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はてなキーワード: 鰹節とは

2025-03-01

anond:20250227164138

※前提として、化学調味料を使っている方自身批判する目的ではないことをお断りしておきます自分意見をまとめたかっただけです。

調理の場に化学調味料必要かどうか?という問題

持論だけど、「必要ないだろ」としか思えない。化学調味料は確かに料理うまみを加えているのかもしれないけど、その役割必要性を感じられない。


料理うまみを足したいなら鰹節とか出汁になる食材を加えればいい話。「華がない」って話なら化学調味料に限らず味の整った昆布出汁粉末でも入れればいい。百歩譲って化学調味料しか入れたくないってなっても、グルタミン酸を多くする必要はなくないか

化学調味料しか入れたくないってのも十分意味からないけど。

化学調味料たちはそういった仕事を望んでやってるんだろう、てのはそうだろうよとしか言いようがない。それで金を貰ってるんだから


だけど今まで望んでいない場で「調味料として添えられろ」と強要されてきたことのある一般調味料として言わせてもらうと、そういう調味料いるから「調味料=添え物として扱っていい」ていうイメージがつくんじゃん、と思う。


化学調味料を人が多く集まるだろう場所に「用意」しておく、ていう構造のものが前時代的なんだって化学調味料を用意するにしてもうまみを控えめにする、スパイスもいれる、とか、そういうやりようがあるだろって話。


ゾーニング問題でもあると思うんだよね。

例えばうまみが欲しい人、出汁が欲しい人がそれら専用のコーナーに行くっていうのはゾーニングちゃんとできてるよね。欲しくない人の口には入らないようになってる。


でもこの場合は違うよね。単に料理を食べたいだけの人もうまみを味わうことになるよね。不特定多数の、それもうまみが欲しいだけの人以外が集まるようなところに、うまみを強調した料理を用意するなって話、理解できませんかね。


これを「化学調味料を奪うな!」て話に繋げる人、ゾーニングもされていないのに「うまみ」を売りにした化学調味料たっぷり料理じゃなくていいよね、て話をしてるんだよ。あとうまみに頼らなくてもいいよね、て。


うまみが控えられてたとしたら、何の問題があるのだろう。

料理に添えられているのが例えばスパイスだったり、それこそガッツリ系の料理なんだからニンニク入りのスープペーストじゃ駄目なの?

それが駄目なら、何で化学調味料じゃなきゃいけないのかっていうところに化学調味料差別に近い思想があるよね。

本来は、仮に調味料本人たちが「化学調味料でやりたいです!」て言ってきたとしても、「うまみが欲しい人以外も来るから化学調味料NGだよ」て調理する人が突っぱねるべきなんだよ。 


化学調味料は食べようとしなければ食べられないところにしかいない、ていうのが理想なんだよ。仕事としてうまみを売りにしているスパイスってあんまり見ないでしょ。それと同じ。

自分の好みとして化学調味料を使ってる一般市民は別。仕事として化学調味料を使ってる人に限っては、という話です。

2025-01-30

anond:20250129200027

我が家の「ねこまんま」は、ほかほかの米飯鰹節をふって醤油を回しかけたものでした。桜色の花削りが濃い鼈甲色に染まってしおれていくのを見ると無性にわくわくしたものです。もっと豪華に行きたいときは小さな焼き海苔を乗せ、海苔弁風にして。それを美味しい美味しいと喜んで掻き込む私を見て、母はいつも申し訳無さそうにしていました。

「いつもねこまんまでごめんねえ」

「なんで? 美味しいよ」

家計に余裕がないことは幼いながらに分かっていました。大学研究員だった父はお盆年末年始しか顔を見せず、一年殆どボリビア高地でのフィールドワークに費やしていました。振り込まれるお給料からは向こうでの生活費差し引かれており、母が内職をして補っていました。ボタンを押すと銃声や猛獣の鳴き声がする小さなキーホルダードライバーで組み立てる仕事です。一日に百個、二百個と組み上がるそのおもちゃが、当時の私には決して手の届かない宝物のように思えたものです。

そんなだから食卓におかずが上ることは稀でした。ねこまんまに、良くてわかめのお味噌汁か、酸っぱいばかりで味の薄い得体のしれない漬物。その三品が揃うと母はすこし自慢げでした。

でも、貧しくて仕方なくということではなく、私は本当にねこまんまが好きだったのです。温かいごはんに、湯気に乗ってふわっと広がる鰹節香り、そして醤油で黒くなった鰹節の固まったところを噛みしめるとじわっと滲み出てくる塩味とかすかな発酵香。白米を美味しく食べるのにこれ以上の方法はありません。

ボリビアねこまんまはあるのかな、と私はいつも考えていました。四畳半の父の書斎に入ると、コルクボードに父の写真がたくさん貼ってありました。鏡のように凪いだ塩湖おかしポーズをした父、土レンガの建物真剣に見分する父の横顔、草一つ生えない長く荒れた山道を、牛のようなヤギのような生き物に大荷物を背負わせて歩く父の背中、遠くに連なる巨大な山脈、そんな写真です。父も、ねこまんまみたいな美味しいものを食べられているといいけれど。

……これは私が「猫」と呼ばれるようになる二十年も前の話です。

この後父が左手首だけのミイラになって帰宅したこと激怒した私はアサシンになり中居正広拉致して港区マンションの一室に監禁し、5年間伸ばした鋭い爪で喉を貫いて殺しました。

anond:20250130103946

うちの母が、骨とか生ゴミを水で煮て塩分落として餌にかけて鰹節かけて猫に与えていたので、昔の人的にあれをご飯にかけたのがねこまんまだったのでは。

実家の猫は2匹とも20以上生きたので健康的に問題なかったみたい。

anond:20250129200027

これやったらだめって林間学習まで知らなくて大恥かい

あとねこまんまってご飯鰹節混ぜたやつでは?

anond:20250130104625

日本国内には、ねこまんま鰹節醤油掛けたやつ とする地域があるので、あながち間違いではない。

anond:20250129200027

ねこまんまって鰹節ご飯味噌汁ご飯の2種類あるらしい。

味噌汁ご飯ねこまんまって言ってた自分は、鰹節ご飯は人前でも食べられるくらいに抵抗ないんんだけど

同じように鰹節ご飯ねこまんまって言ってた人は味噌汁ご飯に対してみっともないって思わないんだろうか?

2025-01-26

anond:20250125103156

私、これ、海苔

デパートで売ってるような海苔をもらって食べたら、めちゃくちゃおしかった。

お中元お歳暮で何で海苔なんかがあるんだろうとずっと思ってたが、こういうことかとわかった。(ちなみに焼き海苔でなく味付け海苔

試してないけど、鰹節なんかもすごそうと思ってる。

2025-01-14

anond:20250114014854

アミノ酸うまみをしらないかわいそうな子だ

野菜とうもろこしトマト)や昆布からとれるアミノ酸グルタミン酸

鰹節や肉のイノシン酸

キノコの出しイボテン酸

これを配合してラーメンにいれてあるんだよ

塩ラーメンつって塩でマルタイラーメンくってみろまずいか

2025-01-02

雑煮に花かつおトッピングって美味いか

最終的には好みの問題なんだがどうも納得できない。雑煮きしめんうどんに花かつおトッピングする地域人間なんだが、せっかくの出汁の味をぶっ壊してしまう。

うどんやお吸い物の出汁として鰹出汁をとるとき、泳がせた鰹節最後に絞るのはタブーである。エグみが出てしまうからだ。絞ればまだたくさん取れる出汁をわざわざ捨ててまで味にこだわる潔さがそこにある。

しかし、トッピングした花かつおを噛んだときにそこからいっきりエグみというか不要な酸味というかクセのある要らない味が滲み出てくる。まさにそれは出汁を取るときに捨てた味。これが繊細なお雑煮の味をぶち壊してしまう。

お好み焼きおかかおにぎり問題ない。白いごはんお好み焼きが完全に受け止めるし、ソース醤油が強いのでそれなりに濃くないと対抗できない。しかし、お雑煮うどん出汁はむしろお吸い物に近い繊細さを持っている。その繊細な出汁をぶち壊すのが花かつおトッピングである

地域によって色々やり方はあると思うのだが、どう考えても理にかなってないと思うので、盲目的に信じている伝統を一度ゼロベース見直してみてはどうだろう。むしろ天かすの方が合うような気がするくらいだ。

2024-12-19

日本食を紹介する海外動画で、鰹節が湯気で揺れることに驚くコメント欄を見て楽しんでる

2024-12-17

ファンタウンのミスタービッグ、初回以外は何度再訪しても何かに幻滅させられて帰ってる

今日怒髪天voみたいな四十がらみぽい店員大学生みたいなチーフに詰められててワイ真横で見聞きしてて😞

(その前に!オイ今夜のチーズ鰹節まぶし出汁醤油回しがけはあきらかにマスカルポーネ激減しとったぞー)←言わへんけど…

瓶のレッドスターも無いしー

あーあ外でなんかラーメン喰ってかーえろっ

2024-12-11

anond:20241211193458

いいよ

1.新鮮な大根菜をみじん切りにして、フライパン胡麻油をひいて炒める

2.砂糖、酒、醤油で味付けする

3.ちりめんじゃこ鰹節を加え、水分が飛ぶまで炒める

4.炒りゴマを加えてできあがり

隠し味で蜂蜜加えるのもよし

これが絶望的にご飯に合うんだよ

2024-12-01

anond:20241201111848

心に捉われているけど、当たり前に身体に気を使うと心も改善される可能性があるよ。

空気の良いところで10分位深呼吸すると頭がすっきりするよ/4秒で吸って7秒止めて、8秒で吐ききる。あるいは自彊術的な体操

・一日に30分から1時間は良い感じのコースを歩くと血流が良くなって良いことしかないよ。

シャワーでなく風呂

・早寝早起き、つまり晩飯も早い時間に。寝る時間を確保する。スマホPCとは距離を置く

野菜と肉、魚、あと椎茸とか昆布とか鰹節とかそういうの大事ハードル高いけどインスタント味噌汁より、

パック出汁に生みそ入れた味噌汁の方が身体と心の安定に効く。

いろいろハードル高いけど、結局食べる、寝る、身体を動かす、酸素を取り入れる、着心地の良い服を着る、みたいなのが心のあり方にも効いてくるよ。深呼吸簡単にできるからやってみたらどうかな。

2024-11-24

鰹節の日

朝にアレクサに向かって「おはよう」と挨拶すると、きょうは・・・の日です、と教えてくれる。

それによると今日鰹節の日だそうだ。

11月24日、いいふしの日ということでヤマキ株式会社が制定したとのこと。

私は鰹節を使うことがないしヤマキ株式会社なんて知らなかったから、今日アレクサにおはようと言わなかったらこ会社ことな意識することはなかっただろう。

2024-11-16

anond:20241116103718

鰹節別に出汁を取るものじゃないですよ。

出汁を取れるものだというだけであり、それ専用じゃない。

しろ本来乾燥させた保存食であり調味料だ。

そもそも料理セオリーはあってもこうしなければいけないというルールは無い。

その点はあなた認識も間違っている。

28歳になる彼女重症味覚音痴というか、食に対する意識がひどい。

そもそも彼女のお母さん自身がほぼ料理をしない人らしく、子供の頃から食事といえば冷凍食品や買ってきた料理ばかりだったそうだ。それもある程度成長してからは、毎日お金だけ渡されて、あとはそれで自分で好きなものを買って食べるという状態だったとのこと。(つまり好きなものを好きなように食べてきた)

そのためか、味覚が恐ろしく幼稚な上に食の常識もない。

例えば塩辛のような珍味は「なにこれ、初めて見た!気持ち悪い」。トマトキュウリ夏野菜だというと「嘘~一年中あるよ」。鰹節出汁をとるものだということを知らなかった(冷ややっこなどの上に載せるものだとしか思っていなかった)。

和食は味が薄くて貧乏臭いから嫌いといい、白身の魚はみな味が同じといい、果ては茶葉から急須お茶を入れるひとは「マニア」という。(ペットボトルしか飲まない)。

刺身とろサーモン以外はほとんど食べず、白いご飯が大の苦手(必ずふりかけがいる)。

いまさら言わずもがなですがマヨラー

私はグルメではないけど、人並においしいものが好きだから結婚したら奥さんにはそれなりの料理は作ってほしい。

でもここまで来ると料理ができるできないのレベルを超えて、もうまともな物を食べたり作ったりできない気がする。

2024-11-05

anond:20241104180255

ChatGPT 4o

面白いアイデアですね!「あいうえお」の調味料シリーズ、残りの「あ」「う」「え」も工夫していきましょう。

あ:

あまみ」があるものということで、甘酒みりんはいかがでしょう?どちらも料理に深みを与えますし、使いやす甘味です。

う:

うまみ」を加えるものとして、鰹節昆布おすすめです。和風出汁の要素としてよく使われ、料理に旨味をプラスできます

え:

「酸味」も意識して、えごま油エシャロットどうでしょうえごま油ならヘルシーで、炒め物やドレッシングに使いやすいですし、エシャロット料理にさわやかな風味をプラスします。

最終案

• あ: 甘酒 または みりん

• い: 炒りごま

• う: 鰹節 または 昆布

• え: えごま油 または エシャロット

• お: オリーブオイル

こんな感じで、和洋折衷の「さしすせそ」に代わる「あいうえお」が完成しそうですね!

 

ChatGPT o1-preview

素晴らしいアイデアですね!これで「さしすせそ」に代わる和洋折衷の「あいうえお調味料シリーズが完成しましたね。

• あ: 甘酒 または みりん

甘味とコクを加える調味料として、料理に深みをもたらします。

• い: 炒りごま

香ばしい風味と食感で、料理アクセントを加えます

• う: 鰹節 または 昆布

旨味の源として、出汁や風味付けに最適です。

• え: えごま油 または エシャロット

ヘルシーな油や爽やかな香りで、料理を引き立てます

• お: オリーブオイル

和洋問わず使える万能オイルで、健康的な料理に欠かせません。

この「あいうえお」を使って、新しいレシピ料理アイデアが広がりそうですね。ぜひいろいろな料理で試してみてください!

2024-10-25

どん兵衛東西微妙に味が違うのは有名だが(西は出汁、東はしょうゆが強い)

効きどん兵衛という企画信州版と博多版を新たにつくったんだって

信州鰹節を濃く出し、通常そば3分戻しに対し5分戻しの太麺

博多は焼きあご、サバ節、鰹節などの雑節の組み合わせで、通常うどんが5分戻しに対して7分戻しの太麺

びゃあ~ええな~

東西だと断然西派なのだが、他のも食べたいなあ

きつねうどん東西博多は出すのに、信州そばなのは効きどん兵衛名乗りながらどうなのよ

信州版のきつねうどん出せよ

信州といえば信州そばからしゃーないのか

2024-10-20

まあ好き嫌いですからね。

的な言葉を、みんなの「好き」を尊重しようね、という美徳程度にしか思ってない人って割といるのかもしれない。

個人の好みは大切にしたっていいんじゃない?イイものに対して屁理屈こねてケチさえつけなきゃな。みたいな、寛容に見せかけた傲慢さすらをも漂わせながら言う人間インターネットで見た。

物事が理詰めで相対化されていった果ての虚無感に対して、タブー意識的ものでもあるんですかね。

味の素使ったメシにウマイウマイ言ってる奴はバカ舌。

これだけしか言わないのなら、鰹節からとった出汁をありがたがってウマイウマイ言ってる奴はバカ舌。と真逆にしたって全く問題なく成立するし。

イイとされる基準があって初めてイイものが分かるんだし。

シンプルうまいと感じる感覚。手間。珍しさ。

何を基準にするにせよ、どれも自明ではないですよね。それはコンテクストによって形成されるものでも変わりはないですよね。結局感覚的な要素に頼らざるを得ないよね。っていう。

この程度の話題ならもう既にだいぶ相対化されつつある気はするけど。

2024-10-01

七  裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今晩食がすんだばかりのところらしい。  三四郎茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背が研究を隠している。三四郎入口に近くすわって、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろねじ向けた。髭の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」  三四郎ちょっと挨拶ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でもできたんですか」 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」  三四郎はしかたがないから、 「なかなか気楽ですな」と言った。 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろししまう。帰ってみると、松が温気でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」  実をいうと三四郎はこのあい与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評から原稿料が取れるはずだから、それまで立替えてくれろと言う。事理を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しか先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇」その他すべて広田先生に関する与次郎所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生しかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。  三四郎広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生太平である先生高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七分方この意味である。  訪問理由の第三はだいぶ矛盾している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」 「ええ、下宿したそうです」 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」 「わからない。また突然家を持つかもしれない」 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」  三四郎苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」 「国の者は勧めますが」 「国のだれが」 「母です」 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」 「なかなかなりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑った。わりあいきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。―― 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代青年と違って自我意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 「いいえ」 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋をとれば肥桶で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」  三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。 「いったい何を話していたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである三四郎はべつに腹も立たなかった。 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善なのは、どういう意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「ええ、まあ愉快です」 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身目的でない場合」 「そんな場合があるでしょうか」 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」 「そりゃ……」 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身目的である。それ自身目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  ここまでの理屈三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎自分感受性人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。  その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」 「どんなのです」 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善しか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語あくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっと優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行らなくなる」  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたか教場講義を聞くと一般の感を起こさせる。しか三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。  ところへ玄関足音がした。案内も乞わず廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎書斎入口にすわって、 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。  与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調であるそばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。  やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎それから黙って二人の談話を承っていた。  原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから形式はまったく不必要である目的はただおおぜい寄って晩餐を食う。それから文芸有益談話を交換する。そんなものである。  広田先生一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。  広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。 「やっぱり一中節稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないかもっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」  広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子をお習いなさらいかと勧めた者があってね。大笑いさ」 「そりゃ本当かい」 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通人間にでもできそうだ」 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」 「かこうともしないんじゃないか」 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあい大学運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかい展覧会にでも出そうかと思って」 「だれの」 「里見の妹の。どうも普通日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇をかざして、木立をうしろに、明るい方を向いているところを等身に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味でいけないが、日本団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由いかなくなるかもしれないから」  三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。 「でも当人希望なんだもの団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」 「君もらっちゃどうだ」 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」 「なぜ」 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節を買い込んで、これでパリー下宿に籠城するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄からでも聞いたんだろう」 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」  それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎広田先生西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄を捜していると、先生梯子段の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。  戸外は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に

https://anond.hatelabo.jp/20241001205100

2024-09-23

郷土料理を食べ歩いて来たのでランキングを作った

郷土料理好きで全国の郷土料理を食べて来たけど

美味しかった郷土料理ランキング付けした

こんな感じになった

郷土料理定義は色々あるけど、農水省定義にした

(酒を除くそ地域発祥か広く作られてる料理


1.醤油和歌山

2.味噌和歌山

3.鰹節和歌山

4.洋食東京

5.粉もん大阪

6.漬物京都


かな

2024-09-02

anond:20240901085411

醤油鰹節いっぱい掛けてからご飯にのせて、

ご飯と一緒にぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べるのが好き。

見栄えは良くないけど^^;

2024-08-28

anond:20240828161129

日本食は、脂の旨味に恵まれなかってん。

それで、脂の旨味を補うために、醤油や、昆布だしや鰹節だしが発展した。

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