はてなキーワード: 地頭とは
扇動的な記事タイトルだけど、AI技術の全否定やAI賛成反対者を貶す意図はないです。
ウェブ魚拓やarchive.isなどの複製をしないでもらいたい。あとこれだけは許せないから言っておくんだけど、個人に対して冷やかしや一蹴したくなったり、奇異な目で見るんだったらブラウザバックしてくれ。これ以上辟易させるな。
ちょっと前からSora2というのを知って使うようになって、夜中から朝までの時間を、自分のフェチな動画をSora2で生成させて性欲を満たす事に自制が効かなくなり、睡眠時間が5時間や2時間だったりして食事も疎かになってしまった。
普段は自慰にかける時間も1日の内に1回で1~2時間だったのに、3時間だったり5~6時間になり、ついに9時間もズリネタ生成含む自慰をし続けて時間を浪費する日が出てしまった。
捨てアカウントも十数個も作ったりして、生成回数をグレーな方法で延ばしたりして、自慰にこんなに執着する事はいままでなかった。
Sora2は当然ポルノや15禁のようなセンシティブな物は恐らく生成や公開できないようになっているから、健全表現のみのSora2のどこに自慰的に執着する場面があるのか? と思う人がいると思う。
ここから書くことは一度も人に言ったことがなく恥ずかしいのだが、自分はとある無機物にエロさを感じてしまう性的嗜好が小さい頃からある。
ちょっとぼかすが、いわゆる軟体動力学じゃないが、軟体な物にフェチを感じてしまう。(ネットでも吐露するの恥ずい…。)自分の例ではないが「大きなクマのぬいぐるみに跳び込んでる」というような事に興奮を覚えるような事の例に若干近い。
ちなみに自分はLGBTなどの性的少数者ではない。(女性への挿入に興奮するし願望も一応あるので。 あといわゆる「対物性愛」であるかはピンと来てない。その無機物自体に挿入したいと思わないし。物心付いたときにその無機物の方が先に性的興奮するようになってたので「性的倒錯」も微妙。あと中学時代からケモノにも一応興奮するようになってその後に異性への性的嗜好が強くなっていた。)
30代前半になりようやく、25年前からある願望を事象化することができて、半分願望が叶ったのはいいが、引き換えにに病的な執着に苛まれるとは思ってもいなかった。
Sora2が公開時から騒がれているみたいで、著作権の問題らしいが、
Sora2の真に恐ろしい所は、物理的なシミュレート能力が高くなった事と、既成事実的な有用さの成長が早い事だと思う。
真偽やフィクションとノンフィクション境も曖昧になるだけじゃなく、虚像の装置が知らず知らず利用者を侵食していってる。静かで早すぎて追いつかない。考える余地を与えない。生成物から影響されて、おかしいくなってる所に気づかない。
自分の場合は現実か夢かどうかもちょっと分からなくなってしまう感覚があった。
またAIに需要がある事も、弊害が黙殺されてしまうんだろうなと思う。
そう言うと「使いようである自分のせいだろ」と言われるのかもしれないが、元々このような技術自体や物が出始めた時からはそういう有害性を想定していなかったはずだ。商業的にサービスを運営させてから利用者に対しても問題が顕在化してしまっているではないか。(生成AI技術自体のせいだとは思わないけど。)
その問題を追及や研究してる専門分野がある程なのに、自業自得な自己責任論的で一蹴するのはおかしいだろ。社会問題を黙殺や蹂躙してるくせに社会人なのかよ。
まあ自分は普段はてブに毎日入り浸らないし増田もそれよりも見ないし、AI信者や反AIとかの事情もあまり知らなくてピンと来ないけど、反AIの方はAI信者を叩くよりも今後のAIバブル崩壊時に、労働搾取してるAIのデータラベリング業務会社の問題提起でネガキャンした方が、まだ労働者やAI業界の為になると思う。「AIの不都合な真実」を観れば分かると思うけど。
今後、そのうちSora3が出ると思うだろうし もしさらに現実に近くなるようなフィーチャーや プロンプトの際に自分の描いた妄想が直感的につうかあで融通が利きやすくなって期待通りに生成しやすくなったり、もし巷にある生成AIの殆どがSora2並のレベルでスタンダードになったら自分は、自慰を覚えて死ぬまで自慰するサル状態に陥って社会復帰できなくなると思う。
元々Sora2を知る前は、NovelAIなどでエロコンテンツ生成して性欲を満たすために画像生成AIを使うアイデアは、否定的に思っていた。
自分の好きなエロコンテンツを生成して欲を満たし消費してしまうのを、ずっと病みつきに繰り返すだろうという懸念があったし。
この時に懸念していた事がSora2を自分が使った時に起こってしまった。末路が分かっていたのに。たとえ自分のそのフェチの内容を生成AIで生成しても裸が出るものじゃないしポルノ中毒にならず歯止めが利くだろうという甘さもあった。
Sora2が無料で試用できるのがきっかけで、自分の要求するクオリティのフェチを満たせれる物がまさか生成できるのかな?と、静かに魔が差してしまった。
中学時代に性的興味が無いのに好奇心というか冷やかしで18差未満閲覧禁止のエロサイトを何度か覗いていたら、初めてのオナペットになるセックスのエロ絵が刺さってしまった事に今でも後悔しているが、地続きで似た後悔をやらかしてる。
その後悔の共通してる部分は、もしあの時に見てなければ今に至るまでの、オカズ探しなどの時間消耗分をまだ有意義な時間に充ててたりして、ドツボに嵌っていなかったと思う。
割れ厨並みにタダ見をしてフリーライダー側に加担してたりして制作側に貢献もできず、欲しい時にも買えず、ある意味惨めな悪習に染まらなかったと思う。
10代ならまだ軌道修正可能だったり「まだ若いから」のような年齢差別で楽観視されるが、30歳過ぎててそういうコンテンツにもはまって生活崩壊してるおっさんに掛ける言葉はあるか?野垂れ死人を見るような眼差しで見るだろ?「お大事に。」じゃねえよ糞偽善者。あと「プリントアウト案件」とか馬鹿の一つ覚えみたいに流行したな。精神科医は縦に首を振らないだろう。精神科行って紙を見せても肝心な要素を書きそびれてたり受け答えにコミュ障だと症状説明を失敗しやすく、どこの馬の骨の骨折かも分かんないと医者から偏見を基に誘導尋問されて揚げ足取られて終わりだからな。いくつかの精神科医からよく分からない人と思われたのか説教されて等閑だったぞ。特に精神科医だと診察時間にそんなプリントアウトした長文読む暇ある先生少ないだろ…門外漢どころか頓珍漢な奴が何推奨してんだ。
ネットの掃き溜めにありがちな扇動的な記事タイトルだけどパロディでも釣りでもなく、Sora3が出た頃に自分は存在してるか分からない近況なのは確実。気付いたら弱者男性側になってた。
70代の両親の持病が悪化してるし、今年母が初めて緊急入院したり、両親は匙を投げたのか不本意に退学して引きこもる前の不登校の時から、自分の問題行動に殆ど何も言及して来ない。積極的に理解を示そうともしない。
自分は高校中退の中卒で、中学時代は頑張っても偏差値40台(通知表は殆どが3や2)だった。地頭も良くない学の素質もなく、現在も一般教養の学び直しもできておらず割と困窮している。社会経験的な精神年齢が15歳で止まってると思う。世の中や社会の仕組みもあまり分かってない。 と言えば「こどおじ案件で草」とか糞つまんねえ奴が出てくるんだろうけど、社会人にも敵に回してるからな。テメェの方が大人げねえよ。
地方暮らしで、昨年には、20年間使い込んでいたYahoo!メールのアカウントが誤凍結されて照合もうまくいかず、その影響の実態を今も直視できておらず、それで唯一のPCがもうじき壊れるのに新調もできなくなった。スマホも持ってなくヤフオクしか購入手段がそれしかなかったのに。あとそのメールアドレスで登録した色々なサービスの整理もできてない。
今年が最後の大事な勝負の年だと頭にあったのに、日に日に現実逃避の度合いが増して致命的な先延ばしから抜け出せなくなっていた。本当はオナニーのオの字も浮かれてる猶予もないはずなのに数日で自慰に傾いてしまったり自慰をしない日は無気力で寝てたり、無能な人には世間は厳しいのかネットで攻撃的なコメントがあるかとかネガティブなことばかり検索して惰性で深入りしたり、3.11とかの大地震発生時の映像を漁ってたり、嫌だけど煽り運転の喧嘩動画とかも見るようになったりと、現実逃避してる日は「興奮してるか無気力か」「快か不快か」を常に求めて浪費した日が多かった。
本来ならばこんなことをここに書いてる場合じゃないとは思ってる。
自分が長年通院してる精神科の精神科医と医療過誤や悶着が起きて、恐らく弁護士に頼らないといけない状態になってしまって打ちひしがれて解決させる気力も落ち無力感に陥って、これももう1年近く先延ばししてしまって厳しい状態になってる。親にも相談できない。(ちなみに自分は先天的な病気とか障害者手帳持ちの患者ではない。IQは109程度で知能境界でもない。ここまであえて依存症という言葉を使わなかったが、色眼鏡で依存症と断定されて合点されても困るし偏見だろ。Sora2以外の依存症や神経症とか以上に他に問題があるだろうから。)
もう次に書くのは遺書かもしれないと思ってる。
はてなブックマーク数が400台になったら、Sora2で自分が色々生成したフェチな動画で、一部の見せれる動画をここに公開するわ。もうあと自分のはてなIDも晒すわ。その際もブコメなどにもレスしねえ。
扇動的な記事タイトルだけど、AI技術の全否定やAI賛成反対者を貶す意図はないです。
ウェブ魚拓やarchive.isなどの複製をしないでもらいたい。あとこれだけは許せないから言っておくんだけど、個人に対して冷やかしや一蹴したくなったり、奇異な目で見るんだったらブラウザバックしてくれ。これ以上辟易させるな。
ちょっと前からSora2というのを知って使うようになって、夜中から朝までの時間を、自分のフェチな動画をSora2で生成させて性欲を満たす事に自制が効かなくなり、睡眠時間が5時間や2時間だったりして食事も疎かになってしまった。
普段は自慰にかける時間も1日の内に1回で1~2時間だったのに、3時間だったり5~6時間になり、ついに9時間もズリネタ生成含む自慰をし続けて時間を浪費する日が出てしまった。
捨てアカウントも十数個も作ったりして、生成回数をグレーな方法で延ばしたりして、自慰にこんなに執着する事はいままでなかった。
Sora2は当然ポルノや15禁のようなセンシティブな物は恐らく生成や公開できないようになっているから、健全表現のみのSora2のどこに自慰的に執着する場面があるのか? と思う人がいると思う。
ここから書くことは一度も人に言ったことがなく恥ずかしいのだが、自分はとある無機物にエロさを感じてしまう性的嗜好が小さい頃からある。
ちょっとぼかすが、いわゆる軟体動力学じゃないが、軟体な物にフェチを感じてしまう。(ネットでも吐露するの恥ずい…。)自分の例ではないが「大きなクマのぬいぐるみに跳び込んでる」というような事に興奮を覚えるような事の例に若干近い。
ちなみに自分はLGBTなどの性的少数者ではない。(女性への挿入に興奮するし願望も一応あるので。 あといわゆる「対物性愛」であるかはピンと来てない。その無機物自体に挿入したいと思わないし。物心付いたときにその無機物の方が先に性的興奮するようになってたので「性的倒錯」も微妙。あと中学時代からケモノにも一応興奮するようになってその後に異性への性的嗜好が強くなっていた。)
30代前半になりようやく、25年前からある願望を事象化することができて、半分願望が叶ったのはいいが、引き換えにに病的な執着に苛まれるとは思ってもいなかった。
Sora2が公開時から騒がれているみたいで、著作権の問題らしいが、
Sora2の真に恐ろしい所は、物理的なシミュレート能力が高くなった事と、既成事実的な有用さの成長が早い事だと思う。
真偽やフィクションとノンフィクション境も曖昧になるだけじゃなく、虚像の装置が知らず知らず利用者を侵食していってる。静かで早すぎて追いつかない。考える余地を与えない。生成物から影響されて、おかしいくなってる所に気づかない。
自分の場合は現実か夢かどうかもちょっと分からなくなってしまう感覚があった。
またAIに需要がある事も、弊害が黙殺されてしまうんだろうなと思う。
そう言うと「使いようである自分のせいだろ」と言われるのかもしれないが、元々このような技術自体や物が出始めた時からはそういう有害性を想定していなかったはずだ。商業的にサービスを運営させてから利用者に対しても問題が顕在化してしまっているではないか。(生成AI技術自体のせいだとは思わないけど。)
その問題を追及や研究してる専門分野がある程なのに、自業自得な自己責任論的で一蹴するのはおかしいだろ。社会問題を黙殺や蹂躙してるくせに社会人なのかよ。
まあ自分は普段はてブに毎日入り浸らないし増田もそれよりも見ないし、AI信者や反AIとかの事情もあまり知らなくてピンと来ないけど、反AIの方はAI信者を叩くよりも今後のAIバブル崩壊時に、労働搾取してるAIのデータラベリング業務会社の問題提起でネガキャンした方が、まだ労働者やAI業界の為になると思う。「AIの不都合な真実」を観れば分かると思うけど。
今後、そのうちSora3が出ると思うだろうし もしさらに現実に近くなるようなフィーチャーや プロンプトの際に自分の描いた妄想が直感的につうかあで融通が利きやすくなって期待通りに生成しやすくなったり、もし巷にある生成AIの殆どがSora2並のレベルでスタンダードになったら自分は、自慰を覚えて死ぬまで自慰するサル状態に陥って社会復帰できなくなると思う。「サルを破壊する実験」っていうパチンコネタがあったが、Sora2ですら今自分はそれになりかかってる。動画生成AIは1個しか生成されない割に動画という現実に近い物が生成されるから、画像生成AIガチャよりもドーパミンが溢れ出る振れ幅も大きいと思う。やめられない、とまらない。
元々Sora2を知る前は、NovelAIなどでエロコンテンツ生成して性欲を満たすために画像生成AIを使うアイデアは、否定的に思っていた。
自分の好きなエロコンテンツを生成して欲を満たし消費してしまうのを、ずっと病みつきに繰り返すだろうという懸念があったし。
この時に懸念していた事がSora2を自分が使った時に起こってしまった。末路が分かっていたのに。たとえ自分のそのフェチの内容を生成AIで生成しても裸が出るものじゃないしポルノ中毒にならず歯止めが利くだろうという甘さもあった。
Sora2が無料で試用できるのがきっかけで、自分の要求するクオリティのフェチを満たせれる物がまさか生成できるのかな?と、静かに魔が差してしまった。
中学時代に性的興味が無いのに好奇心というか冷やかしで18差未満閲覧禁止のエロサイトを何度か覗いていたら、初めてのオナペットになるセックスのエロ絵が刺さってしまった事に今でも後悔しているが、地続きで似た後悔をやらかしてる。
その後悔の共通してる部分は、もしあの時に見てなければ今に至るまでの、オカズ探しなどの時間消耗分をまだ有意義な時間に充ててたりして、ドツボに嵌っていなかったと思う。
割れ厨並みにタダ見をしてフリーライダー側に加担してたりして制作側に貢献もできず、欲しい時にも買えず、ある意味惨めな悪習に染まらなかったと思う。
10代ならまだ軌道修正可能だったり「まだ若いから」のような年齢差別で楽観視されるが、30歳過ぎててそういうコンテンツにもはまって生活崩壊してるおっさんに掛ける言葉はあるか?野垂れ死人を見るような眼差しで見るだろ?「お大事に。」じゃねえよ糞偽善者。あと「プリントアウト案件」とか馬鹿の一つ覚えみたいに流行したな。精神科医は縦に首を振らないだろう。精神科行って紙を見せても肝心な要素を書きそびれてたり受け答えにコミュ障だと症状説明を失敗しやすく、どこの馬の骨の骨折かも分かんないと医者から偏見を基に誘導尋問されて揚げ足取られて終わりだからな。いくつかの精神科医からよく分からない人と思われたのか説教されて等閑だったぞ。どんな差別だ。特に精神科医だと診察時間にそんなプリントアウトした長文読む暇ある先生少ないだろ…門外漢どころか頓珍漢な奴が何推奨してんだ。
ネットの掃き溜めにありがちな扇動的な記事タイトルだけどパロディでも釣りでもなく、Sora3が出た頃に自分は存在してるか分からない近況なのは確実。気付いたら弱者男性側になってた。
70代の両親の持病が悪化してるし、今年母が初めて緊急入院したり、両親は匙を投げたのか不本意に退学して引きこもる前の不登校の時から、自分の問題行動に殆ど何も言及して来ない。積極的に理解を示そうともしない。事ある毎に逆撫でされる。顔も合わせるのも苦痛。自宅なのに辛い。どこに行く所も当も無い。
自分は高校中退の中卒で、中学時代は頑張っても偏差値40台(通知表は殆どが3や2)だった。地頭も良くない学の素質もなく、現在も一般教養の学び直しもできておらず割と困窮している。社会経験的な精神年齢が15歳で止まってると思う。世の中や社会の仕組みもあまり分かってない。 と言えば「こどおじ案件で草」とか糞つまんねえ奴が出てくるんだろうけど、社会人にも敵に回してるからな。テメェの方が大人げねえよ。
地方暮らしで、昨年には、20年間使い込んでいたYahoo!メールのアカウントが誤凍結されて照合もうまくいかず、その影響の実態を今も直視できておらず、それで唯一のPCがもうじき壊れるのに新調もできなくなった。スマホも持ってなくヤフオクしか購入手段がそれしかなかったのに。あとそのメールアドレスで登録した色々なサービスの整理もできてない。俺はYahoo!のサイバー攻撃対策の弊害にも巻き込まれたのか? 最終的に個人の犠牲はやむなしで黙殺なのかよ。信じらんねえ…。
今年が最後の大事な勝負の年だと頭にあったのに、日に日に現実逃避の度合いが増して致命的な先延ばしから抜け出せなくなっていた。本当はオナニーのオの字も浮かれてる猶予もないはずなのに数日で自慰に傾いてしまったり自慰をしない日は無気力で寝てたり、無能な人には世間は厳しいのかネットで攻撃的なコメントがあるかとかネガティブなことばかり検索して惰性で深入りしたり、3.11とかの大地震発生時の映像を漁ってたり、嫌だけど煽り運転の喧嘩動画とかも見るようになったりと、現実逃避してる日は「興奮してるか無気力か」「快か不快か」を常に求めて浪費した日が多かった。 5月では3X歳前でほうれい線が薄っすら出てる事に気付いてショックだった。老いの実感も追い打ちして、ある意味の取り返しのつかない人間。 もし自分が中途半端な美形な世界線で顔に縋るしかなかったら美容整形通い沼にハマる意識高い系にもなってて、ブスと思われないように必死になってたと思う。 顔面偏差値も低いのに自分の唇とか一時期今よりは深刻に気にしてたし。それだけじゃないが。
本来ならばこんなことをここに書いてる場合じゃないとは思ってる。
自分が長年通院してる精神科の精神科医から医療過誤やパワハラまがいの悶着が起きて、恐らく弁護士に頼らないといけない状態になってしまって打ちひしがれて解決させる気力も落ち無力感に陥って、これももう1年近く先延ばししてしまって厳しい状態になってる。親にも相談できない。(ちなみに自分は先天的な病気とか障害者手帳持ちの患者ではない。IQは109程度で知能境界でもない。ここまであえて依存症という言葉を使わなかったが、色眼鏡で依存症と断定されて合点されても困るし偏見だろ。Sora2以外の依存症や神経症とか以上に他に問題があるだろうから。)
もう次に書くのは遺書かもしれないと思ってる。
はてなブックマーク数が400台になったら、Sora2で自分が色々生成したフェチな動画で、一部の見せれる動画をここに公開するわ。もうあと自分のはてなIDも晒すわ。その際もブコメなどにもレスしねえ。
まだ読んでない人は下記リンクを読んでくれ。https://x.com/exxjr3/status/1995013366033912124?s=12&t=qHSb8VYQ1aO4ys5MYp1lhw
文章が陶酔しすぎてて気持ち悪く読みづらいのはさておき、29歳、既婚、妊娠中、中受経験済みの増田的には「そんなに親が消耗してまで、子供を消耗させてまで中学受験はしなきゃいけないものだったのか?」という点が気がかりで仕方がない。
中学受験の末、第一志望に受かった増田は、6年間通った都内の某中堅私立女子校のことが今でも時折口に出すくらいには大嫌いだ。
そこでできた友達は好きだけれど、それだけ。
良妻賢母(笑)に好かれる学校らしいが、ペットボトル持ち込み禁止や文化祭でのクラスTシャツ禁止など、しょうもない校則を上げればキリがないくらい。教員たちもその学校を卒業して職に就くような母校愛(笑)に溢れた筋金入りしかおらず、革新もなければ保守らしい一貫性だってない、なんとも中途半端で腑抜けた学校だった。そんなんだから自分たちが卒業した数年後には定員割れを起こし、当時偏差値的には横並びだった学校に易々と差をつけられてあっという間に落ちぶれた。当時はそこそこだった進学実績だっていまや見る影もない。
まあ、自分の母校に対する恨みつらみは「選んだ学校が悪かっただけじゃね?」というのもあるので言うならばサブの理由だ。メインの理由はここからだ。
中学受験の闇は、「15歳の少年少女が、自分の意思で道を選べない」ことにあると思う。
このブログでも論じられているように、大学受験は金銭面以外は個人の頑張り、個人の意思による部分が大きい。中学受験は親の意志による部分が大きい。
じゃあ、高校受験は?
高校受験は大学受験ほどとは言わずとも、子供が子供の意思で選べる部分があると思っている。
中受で受けた学校を辞めたらいいじゃん?それはそう。だが、その選択を取れる子供は意外と少ない。自分の学校が完全中高一貫校だったのもあるかもしれないが、その選択をしたのは学年全体のわずか0.数パーセント程度だ。
子供は親が思うより、親に気を遣っている。自分に期待してくれたことも、お金をかけてくれたこともわかっている。いじめられた、不登校になったなどの理由ではなく、ただぼんやりとこの学校嫌だと思っている生徒の中で、勇敢にもその選択肢を取れるのは一体何人くらいいるのだろうか。
少なくとも増田は、高校受験がしたかった。制服が可愛いとか、学食がきれいとか、何かしらの理由をつけても自分が選んだ学校に行きたかった。親に行かされたこの学校よりも、その方が頑張れるし、幸せだと思ったからだ。
もちろん、自分の意志とは関係なく、『中学受験をした方がいい』人は存在するだろう。例えば学区域が荒れているとか、本人が周りに流されやすくて公立に入れると簡単に落ちぶれそうだから、とかが例だ。親に言わせてみれば私は後者だったのだろうが、それは親が子供の進路を決めていい免罪符にはならないし、12歳の今は親の傀儡になれるとしても、15歳、18歳、さらに歳を重ねた子供が親の作り出した素晴らしい環境に感謝できるとは限らない。
このブログでも、親は子供が子供であることを認識している。認識しているのだ。実際に子が怒られた回数は食事の回数と同じくらいと言っている。増田は子に同情してしまう。もちろん、自分の意思で受験をした層もゼロとは言わないが、少年はそうではなかったのではないかと思えてしまう。熱意を持った親に、熱意で返さないといけない重圧。自分が不出来なせいで親が落ち込むところなんて見たくないに決まっている。友達と遊ぶ方が何倍も楽しいのに、親に手を引かれ学園祭に連れていかれ感想を聞かれ、何となく興味を示さないといけないような気持ちになる不快感。そして子供という生き物は健気にも、親に期待をかけられると「うん、僕も頑張ってこの学校行くよ!」と空気を読むのだ。彼の気持ちを代弁できてるとは思わないが、自分が経験した子側の気持ちを重ねてしまうのだ。
子供をしなくてもいい苦労にぶち込んでおいて、合格が取れないことに被害者ヅラして消耗する親。子はこのプレッシャーの中でよく頑張ったと思う。増田は産まれてくる子にそんな思いは絶対にさせたくない。
数回受けてようやく合格できるような学校では、彼はきっと苦労するだろう。2回目で受かった増田でも、地頭の悪さと学校への反発心が重なって勉強では非常に苦労をしたが、高2の秋に入った東〇ハイスクールで叩き直されてなんとか現役でそこそこの大学に進学し、今もそこそこの会社で正社員として働けている。つくづく中学受験なんて自分の人生に必要がなかったなと思う。親がどれだけ悲しそうな顔をしても、これだけは増田の中で揺るぎない事実なのだ。
最近思うんだけど、受験勉強って陸上競技とかに似てると思ってて…😟
100m走をやりたい、と思ったら、とりあえず部活とか入るじゃん
俺は自分で完全に自己管理できるし、自主練習だけでできるから、部活入りません、って人はなかなかいない…😟
仮に部活に入らないでも、まったく無所属の人間が自分で届け出て大会に出れるとしても、
自己管理で、ひとりで朝練して、ひとりで夕方遅くまで練習する、
効率的、効果的プランも自分で建てる、ってのは難しいわけよ…😟仲間もいないし…
同じように、塾に行くってのは部活動に参加するようなものだし、
スポーツに明け暮れた他に楽しいことがなかった青春でも良いという人もいるし、
それが嫌という人もいるし…
多分、あなたは部活動に参加しなくても、一人で孤独に練習して、自分で大会登録して、出場して、良い成績を収められちゃうタイプなんだと思う…😟
でも、自分は自己管理できないし、仲間というかライバルというか、誰かが横で頑張ってるのを見ないと、
なんだかんだ、塾に行ったのは良かったと思ってる。
高校受験は中3の1年だけだけどね…😟
大学受験は、高1から代ゼミみたいなところにちょくちょく講義を受けに行ってしまったけど、
正直、アレは本当に無駄だったと思っていて、勉強よりもっと面白いことにお金を使えば良かったと思ってる。
自分は地方国立大の理系、現役合格ではあるけど、そんなに頭は良くない。
別の某大学院に院試で合格したので、関東から関西に引っ越して、そこから国立の研究所にインターンしたりしてたけど、
芸能界みたいな所で働いたり、
更にドロップアウトして、中小零細ブラック企業でWeb開発したりして、
フリーランスになってもうまくいかず、現在に至る、なんか自分でも酷い履歴だな、おい…😟
俺も地頭が良ければ、自己管理がしっかりしていれば、塾に行かなくても、自分でペースメーカー、ペースメイキングか?できるんだろうけどねえ…😟
でも、塾に行ってたのは、トータルで考えると、集中して行ったのは中3の1年のみで、
高1~3は、ちょくちょくというか、ダラダラ通うようになってしまって、完全にお金の無駄だったと思う…😟
予備校の課題に完全に追いつけなくなって、課題をやらないまま講義に出席、当然予習してないから、その場で理解できない、
仕方がないので録音する機械を買って、カセットテープに講義をこっそり録音して、家でやるようにしたんだけど、
だから、高3は寧ろ予備校はそこそこに、参考書を絞って、同じ参考書をボロボロになるまで繰り返すことにして、
でも、当然参考書の内容と、実際に出る試験の内容の乖離はあるわけで、
色々試行錯誤した結果が、地方国立大レベルでした、残念!という…😟
そういえば、慶応SFCも受けましたよ、スーパーファミコンですよ、
なんか、考えるというより、計算問題みたいなのがいっぱい出た記憶がある、自分の年は…😟
凡ミス繰り返してて、あれも散々だったわ…
要約:俺は地頭がすごい
グーで鉛筆を持つ人で、名前書くだけで受かるような大学以外の大学入れた人っている?
中学までは地頭でなんとかなってもまともな高校の定期試験は頭が良いだけじゃ厳しい。
つまりある程度書く速さが速くなきゃ頭では答え出てても間に合わない。実質フィジカルも要求されてるんだよね。
でもグー持ちじゃ綺麗には書けてもどうやっても正しい持ち方で頭良い奴には敵わない。たとえば数学とか頑張っても中学と比べてもはるかに問題数多くて70点ぐらいが限界になる。
これで大学行ける?
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251114165021# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRbfPgAKCRBwMdsubs4+ SPoUAP9yI4Gq5K56fvlQcGA2WhqTpaErDAQJ6XFI85P/5zx3fgD9FnxNo+LV0ETN oTCh3EsZS/8fYpWTa7+S0D+G4RezbQg= =FXnl -----END PGP SIGNATURE-----
記憶は不明瞭だが、40年以上前、小学校3年生以降だと思う、夏休みの宿題を出したことが無い
日々の宿題もほぼやってなかったのではないか、やった記憶がまったくない
きっかけは覚えていて、夏休みの直前、朝顔の鉢植えが準備されたのだが、同級生のイジメで水浸しにされ
種を流され、その被害を先生に申し出たがなんらフォローがなく、朝顔の観察日記が宿題の一部であったが、全てに嫌気がさした。
(今の俺なら観察日記全ページ「〇〇君にイジメで種を流され発芽せず」と土の絵をリピートするだろう)
さて夏休みが終わり、全ての宿題を一切やっていないので恐らく叱られただろう、提出を促されただろうが
上記を言語化し論理的に説明する能力も術もなく、のらりくらり過ごしていたら数日で教師は諦めた
さらに両親は当時珍しく共働きで放任されており、さほど厳しく宿題提出を問い詰められることも無かった
その成功体験が俺の人格を大きく歪めた、怠惰で、先送りのクセがついてしまった
人のせいにしちゃイカンのはわかっている、責任をどうこう言うつもりはない、事実及び自己分析として書いただけだ
親が口うるさく言わなかった理由は、恐らく普通に成績が良かったからだ
自分で言うのもなんだが俺は地頭が良い、記憶力も良い。中学校でIQテストがあったがかなりスコアが高かったらしい。
大人なのだからそこまで自覚しているなら自己啓発なり、自己改善をすりゃいいのだが
問題は現時点に至るまで先送りで人生に致命傷を食らっていないのだ。
可愛い嫁がおり、利発な子供が産まれ、所得も、社会的地位も、友好関係もなーんも問題が無い、
だが、仕事や公的手続きの先送りグセが原因の小さなトラブルも起こしてしまうのだが、まぁなんとでもなる
問題は息子だ、親の俺がいうのもなんだが俺の遺伝子を受け継いで地頭は良い
問題は中途半端に利口ゆえに学校や勉強をナメてる、簡単に理解し覚えられてしまうから、
学校の授業が退屈すぎるのが苦痛だと言うてる、就学前からそうなるだろうと予想しあえて塾には通わせてない
しかしまだ低学年、少しづつ難しくなるから真面目にやれと警告はするのだが、聞く耳を持たない
そして問題は俺の遺伝子を引き継いで超絶先送り野郎なのだ、大問題
学童で済ませておけ、学校から戻ったらまずやれ、メシの前にやれ、風呂の前に済ませろ、
やらねぇ
結局寝る直前、最悪は朝起きてからやる
しばき回してやらせるという手もあるが、いかんせん、別に宿題やらなくても良くね?って俺だから説得力が無い
ってか宿題から逃げてる息子とFortniteやRobloxを一緒にやってるのが俺なんだからどうしようもない
テクノロジーが社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学の小川光教授が学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度や組織が適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学の素養をほとんど持たない修士課程の学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベルの学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識の価値、研究者の役割、そして「知性」そのものの定義を根底から揺るがす、まさにパラダイムシフトを象徴する出来事である。
この小川教授の寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーがブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念を分析する。そして、この出来事が象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これからの時代を定義する「AIネイティブ」なのである。
本セクションでは、話題の学生が象徴する「AIネイティブ」という新しい世代を分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考や研究の方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスそのものの革命を意味している。
この学生が実践した研究プロセスは、AIが方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程をAIとの対話を通じて進めている。
このアプローチの革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書の逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーがキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報を効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語でAIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワードや手法を引き出す「辞書の逆引き」を実践する。これは、人間と知識の相互作用における、根本的なパラダイムシフトである。
はてなブックマークのコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AIの活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAIに作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的な見解も示された。
この爆発的な進歩の可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存の専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。
AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念も存在する。特に、既存の専門家が感じる脅威と、AIの活用能力によって生じる新たな社会的格差のリスクは、真正面から向き合うべき構造的な課題である。
この問題の核心は、小川教授が吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブの若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性の価値そのものが、根底から覆されることへの動揺なのである。
はてなブックマークのコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIでレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人のアウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。
しかし、このレバレッジ効果は単なる個人の生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AIが能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値な仕事を独占し、社会の流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。
このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である。
AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価と責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文を作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。
彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学の素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性を自力で検証する術を持たなかったのである。
この学生の懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークのコメント欄でも多くの共感を呼んだ。
評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価・保証できない。」
専門知識の必要性: 「自分が知見の無い分野でのAIの判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識が必要なところ」
懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読は大事なわけです。」
そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人の肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値を判断する専門的な知見がなければ無意味なのである。
さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後の仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAIが設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。
この議論は、AI時代における専門家の役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。
東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家の時代の終わりを告げるのではなく、その役割と価値を根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合そのものではなくなった。
これからの時代に求められる専門家の資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。
未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである。
京大って聞くと、賢いとか地頭いいとか、なんか勝ち組みたいなイメージを持たれがちだけど、実際はけっこう限界あるやつが多い。外から見える華やかさと、中身のリアルはびっくりするほど違う。もちろん強いやつは強い。でも「京大=優秀」は単純化されすぎてる。
まず、普通に最低賃金スレスレでバイトして疲弊してるやつがめちゃくちゃいる。学歴だけ見れば社会から一歩リードしてるはずなのに、現実は夜にコンビニで働いて、帰って寝て、課題して、またバイト行って、っていうサイクルから抜け出せない。家計の事情で働かなきゃいけないパターンもあるけど、中にはなぜか惰性だけでそのループを続けてるやつも多い。
ここで問題になるのが、本人の戦略性のなさ。添削バイトとかオンラインで稼げる仕事は大学生でも余裕でできるし、時間単価は高い。理系でも文系でも、文章書いてフィードバックするだけで時給3000〜4000円になることも普通にある。それをコツコツやれば、資産運用の原資くらい作れる。そこから回せば、生活の足しにもできるし、時間も浮く。勉強も研究もできるし、自由度が増える。
なのに、なぜかそれをやらない。行動に移さない。冷静に考えれば、学習効果も時間効率も低い最低賃金のバイトにしがみつく理由はないのに、みんな同じ場所をぐるぐる回ってる。カゴの中のハムスターみたいな状態。ラットレースに入れてすらいない。周回軌道にいるだけ。社会的な成長ラインの外側で、ずっと同じ運動を続けている。
これを見てると、京大生の地頭がすごいというより、受験というゲームに最適化された個体が多いという方がしっくりくる。受験のフレームを外れた瞬間に、何をすべきか分からなくなる。指示待ちに近い。ルールのはっきりした場所では強いけど、自分で選んで自分で動くとなると急に弱くなる。やればできるのに、やらない。考えるより先に疲れてしまう。
同時に、社会に対する信頼も薄い。だから投資や事業に対して、漠然と恐怖を抱いている。やったことないから怖い。怖いからやらない。やらないから知識が増えない。この循環がずっと続く。結果、時間だけがこぼれていく。気づいたら30歳になり、積立もしてなければ経験もない。学歴が足枷に変わり始める。
資産運用に関しても同じ。大学生の時間なんて、ほとんどが余白。毎日3時間だけでも継続すれば、金融知識は勝手に積もるし、小さい額でも投じれば回り始める。京大生は平均以上の知識基盤があるんだから、本来はほかの層より成長速度が速いはず。でも、そこに踏み出さない。思考だけで止まる。実行が遅い。やれば分かることすらやらない。
で、極論を言えば、この構造の延長線上にJTCがある。就活で何となく大企業に滑り込み、キャリアの方向性を決めないまま時間を消化し、気づけば歯車の一部になってる。そこに危機感があればまだマシだけど、ないまま続いてしまう。受験の延長で生きようとするから、会社のロジックに飲み込まれる。自分で戦略を立てないまま、他人が敷いたレールに従う。
JTCが悪いと言いたいわけではない。問題は、自分で選んでいないこと。考え抜いた結果そこに行くなら良い。でも、なんとなく就活して、なんとなく入って、なんとなく働いていたら、大学名以外の武器が何も残らない。京大生という札は、最初の数年しか効かない。30歳に差し掛かると、スペックより再現性のある成果が求められる。そこが弱いと詰む。
結局、京大生は優秀というより、「受験が得意」なだけの人が多い。地頭が強いと思われてるけど、本当に強い層はその少し上のレンジ。受験で勝った後に、自分でゲームを作る側に回れる奴。そっちが本当の意味での地頭。だから、京大生の中でも、そこで分岐が起きる。受験脳から抜け出せるか、抜け出せないか。後者が圧倒的に多い。
学歴はただの札。札をどう使うかが本質。バイトで疲弊してる時点で、札を腐らせてる。添削で稼いで原資を作り、資産運用して時間を買う方が圧倒的に良い。それができないのは、勇気と習慣がないから。受験が終わった後に、自分で戦略を組み直せなかったから。そういう意味では、京大生は強くない。むしろ脆い。受験の外は曖昧だから、止まってしまう。
京大生ほど、合理的に生きればいいのに、非合理に留まる。データも知識も集められるのに、動かない。そこがもったいない。自分で道を作ればいい。札を使えばいい。周回軌道にいる暇はない。
チェスや将棋強い人はルール覚えた瞬間もう強いからね。駒の動きが決まってるせいで、地頭が良くて読みの精度が生まれつき高い人が無双する。
対して囲碁はテクニックを身につける前は意思の強さがものをいうとこがある。つまり、相手の石を無理矢理定位に押し込めたり、どんどん切断してくような人が勝てる。
神社の儀は国家の宗祀なので、一人一家が私有すべきものではないことは勿論のことです。ただ中古以来、大道の陵夷に従って神宮社家の輩中には神世相伝由緒の向きがあると言え、多くは一時補任の社職らがそのまま沿襲しており、あるいは、領家地頭の世襲によって、終に一社の執務をしています。その他、村邑の小祠の社家等に至るまで、すべて世襲となっています。社入をもって家禄として、一己の私有と相なっています。儀は天下一般の積習なので、神官は自然に、士民の別種と相なります。祭政一致のご政体に相もとり、その弊や官も少なくないので、今般、ご改正になります。伊勢両宮の世襲の神官を始め、天下大小の神官社家に至るまで、精撰補任とする旨が、仰せ出されました。
当時の官僚だったら、大衆相手にこんな丁寧な説明しないし、理解は見せないし、嫌味だし、相手が知らない言葉で攪乱しようとするからな。
例えばウクライナ・ブチャで女児を犯して殺して地下室に投げ入れた兵士は(どうせ当人もとっくに使い捨てられてこの世にいないのだろうが)、自分のやったことを思い出して後悔しなかったのだろうか。
そういうムチャクチャな虐殺行為というのは強烈な殺意や血の酩酊の狂乱の中で行われるのではなく、疲れた頭で投げやりにダラダラと行われる。
モノクロの集団銃殺の映像。撃たれるために壕の中に進む大勢の女子供と監視役の(そして実行役の)兵士たちは盛り上がらないイベント会場の群衆とバイト係員のようだ。
間違いなく兵士たちはあんまり何も考えてない。思考停止して冷酷な殺人ロボットに成り切ろうとしてるとかではなく、タイミーバイトみたいに「ダリーな。でもまあちゃっちゃと片付けないと」としか思ってないだろう。
宝飾店を営む家に押し入り、家人を拷問して一生寝たきりにしたトクリュウのガキがなんか「俺みたいになるな」みたいな安い反省文を書いて文才が地頭がとX民に絶賛されていた。
そうやって過剰な反省ポーズに酔うことで自分を誤魔化すこともできる。
そもそも罪悪感は、他人に責められるまでは眠っているものだという。
人間は他人を踏みつけても自分はそんなに痛くない。だからこそ“ついつい”レベルでどんな残虐なこともやってしまう。自分から、生きるに差し支えるような悔恨に駆られるほど人間は“人間的”ではないという。
しかしやってる時は大して何も考えてなかったり、自己陶酔の材料にしたり、記憶を捻じ曲げて合理化するとしても、それで一生OKなのかどうか。
子供を殺した感触、何の恨みもない相手の頭蓋を割った感触を時折まざまざと思い出すことはないのか。あるいはその事実は認識しているのに、自分が本当にその時何を考え何を感じていたか曖昧になり、今現在の自分が何ものかわからなくなったりしないのか。
そして、自分が根底から無価値な根無し草のような存在に思えて不安に苛まれる事はないのか。
(明らかに自分に非があって謝れないのってむしろそういうことなのでは。最後のダメ押しになってしまうから)
都合の悪い記憶を脇に押しやり切り捨てようとしても、それは自分の身を切り捨てて小さく削れていくような気がしないのか。
フィクションでは、そういう身を切るような悔悟の描写はゲップが出るほどありふれてる。でもそいつらほぼ間違いなく、法はともかく俺は許すぜと観客が思うような、やむにやまれぬ成り行きで人殺して、それなのに自発的にめちゃくちゃ悩んでるというナイスガイなんだよ。
あるいは反省の挙句、ノミでトンネル掘って諸々チャラになりましたとか、宗教に目覚めたりとか。
またあるいは本当に獣欲に手足がついただけのモンスターも稀には実在する。「血と骨」の親父みたいな。
そんなんはどうでもいいんだ。
単に命令されたからとか誰も見てないからとか私利私欲のために他人に地獄の苦しみを与えた人でなしが(あるいは、ある意味ではひどく凡庸な人間が)、本当に何を考えて、そのあとの人生を送るのかが知りたいんだ。
パフォーマンスでなく、誰にも知られない場所で「自分のような人でなしにはこのくらいの罰がふさわしい」とひとり腹切り刻んで苦しみ抜いて果てたやつがいたとしても、わからないのだが。
私はむしろ人でなしのひとりとして同類の声が聞きたい。あるいは人でなしに人生をゆがめられた人が「人でなしが本当に考えること」に触れて何を思うか知りたい。
もちろんここでじゃないよ。これは長いメモ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「罪と罰」読んでないがあらすじとコミカライズは読んだ。結局追い詰められてゲロするわけだが法的な裁きを受ける受けないの話はどうでもいいのである。大虐殺の実行者も命令者も往々にして何の罪にも問われない。そのうえで何を思うかあるいは思わないか。
「撫順帰り」とかで人でなしの大反省文がいくらでも読めるが、あまりにも政治的に汚染されている。全部嘘だとか事実だとかいう話はしていない。
戦争体験を語り継ぐ戦後文化の中で再構成され奇形進化した“芸能”に興味はない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国家は若者をそこに閉じ込め、汗のひと滴まで規律に換え、忠誠と理屈を教えこむ。
その多くは途端に風に晒された絹糸のようにほどけてゆく。
はてなの人々が軽々しく「元自衛官」と呼ぶ者たちは、たいてい曹士である。
任期を終えて静かに去った「満期退職組」――彼らは敗者ではない。
「お勤めご苦労さまでした」と一礼し、
「戦が起これば、また呼んでくだされ」と笑う、その明朗さ。
――ところが、である。
この男は、幹部候補として国費を投じて育てられながら、職場という小さな戦場で立ちすくみ、やがて退却した。
国費によってこれでもかと手厚く育てられ、
いかにもまずい。これは、かなりいただけない。
彼らには、徹底的な庇護と手厚い育成が施されている。
現場の老曹らは、陰に陽に彼らの尻拭いをしながら、「まあそのうち慣れるやろ」と呟く。
それを、この男は「部下が嫌味を言ってくる」と嘆いたらしい。
――ああ、これを俗に「空気が読めぬ」と言う。
――はてなの皆さん。
この男は、諸君らが想像する「誠実で勤勉な元自衛官」ではない。
税金で温室栽培されたのち、自ら花を枯らした哀れなドロップアウトである。
それを自嘲気味に「禊ぎ」などと言っておるが、要するに甘えである。
彼は、おそらく叱られたかったのだろう。
それを禊ぎとして再出発する――そんな芝居を待っていた。
地頭がよいというのなら、せめてその才で汗を流せ。
さもなくば、君はこの国のどこにも居場所を得ぬだろう。
そして、その文明の片隅に、彼の名もまた、
地頭は悪くないらしい。
防大卒の奴は使えないよ。
んで大部分は満期退職組。
1国民として「お勤め上げあざーっす!あっ、でも戦争始まったらワンチャン再投入とか駄目っすか?でへへ」って感じ。
一方の元増田、防大出てるのに職場で適応できずに逃げただけの奴、これはかなり不味い。
滅茶苦茶手厚く育ててもらってる。
幹部としてこき使われてるつれーとか言っても結局はベテランの人らが陰日向で舌打ちしながらチョコチョコと手伝ってるわけよね。
それをこの増田は「部下が嫌味言ってうぜー」って態度。
あら、酷い。
はてなーは知らんのやろが、自衛隊の教育ってつまりは「入校」、よね?
「入校」ってのはよーするに「長期研修」、よね?
上司が長期研修しまくっていなくなる間部下がひたすらケツを拭き続けてたらそりゃ「いやー辛いっす」ってなるよ。
どうせさ、防大だので一番辛かったとき1日2時間しか寝てなかったわーマジ寝てなかったわーとか言いながら現場では残業2時間ぐらいで「残業代もつかないんだから早く帰らなきゃ損だよ!きみもかえろう!」とか言って帰ってたのとちゃう?
お前が出世コースに進むためのケツ拭くためにちまちま仕事手伝ってる横で徹夜態勢自慢だけして結局すぐ帰るやつとか普通にカスだから。
はてなのみなさーん。
この子は貴方方が尊敬する「真面目でちゃんと働く誠実な元自衛官」とは別の人種ですよー。
みたいに叱られて禊にしたかったんだろ?
甘ったれが。
「地頭がいいですね」と言われるたびに、どこか引っかかる。
地頭という言葉は、しばしば“努力を見ない称賛”として使われる。
結果だけを切り取って、その背景にある思考の筋トレや経験の積層を無視してしまう。
まるで一瞬の走りを見て、「もともと足が速いんだね」と言うように。
⸻
人の能力差なんて、たいていは小さい。
ではなぜ「地頭がいい」「悪い」と言われるのか。
それは結局、
例えば新しい環境へ向かうための不動産契約の経験を通じて、別の契約書理解への転用ができるようになる。
⸻
人の歩いてきた道を見ずに、結果だけを才能と呼ぶのは、
でも、僕自身や周囲の多くの人はそうではない。
努力して考え、失敗してまた考え、
そうやって“11秒台”まで辿り着いた人たちだ。
⸻
それが極地だ。
そんな人に向かって「もともと足が速い」と言うのは、
⸻
「足が速いね」と言う。
それと同じように、
自分の思う地頭信仰って学歴信仰とほぼイコールであって、具体的に言えば18歳の現役時に入った大学の偏差値で人間の価値が決まり
その後の努力を学歴ロンダリングという「ズル」として捉える考え方の事だと思ってた
え、全然違うと思う。
地頭の良さという概念は、地頭が良ければガリ勉しなくとも良い大学に入れるという概念であって、地頭の良さに出身校ブランドは必須じゃないか?
地頭がよい、というのは学校歴と異なる評価軸です。東大卒や京大卒を前にして「地頭がよい」とあまり言わないのではないでしょうか。むしろ、単に「頭が良い」と言うはずです。また、大学教授などに「あの人は本当に地頭がいい」とは言わないはずです。世間的に知性を認められている領域に対しては「地」をつける必要がないからです。
いや、寧ろ東大や京大卒こそ「地頭が良い」と言われているイメージだが。元々賢く産まれたという内容のまとめがバズっていた人達も東大卒。
いや、日本人に限らないのかもしれないが。
このまとめといい、
人間の能力(特に知能面)は生まれつき決まっており、生まれつき劣っている人間はどれだけ努力しても無駄だという考え方。いわゆる「選択と集中」を人間にも当て嵌める考え方だ。
庶民は身の丈を知り、縮こまって暮らせという教えを浸透させようとする声が非常に強い。
この人達からしたら、浪人して京大医学部に入った坂口志文先生のような人も
「足りないIQ を努力と勤勉さで埋め合わせたせいで一生苦労し続ける層」なんだろう。
坂口先生のようなタイプが評価されたのもかつての日本が努力で挽回できるという感覚が根強かったからだろう。今ではそれは通用しない。