はてなキーワード: キャッチコピーとは
近年の反AI活動に熱心なイラスト界隈の人がサイトに掲載されているイラストや写真をしらみつぶしにチェックしてAIっぽいものを見つけては大騒ぎしていますが残念ながらAIはイラストや写真だけではありません。イラストの次に使われているのが音楽でしょう。これは広い意味の音楽でボタンを押したときやドアを開けるときの細かな効果音を含みます。それらにAIが使われていることに気付いてないのか自分の推しに関係ないジャンルであればどうでもいいと思っているのか知りませんがそっちはあまり騒ぎになっていないようですね。というわけで今回はそれら以外の場所で使われているものを紹介します。
例えば雑誌です。特に女性誌は男性誌と比べてページ数が圧倒的に多く手間のかかる書籍でした。おすすめレストランの紹介ページであれば以前は人間がレストランに写真を撮りに行きシェフにインタビューしてそれらを持ち帰ってICレコーダーを聞きながら文字起こしをして枠を選んで写真と文章をはめ込みキャッチコピーを乗せて上司に提出してチェックしてもらい無事通過したら印刷所に送って製本するといった工程で作られていました。しかし現在は前半の工程の多くはAIで自動化されています。大手のネットニュースの一部ではAI化していることを明記していますが紙の雑誌はそんなことをいちいち書いていません。誰も気にしないからです。例えばYouTuberが企画を考えるのが面倒なのでchatGPTに決めてもらったということをたまに発言していますがだからといってそれにクレームを言う人はほとんどいません。そんなところに人間の温かみなんて求めてないからです。コスト削減や納期短縮ができるのであればそれを使わないという手はありません。取引先との雑談で色々なところからAIを使っているという情報は入ってきます。むしろ「この部分はAIを使えば納期が半分になりますよね」などとダイレクトに指示されることすらあります。そう考えるとAIに反対している人たちの多くは学生や無職なのではないかと思ったりしています。
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第5章は、タタルスキーが 広告コピーライターとしてのスキルを活かし、初めて“消費者だけでなく政治・社会”に影響を与える可能性 を感じる章です。
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広告代理店での仕事は順調に進み、タタルスキーは次第に自信をつける。
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“売上が落ちている高級飲料” がある。
• タタルスキーはコピーだけでなく、広告キャンペーン全体を企画することに
具体的には:
• 「消費者に“自分が成功者であるかのような錯覚”を与える」
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• タタルスキーは初めて、自分のコピーが個人の購買だけでなく、社会全体に影響を与える可能性を知る
これが後に、タタルスキーが国家プロジェクトに関わる伏線になる。
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• 人々は「物語」を信じることで行動する
• 広告は商品を神格化する手段であり、現代の“新しい宗教”のようだ
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代理店での仕事に慣れてくると、タタルスキーは金銭的な快感を覚える。
• 社会的地位が少しずつ上がる
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• しかし、現実世界ではそれが強力な権力手段になることを自覚
3. 未来の予感
• 広告技術は個人消費だけでなく、政治や社会操作にも応用できる
• 自分の才能が“国家レベルのイメージ戦略”で試される日が来るかもしれない
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◆ 7. 第5章の象徴的整理
項目 内容
主要イベント タタルスキーが広告の現実操作力に気づき、政治的応用の可能性を意識する
物語的役割 タタルスキーが“個人消費から社会・政治操作へ”視野を広げる章
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第5章は、
広告の魔術的力を自覚しつつ、政治や権力に接続する兆候を掴む重要な章
です。
🟥 第2章:広告業界への初接触 —— “イメージの魔術”との出会い
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第2章では、タタルスキーがついに広告代理店の内部に初めて足を踏み入れる。
ここで彼は“ソ連とは完全に異質な、新しい論理に支配された世界”と直面する。
が集中的に描かれる。
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彼の頭は混乱する。
• 誰もが金を追いかけている
“これは別の世界だ。
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• “ブレーンストーミング”というよくわからない儀式
タタルスキーには、
として感じられる。
ここで広告代理店が“新時代の錬金術工房”であることが、読者にもタタルスキーにも伝わる。
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テスト内容
ある外資系豆菓子(ピーナッツやスナックなど)のキャッチコピーを作れ
というもの。
この“軽薄さ”はソ連で詩を学んだ彼にとって屈辱的に思えるが、
彼はしぶしぶ挑戦する。
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タタルスキーは一瞬、“こんなことに意味があるのか?”と躊躇する。
ところが──
これらが混ざり合い、驚くほど冴えたキャッチコピーを即座に生み出す。
※ ここは作品でも非常に象徴的な場面だが、著作権上原文を示せないため、構造だけ説明すると:
という、タタルスキーならではの“ペレーヴィン的飛躍”が起きる。
「こいつは才能がある」 と即断する。
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• 「なんだこの感覚は?」
• 「ロシア的だが新しい」
ここで読者にはっきり伝わるのは:
という逆説。
旧世界では役に立たなかった才能が、
新世界では突然“魔術”に転じる。
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“言葉の目的が根本的に違う”という感覚が、彼を魅了し始める。
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◆ 7. タタルスキーの内的変化(この章の核心)
彼は気づく:
これは後に
タタルスキーはまだそれに気づいていないが、
この章で彼は既に“新しい神官”としての道を歩き始めている。
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項目 内容
2026新語・流行語大賞のノミネート語が発表された。本記事では、選出された30語の中から注目の用語について、その概要と背景を解説する。
【見せ善】
お笑いコンビ・さや香の新山が、被災地でのボランティア活動の様子をSNSに投稿した際、「これは見せ善です」とハッシュタグを付けたことが発端。これまで著名人のボランティア報告は「売名」「偽善」と批判されがちだったが、自ら「見せ善」と名乗ることで批判を逆手に取るスタイルが称賛された。以降、Z世代を中心に、ゴミ拾いや席譲りなどの善行をSNSにアップする際の「炎上回避の免罪符」として定着した。
物価高や増税が続く中、見栄を張ることを完全にやめた開き直りの精神状態のこと。ファンタジー作品のゴブリンのように、他人の目を気にせず「安いものをむさぼる」「服は着られれば何でもいい」「欲望に忠実に生きる」というスタイル。かつての「丁寧な暮らし」の対極にあるが、その生命力の強さが逆にクールだと捉えられた。
【屁】
トップアーティスト米津玄師が突如リリースした配信限定シングル『屁』。自身の放屁音をサンプリングし、重厚なビートと融合させた前衛的な楽曲は、瞬く間にYouTubeで1億再生を突破した。「屁すらも芸術に変える男」と評される一方、全国ツアーではマイクに臀部を向け、生の音を集音させるパフォーマンスも大きな話題となった。
【爆盛り葬儀費】
多死社会の進行に伴い、葬儀業界での競争とトラブルが激化。格安の基本プランで集客し、遺族の混乱に乗じてオプションを過剰に追加させる手口が横行した。最終的な請求額が当初の見積もりから数倍に膨れ上がる様を、飲食店のデカ盛りメニューになぞらえて揶揄した言葉。
【食べる蕎麦湯】
健康志向とフードロス削減の観点から、これまで廃棄されがちだった「蕎麦湯」がスーパーフードとして再注目された。ゼラチンや寒天で固め、黒蜜やきな粉をかけた「食べる蕎麦湯」がコンビニスイーツとして爆発的ヒットを記録。ルチンが豊富で腹持ちが良い点が、ダイエット中の若者層に支持された。
【野獣圏内】
気候変動によりクマ・イノシシ等の動物の都市部進出が常態化したことを受け、政府が新たに策定したハザードマップ上の区分名称。正式には「特定野生鳥獣高頻度出没区域」だが、環境省の啓発ポスターで使われた「ここはもう、野獣圏内。」というキャッチコピーが一部国民に衝撃を与え、そのまま一般名称として定着した。
【もう走らなくていい】
北米3カ国共催のサッカーワールドカップにて。日本代表のFW前田大善が、予選リーグから決勝トーナメントまで驚異的なスプリント回数を記録し続けた。準々決勝での敗退が決まった瞬間、実況アナウンサーが涙声でかけた「もう走らなくていい、大善。胸を張れ」という言葉が国民の涙を誘った。過酷な労働環境にいる人への労いの言葉としてもネット上で広く使われた。
インドネシア原産の犬種。人気K-POPアイドルが飼い始めたことで日本でも知名度が急上昇した。その独特な語感が小中学生を中心に面白がられ、実物を見たことがない層にまで名前だけが独り歩きして大流行した。
【無敵外交】
国際会議において、自国の主張だけを一方的にまくし立て、他国の批判や質問を一切受け付けずに退席する強硬な外交スタイルのこと。会議で人の話を聞かない上司を指すビジネススラングとしても使われた。
メジャーリーグで前人未到の記録を更新し続ける大谷翔平に対し、日本の小学1年生の野球少年がテレビのインタビューで言い放った一言。その純粋さとあまりのスケールの大きさが愛され、何かに挑戦する際の決まり文句としてミーム化した。
最近の株価高騰を見て、「これってAIバブルでは?」と思う人が増えている。
特にNVIDIAやAIスタートアップの急成長、そして「AIを使えば何でも自動化できる」という空気。
ただし、単純な再演ではない。
AIバブルの構造は似て非なるもので、「より上流の層(インフラ)」に資金が集中している。
以下では、まず現在のAIバブルの仕組みを整理し、そこからドットコム時代との比較を行う。
AI関連企業は、今まさに''キャッシュを燃やして''先行者利益を狙っている。
GPUや電力に莫大な投資を行い、巨大モデルを作って市場を押さえようとしている。
AI分野では「先にモデルを作った者が勝つ」という物語が語られている。
蒸留や模倣学習によって、他社のモデル挙動を再現することができる。
結局のところ、''差が出るのはデータの独自性と継続的な更新力''だけだ。
つまり、先行者利益は短命であり、参入障壁はそれほど高くない。
「利用量は多いが利益は少ない」という、ドットコム時代の“アクセス至上主義”とよく似ている。
''使わせること自体が目的化''し、収益モデルが後回しになっている。
一部の処理をスマホや端末上で行う「エッジAI」に期待が寄せられている。
確かに通信コストやレイテンシは減るが、学習や大規模生成は依然としてクラウド依存だ。
結局は''ハイブリッド化''が進むだけで、抜本的なコスト解決にはならない。
| 観点 | 1999年(ドットコム) | 2025年(AI) |
|---|---|---|
| キャッチコピー | 「インターネットが世界を変える」 | 「AIがすべてを変える」 |
| 成長ストーリー | 全ての商取引がオンライン化する | 全ての業務がAI化する |
| 投資マネー | IPOラッシュ、.com銘柄に集中 | GPU、AIスタートアップに集中 |
| 優位性の誤解 | ドメイン取れば勝てる | モデル作れば勝てる |
| 評価指標 | アクセス数 | トークン数 |
どちらも「未来の利益を現在価値に織り込みすぎた」点で共通している。
技術の進歩は本物だが、''経済モデルが未成熟''という構造が同じなのだ。
ただし、違いもある。
1999年のバブルは「利用者がいないのにサービスを作っていた」時代だったが、
2025年のAIは''実際に利用者が存在する''点が大きい。
その意味では、今のバブルは「空想」ではなく「過熱した期待」である。
問題は、''どこまでが現実的な成長なのか''を見極めるフェーズに入っていることだ。
1999年のバブルが崩壊してWeb 2.0が生まれたように、
それが''2005年の前夜''なのか、''2001年の崩壊直前''なのかは、
それは悪いことではない。
ドットコム時代の残骸からGoogleやAmazonが生まれたように、
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希望があれば、「もう少し皮肉っぽく」「もっと冷静に分析風」などのトーン調整もできます。
どんな雰囲気に寄せたいですか?
マイクラだって映画化したんだから、弱者男性の映画くらい余裕だろ。
ブロック積んでゾンビ殴るだけのゲームがハリウッド行ったんだぞ?
だったら、「生命の実を食べて永遠の命を得た弱者男性」の映画なんて秒で撮れるだろ。
キャッチコピーは「それでも彼らは生きる」。
この時点で観たい。
物語は、永遠に生きる弱者男性たちが、自分たちの“固有能力”を使って世界の裏で生き延びる話。
テレパシーで社会を監視し、念力で差別をねじ伏せ、時空を超えてもなお孤独。
でもな、そこまでやっても女は下方婚しないんだよ。
「生命の実」を食べた代償に、誰にも愛されない呪いを背負ってるんだ。
本能的に。
元から本人がなりたくてアイドルになったのではなく、専業主婦だった母親が離婚に伴い芸能事務所を立ち上げて一旗あげようとしたので手伝いのため渋々、という流れだ
その直前まではるかぜちゃんは離婚によるゴタゴタや母親主導の裁判沙汰が原因で両親のLINEをブロックし絶縁しており、突然起業家となった母親との和解のためにはアイドルになるしかなかったのだろう
「推しの子の有馬かなのモデルがリアルアイドルに!」をキャッチコピーにして、衣装費用のためのクラファンは100万円を突破した
アイドルデビューから1年半ではるかぜちゃんが引退宣言をしたのは、「ミスアキバ2026」の結果を受けてだろう
一回戦は、秋葉原の対象店舗で700円ごとに1枚もらえる投票券による人気投票だった
かつて発言するたびに数万いいねを叩き出し、すぐさまネットニュースになるSNSの女王だったはるかぜちゃんだが、ネットを離れた現地投票では6票しか入らなかった
1位は1200票を超えており、続く上位勢は数百票
ミスアキバは次はライブ会場で現地投票をするそうで、6票のはるかぜちゃんも進出できる
修辞学的言説と科学的言説はまったく違う。
アジテーションなどの修辞学的言説に対して、科学的な立場から批判しても噛み合わないのは当然で、
そもそも立っている地平が違うのだ。
ある政治的立場での正しさの絶対性を前提として、他人にその正しさを受け入れさせるのが修辞学的言説であり、
その言説は全方位からの反証に対して開かれている必要はない。単に「政敵」(あるいは仮想敵)が行いそうな反論を潰せる準備があればよい。
感情的であることはマイナスどころかプラスですらあり、修辞的装飾的で内容に乏しくてもそれが効果的であれば意味があり、論理的整合性などにさほど価値はない。
(閑話)
驚くべきことに、日本において評論家とされる人達は、どちらかというと「修辞学的言説」を得意とし、そのことで評価されていたりする。吉本隆明、柄谷行人、浅田彰、東浩紀…、感傷的な文章と、都合のいいチェリーピッキング引用、そして類稀なキャッチコピー能力だけで“批評”を行ってきた人々。
(閑話休題)
念のため言っておくが、これは修辞学的言説に対して、科学的言説のほうが優れている、という主張ではない。
それぞれは噛み合わないし、活躍するべき場所が違う、という話だ。
フェミニズムというのは科学的学問ではなく、政治的(修辞学的)学問であり、そこで客観的妥当性が軽視されるのはある意味仕方がないことなのだ。
上野千鶴子が草津町長に謝罪したのも、謝罪という形を取ることが、最も効果的に彼女の主張を敷衍させやすいと判断したからであり、今後彼女が客観的なデータなどに基づいてのみ発言するという“変節”ではないだろう。
アジテーションを客観的妥当性から批判しても意味はないし、アジテーターに科学的態度を求めることは尊大な間違いである。
そのことにやっと気づけた。
水で戻さずそのまま食べると、節分の福豆を食べてる気分になるのだ
さっそくトマトジュースと一緒に鍋に入れてその中で煮込んでみると、なるほど食べてみれば確かに加熱された挽き肉の食感なんだけど、肉の味がしないのと、トマトジュースで作った汁から節分の福豆みたいな味がする
あと、メーカーのサイトの商品紹介ページにあるノンギルトというキャッチコピーが気になる
もちろん、ちゃんと紹介ページを読めばギルトというのは脂肪分を採ることに対する罪悪感を指しているとわかるのだけど、代用肉が今日まで辿った経緯からいって、まるで肉食そのものをギルトであると公言してヴィーガンの排他性・攻撃性を後押ししているように思える
などと考える程ナイーブじゃないのだけれど、往年の特撮ファンからするとどうしてもノンマルトを連想して引っかかってしょうがない
”ゲッ!無能の恐怖!”との一致はありません。
無能の鷹』の第2話で使われたセリフであり、無能と感じる上司に対する主人公の心の叫びを表したものです。このセリフは、同作のキャッチコピー「ゲッ!無能の恐怖、ここに極まる。」としても知られており、単なる驚きではなく、能力の低い人物に囲まれることへの精神的苦痛と恐怖を表しています。
詳細
作品とセリフの文脈: 『無能の鷹』は、才能豊かな主人公・鷹野が、能力の低い人々が集まる会社で直面する葛藤と成長を描いた作品です。第2話で鷹野が発した「ゲッ!無能の恐怖!」というセリフは、彼の置かれた状況の絶望感と、それを表現するユニークな感性が話題となり、SNSなどで広がりました。
https://pocket.shonenmagazine.com/title/02125/episode/375055
”ゲ!無能の恐怖!”
”ゲ!無能の恐怖!”との一致はありません。
このゲーム、「決着まで3分のリアルタイム推理バトル」ってキャッチコピーにあるんだけど当然3分じゃ終わらないんだよね。
攻撃と回復があるから下手したら延々泥試合になってメチャクチャ時間かかる事があるの。
このゲームって何回も試合して素材や経験値貯める仕様だから1試合に時間かけてたら話にならないんだよね。勝っても金箱+1されるだけだからそこに時間と精神力をつぎ込むメリットが無い。
なので申し訳無いけど、最初の部屋で死んだのにザコ放置して何もしない光側プレイヤーとか、ボス戦で延々泥沼試合する光側プレイヤーに出会ったら切断してる。
切断しても敗北扱いになるだけだから、どんどん切断してゲーム修正させた方が良いよ。時間制限付けて時間切れたら判定にしてくれって公式に要望も送った。
レート気にしてるプレイヤーとか、何時間使ってでも絶対勝ちたい人ってのが一定数居るので、「これは何回も対戦して素材を集めるゲームで、勝ち負けは重要じゃないんだよ」ってのが根本的に判ってない人が居る。
イリヤの空、UFOの夏という同名のライトノベルを原作としたアニメの第1話の事である。
避難訓練を本当の空襲と勘違いした伊里野に主人公がシェルターに連れ込まれ二人きりで出られなくなってしまうというシチュエーションだ。連れ込まれる過程においてもアニメ版では伊里野という人間の行動として不足があるのだがこれも今回はどうでもいい。
問題はシェルター内で本当に敵の飛行機やミサイルが来たわけではなかったということが分かった後に二人で携帯ゲームで遊ぼうというところである。
原作では遊び方をレクチャーするときに伊里野の両胸がぺったりと背中で感じられて伊里野が話しながらうなずいたり首を横に振ったりするのが感触でわかるような状態でゲームを進めていくうちに白熱して更にブラのワイヤーが背中に食い込むくらいの力で押し付けられ顔同士も密着する…という状態になる。
それがアニメではゲーム機を取り出すところからシーンが飛んでいきなりゲームオーバー直前だ。映像でも一応片胸が背中に当たってる様子は確認できるがもうそれだけだ。
これはどういうことか。
この主人公の今後について性欲が動機じゃないのかと読者を悩ませるためにも必要なシーンだったはずじゃないのか。
なんだったらそのあと制服をはだけさせてブラもずらして乳首を見せたりしているのに一体何を気にしているのか。
もそもこのアニメは原作とアニメで起こる出来事の順番がシャッフルされており第一話だけでも防空訓練の日程はヒロインである伊里野が転校してきた始業式翌日だったのがアニメでは当日すぐに実施されていたり水前寺が伊里野を勧誘に来るきっかけやタイミングが違っていたり、シェルター事件の直後に友人に囃されながら言う「ラーメンおごってくれ」が原作では違う場面で使われていたがCMでキャッチコピーとして使われていた「舐めてみる?電気の味がするよ?」に対応したのか「電気って味がするのかな?」に置き換えられそれが第一話のラストシーンになっていたりするのだがそんなことはどうでもいい。ノベルの文章とアニメの映像では魅せ方やどう見せたら面白いかというのは違うのであり原作を再現することが必ずしもいいアニメ化ではないからだ。
だが本件は改変ではなく、確かにあったはずのことだが描写がされていないのだ。
イリヤという謎の女の子と二人きりになり思わぬ体験をする、という部分でなぜこういうことをするのか。なぜ同じく飛ばされたみんなでボーリングをするエピソードのようにドラマCDで補完したりとかしてくれなかったのか。
これだけだと何の話かわからないかもしれないので公式チャンネルの第一話を置いておきます。
建物が建設中でカバーかかってるところに「この家は地震から大切な家族を守る避難所です」って書いてあったから、ほー新しい避難所が出来るんだなと思った訳。
でもそうだとしたらここでいう家族とは何かってなる。その地域一人一人の世帯みんなが避難することを想定していてその世帯を家族と表現してるのかなとか考えた。
でもだったらそもそもこの「家」はって表現もちょっと違和感ないかってなる。まあそこは粗の範囲だろうということでひとまず解釈で行くことにしたんだけど、結局カバーとれたらただの個人宅っぽかった。
「この家は~避難所です」ってキャッチコピーとして上手いか?誤解を生む表現じゃないのか?自分がおかしいだけ?
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