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はてなキーワード: 自己本位とは

2024-10-01

七  裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今晩食がすんだばかりのところらしい。  三四郎茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背が研究を隠している。三四郎入口に近くすわって、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろねじ向けた。髭の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」  三四郎ちょっと挨拶ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でもできたんですか」 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」  三四郎はしかたがないから、 「なかなか気楽ですな」と言った。 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろししまう。帰ってみると、松が温気でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」  実をいうと三四郎はこのあい与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評から原稿料が取れるはずだから、それまで立替えてくれろと言う。事理を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しか先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇」その他すべて広田先生に関する与次郎所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生しかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。  三四郎広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生太平である先生高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七分方この意味である。  訪問理由の第三はだいぶ矛盾している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」 「ええ、下宿したそうです」 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」 「わからない。また突然家を持つかもしれない」 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」  三四郎苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」 「国の者は勧めますが」 「国のだれが」 「母です」 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」 「なかなかなりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑った。わりあいきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。―― 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代青年と違って自我意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 「いいえ」 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋をとれば肥桶で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」  三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。 「いったい何を話していたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである三四郎はべつに腹も立たなかった。 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善なのは、どういう意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「ええ、まあ愉快です」 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身目的でない場合」 「そんな場合があるでしょうか」 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」 「そりゃ……」 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身目的である。それ自身目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  ここまでの理屈三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎自分感受性人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。  その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」 「どんなのです」 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善しか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語あくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっと優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行らなくなる」  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたか教場講義を聞くと一般の感を起こさせる。しか三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。  ところへ玄関足音がした。案内も乞わず廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎書斎入口にすわって、 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。  与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調であるそばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。  やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎それから黙って二人の談話を承っていた。  原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから形式はまったく不必要である目的はただおおぜい寄って晩餐を食う。それから文芸有益談話を交換する。そんなものである。  広田先生一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。  広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。 「やっぱり一中節稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないかもっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」  広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子をお習いなさらいかと勧めた者があってね。大笑いさ」 「そりゃ本当かい」 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通人間にでもできそうだ」 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」 「かこうともしないんじゃないか」 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあい大学運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかい展覧会にでも出そうかと思って」 「だれの」 「里見の妹の。どうも普通日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇をかざして、木立をうしろに、明るい方を向いているところを等身に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味でいけないが、日本団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由いかなくなるかもしれないから」  三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。 「でも当人希望なんだもの団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」 「君もらっちゃどうだ」 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」 「なぜ」 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節を買い込んで、これでパリー下宿に籠城するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄からでも聞いたんだろう」 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」  それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎広田先生西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄を捜していると、先生梯子段の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。  戸外は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に

https://anond.hatelabo.jp/20241001205100

2024-08-18

anond:20240818234558

自己本位性格の人だから。男の時間を湯水のように使って何も思わない女性は実際にいる(男にもいるだろうけどな)。

普通にこれヤバくて男もだけどなんて言っても現代社会で女さんに不利なことを発言した事実炎上しかねない

増田でも気に入らんと思う人多いだろうからやめろ

2024-08-09

頭が悪い子たちの気持ちがわからない

頭が悪い子たちは人が難しい言葉を使うと、自分が疎外された、無視されたって感じるらしい

でも殆ど言葉は調べればわかるし今ならAIを通せば英語論文すら優しく読める

それでも頭が悪い子たちはそれがわからないのか、獲得できないのか、わからないフリをしてるのか。

ずっとわからないわからない、キモいキモいと喚けばだれかが優しく教えてくれる、優しく教えてくれなければ悪い人だと自己本位に考える

これが子供ならまだしも成人した人たちでさえそうなのはどうなってるのだろう

2024-07-10

 34にもなろう年、改めて独り身になったうえ希望してるキャリアの都合で海外単身も挟みたいし色々人生設計難しいすねぇと先輩に愚痴っていたら、先輩の息子が通ってる保育園先生たちと職場の若手たちでご飯とか食べに行かないかいと誘われた。そういえばこの年になってもそういう合コンは参加したことなかった。

 このようなことをネットに書くくらいには本気さが無い。人生経験としては興味あるけど、旬も過ぎた身で年甲斐ないわくわくどきどきもできず、何を目標に臨むかも釈然としない。この事案をつい先日人生初めてパチンコに行った時の興奮と同列に見てしま自分が、大変失礼で無礼申し訳無い。参加者気持ち尊重同調できるよう、しかと心を入れ替えねばならぬ。盛り上げに徹する身となることもできるが、これはさして本質的に対等な心持ちではない。クリエイターである。何を驕っているのやら。

 人生設計等と口遊む驕りが、欲の発露たる会合シニカル洞察を得ようと試みる様に刺さり、これは滑稽な矛盾であり、アイロニカルにも独善的で幼稚な自己本位性が浮彫りとなった。そう感じる。

 一方でこんなことぐるぐる考える奴が本性隠して「今日は集まってくれてありがと〜\(´ω`)/」とかするんだから世話ない。

 表象好意を持ってもらうことはままないことはないという自己分析ではあるが、結局のところ本質的に暗く重い哲への共感がないことには家族たりえん、という価値観だった。大変童貞チックな価値観である

 だけど、元カノは完全にこれをスルーしてくれてなんかうまくいってた。だから、まぁそういうもんなんかなとも思った。スルースキル大事

 どす黒く渦巻く、それほど高尚でもない、しかし難読な感情を、言語化に足掻く様を、スルーしてくれるスキルは、存外大なのだと、Twitterで呟いてはフォロワーが消える様を見て感じた。

 この歳にもなれば嫌われる覚悟自己開示も難なく熟せる。恋に落ちぬ限りは、ウジウジ考えるものもない。

 果たしては、自分の開示したい欲とは何かという言語化と、階段を降りて独り身となり改めて灯り消えぬこの幼き共感への羨望の灯火を消すか否かという悩みこそが、今の私の脳のリソースを喰っている。

 スペック身長170以下BMI22年収600資産3000万

 はぁ。

2024-04-18

🍪

配ったのが普段はまともな人なら「ああマタニティハイになってるんだな」で微笑ましく思えるけど、普段から自己本位がちな人だったら「ここに極まれりだな…」って思いそう

2023-08-26

anond:20230825194718

さすがに浮気しないことをタチが悪いと表現するのは自己本位すぎないか

2021-12-31

問題職員の正しい辞めさせ方 8/10

第三章 地方自治体はどんな職員がほしいのか

最後の章になる。

地方自治体はどんな人を欲しているのか、及びどんな人が職員として通用するのかしないのか、それらを説明して終わりにする。

とはいえ、もう4万字を超えそうだ。ここまで読んだ貴方は忍耐力を持っている。地方公務員に適合した人材である可能性濃厚である

キャリア棚卸しにしては壮大になりすぎた感がある。まずは、先達の書いた日記ひとつ紹介して記述量のショートカットを図る。

地方公務員を目指すはてな民面接突破法を教えたい

https://anond.hatelabo.jp/20200923212241

この日記を書く前に、はてな匿名ダイアリーで見つけた日記ひとつだ。短く簡潔にまとまっている。内容も概ね正しいと感じる。明白な誤りはない。単純に面接突破したい人間はこれを見るといいだろう。惜しむらくは、上の日記を書いた人は公務員試験面接官ではない。

せっかくの機会だ。民間時代を含めると十年以上に渡って面接官を務めた者として、採用可能性が高い人材の傾向を三箇条として述べてみたい。その後、面接評価表にはないポジティブチェック・ネガティブチェックの一部を示そうと思う。



面接評価点が高くなる受験者のパターン三箇条

1.地元出身である

 モデルケースを挙げる。採用試験を受けようとする市町村で生まれ、小中高をそこで過ごし、進学や就職を機に都会に出たけれども、また地元に戻って働こうとする受験者がいたとする。

 はっきり言おう。満点に近い。もうその時点で、「面接評価では4を取ってください! お願いします!!」と面接官に期待の眼差しで見られている。K市ではそうだった。というのも、そこまで地元愛のある若者ほとんどいないからだ。

 覚えておられるだろうか。当時のK市の人事行政問題点ひとつに若手職員離職率があった。3年以内離職率が3割超えという高い数値の原因のひとつが、『他市町出身』の職員数の多さにあった。

 採用試験を受けるまでの人生で、K市と接点のあった受験者があまりに少なかった。原因はシンプルであり、県庁政令市特別区の滑り止めで受ける人間が多かったことによる。みんな現役で地方公務員になりたいので、第一志望に落ちた後もなりふり構わず受けまくるのだ。採用された後も、第一志望の自治体に入るために勉強を続ける。いわば仮面浪人だ。

 「何をもって他市町出身なのか?」を定義するのは困難である。ここでは30才以下の職員について、市外在住率(K市に住んでいない者の割合)が『他市町出身』の代替指標として機能するとしよう。さて、K市の市外在住率はどの程度だったと思う?

 正解は……30才以下の若手職員のうち、8割がK市に住んでいなかった。私が辞める年には7割を切るところまで改善されていた。新人職員居住地をK市に選ぶ割合が増えたことによる。改善のミソは、採用試験評価されやすポイントを変えたからだ。後述。

 これはひどいな、と当時の私は思った。素人考えでもわかる。市外在住率が高すぎる。もし災害が起きたらどうなる? 全員すぐに集合できるのだろうか?

 すべての年代になると、市外在住率は約5割になる。K市の近くにある政令市などが魅力的なのもあるが、市町村合併でK市に編入された先の市町村職員が、「もう義理を果たす必要はない」とばかり、こぞって自分が住みたい町に移住していく事情もある。全国的に見ても人が多い地方であるため、魅力的な市区町村が多いのだ。

 では、上の『後述』の内容について。私が総務部長に提案したのは、「K市を愛することのできる人間採用する」というものだ。試験を受ける時点ではK市が好きじゃなくていい。K市出身でなくてもいい。入庁した後にK市を好きになることができる、そういう素地のある人に高い評価をつけるようにした。

 申し訳ないが、具体的な内容は部外秘とさせてもらう。公開すると、ネット検索によってK市がわかってしま可能性があるからだ。ご了承願いたい。

2.人格的な態度(特に協調性

 社会人として一番大事なことは何かと問われれば、30代前半までの私であれば、『実力』又は『正しい過程で正しい成果を出し続けること』と答えるだろう。

 今の私であれば、『尊敬によって他者との繋がりを保ち続けること』と答える。これが社会人使用者労働者も)にとって一番大事事柄であり、能力でもある。これは、Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である(Amazonのページに飛びます)といった名著においても明らかにされている。

 このように自分のために何かをしてくれた人に対し、きちんと感謝言葉をかけられる人が果たしてどのくらいいるだろうか。

 あなた人生にもキャディのような役をしてくれる人はいるのではないかあなたが存分に仕事ができるよう、目に見えないところで条件を整えてくれている人、成功のための下地を作ってくれる人、ゴルフバッグのような重荷物を代わりに持ってくれる人、困った時に助けになってくれる人。そんな人たちがいるのではないか

 たとえば会社の中では、誰もがそういう「裏方」の役回りをすることがある。あなた会社は、そんな人たちの貢献に注目し、正しく評価する体制になっているだろうか。あなた自分を日頃から笑顔にしてくれる人に、感謝気持ちを伝えているだろうか。

Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である(2019/6/28) P.309


 単に協調性というと、「みんな揃って前ならえ」のイメージがある。今の日本社会では、善悪両方の社会的資質と見なされることが多い。

 私が持っている神の辞書によると、協調性とは概ねこんな意味合いになる。

・異なる立場環境利害関係にある者が互いに力を出し合って問題解決すること

 本来はこうである。みんな揃って前ならえ、ではないのだ。仕事は1人ではできない。一般事務職として採用される公務員は、民間企業でいうところの総合職だ。常に誰かに依存し、依存されることで仕事を前に進める。

 だが、自分ひとりで成果を出していると勘違いする者が後を絶たない。空しいことだ。こういった人の残念なところは、その知性の程度にあるのではない。俺だけが、私だけがスゴイ。もっと自分に注目してほしい、といった自己本位的な動機仕事をしていることだ。

 どんな仕事も、社会に生きる人間一人ひとりを幸せにするために存在している。彼らはそのことに気が付かないか、気が付いても自分気持ちばかりを優先する。

 百歩譲って、20代までは良しとする。だが、30代になっても学校勉強部活動で高い成績を上げ、周りに注目されて喜んでいる中高生と同じレベルでは困る。

 あなたは、見知らぬ人に対して敬意をもった行動ができるだろうか。自分と考えの異なる人間尊重できるだろうか。嫌いな人や敵に対しても、悪い感情に心を乗っ取られずに意思の疎通ができるだろうか?

 面接においては、この人格的態度を最も高く評価する。私が市職員になる前からそうだったし、K市の面接官として責任を受け持つようになってからも変わらない。

 話は逸れるが、あなた面接官の経験がある人だったとすると、「この人、面接の時とぜんぜん違う!(もちろん悪い意味で)」みたいなことがあったはずだ。面接で猫をかぶるのが上手い人だ。そういう人を見分けるコツがある。

 印象がいい――これに尽きる。あなたにとって印象がいいし、他の面接官にとっても印象がいい。特に、ハキハキとした明るい話し方。面接官全員にとって好印象だったのなら、その人は危険だ。本当に使える人が面接に来た場合面接官が3人だったとすると、大抵1人は、「うーん……」と頭をかしげることになる。採用判断が下しにくいということだ。

 それが普通だ。みんなにとってイイと感じる人格をもった人間はまずいない。いたとしたら、それは猫をかぶっているか、はたまた聖人のどちらかだ。

 技術職や、職人芸を要する分野で人を雇う場合特に気を付けよう。それに適合した人との面接では、極度に緊張した様子が伝わってくる。身体は縮こまっていて、声はたどたどしく、自己アピールも乏しく、挙動不審――そういった人が最高の素質(タレント)を持っていることがある。

 一流の面接官であれば、誰が試験に来ようと、その人のいいところを最大限に引き出せるよう心がける。履歴書を読み込んで、実際のシミュレーションをし、面接ではよい雰囲気を作るよう心がける。その人が職場に適合している証拠質疑応答によって全力で探すのだ。受験者が喋るのに苦労しているようであれば、なんとかして悪い雰囲気を壊そうとし、その人の考え方や過去の行動を引き出そうとする。

 飲食店などアルバイト採用では、あなた1人で面接担当することもあるだろうが、それでも上記のことに気を付ければハズレを引くことは少ない。印象がいいな、と感じた人に気を付けよう。初対面で印象のいい他人はまずいない。たとえ面接官に嫌われようと、素の自分ちゃんと出す人間採用した方がいい。

 猫をかぶる受験者への具体策としては、面接が始まる前と終わった後の行動をこっそり監視するといい。椅子ちゃんと戻しているか、出入口で人とすれ違う時の仕草や、駐輪場他人自転車ぞんざいに扱ったとか、車の運転危険があるなど、それなりの確率でボロが出る。

3.知的能力

 公務員に限らず、組織で働く人間にとっての血であり肉である。ここでいう知的能力には、知能であるか、知性であるとか、創造性とか言われるものを含む。

 すなわち、数値計算スケジュール段取り、ある規則に従っての並び替えといった正解がある分析的分野から新規事業企画プレゼンテーション、利害を巡っての交渉や調整といった正解(不正解)がいくつもある総合的分野に至るまで、脳を働かせて答えを導き出すありとあらゆる分野を含んでいる。

 官公庁に特徴的な仕事の傾向として、業務の幅の広さ(薄く広く)が挙げられる。特に地方自治体だと、ひとつ役場多種多様仕事を行っている(この機会に、あなたが住んでいる市町村組織図をみてみよう)。民間で例えると、とんでもなく多角化が進んでいることになる。

 数年おきに全く新しい仕事を覚えることになるのだが――その意味の幅の広さだけではない。役場を訪れる人間多種多様だ。男性も、女性も、一般市民も、民間企業も、若者も、中年も、高齢者も、子どもも、障がい者も、何らかの病気にかかった人も、とにかくいろんな人が来る。

 それらすべてに対応問題解決)しようと思うと、まずはその職員が賢くないと無理だ。これは、市役所現場で働いたことのない私でも確信できる事実だ。傍から見ていてわかる。

 礼節や態度は大事だ。植物であれば、花弁果実など目に見える部分がこれにあたる。それらを支える意味必要なのが枝であり、幹であり、根であるもっと細かく見ると、細胞質や葉緑体や核ということになる。職業人でいえば、脳というOSがこれに当たる。

 このOSが大したことのない物だと、いかに素晴らしい性格気質を具えていても結果を出し続けることは難しい。正しい答えや行動を相手に示すことができないからだ。市職員が、受付窓口で手早く計算をしたり、各種申請書の書き方の指導ができないと、市民企業が何度も窓口に来たり、無駄申請費用を払う羽目になる。

 スポーツだと、柔道における心技体がわかりやすい。ある一流の選手がいたとして、その人の精神がどれだけ優れていても、技術が優れていても――風邪で高熱がある、骨や靭帯に損傷がある、五感の一部が機能しないといった事情が生じると、たちまち三流以下の実力になる。

 多くの人は錯覚している。例えば、どんなスポーツでも面白い試合というのは――両者ともに拮抗している。心技体のうち、技と体が同じくらいのプロ選手がいたとする。となると、勝負を分けるのは必然的に『心』となる。

 実力伯仲の者同士、わずかな差で勝負が決まれば当然盛り上がる。それが、スポーツで一番大事ものが心→技→体の順番と皆に思われる最大の理由だ。

 官公庁筆記試験を必ず行う理由がここにある。現在公務員業界では、筆記試験性格適性検査を含む)の作成リクルートなど民間会社委託する方向で進んでいるが、今後何年が経過しようと、筆記試験自体廃止されることはないだろう。組織人として働く上での血肉であるところの、知的能力客観的に測定できる唯一の機会だからだ。

https://anond.hatelabo.jp/20211231220523

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた その3

 この体験を経て、私はある理解を得た。「正しい戦略は、その時々の環境文脈空気によって異なる」ということだ。世の中にはいろんなルール常識、慣習があるけれども、それらをストレート適用すべき場合もあるし、必要ならばかなぐり捨てないといけないこともある。

 アブラハム・マズロー欲求の五段階ピラミッドの人)の『完全なる経営』にこんなことが書いてある。

‟彼らの心理学によると、最善の思考や最善の問題解決ができるかどうかは、問題を含んだ状況を、期待や予想、憶測などを交えることなく、この上なく客観的な態度――先入観や恐怖、願望、個人的な利害などを交えない、神のような態度――で見ることができるかどうかにかかっている。…(中略)…解決すべき問題とは目の前に存在する問題であって、経験によって頭の中に蓄えられた問題ではない。頭の中に蓄えられた問題は、昨日の問題であって今日問題ではなく、また、両者は必ずしも一致するものではない‟ p.129-130

さら範囲を広げれば、家庭生活、すなわち妻や夫や友人たちとの関係についても、この方法を当てはめることができる。各状況における最善の管理方法とは、各状況において最もよく機能する管理方法のことだ。どの方法が最善であるかを見きわめるためには、予断や宗教的な期待を排した、完全な客観性が求められる。現実的な知覚は現実的に行動するための必要条件であり、現実的な行動は望ましい結果を生むための必要条件なのだ。‟ p.132

 マズローは、物事ありのままに見つめて、現実的に考え、行動することが成功への鍵だと言っている――と私は解釈した。

 イケメン先輩は結局、条件付きの免職処分になった。黒服が嬢と付き合った場合の店への罰金50万円と、Tちゃん彼氏への慰謝料として50万円、計100万円を返済したら辞めるという処分だ。店長は、翌日のミーティングの席において、みんなの前でイケメン公言した。「約束を破ったら組に売る」と。店に対する裏切り行為は許さないという態度を明白にしたのだった。

 これと、上の引用文がどう関係あるのかというと……この後すぐ、私と同学年のアルバイトの子が、S店の備品を盗んでいたのが判明した(立命館大学に通っていたので、以下リッツとする)。定期的に、ヘネシーなどの高級酒(そのうち廃棄される飲みかけ。キッチンに置いてある)や、午後の紅茶炭酸水チーズその他をくすねていたらしい。その犯行を見つけたのは、皮肉にもイケメン先輩だった。

 そのリッツは、イケメン先輩の時と同じく、閉店後に一番奥の席につかされた。最初の数分は、あの時と一緒だった。坦々とした、もの静かな事情聴取だ。その近くにM主任が座っていたのも同じだ。

 違ったのは、私も主任と一緒に丸椅子腰かけいたことだ。リッツ普段の行動に関する参考意見を述べることになっていた。

 別にリッツは、良くも悪くもない、普通の奴だった。口数は少なかったけど、まあ真面目かなという印象だった。サボっている様子はないし、店の女の子に声をかけるなどの御法度もないし、当日遅刻や欠勤もなかった。

 でも、人間とはそういうものなのだ。裏で何をしているかからない。人間言葉ではなく行動で判断すべきという金言があるが、それでも不十分だ。どんな人間にも裏がある。

 10ちょっとが経過した。私の供述も上の通り述べていた。その間、盗んだ物の確認と弁償代の話をしていたように思う。お店で無くなったとわかっているもの時価8万円相当(私の個人的計算では3万円~4万円相当)とされて、ほかにも盗まれた物があると仮定して、倍額の16万円を1か月以内に弁償すれば警察被害届は出さないという内容で決着した。

 最後店長は言った。「リッツ君。今日最後の勤務日だ。もう来なくていい。けど、ほかのお店に情報共有とかしないから、働きたかったら別のキャバで働いてもいいよ。今回は残念だったけど、また成長したあなたの姿を見たい。それで、いつかまたお客さんとしてうちに来てくれたら嬉しい」という言葉でお開きになった。

 当時の私は、「おかしいのではないか!?」と思った。当時のS店の黒服に課せられる罰金額は、記憶の限りでは以下のとおりだ。

・当日遅刻 5,000円

・当日欠勤 10,000円

窃盗その他の犯罪 250,000円+被害

・嬢と交際した場合 500,000円

・店の売上に影響するトラブルを起こした場合 時価(これが上記慰謝料

 リッツ規定どおりの罰金を科されなかった。被害額のみだ。しかし、イケメン先輩は規定どおりの罰金のうえボコボコにされている。

 当時の私は腑に落ちなかった。後に推測したことだが、店長には以下のような思考順序があったのではないか

リッツを殴って、25万円+16万円を請求したうえで脅す(イケメンと同じ対応

リッツ立命館大学学生課もしくは先輩もしくは親に相談する

相談先が交渉の窓口になる

罰金は減殺される可能性が高い。警察通報されたら逮捕リスクあり。

 上記①~④が成り立つならば、リッツに対して甘い対応をするのが正しい。そう読んだのではないか

 店長は、自他の権益に対してストレートな人だった。取れるモノはきっちり取っていく。悪く言えばがめつくて、善く言えば組織のことを考えている。

 今回の件だと、警察被害届を出してもS店には一銭も入らないし、リッツ問題行動を起こしたことをほかの店に情報共有するメリットはないし、彼がほかの店で問題を起こしても当店には関係がないし、リッツが負い目を感じていれば社会人になってからS店でお金を使うかもしれない。

 ※社会人になった今では、このような考え方は極めて短期的かつ自己本位的なものだと感じる。木屋町風俗営業を行うすべての店の利益を考えれば、リッツ警察に突き出すべきだったし、他店にも情報を共有すべきだった。こうした当たり前のことができないほどに、風俗業界というのは生存が厳しい世界なのだ

 憶測だが、店長には過去に痛い経験があったのかもしれない。16万円でも十分に得をしているからそれで済ませる。そういうことだ。

 一方で、イケメン先輩は、いわゆる「身分がない」タイプ社会人だった。だからルールに則った対応を採る(暴力のうえ正規罰金を課す)のが正しかった。

 私は今、地元広島地方公務員をしている。この仕事は、公平とか中立とか平等が叫ばれる業界ではあるが、確かに市民企業を公平に扱わないことが正しいケースがあるのだ。例えば、地元を盛り上げる活動をする部署が大きいイベントを開催する折には、成功キーパーソン及びその所属団体に対して相応の便宜を図る。近年の例だと、「全国菓子大博覧会」や「広島てっぱんグランプリ」といったものだ。

 上記の「成功キーパーソン及びその所属団体」について、関係者を良好な立地に出店させたり、相応の額の契約を用意したり、行政組織要職に就けたりする(教育委員など)。

 一般市民企業不公平に扱いたいからやっているのではない。公平に扱うのが長期的には一番正しい戦略なのはわかっている。これは、組織目的を達成するために必要不可欠な過程であると上の人間下の人間も判断たからそうなっている。

 反対に、戸籍課や税務課や医療課などの住民対応を行う部署においては、「融通が利かない」などのクレームをどれだけ食らっても、ひらすらに法律や要領に従って仕事をやり続けるのが正しい戦略ということになる。特定の人をひいきしても自治体にとってのメリットは薄いし、逆に訴訟リスクがあるからだ。

 キャバクラでの仕事は正直キツかった。嫌なお客さんには絡まれるし、たまに一気飲みを要求されるし、人が殴られるのを見ることがあるし、ホールに立ちっぱなしで足の裏が痛いし、キッチンものすごく忙しいうえに鼠とゴキブリだらけだ。

 でも、勉強になった。夜の歓楽街での仕事が、今の地方公務員としての自分の糧になっている。あの時、求人情報誌を開いてよかったと今では思える。



大学回生

 この春から時給は1,800円になった。昇給の際、店長からは、「お前以上の時間給をもらっている大学生は木屋町にも祇園にもいない。お前を評価している。就職活動中もシフトに入ってくれ」と言われた。※多分これが目的で時給を上げたのだと思う。これまでと違い、昨年比で増えた仕事もないからだ。

 この辺りからシフトに入ることが少なくなった。これまでは、週に4日、たまに5日という具合だった。でも、公務員試験勉強もしないといけないので週に3日の勤務になっていた。

 時間はあっという間に過ぎていって、夏が終わる頃に内定を得た私は、「自由だあああぁぁ!」とばかり、夜の街で遊びまわるようになった。

 私には小さい名誉があった。木屋町先斗町のいろんなバーに行ったが、S店で黒服をしています、付け回しの仕事を任されていますと言うと、大抵の店員さんや夜の街の常連の顔つきが変わるのだ。「こいつはやばい奴だ」という顔をする人もいれば、軽蔑した視線を向ける人もいれば、逆にすり寄ってくる人もいた。

 バーにはよく行ったが、キャバクラにはほとんど行かなかった。S店で働いているとわかったら追い出されるリスクがあったからだ。それに、私はKFJ京都風俗情掲示板)のお水板において、当時木屋町で№1とされていたS店で何年も働いている。お客さんに「おごってやるから来いよ」と誘われて他店に行ったことはあるが、なかなか満足がいかなかった。S店の子接客されたことはないが、それでもわかる。歴然とした『差』があった。

 今思えば、承認欲求というやつが足りていなかったのだろう。シロクマさんの本で言うと、「認められたい」というやつだ。当時は、自分をスゴい奴なんだと思いたかった。実際はぜんぜんそうではなかったし、逆に、本当にスゴい奴ほど自分を大きく見せたがらない。

 そういう人は飽きているのだ。ちやほやされることに。褒められることに。子どもの頃から自分パフォーマンスの高さを周りに認められるのが当たり前だった。だから調子に乗ったり、偉ぶったりしない。それだけのことだ。

 11月になった頃だった。M主任退職することになった。時期は来年の3月。田舎に帰るらしい。

 トラブルを起こしたわけではない。円満退職だ。夜の業界で7年も働けば、体はボロボロになる。普通は3年もてばいい方だが、M主任はそこまで働いて、十分すぎるほどの結果を出していた。私は「今までありがとうございました」と、お店の終わりに2人だけになったところで伝えた。

 この時のM主任言葉脳裏に刻んであるし、忘れた時のために日記にも取っている。重ねて言うが、この記事でところどころの描写がやたらと詳細なのは大学生当時の日記ベースにしていることによる。

 以下、M主任言葉になる。

「おう。〇〇ちゃん、お前もな、元気でな。ええけ?(※方言が入っている。いいか?の意味)〇〇ちゃん仕事ができる奴になれよ。仕事ができんかったらな、人間は終わりやぞ。どこに行っても生きてかれんようになる。仕事だけはな、ちゃんとやって一流になれよ。お前もこの店で何人も見てきたんやないけ、どうしようもない根性なしの連中を。ええけ? お前は悪い奴じゃない。でもな、どっか気が抜けて、間抜けなところがある。そこが好きなんやけどな。とにかく、仕事ができるって言われるようになれ。俺からお前に言えるんはそれだけや」

 呑みに行きましょう、と誘うつもりだった。でも、誘えなかった。私の中で、M主任はそれだけ偉大な存在だった。神だった。神を呑みに誘うことはできないのだ。

 その翌日。営業時間中の夜10時くらいだったか店長ともう1人、灰色スーツを来た人が紙袋を携えてS店にやってきた。「ちょっと時間あるか」と、上の階にある事務所に連れて行かれ、その人から名刺を渡された。

 このS店の母体である芸能事務所の人だった。取締役ナントカ部長だった。ソファに座らされてからの話の内容は端的で、「私を社員として採用したい」という話だった。

 部長の話には説得力があった。説得力要諦とは、ロジックにあるのではない。本人が持つ、その考えや判断への自信や信仰、そして意見を伝える際の胆力や粘りの強さが、本人の口を通して迫力となり、相手に伝わることで説得力生まれる。

公務員はこれから厳しい時代になる。お金問題ではない。本質的意味で割に合わなくなる。

あなた就職する自治体初任給は16万円だ。うちは基本給だけで26万円出す。

・S店での働き次第では本社に来てもらう

日本芸能界を盛り上げる一員になってほしい。それだけの才がある。

・お客さんも仲間もあなたを支持している

 今思えば典型的リップトークだ。なぜかといえば、上の内容の半分以上は私をほかの人に置き換えても、ちょっと修正するだけで通用するからだ。

 でも、当時の私は大学生だった。この時すっかり、S店で働こうか、それとも地元公務員になろうか迷い始めていた。もし、これが公務員試験を志す前であれば、この会社で働いていたかもしれない。

 特に最後にやつ。あれにはやられた。部長ソファの脇に置いていた紙袋から手紙を取り出した。十枚ほどの。小封筒に入った、そのひとつひとつを私の前にゆっくり差し出すと、それが――すべて嬢から手紙であることがわかった。

「〇〇君。試しにひとつ開けてみて」

 ある嬢からの簡潔なメッセージが入っていた。「これからも〇〇さんと働きたい」「〇〇さんに店長になってほしい」「卒業してもいなくならないで」。こんな言葉が認められていた。

「もうわかるね。〇〇君はみんなに慕われている。社会あなたを認めている。こんな大学生、ほかにいないよ」

 部長はA4サイズの用紙をボールペンとともに手渡してきた。

 『雇用契約書』とあった。裏面には雇用条件的なものが書いてある。これを片手に取って私は、ボールペンを握りしめた。

 右上に日付を書いて、ずっと下の方にある住所欄に個人情報を書き始めようとする。ボールペンをあてどなく前後に振って、書くのを静止しようとする脳と、書くのをやめたがらない右手が小さいラリーを繰り返していた。

 私は思い切って、ボールペンを紙面に押し付けた。そして、インクが紙に付いた途端――心臓から流れ出た血が、冷たい何かとともに押し戻されて、再び心臓へと逆流するのを感じた。私の指先は動くのをやめた。

 その場で立ち上がって私は、「残りを読んでから決めます」と告げて、手紙を抱きかかえてS店に帰ろうとしていた。事務所の扉を開けて出る時、舌打ちのような音が響いた。

 手紙ほとんどはテンプレートだった。ひな形がきっとあって、嬢はそれらを真似ている。そういう罠だった。手紙はぜんぶで11枚あって、その中でテンプレでないのは3通だった。そのうちひとつを挙げると、ヘタクソな文章で、私のこれまで4年間の行動や仕草がつらつらと書いてあった。

 私に対するポジティブ言葉も、ネガティブ言葉もあったけど、この3通の手紙には共通していることがあった。「地元に帰っても頑張って」。そんな内容だったかな……? 初めに読んだ1通はTちゃんからだった。

 彼女ハーフで、日本語がそこまで上手くはないのだが、それでも一生懸命な筆跡だった。何度かミスって修正液で消した跡があった。Tちゃんらしくて、不器用だけど愛が籠った手紙だった。

 一昨日それを読み返した時、ふいに涙が零れた。

 あの部長姑息な手を見抜いてから一週間後、私は2月末でS店を辞める旨を店長に告げた。残念そうにしていたけど、これは当然の結果なのだ

 私は地元公務員として働く道を選んだし、芸能事務所だって私が本当に欲しかったわけではなく、おそらくはM主任の代わりとしてだった。もし本気ならば、大学4年生の春までには声をかけている。

 最後の勤務日は静かだった。普通職場だと、辞める人には花束贈呈とかがあるんだろうけど、S店にそういった慣習はない。ただ普通に、最後の客が帰って、照明の光度を上げて、ホールキッチンを片付け始めて、嬢がみんな帰って……。

 最後に、このS店に初めて来た時に見た、この分厚い扉を閉める際に、「お疲れ様です」と小さく呟いた。私は、夜が明けてほんのりと水色の空が見える河原町通りへと歩みを進めていった。

(次が最後です)

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220545

2020-08-28

とある人事部長の後悔を聞いてほしい2

字数制限に引っかかったので1と2に分けています

事案4 顔も知らない、新入社員になるはずだった人達

 一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。

 あなた会社でも、採用候補者に対して身元調査実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。

 私が勤めていた会社というのは、普通会社よりも多くのことを調べることができた。

 例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。

 病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているか医療費は1割負担で~といった情報が入っている。

 限定的範囲に留まるが、犯罪歴もわかる。

 さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記調査実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノート自分名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。

 会社にとって敵対的人物が親類縁者にいる人や、過去うつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。

 犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。

 こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。

 誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。

 誰が仕向けているかからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部から指示が来て、特定役職(全員係長課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。

 放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。

 結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。

 今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。

 私にはできなかった。

 もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社はいられないだろう。

 私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。

 私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分意志を実行する力が全くない。

 なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。

 私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。

 私には、自分意志を実行する力が全くない。



最後に。

人事担当部局役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。

今回の内容は、社員職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。

問題社員(有能型)への対処について

 一般的問題社員への対応は、ネット豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。

 ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなた会社にも多分いると思われる。

能力だけ見れば高い。5段階評価でいえば4以上

自己中心的言動が目立つ

 軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング

 中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる

 重度のものパワハラセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員身体的特徴を馬鹿にする

上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度

 昔は、こういうタイプ社員放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。

 むしろ上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングハラスメントは表立って認容されていた。

 昨今は社員メンタルヘルス観点から、こういったタイプ問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要視点を述べていく。

・一番の対策は、『仕事量を偏らせない』こと

 問題社員(有能型)は、他人コントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。

 行動傾向として最たるものは、『積極的仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。

 対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。

 問題社員(以下Mとする)が他人仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。

 では、Nが「Mさん仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。

 この場合も、他人仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。

 ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。

 繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。

 Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。

 反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。

M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」

→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアル作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」

M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」

→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取りますMさんが今動く必要はありません」

M「業務放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」

→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」

・『仕事量を偏らせない』という方法デメリット

 ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。

 問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。

 Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたサポートする必要がある。

 これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。

 なにより大変なのはあなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。

 以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。

 あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。

 この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情職場に来れなくなった場合崩壊するおそれがある。

 こんな場合は、黙って待つしかない。

問題社員(有能型)の正体について

 このタイプ問題社員は、本当に問題なのだろうか?

 私は、このタイプ問題社員に対しては、「北九州市新成人理論」を採用している。

 かつて、北九州市新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。

 彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察検問強硬突破する。

 そんな光景が全国ニュース流れる度、テレビコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミ意見ネット意見合致する。

 しかし、「あいつらはバカなことをしているか規制すべき」という考えは誤っている。

 バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在からだ。

 彼らのようなタイプ新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。

 成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色着物ふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。

 誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式特別儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。

 彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。

 反対に、主催者アナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。

 彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。

 生まれ場所うんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。

 地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バス新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。

 暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれから地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。

 脱線した。問題社員(有能型)の話に戻ろう。

 彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社大事存在なのだ存在意義を証明するための場所として。

 会社にとって必要人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。

 逆に、Mを非難する立場社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。

 例えば、「あいつの行動はパワハラから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)

 その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。

 処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告処分を行った。

 不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。

 これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的残業ゼロ職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。

 一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇申請をして職場からいなくなったという意味です)

 残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分必要であるとの意見も出たが、労働関係法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。



ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。

若干ぼかしているとはいえ社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。

自死を考えている。

今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。

社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。

数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館カラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……

平穏生活を続けるうちに、社会生活自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。

最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。

近頃は夢に出てくる。

大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスク復讐をする。

どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。

私にとっての遺書を書きたいと思った。

今の気持ちありのまま吐露してみたいと思った。

はてなブログや、はてな匿名ダイアリー投稿してみたかった。

それが叶って嬉しい。

パソコンモニターを見ると目が痛む。

まり推敲できなかったのが悔やまれる。

読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。

ありがとうございました。



8/31

コメントいただいた皆様に「言及する」により返信しております

当初はここに記す予定でしたが、7千字過ぎで字数オーバーになってしまうため、このような形としました。

暖かいコメントに助けられました。

感謝申しあげます

2020-03-14

フェミニズムに少し関わると見えたこ

ポール・ハギンズ監督による映画クラッシュ』という秀逸な映画がある。アカデミー賞を取っている。

この映画簡単にいうと、

人種の坩堝であるアメリカにおいては、日常様々なところで人種差別があるのは当たり前の日常になっていて、差別する方もしたくない方も疲れ果てている。しかし一旦大変なことが起こると、人種の壁など一瞬で超えることが私たちは出来るじゃないか。という主張の映画である。もう私はこの映画に感動しまくって、涙が止まらなかった記憶がある。批判もあった。そうはいっても差別をなくさなければならないのだから、この映画のように差別なんかどうでもいいじゃないか、という主張なのでは問題解決にもならない、など。

どちらの意見整合的ではあるとは思った。が、どっしにしろ私たち人間は協力しないとこの世界では生きてはいけないという、赤裸々な真実はあって、目をそらしていいわけではないのである。どちらの意味においても、である

さて、フェミニズム話題として、最近はあの石川優実さんによる#KuToo が話題をかっさらっている感がある。華やかな表舞台では#KuTooは石川優実さんとともに世界的に評価されつつも、その裏側では石川優実氏のあまり矛盾した態度とそれをよく表した#KuToo本(靴から考える本気のフェミニズム)に対する猛烈な批判である

私が気になったのは、どちらが正しいかなのではなく、どうしてそんなに極端に矛盾した状態になっているのか? であった。これは一旦はいってみる価値があるのではないかと、フェミニスト側の立場仮面を被ってTwitter上で観測を始めた。

こうした問題は、双方の目を持たないと、実はその真相が見えてこないのである。実はこれ、全くの単純な考え方であり、例えば子供二人が喧嘩していた時、仲裁に入る人はどちらの目線にも立つはずであろう。別に仲裁たかったわけではないが、一方の側にばかり視点偏重させると結局、人はため息か悪態をつく以外になくなってしまうのである。その視点を私に与えたのが、昔見た映画の冒頭の「クラッシュ」だった。

で、どうだったか

結論を言おう。

#KuTooはそんなこと無関係に大いに役に立っている、それは間違い無いという単純な事実が一つある。石川優実さんがいう通り、少しずつ労働現場では強制がなくっていているなどということの他に、安倍首相共産党小池氏が、日々国会で厳しく論戦を繰り広げていたのに、#KuTooの話で、小池氏が安倍首相の言質をとって、一時予算委員会拍手と笑いに包まれたという名シーンであるあんな和やかなシーンはあまりたことがない。

だが、一方で、KuToo本は最悪の駄本であるあんな酷い本もない。たとえ敵側の人たちをクソリプする人達と罵ろうとも、やってはいけないことのオンパレードで、現代書館までその人たちをなんの根拠もなく犯罪者呼ばわりするのである。やってはいけない改竄捏造・酷い引用の仕方、到底倫理観のかけらもない行為しか思えないものである裁判になりそうなので、そうなったらコテンパンにやられて欲しい。

そして、石川優実氏は相変わらずで、クソリプ攻撃応酬に疲れ果てたのか、とうとう「死にたい」とまでTwitter上で公言する有様。それをみる味方側も誰も批判しないという異常な光景、私はもはやこれはただ事ではないとしか思えなかった。

死にたい、と公言したのは、いわゆる死ぬ死ぬ詐欺である。あのねぇ、石川さん、それ女の弱さを利用する、フェミニズムに最も反する行為じゃないか。信じがたい暴挙である

そして彼女はすぐさま、ハングル韓国応援要請(これは彼女が心を落ち着ける以外の目的はないと推測)、英語で同様にTweet拡散。あまりにもこれは自己本位であり、あんなのを許す味方も含め、頭おかしいとしか思えない様相

私はその時点ではまだよくわかっていなかったが、何れにせよ、#KuTooを崩壊させかねない、愚行そのものであった。

どうしてそこまでに至ったのかについては、理由簡単である。「怒り」に任せたかである。KuToo本ではっきりそう言っている。彼女原体験は、彼氏にブチ切れて彼氏に女の苦労を認めさせた、そこにあるからだ。

から怒りは一番正当であり、怒ってさえいたらなんとかなる、と。しかしそれは、あまりにも無知であり、彼女が受けたMeToo被害だって、失礼だけど有り体に言って無知だったからに他ならない。もちろん男が悪いのではあるが。

宇崎ちゃん騒動や、ラブライブ騒動も実は全てそれで、あまりに「怒り」に任せすぎるのである

何故なのか。

それはもう、はっきりしている、女性差別が現に存在するからである彼女無知ながらも自分一人で「女性けがどうしてハイヒールを履かねばならないのか」を発見できたのも、女性差別が現に存在するからである。そうした認知がなければ彼女は静々「ルールから仕方がない」と大人風に冷淡にただ納得していただけであろう。

他にもある、トランスジェンダー女性に対する差別である

結局は、怒りに任せないと、理解させる方法がないのだ。少年ブレンダさんも、怒る以外に方法がない。どうしてもわかってもらえない。

ーーー追記

他にも女性差別に関し様々な怒りの声が世界で沸き起こっている。真っ先に思いつくのは前述した#MeTooでもある。

あるいは視点を変えて女性教育重要性を主張するマララさんであったり、アメリカ女性トップレスでも良いじゃないかと主張して上半身露出デモを行う人たちもそうであろう。多くの女性差別への怒りに対する声はもう止められない。

それでもなかなかそれら勢力と反対側にいる人たちは理解しないのだ。

もちろん現実には共感して支持する人もいるにはいるが、それらは彼女女性が「怒る」のは差別の大きな枠組みとして「女性差別」があると言うことをどうにか認めてほしいと言う切なる願いに他ならないとしか思えないのである

本当に理解の壁というのは高過ぎて絶句するほどに思えることすらあった。

ーーーー

これがフェミニズムにまつわる悲しい、しか事実であった。

彼女たちに怒る理由は十分すぎるほどある。それは決して「あなたたちそんなに怒るな」なんて到底言えるレベルの話ではない。差別とは何か、もう一度原点に戻って考えるべきではあるが、冷めた目で事態をを見つめるのは、例えばブコメなどで、適当意見をいう程度で済ませるのは、関心を持つのであれば、できたらやめて欲しい。

言論の自由はある。

だって、そうした問題を見つけられたのははてブコメントTwitterなどで、騒ぎになって可視化されたからそれは否定しない。

だけど、そうした悲しいフェミニズムの持つ現実女性差別があるというのを少しでもいいから、どうしてもわかって欲しい。

考えてみて欲しい、極端な話だけど、何年も何年も女性男性の下に置かれて奴隷のように暮らして来たのである

女性奴隷ではない。一刻も早く解放させてあげたい。

これが私の見えたことであり、お願いである。

2020-01-16

anond:20200115185254

論理的なんじゃなくて雑なんだろ

相手感情を慮れない論理なんて自己本位なだけじゃん

2019-06-13

anond:20190613160456

他人に」じゃなくて「オレに」だろ。

ずっと見てたけどおまえの主張ほんと自己本位

犯罪者を内心で憎んだりはだれでもするぞ

「だれも憎まない世の中」を実現したければ宗教ででもやれば

まあ説得力なんてないけど

2019-05-12

巨乳だと軽んじられる率高いと思う

サークル巨乳の子がいる。たぶんHカップはあるのではないか。何を着ても乳が主張してしまう、ある意味かわいそうでもあうタイプ

その彼女は失礼な男を引き寄せる力が強い。失礼な男というのは失礼なので、性欲を隠さないのである。だから巨乳という一見して強力な性的アイコンを持つ女性には必ず近づいていく。そしてやはり失礼なので、礼儀なんかも省略するし、自己本位に行動する。結果、巨乳女性普通乳の女性に比べて軽んじられることが多くなる。という。

同様に、開業医など一見して金持ちとわかる男は失礼な女に失礼に振る舞われる率高いんだろうねえ。職業はまあ隠せるけどおっぱいサイズ限界があるから、かわいそう。

2019-03-28

酒を飲まされて

住友商事強姦の件、

非常に腹立たしいし、絶対に許すべきでないと言う前提で言うが

「酒を飲まされて」という状況を、私は全く理解できない。腕を抑えられて口に酒を入れられたの? そんな状況ある?

おそらくだけど、酒を飲みなよと「住友商事の元社員」に促されて「就活女性」は「断りきれずに」酒を飲んでいたのかと思う。

ん?ちょっと待てよ。

それを断ることができないほど、

わが国は自由制限された国なのかな?

外国人からすると、日本人女性自己主張をあまりせず、おしとやかとされるが

つまるところ、精神が未熟で

自己意思がない人が多いだけじゃないの?

自己本位になれない人が多いだけじゃないの?

から危機的状況になった時に、

よくわからないまま流れに身をまかせてしまうのだと思う。

女性社会進出のために、社会制度を整えるのも結構だし、大いにやれば良いと思う。

ただ私は「酒を飲まされて」と言う記事を見るたびに、この国の男女平等はまだまだ先のことになるなぁと思うのである

2019-01-25

2018-01-11

スキル不足、情弱自己本位ゆえの愚痴が時々我慢できない

最近何かうまくいかないことがあっても

スキルが足りなかったかしょうがない」

情弱だったかしょうがない」

相手にも都合があるからしょうがない」

と思っておしまいにしてしまうことが多い。

自分に対して思うだけならまだいいのだけれど、他人に対しても思ってしまう。他人の、うまくいかないことに対する愚痴発言に耐えられないときがある。

身内がガラケーからスマホに変えたので操作方法についていろいろレクチャーしているのだが、たびたびいらいらしてしまった。

操作がおぼつかないのは構わない。なかなか覚えられないのも構わない。でも、操作している中で出てくる愚痴にいらっとしてしまう。

「これ使いにくい。何でこんな風になってるの?ちゃんと分かるようにしてくれないと困る」

「お店の人がつけてくれたオプションプラン、これ要らないってこと?要らないのにつけるなんてひどい」

「解約の電話かけてるけど全然繋がらないし、フリーダイヤルじゃないからどんどんお金がかかる。これ受付時間が平日昼間だけって、普段働いてる人はかけられないじゃない。何考えてるの」とか。

できるだけ「ねー」と相槌をうってスルーしているけれど、我慢できずに発言してしまたこともある。

言ってから、キレられたらどうしようと冷やひやしたけれど幸い膨れっ面を見せられるだけで終わった。ほっとした。

自分が返してしまった発言としては

スマホアプリだと、この三本線アイコンからは大体メニューが出てくるから、やりたい操作をどこからやるのか分からなかったらとりあえず押してみて。そのうち覚えて慣れるよ」

はまだ建設的かなと思うけど、

「人によっては必要オプションかもしれないし、入らないであから文句言われるよりはマシだからとりあえず入るよう勧めてきたんじゃない」

電話対応してる人も働いてる人だから土日は休みたいだろうし、会社コスト削減のためにフリーダイヤルやめたんじゃない。無料からってどうでもいい雑談でかけてくる暇人かいるだろうし」

などなど。つたないマジレス

相手もただ愚痴で言ってるだけだろうに、愚痴に対してそんなこと言われたら嫌になっちゃうよなあと分かってはいるのに、なかなか実践しきれない。

相手も私も不快になってしまう。辛い。

2017-08-29

anond:20170829171548

読んで腑に落ちた気がする

視野の狭さかー

から見ると自己本位しか見えないけど

視野が狭くて見えてないだけなのかも

2016-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20160729133650

不幸な独身気持ちを知りたい~とかい自己本位バカを殴るために吐露しただけなのに自慢だの羨ましがってるだの勝手に決めつけられる脳みそってハッピーだなー

他人比較してるのではなく自分理想比較しかつそれがたまたま叶えられた他人を羨んでるだけだとわからずに他人基準とか眼も腐ってるなー

相対的不幸という観念もなくそうした国の子供が日本に生まれコイツ人生を歩んだらこんな人生クソだから昔の方がいいわーと言う可能性も検討せずこうにちがいないで理屈を組み立てられるなんて耳と耳の間にゴキブリでも住んでるんだろうなー

2016-05-29

夏目漱石の「私の個人主義」について

読書会夏目漱石の「私の個人主義」を紹介するための、原稿です。

<コ:ミ <コ:ミ <コ:ミ

夏目漱石の「私の個人主義」という本を持ってきました。

漱石といえば、「吾輩は猫である」や「こころ」が特に有名な小説家です。

彼は日本代表する小説家というわけで、

書簡集。つまり手紙文語本になっていたりします。

私の個人主義」は講演をまとめた本です。

169ページなんですが、5つの講演が収録されています

1つの講演は30P~40Pですので、ページ数から考えると、

比較的読みやすい部類に入るかと思います

タイトルの「私の個人主義」というのは、大正3(1914)年11月25日学習院で行われた講演のタイトルです。

漱石1916年12月に亡くなったので、亡くなる2年前程前の講演です。

5つのから、「私の個人主義」について、内容をご紹介します。

学習院で行われた講演ということで、若い学生対象にしていたようです。

彼の反省と学びについて、紹介しています

漱石学生だった頃、卒業する直前までどんな職業につくのか決められなかったそうです。

たまたま学習院教師に推薦してもらえる事になるのですが、

結局、他の人が採用されます

漱石は「今と違って就職は大変楽でした」と語っているのですが、

高等学校と高等師範から、同時に声がかかります

彼はどちらにも半分承諾するような事を言いました。

いい加減な事をしたわけです。

呼びつけられて、怒られるのですが、結果高等師範に行く事になりました、

行ったはいものの、「自分の不向きである」という思いがあり

一年松山にある中学校に赴任します。

が、松山にも一年しかいませんでした。

以降、熊本に落ち着く事になります

熊本教師を続ける中、文部省からイギリスへの留学を勧められます

彼は断ろうと思いました。

なんの目的も持たずにイギリスに行ってもしょうがいないと思ったわけです。

結局、教頭先生に勧められ反対する理由がないということで、イギリスに行くことになりました。

「そんなあやふやな態度で世の中へ出て、教師になったというより教師にされてしまったのです」と言っています

彼の心境は非常に苦しいものでした。

「腹の中は常に空虚でした」とか

「この世に生まれた以上何かしなければならん。といって少しも見当がつかない」

色々な言葉を使って繰り返し苦しさを訴えています

彼はイギリスに行った以上は!と努力しました。

そして、今までは他人本位で、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事に気が付きます

彼は自己本位という言葉を手に入れました。

この喜びを

「そのとき私の不安は全く消えました」や

「ようやく自分鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです、」など

色々な言葉で繰り返し嬉しい気持ち表現します。

そして、学生に対して、同じような悩みがあるのでは?と強く訴えます

貴方がた自身幸福のために、それが絶対必要じゃないかと思うから申し上げるのです。」などと言うのです。

自己本位必要なのでは!?という漱石の熱い語りは、もしかしたら彼のイメージと異なるかもしれません。

彼が人に流されて生きてきた。

その腹の煮え切らない不愉快気持ちと、そこから解放された実感は私にはよく理解でき、感動すらしました。

ここまでが第一部の内容です。

個人主義自己本位というと、自分勝手にふるまうような事をイメージされるかもしれません。

漱石はその事を否定します。

自分自我尊重するのであれば、他人自我も認めなければならないといいます

講演を聞いている学習院学生というのは、今よりも強い意味を持っていました。

お金権力を持つ事になる人たちでしたから、

気に食わない相手を懲らしめるために人を買収したり、妨害する事が可能なわけです。

彼は所属する団体立場に基づき判断せず、理に適っているかどうかで判断する事が必要だといいます

彼の考えは、自分存在尊敬し、他も同じように尊敬する。

団体を作って、権力お金のために盲動しない。というものでした。

素晴らしい考えだと思いますが、漱石は淋しい気持ちがある事を吐露します。

理に適っているのかで行動を決める事、そして他を尊重する事から

ある時は、人がばらばらになってしまうと言います

漱石の中期~後期の作品個人主義の目覚めとこの淋しさを書いたと理解しています

特に、後期の作品にあたる「こころ」は淋しさががよく出ていると思います

淋しいというしこりが残る形ではありますが、個人主義という考え方を

論理だけでなく、感情をまじえて教えてくれるというのが私の個人主義漱石の魅力だと思います

以上

2014-03-13

自分が好きすぎて死にたくなる

まぁ、それが実際に死につながるのかはよく分からない、というか多分こんなふざけた文章書くような人間死ぬことはないと思うのだけれど、とりあえず「死にたい」という気持ちはあるので。

死にたい」なんていう気持ちは、自分が大嫌いな人間がなるもの、だから自分が大好き、自分が他の何よりも一番大事と思っている僕が、そんな「死にたい」なんてことを思うわけがないし、実際これまでもそんなことはほぼ思わずに生きてきたわけだけれど、最近、その「自分が大好き」であるということが、むしろ死にたい」という気持ちに結びついてきてしまっているのです。

原因はまぁ簡単で、人生で初めて正社員として働き出したんですよ。ずーっと親のすねかじりながらブラブラしていたんだけれど、とうとう親から「もうお金は出せない、就職しろ」と言われて、就職したわけ。

そしたらまぁ、これはもう普通社会人なら20代前半で経験していることなんだろうけど、注意されたり、お前は間違っている・怠けている・だらけている・残念だとか言われて、自分を否定されることは多々あるわけです。

で、普通人間なら、あーそうか自分ダメ人間なんだなと思って、否定を謙虚に受け止めて、ダメさを指摘してくれた人にむしろ感謝なんてこともしたりすると思うのですが、何しろずーっと自分が大好きで、自己肯定感だらけの人間だったものですから、その否定を受け止めることができないんですね。注意されたら直せばいいのだけれど、その直すということが許せない。なぜなら、注意されて自分を直すということは、その直される自分を否定するということなわけですから、そんなことが自分を肯定している人間に出来るわけがない。

しかしそれを直さないことは、学校とかとは違い仕事の場では許されない。さらに言えば、学校という場は期限付きの場所だったけれど、仕事というものはこの先一生付き合っていかなければならない場所なわけです。例えどんなに出世したって自分に命令することによって自分を否定してくる人間は、常に存在し、そしてそういう人間からの否定を受け止めて成長していくことが、この常に成長を義務付けられた資本主義経済というシステムの中における仕事では、絶対に必要とされるわけです。

もう、自分を大好きな人間が、そんな場所で生きていけるわけがないでしょ。そんな世界で生きれば生きるほど自分という人間は否定され、汚れを背負わされるわけですから。逆に言えば、死んでしまえばそんな汚れを一切背負うことなく、この自分を好きな自分が、好きな自分のままで、自分を否定すること、そしてそれを許すことを認めるようなメンタルの汚れを身につけないままで、死ぬことが出来る。だったらもう、死ぬしかないんじゃない?と、そんなことを考える、今日このごろなのです。

といっても実はこれはそんなに特別感情ではないし、むしろ近代においてはごく自然自殺類型とさえ言えるわけだけれど、デュルケームなんかは『自殺論』の中で、まさしく「自己本位自殺」という、自分のために死ぬという自殺類型を挙げているわけだから

から、こんな所にわざわざ文章を挙げる特筆性は、全くない。ただそれでも、なんかこう、書きたくなったから書きました。どうぞ、ご笑読下さい。

2014-02-22

悪者になりたくない

学生時代アイヒマンという人物を知った。以来、アイヒマンのようにはなるまいと思いながら暮らしてきた。つまり、可能な限り悪者になりたくないのだ。だが悪者になりたくない人間自己本位で未熟な人間であるという。その結果か、私は成熟した人間になり損ねているとも感じることが少なくない。

今の私を表現するとすれば「僕にその手を汚せというのか」という一言に尽きる。まだ「僕は悪にでもなる」「おぬしも悪よのう」という境地には至っていない。別に悪者になる必要はないのだろうが、おそらく悪を何らかの形で受け入れる必要があるのだろう。だが曽野綾子のような思考様式を持つことが成熟であるなら、受け入れることは出来ない。

もちろん未熟な人間のまま一生を終えるという選択肢もある。しかし不治の病や不慮の事故夭折する覚悟も無ければ、未熟な人間のまま百歳まで生き抜くだけの気概もない。どうしたものか。

2013-09-13

ロンブー田村嫌なら見るな」発言にみるテレビ業界斜陽産業

掲示板で、「嫌なら見るなよw」という書き込みに対して「じゃあ俺の書き込みも見るな」とレスがされていたのを見て、改めて「嫌なら見るな」発言の意味を考えてみた。

嫌なら食うなとかならまだわかるが、ロンブー田村淳には公共の電波にのせて発言している意識が欠けている。

誰の目にも耳にも仕方なしに入ってしまうような、公共の場でのこの発言は、

自分社会ルール と決め、

それを他人に押し付ける、自己本位で公私を混同したものではないか

田村も一応売れっ子から多くの人間が目にするゴールデンタイム番組だって持っている。

そういう公共性の高い番組に関して「嫌なら見るな」ということは、自分ルールに従えない人間は、社会おいて不適合であると言っているのと同じだ。

いったいこいつはどれだけ失礼なことを言っているのか。

しかし、この発言の根底ロンブー田村に限ったものではない。

今、他の番組を見ても、くだらない芸人同士の内輪ネタをダラダラ垂れ流しているようなものばかりだ。しまいにはアナウンサーまでが一介の芸能人かのように扱われている。

ようは芸のない業界人がただ、テレビの中の世界生活している様子を放送するだけになっているのだ。

これではこの先どんどん視聴率はさがり、テレビ業界は衰退していくだろう。

それを感じで、必死自分存在を確かめようとした動きの一つが「嫌なら見るな」発言なのだ

これは自分を絶対正当化する。しかもこの場合自分テレビ業界なのだから、まさに業界斜陽産業化を象徴している。

もうテレビなんか深夜番組しか見てやんねーぞ!

でもそうなると予算不足でアニメ枠が切られて、タダでくだらないアニメ観れなくなるのか…それもいやだな。

これが外側から見た感想だ。

はじめはロンブー田村がむかつくから攻撃してやろうと思って描いたが、こんな大仰なものになってしまった。

アホが感情的になって書いたから非常に狭量な見方をしていると思う。指摘してもらえるとありがたい。

ではでは、お後がよろしいようで。

2013-02-22

アニメにおけるホモレズの違い

アニメ見てると

ホモ調和を重視し、思慮深く論理的な思考もつ大人。基本ノンケ不干渉相談役に徹する役割

たまに自虐ギャグで和ませたりコミュ能力高く人脈が広い。穏やかで柔和な雰囲気

レズ感情最優先で排他的自己中。自分と相手だけの世界を創りたがり周りが見えないため

相手がノンケだろうが自己本位で周囲を巻き込むストーカークズ

基本的に陰湿陰険コミュ障 フェミ豚で攻撃的. 頭おかしい。

こういう感想つんだけど、ホモってアニメーターに愛されてるなw

 
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