はてなキーワード: 延命措置とは
『Pokémon LEGENDS Z-A』。それは、任天堂とポケモン社が打ち立てた“最後の防壁”だ。ドイツ第三帝国がかつて築いたジークフリート線――西部戦線の要塞群のごとく、この新作は「過去の栄光を守るための要塞」として存在している。だが歴史が示すように、防衛線は攻め込まれるためにある。
Z-Aの発表は、ファンに希望を見せかけた煙幕だった。舞台は再びカロス、再び懐古の都市ルミエール。だがそこにあるのは、創造ではなく再利用、革新ではなく防衛の姿勢だ。ポケモン社は自らの“鉄筋コンクリートのノスタルジア”に閉じこもり、次世代の創造的リスクを恐れている。まるで、連合軍の空爆を恐れて地下壕に籠るヒトラーのように。
ジークフリート線がそうであったように、このZ-Aも膨大な資本と技術で築かれている。だが問題は、その壁の内側に希望が存在しないことだ。テクスチャが美しくなろうと、街の再構成がなされようと、ゲームデザインの骨格は老朽化している。進化ではなく、ただの延命措置。プレイヤーが望むのは「次のポケモン」ではなく「新しいポケモン」だという事実を、ポケモン社は理解していない。
ジークフリート線が陥落した時、ドイツは敗北を認めざるを得なかった。ポケモンもまた、その日が近い。Switch後期の停滞、ファン離れの加速、SNSでの冷笑――それらはすでに砲撃音のように響いている。Z-Aがどれだけ豪華な要塞であっても、崩れるときは一瞬だ。
この作品は、もはや未来を切り開く旗ではなく、崩壊を遅らせる防衛線にすぎない。ポケモン帝国のジークフリート線。それは、かつて栄光を誇った軍団が築く、敗北のための美しい墓標である。
同僚のお爺さんは元気なうちから「何かあっても延命処置はいらん」と家族に言ってたらしいし、
入院してからも医者に向かって「延命措置は無駄だからするな」と言ってたらしい。
私も家族には常々同じように言ってる。
私の祖母が亡くなった時、祖母は施設で十年以上寝たきりだった。
最後は「脳溢血でいびきをかき始めたが、歳が歳だから何もできないのでこのままとする」と、
そしてその連絡が有った翌日に祖母は亡くなった。
103歳だった。
その施設に入る前、まだ少し歩ける時には他の養老施設に入っていたが、
転んで骨を折り、また転んで骨折し、歩けなくなってしまいその施設から追い出された。
最後の十年間くらいはたまにしか会いに行けなくて、たまに見る姿が痛々しかった。
顔なんかは生気を欠いた顔色をしていたし、しゃれこうべに皮が張り付いているような状況で、
できることなら直ぐにでも楽にしてあげたいと思った。
誰かが言っていたけど、自分で食べ物を飲み込めなくなったなら、
強制的に栄養を補給するようなことはやめるべきだというのがよく分かった。
ベッドのそばで見ている祖母はただ生かされているだけで、苦しいのではないかと思えた。
棺に入れられた時に見たのその顔は、ベッドに横たわっていた時の顔とほぼ同じで、
こんな言い方はすべきではないかもしれないが、あの時から死んでいたんだなとしか思えなかった。
寝たきりとは言え足しげく通っていた母、そして姉には感謝の気持ちしかない。
母方の祖母は施設に行くことを嫌い、母に簡単な介護をしてもらっているような状況
妹は遠方で家庭を持つ
父は自分勝手なところが強くて、母が困っているのを昔から見てきた母が不憫でならない
母は愛嬌もあるし、器用だし、体力もあるし一人でも生きていけるポテンシャルはあるが、一人娘で他に頼れるあてがない
妹はいいとこ取りで、東京で世帯を持ち順風(なのかもしれない)
だから、せめて母の味方になってあげたいと成る可く悩みや協力できることは協力する
自慢の体力も年と共に落ちたが反対に器用さが身についてきた
強迫障害と不安障害を生きる希望と一緒に削ぎ落としながら生活できている
妹には人の道に沿って歩めて嫉妬はあれど、幸せになれたのならもう何も思うまいと考えている
墓をしまって、自宅を取り壊して、せめて妹に遺恨を残さない事くらい
母は多分独りで何とかなる
妹もいる
ああ、父と祖母が早く死んでくれないだろうか…
父と祖母が死ぬ時はせめて夏と冬以外にしてくれないかな…葬式面倒臭いから
あんな、祖母でも母からしたら親なのだろう、長寿の祝いをやろうと言ってきた…
自分は「そうだね」と返したが、そんな気分じゃない
寧ろ早く片付けたい…
何でみんなそんなに生きたがるのかな…
最近は頭のモヤがいつも晴れない
https://koken-publication.com/archives/3804
これね。
気になったところを引用しながら。
氷河期世代は社会的にもインパクトが強かったので、私もこの世代が最も厳しい状況にあるのだろうと漠然と思い込んでいたところがありました。こうしてデータをあらためて見ると、とても「改善した」と言える状況ではありませんね。
理由は分析されているけど、この「氷河期世代」が、バブルを知ってる最後の世代ら、前世代がどうだったか知ってて、かろうじて現状を認識できたからじゃないかな。
それより後の世代はいわゆる「さとり世代」で、もうこんなもんだとしか思ってないと思う。諦めているというか。それが良いかどうかはわからんが。
ショックが大きかったのは、むしろ非大卒のほうだったのかなという気がします。(中略)高校卒──統計上では専門学校卒も含めています──は、今でも非正規雇用の割合が高いままで、もうずっと改善していません。
これはずっと前から思ってた。
統計の話に自分語りで恐縮だけど、俺は氷河期後期の地方底辺普通科高校出だが、先生が求人をかき集めても就職できる状況になく。金ある奴は進学させ就職希望者を減らす動きがあって、俺もそれに乗り二年制の専門に進学した。そこでは「大学卒業したが就職できず入った」とか「既に非正規でさらに職を失って」と言うような人が半数ぐらいになってた。
就職率100%を掲げていたので卒業で就職決まるだろうって考えだと思うが、実態は、就職先に派遣や非正規が多く含まれてたがカウントに入れ、さらに二社以上から内定を得る人を二重カウントとかで100%といっていた。
俺は基本情報まで取得して、なんとか地元の製造業に生産システムの奴隷として就職することができたが、そんな風に就職できた人はまれ。
今も連絡取れる連中でも、その後も職を転々としている人は多いし、でなくてもボーナスも定期昇給ない仕事に就いている人がほとんど。俺も最初に就職した会社はそうだった。そこから転職市場なんて大卒でなければエントリーもできない。可視化されてないのだと思う。
ただ、何故かここらに全然注目が集まらないんだよな。政治に積極参加するような人たちしか相手にされないからだろうとは思うんだが。
一方で、はてブでもそうだけど全く逆の言説、地方の低学歴の方が就職して結婚して幸せに暮らしている、みたいな統計にも実感にも反する話が言われたりするのが不思議だった。
20代で初めて出産していたのが30代へシフトしていった流れがあります。30代で産むのが一般的な時代になっていたところに、30代の雇用が若干回復したことが出世率の増加に寄与している可能性
統計はそうとしか読めないので「たし🦀」なんだが、どうも実感は「雇用が若干回復した」って感じがないんだよな…。たぶん俺がいる社会階層の問題だと思うが。元々希望条件を下げる事でワーキングプアでも職はある人が多からかな。それで30代で仕事を任されるようになっても、結局は残業で稼ぐだけな所があって。主任/班長に上がって手当5000円付くようになったけどそれがなにか?みたいな。
社会学の世界では、少子化の最大の原因とされてきたのは女性の高学歴化でした。女性が徐々に高学歴化していった結果、まずは結婚するタイミングが遅れます。スタートが遅くなれば、出産に至る時期も遅れるので結果的に子どもの数も減りやすいというわけです。
もう一つの原因は、ミスマッチです。女性の高学歴化は進みましたが、男性は同じようには高学歴化していきません。女性は基本的には同類婚か上昇婚をめざすので、求めるパートナーが見つかりにくいというミスマッチが生じてしまう。これは比較的厳密に立証されています。
これは完全にそうなんだけど、タブー視されてるよな。このサイトは学術的文脈を理解できる人しか覗かない、理解できる人しか読む気が起きない体裁をあえて取ってる風があって書いてあるけど、こういった場以外ではもうまったくくこれ。不都合な事実。
だけどこれは本来次の話
一つ強調しておきたいのは、氷河期世代の出生率を同じ世代内で見ると、経済的に安定しているほうが高くなるという偏りがあることです。かつては学歴の低い女性のほうが産む子どもの数は多かったのですが、それが逆転したのが70年代後半生まれぐらいからです。この世代は、学歴が高い女性のほうが出生率は高いという新しい傾向が見られます(中略)
二人とも大企業で共働きしているモデルが出生率は高い。この二つのパターンでは割と子どもをつくるけど、それ以外のケースでは子どもを持つことが難しくなっている傾向があった
とセットで真っ正面から議論するべきだと思うんだよな。これは大企業並みにしろとかそういうことじゃなくて、そう言う現状認識をみんなで共有した方がいいと思うんだよ。
2000年前半の苦しい時期に何らかの対処が可能だったのかどうかという点について少し考えてみたいと思います。(中略)
政治でどうにかできる余地があったのかと言えば、かなり疑問ですね。結局、問題の背景にはバブルの崩壊による不景気があります。それを政治の力で防ぐことができたのかと言われると、不可避だった
お二人とも政府の審議会などで活動されてるら言えないんだろうなと思った。少なくとも以下のことが失策として言われるのは、学問的にもコンセンサスがあるよな。
新政策を飲んでもらう時には、責任を取らされるキーマン達に「過去はどうしようもなかったよね」って責任追及しない、否定をしない事は重要だとは思う。そんで、この対談はそこを目指してないんだろうと思ったけど、ここは流石に突っ込まざるを得なかった。
お金を配っても子どもが増えないことは明らかで、「効果がないというエビデンスがある」と言ってもいいレベルですね。
筒井 あったとしても効果量があまりに小さ過ぎて、効率がひどく悪い。雇用や出生率は、政策介入の効果が極めて限定的です。例えば、安定した雇用環境にあることは、出生率の上昇にかなりのプラス効果があります。当たり前のようですが、これは説明力がありますよね。けれども、雇用は政策介入でどうこうできるものではありません。「来年は正規雇用を20%増やす」のような政策を打てるわけではない。
これは専門家にはもう常識だと思うんだけど、この間の選挙を見てもお金を配って子どもを増やしましょう、と言う政策ばかり言われる…。これも不都合な真実の一つだと思う。
ただ、雇用は政治介入でどうこうできるものではない、などは,この人達の限界だろうなとも思う。お立場あるとは思うんだけど、もうちょっとそこをオープンに議論していくべきじゃないかと思うんだよな。
これは学者が悪いんじゃなくて、政治家や行政がこう言う先生を使いやいから求めているような所があって、それに影響を受けてしまっているんだと思うんだけどね。
出生率の研究をしていると、政策介入の効果はゼロに近いものばかりですから、論文を読めば読むほど論じたくなくなるんですよね(笑)(中略)
専門家が魔法の解決策を持っているわけではないありませんからね。「教えて欲しい」と言われても答えようがない
社会学の限界がたぶんこれなんだよな。現状の延長線上でしか社会を見られないのだと思う。多くの場合はそれで正しいんだけど、現状の延長線上に無い場合は予測ができない。
別に学者を批判するわけではないんだけど、歴史学者に聞けばまた違った見解が出てくると思うんよ。
私は撤退戦と言っています。本来、政治家は高齢化や少子化を前提とした社会保障をいかに再構築すべきかとか、自治体への悪影響をどう緩和していくのかといった撤退戦略こそを語るべきです。けれども、政治家はそういう話をしたがらない
これはそうで、実務的にはそう言う動きになりつつあって。この二人の先生があちこちで講演会をしたり、委員会などで重用されているのも、こうするしかないと考えている人たちが先生達を「使って」雰囲気を醸成しているんだと思う。
ただ、現実問題として、経済の仕組みは成長し続ける事でしか維持する事ができない…と言う以前に、人間はわずかでも、ほんのちょっとでも、今日は昨日よりよくなる、明日は今日よりもよくなる、と思えないとすごいストレスがかかるようにできている。精神疾患が出ちゃう。
なので、成長戦略という話をしつつ、裏で手当をしていくという今の現実路線はわりとバランスがとれてるんじゃないかと。
政治家のそうした思惑は無視して、行政で確実にやっていくしかない気がしています
これなんだと思う。政治家は無視しろと言う言い方になっているけど、政治家にもちゃんとインプットしてそこを政争にしてはだめだと理解してもらう必要があるんじゃないかと。
政治家は票で動くので、政治問題は言及しなければいけなくなる。だから政争かを予防する。
裏側なんてのは地方行政レベルしか見えてないけれど、議論の俎上に載せたら「無駄遣いだ」 「不公平だ」という声にしかなり得ないような話を、根回しして議会を通すみたいなのは見る。
こういうとき議員を無視するのは最悪で、半端に取り上げられると誰も得しない結果になる。だからちゃんと議会に乗せるんだけど、政争にはならないように必要性をインプットしておくことが必要になる。
最近ではあまり人気もありませんが、ジョブ型雇用──職務内容とスキル、経験を限定して従業員を採用する雇用形態──を普及させるべきという考え方も一部ではあります。厚労省は「骨太の方針」のなかで少子化対策として、「同一労働、同一賃金」と書いています。(中略)ただ私自身は、若年者の失業率が激増することになるので、少子化対策としてはまったく支持していません
これはそう。だからジョブ型雇用が主流になることはないんじゃって思っている。情報通信系をみるとジョブ型雇用が当たり前になっているような話をよく見るけど、全然そんなことないし。
むしろ、人手不足になった今だと、人材確保が難しい業態の企業であればあるほど、どんどん「学歴・経歴不問」 「入ってくれたら育てます」 「定年以下ならOK」」(ただし低賃金)みたいな求人ばかりになりつつあって、ジョブ型とは逆行していると見てる。
ただ、途中に出てくる「同一賃金同一労働」はジョブ型を想定していたのでは、と言う読みは外していると思う。非正規雇用でも賃金は正規雇用並みに出るように、と言うそのまんまの意味かなと。
氷河期と括られている世代の中には、社会的に成功している人たちも当然たくさんいます。その人たちは所得階層で言ったら客観的に見たら決して低くはないのですが、すごく被害者意識が強い人たちが一部にはいます。(中略)
声が大きい人たちは、本人が苦しいわけではないことが多いのですよね。客観的に見たら決して厳しい状況にあるわけでもないのに、自分たちは上の世代に比べて恵まれていないと強く感じていたりする。(中略)社会保障制度の改革に、強いブレーキを掛けるような動きに発展しかねないところがある。そこは少し怖いこと(中略)
いま手取りを増やす改革を進めるべきだという議論が盛んになっていますが、近藤先生がご指摘された層には増税や社会保障の負担増を絶対に許容しない傾向がありますね
「手取りを増やす」というのは国民民主党の看板政策で、この対談の中で唯一といっていい直接的な批判だなと。でもこの部分、本当に国民民主党の性質をよく言い当てているんだよな。
国民民主って、立憲民主党が成立、再編されるとき、原発政策の対立から、立憲に合流することができない労働組合の組織内候補の受け皿としてできた所があるんだけど。その経緯から、国民民主党の候補者を支援する労働組合はこんな感じ。
ただでさえ組織率が落ちて中小企業の労働組合がなくなっている中でも、特に中小企業率が低い人たちなんだよね。
俺の立場を明らかすると、俺はこれら労働組合がある企業の下請けで働いてる。で、ここの人たちが「手取りを増やそう」といっても、お前らがそれを言うの?って思っちゃって白い目で見てる。お前らベア1万円以上でてるじゃん、って。
俺は定期昇給なんかなくてさ。求人集まらないから募集賃金を上げる、に連動してでしか給与が上がらない環境にいるんだよ。
手取りを増やすとか言うなら、そのベア分の金を下請けにも流しちゃくれませんかね、って思えてしまう。
理性では、そんなに簡単な問題じゃないって分かってなるだけど、そう言う連中が、社会保障を減らして手取りを増やせと言っているのはあまりにも利己的すぎるだろ、お前ら別に困ってないだろ、って思っちゃうんだよね。
たぶん、そう言う人も結構いて、そう言う人は参政党にいったんじゃねーかなって思っている。
対談もその後
社会投資的な支援策が表に載っていたとしても、困窮者の実態に踏み込んだ社会保障もパッケージとして政策に盛り込まれていればいいのですけどね。実際は、踏み込むべきところにブレーキがかかっている気がします。
って続くんだけど、まさにこれだよなって。社会を不安定にしていくのはよくない。
最後まで読み切って思ったのは、よく言えば「過去の統計をみつめ、その延長線上にある未来をきちんと紡いでいこうとする人たちの対談」であり、悪く言えば「行政の人たちが自分たちの政策を肯定してくれる御用学者が対談して、新しい政治の流れを牽制してる」って事なのかなと。
私見を述べている部分はともかく、統計認識の部分は王道的な話が網羅されているのでそこを基礎にしないといけないと思いました。辛いけど。
一方で、この対談をしている人はやっぱり「専門馬鹿」で、国内だけではなく国際競争が必要な点、地政学的なリスク、安全保障、民主主義のがもたらす「革命」など、ゲームチェンジを想定してないとか、視野が狭いと思うので、あんまり鵜呑みにするのも違うなーと思いました。
水不足に陥った大きな溜池に給水車で水を注入している様子を小泉大臣がツイートしていました。焼け石に水という言葉がぴったり当てはまる光景です。これに対して「バカか」「税金の無駄」などと炎上しているのですが、他方で、これは従来から行われていることであり、一定の効果が有るから部外者は黙っているべき、という意見も散見されますが、その具体的効果というのがいまいち見えてきません。実際にはどのような効果がありますか?
ChatGPT:
給水車で溜池に水を注入するという行為は、たしかに一見「焼け石に水」と思えるような光景かもしれません。しかし、これは必ずしも「無意味」や「パフォーマンス目的」とは限らず、状況によっては限定的ながらも実際に効果があるケースがあります。以下、現実的な効果や背景を解説します。
■ 1. 【緊急的な最低水位の確保】
溜池は、農業用水や防火用水など災害や生産活動に重要なインフラです。
水位が極端に下がると、ポンプなどの取水設備が使えなくなります。
一定量の水を確保することで「最後の水利用」に備えることができます。
例:出穂期の水稲にとって「ここで水がないと全滅」という重要な時期に水を融通。
→ このような緊急の最低ラインを死守するための水入れという意味では、多少の量でも「無駄ではない」とされます。
長期間干上がると、底の泥が露出し、以下のような問題が発生します:
ヘドロの酸化・腐敗
水質の急激な悪化
魚類の全滅
→ 散水車の水を入れることで泥の露出を防ぎ、最悪の環境悪化を回避する目的があります。
■ 3. 【ため池が周囲の農業水路・地下水系とつながっている場合】
これは専門的な事情ですが:
一部の溜池は**地下水涵養(かんよう)**の役割も果たしており、
水を入れておくことで、周辺の地下水位や小水路の保全に役立つ場合があります。
→ 見た目の水量以上に、周辺環境への間接効果が期待されることがあります。
水利組合や農家から「どうしてもここに水を確保してほしい」という要望があり、
あるいは**次の雨までの「つなぎ」**として使われる、
こともあります。
■ 5. 【「パフォーマンス」に見えるのはなぜか?】
使っている散水車の水量が明らかに少ない(例:タンク1台で10トン程度、池は数万トン)
一度だけの給水なら、持続性がない
SNSなどで「見せる」要素が強い
といったことが、「焼け石に水」「税金の無駄遣い」と映る原因になっています。
■ 結論:
▶ 本当に無駄かどうかは、その溜池の役割と注水の規模・頻度による
他人の真似をするのは恥ずかしいことではない。というより、恥ずかしいとすら思えないほど日常の中に溶け込んでいる。言葉遣い、身振り、口調、態度、考え方。自分という存在のかなりの部分は、誰かの断片でできている。「人格」とはそんなコピーの連なりにすぎないのかもしれない。
たとえば、前の職場にいた上司は仕事を舐めきっていた。遅刻は日常、報告は適当、部下を使うだけ使って手柄はかすめ取る。にもかかわらず、なぜか評価されていた。最初は「おかしいだろ」と思っていたが、しばらくするとこう考えるようになった。「あのくらい適当にやっても問題ないんだな」と。
気づけば、同じことをしていた。朝少し遅れて出社し、報告は必要最低限、資料も雑なまま提出。最初はバレなかった。楽だった。息がしやすかった。けれど、やがて誰も何も頼まなくなった。顔色を伺う目が、警戒に変わった。上司には「最近、雑だね」と言われた。
自分には「適当でも許される背景」なんてなかったのだと知った。
真似た相手と自分は、同じ地面に立っていなかった。ただそれだけのことだった。それにすら気づかず、うわべだけを真似した結果、地面が崩れたのは自分だけだった。
一方で、誰にでも丁寧に接し、ミスにも淡々と対応し、地味に信頼を積んでいく同僚がいた。最初はバカにしていた。「あんなのやってられない」と。だが何年か経って、明らかな差が生まれていた。そいつには信用があり、仕事が回っていた。自分には何も残っていなかった。真似するならそっちだった。気づいたのは後になってからだった。
でも、分かっていても、悪い方を真似たくなるときがある。
悪い例は、ラクで、要領よく見えて、短期的に得をしているように映る。自分の中の浅ましさが、それを真似たくてうずうずしてくる。道徳では止められない。損得でしか判断できない人間性の貧しさが、判断を歪める。そして、分かっていたはずなのに、また同じことをやる。
自分が「これは良くない」と思っていることを、それでもやるのは、もう敗北だ。良心との決裂。自己評価の放棄。その場限りの処世術で、人格が一枚ずつ剥がれていく。気づいたときには、自分が何を大切にしたかったのかすら思い出せなくなる。
良いと思ったものだけを真似る。それだけが、自分という人間を最低限、保っておくためのラインだと思っている。美談ではない。ただの延命措置だ。それでも、真似るなら、せめてましなものにしておいた方がいい。そうでなければ、死ぬまで自分の劣化コピーで終わる。
このファクトチェック記事、数字の部分はあってるんだが、なんかおかしい。
https://agora-web.jp/archives/250710055248.html
Chat GPTを使っているとあるので、俺も同じことをやってみたんだが、全然違う結果が帰ってきた。
俺はo3-Proなんだよね。これ、無料版使ってるよね?
Plusぐらい契約してせめてo3を使うべき。
結果を「増田に相応しいようにはてな記法で書いて」っていったら作ってきて、これはこれでおもろいのでそのまま転載するな。
「70歳以上の高齢者にかかる医療費は年間22兆円で、特に85歳以上になると一人あたりでは100万円を超える。過度な延命治療が医療費を押し上げている。欧米ではほとんど実施されない延命措置は原則行わない」
──そんな主張を掲げるのが、参政党の2025年版政策公約だ。政策的には、尊厳死法制の整備や、延命治療に関する自己負担化を盛り込んでいる。
この主張は、どこまで事実に基づいているのか。以下、複数の公的統計と国際データに基づいて検証してみた。
厚労省の「2022年度 国民医療費」では、70歳以上の医療費は**約24.2兆円**で、**全体の52%**を占めている。
2021年度で見ると23.4兆円(51.9%)なので、「22兆円」は旧データに基づく四捨五入と考えられるが、現在はさらに膨らんでいる。
厚労省資料によれば、85〜89歳の1人あたり医療費は**約107万円**、90歳以上では**約119万円**。これは事実。
胃瘻(PEG)の導入率で見ると、
| 国 | PEG導入率(高齢者施設) |
| ----------- | --------------------- |
| 日本 | 8.3〜26.2% |
| 米国 | 5.4% |
| カナダ | 1.2% |
| オーストラリア | 0.9% |
たしかに日本が突出して高いが、**「ほとんどゼロ」ではない**。
さらに、フランスのがん患者の研究でも死亡前7日間で2.9%、31日間で5.1%が経管栄養を受けていたというデータがある。
要は、「必要ならやる」が国際的な潮流であって、「一切行わない」わけではない。
死亡前12か月の医療費はたしかに高い。ある日本の研究では、65歳以上の医療・介護費の**15.8%**が死亡前1年に集中していた。
OECD諸国でも「死亡前1年で医療費の8〜10%」というのは共通傾向。
ただ、これは「主因」ではなく、「高齢化・慢性疾患の長期治療」「薬剤・医療技術の進展」の方がはるかに大きい構造要因だ。
自己決定の尊重や医師の法的安定性の確保という観点から、尊厳死法制や事前指示書(Advance Directive、POLSTなど)は評価されるべきだろう。
しかし、「延命治療は自己負担に」という政策は、**公的医療保険制度の根幹(憲法25条の生存権含む)に関わる問題**。
経済的な格差によって治療選択が決まるのなら、それはもはや「選択」ではなく「排除」である。
参政党のこの政策は、「ムダな延命医療が日本を食い潰している」という強い印象を与えるよう構成されている。
たしかに医療費が増加しているのは事実で、本人が望まない治療が続けられている場面もある。
しかし、ファクトベースで見れば、「終末期医療だけが医療費高騰の主因」ではなく、また「欧米は延命しない」も正確ではない。
何より「終末期だから自己責任で負担せよ」という方向性は、社会保障としての医療制度の根幹を問う問題である。
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参考:
以下は参政党の公約です。こちらについてファクトチェックをお願いします。
多くの国民が望んでいない終末期における
過度な延命治療を見直す
▶︎70歳以上の高齢者にかかる医療費は年間22兆円と全体の半分程度を占め、特に85歳以上になると一人あたりでは100万円を超える。終末期における過度な延命治療に高額医療費をかけることは、国全体の医療費を押し上げる要因の一つとなっており、欧米ではほとんど実施されない胃瘻・点滴・経管栄養等の延命措置は原則行わない。
主な施策
本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避するための尊厳死法制を整備。
事前指示書やPOLST(生命維持治療に関する医師の指示書)で、医師が即座に心の負担なく適切な判断ができるプロセスを徹底。
終末期の点滴や人工呼吸器管理等延命治療が保険点数化されている診療報酬制度の見直し。
これをはてな匿名ダイアリーに相応しいように、はてな記法にして記事を作ってください
終末期延命措置の全額自己負担だけは支持したくて心が震えててどうしたもんかなーって思ってる
だってそうじゃない?
身近だと、義理の祖母が老衰で亡くなったけど延命措置は一切なかった
それで良かった、そこに至るまでに介護してた義母が死ぬほど苦労してるの見てるから、家庭崩壊寸前だったよ
実の祖母(90歳)も「毎日じいちゃん(先に亡くなってる)んとこ行けますようにってお願いしてる」って言ってるし、母も「できる限りさらっと死にたいわ、延命とか絶対しないでね」って言ってる
延命いらないよね?食べられなくなった時が寿命だよ、それが自然だよ
参政党は支持したくないんだけと......
非嫡出子の相続分差別も違憲になって改正されたし、同性婚を認めない現在の制度について高裁レベルで複数違憲判決が出てる。最高裁で違憲判決が出て改正されるのもまぁ時間の問題だろう。
世の中の流れ的にはますます個人の尊厳、生き方、選択、自由を尊重する方向に動いている。
こうした流れに位置付けるなら夫婦別姓もいつかは必ず導入されると言っていい。
他方、夫婦別姓に反対する保守派がよくいう家族の絆がどうとか戸籍制度が壊れるとかその程度では今の制度の維持は困難な気がする。
名義変更手続きってものすごくたくさん書類書かなきゃいけないし、何ヶ所も窓口に行かなきゃいけないし、融通きかないし、とにかくめんどくさい。経団連も「そろそろ変えよう」と言ってるくらいだし。
旧姓を通称使用すればいいじゃんというかもしれないけど、それも面倒なんよ。実際旧姓使えない場面もまだあるし、パスポート関連で入国の際に止められる可能性があるというだけでリスク高すぎてやってられないんよ。「この場面ではどっちの姓にするのが正しいんだろうか…」とか考えるだけでもめんどいんよ。
こういう現実的なめんどくささの前に、家族の絆がどうとかそういう「ふわっ」としたこと言ってもあまり説得力がないんよ。サザエさんがどうとか言っても「めんどくさいんじゃ!」には勝てないんよ。
子供の姓をどうするんだと言ったところで、そんなん決めの問題で本質でもなんでもない。
過去の遺物である家制度をより強固にするような方向に制度改正がなされることもないだろうし。
夫婦別姓に反対する人は高齢の人が多く、そうした人たちが時間の経過とともに亡くなっていけば反対勢力も弱体化する。
今年夫婦別姓が導入されなくても、5年後か10年後か50年後かは別にして、いつか必ず夫婦別姓は導入されるだろう。
導入されるまでは旧姓の通称使用の範囲が広がったりする程度のことは行われるだろうが、それはただのイレギュラーな延命措置にすぎなくて、恒久的な制度設計としては失敗なんよ。
こういう形式(同姓)と実態(別姓)が乖離するような事態が進行した場合、いつか必ず実態に合わせた制度改正がなされるもんなんよ。
この流れはもう変えられないんよ。
少子化推進政策がまことにうまくいっていますね。日本人滅亡計画が順調に進んでいます。
社会に出てフルタイムで働きながら複数の子どもを育てるのは、核家族化が進んだ現代では不可能。女性は専業主婦。
男性は70歳になっても子どもを作れますが、女性が産み育てられる期間は短い。せいぜい20〜35歳です。この間に大学やその後就職してキャリアを積むとどんどん結婚出産が遅れる。よって大学は行かなくてよし。
男性が一馬力で妻、家族を支えられるように、女性がもらっていた給与も含めて倍にすること。男は外で働き女は家のことをする。この構造を崩さないこと。
そもそも子育て支援は少子化対策ではない。結婚していない若者が、お金が無くて未来が見えずに困っているのだから子育て支援と銘打って税金を徴収するのでは本末転倒。
5.減税
消費税、所得税、ガソリン税、車税、何から何まで税金が高い。廃止とは言わないが給与の25%も税金で取られるようではこれも本末転倒。
6.社会保障費の縮小
7.延命措置を無くす
寝たきり、助かる見込みのない人に対して医療費を注ぎ込むのは無駄。
これも医療費と、親がその子に対してかけるリソースが無駄でしかない。子どもは死ぬものだと諦め、次の子どもをどんどん産むべき。
少子化推進政策がまことにうまくいっていますね。日本人滅亡計画が順調に進んでいます。
社会に出てフルタイムで働きながら複数の子どもを育てるのは、核家族化が進んだ現代では不可能。女性は専業主婦。
男性は70歳になっても子どもを作れますが、女性が産み育てられる期間は短い。せいぜい20〜35歳です。この間に大学やその後就職してキャリアを積むとどんどん結婚出産が遅れる。よって大学は行かなくてよし。
男性が一馬力で妻、家族を支えられるように、女性がもらっていた給与も含めて倍にすること。男は外で働き女は家のことをする。この構造を崩さないこと。
そもそも子育て支援は少子化対策ではない。結婚していない若者が、お金が無くて未来が見えずに困っているのだから子育て支援と銘打って税金を徴収するのでは本末転倒。
5.減税
消費税、所得税、ガソリン税、車税、何から何まで税金が高い。廃止とは言わないが給与の25%も税金で取られるようではこれも本末転倒。
6.社会保障費の縮小
7.延命措置を無くす
寝たきり、助かる見込みのない人に対して医療費を注ぎ込むのは無駄。
これも医療費と、親がその子に対してかけるリソースが無駄でしかない。子どもは死ぬものだと諦め、次の子どもをどんどん産むべき。
それさ、本気で言ってるならちょっと危ないよ。
独法って、国が「もう病院の赤字は抱えきれないから」って手放した結果できた仕組みなんだよ。
中途半端に民営化して、「自分でなんとかして。でもゼロはきついだろうから最低限の支援は出すよ」っていう、“切り離された医療機関”。
税金が入ってるのは事実。でもそれで全て賄えてるわけじゃない。
現実は、自分たちで稼がないと病院は回らない。助成金はあくまで“延命措置”。
で、そんな場所で何が起きてるかというと、稼げない診療科はどんどん削られるし、人も削られる。
でも患者は減らないし、看護師は足りないし、医者も高齢化でギリギリ。
でも現場は止められないから、どうにか帳尻合わせて医療“っぽいもの”を回してる。
それを「税金で支えられてるから当たり前」とか言うの、ちょっと無責任すぎない?
それについてはアドバンス・ケア・プランニングの導入が必要だっていう動きはあるね。
社会保障が充実しているいないに関わらず、尊厳死についてはまた別で考える必要があるかも。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/saisyuiryo_a_r04.pdf
日本の裁判や厚生労働省の指針によると、延命治療の中止が「合法」と認められるには以下の要件を満たす必要があります。
1. 患者本人の意思が明確であること(事前の意思表示やリビング・ウィル、ACPによる話し合いなど)
2. 回復の見込みがなく、医療的に「治療の継続が無意味」な状態であること(終末期と診断)
3. 家族や関係者の合意があること(本人の意思確認が困難な場合、家族と医療チームの話し合いが必要)
4. 医療従事者が適切な倫理・法律に従って判断すること(一人の医師の独断ではなく、複数の医療者の確認が必要)
まあ生産性の話は置いといて、社会保障の話はもしものときにないのはやっぱり不安だなと思う。
とはいえそれで国が傾いちゃったら元も子もないので、もう無理ならやっぱりロスジェネは真っ先に棄てられるしかないんだろうけどな…
アメリカはビビりなので、それでも軍事は世界一でいたい。しかし、アメリカのモノづくりは死んでる。脱工業化してITと金融で食べていくことを決めたから、技術はボロボロ。Intelは大赤字、USスチールは身売り。医薬品は9割以上が中国とインドで、米国は錠剤に加工したりバイアルにつめるだけ。
近い将来、戦闘機の部品は半導体の一つ一つから、鉄板の一枚に至る前まで全部外国製になるわけだが、外国といっても、仮想敵の中国製は無理。儲からないモノづくりは日本韓国台湾に投げるしかない。そうなると、日本韓国台湾の企業は材料工学、機械工学、電気工学、応用化学を捨てられない。そのための人材育成が必要。基礎研究より応用研究と言ってるのはそのため。
モノづくりで中国と競っても勝ち目はないのだけど、アメリカの国防のために舎弟の日本としては国をあげて推すしかない。景気対策と雇用対策とめいうって、工場の国内回帰を推進して、企業が必要な人材を大学に養成させる。繰り返しになるけど、長期的にモノづくりで中国に勝ち目はない。
どの分野も研究分野で中国がトップなんだから、商業生産だって、いずれだ。半導体製造装置を禁輸したって、時間稼ぎにしかならない。リチウムが露地掘りできる国に、バッテリーEVで勝てるわけないだろう。
今は技術で日本が優位でも、なにかを禁輸すれば、中国共産党がメンツをかけて代替技術を開発するいつものパターン。
モノづくりを推進しても日本は豊かにならないし、そのために大学に金を落としても無駄だ。しかし、米軍に守ってもらうためには、必要経費として、国立大学も私学助成も必要。
大学はモノづくり関連を強化。卒業生は地方の工場で生産技術や生産管理をする。国立院卒のチー牛が地元枠の高卒とくっついて、25歳で35年ローンで家を買う。地方経済も回るし、一極集中も改善。
長期的には勝てないので会社は斜陽かもだけど、国が無限に援助する。といっても中国やアメリカみたいに莫大な予算ではなくて、延命措置が続くという感じ。もちろん原資は税金。
全ては東アジアの安定のため。