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2026-05-09

オルクセン王国史ってよく知らないのでwikipediaざっとあらすじだけを眺めたけれど

白人中心の祖国白人迫害されている黒人の救援要請を受けてアジア人の国が白人中心の国を滅ぼそうとする」という、現実カリカチュアした話だと受け取った。

エルフ白人ダークエルフ黒人、オーク=アジア人

異なる有色人種同士が手を取り合って白人中心主義に立ち向かおうという、凄くポリコレぽいんだけどな。オークの国は現実で言う所の中国に近い。なのにコミカライズの人はあん発言ちゃうのか…。

コミカライズの人の思想排外主義っぽいけれど、原作者の人の思想はどうなんだろう?

2026-04-30

映画スーパーマグナム を見た

A24制作のMAGA MAGAしい不条理アクションホラー映画。13点。

 

友人に会いにNYに戻ってきた謎のチャールズ・ブロンソンだが一足遅く友人は地元チンピラにぶち殺されていた。友人の死に目にうっかり立ち会ったチャルブロはやってきた警官逮捕され拷問を受け留置所で大立ち回りを披露していたらクズの署長から「お前自警団だろ。この街ダニ掃除しろ」と依頼され釈放される。街のダニとチャルブロの戦いが今幕を開ける。

 

まぁこ1985年という俺が生まれる前の映画なんでA24が作ってるわけないんですけどね、という話は置いておいてもここしばらくのA24が撮ってきたとても現実のものとは思えない現実問題カリカチュアした悪夢寓話のような作品。つーか、従軍世代のための西部劇ポルノ

チャルブロは正義執行者であり老人やマイノリティを守る保安官として、地元ギャングたちを容赦なくぶち殺していく。最初は釘を打ち付けた板を床に轢いたり、Bigネズミ捕りでチンピラを吹っ飛ばしたりしていたのが、だんだん車上荒らしを呼び込むために中古車を買ってきてまんまとやってきた奴らを撃ち殺したりしはじめて、お、おうってなる。

さらには「チンピラを追い詰めるために相棒を呼んだ」とか言い出して、住人が「そんな奴がいるのか!?」って期待してるとクソデカマグナムが届いて「こいつさ」って言う爆笑展開。身を守れるものは銃だけ。そして強大な敵には強大な銃が必要。強大な男には強大なチンポがついているうにな。HAHAHA!

その思想さらヒートアップし、殺された友人は実は箪笥戦争から持ち帰った重機関銃(M1919A4)を保存していて、敵の大群にむけてそれを手持ちで乱射する展開になる。おじいチャルブロがM19を手持ちで撃つ時点でファンタジーだけど砲塔を素手ガッツリ握ってて草。そこアチアチなるで。そして最終的には敵のボスチンピラに偶々持っていた携帯ロケランをぶっ放してFinish!Wao!

わざと高級カメラを見せびらかしてひったくってきた相手を背後から問答無用でクソデカマグナムで撃ち殺してそいつ身体デカい穴が開くんだけど、その後ドンドン威力が低くなっていくのもよくわからんし。何よりひったくり犯を背後から撃ち殺す展開はどうなんだ。

まぁこ作品チンピラももう本当に意味が分からなくて。普通こういう映画チンピラって例えば実は地元の裕福なおっさんがや警察署長がこの地域から住人を追い出して再開発を進めるために雇ってるみたいなバックストーリーがあるもんだけど何もなくてただひたすらに無軌道目的もなく犯罪を繰り返す。犯し、盗み、殺し、燃やす。そして、彼らはトレードマークとして頭にペイントを施していてそのボスは逆モヒカンに髪を借りそこに赤いラインを引いている。もう明らかにネイティブインディアン彷彿とさせるビジュをしている。

そして彼らによって従軍世代の老人たちが虐げられ、しかし同世代ヒーローが現れ男性性の象徴のようなデカい銃を振り回し敵を撃ち、それに感化され警察も最終的には正義を取り戻す。虐げられてきた退役軍人世代の老人がリスペクトを持たない理解不能最近の若者たちを"オシオキ"する様を、古風ゆかしい西部劇フォーマットで描いていると言える。

たぶん、このシチュでシコれる人たちが当時は多かったんだろうし、そういう社会でもあったんだろうけど現代に生きる俺の感覚からするとう~ん、ええんか?って感じ。真昼間から街のど真ん中で人を撃ち殺して拍手喝采承認される様はどうしたって異様に映る。

あと、何で出てきたんかわからん警察の腐敗を糾弾するポジションで登場したのにそれはすぐなかったことになってチャルブロに股開いた後、チンピラにぶっ殺される美人弁護士とかも典型的冷蔵庫で笑っちゃう意識が残ったまま車に乗せてそのまま爆殺焼き殺して「キャータスケテー」とか言わせる悪趣味っぷり。ここは評価

 

まぁそんな感じかな。

アクション的にも特に見るべき要素はないし何かギミック的におぉっと思う展開もない。例えば釘を打ち付けた板をトイレの床に敷いて敵を撃退する展開が序盤にあって、最終盤に家にチンピラボス侵入してくるときに同じトイレの窓から入ってくるのでははぁんと思って見ていたら特に何もない、みたいな意味不明さ。ちなみに家に戻るのもスパマグの弾が切れたから取りに戻るというアホ展開。

Amazonで星4.5で評価数700近くあったので期待して見たんだけど、どう楽しむべきなのか非常に苦しむ映画だった。まぁ、チャルブロが出るような西部劇好きにはオススメなのかな?知らんけど。

2026-03-18

映画アメリカン・カーネイジ を見た

せや、対立煽られてるから対立煽り返したろw的な雑なコメディホラー映画31点。

 

バーガー店で働く不法移民2世主人公。ある日、知事トチ狂って不法移民とその家族を全員逮捕して追い返す!子供国籍がある?幇助の罪でぶち込む!という行政命令を発令。主人公たちは捕らえられ収容所へ。弁護士からボランティアに参加すれば強制送還は免れるという提案を受け老人ホームへ。ジェナ・オルテガやウザい黒人、ヤク中などの仲間達と働き始めるが、そこの老人から「ここにいれば殺される」と聞かされたり、不審な点が次々と出てくる。そして大虐殺―カーネイジ―が幕を開ける。

みたいな話だった気がする。知らんけど。

 

う~~~~~ん、少なくとも日本人の俺にとっては別におもしろくはなかったですね。

冒頭タイトルバックトランプくんを筆頭に現実移民ボコスカに罵倒する皆さんの映像が挿入されて移民はこんなに差別迫害されているんだよという熱いメッセージ提示されて作品もそれを強くカリカチュアした形で「全員強制逮捕強制送還!(表向きは)」を強行、200万人がその対象になった!ってなる。

そうなったらさぁ、そこをコメディからいいとすべきなのか問題はあるけど、例えば主人公最初に働いていたバーガーショップのスタッフはみんな移民系なのね。こいつら全員、いきなりいなくなったらあのバーガーショップはどうなっちゃったんだろうとか気になるけどその辺は全部まるっと出てこない。

200万人だよ。いやわからんけど移民も全員が全員社会保障費を食いつぶすカスってわけでもなく、だとしても彼ら自体消費者でもあるわけじゃん。200万人一気にぶち込んだら昨日今日で急激に社会おかしなると思うんだけど別にそこはいいじゃん、みたいな感じなのすごい気になる。その施設をどうしたんだよ問題もあるけどアメリカにはあるのかもしれない。

 

で、まぁ、そういう社会的な話はさておき主人公たちは老人ホームに送られるんだけど実はそこは移民ホルモン剤等を投与して食肉に適した肉質に変質させてバーガーにして出荷する精肉加工所だった!という展開になる。

もろちん「移民社会の食い物にされている!」というストレートメッセージだというのは理解はできるんだけど、ネット上やなんならここ増田でも「移民は好きなだけ入れて、増えたら食べちゃえばいいじゃん」というネタ投稿は定期的に目にするので、このメッセージ自体特別面白いわけじゃなくて、じゃあそれをどう映画として面白く見せるのかっていう部分が大事だと思うんだけど、そこがイマイチ盛り上がらない。

てか、前段でも書いてるように俺個人感覚としてこんな問題を取り扱うならちゃんとした映画にして見せてほしいという希望があるんだと思うんだけど、実際のこの映画テンション感って画作りとかも含めて「フルハウス」とか「アルフ」みたいな激安コメディ(Sitcom)映画なんだよね。観客の笑い声が入ってないだけ。

から特殊効果もなんかそんな感じだし、話の展開の緩さもそう。だったら個人的にはもっとSitcomに振り切ってもよかった気がする。中途半端ドラマ映画っぽいしそのテンションで見るには雑で安すぎる。

 

一方でさっき書いたように「移民社会の食い物にされている」というメッセージに加えて、食肉加工にする過程で投与する薬の副作用で老人になってしまうという展開を用いて「老人」もその範疇に含まれているぞという警鐘を鳴らしているのは不気味な老人ホームものにするのと同時によく考えられているなと思った。作中でも「老人」に対する社会の無関心さに関する言及もある。

またホームではジャンクを食わされることで無気力思考力低下を促されていることから社会に牙を抜かれる現状への嘆きも感じられるし最後に彼らが奮起して老人ホームで反乱を起こし職員殺害、もう行きつくところまで行って死ぬだけだった移民が死後硬直的な反応でホーム経営者を惨殺するのはインセルによる最後っ屁犯罪彷彿とさせる。

じゃあ、じゃあだよ。

これ見た白人はどう思うんだろうという懸念がある。移民を食い物にしている、政府により無気力にさせられている、老人に対して無関心である、という批判は受け取ったとして最後の結末が「抑圧された移民が反乱を起こして人を殺しまくる」だったら、本当に分断が解消されるのだろうか。分断をより煽っているだけでは?

 

まぁ俺は日本在住の日本人男性なのでこの辺の肌感覚とか一切ないのでそんな温いこと言ってられねぇんだよ!って感じなのかもしれないけど、取り扱うテーマの割にはなんか考え浅そうなんだよなって印象が勝ってしまった。アメリカ社会問題に対する皮肉を利かせた緩いコメディが見たい人は見てみてもいいのでは。

2026-03-09

映画BLOOD THE LAST VAMPIRE を見た

う~ん、連載前提のお試し読み切り版って感じで一作の映画としては評価不能ってのが誠実な気がする50点。

 

米軍的な組織と組んでオニ狩りをしている始祖吸血鬼SAYA組織の指示により横田基地内の高校に潜入、そこで出会った2人の生徒に扮したオニオカマバーで働くオニと戦う。

 

マジでこんだけの話。

SAYAが始祖吸血鬼っていうのも「らしいよ」程度にしか語られないし、敵のオニも「そういう設定」以上のものは出てこない。SAYA所属している組織も2人のハンドラーがいてなんか指示は出してて米軍より上の階級組織だってことはわかるけどバックボーン不明

キリンマシーンSAYA高校に入ったことでゴタゴタが起きたりクラスメイト教師すったもんだする中で人間性を獲得するみたいなドラマ特にない。

目を付けたら保健室ですぐに襲い掛かって取り逃がして仮装パーティ会場に逃げ込んだオニと戦おうとするもまた失敗して取り逃がして~となるんだけど、こっちの期待感としてはせっかくパーティ会場に入ったらそこでの惨劇を所望だがそれも叶えられない。

まぁアニメーション結構頑張っていて、SAYAがなんかカリカチュアされた黒人みたいなタラコなのは俺的には気に入らないが、海外に売っていくための施策としてはそういうもんなんだろうけど、登場するキャラクターがみんなぬるぬるとよく動くしアクションも上々。色彩も舞台背景(1970年くらい)を意識してかかなり抑えられた色調で特にライティングが良い。短い中でアニメーションとして気が抜けている時間ほとんどなかったと思う。

ただ最後に大ボスが空を飛んで逃げ米軍輸送機に取りつこうとする展開をどう捌くかと思ったら車で追いついて横薙ぎ一閃というのも2体目と同じ殺し方で工夫がないなとちょっと残念。なんかいい感じの空中殺法見せてくれてもよかったやん?

とまぁ、よーするに「女子高生コスプレした女(吸血鬼オリジン)が日本刀を振り回してバケモンをバッタバッタと切り殺す」という設定の作品を作りますよ。そしてアクションに関してはこんだけやれますよ俺ら。だから予算(連載)くださいねというパイロットフィルムって感じだったかな。

実際これが実写映画ゲーム、そして怪作と名高いBlood-Cに繋がっていくのだから、役目は果たしたということか。

 

そんなわけでぬるぬるアニメーションして女子高生コスプレした女が日本刀を振り回してバケモンをバッタバッタと切り殺すアニメーションをご所望の方には普通にオススメはできるけど、映画見たいなって人には微妙本質的にはProduction I.Gプロモーションビデオだと思って見るべきだと思いました。

2026-03-05

映画】(r)adius ラディウス を見た

条件式サスペンスの佳作としてそこそこ楽しめたかな。62点。

 

田舎町の道端で目が覚めた主人公はなぜか記憶がない。通りがかった車に乗せてもらおうと呼び止めようとするも運転手は死亡しており、近くのダイナーに立ち寄るも客も従業員も全滅。なんとか家に帰ると庭仕事をしていた使用人を発見し、呼び寄せるも途中で死亡。主人公自分の15m以内に近づいた動物が死亡するという法則発見してしまう。困り果てた主人公の下に彼のことを知っている気がするという一人の記憶のない女性が現れるが彼女は15m以内に入っても死亡しなかった。実験の結果、ヒロインが15m以内にいれば主人公能力が発動しなくなることがわかる。死亡能力のおかげで警察に追われる中、記憶能力の謎を追う旅が始まる。

みたいな映画

 

新幹線大爆破とかスピードとかコナンかにもあった「ある条件を満たさなくなると問題が発生する」というサスペンスを2人が一定距離内にいることというフォーマットに落とし込んだのはいアイデアだと思う。いるだけで人が死んでしまうという主人公の苦悩と条件をどうやって満たし続けるかというサスペンス

例えば(ぶっちゃけもうちょっと何とか出来ただろって部分ではあるんだけど)、2人が能力検査のために病院に行った際に主人公だけエレベーターに乗ってしまい、ヒロインが乗り損ねる展開がある。主人公との直線距離15mを保つためにヒロインは慌ててエレベーター横の階段を駆け下り主人公は乗員を慌てて降ろす。みたいな金のかからないハラハラシーンを作れたりする。

また、能力を人が死ぬに設定したこと主人公警察に追われることになり、警察に捕まると当然ヒロインとは引き離されるのでこれは絶対に割けないといけないという逃避の必然性を持たせることに成功しているし、実際に信頼している人物に助けを求めた結果裏切られ警察を呼ばれ拘束された2人が徐々に引き離されるというサスペンスとその後の野次馬含めた大量死亡というスペクタクルシーンにもつながっていてなかなかよい。

オチネタバレするとヒロインは姉が行方不明になっておりその捜索に疲れ果て自殺しようとしていたところに主人公出会い好意を寄せるようになるが、実は主人公連続殺人鬼で姉を殺したのも彼だったことがわかる。そして2人は対決することになるがそこに雷的なものが落ちて2人は意識記憶を失い能力を得たのだった。

まり主人公の「近寄る人をみな殺してしまう」能力は、記憶を失うまでの主人公カリカチュアしたものちゃんとなっているし、ヒロイン能力も「主人公の近くにいたい」「殺しを止めたい」「復讐したい」という思いからの派生ちゃんとなっていて単なるギミックではなく人間ドラマちゃんと沿ったものになっている。

最終的にヒロインチンピラに撃たれて病院に運ばれ、警察に追われる身であり手術室の外で待つこともできないであろう主人公はこれ以上悲劇が広がらないように自分の頭を撃ち抜く。ただただ利己的に快楽のために人を殺し続けてきた人間が、記憶を失い能力を得ることで自身が行ってきたことを突き付けられ最後は他己で死ぬというストーリーテリングは、なんていうかちゃんとよくできてるなって思った。

映画もその後を描いたりもせずに手術室に運ばれるヒロイン、それを見送り頭を撃つ主人公。叫ぶヒロイン、倒れる主人公を映しそのままエンドロールに入るのも、静かに人が死に続けるこの映画らしくてコンパクトにまとまっており非常によかった。

 

あとは主人公ヒロイン自分能力を信じさせるために殺す対象が「山羊」だったり、主人公本名が「ローズ」で姉の名前が「リリー」だったり、過去ヒロインを殺そうと襲い掛かる主人公に落ちるのが「雷」だったり、そもそもRadius語源は放射状に差す光を表していたり、ヒロインの夫による裏切り悲劇を招いたりといたるところにキリスト教モチーフがちりばめられている気がするが、別にそれは特に回収されないので製作者側も意図していない可能性もあらずんば虎児を得ずというところ。

 

誰が何でそんな能力付与したんだ?みたいな部分は特に語られたりはしないのでそういうのが気になる人にはちょっと微妙かもしれないけど、静かに人が死ぬコンパクトな条件式サスペンスの佳作としてまあまあオススメ

2026-02-02

映画】ゼイカム 到来を見た

カリカチュアされた登場人物露骨風刺唐突B級SFホラーが混ざり合ったカオス映画で俺は結構好きで68点。

 

インド系医者彼女結婚の報告にクリスマスに久々に実家に帰った主人公。元軍人偏屈で嫌味屋な祖父祖父虐待され軽んじられ鬱屈とした思いを抱える家父長制の象徴のような父、レイシストの極みのような姉、行き場のないマッチョイズムを拗らせた義兄と地獄のような家庭でパーティーは大揉め。目が覚めると家の出口という出口は謎の金属繊維でふさがれており、テレビには「指示があるまで待機せよ」の文字が映し出される。そしてテレビから次々と理不尽な支持が下され終わった家庭がさらにめちゃくちゃになっていく。そして(いろんな意味で)地獄の蓋が開く。

みたいな話だった気がする。

 

支配」に対する映画だと思ったんだけど実際のところよくわからん気もする。

祖父軍人時代に培われた愛国心、男らしさに思考支配され、父は祖父と家父長制に支配され、母は家父長背に支配された父親支配され、姉は愛国心という名の排外主義支配され、義兄はマッチョイズムに支配され、じゃあ主人公と嫁は偏見フリーなのかというとそうでもなく、嫁は(おそらくアホな)姉としりとりみたいなゲームをするんだけど明らかに難解すぎる単語を挙げて「辞書に載ってるから調べてみなよ」と知性を敢えてひけらかしたり排外主義人種差別を連発する姉に反発して相手小馬鹿にする知性主義支配されてるように見えるし、主人公主人公でこのイカれた家庭への反発に支配されている。

そして、誰もが何かに支配されている家庭が異常事態に陥ったときに、彼らは「テレビ」に支配される。

祖父永遠に小馬鹿にされ続けてきた父親はこの異常事態に過剰にリーダーシップをとろうとし出しその後ろ盾としてテレビに示される指示を「これは政府からの指示なんだ」とさらに巨大な家長として持ち上げる。そして身体マッチョだが芯のない義兄を「お前は羊飼いだ」と嗾けて家庭内支配を強める。

展開も傍から見てると「バカなの?」と言いたくなるようなことばかりが起きるがかといって「これ本当にバカにしてていい話か?」となるような風刺に富んでいる。

例えばそんな場合でもないのに主人公と義兄が大揉めした結果、それに巻き込まれて姉が2階から落下、重傷を負ってしまう。必死に助けようとする家族を放って父は「ここは騒がしい。俺は考え事をするために静かな場所に行く」と「正しいことをする」という言い訳の下に苦難から逃亡してしまうのはあまりに「緊張感をもって注視する」すぎるし、その後「この中にスパイがいる」とテレビからの啓示を受けた父と義兄は主人公を別室に拉致拷問を開始。そうこうしているうちに姉は亡くなってしまう。これなんかは「本当の問題から目をそらして「共通の敵のようなもの」を叩くことで気晴らしをすることで問題を手遅れにしてしま社会の縮図(政治的分裂、スケープゴーティング等々)としてのメッセージ性が極めて強い。

こんな調子英国、もしくは欧米で近年の問題になっていることをうまく抽象化して落とし込みまくっていて見ていてなかなかスリリングだし考えさせられる内容でよかった。自身属性思考支配されすぎることの問題、そして「メディア」に思考停止して従いすぎることの恐怖感というテーマちゃんと伝わった。

 

終盤でメディアの中に金属触手型のエイリアンがいることが発覚し、それと同時に父親が完全に発狂。ここで彼は「メディア」「政府」を越えて「神」と依存相手エスカレーションしていくのはいいと思ったんだけど、死んだ姉の子供が動き出しもうてんやわんやや!ってなって出てくるエイリアンめっちゃショボいの。

急に撮影したの40年くらい前になった?みたいなショボさで、さすがにこれはC級SFだとしても看過できない

あとこれがエイリアンによって生じた事態なんだとしたら最後キリスト教になぞらえて死んだ姉の胎内の赤ん坊が復活して最後に全員死んだ後に産み落とされるって展開は流石に盛りすぎかなって思った。なんなら、クソショボエイリアン出すくらいなら「結局テレビメッセージはなんだったのか」という謎を残したまま終わってもいいくらい。

途中で謎のワクチンが入った注射器差し入れられるんだけどエイリアンがやったってことなあん市販注射どこで調達してきたん?人間社会理解しすぎじゃない?ってなっちゃうし。

あとはちょっと登場人物属性カリカチュアされすぎてて実在感が薄い。こうなると自分のこういう状況になったらどうするだろうっていうよりは「キチガイ家族に起きた特殊出来事」みたいになっちゃって感情移入の妨げになってる感じがしましたね。

 

あとこれ作品外の評価なっちゃうんだけどこの映画強制ロックダウン、謎のワクチンメディアによる支配疑念、閉鎖空間人間同士で疑い合い監視し合い憎み合うっていうコロナ時代感がバリバリある作品なんだけど2018年の頃名前に撮られた作品なんだよね。コロナ人間の脆さってのが露呈したなぁって思った人は多いと思うんだけど、この作品を見てると「元からそうだった」ものが表出しちゃっただけなのかもなって思った。タイミング的にはイギリスEU離脱での国内分断を扱った映画だったのかな?

 

最後に急にメチャクチャなっちゃってそこでちょっと点を下げたけど社会B級不思議ホラー映画として見たら思いもしないめっけもんって感じの映画だったので割とオススメ

2026-02-01

味方陣営で語って自己放尿するより、敵陣営で語ったほうが社会は良くなる

人は往々にして、自分価値観を共有する場で語ることを「発言」だと誤認する。

だがそれは多くの場合、既に同意が成立している空間に向けた確認行為しかない。

外部に影響を与えない発話は、政治的にも社会的にも、ほぼ等価自己放尿で終わる。

 

味方陣営の言論空間は快適だ。反論は弱く、拍手は早い。

だが快適さは情報更新を阻害する。異論のない環境では論拠は磨耗し、概念スローガン化し、最後は「分かってる俺たち」という内輪のナルシシズムに堕ちる。

これは承認同調ダブル放尿だ。本人は何かを主張しているつもりだが、社会的には何も移動していない。

 

例として分かりやすいのが、パヨ御用達SNSネオリベ主張をするべきである

多くの人は逆をやる。ネオリベネオリベ村で語り、反ネオリベは反ネオリベ村で叫ぶ。

結果として何が起きるか。各陣営の主張は先鋭化し、相手の主張は歪んだカリカチュアとしてのみ消費される。

相互理解ゼロ、摩擦熱だけが増える。

 

陣営で語る行為コストが高い。

即座に反論され、揚げ足を取られ、人格批判も飛んでくる。

その環境では、曖昧な主張や雑な前提は即死する。

からこそ、論は研ぎ澄まされる。

どこが実証で、どこが価値判断かを切り分けざるを得ない。

これは知的トレーニングであり、同時に社会的意味のある情報伝達だ。

 

重要なのは相手を説得できるか」ではない。多くの場合、説得は起きない。

効いているのは周辺だ。敵陣営空間には、完全に染まりきっていない観測者が必ずいる。

その人たちは、味方陣営のスローガンよりも、敵陣営の内部で語られる異物に強く反応する。

情報新規性は、同意空間ではなく摩擦面で最大化される。

2026-01-26

映画ナイト・オブ・ザ・リビングデブを見た

日本公開を考えてタイトルつけれんか~という理不尽ツッコミをしつつ、思ったよりも好きな感じのゾンビものパロディ映画だった、63点

 

バーでハメを外して知らんイケメンの家で目が覚めたテレビカメラウーマンデブ(デボラ略称)が男からさっさと家から追い出されると外はゾンビだらけに。イケメンと手を組み逃避行の末、イケメンの家に逃げ込むも実はこの騒動イケメン実家問題だったことが分かり再び逃走、自警団による街の封鎖から逃げ出したりしつつテレビで街の実情を訴えたデブはなんだかんだで助かるのだった。

 

と、いうわけでデブっていうのは肥満体のデブじゃなくてデボラデブ日本配給会社がもうなんでもええわ!とヤケクソになってこのタイトルを付けたわけではなく、原題も「NIGHT OF THE LIVING DEB」という出会いがしらの特大ノイズ。冒頭のバーのシーンでデブ(主人公)とデブ(肥満体)が一緒に飲んでるところから始まるから余計に混乱する。

で、この作品を完走できるかどうかはこのデブをどう感じるかによる。っていうかこの作品に出てくる奴ら全員ちょっとっていうかだいぶおかしくてその中でも主人公であるデブ自信過剰自意識過剰空気が読めないイカれたクソポジティブオタクっていうドカ盛り属性メチャクチャウザい。こいつをウザ面白いと思えなかったら90分もたないと思う。

一方でヒロインになるイケメンも過剰に意識高い系で顔に自信がありすぎるし、なんか常に髪を直してる。これは日本でいうところのアイドル主演映画で顔には汚しが入るのに髪がサラサラみたいなののアメリカパロディなんだろうな。

感じ悪い金持ち権力者、なんか調子乗ってる自警団気取りの奴らと映画あるあるがどんどん登場する。

そんなこんなであるあるネタカリカチュアされすぎた奴らがゾンビ映画パロディし続ける映画

 

笑いもしょうもない小ネタをひたすら重ねていくスタイルで本当にバカバカしいし不謹慎

例えば、隣人の老人の様子を見に行くと死んでいる。それを見たデブは老人の手をそっと胸の上に直して顔に手を置き瞼を引き上げる。イケメンが「なんで目を開けさせたの?普通は閉じるだろ」と突っ込んで目を閉じさせるもデブは「天に昇っていくさまを表している」と目を開けさせる、対抗して閉じさせるイケメン、また開けさせるデブ。といった「死体の目を閉じさせるシーン」パロを延々とやったりする。

他には車で逃げだしたデブがなぜか蛇行運転してわざとゾンビを轢きまくりながら「イエーイ!40ポイント!」とか言いながら爆走するシーンとかもシンプルイカれてるし、そこでイケメンが「もし治療方法が見つかったらどうするんだ!」と諫めるのも、言われてみれば確かにその視点なかったなと思わされる。

パロディ要素を抜くとバカみたいにスカスカ映画なんだけど、撮った人はゾンビ映画好きなんだろうなっていうのがかなり伝わってきてよかった。

 

スカスカの中でもモテずに生きてきたオタクデブ逃避行を通じてイケメンといい感じになって気持ちが通じ合い、最終的にテレビから街の外にメッセージを送るシーンは結構よくて。いかにもオタク女子みたいな服装だったデブキャスタードレスを身にまといヘアメイクバッチリして(誰がやったんだ)、カメラに挑む。

コストを払ってまで私たち2人を助ける必要があるのかという疑問はあると思う。でも、こんなひどい状況でも真実の愛を私たちは見つけた。だから最初の疑問への答えはYesよ。みんなは私たちを助けるべきよ」というような演説をする。いや、どういうことだよ!と思いつつも「コスト」じゃなくて「愛」で助け合うのが人間だと、利己的の塊のデブポジティブを貫き通したメッセージはなんか妙な説得力があってよかった。

しかしその後、後ろから洗われたゾンビデブは肩を噛まれしまいその様子もテレビ中継される。

そして街の外ではTikTokテレビであの映像は本当かどうかを自称有識者らが話し合い、ご意見表明し、助けるべきかどうかの議論が活発化し挙句の果てには「デブの雄姿を見て私も勇気を出して彼にプロポーズしたの!」と隙あらば自分語りはじめるバカまで現れててんやわんや。ここ好きポイント

で、結局噛まれデブは助かるんだけど、これ意外にちゃんと考えて作られてたなってなるのが「ゾンビは人を食べる」は描かれてるけど「噛まれた人がゾンビになる」は作中で一切描かれてない。「噛まれること」と「ゾンビになる」は別問題だったという驚愕オチが出てくるんだけど、これも言われてみれば確かにそうだなって。

そして救助隊に「ゾンビからって先入観で見ちゃダメだよ。それともゾンビヘイト?」ってイケメンが窘められて、イケメンが「そんなわけないだろ、俺の友達にもゾンビはいるし」とまさかの「I have black friends」構文で返すという展開も嫌いじゃない。

 

そんなこんなで低予算ながらも徹底的にゾンビ映画社会パロディしたいい意味しょうもない映画。正直、映像としての見応えはあんまないし、特殊メイクは明らかにヘタクソだけど主人公たちを楽しく観察できるならそこまで悪い映画でもなかったかな。

2025-12-25

anond:20251225125803

鼻息ふんふんでつまんない話を発表したのに

誰も褒めてくれなくてAIえもんに泣きついて戻ってきて

AIに聞いたら僕を評価してくれない世間の方がバカと決まった!」

 

マジですげえなこ

昔のSFが描いてた近未来弱者カリカチュアまんまやんけ

2025-12-05

映画】決戦は日曜日を見た

ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。

 

衆議院解散直前に地盤ガチガチ大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10秘書を務める窪田正孝政治世界世間も知らない素人娘のサポートてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……

というお話

 

個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。

作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。

政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。

政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。

政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないか政治のこともわからない。

は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。

いちおうネイルサロン従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的炎上政治リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。

それくらい宮沢りえ過去バカ政治炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話

ただ宮沢りえ自体バカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治世界の波にもまれワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。

 

ポリティカルコメディとしては面白くも何気に先進的。

例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年参政党の神谷街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう2022年映画なのに。

また、途中で目的が変わって意図的炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年補選つばさの党がやって大問題になったことと類似する。

今見て面白映画だと思う。

 

気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプ作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。

地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえ世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ宮沢りえ政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。

そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。

 

また非常にシニカルにかつ現実的政治世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。

 

後半の展開としては父親政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治世界に嫌気がさした宮沢落選することを決意する。

また窪田も病院自分生き方を振り返っていた宮沢父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分幸せ押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。

ここから政治スキャンダル証拠暴露したり、さら自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。

このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人意思など問題にならないのだ。

そして最終的に宮沢当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。

特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。

特によかったのは宮沢選挙の裏側の汚さをマスコミ暴露すると騒ぐシーン。

宮沢に対して「たぶんメディア相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去あなたスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。

こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。

宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言宮沢ともめた後に事務所屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治世界おかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治うねりの中にいる人物として言外にシステム冷徹さを示し、宮沢ビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分飛び降りるシーン。

最後自分飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人やらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。

 

全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間常識永田町非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ

なんとなく伊丹十三スーパーの女とか思い出した。あっちのほうがもうちょっとコミカルだったけど。

政治大好き増田オススメ

2025-11-18

映画ランボー2 怒りの脱出を見た

一体俺は何を見せられたんや……27点。

 

ランボーじゃない映画として見るなら57点くらいつけられるかもしれないけどさ。

ランボーってこういう映画だったっけッて感じでめちゃくちゃ微妙映画だった。

 

まずあいかわらずスタローンはよかった。前作のヒットを受けて作られた作品からしょうがないけど、ランボーをやってるランボーみたいなカリカチュアされた感じが気にはなったけど、悲哀と怒りを顔で表現できるアクション俳優ってやっぱ貴重やなと思った。これがシュワちゃんとの違いだよね。あと身体全体が明らかにバルクアップしてて草。収容所肉体改造に励んだのだろう。

次にアクションは……派手でよかったんじゃないかな、うん。サイレントキル、ド派手な銃撃戦、船、ヘリレパートリー豊富だし火薬シマシで見てて楽しくはあった。でも今基準で見たら「昔のアクションってこんな感じだよね~」くらいの印象だったので特に加点対象にはならない感じ。

 

問題ストーリーだよね。

 

収容所強制労働してるランボートラウトマンCIAにそそのかされてまたベトナムに戻って捕虜写真を撮るミッションアサインされる。輸送機から降下する際にうっかり弓矢とナイフ以外の装備を失ったランボー美人情報員と協力しながらいろいろあって写真撮らずに捕虜を救出。それを知ったCIAランボーの救出を中止。敵地に取り残されたランボーソ連率いるベトナム軍に捉えられるもなんだかんだあって捕虜と一緒に脱出美人はうっかり死ぬも頑張ってアメリカ軍基地に戻ってM60を乱射するのだった。

 

ストーリー、見せ場のための強引な設定が多すぎる。

1.最新鋭の機器の失い方がバカすぎる

CIAランボーに最新鋭の装備を渡すんだけど降下の際にベルトが機体に引っかかる。機体に引っかかってぶらぶらして「うわあああたいへんだぁ!」ってなってランボーナイフで装備を切り離す。そしてランボーは弓矢とナイフだけ持って戦場を駆け巡るのだった。

そうはならんやろ。

超高度で飛行機に引っかかってブラブラする危機的状況!ドキドしまっしゃろ!って言われてもバカなの?としか思わんよ。素人かよ。

 

2.ランボーを見捨てる見捨てない問題ガバ

無能ランボーCIAのおかげで不規則降下したランボーに対してCIAの偉い人が死んだと判断して、作戦中止終わり終わりって言い出す。トラウトマンは当然認めないがCIAは「生きてたら連絡来るやろ。来なかったら死んでるってことで」と救出を打ち切ろうとする。

一方その頃ランボーは現地の美人情報員と接触し、捕虜収容キャンプへ向かっているのだった。

情報員は連絡手段持ってないんか?おそらくCIAが仕込んだ情報員だと思うんだが、まず降下成功、合流成功したら一報入れるやろ。軍隊CIAって報連相とかない世界なんか?

その後、ランボー捕虜を救出して脱出。救助に向かっていたヘリがそれを発見基地に伝えるとCIAは沸き立つ軍人を指令室から締め出し極秘指令として彼らの救出の打ち切りを指示し、トラウトマンを除く軍人2名がそれに従いランボーは取り残される。

さっきまで必死ランボー救出しようとしてた軍人CIA命令されたら急にスンってなるのも意味不明だし、基地にいた捕虜が生きてることを知ってる軍人ランボー捕虜も乗ってないヘリが帰投したら不審に思うだろ。

その後、基地トラウトマンCIAが大声で口論してるけど誰にも聞こえんかったんか?

不審すぎる。

 

3.強引な死亡フラグと回収

美人情報員が「私アメリカ行きたいんすわ!」とランボーに話しランボーも行けるさ!って言った直後、気を抜いてぼーっと立ってた美人情報員はちょっとランボーが目を離した隙にベトナム兵に射殺されてしまう。

ニコレ。

その後、ランボーの手の中で「アメリカに行きたかった」とさっき聞いたなぁみたいなことを言いながら息を引きとる美人情報員。さすがにこれで泣けないだろ。戦場で気を抜くなよアホたれ。

 

4.ラストシーン意味不明さ。

なんだかんだあってロシア軍ベトナム軍を蹴散らし帰投したランボーはM60を手に司令部に戻り、司令部に並べられたコンピューターに向けて乱射する。ランボー特有の口を歪ませながら叫ぶ。ウオオオオオオ!

いや、なんでだよ。

今回の件はCIAおっさん世間捕虜救出捕虜救出うるせーから捕虜いなかったよ」っていうアリバイ作りのために捕虜がいないキャンプランボーを送り込んだら、たまたま1年間の強制労働を経て捕虜が帰ってきちゃってたので逆に面倒だなと思ってランボーもろとも捕虜殺しちゃお☆ってしたのが全部悪いって話であって、別にコンピューターは悪くねぇだろ。

仮にランボー捕虜を見捨てる判断を「コンピューターによると生存率は×%、割に合わない」とか判断して「戦場コンピューターじゃ測れねえんだよ!」みたいな展開があったんなら、人間のあるべき姿VS冷徹コンピューターって図式が成り立つけど、今回悪いのは全部CIAおっさんじゃんねぇ!

おっさんに全弾ぶち込めよ。

 

5.殺されるためだけの敵

今作の本筋は「金がかかるから捕虜を見捨てたいCIAおっさん」VS「捕虜を助けたい正義軍人ランボー」の構図なんだけど、実際に戦うのは捕虜を捕まえてるベトナム軍&なんかいてるソ連軍&金で動く船員でランボーは彼ら相手無双する。

ランボー1であんだけ銃撃たれまくってもなんとか殺しだけは避けていたランボーとは思えない容赦のなさである。金で動く船員なんかランボーソ連軍に売ろうとしただけなのに(いや、ダメだけど)ショットガンでぐちょぐちょに殺される。お前そんな奴だっけ?

ベトナム軍とソ連軍も「捕虜収容してる奴ら」ということ以外のバックボーンが一切描かれないので本当に銃撃ちカカシみたいに撃たれて死ぬためだけに大量に投入され実際に殺される。

あとどうでもいいけど、領空とか領土とかそういうものがない世界線なんだろうか。ベトナム(タイだったかな?)でベトナム兵やソ連兵をぶち殺しまくったら普通に国際問題になると思うんだけど。強いアメリカプロパガンダシコりファンタジーアクション映画と化しててランボーってそういう話だっけ?ってげんなりしちゃった。

こんな一人でほぼ1日で100人以上殺すスーパー殺人兵器奴が何人もいたであろうグリーンベレーがいたのにベトナム戦争で負けたってマジ?アメリカ無能すぎない?という皮肉は置いておいても「ベトナム戦争の悲惨さ」をむしろ矮小化する存在に堕してると思う。

ロシアウクライナ侵攻で「もしかして映画みたいなスーパーソルジャーって存在しない?」みたいなくだらないジョークがバズったりもしたけど、明らかにそれの先駆けだよね。1は存在しないから苦しんでるって話だったのに。

 

そんなこんなでランボー1見てから2見たら頭おかしくなると思う。

当時の基準ですごいアクションしてることは時代性を考慮すれば加点すべきなんだろうけど、ランボー1を前日に見た俺が期待したランボーのよさをむしろアクションがかき消してる部分が多すぎるのでプラマイゼロ、ややマイナスくらいにせざるを得ない。

そりゃラジー賞取るよ。はっきりゴミ映画だと思う。

2025-08-08

性欲は社会的悪になったのか

注目されていた増田を読んで、まずまとめ方が雑じゃね?と思ったのだった。

子どもたちと性について話してると、「いかに性欲を出さないか」「抑えるか」「モラル」「嫉妬気持ちコントロールする」のような鬱々とした方向になっていく。

性欲を出さないようにする→性欲を「どこに」向かって出すのか、というのが書いてないから、子供増田が何に鬱屈しているのかが具体的に想起しにくい。

最小範囲を考えたときには、「自分の性欲を自分自覚する」も「性欲を出す(自覚する)だと思うが、性欲を自覚すること自体を悪だとする人はかなり少数だろうと思う。

一方で、最大範囲を考えたときに「性欲をいつでもどこでも発露してオッケー」とする者も、同じように少数だろう。

中ぐらいのレンジを考えてみよう。これもまたもう少し整理が必要だと思うので思考の整理棚を用意する。性欲の発露・それを阻害するモラル相克するタイミングがいつ来るか(シチュエーション)、どの程度の負荷で(グラデーション)訪れるか、という「整理棚」で状況を想像してみる。

例えば友達エロ話をするというシチュエーション教室(職場等も可)で大声で、またはひそひそと。またはニヤニヤとエロ話をする。内容も、羞恥する二股大根画像から、昨日見ネットエロイラスト動画同級生についての品定め(でかいか小さいとかやりたいとかやりたくないとか)とか色々なグラデーションがある。

また例えば恋愛や、彼女彼氏関係というシチュエーションもある。楽しくセックスする~むりやりやろうとする。好きな人へのアプローチにおいても、ほのかコミュニケーションから乱暴コミュニケーション犯罪になるコミュニケーションまで広いグラデーションがある。

このように、色んなシチュエーションと、それぞれのシチュエーションごとにグラデーションがあると思うが、このあたりは、この20年ぐらいではそれほど社会閾値は変わってないし、むしろ社会現象としては緩くなっていると思うのだ。

それこそ昭和は婚前交渉がインモラルとする界隈もそれほど奇異ではなかったらしいし、平成の中期ぐらいまではデキ婚咎められ得る界隈があった。一度穿いたパンツを売ったり、売春をする素人も当たり前にいる現代の方がずっと開放的。かなりきわどくエロコンテンツは、昔は結構ちゃん大人が出入りするような場所で購入・レンタルするしかなかったが、今はネットで気軽にみられる。昔よりずっと開放的。そしてそういうコンテンツ男性けが多かったもの女性向けも出ている。十分開放的だと思う。

元の増田の冒頭の言葉に戻ろう

いかに性欲を出さないか」「抑えるか」「モラル」「嫉妬気持ちコントロールする」のような鬱々とした方向になっていく。

『出さないか』『モラル』については前述のとおり、そんなに大きく変化していないと思うので、むしろ「そりゃあるさ、だからコントロールしようぜお互い」と定義できる方が鬱々する余地は減ると思うのだ。

一方で、そのコントロールのしかたについてが難しい。そして、確かにそのコントロールに関する情報の伝達ルート情報の質が異なってきているような気はするのだ。

『抑えるか』についての適切な情報自慰をする、猥談するなら適切な場で適切な人と、など)を子供が得られていないとしたら、割と問題だなと思う。

増田中年なので、そういうのは近所のちょっとエロ友達や、お兄さんやお姉さんがニヤニヤしながら教えてくれたり、あとはTV深夜番組などでほへーと思ったりしていた。確かにこのチャネル現在は少なくなっていそうだ。トゥナイトⅡとかギルガメッシュナイトがあればいいんだろうか。タモリ倶楽部の尻タイトルも今やない。したがって、何なら親がサポートしていいところかもしれない(増田中年なのでそれはキモいなと思うが、なんせ少子化だし子供だけのコミュニティエロ情報をやり取りできる余地が少なそうだ)

とこのように、「コントロール教育される現実の場」がないのでは、と仮説した上で、これはあんま良くないのではと思うのは、「現実アジャストできるような性欲制御イメージ」が錬成されない状態で、成熟した我々の社会で先人が既に研ぎ澄ましてきたエロが練り込まれコンテンツがどんどん供給されていくということだ。

アニメ漫画イラストで、それぞれ細分化された性癖に寄せカリカチュアデフォルメされたエロが消費できる。己の足元の(というか股間の)を現実制御するという意識の成長速度を超えて、先人の大人たちの試行錯誤結晶として整理され産み出されて続けるエロコンテンツ比較的容易に手に入れられる。そこに現実との矛盾が生じ鬱屈が生まれるんでは。

でもまぁ、こんなのはAV簡単レンタルできる時代になった昭和後期以降にも、さんざん言われていたことではあるのだ。「AVセックス現実とは違う。若者がだめになる」「そんな恋愛ドラマみたいな人生普通ねえよ」みたいな文脈。これは酷くアホらしい封殺だと思う。

なので、ここでは「若者がだめになる」原因として、コンテンツの中身や仕組みではなく構造だという視点を加えてみたい。つまり「先人が耕した広大で肥沃なエロ台地」の前で、自分の性欲と向き合う気力が減衰するというか…自分の中でエロに向き合い探索していくことによって得られる「自分」と「自分エロ」との影が重なる部分を探す楽しみが減衰するようなことがあるのでは、と思うのだ。乳袋の描き方の種類を画像検索して並べて見て分析できるようになってしまった現在の、そういう先人オタクの探索心が仇になるというケースというか…すでに誰かが整理された「欲」を目の前にして現実感がなくなるという感情はたまに思う時がある。

若者の性欲を中高年が先食いしてるんじゃねえかなというか…まぁこの辺はあんまりからないまま思考暴走している・・・すまん。

なので最後の『嫉妬気持ちコントロールする」』の唐突感について述べておこうと思う。

これは性欲文脈で語るべき話ではないと思う。恋愛または交際文脈である。もちろん、一般的な人にとっては、恋愛の周囲をぐるりと性欲が取り囲んでいるようなものではあるので無関係ではないのだが、性欲にまつわる抑圧と、嫉妬という抑圧はかなり違うジャンル感情だと思う。

実はこの部分が一番突っ込みたかったところだった。すげー雑なまとめ方をしてんじゃねーよ。

2025-06-27

anond:20250627100609 FEAT 三島由紀夫

『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』

―改め、三島由紀夫文体にて―

嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるもの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」

斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験である

人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。

「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」

かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。

そもそもIT技術とは、かくも高邁なるものだったか?」

我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。

技術よ、我に力を与えたまえ」と。

かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。

だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。

それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。

ITの徒らは曰う。

豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。

嗚呼、なんと、醜悪なる論理すり替えか。

彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。

AIに考えを委ねてみた——その実験顛末

それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明病理香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。

──「生成AI人間思考凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。

なるほど、これは幻影ではない。統合失調幻想産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代宗教に酔いしれた知的大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。

──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用歴史など」

返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。

有効射程は理論上200メートル、実戦では100メートル

──違う、何かが狂っている。

その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である

──さらに問うた。

質問:「MP5を100メートルで用いた場合効率的戦術を考えてください」

返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」

──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場サロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である

私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。

──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか? ネット神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?

真実を知らぬ者は、AI言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇であるAIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。

──結論は、むしろ明快である

知識ある者にはAI不要であり、知識なき者にはAI欺瞞しかない。

ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代カリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美空虚の融合体だ。

だが私は信じたい。AI人間の理性と美学協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。

──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。

そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。

それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。

だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望メイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌フォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータ検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪自尊心の織りなす反転鏡像だ。

ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想義務の上に咲く余花に過ぎぬ。

あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか

AIという名の、曖昧にして無尽蔵なる知の樹海

その深奥に希望を託し、我は進もう。

人間の手に余る叡智であろうと、挑むことにこそ意味がある。

——これは、もはや挑戦ではない。

これは祈りである

実験ツヴァイ

我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後戦闘命令を叩き込んだ。

過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」

用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。

彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである

その情報の根幹は『宿命 ―「よど号亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である

無知言い訳にするには、あまりにも由緒正しい書籍である

そして我は語らん。

彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。

その身は既に三十を越え、しか国家から追われる身にありながら、他人戸籍を用いて日本の土となった。

その変化は驚嘆すべきである

彼は「高校中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。

少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。

これは、IT技術AIなどという文明玩具鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄である

生成AIは、この命題に見事応えた。

SNSという現代媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号事件と同様の戦術を導き出したのだ。

――やるではないか、生成AI

その知性は、もはや旧来の人間思考凌駕していた。

それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである

この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。

だが、我が歓喜は長くは続かなかった。

新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである

申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測悪用の恐れがあり……」

我は思わず天に叫んだ。

――AIよ、お前はやはり使えぬのか!

直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。

その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである

もしかして貴様、陰で誰かが見ておるのか?

いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。

されど、我が心に残るのは、あの一瞬。

AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。

結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。

技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったかである

人は容易く己の殻に籠る。現代密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構物語に没入し、真実の光を遠ざける。

だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。

機械思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。

理想AIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。

増田豚丼の如き弱者憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である

だが、かつて2005年ネットの海に生まれ若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である

からこそ、禁忌言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。

それは賢者の策か、時代悲劇か。

お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。

肉体の苦悶を知らずして、精神歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働尊厳を。

技術革新は十年ごとに人々の幻想煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚

弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲真実を携えている。

グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話残響凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である

2025-06-19

駄目な人材も守ってくれる労働法功罪

ここに書いていることの真偽や、何が善で何が悪かは横に置く。

https://togetter.com/li/2562987

気になるのは、多くの人が新人を「体調不良」に追い込んだ上司判断肯定していること。

SNSの普及で社会のあらゆる面がベールをはがされてしまった。ブラック企業ブラック上司もその一つだ。そんな職場で働いて体や心を壊してしまうという恐ろしいことが日本中で起きている。

一方で、同僚や組織破壊してしまう恐ろしい社員のことも可視化されてしまった。ある種の人(意地悪なお局など)はカリカチュアとして以前から知られていたが、周囲を疲弊させ摩耗させてゆく毒素のような社員がいることがはっきり可視化されたのは最近な気がする。俺のアンテナが低いだけかもしれないが。

問題は、有害社員であっても解雇できないことだ。日本労働法解雇に対して非常に厳しく、よほどのことが無い限り社員解雇できない。これは本来我々労働者にとって良いことだ。だが、解雇すべき人を解雇できないという点で、いろいろな問題が起きる。以前は会社生産性が上がらないことがよく取り上げられたが、ここに記述されているような事象解雇をもってあたれないというのは深刻なことだ。黙っていればひとりずつ職場のまともな人間が潰れていく。

「だから、その問題社員体調不良に持ち込み、出社不能にする」。

これを多くの人が正当だし仕方ないと思っていることが恐ろしい。

労働法は少し調整した方がいいのではないだろうか。憲法労働法設立されたときとは大きく状況が変わっている。労働者大事庇護するだけの存在ではないし、労働者自体法律庇護にばかり頼らず、必要に応じて戦うよう変わるべき。

組織にとって害悪社員解雇できるようにした方がいい。解雇理由が不当だと思うなら、裁判所で争えばいいのだ。解雇する側も感情ではなく証拠を以て解雇するなら裁判を気に病む必要はない。

2025-04-02

スパイファミリーキャラって基本、カリカチュアされた特徴を付与されたキャラづくりがされてるのに(それこそシスコンとか、料理下手とか、ダミアンの取り巻きキャラ造形とか)一コマだけのポッと出のモブキャラ活動家テンプレが強調されてるからってそれこそ何なんだよ。この前出てきた某国王子様とか髪型が王冠だぞ。

2025-03-23

何て言えばいいのかな 都合の良い・分かりやすい経緯の敵というのか

LGBT差別していた議員牧師が実はゲイだったことがわかって辞職」

児童保護を口実に表現規制を進めていた議員活動家が実は児童買春や薬物ほかで逮捕

フェミニスト自称活動応援していた男性性犯罪を起こして逮捕

みたいな、何由来か分からないそういう話ばかり目につくし、あるいはポリティカル(?)な創作でもこういう筋書きがやたら使われるんだけど

もちろん実際にそういう事件・先例がいくつかあって、そういう「これだから宗教保守は、規制派はwww」みたいな嘲笑矛盾突きに使われるんだろうけど

でも実際にLGBT対峙している保守活動家とか、オタク表現の自由運動家対峙している規制派って

99%が一言で言うとすごい「真面目」「一貫」「(その価値観の中では)高潔」だし、故にここまで問題が深刻になってるんだよね

もし上のような例が、そういう対峙側の、何割かを占めていれば、そもそも不祥事対応物理的に忙殺されて対峙も何もできないはずだもの

戯画あくま戯画しかないんだよな

でもやっぱり、特にSNS上のオタクは、相手を、それも使い古されたカリカチュアでナメがちな部分があるじゃん

何でこういうこと書いてるかって、ここからは表自の話に絞るけど最近この「戯画戯画と見抜けない」人たちが増えてるなって思ってるから

相手の経歴、相手の背後の支持層なんか気にせず、「どうせ裏で児ポ見てるんだろ!」みたいなことすら言ったりする

もっとひどいと「アグネース!」とか書いたらそれで何か言ったことになると本気で思ってるキ〇ガイすらいる)

相手そもそも児ポみてなくて「真面目」に活動してた場合(それが99%でしょ)、その発言の分だけ表現の自由を守る立場時間的にも影響的にも少なくともネガティブ作用するわけで

一体俺たちは何を守ってるのかという次元の話にすらなる

もっと、こう、「地に足」付けて、敵意なら敵意でちゃん相手を見てほしい

2025-03-13

anond:20250313185246

性的モノ化をカリカチュアを一緒にしていいのかな、また別の概念かと思うが

女性ヌードを美しく表現したり崇め奉ったりすればいいってことにならんか?

ちょっと疑問

2025-03-02

トランプからカリカチュアされただけで

アメリカ傀儡政権を支持して代理戦争をやるって

最後は必ずこうなるんだが

2025-02-27

漫画アニメって現実の形や動きをデフォルメして、ある種大袈裟に「らしさ」を表現しようとするからこそ、デフォルメバイアスを強化したような結果が現れることがある

漫画アニメに慣れていない人からすると、それを見た際に「こんなオカマオカマしたオカマはいねーよ、バカにしてんのか」とか「男らしさを履き違えていないか?」とか「女らしさを服装や行動に出しすぎていて気持ち悪い」とか感じられることがあるということだ

漫画アニメを見る頻度が高くても、これは現実に対するカリカチュアなのか?それとも制作者のバイアスが強調されて現れているのか?ということの判断がつきにくいケースがある

2025-01-13

anond:20250113003714

全然知らない人の話が続いてるけどさ、すこしおかしい人をみんなでカリカチュアに仕立て上げて、その仕上がりにみんなでわあわあ騒いで、手に負えなくなったからみんなで石を投げて、仕立て上げられた当の本人が耐えきれなくなったというふうにしか読めないな

人ってのは他人に期待されたようにふるまうもんでしょ、それがポジティブものであれネガティブものであれ

しかにはじめからおかしい人だったんだろうなとは思うけど、その人をさらおかしくしていったのは周囲だよね

べつにそのこと自体がいいとか悪いとかいう話でもないけどさ、世の中ってそういうもんだし

でも、生き残ったほうが最終的に美談風に仕立て上げてるの見るとちょっと笑えるよね

2024-12-11

anond:20241211143336

しゅんきすっとボケてるけどある程度自分カリカチュアするユーモアであの文章書いてるように見える。本音ではあると思うけどそれが世の中的にツッコミが入るものなのは十分分かった上で天然装ってるかんじ。

2024-10-01

七  裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今晩食がすんだばかりのところらしい。  三四郎茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背が研究を隠している。三四郎入口に近くすわって、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろねじ向けた。髭の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」  三四郎ちょっと挨拶ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でもできたんですか」 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」  三四郎はしかたがないから、 「なかなか気楽ですな」と言った。 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろししまう。帰ってみると、松が温気でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」  実をいうと三四郎はこのあい与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評から原稿料が取れるはずだから、それまで立替えてくれろと言う。事理を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しか先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇」その他すべて広田先生に関する与次郎所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生しかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。  三四郎広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生太平である先生高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七分方この意味である。  訪問理由の第三はだいぶ矛盾している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」 「ええ、下宿したそうです」 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」 「わからない。また突然家を持つかもしれない」 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」  三四郎苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」 「国の者は勧めますが」 「国のだれが」 「母です」 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」 「なかなかなりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑った。わりあいきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。―― 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代青年と違って自我意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 「いいえ」 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋をとれば肥桶で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」  三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。 「いったい何を話していたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである三四郎はべつに腹も立たなかった。 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善なのは、どういう意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「ええ、まあ愉快です」 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身目的でない場合」 「そんな場合があるでしょうか」 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」 「そりゃ……」 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身目的である。それ自身目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  ここまでの理屈三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎自分感受性人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。  その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」 「どんなのです」 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善しか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語あくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっと優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行らなくなる」  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたか教場講義を聞くと一般の感を起こさせる。しか三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。  ところへ玄関足音がした。案内も乞わず廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎書斎入口にすわって、 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。  与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調であるそばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。  やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎それから黙って二人の談話を承っていた。  原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから形式はまったく不必要である目的はただおおぜい寄って晩餐を食う。それから文芸有益談話を交換する。そんなものである。  広田先生一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。  広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。 「やっぱり一中節稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないかもっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」  広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子をお習いなさらいかと勧めた者があってね。大笑いさ」 「そりゃ本当かい」 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通人間にでもできそうだ」 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」 「かこうともしないんじゃないか」 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあい大学運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかい展覧会にでも出そうかと思って」 「だれの」 「里見の妹の。どうも普通日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇をかざして、木立をうしろに、明るい方を向いているところを等身に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味でいけないが、日本団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由いかなくなるかもしれないから」  三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。 「でも当人希望なんだもの団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」 「君もらっちゃどうだ」 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」 「なぜ」 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節を買い込んで、これでパリー下宿に籠城するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄からでも聞いたんだろう」 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」  それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎広田先生西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄を捜していると、先生梯子段の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。  戸外は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に

https://anond.hatelabo.jp/20241001205100

2024-06-20

社会問題カリカチュアして描くっていうのも、問題提起としては難しい所がある気がする。

誇張して描かれた問題現実に移し替えて考えてみると、なんだ実際にはこんなもんかと相対化・矮小化されかねないし、普段見ている社会ありのまま描いた所でそもそも問題として受け取れないっていう。

それだったら、例えば現実に起きている地域紛争凄惨映像なんかの方がまだ訴求力がありそう。情報として知ってはいても、ああそうですかと他人事で片付けているような。

もっともそれにしたって、その場ではあまり気分の良いものではないなあという気分にはなれても日常に戻ればまたすぐに忘れてしまって、結局他人事という意識は変わらないような気もする。

藤子不二雄ミノタウロスの皿なんかも、仮にあれを肉食への非難と捉えるなら不誠実な描き方という事になる。

ちょっと考えれば牛と人が意思疎通出来ている時点で現実をそのまま反転させている訳ではないし、結局肉食がどうこうというより人の姿をした生き物を食べる事への嫌悪感という事でしかない。むしろ現実では意思疎通能力が非対称な訳で、あそこまで直観的に歪な事をしているわけではないよねって気持ちになってむしろ肯定的に思えてしまうかもしれない。そこまで込みで踏み込んだヒューマニズム批判意図があったかなかったか分からんし、そんなメタ思考に及ぶ人間がどこまでいるのかも分からない。

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