「有機」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 有機とは

2025-02-24

ネコも仰天!】山岡士郎が「究極のねこまんま」開発!ネコ業界に激震!「ウチのネコが…!」飼い主たちも大興奮!

ネコだって、本当に旨いものを知っている…!」

食の求道者山岡士郎が、愛猫家たちの熱い要望に応え、ついに「究極のねこまんま」を完成させた!そのあまりの美味しさに、ネコ業界震撼。飼い主たちも「ウチのネコが…!」と、興奮を隠せない。

素材は妥協なし!ネコ本能を刺激する至高の逸品!

山岡がまず着目したのは、ネコ嗅覚と味覚。全国各地の漁港を巡り、新鮮なカツオマグロタイを厳選。さらに、ネコ健康を考え、無農薬栽培された有機野菜をふんだんに使用

ネコは正直だ。本当に旨いものでなければ、決して口にしない…!」

米は、ネコ消化器官に優しい玄米を、独自ブレンドで配合。炊き方にもこだわり、ネコが最も好む柔らかさに仕上げた。

出汁は、カツオ節、昆布煮干しを贅沢に使用ネコの食欲をそそる、芳醇な香りを最大限に引き出した。

ネコ業界まさか白旗!?

完成した「究極のねこまんま」を試食したネコメーカー社長は、「これは…もはや人間の高級料理…!」と白旗状態カリカリ派のネコも、普段缶詰しか食べないネコも、夢中で「究極のねこまんま」を平らげたという。

SNS大炎上!「ネコ様、歓喜!」の声多数!

山岡さんのねこまんま、ウチのネコ狂喜乱舞!」「高級料亭の味!」「ネコ様、大満足!」

SNS上では、山岡ねこまんまを絶賛するコメント殺到。「#山岡士郎」「#究極のねこまんま」のハッシュタグトレンド入りするなど、大きな話題となった。

気になるお味は?ネコも飼い主もトリコに!

実際に「究極のねこまんま」を食べたネコたちは、目を輝かせ、至福の表情を浮かべたという。飼い主たちも、「一口ちょうだい!」と、その美味しさに舌鼓を打った。

山岡士郎が作り上げた「究極のねこまんま」。それは、ネコと飼い主の絆をさらに深める、まさに至高の逸品だ!

2025-02-22

栄養があるの変遷

栄養がある、滋養があるって内容がない言葉時代話者によって実際の意味がめちゃくちゃ

ちゃんとした意味のある言葉を使いましょう

2025-02-20

ある人が書いたBigListを改造して、リーフノードリンクリストでつないだら全列挙が早くなって、スタックオーバーフローしなくなった。

ただ、その代わり元々のコードにあったノードの共有機はいらなそうなので省くことにした。

Core i5 10400F、メモリー16GBで、100文字×100行=1億文字を突っ込んで、あれこれ操作した場合はこのくらいの速度で動く。

benchmark start

Allocated GC Memory:60,392bytes

add time:1728 ms

Allocated GC Memory:416,037,968bytes

replace 1 time:5776 ms

Allocated GC Memory:416,082,104bytes

replace 2 time:5694 ms

Allocated GC Memory:416,082,272bytes

replace 3 time:5196 ms

Allocated GC Memory:416,082,296bytes

enumratotion time:1179 ms

Allocated GC Memory:416,082,440bytes

clear buffer

Allocated GC Memory:82,360bytes

Finished.Hit Any Key

https://github.com/rirufa/FooList

ListやGapBufferだとGCに優しくないけど、BigListだとLOH入りしないので、GCに優しいのだ。

その代わり速度はBigListの中身はRopeなので、少し遅くなるのだ。

Ropeで、リーフノードリンクリストでつないだ場合、挿入と削除、追加、ランダムアクセスはO(Log N)、全列挙はO(N)なのだ

MITライセンスなんで商用でも問題ないけど、元々のBigListのライセンスに不穏なことが書いてあったので、気になるなら、自分で書き直したほうがいい。

元々のBigListはこの本を参考にしたようなのだ

The rebalancing algorithm is from "Ropes: an Alternative to Strings", by

Boehm, Atkinson, and Plass, in SOFTWARE--PRACTICE AND EXPERIENCE, VOL. 25(12), 1315–1330 (DECEMBER 1995).

https://www.cs.tufts.edu/comp/150FP/archive/hans-boehm/ropes.pdf

2025-02-16

anond:20250216145626

真珠有機生成物なので汗に弱いってのは本当なん?どのくらい気を遣えばええの?

映画】野生の島のロズ

・お手本のようなロボット映画であり特に心に残らなかった

バッドガイズのような謎リアリティライン食物連鎖大丈夫そ?)と

FLY!のような渡り鳥もの

予告から想像できるヌクモリティだった

親御さんが安心して子供に見せられる映画

そういう映画って面白いんか?

マイナスもないがプラスもなく

眠いな…と思ってウトウトして意識映画に戻したら

予想通りの画面が展開されているというのが4,5回あり

ズートピアのニックみてえなあざてえキツネがでてきてた

あれ、友達ゆうてましたけど実質内縁の夫みたいなもんじゃないですか?

というかロボット性別がないのがある種の良さであり

オスメスにわかれがちな有機生命体との違いポイントと思ってたけど

しれっと「母」自称するしケア業務女性という紐付けではないですか?

というポリコレチンピラお気持ちになった

シンギュラリティがめちゃくちゃナチュラルに起きとる

・鳥が可愛くねえ

成鳥のクチバシの形がちょっとキモかった

そもそもちいこきよちよち舌っ足らずこども声優バード可愛い🩷という

感性をもってねえからFLY末っ子鳥思い出しつつ「ハイハイ可愛いっすね〜」してた

でも首筋に鳥さんが擦り寄って身を預けてくれる時の温もりの尊さと

感動はわかるのでそこはわかる…ってなった

・誰から理解されず己を芯を通し続ける変人

ここぞという時に役に立ち周囲から一目置かれるというシチュ

胸熱ではあるが見飽きた感と見飽きるほどフィクション存在するのに

現実では滅多に起こり得ないということを実感して逆に虚しくなるので

もういいかなという気持ちがある

結局は普通ナンバーワンなんや…みんなと違うからこそいいだなんて

優しい嘘なんや

アニメーションはさすがすぎた

ロズのモーション(腕を軸鉄棒の容量で下半身をぶん回すとか)が

すごいアイデアが詰め込まれてる感じがしたし、

動物身体の動きの流れがすごい実物を観察して作られてるんだなあ

という感じがしたしすごかった

・やっぱアニメとしてはバッドガイズのビジュでいく方がええなあ

と思った やたらリアルさにこだわるんじゃなくてリアルにする部分と

カートゥーンみたく表現する部分をリミックスするスパイダーバースから

バッドガイズの流れのあの流れで行くで決定なんやね…!いいと思う〜!ってなった

最後タコみたいなロボット、癖に刺さる人は

めちゃくちゃ刺さりそ〜〜ってなった

2025-02-15

anond:20250130134221

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/002615620030226004.htm

 次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます

 戦後昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、産業経済の中枢管理機能を全部東京に移す。そのために、全国的産業団体事務局東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。

 だから、もともと大阪にありました繊維業界団体も、強引に、あの日米繊維交渉ときに無理やり東京に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。

 かくして、主要な企業本社東京に移らざるを得ない。団体東京に移りますと、団体の長になるような大企業社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから地方本社を置いていられない。これでどんどんと移転した。これが第一であります

 二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本けが東京一極集中いたしました。

 例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。今これがまた問題になっておりますけれども、東京しか日販とかトーハンかいう元売会社はございません。したがって、関西出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。大阪印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌場合は締め切りが一日早くなる。これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府官僚の方は頑固に譲りません。香川県長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。

 また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局東京しか許されていない。そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京スルー情報しか流れないようになっています

 さらに、文化創造活動東京に集中いたしました。だから特定目的施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますかいうのは、補助金関係東京しかつくれないようになっています。これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。あるいはプロレス団体も、東北地方みちのくプロレス大阪大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。

 さらに、最近は、BS放送七局を全部東京しか許可しないという制度になっています

 こういった官僚の強引な、コスト無視した集中制度によって東京に集まっている、このことも重要なことだと思っております



https://www5.cao.go.jp/99/e/kgiji/19990531chiiki.html

 ここにも記述してありますが、日本地域政策は、昭和初め、昭和16年ごろの決定がございまして、日本全体を有機地域構造にするというような決定がございました。有機型というのは、人間の体のようにするということです。人間の体であれば頭は1つだということで、全国の頭脳機能を1つに集める。それは首都東京でなければいけない。

 頭脳機能というのは、産業経済の中枢管理機能と、情報発信機能と、文化創造活動である、こう定めました。そして、各地に地方中核都市をつくりまして、北海道なら札幌東北6県なら仙台中国なら広島とする。ここは地方限りの頭脳機能もつ。各県限りのものは、県庁所在地に置くという、段階的なヒエラルキーをつくりました。

 そして、すべての文化創造活動情報発信機能産業経済の中枢管理機能東京に集めることにする。その手法として様々なことがとられました。例えば、産業経済の中枢管理機能東京に集めるためには、各産業別、職業別に全国団体を作り、この全国団体本部事務局東京都に置かせるという政策とりました。

 私が通産省に入りました1960年代は、まさにこの政策継続し、強化する真っ最中でございました。この方針に反して地方に、東京以外に、全国団体本部があると、一日も早く東京へ来なければいけない。その対象になりましたのが、大阪にありました繊維業界名古屋にありました陶磁器業界の2つでございまして、繊維業界については再三圧力をかけておりましたけれども、なかなか成功しませんでした。ところが、うまい具合に68年に、あの日米繊維交渉、これを折衝するにあたって、まずアメリカと折衝する前の条件は、紡績協会が、各種団体東京本部を移すことだ、こういう話をいたしました。

 当時の局長室に、「敵は米国にあらず、大阪なり」という有名な看板を掲げられて、新聞にも出たことがあります

 いろいろ折衝したのですが、なかなか職員大勢おられてそう簡単にいきませんで、日本繊維工業連合会という屋上屋の団体をつくりました。

 銀行協会などもずっと東京にあったのですが、銀行協会長は東京にある銀行からしかさないということがずっと続いて、三和と住友ダメということになっておりました。それが、70何年でしたか本社機能東京に移すことを条件に、まず住友銀行、次いで三和銀行会長銀行になりました。それぞれ、会長銀行になると勲一等がもらえる、こういう仕掛けになっております

 それから名古屋陶磁器工業会も70何年に移転しまして、今は、陶磁器輸出組合けが名古屋に残っております

 同様に、情報発信機能につきましても、非常に厳格に東京集中を行いました。吉本さんも東京進出しておられるようでございますけれども。そのもとになっているのは、NHKにつきましては全国放送東京中央放送から行う、民放につきましてはキー局東京都にしか置いてはいけない。準キー局というのが大阪や、名古屋や、福岡や、札幌にありますキー局でなければ全国番組編成権がないのです。準キー局は、キー局から番組時間を割り当てられて放送するという仕掛けになっていまして、近畿地方だけとか、中国地方だけというのならいいのですが、それ以外はダメ。だから、例えば、広島カープという球団広島球場試合をやっているときでも、これを全国放送するときには東京キー局でなければ放送できないというので、東京テレビ局から全員が行っているというような仕掛けになっているわけです。

 それから全国的文化創造活動東京に集めるという仕掛けはどうしたかといいますと、特定目的をもった文化施設東京以外につくらせない。これは補助金交付規則で決めた。他のところでは、汎用性のある、劇場でいいます多目的ホール体育館でいいます一般体育館(これはバレーボールバスケットボールが2面取れる平場があるということが条件であります)、展示場でいいます一般団体用展示場・美術館でなければいけない。格闘技専門の体育館とか、歌舞伎専門の劇場かいうのは、東京以外につくってはならないということにしたのです。これも厳格に守られていまして、今でも、格闘技専門の体育館というのは、東京には、国技館武道館等4つほどありますが、東京都以外ではまだないです。それから歌舞伎座も、最近南座改装して、松竹座民間ではやっていますけれども、国立劇場は両方とも東京へつくったというような形で、かなり厳格に守られております

 そうしますと、劇団楽団をやる人のうち、素人多目的ホールでも、歌舞伎歌舞伎らしきものができますが、劇団楽団を本格的にやる人は本物のところでないとできませんから、結局、東京でないと劇団はやれないということで、関西歌舞伎はなくなりました。シンフォニーも13か14が東京にある。25のうち6割以上が東京にある。ニューヨークでも5つぐらいなのに、東京だけ13も14もあるような格好になっている、というような仕掛けを作りました

2025-02-10

今日のブクバカ

sqrt 有機野菜は土作りから手間をかけた旬の野菜が多いので実際美味い事が多い。一方、"有機"が目的化してしまって無理に有機してるケースもあり、そっちはぶっちゃけ不味い(パルシステム宅配野菜かにありがち)

すげえよな、高学歴研究者コストかけて研究して、それでも差が見いだせなかったっていうのに

「俺の感覚ではそうじゃない!」って臆面もなく言えるんだ

これをバカと言わずして何をバカと言うのだろう?

反知性主義ってやつかな?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2509436

2025-02-06

13歳の息子へのメッセージ

本稿は、13歳になった君にこれから人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである

観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生選択肢を狭めないためである

具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策模索して欲しい。

もちろんお父さんも協力は惜しまない。

目標の話

人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段道筋」は自然と定まる。

歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものからである

ポイントは、まず「自分想像する理想未来目標ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)

ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算分析論理的思考精緻に組み立てていくものである

多くの人は与えられた「手段から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要から働く。なんとなく環境に悪そうだからビニール袋」を使うのをやめてみる。などである勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。

電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシューから入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的姿勢である

そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的一面的一時的見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。

受験就職、大きな買い物、仕事恋愛結婚など人生重要決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。

その際、ひとつ注意すべきなのは人間物理感覚時間的感覚記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計データに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。

先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢である

人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害戦争など自分では回避制御できないことも起きる。

『良いことばかりは続かない』という覚悟必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。

おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。

人間関係の話

成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。

成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応「奇跡」を起こす。

重要なのは奇跡自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。

人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。

『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる学校には「校風」、会社には「社風」がある。

自身意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。

気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書金持ちかどうかとは関係がないという点である会社社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間存在するという現実認識しておいた方が良い。

出会人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分コントロールできる。付き合う人や、身を置く場所環境自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかし場所コミュニティには近づかないこと。

たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。

エントロピー増大の法則熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間森羅万象すべてに当てはまる普遍法則とされる。水に拡散したインク自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプシャッフルするのは容易だが、偶然きれいカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大であるエントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である

人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。

井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナ大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。

もう一度言う。『人は環境によって作られる』

お金仕事の話

お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味お金重要である

その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。

金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。

お金を稼ぐときには、ギャンブル宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事計画を立ててはいけない。

怪しげな儲け話も同様である。誰かからうまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。

かに成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力必要になる。

100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分努力でなんとかなるということを理解すること。

近い将来、君は世の中に無数にある仕事事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人から感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。

野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツ芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。

しかし、投資ギャンブルで稼いでも誰から感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。

お金を「貯める」ことも同様に大切である

人間欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊QOL(Quality of Life生活の質)が低下する。

この課題に対する古来より解決策はただひとつ収入から天引き」することである給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。

天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人イスラムメソポタミア文明華僑日本本多静六という人物明治造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課組織必要費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである

人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものである自動車も同じ。毎日飲むお茶毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求お金がある限り続く。それが人間本質なので努力気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。

そのために最も有効方法が「天引きである人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである

天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。

次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。

高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。

高級車も普通車も、飛行機エコノミークラスビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値デザインなど)を認めることは人間文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。

その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間心理的欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来機能目的」を基準にして価値判断するとぶれない。

基本的日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的事象別にして)無くなってから買っても不自由することはない。

経営学における重要概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である

特売だからとか念のためにとかい理由安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってからのものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である

それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法こちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。

あらゆる在庫管理するためには「整理整頓」が重要である身の回りのもの整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。

整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的ものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO公文書管理規則生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。

ちなみに、このような「一生使える知識技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの方法知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。

金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業組織など存在しないことを考えれば、出納管理必須Permalink | 記事への反応(0) | 21:00

2025-01-21

anond:20250120135842

この増田の言っていることはとても大切だし、その通りだと思います

増田自身別に同姓強制派だとは一言も言っていないし、この文面だけではなんとも言えないと思いますが(選択制支持かと思う)、煽るようなコメントがついているのにがっかりします。

増田がやっているのは、(選択制支持である自分たちとは違う立場の人々が、一体どういう思考回路でその考えを支持しているのか、説明しようとする試みで、使っている例えが本当に適切かどうか、表現としてベストであったかはさておき、そういう営み、奮闘、struggle民主主義を成り立たせる上で、というかなんであれ一つの社会で生きていくうえで、最も尊いものの一つだと思います

増田の言う通り、一定の、それもかなり多数の人々は、あるべき世の中と自身アイデンティティ連続的にできているのです。

これを愚かとか自他境界が不分明とか嘲弄するのは簡単ですが、そういう無理解の方がさらに一層愚かだと思います

姓くらいであれば、「制度個人選択を受け入れるか否か」だけの問題、と少なくともわたしは割り切れますが、別姓選択制を支持するタイプの人々でも、無意識のうちに自身連続的なものとして期待している世界像というものがあるはずです。

自分はかなり個人主義的というか、個というもの絶対視するタイプ人間として育ちましたが、それでも人と交わらないでは生きていけませんし、精神的にも難しいです。大体、わたしが「わたし」と呼ぶ存在が、「わたし」としてこの言語を語りだし、今も語っているのは、語るべき存在として親が(日本語で)語りかけ、今もなお個的存在として人々に認識されている結果にすぎないでしょう。「個」の方がむしろ社会的に成り立たされた仮構、あるいは約束事のようなものとも言えます

話を広げれば、わたしたちの存在自体、偶発的に成立した有機的・無機的環境の上に発生し、今のところ維持されている渦のようなものに過ぎず、個の外にも色々な生き物がいて食べたり排泄したりするし、体の中にもたくさん細菌やらがいて、それらが身体的のみならず精神的な要素まで大きく左右しているのは、最近ではほぼ共有された科学的知見になっていると思います

話が大きくなりすぎましたが、個というもの画然とあって、自分自分他人他人、世の中は世の中、とわけられるなどというのは、かなり上澄みのフィクションに過ぎません。

もちろん、わたし個人」はこのフィクションを大切にしたいです。連続的でベチャッとした世界にあって、自分自身の安寧を守っていくために、このフィクションを手放したくありません。だから選択制を支持するし、極力個人自由というもの尊重したいと思いっています

ただ、それは当たり前のことではありません。どちらかというと個を特別尊重しようとするわたしたちの方が、プリミティヴで自然な流れに抗う異端児のようなものだと自覚した方が良いと思います

繰り返しですが、わたし自身異端児の一匹として自由を尊びますしかし同時に、そんなわたし今日まで生かしてくれた、わたしとは違う人々、わたしの外の世界わたしの外や中にいる生き物に感謝したいですし、彼彼女ら、それらに対し、できる限り理解を示したいと思っています

yoshikogahaku

anond:20250120135842

この増田の言っていることはとても大切だし、その通りだと思います

増田自身別に同姓強制派だとは一言も言っていないし、この文面だけではなんとも言えないと思いますが(選択制支持かと思う)、煽るようなコメントがついているのにがっかりします。

増田がやっているのは、(選択制支持である自分たちとは違う立場の人々が、一体どういう思考回路でその考えを支持しているのか、説明しようとする試みで、使っている例えが本当に適切かどうか、表現としてベストであったかはさておき、そういう営み、奮闘、struggle民主主義を成り立たせる上で、というかなんであれ一つの社会で生きていくうえで、最も尊いものの一つだと思います

増田の言う通り、一定の、それもかなり多数の人々は、あるべき世の中と自身アイデンティティ連続的にできているのです。

これを愚かとか自他境界が不分明とか嘲弄するのは簡単ですが、そういう無理解の方がさらに一層愚かだと思います

姓くらいであれば、「制度個人選択を受け入れるか否か」だけの問題、と少なくともわたしは割り切れますが、別姓選択制を支持するタイプの人々でも、無意識のうちに自身連続的なものとして期待している世界像というものがあるはずです。

自分はかなり個人主義的というか、個というもの絶対視するタイプ人間として育ちましたが、それでも人と交わらないでは生きていけませんし、精神的にも難しいです。大体、わたしが「わたし」と呼ぶ存在が、「わたし」としてこの言語を語りだし、今も語っているのは、語るべき存在として親が(日本語で)語りかけ、今もなお個的存在として人々に認識されている結果にすぎないでしょう。「個」の方がむしろ社会的に成り立たされた仮構、あるいは約束事のようなものとも言えます

話を広げれば、わたしたちの存在自体、偶発的に成立した有機的・無機的環境の上に発生し、今のところ維持されている渦のようなものに過ぎず、個の外にも色々な生き物がいて食べたり排泄したりするし、体の中にもたくさん細菌やらがいて、それらが身体的のみならず精神的な要素まで大きく左右しているのは、最近ではほぼ共有された科学的知見になっていると思います

話が大きくなりすぎましたが、個というもの画然とあって、自分自分他人他人、世の中は世の中、とわけられるなどというのは、かなり上澄みのフィクションに過ぎません。

もちろん、わたし個人」はこのフィクションを大切にしたいです。連続的でベチャッとした世界にあって、自分自身の安寧を守っていくために、このフィクションを手放したくありません。だから選択制を支持するし、極力個人自由というもの尊重したいと思いっています

ただ、それは当たり前のことではありません。どちらかというと個を特別尊重しようとするわたしたちの方が、プリミティヴで自然な流れに抗う異端児のようなものだと自覚した方が良いと思います

繰り返しですが、わたし自身異端児の一匹として自由を尊びますしかし同時に、そんなわたし今日まで生かしてくれた、わたしとは違う人々、わたしの外の世界わたしの外や中にいる生き物に感謝したいですし、彼彼女ら、それらに対し、できる限り理解を示したいと思っています

yoshikogahaku

2025-01-19

マコモ湯とミネラルウォーターの違いって何

山と土がフィルターだけど何年も替えていませんよね

微生物の力で山の動植物昆虫有機なんですよね

2025-01-12

怒り狂ったチワワギロチン死刑する

ギロチン死刑がまだ盛んだった頃、死刑囚に瞬きし続けるよう命じて

頭部が首から落ちた後どれだけ意思を残ってるか実験していたという話を思い出して思った

 

怒り狂ったチワワの頭部を切り落とした場合チワワは威嚇し続けるのだろうか?

仮に頭部が落ちた後も頭に残ったエネルギー全てを使ってこちらに向かってくるなら

未来兵器ロケットみたいに殺傷部分にも操縦や追跡用のエネルギーを積むべき

 

そして、チワワギロチン実験からわかることがもう一つ

ロボットCPU動力を積む場所の話

現代ロボットは(SFも含めて)多く場合有機生物モデルにしてCPUは頭に、動力は冷却や面積の都合で胴体に置くことが多いだろうけど、

実際は重要な箇所(兵器なら攻撃箇所になる腕、移動兵器なら足など)と近い部分に置くべきではないか

 

もちろん、頭と胴体にこれらを置くことで腕や足を付け替えて別種のロボットに切り替えることができる利点もあるが

実際の運用を想定するなら腕に本体エネルギーの一部を置いて、腕先に攻撃箇所をつける、そして運用時は体の方を変更する

もしくは移動は移動用ロボットに任せて腕は別ロボットやらせるという方が損傷した場合の継戦能力が高い気がする

今のロボット重要な部分と無関係場所エネルギーCPUを積んでいて弱点が多い

そうじゃなく、機能CPUエネルギーをなるべく集めて、その他の部分はなくても運用できるようにすべき

2024-12-24

なりつつあるみてぇだな……仮面鬱病って奴によぉ!

家にいるから元気いっぱいだぜ!

しろ出退勤性躁鬱と読んだほうがいいぐらいかぁ?どうなんだぁ?おいおい俺ぇ?

マジで家だと元気が凄い。

でも職場だと死にそうでヤバイ……。

家にいる間は「メシうめえ!」「ゲーム面白い!」「この漫才凄!」「この書き込みオモロ!」って感じよぉん!?

でも職場だとね……「死にてえ……」「頑張らなかった罪がこの人生なんだ……」「マジで辞めてえ……」「俺みたいな奴どこも拾ってくれないよ……」みたいな感じで困っちゃう

ホンマにテンションの違いヤバイかんな。

マジで元気100倍よ。

アンパンマンのアレな、ニヒリズム目覚めたてのジャリどもがよく「そもそも顔濡れてる時の状態が出力2%ぐらいなんだろうね」みたいに考察するけど、マジで職場にいる時の俺の生命力は一桁%なんちゃうん?

マジで生命力100分の1、それ逝け敗残兵メンタルマジで

ほんまなんなんやろなー。

マジで赤の他人か別人格かってぐらい変わるわ。

職場にいるときの私、同じ人間だとかありえない。

結局のところ、俺達が人格だと思ってるものなんて瞬間的な生体信号たまたまちょっと連続的になってるだけなのかもな。

つまる所、肉体がその場その場で繰り返した条件反射連続しかないものからメタ的に物語性を見出してるだけなんじゃないかなって。

まあ俺なんぞの言葉よりも「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体)」とどこぞのシスコン先生言葉を流用すべきかぁ?

おっと他人言葉なんて借りだしたら恥晒す前にドロンが良さげだな。

これがホントの「良いわ逃亡(イーハトーヴォ)」ってかHAHAHAHAHAHA間に合わずに赤っ恥だぜ俺はさまよう赤い幽霊

2024-12-15

花壇の菊をポットに移した

今年は花壇の草花が病気がち

これは土から作り直さないとダメ

ということで、花壇に植えたものを全撤去

深さ50㎝まで掘り、腐葉土と籾殻と糠を撒いて土を被せてを交互に繰り返した後、スコップで混ぜ混ぜした

籾殻は入れて一年目は有機質としての用をなさないから年明けにバーク堆肥を入れるつもり

10㎝も掘るとモッタリ粘土な花壇も深い所までポフポフになること請け合い

菊は冬至芽を採ってそれをポットに植える

ダメ

高いもんじゃないので、基本方針としては来年は苗を買ってくるつもり

さし芽して増やすっていうけど、今年やってみたっけ発根するまでの間に弱ってその後の成長が芳しくなかったからもうやらない

2024-11-28

anond:20241128121315

有機はあったが太陽はなかった。ひょっとして同じ?

2024-11-12

辞書ツール元素について入れたり有機化合物説明を入れておいていつでも確認できるようにする勉強法

皆やってんのかな

2024-10-23

AIがここまできたんだから、そろそろ「生物構成要素」は見直すべきだよね

例えば宇宙人が居る可能性みたいなので

水の存在がどうのこうのとかさ

そういうときにはあくまで「有機生命体」って言わないとね

2024-10-11

漫画熱帯魚は雪に焦がれる」を読んで腹が立った話

 百合が好きなので、なんだか評判のいい漫画熱帯魚は雪に焦がれる』を読んでみた。

 結果として、2巻か3巻の途中で投げ出してしまった。

 理由としては第一に、あまり面白くなかったから。第二に、読んでいてだんだん腹が立ってきたからだ。

 腹が立った理由は「水族館部」の描写だ。結論から先に言うと、水族館部という珍しい部活をとり上げた理由が「なんかエモいから」でしかないと感じてしまった。

 この作品は、主人公田舎高校入学し、気になる先輩が所属する「水族館部」に入ることにして、その先輩と徐々に関係を深め合う、そんな物語である

 この水族館部というのは愛媛県長浜高校実在する部活動で、作者も現地へ取材に赴き、実質的作品舞台にしたようだ。

 だが、その水族館部の描き方に問題がある。

 まず、水槽が多すぎる。

 実際の水族館部もこれぐらい水槽があるのかもしれない。ただ、長浜高校水族館部の部員数は全校生徒の半分以上を占め、2024年3月時点で68人いる(https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2W4TLBS2RPTLC011.html#:~:text=%E6%B0%B4%E6%97%8F%E9%A4%A8%E9%83%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%93%A1%E3%81%AF,%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%AE%A2%E3%81%8C%E8%A8%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82)。

 全国募集部員数が増える前でも、数十人は下らなかっただろう。

 しかし、『熱帯魚は雪に焦がれる』の設定ではなんと部員数は2人。主人公が入部する前は1人だったのだ。

 ……誰が水槽洗ってるんだよ!?

 水生生物を飼ったことがないと想像しづいかもしれないが、水槽管理はなかなか大変だ。

 生体の老廃物や排泄物、食べかすなどで水が汚れるのでフィルター(濾過機)を常時回すのだが、どうしても濾過・分解しきれない物質が増えていくため、定期的に水を換えなければいけない。そしてフィルター掃除しなければ目詰まりしてしまう。さら水槽ガラス部分に藻や苔のようなものが付くので、こそぎ落とさなければならない。また、海水水槽場合は析出した塩を取り除かなければいけない。水温の管理必要だし、当然、生き物に関する知識を身に付けなければそうした調整もできない。

 こうした作業を、数十個の水槽に対して2人で対応していくのは極めて困難だ。

 百歩譲って、大量の水槽を2人で頑張って管理していたとしよう。しかしそうなると今度は、ストーリーとの整合性がつかなくなる。

 この作品主人公ら2人の仲良くなりたい、でも臆病になってしまう、みたいな繊細な心の動きを描いている。が、2人で何十個もの水槽管理し、あるいは重い水槽を一緒に持って動かし、生物水槽管理知識を教え合い、なんてしていたら心の距離が縮まらないわけがない。ましてや、話しかけようかどうしようだの誘おうかどうしようだのでうじうじする距離感ではなくなる。距離感が近付いた結果仲良くなるか仲が悪くなるかは人それぞれだが、距離感が近付かないということはあり得ないのだ。少人数の部活動というのはそういうものだ。

 また、登場人物水族館部および水生生物へのスタンスも気になる。はっきり言って、2人とも生き物にあまり興味がなさそうなのだ

 主人公は生き物どころか水族館部にあまり興味がないけど流れで入部しているし、先輩も水族館部にいる理由を聞かれて「子どもの頃からそれが当たり前だったから」みたいなことしか言わない。途中で顧問先生=先輩の父親も出てくるが、その人もちょろっと話を展開させる要因なだけで、生き物への愛情とかは語らない。(なんなら、作者も生き物のディテール知識は細かく書き込んでおらず、好きではあってもめちゃくちゃ好きというわけではないのだろう。)

 水生生物好きとしては「じゃあ誰がこの子(生き物)たちを好きなんだよ!?」と言いたくなる。別にこれが放課後に駄弁るだけのボドゲ部とかだったらボドゲ愛情がなくても構わないのだが、水族館部というのは一応命を預かっているのだ。色々と心配になる。

 それでも水族館部の活動を通して、生き物への解像度とか、「生」というものへの関心とか、生きるって何なんだろうとか、そういうことに思いを馳せながら2人の関係にも有機的に絡み合ってくるのかなと思ったら、全然話に絡んでこない。岩陰から出てこないサンショウウオを「自分に似てる」と勝手自己投影するぐらいである。そして、お互いにどきまぎしながら日々を過ごす傍らで、なんか水族館部の活動もしているっぽいぐらいである。本当に傍らである

 少し話は逸れるが、先輩が部活をやってる理由想像以上にぼんやりしているのは悪い意味リアルだと感じた。卒業した先輩の意思を継ぐためとか、水族館部を途絶えさせないためとか、過疎化していく地域のためとか、部員が1人になっても意地で続けていたとか、ベタながら物語映えしそうな理由はいくらでも思いつくのに、そうしたエクスキューズ特にないのだ。まあぶっちゃけ高校生なんてぼんやり生きているのが普通ではあるのだが、学校行事として開館日を設定して、他部の生徒にも協力してもらってまで水族館地域開放を成立させているような状況でこのぼんやり具合はうそ寒さすら感じる。

 ここまで長々と語ってきたが、この作品水族館描写問題点は「リアリティのなさ」とその背景に見え隠れする「リスペクト希薄さ」に集約できそうだ。

 漫画リアリティで言うと、別に幽☆遊☆白書を読んで「死んだ人間が生き返るわけないだろ!」とか言わないし、NARUTOを読んで「実際の歴史上の忍者と違う!」とか言う人もいない。では『熱帯魚は雪に焦がれる』のリアリティのなさは、なぜ問題なのか。

 それはやはり実質的特定高校舞台にしているからだろう。

 創作のために多少手を加えたり省略したりするのは許されるかもしれない。しかし、この作品では生き物を扱う苦労を無視してしまっている。こうした過度な美化は、現実存在をただ作品を飾り付けるためだけに利用してしまっている表象ではないだろうか。

 これがボドゲ部や手芸部ならいい。真剣手芸部もあれば、放課後女子会のような手芸部もあるだろう。他の部活だってそうだ。

 しかし、水族館部は国内で唯一と言われている存在だ。

 手芸部でもなんでもよさそうな内容を、ただ画的にエモいからということで日本で唯一の水族館部に設定してしまうのは厳しいものがある。

 水族館デートというのはさまざまな作品で描かれてきた。現実デートでも定番スポットだし、漫画アニメドラマ描写するにしても水槽が鮮やかで、でも館内は暗くて、なんかエモい水族館を訪れる人はそれで十分だと思うし、水族館職員の奮闘に思いを馳せる必要はない。

 しかしこの作品では、その水族館を「内部化」することでエモさを恒常的に発生させていて、一方でその現実的な苦労を描いていない。それが「いいとこ取り」で「表面的」にしか思えない描写に繋がっているのだと思う。

 以上、水生生物が好きでもないと半分以上理解できない内容ではあると思うが、『熱帯魚は雪に焦がれる』に感じた違和感を記した次第である

 なお、論評するなら最終巻まで読んでからしろと言われそうな気もするが、連載形式漫画にそれをする必要性はないと思っている。

2024-09-20

anond:20240919181916

有機生命生存に適した惑星を用意して放し飼いしましょう

過度な干渉ハンドリング人間ちゃんストレスになるので控えるようにしてください

2024-09-14

にんげんのかんがえかたっていっぱいあってたのしいね

1. 古代哲学宗教
2. 中世近代哲学
3. 近代現代哲学思想
4. 科学技術の発展
5. 心理学自己啓発
6. 芸術文化
7. 人類学コミュニティ
8. 倫理学道徳哲学
9. 政治哲学社会思想
10. 科学哲学認識論

2024-08-26

アセトン✖️唐揚げ

唐揚げ有機溶媒に入れると、衣が溶けて肉だけになるってお兄ちゃんが言うんですけど、嘘ですよね?やったことある人いますか?

anond:20240825163319

ファイル有機能が他より強いなっておもってる。2GBとか3GBとかを他サービス介さずに共有できるからAndroidカスタムROMコミュニティが軒並みtelegramに移行してて、ビックリしながらアカウント作った。

上記性質クローズド環境からかエッな動画の共有場所みたいなのも見かける。

2024-08-25

Apple「産んだ責任を果たせ😡」

私には増田コドモと言う名の子供がいる。

コドモちゃんは2週間前に生まれたばかりという設定で、Appleアカウントを作ってあげた。

そう、コドモちゃん架空の子供で、私がファミリー有機能をテストするために作ったのだ。

しかしもう十分テストできたのでコドモちゃんの役目は終わった。

コドモちゃんを捨てるのだ。

しかしここではじめて13歳未満のユーザーアカウントは削除できない事に気付く。

しかも13歳未満だとファミリー共有のメンバーからも外せない。

これではコドモちゃんを捨てられない。

Appleに産んだ責任を果たせと言われたような気がした。

 

唯一、他の親にコドモちゃん転送すれば少なくともファミリー共有からは消えてくれるらしい。

ということで今から新しい里親アカウントを作ってそこにコドモちゃんを引き取ってもらう。

幸せになって欲しい。

教訓として、次別の子を産みたくなった時は最初から13歳以上の子を産もうと思う。

2024-08-20

ブラックボックスじゃない】「いつ脂肪燃えたのか」がわかる方法

ダイエット術」が魔術的ないかがわしいものばかりになるのは、人が直接的に「いつ脂肪燃えているのか」を見ることができないからだ。

もしそれが「脂肪残量モニター」のようなもので直接わかるようになれば、食べ過ぎる前に「もうよしとこう」、食べ過ぎたら「ちょっと運動で減らすか」なんてゲームのような対応が誰でもできるようになる。

残念ながらそこまでのことはできないが、脂肪燃焼のメカニズム理解すれば、実は「今日ちゃん脂肪が燃やせた」くらいのことを確認することはできる。

 

考え方は非常に簡単

脂肪は燃焼されてエネルギーを使ったあと、尿(水分)になって排出される」

これだけの原理を知ればすべてわかるのだ。

 

燃料を燃焼すると水になる

「ガス火は水蒸気が出るから焼き鳥がうまく焼けない」なんて話がある。

燃料になる有機化合物は、酸素と結合してエネルギー放出するときに、大部分がH2OとC02になる。

 

大雑把に原理を言えば、これらの有機化合物の主となる部分は -CH2- の炭素である

ここに 1.5 O2 が反応して、CO2H2Oが大量にできると思えば良い。

脱水した炭素Cの塊である「炭」はこういう燃え方をしないので、水蒸気が発生せず、香ばしく焼けるということなのだ。

 

さて、この化学方程式自体は人体のいわゆる「脂肪の燃焼」でも同じである。(触媒によってゆっくり進むという違いがあるが…その辺は化学教科書を読みなおして欲しい)

我々はつい「脂肪が燃焼」すると開放空間での石油燃料のようにその瞬間に消えてなくなってしまうと思いがちだが、人体内のような閉鎖系ではそうはいかない。呼気中の水蒸気や汗として発散されるのは微々たるもので、大部分は体液として残留する。

 

トイレ前後体重を測れ

というわけで、この脂肪燃焼後の水分を解放するのは主に「放尿時」になる。

脂肪燃えた」ということは、実はこの尿の量を細かくモニタリングしていると観察できるのである

増田はこれを、在宅ワークトイレ休憩のたびに前後体重変化を量ることで発見した。

 

トイレトイレの間にはだいたいコップ1杯(約200ml)の水分補給しかしないから、大抵の場合トイレの前とあとで200gだけ体重が変化する。

しかし、たまにこれが明らかに多い時がある。

そしてこの「体内に残留した水分」を解放したあとは、決まって身体が楽になり、なにかスッキリして、そろそろごはんでも食べようかという気になるのである

 

はっきり言うが、増田いちばん継続したダイエットメソッドはこれだけであった。

運動したり糖質制限したり色々したが、そのたびに効果をこの「尿量計量法」で確認することだけは怠らなかった。

その結果、「朝、この残留水分排出が終わるまでは固形物を食べない」という形に落ち着くのが一番安定して痩せることができたが、それは結果論だ。

何より大事だったのは、このやり方で「今日脂肪が燃焼した」を、絶対的体重変化(食事量、いつ量るかなども影響)以外で着実に実感できたのが一番良かった。

増田はこれにより、間断的だがのべ1年ほどで30kg痩せた。

 

減らせるのは1日100g

実測的にも、継続して痩せることができるのは1日100gから多くても200gほどである

100gの脂肪が持つエネルギーは×9で900kCalなので、増田のようにデスクワーク基礎代謝の少ない人、特に女性ならこれくらいが目安だと思う。

 

コロナ禍も過ぎ(?)、在宅ワークが少なくなっているとは思うが、できる人はとにかく毎日やってみると意識が変わると思うよ。トイレ前後の計量。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん