はてなキーワード: 運動会とは
連日、教員のなり手不足のニュースとともにウズラの卵を詰まらせて死亡したり運動会の練習中にフラッグが睾丸に刺さって手術したりとかの学校での事故のニュースも見かける。
学校ってなんとなく、外にあまり情報が出てこないというか、何かあってもなるべく情報を出さない傾向がある組織だと思ってたけれど。
ここ数年、小学校でたまに勤務するようになって、中を知れば知るほど悪い方での驚きに満ちている。
例えば、子どもっていつごろから家庭でしつけとか最低限の教育をしなくなってきたんだろうな。
昔からそうだったのかな。でも昔は先生の力が強かったから、何かあっても𠮟れたということなのかな。自分の時代は廊下に立たされるとかあったな。
今はまず、小学校に入ってくる時点でトイレが一人でできない児童が年々増えているように感じる。でもそれってさすがに家で教えることでは?って思う。
ひらがなの読み書きや数字の数え方といった初歩の授業の内容でも身についてない児童も増えてる。
授業中じっとしてられなくて教室を出て行ったりとか、あるいはぼーっと消しゴムをいじってるとか、そういう感じでずっといる。そういう児童はだいたい家ではスマホかゲーム漬けが多い。
やっていいことと悪いことを家で教えてないんだろうというケースも多い。
ごく簡単なところでは石を投げたりとか、物を上から落としたりとか、ライターで何か燃やしたりとか。
もちろん学校は見つけ次第注意するし親にも言うけど、最低限やっていいことと悪いことは家で教えることじゃないの?って思う。
先生はクラスに一人しかいないから、そういう手がかかる児童が一人いるとその子に対応している間、他の子はほったらかしになる。
朝起きれない親の子は朝起きない。電話してもつながらない。提出しなきゃいけないものももちろん出さない。そういう親の子をほっておけたらいいんだけど、先生もできる限りのことをしなきゃいけないけど、先生はクラスに一人(以下略
校長が冬に職員室が寒いって電気ストーブを10台買って全部つけようとしたらブレーカーが落ちたって、それギャグでやってんの?って思ったことがあった。
こないだ理科の実験で生徒が火傷っていうニュースあったけど、まずそれ読んで電気ストーブ校長が頭に浮かんだね。
ちなみにその校長、QRコードをコピー機の自動紙送りで読み取ると情報がもれるってQRコードつきのやつは手でコピーしろって言ってたな・・・聞いた時意味わからなかったけど、今書いても意味わからないわ・・・
昨今の親は言うまでもなく、スマホを持たせるのにルールを決めずに持たせる親が多く、そんなことしたら動画漬けゲーム漬けSNS漬けになるに決まってるって思わないんだろうな。
寝不足でこらえ性がなく、退屈な授業中に落ち着きがなく、言葉の読み書きも簡単な計算もできない子どもの簡単な作り方だ。
これに関しては国が早く未成年者へのスマホ所持の指針決めるべきだと思う。オーストラリアみたいに。
あと熱があっても学校に子どもを来させる。インフルエンザの季節でも来させる。注意喚起しても来させる親も多い。
余裕がないのもわかるけど、それで結局児童を家に帰さなきゃいけなくなって一日に何件もそういうことがあるとなんだかなって思う。
5歳の息子はおそらく軽度のアスペルガー。
物事を白か黒かで判断するきらいがあり、3歳くらいの時には見知らぬ他の子に「はしっちゃダメ!」と注意して向こうの保護者に嫌な顔をされることがよくあった。それはまぁいい。
言葉の発達が遅かったので文字に触れ合う時間を意図的に増やしたせいだろうか。4歳ぐらいから識字と言語能力がやたらと発達してきた。
小3レベルぐらいの漢字混じり文章は読める、簡単な英語の疑問文を見て答えを日本語で言うぐらいはする。
何かで泣きじゃくった時に「まちがってる! このせかいはまちがってる!」とわめくので、笑ってしまったことがある。その言語センスどっから持ってきた。人生2周目か? なお、進撃の巨人や東京グールは読んでも見せてもいない。
だが、幼稚園では、年少の頃に癇癪をおこすことがよくあった。
怒ってしまう理由を家で聞くと「おこりたくないけどがまんできないんだよー」と子供ながらに言う。
自分の失敗も他人の失敗も間違いは許せないらしい。白黒思考というやつだ。隣の子が塗り絵をほんの少しだけはみ出してしまったことを許せず、癇癪することさえあった。
いいんだよ、思いっきり失敗しても楽しんでやればいいんだよ、といつも教えたのだけれど、許せないらしい。
いずれ治るかもしれない今だけかもしれないと願っていたが、年少の秋口に園長と担任に個別面談を希望された。直接の原因ではないけれど、癇癪を起こしているところに心配して声をかけてくれた子を突き飛ばすようなことがあったらしい。
優しい子だと思っていたし、感情を抑えられなくても誰かに手を挙げるようなことはしていない、と思っていたので、ああそうなのかやってしまったのか、と悲しくてしょうがなかった。
先生たちには謝りながらも、怒りたくないけど怒っちゃうと普段から彼が言っていたことも伝えた。性根は優しい子だということはわかってやってほしかった。感情をコントロールできなくて息子も苦しんでいるのだと涙ながらに伝えると、先生も少し泣いていた。いい先生達だった。
息子がつらいのであれば園は辞めさせてもいいと思っていたが、園は通いながら療育へも行くことになった。それはまぁいい。
療育のソーシャルスキルトレーニングで、息子の癇癪は少しおさまってきているように見えた。
それでも運動会はかけっこで負けて悔しくて、最後までずっと泣きわめいていたこともあった。
言語能力は5歳になるとさらに発達してきて、父の本棚からモンテッソーリ教育の本を引っぱりだして勝手に読んで、「テストのせいせきがいいかわるいかじゃなくて、プロセスをほめないと、ぼくのチャレンジせいしんがそだたないんだよー」などとマジで言う。二宮金次郎じゃないが、その本を幼稚園のバス停まで持って行って読んでる。それもまぁいい。
今日、2人でお風呂に入ってると息子は「じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない」と辛そうに言うのだ。
「できないことをかんがえると、じぶんがきらいになる。じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない。じぶんにきびしくなければ、もっとらくなのに。じぶんにきびしいじぶんになんて生まれてこなければよかった」と、言う。
「できないじぶんがきらい。できないじぶんなんてきえてしまえばいいとおもっちゃう。のうではわかっているけど、きもちがかってにでてくる」と、言う。
私は、涙をこらえながら、優しい言葉を探してやるのに必死だった。
この子はたぶん他の子より若干頭が良い。5歳だが漢字は読めるし、英語もやれるし、5の位の掛け算はやるし、なんなら48+3=51ぐらいの繰り上がり計算を英語で言う。
でもそれ以上に、自分にはできないことばかりがよく見えてしまう。
お前、5歳なんだよ、もっと何も考えずにウェイウェイ遊んでいればいいんだよ。
きっと彼もそうした方がいいことは理解している。でも、わかっているのにできないのだ。
私は泣いた。
できないことばかり数えてしまう息子の生きづらさを思って泣いた。
そんな気持ちを言葉にして伝えられる5歳児は凄いことなんだよ、大人に近づいているんだよ、と言っても息子の表情は暗いままだった。
この世界は間違ってるといつか泣いた息子は、今も間違いだらけの自分の世界を受け入れられずにいる。
父と母は、お前が日々成長していくだけで喜びに満ちた世界にいるのに、なんでそんな遠いところに独りでいるつもりになっているんだ。
私は覚えているよ。
3歳のお前は、遊び場で初めて会った子と意気投合して、楽しく遊んでいたことがあったんだ。
私が何がそんなに楽しいのか聞いたら、「あのね、くつしたがね、おそろいだったの!」と2人で同じ靴下を履いた足を並べて、2人で満面の笑みを見せてくれたね。
あの時ね、私はとても感動したんだ。
遠い異国の地では遠い昔にルーシという国から派生した国の人達が争っている。ワクチンを撃つべきか、マスクは強制なのかと、大人たちが今も揉めている。老害・こどおじ・ツイフェミ・リベラル、ネットは今日も自分以外のカテゴリを雑にくくって他者を攻撃することばかりだ。
そんな世界でお前とその子は、靴下の柄が同じだけで人は初めて会う誰かと心を通じ合わせることができるのだと、輝くような笑顔で教えてくれたじゃないか。私はこの世界も捨てたもんじゃないと本気で思ったんだ。
こんな自分に生まれたくなかった、そういうお前の気持ちを私は否定しなかっただろう。私もそんな時があったし、いつも言っているが、そう思っているのはお前ひとりだけじゃないんだよ。
だからどんなにお前が自分を嫌いでも、父と母はいつまでもお前の味方だと、何まんべんでも言ってやるよ。お前がお前を許してやることができるまで、ずっと付き合ってやるよ。
確かに間違いだらけの世界でさ、私も何が正しいのかはよくわからないんだけど、この世界は間違ってるって、お前と一緒に喚きながら暮らしていきたいよ。
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現在、「パン食い競走」の起源については、一般にこう説明される。
この「1874年海軍兵学寮起源説」と「1896年札幌農学校起源説」について検証する。
1874年の海軍兵学寮では、イギリス人のダグラス提督の提案により「競闘遊戯」という日本初の「運動会」が開催された。
そこで実施された競技は詳しく記録されているのだが、そのなかにパン食い競走に類するものは見当たらない。
二年後の1876年にも同様の運動会が開催されたとするが、その内容を伝える『Japan Weekly Mail』の記事を確認しても、やはりパン食い競走はない。
一方の札幌農学校であるが、こちらは1878年から毎年「遊戯会」という名の運動会を行っていた。
これは「大志を抱け」で有名なクラーク博士や、その後継のアメリカ人教師たちの指導のもと、生徒たちにより実施されたものであるという。
『恵迪寮史』によると、1896年の第十五回遊戯会にて「食菓競走」という競技が行われた。
これが「1896年札幌農学校起源説」の根拠になっているのだろう。
また1898年刊行の『札幌農学校』という書籍でも、現今の遊戯会では「菓子喰競走」が行われている、とある。
この「食菓競走」あるいは「菓子喰競走」はパン食い競走と同様の競技だったのだろうか。
1895年に札幌農学校を卒業した松村松年は、『人間学としての体育』という本において、「昔時著者の学生時代に行はれたる競技」として「菓子喰競走―之れは両手を後方に廻はし、口にて途中に吊れる菓子を喰へ行くの競走」と説明している。
1902年(明治35年)の新潟県高田中学校修養会の機関誌では、秋季大運動会の「食菓競走」について「飢えたる狼の如く押開いて突貫して来る一隊。目の前にぶらつくを取り得ぬもどかしさ」と説明している。
1910年(明治43年)の『運動世界』の記事では、早稲田大学春季陸上運動会について「滑稽なのは菓子喰競走で宙にぶら下げた菓子を手を結びて馳け付け下からガブリとやる、それを側に居る係りがワザと動かす、喰い付く動すと云う滑稽もの」と書いている。
これらを勘案すると札幌農学校の「食菓競走」「菓子喰競走」が現在のパン食い競走と同じ形態だった可能性は高く、とりあえずは「1896年札幌農学校起源説」を採用していいのではないかと思う。
というか松村の記述を素直に捉えるなら「菓子喰競走」は1895年以前にも行われていたかもしれない。
ただし松村はいくつかの学校を転々としているので札幌農学校のことである確証はなく、また研究者として農学校に残っているのでそれ以降の記憶と混じっている可能性もある。
当時、こうした競技を指導していたのは、ダグラス提督やクラーク博士といったお雇い外国人教師であった。
たとえばクラーク博士の母校であるマサチューセッツ農科大学では「サイダーミート(Cider Meet)」というイベントがあったらしい。
「サイダー・ミート」と呼ばれる最初の集まりがブレイク・フィールドで開催されたのは1878年10月20日で、’80年卒のクラスと’81年卒のクラスの対決は引き分けに終わった。両クラスは夕方にフィールドに集まり、平和的にサイダーを飲んだ。興味深いのは、800人以上がこの集まりに参加し、その中にはスミス大学の女子学生も多く含まれていたことだ。後の世代には奇妙に思えるかもしれない競技としては、ジャガイモ競走、3マイル競歩、フットボール蹴り、三本脚競走、目隠し手押し車レース、野球ボール投げ、太った男の競走、背負い競走、そして何よりも人気だったのが、油を塗った豚を追いかけるレースだった。
海軍兵学寮の競闘遊戯の種目だった「二人三脚」「背負い競走」「豚追い競走」などが記されているのは興味深い。
また「ジャガイモ競走(Potato Race)」は札幌農学校の遊戯会に「薯拾」として採用されていたようだ。
時系列的に、アマースト大学の「サイダーミート」そのものが、「競闘遊戯」「遊戯会」に直接の影響を与えたわけではないだろう。
しかし、おそらく同種の競技はサイダーミート以前から行われており、それがお雇い外国人教師を通じて日本にも導入されたのではないだろうか。
その線で考えるなら、菓子喰競走も当時のアメリカの大学などで行われていたのではないかと思う。
酒飲んでるからってわけじゃねえけど、最近本気でそう思うわけよ。
この前も職場の若いのとアニメの話になって、「このキャラ、母性が〜」とか語ってたんだが、
じゃあお前、自分で子供育てたことあんのか?って言いたくなるわけ。
昔のオタクってのはな、物語の裏にある哲学やら社会構造まで真剣に読み解いて、
人間の営みにまで思いを巡らせてたんだよ。
『エヴァ』観たら心理学やら宗教やら、果ては親子関係まで掘り下げる。
でも今はどうだ?
ちょっと子供出てきたら「ロリコン枠ですねw」だの、「はい、ママ属性w」とか薄っぺらい。
わかってないんだよ、本当の“愛”ってやつを。
だから言いたい。
育ててみろ。
夜泣きで寝不足になって、保育園の送り迎えして、運動会でビデオ回してみろ。
そこまでやってから『CLANNAD』語れ。『おおきく振りかぶって』の親の目線で泣け。
でもな、本物の“教養”ってのは、自分で生きて、自分で感じたことからしか得られねえんだよ。
そして、人生ってのは一人じゃできねぇ。
伴侶がいて、子がいて、そこにドラマがある。
それを知らずに「家族モノのアニメ好きです!」とか、ちゃんちゃらおかしいって話。
愛を学べ。命を育てろ。
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万博での食事や料理、特にイタリア館の郷土料理やメゾンカイザーのパンが話題。
万博アプリを使った予約方法や決済方法の使い勝手について意見が交わされた。
平日・休日の混雑状況や東西ゲートの混雑の比較、交通手段についての情報交換が行われた。
サウナやスパゲッティ万博など、特別なイベントや体験への関心が高かった。
自宅で作る餃子や焼売、特に小松菜餃子の美味しさが共有された。
横浜マリンタワーや高尾山で外食した麺料理、シンガポール館のラクサ、C&Cカレーの懐かしい味についても話題に。
食材泥棒(特にネギやスイカ)の話や、農作物の盗難に関する社会問題が議論された。
義兄弟になる提案や家族・親戚間の交流の大切さが強調され、特に食事を共にする場面が印象的。
丁寧な暮らしを意識した生活習慣や具体的な行動について意見交換。
お茶の飲み方や六花亭のお菓子をお土産にする計画など、生活の楽しみ方に関する会話が交わされた。
スマホ購入についてXiaomiが提案されたが、中華スマホの個人情報管理の問題に懸念も。
HHKB(Happy Hacking Keyboard)の価格が安くなっていることが紹介され、職場でのキーボード破壊の懸念についても触れられた。
新しいゲーム機やo4-miniのコストパフォーマンスが評価された。
古墳の大きさに驚く感想や、奈良駅とJR駅の距離についても話題になった。
札幌旅行の計画を立て、美味しいお店情報を募集するやり取りがあった。
ニコニコ動画の衰退理由や初音ミクが生んだ文化的イノベーションが再認識された。
「27時間ちいかわ」の放送や、夢にケンドーコバヤシが出てきた話題などが楽しく語られた。
映画鑑賞やChatGPTを使った料理のアイデアが話題に上った。
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デービッド・アトキンソンによる中小企業再編の話やAWS障害が話題になり、社会・経済問題が考察された。
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筋トレが万能だとする意見や体育の授業への否定的な感情が語られた。
睡眠不足や睡眠の重要性についての議論が行われ、親知らずの抜歯体験も共有された。
運動会での怪我のリスクが懸念され、騎馬戦や棒奪いの暴力性が指摘された。
リモートワークと出社の利点・欠点について議論され、監視カメラ導入の問題も浮上した。
AI技術(特にGPT-4.1)や検証環境に関する話題が出て、資料要約ツールの有用性が評価された。
Google Oneの価格上昇やEvernoteからの代替サービス(Googleドキュメント、Notion)の移行について話題に。
地震が発生したことが報告され、震度5弱の地震に関する情報共有があった。
固定資産税の支払い方法に関する話題や、「よっ友」の意味についての雑談があった。
エド・はるみや懐かしい芸能人、過去のエンタメに関するノスタルジックな話題も登場した。
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小5〜中1にかけていじめを受けていた影響か、10年経った今でもその頃の悪夢を見る
ホラー的な夢もあるが、たいていは他人の悪意ある発言か、家庭内不和による精神的ストレスがピークに達して起きることの方が多い
最近は全く関わりのない生徒会長なる者に「早く死ねよ」と言われたところで背筋が凍って飛び起きた
実際に死ねと言われたのは小6に1回だけで、それ以外はすれ違いがまに「キショ」と言われるか、椅子を蹴られる、足をかけられる、触れるのを拒否される、程度だった
中学の運動会の練習でどうしても手を繋ぐことになり、それを拒否され練習がままならないことを相談したら、おおごとにするなと言ったのに生徒総会にまで発展してしまい、それ以降明確な拒否はなくなった
なんなんだと思った、他人に言われた程度で改められる認識なのかよ、気持ち悪いなら最後まで拒否するか原因を指摘して改善させろよ、こっちも悪いことあるだろ多少は、と普通に腹が立った
同年、別件で精神科に行った時は鬱と解離性障害だと言われたが、付き添いの母親の病歴が同じで医療なしで寛解した経験があったのと、単純に母親が陰謀論者なのと、金がかかるという理由で診断書を拒否され、いまもギリ健として生きている
高校大学は友人にも恵まれ、ネットでの関係も増え、症状もある程度収まりずいぶん楽しく過ごしているのだが、いまだに悪夢を見るのだけはやめてほしいと思う
悪夢だけでなく、覗き込まれるようなことをされると足が震えるし、すれ違いざまに何か言われると冷や汗が止まらないので、何年経っても、どれだけ今が楽しくても、全部を忘れていても、深層心理にあるトラウマは消えないんだなと思っている
上記のいじめに心当たりがあれば、自分は弾劾したいわけではなく、謝罪が欲しいわけではなく、これから会う人には悪意や敵意をなるべく表に出さず、同じような思いをさせないようにしてほしいと思う 中学の時にも言ったけれども
高校生の息子と、小学生の娘がいるので、長い間小中学校のうちの地域でのPTAの変遷をみてきた
長子が小学生になるころは、暗黙の強制参加と四月の最初の懇談会で誰かが役員になるまで地獄の時間があった。
役員は2年任期で、前年の役員が先任として一つ上の権限があるという組織だった。
熱心な人は立候補をする。
ただ、会長副会長以外にも書記や会計だけでなく、何とか委員とかが多く、1年ごとに10人くらいのメンバーが必要されていた。
6年間会長をやっていた人は、なぜかその後も2年くらい院政をしいていた。小学校近くに住む農家の人だ。
でも平日仕事がある家庭、シングルマザー・シングルファザーの家庭、持病のある家庭、外国人で日本語が不自由な家庭、何かしらの事情があり辞退をせざるを得ない人もいたが
立候補をするような熱心な人や専任役員が強く、外国人のママが辞退をしたいと言ったときに日本語で全員の前で謝罪スピーチを強要したり、持病がある人に診断書の提出を強要したりと専横が続いていた。
ところが、こういった状況に置かれた一人の女性が市議会議員になり、現状の改善を訴えて、完全任意参加になった。
また、PTAが伝統的にやっていた仕事はそもそも学校の運用範囲であるとして、大規模なメスが入り事業が仕分けされた。
基本的に運動会やバザーのボランティアのみがPTAの仕事とされた。
その後、院政を敷いていた前会長を知る人も減って権力もも小さくなった
最近は1人で会長やるの大変だからと、三人が会長に立候補して三頭政治形態に移行。
役員数も大幅に減らして、バザーや運動会のボランティアはPTA、PTA以外にかかわらず都度ボランティアを募集という形になり非常にコンパクトになった。
兵庫県庁内で開催される運動会に関する公式な情報は、現在のところ確認できませんでした。
ただし、兵庫県に関連するいくつかの運動会やスポーツイベントに関する情報は見つかりました。これらのイベントは、県民の健康増進や地域活性化を目的として開催されているようです。
2024年12月28日に神戸常盤アリーナで開催されました。県内クラブのトップアスリートが助っ人として参加するチーム対抗運動会でした。
2025年3月16日に高砂市立陸上競技場で開催されました。ランニングチーム「神戸AC」の創設10周年を記念した地域共生イベントで、お笑い芸人やトップアスリートも参加しました。
2024年10月21日~11月11日に開催されたウォーキングイベントです。事業所(チーム)対抗で平均歩数を競い合うものでした。2023年度も同様のイベントが開催されています。
これらの情報は、兵庫県庁が主催する運動会とは異なる可能性があります。兵庫県庁内での運動会の開催状況については、兵庫県庁の公式サイトや関連部署に直接お問い合わせいただくことをお勧めします。
34歳。結婚十年目。子供なし。近々夫の実家である東北へ引っ越しをする。
現在は関東に住んでおり私の両親は車で30分の距離に住んでいて健在である。
最後に両親に会ったのは二年前。
両親に会いたく無い。
とても会いたく無い。
会いたく無いが引っ越し前に会わずに次は葬式になったら絶対に後悔する。
でも会いたく無い。
例:幼い頃から「ブス」「デブ」名前をもじって「恥美(はじみ)」などと言う。
どうする事もできない傷や痣を笑ってくる
私が幼い頃から仕事が休みの日は平日朝からビールを開け、最近はトイレが間に合わず廊下で漏らすことも増えたらしい。(姉談)
最後に母と会った二年前、父から「母が腰を痛めたが自分は仕事を休めないので見に来て欲しい」と言われ様子を見に行くとぎっくり腰で動けず尿を漏らした布団の上で母は寝ていた。
なんとか母を起こし病院へ連れて行きニトリで新しい布団を購入、両親の晩御飯を作っている最中に母が口をつけていたマグカップの中身は日本酒だった。
車の中で下痢を漏らした母の服を買いに行ったこともある。(大人になってからアレは酒の飲みすぎてお腹が緩くなった結果なのではと気付く)
高校生活は自分の中でかなり頑張ったので母に卒業式には必ず来て欲しいと告げていたが、会社の飲み会を優先された。
・共通して酒を飲むと絡み酒になり声が大きくなる
上記を見続けた結果、兄弟全員お酒は飲み会やイベントの時しか飲まない。
私は三人兄弟の末っ子だが、真ん中の長男を溺愛し母の日や誕生日などを祝った姉や私より母の過干渉から逃げるように家を出た兄が十年ぶりに帰ってきた時の方がテンションが高かった。
なんならラインにこれでもかと絵文字が沢山入ったものが来た。父親からは「ママがご機嫌でした」と報告もくるほどだった。
兄の連絡先は私以外家族の誰も知らないため、昨年私の誕生日には母からラインが来たが、誕生日おめでとうスタンプのあとに「お兄ちゃんのことで話があるのでご飯に行きませんか?」だった。
せめて「お祝いに今度みんなでご飯に行こう」を言って欲しかったのは私のワガママなのか。
母親の浮気(未遂)で離婚騒動に発展した際に母から「◯美はしっかり者だからパパの方に行ってね」と言われた。
なお、姉と兄はその時点で18歳を超えており親権問題は私(中三)だけだったが、兄を引き取る気満々だった。
こうやって会いたく無い理由を並べているが、別に愛されていないわけではない。
大怪我をした時に学校まで送迎して貰ったり、やりたい事もやらせて貰った。
専門学校の学費も出してくれ、趣味で行き詰まった時など話を聞いて助けてくれた。
振袖を買ってくれた。(レンタルがバカ高くて買った方が滅茶苦茶安かった)
一度離婚で揉めた時も味方で居てくれた。
他にも小さな事だけど沢山ある。
悪い家族ではない。
これで愛されていなかったら割り切れたのかもしれないが、愛されている自覚があるだけにしんどい。
父親のデリカシーの無さも愛情の裏返しなことを頭で理解しているし、母親も私を嫌っている訳ではない。
嫌いだったら「会わない」という選択が取れるが、嫌いではない。
夫には両親に会いたく無い理由を説明しており、無理に会わなくても良いと言ってくれていたが今回の引っ越しにあたり
「流石にご両親に挨拶をしたい。会うか会わないかは◯美に任せるが会っても会わなくても後悔すると思うよ」と。
会わないで次が葬式とか具合が悪くなって入院したから会いに行くのは絶対に後悔する。
ただ会ったら会ったでデリカシーのない父親とアルコール依存症疑いの母親のやらかしのフォローに回るのもストレスがマッハになる。店で母が漏らす可能性がある。
実家暮らしの時は「そういうもの」として生きてきたが結婚して実家と距離を取りやっと実家の違和感に気付いた。
・相手が嫌がったらそこで止めなければいけない
一応両親に酒の件は何度も伝えてあるが変わらなかった。
今現在子供はいないが、子供が出来ても両親には会わせたくないと思ってしまうところがこの辺りにある。
会わない後悔より会った後悔の方が良いと思い結局姉と相談し、居酒屋や焼肉屋などではなくちょっと良い鰻屋を予約したが会う事を想像すると胃が痛くなる。
どんな店でもお酒を飲むのはわかっているが頼むから控えて欲しい。
ちなみに兄に食事会のお誘いを送り「既読無視をしたら家族のグループラインにお前を追加する」と追記したところ中々のスピード感で「忙しいので無理」ときた。
本当に会いたく無い。
先日、帰宅するなりべそをかきながら私のところに寄ってきた息子。
「ままー。きょうね、たいいくでかけっこをやったんだけどね。
ぼくね、はやいとおもってたけどあんまりはやくなかった(´;ω;`)ウゥゥ」←まじでこんなかおでウゥゥって言ってた
なんで早くないと思ったの?一番じゃなかったの?と訊くと
「いちばんだったんだけどね。はしりながらあたまのなかでかぞえたら、32もかかったんだよ(´;ω;`)ウゥゥゥゥ」
泣き崩れる息子。
そんなわけなくない?と、先日運動会でリレーを走ったときの動画を見ながら大体何秒かかぞえると
10秒くらい?
どんだけ早く頭の中で数を数えたんだろうw
そしてクラスで一番早くても、自分の頭の中でかぞえた数字に絶望する息子がなんだか可愛くて可笑しくて。
良くも悪くもひとのことを気にしていないのね。
て書いてあった。可愛いな息子。
24時間いつでもできてレース買わないとと15分待たされるくせに買ったとて予想も何もないカスとキチガイと雑魚の運動会眺めさせられるだけの公営ギャンブルと違ってすぐに次のゲーム始まるのは精神衛生上すごく良い
決済も簡単、運営も八百長じみた地元番組だのやらない、公営ギャンブルの「24時間朝から晩までかじりつかないとまともな予想ができない」「結局選手のやる気次第」「八百長前提に買うのがあたりまえ」みたいなものが全くないクリーンさ。
そしたら人生ここまで糞になってない
公営関係者はオンラインカジノを見習って、どうせ見習ってもクレカ決済できるとかクソみたいなアフィ広告バカスかうつとかやるだけだからむりだわ、関係者は多くの人間の人生を狂わせたことを自覚して家族もろとも焼け死ね
それが無理なら俺が殺してやる