はてなキーワード: 光合成とは
(※諸説あります)
・大学芋は昭和初期に東大生が考案し、貧しい大学生の間で人気が出たことから名前がついた
・タモリのいいともでの「卓球は根暗だ」という発言から、卓球台の色が青になり玉もオレンジになった
・ガチャピンとムックは師弟関係。ガチャピンが師匠のためムックはガチャピンに敬語
・ルパン三世には不二子との間に子供がいてルパン小僧として連載されていた
・ガラスは水中ならハサミで切ることができる
・伊藤ハムは女子高生という登録商標を取得していたが今は失効している
・猫は魚が好きなイメージがあるがそれは日本だけ、イタリアの猫はパスタ、インドの猫はカレーを食べる
・四葉のクローバーを探すコツは日陰を探すこと(光合成をしようと葉を増やすため)
・昆布が海の中でダシが出ないのは生きてるから。死ぬと細胞膜が壊れダシが出る
小中学校でブスだのデブだの◎◎菌だの言われていじめられたから、高校時代に頑張ってダイエットして美容にも気をつけて努力したんだわ。
太ってていじられてた奴が食う量気を付けるようにしただけのことを偉そうに
んなもんいたって普通の話だろ
派手な女子が少なくチャラチャラしてない大学なら自分もモテるのではと思って頑張って勉強して国立大学の理系学部にいった。それでようやく付き合う相手ができた。
でも、男でも高校時代にそれくらいの意識持って女にモテるよう努力したら、地味な女と付き合うぐらいどうにかなるんじゃないかと思うよ。
ウエイトトレーニングが趣味の俺は定期的に15kgぐらい減量するけど
食う量管理すりゃ誰でも痩せる 痩せなかったらそいつは光合成している
そりゃ男はそれ以外のことも頑張らなきゃのちのち詰むしな
けれど、私は子を持ってはいけない側だと8歳の時から感じているから、子供を持つことを諦めた。
「子を産み育ててはいけない」と自分に言い聞かせすぎて、35歳を過ぎるまで、「自分が子育てをしてみたかったのだ」ということにすら気づけていなかった。
私は自分の感情について、とことん鈍かった。何かをしたいと感じたことがなかったから、自分が子育てをしたかったなんて夢にも思わなかった。
子をもってはいけない側だと感じた理由は多数あるけどまとめるとこんな感じだ(まとまってない)
【① 障害を持った子や「育てづらい子」が生まれたら育てる自信がない】
・自分が発達障害(ADHD、ASDはグレー)で周りから非常に浮いていて(でもどうしたら浮かないかはわからなくて)生きづらかった。母親も兄弟もそうだし、親族にもちょいちょい自閉症だったりASD傾向が強い人が多く(奇声を発したり走り回ったり、幼い頃は癇癪を起こしてノートをめちゃくちゃにしたり、大人になっても言ってることの意味がわからなかったり)、遺伝すると思ってしまう。兄弟はかなりひどい障害者なのだが、それ以上酷い(相手に暴力を振るうとかのパワー系)子が生まれた場合は無理だ。菩薩のように過ごせる自信がない。
・引きこもりや不登校やニートになってしまった場合に、一生面倒を見なきゃいけないのが辛すぎる。見捨てることもきっとできない
・生まれてから病気で障害を持った場合も辛すぎる(自分で痰を出すことができないような子を育てていく自信がないです。親も本人も何も悪くなく運悪くそうなる子がいる)
・発達障害のせいも多分にあるとは思うが、人から言われたことに傷つきすぎる。自責志向が強く、自己受容感も自己肯定感も皆無なので、そういう人間に育てられる子がかわいそう
・周りの友人たちや世間の女性で「子育てしてて子供ぶっ〇したくなることなんてあって当たり前。それでも子供は育つ」とかみんな言うんだけど、私はそんな感情を自分の子供に抱く自分自身を許せないと思う。自分の子なのに「こんな奴ともう一緒にいたくない」と思ってしまう自分は許せないと思う。最初から素敵な母親にはなれるものではないと分かってはいるけれど、自分が自分を許せそうになかった
だから、言い訳ばかりの私みたいな女は母になれなかったのだ、仕方ないのだと自分に言い聞かせているけれど…
・女性の中で全然うまく立ち回れなかったからPTAやママ友などと上手くやれそうにないし、そもそもあまり他人に興味ないからその人達と仲良くできる自信がない
・親子にも相性があると思っている。私は両親にも家族にも感謝してやまないが、実家にいて心が休まるときはなかった。誰も悪くはなくただ相性が悪いのだと思う。
・自分は超田舎出身なのだが人が少なすぎてクラス替えがなく小学校6年間いじめられていた。自分の子がいじめられっ子になったら心がつぶれるほど辛いし、もしくはいじめっ子側に回った時にはその神経が全く理解できなくてそれ以降育てたくなくなる。
【④そもそも自分が人間に生まれてよかったと思えたことがない】
・瞬間瞬間楽しいことがあるにはあるが、生きててよかったと思わないし、何かをしたいとかも思えない。生きていてやることがないなと感じるが、子に先立たれるのは辛かろうから親の葬式を出すまでは何とか生きなきゃと思えてはいる。が、両親が死んだら夫が死んだら夫の両親が死んだら、本当に生きるのがしんどいので何をモチベーションにしようと思ってしまう。両親義両親夫の葬式出したら、秒で死んでもいいし、その責任ないなら今すぐ消えてなくなりたいくらい。死にたいんじゃなくて、生きていたいと思えない。ずっと昔から。
・おとなしくていい子だったら欲しい育てたい、一緒に過ごしてみたい…何万回もそう思ったけど、自分の兄弟みたいなのや、それより酷い子を育てるのは無理だという結論になる。そもそも周りの人たちも疎むと思う。兄弟連れて歩いていつもキモイとか言われてきたけど、辛くて私が泣いても誰も助けてはくれず、人間の本質はそんなものかもしれませんが、当時から私は大部分の人にウンザリしていたのだと思うし、でもそれが残念ながら大半の人間なのだと思い、個人的にはそんな生き物なら人間もう特段要らないっしょと思ってしまう。
【⑤ 特段人間が存続すべきと強く思えていない】
・地球の環境のためには人間なんて必要ないから別に人間これ以上増えなくていいんじゃないとしか思えない。
少子化は何とかしてあげたいが、人が増えればいいというものではないと思っている。日本が「少子化改善のために子育てを」と言っているのだって、「健常者で、素直に言うことを聞く、一定以上の知能を有する人材」が欲しいだけで、障害を持っていたりするような不出来な人間は要らないってほぼすべての人が思っているだろうから、そんな無茶言うような人間は別に存続しなくていいよと思ってしまう。無理ですそんなの。
・こんなだからなのか、自分の遺伝子を残したいという発想になったことが一秒もない(けれど夫を父親にしたかったとは思うし、夫みたいな人に育てられる子は幸せだと思う。けれど夫は私以外と結婚したくないらしいのと、病気で29歳の時からもう子を持てないから今から離婚しても意味がない)
今の世の中、人間というものに求められるハードルがめちゃめちゃ高くなっていて、自分には子を持つ資格はないと感じてしまう。
ただ次世代を生み落としそのままでいいなら子を産みたかったし、何なら子供のころから草になりたかった。一年草になりたかった。種だけ撒いて自分は枯れる。光合成をして自身でエネルギー生み出せる。素晴らしいと思う。感情なんていらないから私は今すぐ秒でなれるなら草になりたい。
子供はかわいい、いとおしい、将来の希望だ。そんなこと痛いほどわかっているし今だってそう思っている。
けれど、責任が取れない。
私も温かい家庭を築きたいと思ってみたかった、自分の子が可愛くて愛らしいと思ってみたかった。素直に幸せな未来を信じていたかったし、家庭というものが安らぎであると思いたかったけれど、私にはできそうになかった。
今辛い。子育てをした方が良かったのかと感じてしまう。自分のために生きるのが飽きてしまった。何もしたいことがない。
何かの役に立たねばと感じるけれど、子育てが世の役に立てることと思いきれない。自分がそんな高尚な人材を育てられる自信がない。税金だけでも納めなきゃと仕事だけはするけれど。仕事以外の時間をどうしたらいいのかわからない。
そんな勝手に子を付き合わせられない。でも今何かがしんどい。どうしたらいいのだろう。これからどうやって生きていけばいいのだろう。
でも地下茎が地中に5cmでも残ってるだけで復活する、みたいな話にはまたまた……と思ってた。
抜いた草を突っ込んだゴミ袋が蒸れてるんでかき回してた時、真っ白い新鮮な根っこがニョロニョロと生えてるのに気がついた。
まさかな……と思って調べたらドクダミの地下茎で、小さい葉っぱまで生えていた。根っこも結構伸びてた。他の雑草は腐葉土と化してんのに。
今年の夏は結構気合い入れて草むしりをした。更地になれば新たに生えてくる雑草も目立つもので、せっかく綺麗になったんだからとマメに手入れをしてた。
質量保存の法則というものがあるんだから、ドクダミの成長だって無限じゃない。葉っぱがなきゃ光合成は出来ないだろうし、光合成が出来なきゃ地下茎だって減る一方に違いない。
根比べじゃいと思って少しでも葉っぱが出たらむしったし、根本の地下茎も毎回結構な所までほじくり返した。
でもゴミ袋の中で逞しく生きる生命力を目の当たりにして、なんかもう面倒臭くなってきて液体タイプと粒剤のネコソギをポチった。葉と根で挟み打ちだ。
ビッグモーター御用達の除草王が話題になってたけど、除草剤の効き目をこの目で見てみたいという思いも無意識的にあったのかもしれない。
緑一つない庭を見てると気持ちが良くなる。
心なしかヤブ蚊も少なくなった気がする。
土を掘り返して乾かしまくって砂漠化させたらとても気持ち良いんじゃないかって妄想を膨らませる。建物への害がなかったのなら塩を撒くやつも試してたと思う。
ガーデンニングとは真逆を行っている気がするがガーデンニングの楽しみのエッセンスに触れている気もする。理想の支配の願望を形にしていく感じというか。
地球ってさ、年中太陽からの輻射熱にさらされてる訳じゃん。雲なり氷なりで一部を反射して地球からも輻射してるけど輻射熱の収支としてはプラスでしょ。
で、周り真空なんだから伝導も対流も無いなら時間とともにあったまらざるを得ないんじゃないの?
植物が光合成して化学的エネルギーに変える位しか入ってくる熱エネルギーを熱以外に変える経路が思いつかないし、変換効率100%でもなければ地球全てが植物で覆われてるわけじゃないから全ての熱エネルギーを変換できるわけじゃない。その上自転なり公転で潮汐みたいに変形されつづけたら摩擦熱も生まれるでしょ(そのエネルギーはどこから来てるのというのもあるけど)。