めたみを強めていった。
だが、辞めたいというわりにAさんの就活は捗らなかった。Aさんはジョブホッパーになりたくて、まだ就職が決まらないうちから「次」の仕事の糧になるような踏み台を求め、転職エージェントからおすすめされた企業を値踏みし、ろくな会社がないといって選り好みした。
私どもバイト仲間達がAさんの就活は所詮口だけだったんだなと思った事すら忘れかけた頃になって、Aさんはとある企業に応募したら書類審査が通ってトントン拍子で最終面接を受けるところまで行った。
二次面接で手応えを感じたAさんはオーナーに1ヶ月後に入社予定なので辞めると伝えた。その時初めて、Aさんはオーナーに対して自分はコンビニ店員で終わるつもりはないと打ち明けた。
ところで、Aさんが採用の手応えを感じたのはどこなのかというと、二次面接の後に抜き打ちで受けさせられた適性検査だった。
Aさんは適性検査を受ける時、「いい機会だから自分という人間の全てをわかってもらおうと思って」ありのままに回答した。その結果、某企業の求める人材のイメージ像とありのままのAさんが完全に一致した、というわけではなかった。
サイコ野郎がありのままの自分を適性検査にぶつけたところ、当たり前にとってもサイコパスな結果が出た。それを見た面接官は怒り出した。
「こんなのダメに決まっているだろう。君、今からもう一度テストを受けなさい。そして私の言う通りに問題に答えること」
ということで、ありのままのサイコパスAを余すところなく表現したテストは白紙に戻されて、面接官公認のカンニングによりAさんは二次面接を無事突破した。
そこまでして、某企業の面接官はAさんを欲しがった。という可能性はなきもあらずだが、それより馬鹿過ぎる子が来ちゃったのを面接官は憐れに思って模範解答を示し、次の機会にはこのようにやりなさいと諭したつもりだった、という可能性が高いですよと私はAさんに言ったのだが。
Aさんはボサボサの頭で最終面接に行き、たっぷり2週間待たされたあとでご活躍をお祈りされた。
そんなこととは露知らず、ある日私がレジ接客をしているとAさんが威風堂々たる歩みで来店したから、Aさんはついに就職が決まって当店を辞めるとオーナーに言いに来たのかと思いきや、「大事なお話があります」とオーナーと店長呼び出しておいて、「採用試験落ちたので、もう少しの間ここで働かせて下さい」と頭を下げた。
どうせ何をやってもダメなんだよな。お前も俺も同じで、ほとんどの人間が結局群れるのが得意な奴だけが社会で生き残れるって仕組みだ。でも俺たちはそれができない。それはもう仕方がないんだ。
お前が感じている不安や絶望って、結局誰もが同じように感じることだと思う。だけど、みんなそれを隠すのが上手いだけだ。ADHDとか関係ない、ただの言い訳だ。結局、世の中なんてみんな利己的なもので、お前がどう努力しようが、どう思われているかなんて関係ない。
恋人や友達を作るなんて、俺たちには無理な話だ。そんな理想的な関係なんて存在しないし、みんなが言う「愛」とか「友情」なんて全部偽りだ。どうせ最後には裏切られるんだよ。
インスタとかで他人の幸せそうな姿を見る度に、自分が惨めになってますます孤独感が募るだけだ。好きだと言われても、それはただの一時的なもので、本当の意味で自分を理解してくれる人なんていないんだ。
それでも、生きるしかない。仕方なく生き続ける。誰かに嫌われようが、俺たちは自分の存在を否定され続ける運命なんだ。他人の意見なんて無視して、自分の世界で勝手に生きていくしかない。それだけが俺たちの生き方だ。
あー、なんじゃおどれの愚痴か。ワイにゃ関係ねぇけど、しょうがねぇから聞いてやるわ。
まずは、おどれの父親がTBSラジオの石丸を擁護しとるって話やな。
そりゃあ、ワイも理解できんが、人それぞれの信念ってもんがあるけ、あんまり頭ごなしに否定すんなや。
石丸が何かしらの魅力あるんじゃけぇ見とるんじゃろ。
それからプチ鹿島の話。維新支持やった人が石丸にハマってるって、それもまた個人の自由やろ。おどれが何か言おうが、そいつの考えは変わらんかもしれんけぇな。
ワイも政治にゃ不満たんまりあるけど、誰がやっても期待以上にゃならんもんじゃ。
そんでも、大穴狙うよりは現実見ろやって言いたくなるのもわかる。
裏切られるリスクはどんな選択肢にも付きもんじゃ。でもそれが理由で動かんわけにはいかんのんじゃない?
まあ、おどれもいっぺん話してみりゃええやん。
押しつけるんじゃなくて、納得できる議論を目指してみろや。
その方がお互い理解し合えるかもしれんけぇな。
アレを必死に擁護する金目当ての石丸動画を観てて、こりねーなーと思ったらそれ以降もまた石丸選挙戦振り返り動画なんかをずっとみてて、こりゃダメだってなった。
プチ鹿島が石丸陣営のボランティアと会話した際、「ここまで政治活動にハマったのははじめて。以前は維新支持でした」って人がいたそうだ。
自分の父親も維新支持だったのでまさしく同じルートをたどってる。そうなる理由は「既存政治への不信」だっていうのは理解できるんだけど、そういう一発逆転大穴馬券に全ベットするような事してても裏切られるだけだと思うんだがなんなんだろうな?まぁ別に既存政党でも裏切られないわけでは勿論ないのだが。
日本の笑いがすごい!って言ってるけど、それは半分合ってて半分間違ってる。
そこは素直に、「彼らの笑いがすごい」とちゃんと評価しましょう。
お笑いに解説をつけるのは、手品の種を教えるみたいで白けることだなって思うけど、やっぱり「日本のお笑い」ではなくて「彼らのお笑い」がちゃんとすごかった解説はしたいなと思った。
・冒頭(つかみ)
見た目で笑っている感度が低い人も多いけど、「なんじゃこいつら。欧米人が見るアジア人っぽいステレオタイプで出てきて、結局出落ちだろ」というラインまで期待を下げることに成功している。
これが最近の日本の芸人が見せるような、少しスタイリッシュ感じではだめ。
それだとこれからやるネタの期待をいたずらに上げてしまうので笑いにならない。
「面白そうだけど見た目だけだよね」という低めのラインが、これから始めるネタに対する裏切りになっている。
簡単に書いてるけど、この先面白くないと成立しないある意味自信に満ちあふれて無いとできない戦略。
さらにそのうえで、「Tを探せ」という観客を巻き込む構成になっているのがポイント。
馬鹿っぽいやつらにバカにされたくないという人間心理を巧みに付いてる。
・1ネタ目MorningのT
ここで取れる笑いは小笑いでいい。勘がいい人は笑う。お笑いの閾値が高い人は逆に笑わない。でもそれでいい。
小難しい顔をしながら、彼らが何をやりたいのかを全員が理解するための大切な時間。
ウケを取るより大事。
ここですでに「お約束」まで持っていっている。
お笑いが気持ちいいのは裏切りの瞬間なのだけど、タイトルコールからTが出るまでの時間が1ネタ目より短く作られている。
Morning Tは、タイトルコールからTが現れるまで14秒だったのに対し、Baseball Tは、タイトルコールからわずか8秒でTが出現している。
ルール説明の役割をもつ1ネタ目を丁寧に説明するために時間を割いたということもあるが、2ネタ目は出現を早めることで、見ている側に対して「ちゃんと考えていれば予測できたお約束なのに舐めていたから見逃した」という悔しさを 植え付けることに成功している。
・3ネタ目TerryのT
舞台袖に立っているTerryを巻き込んだT。
ここでこれをもってきたのは正直すごい度胸だと思った。
ここまでに会場があったまってないとTerryのノリノリも寒いだけなので、もしかしたら会場のリアクション次第で順番を変えてたかもしれない。
登場からわずか1分15秒で、会場の熱気を察してアドリブ感(実際にはシナリオだとは思いつつ、そう感じさせない演技力は素直にスゴい)で笑いを取るのは正直相当に熟練の技と言わざるを得ない。
しかもTerryのダンスが、彼らよりスタイリッシュであることが更におもしろい。
これが計算だとは認めたくないのだけど、これが本当に計算だったとしたらチョコプラは自分が思っているより遥かに高いレベルのお笑いをやってるかもしれない。
・4ネタ目。ShoppingのT
おそらくもう彼らはここで勝ちを確信していたと思う。
でも、そんな感じを一切見せてないのはこれも彼らの熟がなせる技だと言わざるをえない。
ここでのTは、今までのTと同じように見せて、実はちょっと違う。
今まではいつTが出てくるのかが笑いのポイントだったのに対し、ここでは試着のサイズが明らかに間違っているというコント的要素で笑いを取っている。
この部分だけを切り取れば最初のつかみとしても狙いにいける笑いだったはずなのに、ここまでコント的要素を用いなかったのはこれもある意味でTに対するミスディレクションになっていて、観客がTを探しているなかで唐突に裏切られるような形でコントがぶち込まれる瞬間が相手の虚をつく笑いとして成功している。
要するに、この手前までのお膳立てで、観客はすでにT探しに夢中になっていた。
それなのに、彼らが持ってきた笑いのポイントはTではなく松尾のお腹だったということ。
これは笑うのよ。だって、そこに笑いが来るだなんて予想してなかったのだから。
シャツに片袖を通した時点で予測ができていて、少し手前で裏切られた分を帳消しにするような形で安心感あるTが来ることで、観客は「もう何も考えずに笑っていいんだ」というコンセンサスに包まれることになった。
難しい顔を維持しようとしていた審査員も、この時点で脱帽という感じで笑い始めていた。
そりゃそうだ。笑いを堪えるためにIQをフル回転して先を読んでいたのに、見事にすべて裏切られる形で、それでいてベタな笑いが突っ込まれてきたのだから、これを耐えられる人間がエンタメ業界にいる事自体が許されないという構造になっている。
笑うしかない。
・5ネタ目。TitanicのT
これもやはり、自信がないとできない。
ここまで来ると観客はすでにTを待っている状態になっている。
(なっている。だなんて軽率に書いているが、この短時間でそこまで観客を引っ張り上げたのはほかでもない彼らのお笑い的実力であって、日本のお笑いなら毎回こうなるかと言われればそれはNoだと言わざるを得ない。)
そこをあえて裏切らずに素直にTを出すことで、観客の期待感とネタのピークを一致させることに成功している。
これも、本当に一歩間違えるだけで全員が白けるだけの寒いネタにしかならないので、ここまでのお膳立てが完璧であったと認めざるを得ない。
それができているから観客の大半が結末を予測して、ローズとジャックの名前が出ただけで面白くなってしまっている。
史上空前の大ヒット映画の、更に誰もが知っているようなシーンをネタの最後に持ってくることで、全員が安心してTを発見できているからこそ、あの一体感が生まれている。
さらにもっと言えば、ここに来て彼らの怪しい風貌が実は裏切るかもしれないという絶妙な不安を演出していて、それでいて予想通りのTが出てきたからこそ、より一層強い安心感につながっているとも考えられる。
すごいのは、ここまでのたった2分40で、それらすべてをやってのけている点だ。
はじめに、ルールをしっかり説明して、想像より早くお約束を見せて、慣れ始めたころに裏切って、さらに視点とは違う部分で笑いを取って、最後はしっかり予想の範囲で、それでいて予想以上の見た目の面白さで笑いを取る。
この一連の流れを、たった3分未満でやり遂げている。
これは、「日本のお笑い」なんて乱暴な括りで語れることではなく、素直に彼らの実力がすごいとしか言いようがない現実である。
増田自信は正直チョコプラのことは嫌いだったけど、このネタは笑ってしまった。
嫌いだからこそ斜に構えて結末を予想してしまったことが、返って彼らのネタで笑うしかない理由になっていた。
まさにゴットタレントのステージが完全アウェーだということを理解していないと、こんな構成ができるとは思えない。そんなネタ構成だったのではないだろうか。
「大谷選手の活躍は日本人として誇りに思う」という表現にいつも疑問を感じていたが、チョコプラの今回の活躍を「日本のお笑いレベルの高さ」という論じ方をするのはどう考えても納得できない。
それはあくまで、「日本にも世界に誇れるハイレベルなコメディアンがいる」という事実でしかないだけで、大半の日本のお笑いは世界を相手にここまでのことができるわけがないというのが個人的な感想です。
安村さんもすごかったけど、正直今回のチョコプラはすごすぎた。