はてなキーワード: osとは
Windows10のときもギリギリのときはだいぶマシになってたからよかったけど
この手のパソコンの大先生ってなんで全てOSのせいにしたがるんだろうなw
WDのSSDもあたかもWindows側が悪いように言ってたけどあれどう考えてもFWのバグが顕在化しただけじゃん
まともな方法でメモリアクセスしてなかったアプリケーションを動的にパッチあてて強引に動かしたりしてたのを当然と思ってるのほんとゴミ
いままでできてたことができなくなっておまけに不具合も追加するのはアップデートとはいわんのじゃ。— さらしる (@sarasiru) March 4, 2025
Androidはいつになってもタッチパネルの質が悪くて反応しづらい
しかし、OSだけでなく注文アプリまで一新されていてそれが使いづらい
なんというか手間がかかるようになった
以前はカレーを選んだらカスタマイズできる画面が出て、必要なところだけ変更してすぐに注文できた
それが今のはカレーの量を選ぶ画面、辛さを選ぶ画面という感じで、一つ一つページが別れてる
すごくテンポが悪い
また追加のサラダを頼む画面
以前はサラダの紹介画像がそのままボタンで、押せばサラダを追加する画面に移動できた
今回はただの画像で下にあるボタンで注文する・しないを選ぶ必要がある
なんというか直感的でない
カレーを選ぶ画面も以前はサイドバーでカテゴリ分けされていたのが、上段に二重タブになって探しづらい
しかし、ボタンや文字の大きさとか、あの感じはどちらかというと年寄り向けという印象も強い
モダンなスマホやウェブのUIとか慣れてなくて、小さい文字は見えない人向けって感じがする
久々に行ったが思ったより高くなっていて食べようと思ってたものから少し安いトッピングに変更したくらいだ
この値段じゃ若い人はココイチに行かなそうだしターゲット層を金のある年寄りに向けたのかもしれない
そういえば女性アイドルグループ?的なのとコラボしていて広告が貼られていた
カレーだし年寄りと言っても60,70代はあまり来ず40,50代のオッサン世代だろう
ちょうどそれくらいの層が好きそうではある(実は顔を見るとあまり若く思えずアラサー位に感じたが、最近のオッサンはJKよりこれくらいのが好みなのか?)
以前は若者向けだったのか艦これ?みたいなアニメコンテンツとコラボしてるのを見たこともあるが、変わってしまったな
てめえ、何を薄っぺらいこと言ってんだよ。この世の中で自分を「PC(プレイヤーキャラクター)」だと思わねえで、誰が自分の人生を動かすんだ?他人任せにして生きてる奴こそ、真のNPCってもんだろうが。
愉快だとか何とか言ってるけどよ、そんなこと言ってる暇があるなら、自分の型番でも見直してみろや。
どうせてめえもどっかで「俺は特別だ」とか思ったことあるんだろ?それを棚に上げて他人を茶化すなんざ、ただのヘタレのやることだ。
人生ってのはな、自分が主人公であると信じて突き進む奴だけが勝ち残れるんだよ。
それを「愉快」とか言って遠巻きに笑ってるだけの奴は、結局何も成し遂げられねえまま終わるんだ。そんな奴が他人に口出しする資格なんざこれっぽっちもねえ。
型番だの何だのくだらねえ話してねえで、自分がどんなPCなのか、どんなゲームをプレイしてんのか、ちゃんと考えてみろや。
既存のLinuxディストリビューションのインストーラと初期設定を少しいじってOS自作、Electronでブラウザ自作などをすれば良い
貧乏過ぎて未だにAndroid7のスマホを使ってるからOS要件満たさなくてTinderインストール出来なかったワイちゃんみたいなの人って女にも居るの?
女は全員iPhone使ってると思ってたw
Spotifyは不具合を直す気はないしチャットでの問い合わせの品質もクソだし、何よりユーザーにコストを掛けさせていることに対して決して謝罪をしない。ユーザー体験は最悪に不愉快。不具合は勿論解決しない
Spotifyをブラウザから再生したところ、1日の初回に必ず音量MAXで再生され始めるというかなり不愉快な不具合に数日悩まされる
検索しても、アプリ版ではここの設定をいじれというのは出てくるが、ブラウザからのケースについてはあまり情報なし(この点だけは近年のGoogleの悪化に原因を帰すべきかもしれない)
重い腰を上げてSpotifyのチャットサポートにアクセスする この時点ではよくある現象なのだからすぐに解決するだろうと思っていた
自動応答に何回も「アプリのキャッシュをクリアしたか」などの質問をされ「アプリじゃなくてデスクトップPCから起動してるブラウザです」と応答することを数回繰り返し、リアルタイムチャット応答の有人窓口に繋がる
まず「力になります」的な一見頼もしいことを言うが、決して「ご迷惑をお掛けしております」のような謝罪はしない まあ名前もカプリハンとか言ってるし文化が違うんだろう
近年の国際経済情勢においてプレゼンスを低下させ続ける国にしかネイティヴスピーカーがいない言語でリアルタイムチャットに応答してくれる時点でありがたいというものだ
しかし一応有人のはずなのに応答が噛み合わないこと甚だしく、UX的には機械の自動応答とそこまで違わない 噛み合わないせいでこれは生成AIによる応答ではないんだろうなとうっすら思う 翻訳にChatGPTは使ってるかもだが
噛み合わないというのは「会話のログを読んで文脈状況は把握した上で解決のために尽力するぜ!」っつって来てるのに、「アプリはAndroidですか?それともパソコン?」と聞いてくることなど
やり取りが少し進展したら「これは難しいのでチームに聞いてくる」とか言って5分待たせたり、「すみません」の一言もないまま担当者が変わったり、一応答しただけでまた次の担当者にたらい回しにされたりする
最初の一回目たらい回しくらいまでは「まあFAQにあるようなレベルではない多少レアな事象なのかもしれないが、より詳しい人に繋ぐことで解決の道を探ってるのだろう」と思えたが、徐々に白けてくる
なんでここまでみんな揃いも揃って無責任なんだよ ユーザーに謝ったらこのオペレータ職は賞与減額されるシステムか?
如何だろうか まず「1.違うインターネットを接続してみる。」(「インターネット“を”接続」、LLMではあり得ない非ネイティブの日本語ありがてえな)は私のデスクトップPCを違う回線に持っていって接続するという意味か?を聞いた
「そうです」という回答
手間が掛かりすぎるしそもそもPCを繋がせてくれるような適切な環境の当てが思いつかない 「この手順省略していいか?」って聞いたんだけど、まあ今思うと先方は直す手立てを考えているとかではなく、体の良いお引き取り口実を探していただけのように思える
「これらを全部試しても結局問題が解決しなかった時に、メール等で今回やり取りしたチャット情報を引き継いで問い合わせを継続することは可能か?」を聞く 正直絶対解決しない気がしていたので
「このチャットフォームを閉じなければ継続することができます」と言明。
「はい」
そうして、「1.違うインターネットを接続してみる。」「4.他のデバイスを試す.」以外のを全て実行して、Spotifyに再ログインした結果、音量を下げた設定は記憶されておらずMAXになっていたままだった
当たり前だが、チャットページにアクセスしても問い合わせのログには繋がらなかった 平気で嘘を付くのはモラルがヤバいのかそういうマニュアルがあったのかだけは気になってる
今はSpotify Premiumの退会を健闘しているところ Apple Musicが第一候補だけどYouTube Musicってどうなの
re: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/mobile/articles/2502/26/news188.html
『訂正可能性の哲学』東浩紀と、『万物の黎明(The Dawn of Everything)』David Rolfe Graeberは、二人とも、ルソーを論じています。二人のルソー観の相違点や類似点を分析してください。
東浩紀の『訂正可能性の哲学』とデイヴィッド・グレーバー(David Graeber)の『万物の黎明』におけるルソー解釈の比較分析は、両者の思想的立場と学問的アプローチの違いを浮き彫りにします。以下、相違点と類似点を整理します。
両者ともルソーが提示した「自然状態」や「社会契約」の物語を、近代社会の起源を説明する神話として批判的に扱います。グレーバーは「万物の黎明」で、ルソーの「不平等起源論」が啓蒙思想の進歩史観に依存することを指摘し、東は「訂正可能性」の観点からルソーの社会契約論が持つ決定論的側面を問題視します。
東もグレーバーも、ルソーの思想を単なる歴史的テキストではなく、現代社会を批判するための「ツール」として再解釈します。ルソーの「自然状態」を文字通りの史実ではなく、現在の社会構造を相対化するための比喩として読み直す点に共通性が見られます。
人類学的実証主義に基づき、ルソーの「自然状態」を「神話的フィクション」と断じます。『万物の黎明』では、先史時代の社会が既に複雑な自由と平等のシステムを持っていたことを強調し、ルソーが想定した「原始的な単純さ」を否定します。ルソーの「高貴な野蛮人」概念は、実際の先住民社会の多様性を矮小化する「ヨーロッパ中心主義の幻想」だと批判します。
ルソーの「自然状態」を、社会の「訂正可能性」を開くための仮構として積極的に評価します。ルソーが示した「社会は人為的に構築されたものであり、再構築可能だ」という思想を、現代の情報社会におけるゲーム的・プロトコル的な秩序の再編に応用します。ここでのルソー解釈は、現実批判よりも「未来の設計図」としての側面が強調されます。
ルソーの「一般意志」概念を、中央集権的な権力の正当化に利用されたと批判します。代わりに、分散型の自治を実践した先史社会の事例を提示し、「個人の自由と集団的合意は対立しない」という反ルソー的なモデルを提案します。
ルソーの社会契約論を、個人の欲望と社会の規範の「ずれ」を前提とする動的システムとして再解釈します。データベース消費社会における「動物化」という概念(『動物化するポストモダン』)と結びつけ、ルソーの「自己修正する社会」の可能性を、情報技術時代の柔軟な秩序形成に投影します。
ルソーの直線的進歩史観(自然状態→社会の堕落→契約による再建)を完全に否定し、非線形的で多中心的な人類史を復元します。ルソーが想定した「起源」そのものを虚構とみなす点で、根本的な批判を行います。
ルソーの歴史観を「修正可能性の物語」として部分的に継承します。社会が絶えず自己修正を迫られる「未完のプロジェクト」であるという考え方を、ポストモダン社会の流動性と結びつけます。ここではルソーは「批判すべき対象」ではなく、「再発明すべき先駆者」として位置付けられます。
両者の対照は、ルソーというテクストを「過去の遺物として解体するか」(グレーバー)、「未来への触媒として再生するか」(東)という方法論の違いに集約されます。しかし共通しているのは、ルソーを現代の問題を考えるための「思考の実験場」として活用する姿勢です。
これを東浩紀が語っているような文体で直してください。一人称は「ぼく」で。
>> ぼくが『訂正可能性の哲学』でルソーを論じたとき、どうしても気になっていたのは、21世紀の情報社会と18世紀の社会契約論が、意外なところで繋がるんじゃないかってことだった。ルソーって「自然状態」とか「一般意志」とか、けっこうロマンチックな概念を振りかざすでしょ? でもね、あれはたんに昔の理想を語ってるんじゃなくて、社会のOSが書き換え可能だって気付かせてくれるツールなんだよね。<<
>> グレーバーが『万物の黎明』でルソーを批判してるのは知ってる。あの人類学的な実証主義もいいんだけど、ぼくの立場はちょっと違う。ルソーの「自然状態」が史実かどうかなんて、どうでもいいんだ。重要なのは、あのフィクションが「いまの社会は絶対じゃない」って可能性を開いたことだ。たとえばSNSのアルゴリズムだって、ルソー流に言えば「人為的なプロトコル」でしょ? だったらユーザー同士で修正できる余地があるはずだ——そんなふうに考えられるのがルソーの面白さだよ。<<
>> グレーバーさんが先史時代の自由を強調するのもわかる。でもぼくらが生きてるのは、もう一度グローバルな社会契約を考え直さなきゃいけない時代だ。ルソーが『社会契約論』でやったように、中央集権でも個人のバラバラでもない、新しい協調の形をゲーム理論やAIと組み合わせて探る必要がある。そのとき「自然状態」という仮構は、逆にすごく役に立つんだ。現実に縛られないからこそ、倫理的な実験ができるわけで。<<
>> もちろんルソーには問題もある。たとえば「一般意志」が全体主義に転がりやすいのはその通りだ。でもぼくが『動物化するポストモダン』で言った「データベース消費社会」を見てみ? あそこでは人々の欲望がバラバラで、もはや「一般意志」なんて成立しない。でもルソーの理論を逆手に取れば、そのバラバラさ自体を社会の訂正可能性のエンジンにできるかもしれない。つまりルソーは、彼自身が予想してたよりもずっとポストモダンな思想家だったんじゃないかって話だ。<<
>> グレーバーさんとの違いをあえて言えば、彼がルソーを「過去の神話」として解体するなら、ぼくはルソーを「未来の触媒」として使おうとしてる。人類学も大事だけど、哲学の役割は過去の正しさを証明することじゃない。間違ってた思想家ほど、新しい思考を生む資源になる——それが訂正可能性の本質だと思うんだよね。<<
(※東浩紀の実際の文体を完全に再現したものではありませんが、インタビュー調の語り口・「ぼく」の一人称・「ゲーム的」「プロトコル」「データベース」などのキーワードを意識した再構成です)
「こだわり続けた人が多かった」という記憶はまさにその通りで、OS Xが登場してもすぐにOS 9が消え去ったわけではありません。タイムラグは数年単位で存在しました。
- 動作の重さ: OS 9に比べて動作が重く、特に初期のMacではパフォーマンスに不満を感じるユーザーがいました。
- アプリケーションの互換性: OS Xネイティブのアプリケーションがまだ少なく、多くのユーザーが使い慣れたOS 9用アプリケーションを利用する必要がありました。
- 周辺機器の対応: プリンタやスキャナなど、周辺機器のOS X用ドライバがまだ十分ではなかったり、不安定だったりしました。
- インターフェースの変化: Aquaインターフェースは斬新でしたが、OS 9に慣れ親しんだユーザーにとっては操作方法の変化に戸惑う部分もありました。
- 特定のOS 9専用ソフトウェア: 業務で特定のOS 9専用ソフトウェアをどうしても使い続けなければならない場合。
- 古いMacの活用: 古いMacをOS Xで動作させるのが難しい場合や、OS 9の方が快適に動作する場合。
- 過去の資産の活用: OS 9環境で作成したデータや、OS 9用周辺機器を使い続けたい場合。
俺たちのパソコンが、いつも「古い」とか「使えんようになった」って言われるのは、実は企業側がわざとそういう仕組みを作り出しているからである。たとえば、Windows 11のリリース時に、TPM 2.0必須や最新CPUしか動かんといった、技術的に見れば問題なく使えるパソコンにも無理なスペック足切りを課す。これによって、実際には十分な性能を持つパソコンが、あたかも使えへんゴミのように扱われ、消費者は新しいパソコンを買わされるラットレースに参加させられるのだ。
このような強引な需要創出の仕組みは、企業が売上を伸ばすための戦略であり、俺たちが自分の都合でパソコンを使う自由を奪っている。企業は、最新OSに対応しなきゃ安心できん、便利にならんといった幻想を植え付け、実際には問題ないはずのパソコンを、あたかも「時代遅れ」だと決めつける。それにより、無理やり新しい製品に買い替えさせることで、売上を確実なものにしようとしているのである。
さらに、この需要喪失を満たすために、企業は無意味な仕事、すなわちブルシットジョブを次々と生み出している。デヴィッド・グレーバーが指摘したように、「まるで誰かが、全員を働かせ続けるためだけに無意味な仕事を作り出しているかのようだ」という状況が、現実のPC業界にもある。新OSの導入に伴って、マーケティングやサポート、管理といった、本来は必要ないはずの職務が増え、働く人々はその無意味さを感じながらも、企業の策略に沿って受動的にラットレースに参加させられているのだ。
こうして、俺たちは実際には自由にパソコンを使えるはずなのに、企業が仕掛ける強引な需要創出と、それに伴うブルシットジョブのせいで、自分の都合で使う権利を奪われ、無駄な買い替えとアップグレードのサイクルに巻き込まれているのである。結果として、俺たち消費者は、企業のレント・シーキング戦略、すなわち新たな富を生み出すことなく既存の富を拡大するための手法に、金をむしり取られている状態にあると言える。
この現状を知れば、俺たちは自分たちの本当の使い方、つまり必要なときに自分の都合でパソコンを使える自由が、企業の策略によって奪われているということに気づかざるを得ない。企業は、自らの利益を守るため、無意味なアップグレードとそれに伴うブルシットジョブを通じ、俺たちの財布から無駄な出費を引き出し続けているのだ。これが、PC買い替えやOSアップグレードのラットレースに参加させられる理由であり、俺たちが自分の都合でパソコンを使う自由を奪われる根本的な原因であるといえる。
現代のPC業界におけるアップグレードサイクルは、企業が自らの利益を守るために意図的に仕組んだものである。企業は新OSをリリースするたびに、実際には十分に機能するパソコンに対して、あたかも「古い」ものであるかのようなレッテルを貼り、消費者に新しいパソコンへの買い替えを強いる。この現象は、人類学者のデヴィッド・グレーバーが「無意味な仕事(ブルシット・ジョブ)」について述べた論理と酷似している。すなわち、まるで誰かが、全員を働かせ続けるためだけに無意味な仕事を作り出しているかのようである。企業は、アップグレードに伴うマーケティング、サポート、管理などの無意味な業務を増やすことにより、自らの既存の富を増やす(レント・シーキング)戦略を実行しているのである。
ジョン・メイナード・ケインズがかつて、技術進歩によって15時間労働週が実現すると予言したにもかかわらず、現実にはむしろ技術は我々全員をより多く働かせるために利用される結果となった。これは、PC業界においても同様である。最新のOSを導入するための高いハードウェア要件(例えばTPM 2.0必須や最新CPUの搭載など)は、技術的な制約ではなく、企業が自らの利益を最大化するために設定されたものである。こうして、技術的には十分に性能を発揮できるパソコンが、企業の都合であたかも使えない古いものとして扱われる。その結果、消費者は不要な買い替えを余儀なくされ、企業はそのたびに新たな収益を得るとともに、無意味な仕事が膨らんでいく。
グレーバーが示したように、現代社会は、まるで誰かが無意味な仕事を作り出して、みんなを働かせ続けるためだけのシステムに陥っている。実際、PCのアップグレードサイクルによって、企業のマーケティング担当者、サポートスタッフ、管理部門といった、もともと必要なかったであろう職務が次々と生み出されている。これらのブルシット・ジョブは、社会全体の資源を無駄にし、経済の効率性を低下させる原因となっている。また、このような戦略は、消費者が本来持つべきコンピューティングの自由をも奪っている。実際のところ、パソコンは何年も使い続けることが可能であり、単に最新OSに対応しなくなったからといって、急いで新しいパソコンに買い替える必要はないのである。
さらに、こうした企業の戦略はレント・シーキングの一環である。レント・シーキングとは、新たな富を生み出すことなく、社会的または政治的な環境を操作することで、既存の富を増やす行為である。企業は、最新OSや新型パソコンの必要性を強調することで、消費者に無駄な出費を強い、結果としてその余分な費用を自らの利益として取り込んでいるのである。このような手法は、資源の誤配分や競争の阻害、さらには所得格差の拡大など、社会全体にとって望ましくない影響を及ぼすものである。
この状況に対して、ひとつの合理的な対策として注目されるのがLinuxである。Linuxは、最新OSが要求するような無意味なハードウェアスペックに縛られることなく、古いパソコンでも十分な性能を発揮する。例えば、中古のThinkPadにLinuxをインストールすれば、Web閲覧、文書作成、プログラミング、動画視聴などの基本的な作業において、最新のパソコンと大差なく使うことが可能である。さらに、かつて「デスクトップLinuxは使いにくい」と言われたが、現代のLinuxディストリビューションはGUIが整備され、初心者でも容易に扱えるレベルにまで進化している。これにより、企業が仕掛ける「捏造された古さ」や無意味なアップグレードサイクルから解放され、消費者は余計な出費や無意味な労働負担を回避することができる。
総じて、現代のPC業界は、企業が自らの利益を守るために、必要以上のアップグレードを強制し、その結果としてブルシット・ジョブを生み出し、レント・シーキングを通じて無駄な出費を消費者に負担させる仕組みとなっている。私たちは、この現状を冷静に理解し、企業の策略に惑わされることなく、Linuxのようなオープンなソリューションを選択することで、本来あるべきコンピューティングの自由と効率を取り戻すべきである。
windows11の期限が近づいてきて久々に思った
windows11は劣化してる所も多いしつい最近のアプデじゃ問題ばかり
Linuxデスクトップが流行ってきてるならいっそ移行も考えたがやっぱ流行ってないんだよな
OSが無料とはいえ、一般人が使う理由がないんだからまぁ流行らないか・・・
①仕事で使われない
仕事だと基本オフィス使うとか強制的に入れないといけないソフトがwindowsのみとかで、基本はwindows
プライベートだとPC必要な人はほとんどいないしだいたいスマホで十分
PC買うのは仕事やそれに近いことをするためでそうなるとオフィスが使いたいとなる
また仕事で使って慣れてるのがwindowsなのにmacやらllinuxを使う必要がない
②ゲーム
steamOSもあってlinux選択肢もあるにはあるけどできるゲームが限定的
どうせならできるゲームが多いほうがいいわけだしlinuxにしようとは思われない
③お金払ってる
デヴィッド・グレーバーはかつて言った。「まるで誰かが、全員を働かせ続けるためだけに、無意味な仕事を作り出しているかのようだ」(It’s as if someone were out there making up pointless jobs just for the sake of keeping us all working.)。まさにそれが、マイクロソフトとPC業界のやっていることだ。お前たちは、気づいていないのか?お前たちのPCは昨日まで問題なく動いていたのに、なぜか「最新のOSに対応していません」と言われる。そして、お前たちは言われるがままに、新しいPCを買う。何も変わらないのに、何も問題がなかったのに、「古くなったから」と思い込まされて、新しいものを買わされる。この壮大な茶番を、そろそろ終わらせるべきではないのか?
PC業界がやっているのは、まさに「捏造された古さ」だ。お前たちのPCは、企業の都合で「古いことにされている」だけであって、技術的には何の問題もない。マイクロソフトは、新しいOSを出すたびに、わざと不要なハードウェア要件を追加し、「最新のOSが動かない=お前のPCはもう終わり」と宣言する。それを合図に、PCメーカーは「最新モデル登場!」と大々的に宣伝し、電気屋には「このPCはWindows 11対応!」という札が貼られた新品がズラリと並ぶ。そしてお前たちは、何の疑問も持たずに財布を開く。
考えてみろ。お前たちのPCが本当に「使えなくなる」理由は何だ? 昨日まで普通に動いていたのに、ある日突然「サポート終了」と言われるだけで、急に役立たずのゴミに変わるのか?それは違う。お前たちが今手元に持っているPCは、スペック的に見ても、Web閲覧、動画視聴、事務作業、プログラミング、軽いデザイン作業など、まだまだ余裕でこなせる。にもかかわらず、「サポートが切れました」「セキュリティのリスクがあります」と脅されて、新しいPCを買わされる。だが、その「リスク」とやらは、本当に存在するのか?実際のところ、多くのセキュリティ問題はブラウザやアプリのアップデートで解決できるし、Linuxを入れればそもそも関係ない。
グレーバーの言葉を思い出せ。「まるで誰かが、全員を働かせ続けるためだけに、無意味な仕事を作り出しているかのようだ」。PC業界がやっているのは、これそのものだ。不要なアップグレードを強制し、それに伴う無意味な仕事を生み出し、それを理由にさらなるアップグレードを繰り返す。新OSが登場する → 「旧PCは対応不可」と宣言 → ユーザーが新PCを買う → それを支えるために、OS開発者、カスタマーサポート、マーケティング担当、販売スタッフ、新OS対応のための企業内IT管理者といったブルシット・ジョブが発生する。
よく考えてみろ。これらの仕事は、本来必要だったのか?もし、無意味なアップグレードサイクルがなければ、そもそも新しいPCを売る必要もないし、それに伴う新OS対応の仕事も存在しなかった。つまり、PC業界全体が、まさにグレーバーが批判した「ブルシット・ジョブ」の巨大な温床になっているのだ。これは「ただ動くPCを維持するだけでいい」世界では存在しなかったはずの仕事だ。お前たちは、ただのカモにされているのだ。
そして、極めつけは「最新のOSにはAIアシスタントが搭載!」などという無意味な機能追加だ。お前たちは、そんなものを求めていたのか?仕事中に「今日は何を手伝いましょうか?」と余計なお世話を焼くAIアシスタントが必要だったのか?ほとんどのユーザーにとって、PCの使い方は決まっている。Webを見て、メールをチェックし、文書を作成し、動画を観る――それだけだ。にもかかわらず、「AIアシスタント」だの「最新のUIデザイン」だの、まったく求めていない機能を詰め込まれ、それに対応するために新しいPCを買わなければならない。どこまで馬鹿にされれば気が済むのか?
お前たちには、中古のThinkPadで十分だ。X220、X250、T480、T490――これらのマシンは、すべて数千円で手に入り、Linuxを入れれば最新のPCと遜色なく動く。バッテリーを交換し、メモリを増設し、SSDに換装すれば、あと5年でも10年でも使える。それなのに、お前たちは「古くなった」と思い込まされて、何の疑問も持たずに新品を買い、PC業界の金づるになっている。もういい加減に目を覚ませ。
企業は、お前たちのために新しいPCを作っているのではない。彼らは自分たちの利益を維持するために、意図的に古いPCを「使えないことにする」ことで、次々と無意味なアップグレードを押し付けているのだ。そして、その裏では、アップグレードを正当化するためのマーケティング担当、新OS対応のためのIT管理者、ユーザーに「新しいPCを買え」と説得する販売員など、数多くのブルシット・ジョブが生み出されている。もしお前たちが、新しいPCを買うのをやめ、古いPCをLinuxで蘇らせることを選べば、この無意味なシステム全体が崩れるのだ。
お前たちは、PC業界の奴隷ではない。お前たちは、無意味なブルシット・ジョブを支えるためのカモではない。お前たちは、騙されるな。目を覚ませ。中古のThinkPadにLinuxを入れろ。それだけで、この巨大な茶番から解放されるのだ。お前たちは、もうこれ以上、企業の策略に付き合う必要はない。お前たちは、中古のThinkPadで十分だ。
「Windows 11が動かない?そろそろ買い替え時ですかね〜」
こんなセリフを口にして、電気屋の「お買い得!最新モデル!」コーナーに吸い込まれていく哀れな消費者たち。お前たち、まんまと企業の策略にハマっているぞ。
冷静になれ。お前たちに必要なのは中古のThinkPad だ。
Microsoftが新しいWindowsを出すたびに、何が起こる?
「新しいOSはより安全で快適!」と謳いながら、突然「TPM 2.0が必要です」「このCPUはサポートされていません」などとほざいて、数年前のPCをゴミ扱いするのだ。
だが考えてみろ。お前のPCは昨日まで普通に動いていたはずだ。
YouTubeも見れたし、Excelも動いたし、Web会議だってできた。
なのに、今日から急に「古いから使えません」って、おかしくないか?
要するに、「古いPC」は技術的に使えなくなるのではなく、企業の都合で意図的に「使えないことにされている」 のだ。
Windows 11のハードウェア要件?くだらない。Linuxを入れれば動く。つまり、お前たちは「新しいPCが必要」なのではなく、「Windows 11が使えない」と錯覚させられているだけなのだ。
↓
「セキュリティのために買い替えましょう」
↓
新しいPCを買う
↓
また数年後に「古いから買い替えましょう」
本来ならば、パソコンはユーザーが自由にカスタマイズし、好きなように使い続けられるはずだ。
しかし、MicrosoftとPCメーカーは「お前のPCはもうダメ」と言い続け、お前たちは従順に買い替えを繰り返す。
その結果、「コンピュータは5年で買い替えなきゃいけない」と錯覚し、メーカーの意図通りにATMと化した消費者 になっていくのだ。
さて、ここで真実を教えよう。
Windowsが重い?遅い?買い替え?そんなものは不要だ。Linuxを入れろ。
Webブラウジング、動画再生、オフィス作業、プログラミング……お前たちがやりたいことは、Linuxで全部できる。
Windowsじゃなきゃ動かないソフト?99%の人間にとっては無関係。
「Linuxは難しい」?「使いにくい」?そんなのは20年前の話だ。
今のLinuxは、
✅ ソフトウェアは全部ストアで管理(WindowsのMicrosoft Storeより便利)
✅ UIは洗練されている(Ubuntu、Linux Mint、Zorin OSを見てこい)
だが、未だに「デスクトップLinuxは使いにくい」と言うやつがいる。
彼らはおそらく、2000年代のDebianを使った老人か、Windowsに魂を売った企業の犬 だ。
「Linuxは使いにくい」と喚いているやつがいたら、こう言ってやれ。
電気屋に行くたびに、毎回同じようなスペックのPCが同じ価格で売られていることに気づけ。
10万円のPC?お前が必要なのは2万円の中古ThinkPad だ。
ThinkPad X220、X250、T480、T490……中古で買えば、最新PCと遜色ない作業環境が手に入る。
これでお前のPCは、企業が「買い替えろ」と言うたびに「は?」と言い返せる。
お前たちは「古いPCは使えない」と思い込まされているが、それは嘘だ。
中堅JTC SIer的にはこんな感じ
動作性の下位項目はほぼ正常で、絵画配列だけ3で、処理速度は普通なのだ。
学校の勉強を進研ゼミとかでちゃんとして、コバルト文庫とかクレヨン王国などのライトノベルを読み漁っていたら、こうなったのだ。
https://www.nct9.ne.jp/m_hiroi/
M.Hiroi's Home Page
や競技プログラミングのアルゴリズムを解説してるサイト、GoFのデザインパターン、リファクタリングの本を読めばこのくらいのことはできるようになる。
https://chibash.github.io/lecture/os/
OS/Programming
https://hackmd.io/@aigarashi/r1az0wOHP/%2FpWliU6DiTa2yj8H0V_XUXA
でシラバスの内容を公開していたりもする。
ただ、大学に行けるなら、言ったほうがいい。
どの分野でも使うことはネットや本でも転がってて独学で勉強できるけど、突っ込んだことは大学じゃないと勉強できない雰囲気がある。
突っ込んだことでもコンパイラーやデーターベース、ゲーム、圧縮関係程度なら、本で作り方を書いてる人がちらほらいるけど、最先端のはなかなか探しても出てこない。
(運が良ければ、GitHubに転がってることがあるが、ドキュメントの内容が大学で勉強したことを前提に書かれていたりして…)