はてなキーワード: 憂さ晴らしとは
ウチは貧乏の生まれだから、藤田ことね見てるとマジで嫌な気持ちになるんだ
あんなに可愛いのに、貧乏人って設定の適当さにイラついて泣きそうになる
貧乏な家に生まれた人間が考えることは「いっぱい稼ぎたい」なんかじゃねえよ
まず「なんでお金がないと他の家みたいにご飯が食べられないんだろう」なんだよ
貧乏な家に生まれた人間はそもそも金に触る機会がねえんだから、どうやって金を稼ぐって概念を知ったのか教えてくれよ
貧乏人にないのは金以上に選択肢なんだって、インターネットで何度も言われてんじゃん
そんでもって、貧乏人がバイト掛け持ちして苦労してるみたいな設定も意味わからん
それは貧乏な家じゃなくて、有能な家から出てきた奴が一人立ちして生活し始めた時にする苦労だろうが
貧しい家に生まれた人間の大半は、そもそも学生の段階で見知らぬ綺麗な店行って綺麗な金貰えるほど有能なやつじゃないだろ
その「家が貧乏だから」って言うのやめろ、貧乏人キャラってのもやめろ
昔のアニメ見て貧乏人キャラいいね!って思った金持ちが偏見とレッテルだけで書くなよ
貧しい家から出てきた人間が苦しい思いして、足りない頭と経験でどんな思いしてるかわかるか?
金がないんだから勉強なんかできないんだよ、勉強できないから仕事も頭に入らないんだよ
同期や上司が親の金で当然のようにやってもらってることを持ってないんだよ
藤田ことねみたいな「貧乏だけど頑張ってます」はただの貧乏人へのレッテル貼りなんだよ
貧乏人は今まさに「金もないし頑張る方法もわからない」って思ってんだよ
フィクションの"貧乏人キャラ"のレッテルを真に受けた奴が「あいつはフィクションの貧乏人みたいに頑張ってない」って現実の貧乏人を指差して笑ってんだよ
親の金で飯食って、親の金で家に住んで、親の金で勉強させてもらってたやつらが笑ってんだよ、ウチらのこと
でも違うじゃん
なぁ、そのお金でウチの地元の団地で虐待されてる子供を助けてよ
親から逃げたくて高校辞めて年齢ごまかしながら水商売やってたウチのクラスメイトにお金あげてよ
貧乏人へレッテル貼って金稼いでる奴らが笑って、当の貧乏人が苦しいの、おかしいじゃん
あー、言いたいこと言えてすっきりした
学園アイドルみたいなアホ設定のゲームにこんなこと言ってもしょうがないのにね
来世があるなら、藤田ことねになーんの疑問も感じないぐらいお金があって平和な家に生まれたいな
いつかそんな風になれるかなぁ
気分やで面倒くさくはあるけど仕事はできる
ただ、これだけは違うだろって思うことがあって投稿することにした
上司Aには前任者Bがいて、前任Bの仕事を上司Aが一人でやっている
前任Bは5年前に体調的な問題でろくな引継ぎもなくデータだけは置いて仕事を辞めたらしい
幸い連絡は取れたので上司Aは残されたデータを見つつ、電話で確認をし、時には顧客から情報をもらい
ながら仕事をしてきたらしい
5年程その状況を続けており、上司Aは次の仕事をさせるために増田を後任とすることに決まった
増田は引き継ぐ仕事経験は0が等しいので、会社としては色々教えてもらう前提で配属したみたいだが
上司Aからは明確にこうしろと教えられたことはこの半年ほど一度もない
こちらから言ってようやくデータが貰え、当日になってお前がこれをやれと言われ、俺は聞かれなきゃ答えない
上司Aがそのような考えであればこちらが適応すればいいだけなので理解はできるわけだが、
曰く「俺は全然引き継ぎなくて、全部自分で調べてやった」だの「前任Bは独自の考えでやってるから
俺にもわからないことしかない」だの5年もあったのに「「台帳は引き継いでないからそんなものない」だの
一日数回は文句を言っている
上司Aをよ、お前が俺に引き継いでいるやり方はお前が批判してる前任Bと情報量が全然変わらんぞ
文句があるってことは、こうしたほうがいい、こうしてほしかったという思いがあるからだろう
なんでそれを俺にしないんだ。目には目をの精神なのかい。憂さ晴らしなのかい
何より悲しいのが憂さ晴らしだとしても、上司Aが全然楽しそうじゃないしストレスが緩和されてないってことだ
俺はなんて非効率な中で仕事しないといけないんだと思いながら明日も仕事を頑張るしかない
これが社畜ってことだよな
え?なんだって?おぅ、聞こえてるぞ。なんだその腑抜けた面は。お前らみたいな草食系には刺激が強すぎるか?
フン、笑わせる。俺はな、ネトウヨだ。筋金入りのな。日の丸背負って靖国に散る覚悟はとっくにできてる。……まあ、まだ生きてるけどな!
で、だ。パヨクとチューしたことあるかって?あるんだよ、これが。信じられないか?
お前らみたいな優等生には想像もつかないだろうな。人生ってのはな、教科書通りにはいかねえんだよ。
あれは確か、去年の夏だったか。いつものように、ネットでパヨクどもを論破して憂さ晴らししてたんだ。
奴らの主張はいつも同じ。平和がどうとか、人権がどうとか。綺麗事並べてんじゃねえ! 現実はそんな甘くねえんだよ!
まあ、いつものようにキーボード叩きまくってたら、妙に腹が減ってきてな。近所の居酒屋にでも行くか、と思って家を出たんだ。
そしたらよ、店の前でデモ隊と鉢合わせしたんだよ。プラカード持って、シュプレヒコール上げてる。ああ、またか、と思ったね。どうせろくでもない連中だろうと。
でも、その中に一人、目が離せない女がいたんだ。ショートカットで、目がキリッとしてて。
で、まあ、成り行きでそいつと話すことになったんだ。最初はいつものように、お互いの主張をぶつけ合ったさ。
俺は日本の素晴らしさを語り、あいつは平和の尊さを説く。水と油、犬と猿。分かり合えるわけがない。
だが、酒が入って、話してるうちに、なんかこう、妙な連帯感が生まれてきたんだよ。お互いの正義を信じて疑わない、愚直さというか、熱さというか。
気がついたら、店の外で二人きりになっててな。夕焼けがやけに眩しくて、あいつの横顔が、信じられないくらい綺麗に見えたんだ。
そして気がついたら、チューしてた。でもな、後悔はしてないんだよ。
だってよ、考えてみろ。ネトウヨとパヨクだぞ?普通に考えたら、絶対に相容れないはずだ。でも、そんな俺たちが、チューをしたんだ。
たまに思い出すんだ。あの夕焼けの中で交わした、たった一度のチューを。
ただ、人生ってのは、予想外のことが起こるってことだ。そして、時には、分かり合えないはずの人間と、心が通じ合うこともあるってことだ。
さあ、酒でも飲むか!
「死刑にしましょう。現場での目撃証言はあやふやだけれど死刑にしましょう。被告人の部屋から押収された毒物が犯行に使われたものかどうか確たる証拠はないけど死刑にしましょう。現場に別の毒物らしき瓶が落ちていたという証言があるけれど、気にしないで死刑にしましょう。証拠も証言も関係ない、高級外車を乗り回しブランド服に身を包み、フカヒレやフォアグラを食べていたのだから死刑にしましょう。それが民意だ、それが民主主義だ、なんて素晴らしい国なんだ」
「民意なら正しい、みんなが賛成していることなら全て正しい、ならば、みんなで暴力をふるったことだって正しいわけだ。私のパートナー弁護士をよってたかって袋だたきにしたことも、民意だから正しいわけだ。……冗談じゃない……冗談じゃない!」
「本当の悪魔とは、巨大に膨れあがったときの民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブに落ちると一斉に集まって袋だたきにしてしまう、それが善良な市民たちだ」
「だが世の中には、ドブに落ちた野良犬を平気で助けようとするバカもいる。己の信念だけを頼りに、危険を顧みないバカがね。そのバカのおかげで今日、江上順子さんは民意の濁流から逃れ、自分の意思で証言をして下さいました。それは江上さんたった一人かもしれませんが、確かに民意を変えたのです。私はそのバカを、誇らしく思う」
「民意などというものによって人一人を死刑にしようというのならすればいい。所詮この一連の裁判の正体は、嫌われ者を吊そうという国民的イベントに過ぎないんですから、己のつまらない人生の憂さ晴らしのためのね、そうでしょう醍醐検事」
「あなた方五人はなんのためにそこにいるんですか? 民意が全てを決めるなら、こんなに格式張った建物も、権威づいた手続きも必要ない。偉そうにふんぞり返ってる爺さんも婆さんも必要ない。判決を下すのは、断じて国民アンケートなんかじゃない。我が国の碩学であられるたった五人のあなた方です。どうか、司法の頂点に立つものの矜持を持ってご決断下さい。お願いします」
この文章を書いた人物について分析すると、以下の特徴が挙げられます。
1. 高尚ぶった俗物
「プリンシプル」とか「人治主義傾向」とか難しげな言葉を並べ立てるが、結局やっているのは松本人志とその周囲を罵倒するという最も俗っぽい娯楽に浸るだけ。
吉本や「アバズレ女」を叩く言葉のエネルギーはすごいが、それを用いて建設的な提案をする気配はゼロ。ただのストレス発散に過ぎないのでは?
2. 自分が一番嫌う輪の一員
批判対象を「汚穢の住人」と呼ぶが、こうした毒舌をネットに垂れ流す行為自体が、その「気持ち悪い輪」の一端にいることに気づいていない。
「松本やその取り巻きはゴミだ」と言うが、同じように他者を見下す快感に浸っている自分は、その輪から何歩離れているのか?
「まとめてパックしてゴミの日に出してほしい」「高熱処理してほしい」という過激な表現は、一見ユーモアに見えるが、その背後にあるのは単なる苛立ち。
こうした過剰な言葉遣いで笑いを取るつもりなら、それこそ「松本的」な文化を模倣しているだけ。結局、自分の嫌う対象から完全には逃れられない。
「人治主義の進行が懸念」とか「冤罪のリスクがある」など、まるで社会全体を見据えた知的批評家のように振る舞っている。
しかし、その内実は「松本やヒカルが嫌いだから滅んでほしい」という単なる個人的な感情に過ぎない。論理的な体裁を整えているが、結論が最初から決まっている時点で批評の体をなしていない。
「松本人志が30代で〇ねばよかった」など、他人の人生を全否定するような極端な意見は、自分がその人物を変えられない無力感から来ている。
他人の成功や影響力に対する嫉妬が、暴力的な言葉として表出しているようにも見える。怒りの根底には、自分の力では何も変えられない現実への苛立ちがあるのでは?
「被害者の女たちもアバズレで、一味だろ」という主張は、事実確認もないままに全員を同じ枠に押し込めて叩くだけ。
ここまで全方位に毒を撒き散らすのは、自分だけが「清浄」であると感じたいだけの自己防衛に見える。実際には、自分の意見もその「汚穢」にまみれていることに気づけていない。
7. 結局何も行動しない評論家気取り
「下品な飲み会を社会的死刑相当の罪に」と述べるが、その「社会的死刑」をどう実現するのかは全く語られない。批判するだけで何もしない典型的な口先評論家。
「吉本がいなくなれば日本に有益」という主張も、実際にどのようにそれが可能かはまるで触れない。批判は強いが提案は皆無。何の貢献もしない「外野」そのもの。
総括
この人物は、自分が見下している松本人志の「輪」と同じぐらい醜悪な輪の住人。違いは「俺は賢い」「俺は正しい」と思い込んでいることだけ。
批判の内容がいかに正当であろうと、その表現は汚らしく、攻撃性は自己満足の域を出ない。結局、自分が嫌う「汚穢」との違いは何なのか?冷静に振り返れば、自分がその一部であることに気づいてしまうだろう
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