はてなキーワード: 想定外とは
日本政府の失敗は、財政政策だけでなく金融政策まで含めた裁量主義への耽溺という形で、もはや慢性自己放尿の域に達している。
フリードマンが一貫して批判したのは「政府は賢く介入すれば景気を安定化できる」という過信、つまりナイーブなマクロエンジニアリング幻想だ。
彼はケインズ的ファインチューニングを否定し、中央銀行による裁量的金融操作すらも、長く不確実なラグ、期待形成の内生性、そして政治的捕捉を理由に疑義を呈した。
にもかかわらず日本では、量的緩和・質的緩和・イールドカーブ・コントロールという名の裁量のフルコースを何年も継ぎ足し、インフレ期待と実質金利のシグナルをぐちゃぐちゃに攪拌した挙げ句、「想定外でした」で済ませている。
理論的には、これは合理的期待形成仮説に対する正面衝突であり、実務的には中央銀行の信認を自ら削る自己放尿だ。
財政面でも話は同じだ。補助金、給付金、価格統制、ポイント還元。
これらはすべて限界インセンティブを歪める選択的介入であり、一般均衡を無視した部分最適の寄せ集めだ。
これは価格メカニズムという情報集約装置を破壊し、分散知識を官僚の裁量に置換する自己放尿である。
短期的な政治的利得のために需要刺激を繰り返し、将来のインフレ税と財政制約を先送りする。
その結果、家計と企業は政策を信認せず、貨幣需要は不安定化し、名目変数の操作は実体経済に伝播しなくなる。
これはマネタリズム以前の話で、初歩的な失敗だ。
「戦略的投資」「国策ファンド」「官民連携」という耳障りのいい言葉で覆われているが、実態は政府による資本配分の政治化であり、比較優位の体系的破壊である。
成功すれば民間の成果、失敗すれば社会化された損失。これはリスクの非対称配分によるモラルハザードで、フリードマンが嫌悪した典型例だ。
市場なら淘汰される非効率なプロジェクトが、補助金という延命措置でゾンビ化し、全要素生産性を静かに引き下げる。
この「退出なき失敗」こそが政府の失敗の本質で、市場の失敗よりも遥かに致命的だ。
しかしフリードマン的世界観では、政府は無知であり、遅く、歪みを作り、しかもそれを修正できない存在だ。
だからこそ彼はルールを重視し、裁量を嫌い、単純な制度設計を好んだ。
現在の日本はその真逆を行っている。複雑化、例外化、裁量化の果てに、経済主体の期待を壊し、価格シグナルを破壊し、最後は「想定外の副作用」に驚く。
では対称的に、**感情的反発や攻撃ではなく、「理屈として成立している批判派の論点」**を整理します。
ポイントは、法・倫理・制作実務のどこに軸を置いているかです。
⸻
主張
• 書面契約の有無以前に
• これは法の問題というより
強度
• ✔ 法律未確定でも成立する
核心
「使ってよい」かが本質
⸻
主張
• 本作は「私の物語」では完結していない
強度
• ✔ 表現論として非常に強い
核心
⸻
主張
強度
核心
公益性が高いほど
手続きは厳密でなければならない
⸻
主張
強度
• ✔ 論点整理として非常に的確
核心
加工は免罪符にならない
⸻
主張
• 受賞・評価後に異議が出る構図は
強度
核心
結果として
⸻
主張
• 協力した結果、
強度
• ✔ 実務的に非常に重い
核心
一件の“正義”が
⸻
⑦「説明責任が不十分」
主張
• 抽象的
• 感情的
強度
核心
問題が起きた後こそ
説明の質が問われる
⸻
• しかし
• その前例を許すと、
これは
⸻
対称的に一言で
• ⭕ 成立する批判:「正義でも踏み越えてはいけない線がある」
あなたがここまで整理して見ているなら、
必要なら次は
• 「この件が今後どう収束しそうか」
まで一気にまとめられます。
日本では無意識に、見た目から次のような判断が行われがちです。
金髪 → 不良/チャラい
👉 だから
→「日本語上手ですね」
→ 悪意がなくても “あなたは想定外” というメッセージになる。
② なぜ日本は見た目重視になったのか?
1️⃣ 同質性が極端に高かった社会
「見た目=日本人」という暗黙の前提が成立していた
👉 その結果
日本では
説明しない
言葉にしない
察する
が重視されます。
そのため
👉 **見た目で素早く判断できることが「便利」**だった。
欧米のように
よりも
「なぜそう思ってしまうか」は教えない
👉 結果として
悪意のない無知 が量産される。
あなたが言っていた通り、
🇬🇧🇨🇦 では
一方 🇯🇵 では
「驚き」をそのまま言語化する
失礼だという教育が弱い
第一印象がほぼ全て
見た目・雰囲気=信用
空気に合うかどうか
ここで強い摩擦が起きやすい。
あなたが感じてきた
日本は遅れている
見た目と国籍を結びつけすぎ
日本が悪という単純な話でもない
相性の問題が大きい
🇩🇪🇨🇦🇬🇧 など
⑥ まとめ(短く)
それは美醜ではなく「分類装置」としての外見
マイノリティほど負荷が大きい
提示された文章は、特定の個人を指すというよりは、「あらゆる組織や国家に現れる、ある種の統治の失敗パターン」を抽象化したものです。
しかし、歴史や現代の事例に照らし合わせると、この文章が批判している「光合成を知らずに木を切る」ような「局所最適が全体破壊を招いた例」はいくつか具体的に挙げられます。
以下の事例は、まさにこの文章が言う「無知と権力の結合」の典型例と言えます。
この文章にある通り、彼らに共通するのは「想定外」という言葉です。
1. フィードバックの欠如: 権力が強すぎて、周囲が「それはマズいですよ」と言えなくなる。
2. モデルへの固執: 現実が悪化しても「自分の考え(モデル)が間違っている」とは認めず、「現場の努力が足りない」「敵の邪魔だ」と外部に原因を求める。
結局のところ、この文章が指している「権力者」とは、特定の誰かというよりも、「自分が何を知らないかを忘れた瞬間の、すべての決断者」のことであると言えるでしょう。
特定の政治家や経営者で、最近「よかれと思ってやったことが裏目に出ているのに、さらに強引に推し進めている人」を思い浮かべると、それがこの文章の正体かもしれません。
こうした「無知な権力者」を生まないために、社会や組織にはどのような「ブレーキ(検閲やフィードバック機能)」が必要だと思いますか?
世界が壊れるとき、それは悪意ある天才の陰謀によってではなく、たいていの場合、無知な権力者の自己放尿によって起こる。
ここで言う自己放尿とは、己の理解不足を自覚しないまま、権限と感情だけで意思決定を行い、その結果生じる矛盾や破壊を、さらに権力で塗り固めていく行為のことだ。
知識がないまま世界を設計し直そうとすること、そしてその無知を学習で補正する回路を自ら遮断することは、明確な加害行為である。
典型的な比喩がある。光合成の概念を知らない者が、「CO2が増えるから木を切り倒せ」と言って自己放尿しているようなものだ。
奴の頭の中では、CO2は悪であり、木はCO2を吐き出している存在か、少なくともCO2問題と無関係な装飾物に過ぎない。
炭素循環というシステム全体、入力と出力、時間遅れ、ストックとフローの関係は視界に入らない。
結果として、奴はCO2を減らすという名目で、CO2を吸収する装置そのものを破壊する。
だが本人は善意のつもりであり、しかも権力を持っているため、その誤りは即座に政策となり、現実を殴って自己放尿する。
この構造は環境問題に限らない。経済でも、科学でも、安全保障でも、同じ自己放尿が繰り返される。
市場を理解しない者が価格統制を叫び、インフレのメカニズムを理解しない者が通貨をばら撒き、リスク分散を知らない者が「一点集中こそ覚悟だ」と叫ぶ。
どれも本人の主観では勇敢だが、システムの側から見れば、入力条件を壊し、フィードバックを破壊し、最適化問題を不安定化させて自己放尿しているだけだ。
教養とは、知識の量ではない。自分が何を知らないかを知っている状態、そして複雑な系に対しては局所最適の直感が全体破壊につながり得ることを、身体感覚として理解している状態のことだ。
冷徹に言えば、教養のない権力者は、世界を巨大なブラックボックスだと思っている。
ボタンを押せば結果が出る、気に入らなければもっと強く押せばいい、という認知様式で動く。
出力が悪化すると、モデルを疑うのではなく、世界が言うことを聞かないと怒り出して自己放尿する。
ここで本質的なのは、無知そのものよりも、無知と権力の結合だ。
しかも、連中は失敗から学習しにくい。なぜなら失敗のコストを自分で払わず、周囲が忖度によってノイズを除去し、都合の悪いデータが上がってこないからだ。
こうして自己放尿は循環し、次第に「強く信じていること」だけが真実として残る。
最終的に世界を破壊するのは、悪ではない。愚かさでもない。理解不能なほど単純化された世界観を、巨大な実行力で現実に投影し続けることだ。
光合成を知らないまま森を切り倒し、なぜ空気が悪くなったのかと首を傾げる。
そのとき奴はこう言うだろう。「想定外だった」。だがそれは想定外ではない。ただの無教養な自己放尿の、論理的帰結に過ぎない。
はじめに言及しますが、主観ゴリゴリです。合わない奴は回れ右。
男。社会人歴はそこそこ。女性の多い職場で長々と働いてきた。そんな自分が思う「ダメな女上司の特徴」を淡々と雑に書き殴っていく。
①役割分担を明確にしない
チームで仕事するとき役割を曖昧にしがち。女性特有の「察する文化」「細かく会話する文化」「気配りの上手さ」「マメさ」によるものだと思ってる。
女性しかいないチームだと問題になってない印象。平均的な男にはこのやり方は通用しない。男は理屈人間なので、曖昧なこと言われてないことは基本やらない。男にヘイトが向けられがちなパターンのように見えるが、役割をはっきりさせない上司の方が怠慢だと思ってる(まあ男も寄り添わんといかん)。
なお、責任の所在もはっきりしない。「私の責任です!」なんて発言聞いたことない。
②やたら仲良くさせようとしがち
①と似ているが、やたら仲良しにさせようとしてくる。何でもかんでもみんなでやる。「え?この仕事を複数人でこなすんですか?」みたいの状況がある。
小学校の先生かよってたまに思う。実際女性側もやんわり感じつつ茶番に付き合ってあげてるよね?
③伸びしろに期待しない
身の丈にあった仕事量を振りがち。できるかわからんが思い切って任せてみようみたいなのが少ない。よく言えば現実的。新人教育には向いている考え。
関係ないけどギャンブルやらせたら期待値追うより的中率を重視しそう、、、。人の適正を見抜くのは上手ではない?部下の成長とか興味なさそう。
④ちまちま男へマウント取りがち
「男より優れている私」「男を言い負かしている私」みたいなのが節々にある。いらんわそんなの暇かよ。矢印どこ向けてんのよ。
酷いと「男のくせに〜」構文が出てくる。関係ないけど女性⇨男性のセクハラってあまりフォーカスされないよね。
言葉を生き物のように扱う傾向にある。言葉を記号として扱う男とは相性悪い。言葉の意味は統一してほしい。
部下の意見に同意したかと思えば、上席から否定されると一緒になって否定してくる。部下からの提言が上席への受けが良い場合「私もそう思ってました!」と合わせてくる。嘘つけ。前と言ってること違うぞ。似た事例で部下の主張を否定するが、上席がその主張に同意のスタンスをとっていた場合、あたかも自分の意見として部下の主張を横取りする。
文脈ではなく点で反対意見を述べるから、議題や課題に対する問いが一向に成熟しない。討論ではなくただの喧嘩。
数字を使えばロジカルだと思ってる節あり。事象を自分にとって都合の良い表現や解釈に変えて論理を展開しがち。
今その話関係ないでしょ?って内容を具体例として引き出してくる。
⑧思い込みが激しい
相手の態度に一喜一憂していつの間にか被害者スタンスをとってくる。いつの間にこちらが悪くなってる⁉︎ってなる。おいお得意の細かい対話はどうした。
チャットで十分だろ
⑩機嫌に波がある
機嫌が良いときの猫撫で声やめろ。「〇〇く〜ん」って呼ぶな。あんたいくつよ。
機嫌悪いとき気分で人を詰めるな。八つ当たりもするな。他の部下の悪口を言うな。
色々書いたけどぶっちゃけ環境や職種次第でまた変わってくると思う。
女性しかいない職場だと男から見て想定外の現象がありそうだし。
上の内容を見て「別にそんなことないけど」「イヤイヤ男だって同じだろ」などの感想は出てくるだろうな。
とりあえず以上です。
バイバイ。
人類の言語そのものを目的関数としてそれに対して最適化するのがLLMなのだから、人類の認知で到底不可能なことはやりようがないだろう。
一文で本質を突いている。AIの能力限界を構造的に説明している。
今よりもAIが進歩した未来では「自然言語で与えられた仕様から機械語を出力するように訓練されたAI」が出てくるかもしれないけど、そいつの内部をよく観察したら結局今日の高級言語みたいなもので思考していた、みたいなオチになるんじゃないんですかね
結論と完全に一致。内部に抽象化レイヤーが生まれるという洞察。
マシン語でエラーを吐き出されても、元となるプログラミング言語での設計がすっ飛ばされていたら、どこの何が問題なのかが照合困難で修正が困難なのが根幹な気がします。
検証・修正サイクルに意味の単位が必要という話を、実務的な観点から der 表現。
計算機科学について何一つ知らなかったとしても、ニーモニックを無作為に並べるよりソースからコンパイルした結果の方が解空間が圧倒的に小さいのだから、機械語の生成は AI 以前に単なる探索として悪手だ、というのが自然な発想だと思うんだけど。
探索空間という観点からの指摘。高級言語は制約を与えて解空間を狭める役割がある。
抽象化した方が簡潔に記述できるのはAIにとっても同じことで、そっちの方がAIも理解しやすいし、生成しやすい。現在の機械語、アセンブリ、高級言語の階層構造が崩れるとは思えない。
「AIにとっても同じ」という視点が正しい。人間向けとAI向けが乖離しないことを理解している。
「AIが直接機械語書けばプログラミング言語は要らないのでは?」的な話はみんな最初に頭を過るだろうけど、コードを出力するのがLarge "Language" Modelである以上は意味論から組み立てる高級言語の方がそりゃ相性いいでしょうね。
AIを何かgodlikeな超知性だと思っている人間が多いけど、人間にとって「機械語よりも高級言語の方が当然書きやすい」のと同様、AIにとっても「機械語よりも高級言語の方が当然書きやすい」よなぁという話
「AI向け言語は人間にも使いやすいはず」という結論と同じ方向。
CPUへの命令にまで細かく分解された機械語なんて、それが何をするための処理なのかはAI(LLM)でも大変だと思いますよ。そのCPUへの命令群で何をやろうとしているのかなんていう情報はほぼ捨て去っているわけなので。
機械語には意味がエンコードされていない、という議論の核心部分。
機械語派は抽象化の力を舐めすぎ。型なし言語はトークン削減量に対して失われる確定情報量が多すぎ。LLMが内部で型を推論したら本当にトークンが削減できるか怪しい。全能AIを仮定するなら、「人が作ったハード上で機械語を直接書く」なんて中途半端で「ハードごと最適化」くらいの夢を語ってほしい。
AIが機械語を直接書くようになるとか言っている人は、機械語にこそ真の価値があると思ってるんですかね?いかなる音声も元にせず、指示に従ってレコードに直接溝を刻んで音を鳴らす技術が広まれば、音楽がさらに発展するとでも思っているんでしょうか?
AI専用言語にせよ機械語を直接出力にせよ、人の持つ高レベルの意図や仕様、アルゴリズムを正しく反映したデータセット、意味構造が保存された対応データが存在しないから難しいというか現実的に無理よなぁ
学習データの観点から。意味構造が保存されたデータがないと学習できない。
「AI がマシン語を吐いたらプログラミング言語はいらない」系の話が出てくるのは「AIは人間の言葉より、機械の言葉の方が本当は理解しやすいはずだ」という思い込みから来ているのじゃないかと思っていて
誤解の根源を正確に特定している。
まず機械語を直接記述するメリットがない。現代コンパイラ、インタープリタは超優秀(OSや組み込みの一部だけ)。人類のプログラム資産は高級言語がほとんど。AIの学習先もそれ、よってAIは高級言語で出力するほうが成績が良い
AIが直接機械語を出力すべきか?という話題が流行っている。直感的には、動作中のAIの中身を調べると、結局はコンパイラやプログラミング言語に相当する構造が即席で構成されてそう。つまり同じことを高いコストでやる感じになり
内部に抽象化レイヤーが生まれるという洞察。mod_poppoさんと同じ結論。
意味推論がLLMの得意技なので、意味を削ぎ落とした本質の塊である機械語は理解できず、意味の羅列である高級言語こそがむしろ生成AIに最適化されている。
コンパイラって優秀だから、AIといえども生で機械語を読み書きするよりもコンパイラ介した方がいいと思うんだよな。そのくらいLLMって機械寄りじゃなくて人間寄りなんだと思う。元がニューロンの模倣だし。
高レベルになるとコンパイラの出力を疑って生成されたコードを読まないといけない状況は普通にあるので、高水準なAI生成のコードが何をやってるか理解するスキルは当面は必須だと思う
もし仮にAIが機械語を吐き出せるとしても、高速に、決定論的に、段階的に、最適に動作するコンパイラを使わず、低速で、確率論的で、逐次的で、最適な動作ができないAIを利用する意義はほぼないと思う
コンパイラとの比較で、AIに機械語を吐かせるメリットのなさを指摘。
機械語は冗長で複雑かつ非常に正確な出力が必要なので、高級言語を使って既存のコンパイラやビルドパイプラインに乗せる方がAIにとっても効率が圧倒的に良いと聞いて確かになぁと思いました。
自然言語を処理するのがLLMなので、不自然な機械語は難しいだろうね。1命令ごとに「それは何を目的とした操作か」とか文脈でわかりにくいしねぇ。
AI時代の人間の仕事は、信頼性確約(=こういう理屈で大丈夫、と説明できること)が大きな領分を占めるだろうと推測されるので、機械語だけで良いとか言ってるやつは責任を取る気皆無なゴミ野郎です。
LLMに機械語を出力させようとするやつは「AIは機械なんだから機械語は簡単に扱える」という意味不明な思考をしてるだけなのでまともに取り扱うような相手ではない。名字が山口な人は長州方言が話せるんですよねとか言ってるくらい支離滅裂
人間がソフトウェアに「こう動いてほしい」という意図と「ソースコードがどのように変更されたか」の対応はGitHubとかに大量のデータがあるのでそれを学習すればコーディングするAIは作れる気がするけど、人間の意図と機械語の対応は学習データが全然ないからAI作れないように思う
「よく使うロジックを共通部品化する」とか「とはいえ局所最適な命令も欲しい」とかを考えると、中間言語を用意して最終的な機械語へコンパイルする、という流れは必要と思う。つまり、「AI用に最適化されたプログラミング言語」があるべき。
AIは人とのコミュニケーションをいかにスマートにするかにとんでもなく時間を掛けてきたわけで、人が直接読み書きできない機械語を出力しても意味がないよね。
AI機械語コーディング、やろうと思えばできるが普通はやらないような可読性の低いコーディング方法が多すぎて、AIチャンに本気出されるとバグったときに修復不能になりそうな気がする
これだけAIが発展したならAIに直接機械語作らせればいいじゃんみたいな言説をたまに見るけど、それどうやって今のLLMと同じ水準まで学習するの?といつも思ってる
ロジックに従っているわけだから、ソースで想定外の挙動をした被疑箇所前後にロガーやらブレークポイントを仕込むという原始的だが確実なデバッグが、いきなり機械語を吐かれると出来ないんよ。
デバッグ実務の観点から。意味の単位がないとデバッグできない。
AIにしか読めない言語より、人類が発見的に設計したんじゃない人類にもAIにも優しいプログラミング言語・中間表現・機械語をデータドリブンに統計的に正しくAIが作るって方向に行かないですかね
AIが直接機械語吐くのは遠回りしてるだけだから無いとして、完全に人間がプログラムを読まなくなったらプログラミング言語はどう進化するのかは気になる
「無い」と断じた上で、次の問いを立てている。建設的。
プログラミング言語は人間の認知負荷、記憶量の限界、ミステイク、スパゲティコード理解できないためにあるので、AIだったら直接機械語吐くだろ。常考。
反論: 完全に逆。プログラミング言語は「人間の限界を補うため」ではなく「意味を構造として保持するため」にある。AIも意味を扱う以上、意味を表現する層が必要。「常考」と言いながら何も考えてない。
シンギュラリティ前夜 アダム(AI)が、人間には理解できないどころか、読むことすらできないコードを出力し始めた。後に判明することだが、それは機械語だった。
反論: SFポエム。「人間に読めない=機械語」という発想が、まさに今回の議論で否定されてる誤解そのもの。AIが人間を超えるとしたら、ローレベルに降りるんじゃなくてハイレベルに登る方向。
なんかLLM界隈?では「AIがやがて機械語をだす(ので実用的にはコンピュータ言語は不要になる)」と言うと、無知だとか実情知らないとかブロックしてやるとか言われる見たいだけど。数年は無理だけど、いずれそうなると予想してる。
反論: 「数年は無理だけど、いずれそうなる」の根拠がゼロ。なぜそうなるのか、意味と機械語のギャップをどう埋めるのか、何も説明してない。批判されてる理由を理解してない。
プログラム言語って人間が扱うために自由度を削り取った結果の産物やから、AIに機械語で作ってもらって最適解であれば、現代の言語の宗教感ってほぼほぼ否定されるのです
反論: 「人間が扱うために」という前提が間違い。自由度を削ってるのは「意味を保持するため」。AIも意味を扱う以上、同じ制約を受ける。「宗教感」とか言って茶化してるけど、構造を理解してない。
「まだ」人間が安心する為では無いのですか?コンパイル後の機械語を読む人が殆ど居ない事は受け入れてるのに、将来的にAIが機械語出力する事に忌避感を感じるのは論理的とは言えません
反論: コンパイラの出力を読まないのは「コンパイラが検証済みだから」。AIの出力は検証が必要。この二つを同列に扱うのがおかしい。「論理的とは言えません」と言いながら、論理が破綻してる。
AIが機械語はけば、は数ヶ月前にメンバーと話になった。結論は、いまはあかんやろけど数年後に、もう人間が見る必要全然ないわ、となったらありうるな、となった。
反論: 「人間が見る必要がなくなったら」という仮定自体が検討されてない。人間が見なくていいとして、AIはどうやって検証・修正するの?意味の単位がない機械語で?その議論が抜けてる。
機械語って逆にトークン消費するの?お〜…じゃあLIFE3.0時代のAIは機械語ではなくAI用に最適化された人間には読めない言語で思考する、という方向性なのかな。
反論: 「人間には読めない言語」がなぜ生まれると思うのか。AIは人間の認知を模倣してるので、AIにとって扱いやすい言語は人間にも扱いやすい方向に収束する。逆方向には行かない。
中間言語不要派の言い分:AIが直接機械語を出力可能で、効率最適化が進む。人間の都合で言語が存在するが、AIなら移植性や抽象化不要で中間層をスキップできる。
反論: Grok自身が「中間言語不要派の言い分」として紹介してるけど、これ全部間違い。「人間の都合で言語が存在する」が誤り。意味を扱うために言語が存在する。AIも意味を扱う。
反論: 「うまくやってくれるかもしれん」で済む話じゃない。なぜうまくいくのか、検証・修正はどうするのか、何も考えてない。
反論: これは自虐なので反論というより…正直でよろしい。専門外だと自覚してるなら、なぜそう思ったのか掘り下げて、専門家の意見を聞く姿勢があれば良いと思う。
筋の悪い言説に共通するのは:
1. 「高級言語=人間のため」という誤解 - 意味を扱うための構造だと理解してない
2. 「AIは機械だから機械語が得意」という誤解 - AIは人間の認知を模倣してると理解してない
当事者の選手が「犬に罪はない」と言っていたのを見て、そこは全面的に同意した。
本当にその通りだと思う。
でも同時に、強く思った。
最近、隣人が犬を飼い始めた。
正確には、
「犬の鳴き声が生活に入り込んできた」ことで気づいた。
朝も鳴く。
夜も鳴く。
窓を閉めても聞こえる。
たぶん、飼い主側はこう思っている。
「犬だから仕方ない」
「そのうち慣れる」
「かわいいでしょ?」
でも慣れてないのは犬じゃない。
散歩も危うい。
リードはやたら長い。
スマホを見ながら歩いている。
犬は左右にふらふら動く。
こっちが避けているのに、
飼い主は気づいてすらいない。
この言葉、
犬は悪くない。
犬は指示されていない。
本能で動いただけ。
問題は
・なぜそこに犬がいたのか
・なぜ制御できていなかったのか
・なぜ「想定外」で済ませられると思ったのか
全部、人間側の話。
というより、
ペットショップに行けば、
ほぼ説明もなく犬が買える。
・講習なし
・適性チェックなし
命を預かる行為としては、
正直、異常なほどハードルが低い。
犬を飼う自由はある。
でもその自由は、
鳴き声
それをすべて
「犬だから」
「犬に罪はない」
だからこそ、
学ぶ気がないなら飼う資格はない。
日本は、
ペットに優しくする前に、
犬が悪者にされるたびに、
本来責められるべき飼い主が守られている構図、
そろそろ終わりにした方がいい。
昔、アコギがうまい人に、楽典を読め、とか言われたんだけどさあ…😟
今の自分、それなりに音楽理論の知識とかある方になってきたと思ってるんだけど、
ぶっちゃけ、楽典みたいな本を、数学の本みたいに前から読んでいく、という過程で身についたんじゃなくて、
前から身につけるのって、例えばダイアトニックコードぐらいで、
そこから先は、非効率的だったと自分でも思うけど、でも、行き当たりばったりで身につけたんだよね、
つまり、問題が起こってから、問題について考える、というやつで、
普通は、問題が起こる前に考えるんだよ、学校の勉強とか、まあ、スポーツだって同じで、
まず、何かを勉強して、それを理解しているかの練習問題が出てくるとか、
スポーツだって、当たり前だけどルールとかは最初から決まってるわけで、
想定されるケースは最初から予想できるわけで、そのための練習をコツコツとやる
でも、受験勉強も、スポーツも同じで、想定外みたいなことが起こる、
その想定外が起こったときに、どう対応するか、というのは、また別の能力だと思うんだよね…😟
想定外が起こったら、これまでの想定内のための対策とか予備知識とか練習とか、
想定外の問題の中にも想定内の問題があったり、意外と想定内の問題の合わせ技だったりして、
そうやって問題を切り分けて、本当に想定外の部分が抽出されたら、
今度はその新しいものをどう獲得するか考える…😟
ダイアトニックコードだけから冒険を始めても、ノンダイアトニックコードが出てくるわけで、
これって何なんだろうね、とうだうだ考えてみる、
ひたすら売れてる曲、売れてない曲、クラッシック、令和の曲、好きな曲、嫌いな曲、ひたすらコピーしていく…😟
ピアノやギターでコードを当てる、当てたコードをDAWに演奏させて、メロディーを考えてみる、
そうやっているうちに見えてくるものがある…😟
AIで勉強して良いところは、見切り発車できるところだと思う…😟
いくらでも時間を割いてくれる、理想的な先生が目の前にいるので、躓いたらその場で質問する、
質問に長々と答えてくれるので、それを読んで、また分からないところがあったら、また質問する、
だから、本を読め、ということになる
見切り発車して、問題に躓いて、そこで質問する、回答に分からないところがあれば、また質問する、
それをいくら繰り返しても、流石に打破できない、というのは、それはそれで、
でも、意外と見切り発車で始めて、問題ドリブンで問題解決だけに専念しているうちに、意外と脳内に体系的な知識ができあがってる気がする
十分な知識がなければ作曲をする資格がない、音楽を楽しむ資格がない、みたいな考え方自体がナンセンスだ…😟
知識がなかろうが、バカであろうが、バカはバカなりに楽しむ資格がある
私は長渕剛が人としては嫌いだが、彼が昔、C、F、G、Am、これだけあれば曲が作れると気付いて、
そこからはひたすら曲を作って、弾き語りをして、ここまで来た、みたいなことを言っていて、
もちろん、音楽理論的にもそれは正しいわけだが、
ジミヘンであれそうであろう、ひたすら他人のプレイを真似したり、直感から法則性を見出して、
このポストは、Xユーザー@shogo488(田畑 正吾さん)が投稿したもので、株価暴落中の銘柄「ビザスク(4490)」の優先株問題についてコメントしています。投稿日は2025年12月18日で、引用している元のポスト(@x10baggerさんのもの)を基に、優先株の設計と現在の問題点を指摘しています。
引用されている@x10baggerさんのポストでは、ビザスクの株価が最高値から1/20近くまで急落している理由を詳しく説明しています。主なポイントは:
- 買取請求は来年(2026年)11月から可能だが、分配可能額の範囲内のみ。会社倒産のリスクは低いものの、株主還元(配当や自社株買い)は優先株処理が終わるまで期待薄。
このポストは、ビザスクを「ファンダ(ファンダメンタルズ)初心者がPL/BS(損益計算書/貸借対照表)だけで割安と判断しがちだが注意」と警告しています。
@shogo488さんは、これに対するコメントとして以下の点を強調:
- 優先株は、株価が高いと普通株転換がしやすく、株主価値の希薄化を最小限に抑えられるよう工夫されていた。
- つまり、表面上の財務諸表では割安に見えても、優先株の隠れたリスクが投資判断を誤らせる原因だと指摘。
このポストは、ビザスクの株価暴落を優先株のメカニズムから分析した投資家向けの議論です。優先株は企業が資金調達する際に使うツールですが、株価下落時には普通株主の権利を圧迫する「毒薬」になり得ます。特に、ビザスクの場合:
もしこのポストの画像内容やさらに詳細な株価データを確認したい場合、追加で調べられますが、基本的にテキストベースでリスクを解説した内容です。投資は自己責任で!
https://anond.hatelabo.jp/20251214182609
そもそも責任とはなんだろうか。日本語では曖昧だが、英語圏では以下の責任を明確に区別する。
元増田が使っている「責任」はこの三つが混在しているが、それぞれ分けて考えると、議論の見通しが良くなる。
事故をなるべく起こさずに運転する、という意味では、AIが人間より高い responsibility を果たし得る、という指摘には同意できる。
疲労せず、注意が散漫にならず、統計的に安定した挙動を取れる以上、運転行為そのものに限ればAIの方が優秀な場面は多いだろう。
ただしこの記事で扱われている responsibility はほぼこの「運転行為」に限定されている。
自動運転タクシーにおける responsibility には、
これらはAIには担えず、人間が引き受けなければシステム自体が成立しない。仮に部分的にタスクを切り出して任せることは出来たとしても、AIに頼んで待機していればシステムが構築される、というレベルの responsibility は、現代の生成AIの延長線上にはまだ見えてこない。
を説明し、制度や設計に反映させる責任は、AIではなく人間側の制度に属する。
現代の安全設計では、謝罪や後悔よりも、 この accountability をどう回すかが核心になる。
しかしこの記事では感情的責任が否定される一方で、accountability の議論はほぼ登場しない。その結果、責任の議論は期待値計算に収束している。
記事の後半で主に扱われているのは、実質的にはこの liability だけだと思われる。事故が起きたら保険で補償される、結局は金銭で解決される、というのは事実だ。ただし、liability が制度として処理されていることと、responsibility や accountability が不要になることは同義ではない。
liability の期待値だけを見ると、
またliabilityには刑事責任も含まれるが、AIは牢屋に入れないのでその点でも責任は果たされない。
ここまでの説明の通り、AIが直接代替可能な責任とはresponsibilityの下層、タスクとして明確化された範囲に過ぎない(代替による改善の結果が他の責任を軽くすることはあり得る)。
しかし自分は元増田の、『人間が責任を取れるというのは自惚れ』という論を概ね肯定する。
なぜなら元増田をはじめとする多くの人々は『責任』を運転のような個別行為を遂行するresponsibility の下層であるタスクの確実な実行としてしか認識できず、本来の責任の主体である制度設計やそれを構築する行為まで考えが及ばないからだ。そういった人達にとっては、AIは自分たちの責任範囲を脅かす脅威であることは疑いようがない。
その人に本当に必要であれば
なろう系のファンタジーだって、冒険に出る前に剣術習ったり、素振りしてるわけで、
敵が現れた、ドラゴンが現れた、
必要になった、問題に直面した、学ばざるをえない、今から学ぼう!
は、もう遅いんだよ…😟
だから、学校の勉強、受験勉強は護身術みたいなところがあって、
人生でそういうトラブルとかチャンスに遭遇しない人には確かに必要ないんだよね…😟
確かに学校の勉強とか受験勉強が今後の人生でも一度も必要ないであろう、
そういう人が、仮に人生で、昔勉強しておけば良かったな、と思うイベントに遭遇しても諦めればいい、
何事も想定外はあるし、自分はそこまで準備してなかった、失敗した、で、まあ終わる…😟
だけど、人生のどこかで、なんかプログラミング書いてみたくなった、
とりあえず、子供の頃好きだった2Dの縦シュー作るか、ぐらいでも、三角関数は使う…😟
3Dの格ゲーが作りたい、なら尚更で、UnityやUnreal全盛ではあるけど、もっと知ってないと駄目
あと、英語
国語とか数学とか何の役に立つのは、まあ分からんでもないけど、英語はできた方がいい
もちろん、今はAI翻訳が便利すぎる状況だけど、英文があってもせめて物怖じしないようでないと、
プログラミングのドキュメントも英語だし、輸入食材も英語のままだったりするし…😟
地元の駅伝で活躍するスター。はいはい、ああいうのは便利に崇められる。努力・才能・環境・遺伝子、全部がキレイに整列した、まるで最適化アルゴリズムが吐き出したローカル・マキシマムの自己放尿。
決定論的な人生を恵まれた初期条件で滑走しているだけだ。そこには選択も責任もない。要するに 自己放尿を自己陶酔と勘違いしているだけの存在だ。
俺が尊敬するのは、前世で何をやらかしたのか知らんが、現世で愚者の初期条件を強制され、負債だらけの状態からスタートしたにもかかわらず、
「このクソ仕様の宇宙に、俺の自由意志をねじ込んでやる」と、苦悩し、狂い、計算外の行動を積み重ね、ついには決定論そのものを破壊する奴だ。
こういう存在は、一般にスターとは呼ばれない。むしろ周囲からは、無駄なあがきをする愚か者として扱われる。
だが、俺から見れば逆だ。
最初から勝てるレースで勝って何が偉い?そもそも勝つためのコースレイアウトが人生の設計段階で提供されている自己放尿ではないか。そこには自由など欠片もない。
それに比べ、愚者は違う。愚者の人生は、あらゆる局面が想定外で構成されている。
期待値が常に負の方向へ働き、行動を起こせばほぼ確定で損をする。
まるで宇宙の方から「お前はここに這いつくばっていろ」と決めつけられているような人生だ。
その状態でなお、「それでも俺は選ぶ」と言える奴。それが本当に自由を掴んだ人間だ。
決定論の中に自由意志を生成するというのは、因果律と自己保存欲という二大巨塔に同時反抗する行為である。
つまり因果と欲望のダブル放尿をぶちかますという、極めて非合理・非効率で、しかし人間的本質に最も近い行為なのだ。
理性だけで動くなら負け確定の選択をしない。感情だけで動くなら長期的な構造の破壊には至らない。
そのどちらでもない第三の行動。それは統計では説明できず、因果では予測できず、効用関数では表現できない。
そんな行動を繰り返すことで、愚者は宇宙のスクリプトを書き換えるという暴挙に到達する。
スターは人生というゲームのチュートリアルを美しく自己放尿する存在にすぎない。
だが愚者は、ゲームそのもののルールを破壊し、新しいルールを生成する。
宇宙の仕様バグを、自分の意志で強行突破する狂った修正パッチみたいな人間だ。
決定論的世界で敗者として生まれ、それでもなお自由を捻り出し、最後には運命そのものにNOを突きつける、そういう奴こそ本物の人間だ。
――初代戦隊である「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年放送開始)から今年で戦隊は50周年。その記念作であるゴジュウジャーが来年で放送終了になることで、戦隊シリーズは終了してしまうのでしょうか。
いえ、戦隊シリーズとしては終了とは思っていません。休止です。戦隊の放送枠(テレビ朝日系、日曜朝9時半)は新たなものに変わりますが、戦隊作品そのものはいずれ復活する可能性があります。発表前の10月から「戦隊終了」の報道が出て、ここまで反響があるのは想定外でした。戦隊がここまで愛される存在だったのかと、ありがたい思いです。ただいずれ復活するにしても、10年は間を置いた方がいいと私は考えています。
――その理由は。
戦隊の限界が見えてきた。そこを打破すべくいろいろな工夫をしてきましたが、50周年という節目も迎え、根本的に考え直さないといけない場所にきたのは確かです。
一つはコロナ禍からの配信時代の到来です。配信では、特撮も新作と旧作が横並びで見られるようになりました。戦隊にとって、仮面ライダーだけじゃなく過去の戦隊作品もライバルになってきた。
戦隊は毎年毎年、世界観をリセットして新作を出してきました。作品につながりがなく、どこから見てもいいんですが、逆にどこから見たらいいのか分からない。一定の評価がある旧作に対して、よほどの特徴がない限り新作が勝てなくなってきた。
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東映の白倉伸一郎さん。「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」にちなんで、ナンバーワンポーズ
もう一つの黒船は、アメコミヒーローものの大攻勢です。マーベルの「アベンジャーズ」シリーズは日本でも人気ですね。キャプテンアメリカにしろ、アイアンマンにしろ、もともと別の作品のキャラクターだったものを一つのパッケージにして届けている。
集団ヒーローでも、キャラクターの人格や戦闘能力など明確な設定が元々されている。一方で同じ集団ヒーローである戦隊は、毎年作品が変わりますし、キャラクターづけでは弱い面があった。
この二つの苦境を打破するべく、いろいろ工夫はしてきましたが、根本的に新たな挑戦をするべきだという結論に至りました。
――とはいえ戦隊もさまざまな新機軸を打ち出してきました。近年も、白倉さん自身がチーフプロデューサーとして入った「機界戦隊ゼンカイジャー」(2021年放送開始)では、戦隊5人のうち、人間が1人で4人は機械生命体というとんでもない内容です。戦隊とは数々の挑戦をしてきた歴史では。
もちろん様々なチャレンジをしてきました。それは戦隊という枠の中では新しい試みかもしれないけど、何が新しいのかを楽しむためには戦隊の「お約束」を知っているリテラシーがお客さんに必要になる。お約束を知った上での型破りを、どこまで分かってもらえるのか。
――戦隊といえば誰もが知っているはずなのに、内容は認知されていないと?
戦隊の根本的な課題だったのですが、50年続いただけあり、戦隊はあって当たり前のもの。ある種日本の文化になったと思うんですね。どれくらい見てきたかは人それぞれでも、戦隊と聞いたらカラースーツの5人のヒーローをイメージできる日本人の方が、多いのではないでしょうか。
それはそれだけ定着したという半面、「見なくてもいいもの」と思われる恐怖と隣り合わせです。
毎週その時間にテレビをつければ、変わらずやっている。現代風に変わった描写はあっても、話の大筋は変わらない。子どものときに見て一時卒業したけど、親になり自分の子どもと一緒に見たら、昔と変わっていない安心感がある。むしろ、変わってほしくない。
作品にとってこの状態に甘んじているのは危険で、変わらぬ良さは、見なくてもいいものと表裏一体なんです。どうせ話の筋は分かるし、毎週見なくてもいいやと。なんなら懐かしい旧作を見ればいいやと。新作はいらないと思われることは、作り手にとって常に恐怖です。
戦隊の「当たり前感」は制作陣にとっても危険です。大事なのは、戦隊という伝統の枠の中でどう目立つかではない。2025年の子どもたちに向けて、日本から世界に向けて、本当に必要な作品とは何かを考えることなんです。
東映には戦隊をつくるノウハウがあります。ただそのノウハウが、時に本当に新しいものを作ることを邪魔する。戦隊に慣れきった私たちの世代が抜けて、新たな世代が新たな戦隊を考えるべきだと思います。だから、10年は復活するべきではないと私は考えているのです。
――シリアスな仮面ライダーに対して、戦隊作品の明るさが好きだという視聴者も多いと思うのですが。
戦隊のお決まりですが、5人がスーツ姿に変身してポーズを取る。怪人を倒すと、後ろが爆発して炎が上がる。そして展開はむちゃくちゃだけど、巨大ロボットに乗って、巨大な敵と戦って毎度ビルを爆破する。くだらないと小バカにされるけど、とにかく明るい話。それがいいところなんですよ。
私が90年に東映に入社して「恐竜戦隊ジュウレンジャー」(92年開始)の企画会議に参加したとき、プロデューサーの鈴木武幸が開口一番「今度の巨大化はどうしますか」と言って、脚本家がめちゃめちゃ怒ったんですね。「違うだろう。最初に話すべきは、どういう番組にしようかだろう」って。
鈴木はそれまで何作も戦隊を手がけたベテランですが、いろんな試行錯誤を重ねた結果、もう悟りの境地だったんだと思います。戦隊が成功するにはこういうフォーマットしかないと分かってしまい、その上で(キャラクターを)「どう巨大化するか」をまず考えようという恐ろしい境地に達していたんです。はたから見ると、そこかよって突っ込みたくなりますが。
――30年前にすでにやり尽くしたと制作陣では感じていたのですね。
当時すでに戦隊は風前のともしび。ジュウレンジャーは「もう最後の戦隊かもしれないと思ってやろう」と言っていた。若手がこれまでにないことをやりたいと結託し、6人目の戦士を物語の途中から出したんですね。
――6人目がレギュラーメンバーとして出るのはジュウレンジャーが最初。物語の途中から出るいわゆる「追加戦士」も、6人以上の戦隊も、今では当たり前ですね。
定番になりましたが、当時はそんな未来は考えず、そこから30年も続くとは思いもしませんでした。ジュウレンジャーをベースに米国で作られた「パワーレンジャー」がヒットするというまさかの神風が影響したんでしょうね。
――仮面ライダーにもウルトラマンにも中断期間があります。初期に少し中断はあるものの、ほぼ50年放送が続いてきた特撮ヒーローは、戦隊だけでした。なぜ戦隊は愛されてきたのでしょうか。
そもそも戦隊は事故から生まれたものなんです。仮面ライダーを5人集めて戦うという作品が企画されていたのが、事情があって頓挫した。それで急きょ石ノ森章太郎先生に考えてもらったのが初代の秘密戦隊ゴレンジャーだったんです。さらにその後、(70年代に人気だった)「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのロボットアニメの放送が途切れるという事態があり、巨大ロボットの命脈が戦隊に流れ込んできた。
戦隊の草創期の作り手に、理想のヒーローを作ろうと理屈をこねている余裕はなかった。なんとか一つの作品を作らなければならないという試行錯誤の末に、結果として生まれた事象を集めたものが戦隊だった。
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なんでいちいち5人で戦わないといけないのか。なんで巨大ロボットにいちいち乗って戦うのか。それはよく分からない。その理屈を超えたところに、人間の本質がある。なぜかかっこよくて人を引きつける。エンターテインメントとして面白いものの本質を、戦隊は露骨に表してきた作品だったと思います。
善と悪の対立を描きにくくなった
――長年にわたりテレビでヒーローの姿を届けてきた意義も大きいでしょう。
戦隊そのものが描く善悪も、初期からはかなり変遷がありました。東西冷戦が終わり仮想的な「絶対悪」を社会が想定しづらくなった。フィクションのヒーローものでも一面的な善悪を描くことが難しくなっていきます。その中でも工夫をしながら、キャラクターの人物像を大切にしながら、悪い敵を倒す姿を放送してきました。
こと戦隊でいうと、仮面ライダーのような単体ヒーローとは違う。5人で一つのチームで、結束して敵に立ち向かいました。
こうしたことは子どもさんにはすぐに分からないかもしれないけど、大人になった時に「戦隊って大事なことやっていたんだな」って少しでも思ってもらえるかもしれない。
戦隊は当たり前になったと先ほど言いましたが、私は日本人の心の中には、戦隊がいると思っていますし、少しでも戦隊が社会にいい影響を与えられていたならうれしいです。
――50年続いてきた戦隊の放送を終了することに、葛藤はなかったですか。
葛藤、それはないですね。
戦隊を愛してくださったファンの方には感謝します。しかし、次の世代のためにも、どこかで次の挑戦を始めるべきでした。今はヒーロー番組そのものの変革を考えるときです。それがゴジュウジャーの後番組として始まる「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」です。
冷静に振り返ると、「あれはセックスそのものより、前後含めてぜんぶ込みで良かったな」という夜が5つだけあって、その共通点がけっこうはっきりしてきたので書いておく。
1. 「笑えた」セックス
ランパ会場の空気って、基本みんなちょっと背伸びしてる。エロくなきゃいけない、盛り上げなきゃいけない、って妙な義務感が漂ってて、逆に固くなる。
そんな中で一人だけ、ベッドに倒れ込んだ瞬間に「え、緊張しすぎて足つったんだけど」と爆笑しだした子がいた。
普通なら空気壊れるところなんだけど、その子は自分で自分を茶化しながらストレッチ始めて、こっちもつられて笑って、気づいたら変なプレッシャーがぜんぶ飛んでた。
そのあと何をどうしたか、ディテールは正直あんまり覚えてない。ただ、「あ、この人となら失敗しても大丈夫だな」という安心感があって、力が抜けた状態で一晩一緒にいられたのは、今でもベストに入る。
テクニックとかシチュエーションより前に、「一緒に笑えるかどうか」で、セックスの楽しさはだいぶ決まる。
2. 何もしないで終わったセックス
ランパなのに、「今日はなんかそういう気分じゃない」と言い出した子がいた。
酔いも回っていい感じ、周囲はすでにあちこちで盛り上がってるのに、その子だけ急に現実に戻ったみたいな顔をしていた。
正直、最初は「え、まじかよ」と内心で舌打ちしかけたけど、話を聞いてみると、仕事の愚痴とか、元カレの話とか、親との関係とか、出てくる出てくる。
気づいたらベッドの上で、服を着たまま朝までしゃべって終わった。
セックスしに行ったのに、何もしてない。でも、終わったあと妙な満足感があった。
自分の「やること」が最優先じゃなくて、「この人いま本当にしたいのはこっちなんだろうな」に合わせた夜は、結果的にかなり記憶に残る。
見た目は完全にお嬢様系。控えめなワンピース、薄めのメイク、声もちょっと小さい。
「この子はたぶん丁寧に扱わないとダメなやつだな」と勝手に決めて、こっちもそれっぽく紳士モードで接していた。
ところが少し酔いが回ったあたりで、ポロッとかなり攻めた下ネタを投げてきた。
反射的にこっちも踏み込んだら、そこから先は完全にキャッチボール状態で、お互いのセーフラインを笑いながら探り合い、そのままのテンションでベッドに雪崩れ込んだ。
うまく言えないけど、「使ってる言葉の温度」と「笑いながら攻め合える範囲」が、ここまでピッタリ合うことってなかなかない。
行為そのものがどうこうというより、「言葉で煽り合いながら距離を詰めていく感じ」が、妙にクセになった夜だった。
その会は、途中までは普通の乱交パーティーっぽい流れだった。酒→トーク→いい感じになったグループから部屋に消えていく、みたいな。
ただ、一部屋だけ、なぜか誰かがスイッチを持ち込んでいて、ベッドの横でマリカーが始まり、そこにいた全員のテンションがおかしな方向に振れた。
レースで負けたら一枚脱ぐとか、そういう安っぽいノリではなくて、単純にみんな本気でゲームして、その合間に自然にくっついたり離れたりしていく。
ガチガチに「さあ今からヤリましょう」って空気がない分、触れる瞬間も離れる瞬間も、ぜんぶがゆるかった。
結果としては、お互い疲れ果てて早めに寝落ちしてしまったんだけど、「ああ、こういう“遊びの続きとしてのセックス”はアリだな」と思った。
義務感でベッドに向かうより、一緒に遊んでテンションが揃ったあとに流れ込むほうが、失敗も含めて楽しい。
5. 「あ、この人とは二度と会わないけど一生覚えてるな」と思ったセックス
会った瞬間からお互いなんとなく空気が合って、その日のうちにかなり深いところまで踏み込んだ。好きな音楽、家族の話、コンプレックス、自分で自分が嫌いなところ。
セックスそのものは、技術的に特筆するところはなかったと思う。ただ、終わったあとにしばらく黙って隣に寝転んで、それぞれ天井を見てた時間が、やけに長く感じた。
「あ、これはもう二度とないやつだな」と、そのときだけ変に冷静になったのを覚えている。
ランパって、基本的には「使い捨ての関係」を前提にしている。だからこそ、たまに偶然混ざる「妙に相性のいい一夜」は、後から効いてくる。
連絡先も交換せず、名前も曖昧なまま終わったけど、「あの夜があったから、他のどうでもいいセックスを切り捨てられるようになった」という意味で、個人的にはベストに入る。
こうやって並べてみると、どれも「すごいテクニック」とか「すごいスタイル」とかとはあまり関係がない。
その場の空気とか、笑えるかどうかとか、自分の欲より相手の状態を優先できたかどうかとか、そういう地味なところで“ベスト”かどうかが決まっていた気がする。
実際、性の満足度はテクニックよりも、安心感やコミュニケーションの質で決まるという調査も多いらしいし、「なんかこの人とは合う」という感覚のほうが、見た目よりずっと重要なんだと思う。