はてなキーワード: 琴線とは
そろそろ折り返し時期なので自分用にメモ。今回も多いので3つに分けてる
星は個人的な好みを表したもの(私の好みであって作品への評価ではない 出来が凄いんだろうなあという作品も、自分が好きではなかったら星は少ない)テレビ放送中心。
好みの星はたぶん見ていくうちに変わるし変えてる。自分と違ったとしたら「こいつとは趣味があわんな」くらいのレベルで見てください。
声優とかアニメ制作会社とかよく知らないので間違ったこと書いてたらごめんなさい。
今回のアニメは「2倍2倍!」「飛びます飛びます」「ヒューヒューだぞー」など、見てる人のほとんどが分からんだろってくらい古いネタが使われてる気がする。
追記:好きを示す星は4段階。感覚的なものなので話が進むにつれてコロコロ変わることがあります。環境によっては☆も⭐️も⭐️に見えるのね 後で変更しておきます
スイカももう立派な科学者なんだよ。と、まだ前のシーズンのスイカの話をひきずって涙してる自分がいる。
巨大なラスボスはいるが、普通の敵はもういないので結構安心して見れる。
OPはASIAN KUNG-FU GENERATION。EDはBURNOUT SYNDROMES、やっぱりDr.STONEといえばこの人たちやね
SAIが加わったことで28話でEDが少し変わり、日本メンバーと合流した30話でまた変わる。
名前の通り、「嘘をつく力」と「嘘を見抜く力」で勝ち残っていくゲーム
実写ドラマや映画は戸田恵梨香と松田翔太で製作されており、韓国でもドラマ化されている人気作。
騙し、騙されで1億、10億と巨額のお金が動く展開に「おー、すげー」と感心していたところに、最近「はてな11億詐欺事件」の報道が飛び込んできて、現実に似たようなことが起こったもんだから戸惑っている自分がいる。
過去に大きな事故に遭い、一度死んだはずの菜花。家では謎の「物体X」を飲まされる変な日常を過ごしていた。
ある日、事故現場近くの商店街で妖怪だらけの世界に紛れ込んでしまう。
妖怪に襲われる菜花を助けたのは、刀を携えた若い男性・摩緒(マオ)だった。
女子高生と別世界の人間という関係性は、まさに『犬夜叉』のようなワールド。
ゲームが原作。メンタルがヘラってたり、OD・リスカをする子、そして狂信的なファンがつくほどの「超てんちゃん」というネットアイドルがいたり。
90年代のエヴァや、2000年代の物語シリーズのように、精神病者の精神描写の演出が過多、故に人を選ぶ作品だと思う。
私は嫌いじゃないけど好きじゃないよ。まぁ10代の頃に少しくらいは考えた人も多いのでは
あめちゃんがいかにして超てんちゃんになるかは3話で語られるが、まあ酷い過去ではあるけれど、よく見るやつなので。もっとこう、あそこまで神格化されるほどぶっとんだキャラになるのであれば、それと反比例するくらい重いのが欲しかった。
超てんちゃんのCVはクレジットに明記されていない、が、22/7の天城サリーかな。ナレーションはピエール瀧
OPは超てんちゃん、EDはキタニタツヤ。5話のEDは特殊な構成。
1年ぶり4期。どうやって終わったんだっけ。なんやすごい強敵揃いで大変な戦いだったのと「強欲」レグルスが最悪なやつだったことしか覚えてない。
ジャージではなくなったスバル。レム睡眠を救い出すことはできるのだろうか。
これからお付き合いくださる皆様
OPは鈴木このみ feat. Ashnikko、EDはMYTH & ROID feat. TK(凛として時雨)相変わらず流れる回数少ないけど
憧れの父が破門され、父から「落語」を奪われた。あかねは父の無念を晴らすべく、落語家として真打を目指す。
この作品が週刊少年ジャンプで連載開始した時、普段漫画を読まない私の耳にも「なんかスゴイのが始まった」と聞いた覚えがある。
単に女子高生が落語をするだけじゃなく、落語の世界そのものを描きつつ、そこに「友情・努力・勝利」の成分もあることからの人気なのかな。
3話までの話を通じて、落語噺だけでなく、社会人として教訓も感じるところがある。
落語のアニメといえば『昭和元禄落語心中』や『じょしらく』がよく話に出るが、『うちの師匠はしっぽがない』もぜひ思い出して欲しい。
5分アニメ。淫獄団地。タイトルからヤバそうな団地の管理人が主人公。
団地に住む人妻の元にスマートブレイン社のファイズギアボックスみたいなケースが届き、
中に入った卑猥で異常な衣装「リビドークロス」を着用した人妻たちが狂気に堕ち、管理人や団地の人々を襲う。
何となく私は見ないやつだろうと思ったけど、バカバカしくて見ちゃう。
モデルのようにクールな外見だが、実は主人公と同じ趣味を持つギャル(天音さん)。主人公の前の席に座り、いつも優しく接してくれるノリの軽いギャル(伊地知さん)。
王道ラブコメ好きだわ〜・・いや私じゃ無くて妹がね、妹がね!?
同じ趣味の天音が有利そうに思えるけど、伊地知の人の良さや健気なところにも応援したくなる。くぅ〜
3年ぶりの2期。1期で付き合うことになり、2期は付き合ったことを公にする。
今期はOPの歌詞にあるとおり「ただの惚気話」、背景にあるネグレクトのトラウマを忘れそうなくらい、ひたすらイチャイチャする様子を見るのかな・・と思ったののだけど。 主人公の周(あまね)の過去と向き合ったり、真昼の父親、親友の父親に関する悩み事も浮上するなど、やはり深い話も出てくる。
OPはオーイシマサヨシ、EDはJ-POPのカバーソングという構成で、1期と同じパターン。
ED曲はドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」、5話ではジッタリンジンの「夏祭り」。
舞台は東京の府中市だが、里帰りシーンで静岡も登場する。 座席は主人公席。
エロギャグコメディ。暴食の悪魔 カナン様と高校生男子の羊司くん、言動や行動の勘違いが続き、なんやかんやで恋人関係に。
カナン様が羊司より優位に立とうとするのだが、羊司が直球ど真ん中のストレートな言動を繰り返すため、いつも結局撃沈してしまう。
そんなカナン様の可愛さも魅力だけど、羊司がいい感じに変態なので成り立っているのだと思う。
いろいろとSNSで話題になっている気がするが、単なるアニメ視聴者の私が特別な話に食いついても良い事なさそうなのでスルーしてます。
内気なゲイの中村くんは、入学式で同じクラスの男性生徒「廣瀬」を見て恋に落ちる。
コミュ障な中村は廣瀬とお近づきになるため、まずは友達になろうとするのだが、どうしても空回りしてしまう。まあ、BLです。
絵柄は80年代〜90年代のサンデー漫画っぽいレトロな雰囲気だが、スマホやLINEがある現代。
2021年にオーディオドラマが発売されており、その時のCVは今作アニメとは異なる。が、アニメ劇中に登場するBL漫画「ラブ弁」で、オーディオドラマ版の中村と廣瀬が声を担当している。
OPは岡村靖幸&中島健人。EDはなんとも懐かしい曲が流れて……
1話は村下孝蔵『初恋』、2話はバブルガム・ブラザーズ『WON'T BE LONG』、3話は今夜はブギー・バック(smooth rap ver.)など、懐かしの曲がそのまま選曲されている。
伝説の殺し屋が謎の蜂に刺されて若返り、所属組織の提案で中学校生活を送ることになる話。見ていてラーメンが食べたくなる。
姿を変えた殺し屋を主人公にしたジャンプ漫画ということで『サカモトデイズ』を連想してしまうが、私はこっちの方が好きです。
中学2年の秋、ロシアから来た二足歩行で長身の……鳥?の「クジマ」に出会い、一緒に暮らすことになる。
厚かましい態度のUMAみたいなのがホームステイに来たような感じのアニメ……と昔の友人に説明したら、「それアルフじゃん」と言われた。あー
兄の受験失敗で家族全体がどこか暗い雰囲気になっていたところ、クジマがいい意味でそれを掻き乱し、明るくしていく物語。
アニメの中でいろんな種類の(普通の)鳥が登場するけど、どれも丁寧に描かれているのが印象的。
学校内でも学校を離れたプライベートでも友達がおらず、ぼっちだった主人公の前原くん。
同じB級映画好きということで、クラスで2番目に人気のある女の子、朝凪海と仲良くなる。
1番人気の天海夕と海は親友だが、そこにも内緒で海と前原は金曜日の放課後に共に時間を過ごすようになる。
灰原くんの〜と思ったらお隣の天使様に〜になっていくラブコメ。
歌で戦うから『戦姫絶唱シンフォギア』的なものかと思ったら、過去の偉人が登場して戦う展開になったりする。
偉人?今期の他のアニメでも同じような要素があったような。最終的にはミュージカルのように歌い合う形になる。
いやー、見続けるかどうしようかなーと思いながら見ていたら、4話のようなオモシロ回もあるので困る。
ある意味話題作。「福岡地域の活性化とともに食の大切さや料理の楽しさを子どもたちに伝えたい」というコンセプトで、
これまでショートアニメや4コママンガ、ライトノベルが展開されてきた同プロジェクトのアニメ化作品。
なお、アニメ・漫画化を目指してクラウドファンディングを実施したものの、目標額の27%しか集められなかった経緯がある。
そんなアニメとしての出来は……ストライクゾーンが広めな私でも「これは結構キツイ」と思うかな。
低予算感がEDのクレジットからひしひしと伝わってくる。皆さん、おそらく別ジャンルとして楽しんでいるんじゃないでしょうか。
クソゲーをあえて縛りプレイしたくなるような上級者の琴線に触れているのか(失礼)、
深夜遅い時間の放送にもかかわらず、リアルタイムのネット実況が結構ワイワイしています。
2部構成になっており、本編アニメ(15分)の後に食育アニメのミニコーナーが続く形式。普通に勉強になる。
地球が怪獣に襲われる世界。コミュ障で人付き合いは苦手だが、ロボット操作だけは天才的な主人公。
宇宙での怪獣戦に敗れ地球へ帰還したものの、そこは全土が凍結し雪と氷に覆われた「スノーボールアース」となっていた。
私はそこまで・・。怪獣8号も私には刺さらなかったのだけれど、こういうSF物は私の好みと相性が悪いのかも
ブラックな会社に勤めながら、家でアニメ鑑賞をして癒される日々を過ごすOLが主人公。
マンションの横でいつも壁ドンしてくる住人は、主人公が崇拝する漫画の漫画家だった。
反対側の隣さんはとても親切で、いつも主人公を心配してくれるイケメン男性。
この3人の家の壁が漫画家によって破壊され、ついに空間が繋がってしまう。
主人公は漫画家に食事を提供するメシスタントになり、親切なお隣さんは彼氏という設定を作り、彼女を守ろうとしてくれる。
こうしてむちゃくちゃな展開だけれど、お隣さん同士3人共同生活が始まる。
本来は昨年放送予定だったが、制作のクオリティ向上を目的に延期され、この時期での放送となった。
それもあってか、非常に高いクオリティを感じる。特に第5話は繰り返し見てしまった。
魔法に憧れる女の子、どうやったら魔法が使えるのか分からない彼女は、ある日家に来た魔法使いの術をこっそり盗み見。
それを参考に、昔お祭りで手に入れた道具を使って魔法を発動。・・しかし、それは、我が家と母を巻き込む大事件を招くことになる。
かわいい、かっこいい、きれいを両立させるビジュアルに、映画のようなドキドキとワクワクを感じさせてくれる。
突然、人が巨大な怪物「鬼獣」になり、それとニワトリが戦うという異色の作品。
なんだこれw EDも含めて昭和〜平成初期のアニメの香りを感じる。
クソが付くくらい真面目だが学力は底辺な男性高校生と、「ポエム」という自分の名前にコンプレックスを抱いている女子高生のお話。
校長も含め、この学校の人たちは個性的で好感が持てるキャラが多く、結構好き。
悪の組織のやつらは「懲役1466年」や「懲役999年」などのぶっとんだ量刑が飛び出したり、警察が来ても銃火器で蹴散らしたりと、かなりむちゃくちゃな展開。
トリックや推理は二の次で、リリテアがかわいいから見てるのかも。
31歳になった。今年、嫁にした彼女の話をどうしてもさせてくれ。
彼女とは元同僚。別の部署だったが初めて視界に入れた瞬間、胸の奥が静かに落ちた。155cmの小柄な体躯、幼さを残した瞳の奥にキリッとした大人の色気が潜んでいる。あの絶妙なバランスは、まさに自分の好みのど真ん中だった。運動音痴で陰キャの俺が、こんな可愛いロリ巨乳の彼女とゴールインするなんて。
会社は飲み会が日常茶飯事の陽キャ天国。大学生ノリが横行する中で自分はただただ浮いていた。大人数の輪など苦痛でしかない。だから酒を浴びるしかなかった。酔えば人に合わせられる「酔うキャラ」——それが当時の自分の唯一の立ち位置だった。今思えば痛々しい。だが彼女の前では、不思議と肩の力が抜けた。
きっかけは、ジャニーズと映画だった。特に嵐。ピカンチをDVDで揃え、Dの嵐を違法視聴横行時代YouTubeで漁っていた自分のマニアックな知識が、彼女の琴線に触れたらしい。一対一やカラオケでは、相手の趣味に全力で溶け込めた。Filmarksで「好き」を静かに共有する関係から始まり、初めての二人きりの飲みは夜の7時から、気づけば午前2時を回っていた。ホテルには連れ込まず、できる男を装った。あの時の冷静さは、イケメン友達の教えと、世の女性たちへの感謝(特にポインティ動画)によるものだ。男はポインティを見ろ。
その後、電話が2人のメインコンテンツとなった。一日中繋がったままラインの履歴が半日を超えた時はさながら高校生の恋愛みたいで自分でも呆れた。会話のテンポが心地よすぎて離れられなかった。もどかしさ、まさに思春期の甘い時間だった。
しかし進展は止まっていた。
本当の転機は、彼女の退社日。送別会の二次会はまさに混沌の宴だった。個室で腕を組んで眠る者、階段で力尽きる者、トイレで吐き潰れる者——カオスそのもの。酔いの波に身を任せ、自分は何度も彼女を外へ連れ出した。都会の深夜2時、酔っ払いたちの喧騒の中で、まるで二人だけの静かな世界にいるような錯覚に陥った。
始発が近づく頃、みんなが散り散りになる中、彼女から電話が来た。「見捨てるのか」と、怒ったような、縋るような声。自分も限界だったが、絶対にこの子を逃したくなくて地下鉄の街を必死に走り回った。見つけた瞬間、彼女は酔ったまま手を組んできた。
自分の帰路とは全く関係のないホームに乗り、荷物を預かり彼女の地元まで送った。
朝9時、彼女の部屋で裸で目覚めたとき、自分はようやく現実を噛み締めた。
何が言いたいか。
仕事で疲れてんのかな?海外のナレーションもBGMもない町並みとか仕事とかを垂れ流すYouTubeを見るようになったんだけど、おススメない?
できればアジア圏がいい。ヨーロッパとかアメリカはきれいすぎて琴線に触れない。ヨーロッパもカオスなところだったら全然おっけー。
ナレーションとか撮影者の音声とか変に凝ったオープニングとかも極力要らない。
・これは個人的に一番刺さってる
https://www.youtube.com/@pakistanitruck
・凝ったオープニングもBGMもない潔さ
https://www.youtube.com/@trace_manila_ph
Xで以下の投稿が目に入ってきた。
https://note.com/sho_hiroumi/n/n52a7f10be3c7
本当にたくさんのことを考えた。
それについてコメントを書いていたら長い長い長い長いクイズ論になってしまったので、こっちに載せることにした。
「上手にボタンを押せる人」よりも「上手に問題を作れる人」が称賛されやすい、という論には本当かどうか?という疑問がある。
たしかに出題サイドは、その多大な労力ゆえに参加者サイドよりも分母が少なく、競争環境としては「ブルーオーシャン」の側面がある。
「面白い問題を出す大会」というブランディングが、主催団体の評価に直結するのも事実だ。
しかし、それが個人への「称賛」に結びつくかどうかは別問題だと考える。
先日、浜押会オープンで話題をさらった「アサシン」の問題を思い出す。
問題そのものは鮮やかにバズったが、では「その作問者が誰か」まで即座に答えられる人はどれほどいるだろうか。
個人が作問・主催する”個人杯”であれば作問者個人にスポットライトが当たるが、サークル主催の大会では、評価は組織の中に埋没しがちだ。
この傾向はメディアでも顕著だ。QuizKnockを見ても、主流は「問う」ことよりも「答える」コンテンツであり、メンバーも「答える側の演者」として人気を博している。
純粋な作問能力が評価される場面があったとしても、それがコンテンツの主役になることは稀だ。
取り上げられているQuizbowlのシステムにおいて、問題作成が競技参加のプロセスに組み込まれているのは興味深い。
ただ、これは「称賛」のためというより、大会をスケールさせるための「供給の仕組み」と捉えるべきだろう。
しかし出題スタッフはサービス提供側の側面が強く、労力も膨大だ。
自発的な協力者だけで賄うのは困難であるため、パケット提出(問題作成)の義務化といった「強制力」が必要になる。
ACF(アメリカ大学クイズ連盟)の公式ページでは、この制度の意義を「編集者とプレイヤーの知識共有の精神を守るもの」と定義している。
しかし、わざわざ言葉を尽くしてその意義を称揚しなければならないこと自体、それが「強調しなければ誰もやらないキツいタスク」であることを裏付けている。
編集歴がコミュニティ内のキャリアとして記録され、NAQTのような組織では1問ごとに報酬が支払われるなど、作問が「名誉ある職務」として確立されている、という例は興味深い。
分野ごとに専門の編集者を置く高度な組織設計は、品質管理の観点から合理的だ。
だが、ボツや添削というストレスフルな工程を経てなおモチベーションを維持させるためには、相応のインセンティブや評価制度が必要となる。
報酬の一部として「Head Editor」などの地位を提供していると考えた方が良いように思える。
そして原文の例にある通り、これほど作問者がプロフェッショナルとして敬意を払われている海外でも、やはり「スター」はプレイヤーだ。
箱根駅伝のマネージャーたちが、もし許されるなら自ら箱根路を走りたいと願うランナーであるように、「作問者」側はスターではない、という認識は変わらず持っていた方が良いように思う。
私はオンラインクイズサークル「Virtual Quiz Studium」(以下「VQS」と略する)を主宰している。
今日で誕生から3年を迎え、4年目に入る比較的新しいサークルだ(めでたい!)。
参考 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/
「VQS」では、毎月25〜50問が集まる「問題出題大会」を開催している。
ここでの取り組みを掘り下げることで、そもそも「よいクイズとは何か」を掘り下げてみる。
最大の特徴は、予選・決勝の「2段階投票システム」を採用している点だ。
(注:「みんはや」開催の第2部は異なる)
数十問を一気に並べて1問を選ぶ形式では、比較がどうしても雑になり、印象に残りやすい後半の問題が親近効果で有利になりがちである。
予選を5問程度の小規模なグループで行い、評価プロセスを細かくすることで、個々の問題と誠実に向き合い、良い問題をなるべくすくい上げるよう工夫をしている。
1年半の運営を経て痛感したのは、まず「良い問題の基準は人によって異なり、一様ではない」ということだ。
もちろん、明らかに構造的な課題がある問題には厳しいスコアがつくが、一方で、何らかの「光るもの」を持つ問題には必ず誰かが票を投じる。
「何が良いか」という評価が割れることこそがクイズの豊かさである。
問題の価値を安易に、あるいは拙速に決めつけることの危うさを日々感じている。
一方で、歴代の上位入賞問題を分析すると、そこには「評価されるだけの理由」が明確に存在する。
(もちろん、これが全てとは考えていない)
上位入賞するような問題には、これらを複数複合させて達成しているケースが目立つが、単一の要素で突き抜けるものもある。
ここがこの大会のだいご味でもある。
(参考)歴代の入賞問題 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%87%BA%E9%A1%8C%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C
興味深いことに、こうした多様な評価軸がある中でも、不思議と上位入賞の常連となる凄腕プレイヤーが存在する。
クイズの実力との関連性もそれほど強くないところが興味深い。
これは、クイズ作問という行為が、が単なるクイズ用のネタのピックアップではなく、一種の表現技術であることを示唆している。
現実として、そこには歴然とした作問力の差が存在するようなのである。
クイズ問題が正当に評価される際、それは単発の問題としてよりも、「〇〇大会の問題はよかった!」と、一塊のパッケージとして語られることが多い。
競技としてのクイズを成立させるためには、個々のクイズの良し悪しとは別に、セット全体をプレイした際の「体験」という観点が必要不可欠と考える。
優れた問題を揃えることは、大会成功の必要条件ではあるが十分条件ではない。
DJが選曲と繋ぎによってフロアの熱量をコントロールするように、主催者には「(事前に)用意した問題をいかに配置し、どのような『場』を構築するか」という編集・演出の手腕が問われる。
私は2年間にわたり、「VQS」の中で深夜のオンラインクイズ大会「まよなか大会」を毎月開催している。
その運営経験から得たのは、クイズ大会において「参加者の体験をいかに設計し、コントロールするか」はとても重要だ、ということだ。
問題の難易度曲線、ジャンルの連なり、そして出題のテンポ。これらが精緻にマネジメントされ、参加者の体験がポジティブに設計されているかどうか。
「いやなら来なければよい」と開き直ることは、集客力がある人達であれば違うかもしれないが、自分達には現実的には無理だ。
体験を構成するための「問題セット」を的確に構成し、そのうえで参加者が楽しめるような「面白い問題」をいかに出題することができるか。
結局のところ、クイズの問題セットとは単なる問題の集積ではない。
それは、参加者が競技を通じて得られる「体験」を最大化するための、緻密な設計書なのである。
問題セットの品質を考えるうえで一つ自戒を込めて強調したいのは、他の専門領域を扱う際の作問態度である。
他分野の問題を作成する場合、その知識がその業界において「現在進行形でアクティブな知識であるか」を精査する習慣を持つべきだ。
土足で他人の専門領域に入り込み、「正しい」「間違い」の審判を下すのだから。
私の専門であるIT分野を例に挙げれば、残念ながら「読むに堪えない」品質の問題(事実誤認や、もはや使われていない死語など)を目にすることは決して少なくない。
情報のアップデートを怠った古く間違った問題を見ると、それだけでがっかりしてしまう。
大量に作問する際、どうしても手癖に頼りがちになるが、「改めて確認する」というひと手間を、決して忘れないようにしたい。
これは多分に主観的な見解だが、クイズとは作問者、あるいは作問チームとの「知的対話」であると私は考えている。
ゲームとして巧みに構成されているかという機能的な側面とは別に、対話として楽しめる内容であったかという内容的な側面も、自分の中ではとても大事だ。
対話である以上、当然出題者だけでなく解答者側にも知識が求められる。
解答者の力が不足していれば対話は成立しない。
双方向的であり困難な試みではあるが、クイズと言う形式だからこそできるコミュニケーションができた、と思えたときの満足感は大きい。
銀英伝はせっかく宇宙なのに戦いが平面的だなとか思うところはあるけど、ラノベとしてキャラ萌えとしてめっちゃ好き
アルスラーン戦記は後半の怪獣とか魔物出てきてからはクソだと思ってるけどそれまでの人対人でやってたころは好き
キャラも好き
タイトルから想像するよりめっちゃ軽くておもろいからタイトルで損してる気がする
多少損したってまったく影響ないくらいすでに有名だし評価はされてるかもしれんが
それ以外の田中芳樹よんだことねーんだよな
いつか読もうかなとは思ってるけど
逆に面白くないと思う人もいるんだろうけど、自分はこれを面白いと思えるタイプの人間でほんとよかったと思う
私はあります。
【踊らされるな。踊り狂え。】
言葉は人を傷つけることもあれば、争いを引き起こすこともあるし、使い方次第では良き方向に気持ちが向くものでもあります。
名言ファイルなるものを作り自分の琴線に触れる言葉をあらゆる作品から集めていたこともあります。
語感がなるべく似たようなものを選んだり、同じような意味でも相手に伝わり易い言葉選びをするように心がけています。
恐らく職業病でしょう。
これは私が中学生を卒業するときに担任の先生から送られた言葉を自分なりに解釈したものです。
その時には【踊らされるな。踊れ】と言葉を贈られました。
他人に踊らされるような人生を送らずに、自分から踊るように人生を歩みなさい。
その時、私はハッとしたような気がしました。
素敵な言葉に出会う時の感覚はなんともいえない気分になります。
私は確かに、とても良い意味だし今までない発想だったが前文と後ろの分のバランスがあまり良くないなと思っていました。
どうせ人生を歩むなら自分の意思で、しかもそれを自ら狂ったように歩み進める。
それは自分の人生を誰かから取り戻し、自ら歩むべき道を見つけた瞬間だったように思えます。
そこから、ずっとどんな選択をする際も狂ったように目の前のことに対して取り組んできたと思います。
そのことから学べたことは、目の前のことに踊り続けられれば、後から起こることなど問題ないケースが多いということでした。
音楽ってそれ単体での流行りとは別に、テレビ番組のBGMに使われたりで「なんか聴いた事ある曲」になって聴き継がれることがあったと思う
ABBAのマネマネマネなんかは、そういう場面でのお約束だったりするし
ちょっとしたBGMでも番組の内容に絡めたダジャレ的なチョイスだとニヤッとなったりするし
内容に関連してそれをテーマにした名曲を良いラインで拾っきたりしてるとおっ、良いじゃんってなるし
まあその辺は元々知ってる人間にとっての話だけど
Youtubeだとどこもかしこも同じようなフリーのBGMばっかりで、あの曲はこのチャンネル、というのがごっちゃになったりすらする
まあその手のBGMが「聴いた事ある曲」になっていくのかもしれんけど
それを悲観するのも音楽に優劣を見出しているというか、BGMを軽んじる考えではあるし
まあ別に軽んじようが勝手だろうとは思いつつ、個の好き嫌い以前に「良い音楽」らしさを仮想するのもナンセンスだとは思うし
とはいえバックグラウンドミュージック言うてんのだし、そもそも邪魔にならず寂しくならないよう盛り上げるのがそういう曲であって、もとより琴線にふれるようなものではないのかもしれんけど
いやそれは内容があっての話か
いやでも菊次郎の夏観てなくてもsummerはなんか寂しさの匂う夏ぶった気持ちになれるし
とはいえ、とはいえやっぱりまず音楽として流行ったものが、ささやかな所で何度も耳に残り続ける機会の減っていくのをやや寂しく思うのは禁じえない
とか言うのも、なんか大学の教授だとかご意見番みたいな人だとか、それこそ音楽関係の人らが言いそ〜って感じだな
まあでもテレビでなくたって、ヨーカドーで流れるHelp!を聴いて耳に引っかかるメロディだな、と思ってビートルズを知る
別に熱烈なファンになるとかではなくとも、たまに聴くくらいになる
そういうのってなんか良いよなって思う
チームみらいの何がこいつらの琴線に触れるんだ
冷静に考えてチームみらいがこの国の政治にもたらす影響力って0.1%以下だろ
プライマリーバランスの使い方も意味不明だし
アホの考えてることはよくわからん
https://www.asahi.com/articles/ASV1R46B4V1RUTFK001M.html
今回の解散劇の最大の特徴は、「熟議(議論)による合意形成」を「選挙による信任」で上書きしようとする手法にあります。
これまでの自公政権では、平和主義を掲げる公明党が「ブレーキ」役を果たしてきました。しかし、高市政権は公明党を排除し、保守色の強い日本維新の会をパートナーに選びました。これにより、政策決定のベクトルが「中道・調整」から「右派・加速」へと劇的に変化しました。
提示された9つの政策(スパイ防止法、憲法改正、国防軍の明記、皇室典範改正など)は、いずれも戦後日本が意図的に曖昧にしてきた、あるいは避けてきた「国の根幹」に関わる問題です。これらを一気に解決しようとする姿勢は、戦後80年の歩みを「積み残した宿題」と定義し、リセットを試みるものと言えます。
ダニエル・カーネマンが提唱した二重過程理論(システム1・システム2)を用いると、高市首相の政治手法が国民にどう作用しているかが鮮明になります。
高市氏の戦略: 「おこめ券」などの分かりやすい物価高対策や、「自らの国は自らで守る」といった情緒的で力強いメッセージは、国民のシステム1に直接訴えかけます。67%という高い支持率は、複雑な議論を抜きにした「直感的な期待感」の表れです。
ポピュリズムの親和性: 複雑な社会問題を「敵か味方か」「守るか捨てるか」という単純な構図に落とし込むことで、システム1を刺激し、熱狂的な支持を調達しています。
高市氏の回避: 本来、スパイ防止法による人権侵害のリスクや、武器輸出拡大による国際紛争への関与、憲法改正の細部などは、システム2による深い検証と丁寧な議論を必要とします。
「遠回り」の拒絶: 中北教授が指摘するように、高市氏はシステム2を働かせる国会論戦を「遠回り」と断じ、選挙というシステム1的なイベントで一気に勝負をつけようとしています。これは、民主主義における「熟議」というプロセスをショートカットする試みです。
日米同盟の変質: トランプ大統領(資料内写真)との親密な関係や、防衛費GDP比2%超、原子力潜水艦の保有検討などは、米国からの「役割分担」の要求に応えるものです。しかし、これは同時に東アジアにおける軍拡競争を加速させるリスクも孕んでいます。
「普通の国」への転換: 武器輸出の「5類型」撤廃は、日本を世界の武器市場の主要プレイヤーに変貌させます。これは経済的利益をもたらす反面、「平和国家」としてのブランドを喪失させる可能性があります。
監視社会のリスク: スパイ防止法の制定やインテリジェンス機能の強化は、安全保障を高める一方で、国民の思想・信条の自由やプライバシーに対する国家の監視を強める懸念があります。
アイデンティティの固定化: 選択的夫婦別姓を拒み、旧姓の通称使用のみを法制化する方針や、外国人政策の厳格化は、多様性(ダイバーシティ)よりも「伝統的な家族観」や「秩序」を優先する社会への回帰を意味します。
中北教授が指摘する「自分が首相にふさわしいかどうかを問う」という解散理由は、典型的なプレビシット(国民投票)型政治です。
ポピュリズムの構造: 「既得権益やリベラルなエリート(丁寧な議論を求める層)」対「決断できるリーダーと国民」という対立構造を作り出しています。
民主主義の空洞化: 高い支持率を背景に、本来必要な「少数意見の尊重」や「権力のチェック・アンド・バランス」を軽視する傾向があります。選挙で勝てば何をやってもいいという「多数派の専制」に陥る危険性を孕んでいます。
高市政権の目指す方向性は、「戦後民主主義のOS(合意形成重視・抑制的防衛)」を「新保守主義のOS(決断重視・自立的防衛)」へと入れ替えることにあります。
この転換は、国民の「システム1(直感的な不安や愛国心)」を巧みに捉えることで推進されていますが、その代償として「システム2(論理的な検証と合意)」が軽視されています。今回の解散は、そのOSの入れ替えを、国民が詳細を理解・議論する前に「白紙委任」させるための戦略的手段であると構造化できます。
国民にとっては、目先の力強いリーダーシップ(システム1の充足)を取るか、あるいは将来的な権利制約や国際的緊張のリスク(システム2による懸念)を直視するか、その究極の選択を迫られる選挙となります。
資料に描かれた高市首相の政治手法や政策の方向性は、ドナルド・トランプ氏に象徴される現代のポピュリズム、およびその根底にある「反知性主義(Anti-intellectualism)」の流れと極めて高い親和性、あるいはシンクロニシティ(同調性)が見て取れます。
反知性主義とは、単に「知性がない」ことではなく、「専門知や複雑な議論を、特権階級(エリート)による自己保身や意思決定の引き延ばし(停滞)である」と断じ、否定する態度を指します。
高市氏の言動: 中北教授が指摘するように、高市氏は丁寧な議論を「遠回り」と表現しています。これは、民主主義の根幹である「熟議」を、目的達成を阻む「コスト」や「障害」として切り捨てる論理です。
トランプ氏との共通点: トランプ氏も「ワシントンのエリート(沼)」が議論ばかりして何も解決してこなかったと批判し、自らの「直感」と「決断」を正当化しました。両者とも、複雑な問題を「決断一つで解決できる単純なもの」へと書き換える手法をとっています。
反知性主義は、論理(システム2)よりも、大衆が直感的に抱く「共通感覚(コモン・センス)」や「感情(システム1)」を重視します。
シンボルと物語の活用: 資料にある「日本国国章損壊罪」や「皇室典範改正(男系維持)」、「奈良公園のシカ」のエピソードなどは、論理的な政策論争というよりは、国民のアイデンティティや「守るべき誇り」という感情的な琴線に触れるものです。
「普通の国」というマジックワード: 首相が語る「普通の国になるだけ」という言葉は、戦後体制の複雑な法的・歴史的経緯を無視し、「当たり前のことをするだけだ」という直感的な納得感をシステム1に与えます。これはトランプ氏の「Make America Great Again」と同様、詳細な検証を拒絶する強力なスローガンとして機能しています。
反知性主義的なリーダーは、自分と支持者の間に立つ「知の門番(メディア、学者、官僚、専門家)」を敵視し、これらをバイパスして直接国民に訴えかけます。
解散による上書き: 国会での野党や専門家による追及(システム2のプロセス)が本格化する前に解散を選んだのは、中間的なチェック機能を無効化し、高い支持率という「数」の力で専門的な異論を押し切る戦略です。
トランプ的「分断」の利用: 「国論を二分する」と自ら宣言することで、反対派を「改革を阻む勢力」や「国益を損なう者」と位置づけ、支持層との結束を強める手法も、トランプ氏が多用した「我々 vs 彼ら」の構図そのものです。
これまでの政治が「客観的な事実やデータに基づく調整(知性の政治)」であったのに対し、高市氏やトランプ氏の手法は「リーダーの強固な意志が現実を規定する(意志の政治)」への転換を意味します。
国際社会への影響: 資料にあるトランプ氏とのツーショット写真は象徴的です。両者は「既存の国際秩序やルール(知性的枠組み)」よりも、「自国の利益とリーダー間のディール(意志のぶつかり合い)」を優先します。これは予測可能性を低下させ、国際社会を「力の論理」へと回帰させるリスクを孕んでいます。
この流れは「知性による抑制」から「意志による突破」へのシフトであり、トランプ現象と深く共鳴しています。
反知性主義的な政治は、閉塞感を感じている国民に「スピード感」と「カタルシス(解放感)」を与えますが、その代償として、「複雑な問題を複雑なまま解決する能力」を社会から奪う危険があります。システム1による熱狂が、システム2による冷静なリスク管理(人権侵害の懸念や軍事的緊張の増大など)を飲み込んでいる現状は、まさに現代ポピュリズムの典型的な構造と言えるでしょう。
タモリ氏が2022年末に発した「新しい戦前」という言葉は、当時の社会に大きな衝撃を与えましたが、提供された資料にある高市政権の動向を重ね合わせると、その言葉が持つ「予言的リアリティ」がより鮮明に浮かび上がってきます。
「新しい戦前」とは、かつての戦前(1930年代)をそのまま繰り返すのではなく、現代的な民主主義の手続きを踏みながら、気づかぬうちに「戦争が可能な、あるいは戦争を前提とした社会構造」へと変質していくプロセスを指していると考えられます。
資料に基づき、なぜ「新しい戦前」が現実味を帯びていると言えるのか、その構造を解説します。
戦後の日本(戦後レジーム)は、憲法9条を基盤に「軍事力を極限まで抑制する」という特殊なOSで動いてきました。しかし、高市首相が掲げる政策は、そのOSを根本から入れ替えるものです。
防衛力の抜本的強化と「5類型」撤廃: 武器輸出の解禁や防衛費のGDP比2%超への増額は、日本を「世界の武器体系と軍事バランスの一部」に組み込みます。これは「平和の維持」という抽象的目標から、「軍事力による抑止と均衡」という、戦前を含む近代国家の標準的な(しかし危うい)論理への回帰です。
原子力潜水艦の検討: 資料にある「次世代の動力を活用した潜水艦」は、長期間の潜航と遠方への展開を可能にします。これは専守防衛の枠を超えた「外洋でのプレゼンス」を意識したものであり、地政学的な緊張を前提とした装備です。
戦前への回帰を最も強く想起させるのが、国民の精神や行動を縛る法整備の動きです。
スパイ防止法: 資料でも触れられている通り、1985年の「国家秘密法案」が廃案になったのは、それが「現代版の治安維持法」になり得るとの懸念があったからです。高市首相がこれに「前のめり」であることは、国家の安全を個人の自由(思想・信条の自由)よりも上位に置く価値観への転換を示唆しています。
日本国国章損壊罪: 「国旗を損壊したら処罰する」という発想は、国民に「国家への忠誠」を可視化させる装置です。これは、多様な価値観を認める「戦後民主主義」から、国家という単一のアイデンティティを強制する「戦前的統合」への揺り戻しと言えます。
タモリ氏の言う「新しい」という言葉の肝は、それが「国民の支持(民主的プロセス)」を背景に進んでいる点にあります。
67%の支持率という免罪符: かつての戦前も、軍部の暴走だけでなく、新聞や国民の熱狂がそれを後押ししました。資料にある「高い支持率がすべてを飲み込んでいる」という状況は、システム2(論理的・批判的思考)によるブレーキが効かず、システム1(直感的な期待・不安・愛国心)が政治をドライブしている状態です。
「遠回り」の排除: 丁寧な議論を「遠回り」と切り捨てる姿勢は、独裁への入り口です。戦前も「議会政治の無能」が叫ばれ、迅速な決定を求める世論が強いリーダーシップを待望しました。現在の「突破型政治」は、その現代版と言えるかもしれません。
トランプ氏とのシンクロは、世界全体が「リベラルな国際秩序」を捨て、「自国第一主義と力の論理」に回帰していることを示しています。
「普通の国」の危うさ: 高市首相の言う「普通の国」とは、国際社会が弱肉強食の場であることを前提とした言葉です。これは、戦後日本が理想として掲げた「名誉ある地位を占めたい(憲法前文)」という国際協調主義からの決別であり、19世紀的な「大国間競争」の時代、すなわち「戦前」の論理への合流です。
なんのかんのと言いつつ、もうちょっと答えたいなとか、これは言っておいた方がいいかな? ということが細々とあったので追記しておきます。
もともと文章を書くのが好きで、書いてるだけで楽しくなってしまいついつい長くなってしまう性質なので、興味ある人だけ読んでいただければ。
まず実家暮らしです、子供部屋おじさんってやつですね。で、親と住んでいるので、正直孤独を感じる事は生活のなかであまりありません。「孤独」というのが感覚としてあまりピンときていません。兄や弟が居るのも関係しているかも。これだけでも「孤独耐性」について印象が変わったんじゃないでしょうか?
ちなみに実家暮らしはいいですよ、お金のかかる趣味が無いのもあって、収入が並でも貯金がたまります。おかげでNISA口座にもある程度余裕をもってお金を移せる。
友達はまぁいます。定期的に遊んだり何か食いにいったり、という感じです。あと創作関係の友人もいますね。そっちも飲み会とかたまにあったりします。
友人の中には女性も居るし、仕事の同僚にももちろんいます。そして「恋愛から降りた」おかげか変に意識することなく、同性の友人や同僚と同様に接することができています。
そもそも既婚者も居るし年齢が大分違う人も居るので、「恋愛から降りた」ことが別段関係無い場合も結構ある気もしますが。
(元の増田で「女性と関わろうとしない方がいい」と書きましたが、大袈裟に書きすぎたかもしれません、友人や同僚としては普通に関わっています。その位なら自分の面倒臭い部分を出さずに普通に関わることもできますし)
あと根本的な問題として、数年、いやもしかしたら十年くらい? 女性に対して恋愛感情とか異性として惹かれる、みたいなことはなかったです。人間として友人として創作者としてリスペクトならいくらでもありますが。
中学高校くらいまでは好きになる事は割とあったので、元々そういう感情が薄いとかではないはずですが、大人になるにつれ少なくなっていきましたね。特に意識的に恋愛から降りてからは心当たりが無いです。
あとね! これも重要なことなんですが、創作って時間を食うんですよ。自分は普通に働いてるし、ゲームもしたい、たまに友人と遊ぶ日もある、ここに書いてない別の趣味もある、そんな中で休日に創作の為の時間も確保したいって考えると、正直言って恋愛とかは「時間がもったいない」という感覚もあるというのが正直なところです。
まだまだ描きたいものがいくらでもあるんですよ。形にしたい作品、アイデアがある。でもサボり癖があるもんだから、結構時間を確保しても実際に創作につかえるのはそのうち何割かです。そんななかで、恋愛とか、異性とか、そういうのに割く時間、考えれば考えるほど無いんですよ。
というかそもそも具体的に好きな人も居ないのに、そんなこと考えること自体、馬鹿馬鹿しいと思いませんか。
個人的にはエスパーかメンタリストでもない限り、あの文章からこうした背景を読み取るのはほぼ不可能だろうし、あの文章で何かを分かった気になるのは危ない事だと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20260115115404
それが無理な人も居る、という話です。そして無理なのに頑張ろうとした結果、女性に被害を与えてしまったり、嫌な体験をさせてしまったりする場合もある。(婚活やマッチングアプリで女性が出会ったヤバイ男性のエピソードとか探してみると、暗澹たる気持ちになれますよ……)
それどころか、(自分はたまたまそうなりませんでしたが)出来ないのに恋愛等に執着するあまり、ミソジニーに走ってしまう人も出てきてしまうかもしれない。こんな不幸、止めた方がよくないですか?
あなたの想像する最大限に不細工で最大限にコミュ力のない、そして女性に対する価値観が歪んでしまっている人を想像してみて下さい。
その人があなたのコメントを見て「よぉし! 俺は結婚した方がいいな! 女性と関わろう!」と張り切った結果、どんなことが起こるか想像してみて下さい。
もちろんあなたは「普通の人としての思い遣りをお互いが持っていれば」と書いた、と主張するかもしれませんが、コミュ力の無い人にそれがちゃんと伝わると思いますか?
そんなことにまで責任は持てない、と思うかもしれませんが、だとしたら「コミュ強以外の人」という範囲指定は若干不用意だったかもしれません。そこには、まぁなんというか、(自分も含め)いろんな人が含まれますから……。
リスクを取らない、責任を持ちたくない、そんなのは恋愛に限らず生きること全てにおいて言えることじゃないの?俺は嫌だね。生きることは選択すること、選択した結果に責任を持つことだと思ってる。
これはある程度は共感する部分もあるんですが、自分なら人生のそういう部分は、恋愛ではなく創作などでチャレンジしたいですね。みんながみんな恋愛でそれをやらないといけないですか?
あなたが創作をする人か、しない人か、わかりませんが、もしいまやっていないなら、やってみることをオススメしますよ? やってみるとたのしいし、やりがいがあります。(と、こういう言い方をもし鬱陶しいと感じたら、同じ事を自分もしてしまっていないかどうか考えてみるのも一つの手です)
恋愛以外の事では(仕方なく、の場合も多々ありますが)選択は普通にしてますよ。(あ、でも仕事ではわりとリスク回避的ですね正直、自分の人生において優先度はそこまで高くないので)
これについては、すでにパートナーがいる場合はそれでOKじゃないかな? と思います。(人によっては、現代においてはパートナー間の同意でさえ危ぶんでいる人は居るようですが、自分はそこまで過激な立場ではありません)
一方でパートナーがいない状態からパートナー状態へジャンプする際は、それとはちょっと質の異なる困難さがありそうだな、と思っています。これは片方がそもそもパートナーになりたいと思っていない(もう片方だけがそう思っている)状態に発生しうるハラスメントや加害や不本意な体験等を含みます。
これは元々そういうことを考えていた訳では無く、いま思い付いたことですが、そうしたリスクへのチャレンジをある種の有限な資源と考え、それを意図的に分配する、という考えなんかどうでしょう?
つまり、例えば「恋愛」に関してはリスクを取らない代わり、「人助け」については人よりリスクを取るようにしてみよう、などと考えることです。そうすれば全体のリスクは等量のまま、「人助け」などのより重要な事柄にリスク資源を割けるかもしれません。
といっても自分の場合は、「人助け」等と立派なことは言えず、「創作」にそれを割いてしまう、なんてオチになるかもしれませんが……。
一旦こんな感じでしょうか。また気になったものがあれば追加しておきます。
とりえあずほかに言いたい事があるとすれば、なんというかみんな、恋愛にこだわりすぎじゃないですか?
例えば女性と関わる時、いちいち恋愛の事とか考えるとしたら、ちょっと気持ち悪くないですか? 普通に友人とか同僚として、同性と同じように接すればよくありません?
なんでそんなに「孤独耐性が無い」とか考えたがったり、恋愛させたがったりするのか、へんですよ、普通に。一回思考をリセットして、まっさらな気持ちで自分を客観的に見てみて下さい、へんな事言ってますよ。
なんというか、他人に呪いをかけようとしている様に見えますよ?
別に異性とは友人として普通に関わればいいじゃないですか、「人として接する」ってそういうことじゃないですか?
こんなことを私から言われるのは意外かもしれないですけど、もし意外に感じるとしたら、それは偏った先入観で物事を見てしまっているからですよ。
人はほとんどの場合、自分の想像の中からしか考えることはできないものです。この文にせよあの文にせよ、今これを読んでいるあなたは、文章を素直に読んでいると言うより、自分の経験や想像とそれを照合しながら、ある種の妄想を組み立てている、といった方が正確な場合があります。
あなたは文章を通して私を読んでいるのではなく、文章に反射されたあなた自身のこれまでの経験、想像、その他諸々を読んでいるのかもしれません。あなたはあなた自身の経験や想像から外に出る事は出来ないんです。
だから文章から筆者の事を見透かそうなんて妄想からは離れた方がいいです。で、その妄想から離れれば、別に大したことは書いていませんよ。
ただ私はリスクが大きいし怖いから恋愛から降りるし、女性とは恋愛とか意識せず友人とか普通の関係でいればいいし、恋愛が無くても人生は普通に楽しい。そしてもしミソジニーとかに走る原因になってるんだとしたら、みんなも自分の様に恋愛から降りてみるのはどう? と誘っている。その程度のことしか書いていません。
はい、こういう事なんですね。分かり易いサンプルなんで引用させて頂きます。
この方は「実家暮らし」という結果に対し、「孤独耐性無い」という原因が整合するように見えるから、「孤独耐性無い」→「実家暮らし」という因果を主張している訳です。(あと細かいですが、「孤独耐性無い」→「孤独が好きなら」の飛躍もありますね)
でもある結果と整合する原因が1つとは限らない、という点を多くの人は見逃してしまう。
つまり、「孤独耐性無い」以外の原因から「実家暮らし」という結果が生まれている可能性を見落としてしまうんです。こういうミス、人間はやってしまいがちなんです。
例えば文章を読めば「実家暮らしはいいですよ、~~、収入が並でも貯金がたまります。」と実家暮らしの経済的利益が書いてある。これも「実家暮らし」という結果に整合する原因ですよね。(文中に書いてあっても見落としてしまう、思い込みの怖い所です)
この時点で「孤独耐性無い」こそが「実家暮らし」に整合する唯一の原因である、という命題は否定され、「孤独耐性無い」はあくまで「実家暮らし」の原因かもしれない可能性のひとつに落とされます。
従って「孤独耐性無いって指摘は合ってる」とは言えなくなる訳ですね、あくまで「かもしれない」可能性のひとつであり、そうした単なる可能性を決め付ける事それ自体をハラスメントですよ、と言っている訳です。
重要な事は、ある一つの結果に対し、原因は複数考えられ得る、という事です。そのためある原因が結果に整合するからと言って、その原因が事実であるとは結論できません。
もっと図式的に表現してみましょうか。ある結果Aに対し原因①、原因②、原因③……原因Nが考えられるとき、ある原因①は特権的に正しいとは言えない、という事です。
同じミスは最初の増田の追記で挙げた人も犯してしまっているし、「(みんなもどう?)」と誘っていることから孤独耐性が無いと決めつけてしまった人も犯してしまっています。「ミソジニーを減らしたいから」などの孤独耐性とは別の原因②や③がある可能性を見落としてしまった。
こうした決め付け、可能性の見落としは、この方達が特別苦手とかではなく、人間はそもそもこういうミスをしてしまいがちです。
だから「文章から筆者の事を読み取ろう」なんて手に余る事は最初からやめておいた方がいいんです。あなた方には、人間には、そんなこと出来ないんです。(やりたくなるのはわかりますけどね)
朝起きてどんな反応になってるだろうなー(コメントとか増えてないかもなー)、と思い仕事しながら見てたら、前回より肯定的(?)なコメントが多くてちょっと安心しました。こういうとこ平凡というか普通ですね自分。
とりあえず今回、事前に想像してたよりずっとまだ今の世の中にも恋愛至上主義的な人って多いんだなー(そして多分自覚が無いんだろうなー)と実感しました。(はてなは高齢者が多いから、というのもあるかもしれませんが)
で、自分はたまたま創作という別のよりどころがあったり、遊んだりする友達が居たり、金銭的にも余裕があったり、「文章から筆者の事を読み取るなどフィクション」と分かっているからブレなかったものの、
そうでない人がこれだけのプレッシャーに晒されたら、本来恋愛を諦めた方が平穏に生きられる人でも、恋愛を「求めさせられ」てしまうだろうな、とも。
そうしてその結果間接的に女性にも被害が出たり、ミソジニーに陥る人が出てきてしまっても、この人達はその自覚が無いままこういう事をつづけるんだろうな、とも。
世に蔓延ってしまったミソジニーの何割かは、こうした恋愛至上主義の残留によるプレッシャーのせいだったりするんじゃないかな? と思うなどしました。
ちょっと角度を変えてみましょうか。
たとえば私が女性だったら、同じ様なコメントしてました? 女性が「恋愛から降りた」と言ってもやっぱり「孤独耐性が無い」とか、それでも恋愛や結婚をすすめたり、します?
そもそもその可能性って実はまだ残ってたり。じつは私は女性で、男性にかかる恋愛や結婚に関するプレッシャーの女性との違いを明らかにするために、非モテ男性を演じて書いていたのかもしれませんよ?
そう言われてみると、なんだか女性っぽい価値観が変に混じっていたような気がしてきません?
もちろんただの可能性ですが
この増田を読んでもまだプロファイルがやめられない人が一部居るようですが、では逆にそういう人を自分がプロファイルしてみましょうか?
何故そうまでして私をプロファイルしたいのか、この程度の文章で他人のことなど分からないのに分かった気になりたいのか、どうして「孤独耐性が無い」と思いたいと思ってしまうのか?
それは「恋愛から降りる」という他人の選択があなたの世界観に相容れず、あなたの世界観を壊してしまうから、どうしても否定したくなってしまっているからです。
つまりこれは私の問題というより、あなたの問題が引き起こした結果なんです。
恋愛や結婚を否定されると、自分の人生がどこか否定されたような気がしてしまう(本当は恋愛も結婚も否定されておらず、ただ他人が「降りる」という選択をしただけなのに)、そうした感覚を拭うために「孤独耐性があるならこんなことは書かないはずだ」といううっすい根拠で素人プロファイリングにいつまでもしがみついてしまう。
どうです? 当たって無いでしょう?
何度も言ってる通り、文章からその筆者の人格とか気持ちとか耐性とか、そんな事分かる訳が無いんですよ。上記のプロファイルもテキトーなことをそれっぽく言ってるだけです。
所詮こんなもんなんです。当たりません。文章から書いた人の事が分かるなんてのは、そう思うと気持ちよくなるだけのフィクションなんです。
もし上記のプロファイルが「当たってる」とかドキッとかしてしまったら、普通に詐欺とかに引っ掛からないように気を付けた方がいいですよ、当たってると思う事自体、騙されてるだけですから。
でも、こんな長い文章をこれだけの人が読んでくれたのは、普通に嬉しいです。そういうの、素直に喜んじゃう性質なので。
これが自分の文才ゆえだと思うのはさすがに調子乗り過ぎですね。おそらく文才とかは関係なく、なにかしら人々の琴線に触れる何かにかすってたんでしょうけど、それが何かとか考え出すとそれも結局素人認知プロファイルにしかならないのでやめておきます。
differentialです。
この使い方が良くないのは知ってるが、下品でバカなので良くない方法も使う。しかたがない…
まぁ、私が悪くて下品でバカなのは、誰よりも私が一番よく知っていることなのでしょうがないけれど、私のブコメも悪くて下品な私なりの思いがあってのことなので、それを記します。
頑張ってほしい、と〆た。
元のnoteの方は、楽に今のハイクラスな社会的立場を得ているように書いているが、当然本人の強い意志や努力などがあってのことだと思うので、その強い意志で乗り越えられると思ってそう書いた、まぁこんな場末で描いたところで伝わらないと思うけどね。
意志の強さは、人に努力を継続させ成功させやすくする良い要素ではあるが、その良い要素はスイッチの入り方を間違えると思い込みの強さや独善さなどに現れてしまうことがよくある。にんげんだからね。noteでの文章冒頭3/4ぐらいはその思いの強さと思いこみの激しさで突っ走っている。なので、読んだ私は、(あーマイナスのスイッチ入っちゃった優等生さんなのかなー、大変だよなー頑張れー)と思ったのでそう書いています。
頑張れよとは思うものの、ここから先は自分の体験ベースになってしまうが、親子分離ができないタイプの人っぽく見えたので、危ういなとも思ったのだ。子供が定型発達か非定型か、ということ以前の話。
「親」を、極めて雑に2つに分類すると、「自分の子供は自分の分身である」が前提になっている人と、「自分と子供は遺伝子は近いが別の個体である」が前提になっている人がいる。
そして親が前者(親子非分離)で、子が気質的に親と異なるタイプの場合、結構しんどいことがある。
自分の体験なので下品な私ならではの私怨の強い話になってしまうが、私の母は母子分離ができない母だった。
私の母が母子分離できない人、「娘は自分と同じであるはず」が前提に立つ人だった。逆に父は後者で、母のそういう性質を常に心配してくれていたので、私は父や周りの大人たちの助けもあってまぁ思春期過ぎたら辛くはなくなったんですが、それまでは自分はとにかく「お母さんと違うから私はダメな子なんだなー」とずっと思っていた。
例えばこういう感じ。
(誇れるほど運動神経良くはないが悪くはなかったし、子供の頃も野山を駆け回りたいタイプだったのにピアノを習わされたりしていた。いやピアノも楽しかったけどさ)
(不真面目だし、下品だし笑、しっかりはしていない。父や母の妹にも「あの子はそういうタイプじゃないでしょう?」と言われても聞く耳がない)
(残念ながら下品なだけあって奥手じゃなかったし、結婚した後も働いているし、とてもとても残念だけど子供は出来なかった)
(これを言われたころは高校生。生活指導がほぼ無い緩い学校だったので授業さぼりもペナルティも特にない。進路どうするという話で、頑張れば行けるかもしれない大学を言ったらこう言われた。がんばって家から通える学費も安い国立大に行こうと言ってるのになーと悲しい気持ちになった。悲しいしなんか腹立ったからすごく勉強して大学は無事受かった楽しかったので結果的にはよかった。
母は、一事が万事、娘が、自分が想像する人生(母と同じ人生)を歩いていないと良いにしろ悪いにしろアラートが鳴るようで、想定内のGood News(学年で50番台の成績だった)には喜び、想定外のGood News(学年で3番になった)にはどう喜んでいいのか・・・という顔になる。学年で一桁順位の成績取ってお母さんにドン引きされたのは、今では笑い話だが当時は自己肯定感がゴリゴリ削られたもんだ。
結婚したい相手を紹介した時も不服そうだったし(夫はまだ大学院生だったので)私が結婚後も仕事を続けるのも不服そう。子供が出来ないけど積極的な不妊治療は多分しないよと言った時は娘の私よりも傷ついた顔をしていた(母がとにかくしつこく「子どもはどうするの?」と聞いてきたので答えた)。
母は「私の娘は、私と同じように、学校ではあまり目立たないけど真面目で適齢期になったら見合いで結婚して夫と婿に働いてもらって孫が出来たら毎日娘と孫と一緒に過ごせるわ」と思っていたらしく、それを叶えてくれなかった娘である私に、死ぬ間際までこんなことを言っていた。彼女は死ぬ間際まで、娘がどういう性格で、どういう風に幸福でいるのか、どういう風に幸福になりたいと思っているのかを、想像することがなかったんだと思う。
noteの人が私の母と同じとは思わないが、あの人が想像する「ありえた子供の未来」が親と同じルートばかりだったのが、私の琴線に触れたのだと思う。
だって、定型発達だったとしたって、あの人が何度も検索したような「親と同じ人生を歩める」とは全然限らないし、「親と同じ人生が歩みたいか」どうかも分からない。
母は、私が30代ぐらいまでは「あなたに幸せになってもらいたいから言ってるのよ」と小言を言っていたが、私に子が出来ないと分かったあたりから「あなたは私を幸せにしてくれない」と言うようになった。こちらも大人になって受け流せるようになってはいたが。それと私が何らかの傷がつかないかということは別で、大人になってもまだ自分が母の考える「愛する娘の幸せな人生」に、時にからめとられてしまうことに苦しんでいたんですよね。
母は老いて口が緩まっていたのだろうとも思うが、例えばnoteの人が、仕事やら子供の療育やら日常やらに挟まって疲弊した時に、私の母のように反転する可能性があるかもしれないじゃん。
母が死んで、私は泣いたけれどそれ以上に「これで解放されるなぁ」と思った。今でもたまに苦しくなるが「もう死んでいるんだから」と思って落ち着いたりしている。
ということを言いたかったわけです。
再三言っているように私はたいして質の良くない人間な自覚はあるが、そういう人間の内面にこういうものが入っていることを、私と同じぐらいには直截なあなたにお伝えしたかったのでした。親が自分の固定観念を崩そうともがいているあいだ、子供はずっと自尊心を傷つけられ続ける。
邪悪な私は、noteの人のお子さんがどういうタイプの自閉症状なのかが分からないが、周囲の感覚に鈍い方向であれば幸いかもなぁ…と思う程度には、「私と同じ人生が幸せな人生」を当たり前に信じる母に自尊心を削られ続けてきたのです。
あなたのコメにも★がたくさんついているが、わたしにもそれなりに多くの★が付いている。その程度には、こういうタイプの親がいて子供はそれに削られることがある、ということを、上品なあなたにも知ってほしいと思いました。
こうゆうのてなんだよ、こう「いう」だろ!
みたいな。別に小説家だとか愛書家とかではないけれど、小学校で習うだろ……!みたいな言葉を間違えているのが許せない。
いやさ?いいんだよ別に身内間でやり取りする時はさ。
いくらか前は私ゎ。。。とかあったけどさ。いいんだよこういうの、身内なら。
身内なら。大して仲良くもない他人に使うもんじゃないでしょうよ。
こんなのが中途半端に敬語にまじってたら、背筋が泡立つとしか言いようがない。
何年前だったか最近だったか忘れたが「琴線に触れる」と「逆鱗に触れる」を混同してるみたいな話を聞いたが、5552318797歩譲って言葉の意味を間違えるのはまあ、わかるよ。
……いや、許したくないけど。琴線と逆鱗くらい別れよ、普通に現代でも聞くだろ。
けどテニオハの使い方とかくらいさあ!小学生でも分かるでしょう!?
知的障害とか学習障害とかなら仕方ないねって感じかもだけどね?そういうのは仕方ないけどさ。
今まで観測した人たちがそういう人たちばかりだったのかは、わかんないけどさ。
いやだ〜言語は変化していくものだけど、私の言語も古き良き言葉遣いではないけど、わからん言葉もあるけど、でも好きな言語が崩れていくのは見たくない〜!
そもそもBLソムリエ、BLソムリエ検定とは? モニターとはどんなことをするのか? についてはこちら→https://www.chil-chil.net/blSommelierCert/y/2024/
あと、合格者の方が書かれた実技試験体験談を見つけたので参考までに↓
ちるちる主催 BLソムリエ検定に合格しました。その顛末など…|makiterao https://share.google/YjybP52hU05JBqpzm
※【注】今回からシステム変更があった。そのため、前回までは受験者は顕名というか、BL情報サイトちるちるのプロフィールページとリンクしたハンドルネームがモニター役や他の受験者に見える形式だったんだけど、今回は完全匿名だった。
〜〜〜〜〜
モニターをやるのは今年で3回目。1回目はあまり覚えていないのだがスト重系(ストーリー重視系)の作品を、2回目は某有名漫画の登場人物に似たキャラの出てくる作品をオーダーしたよ。3回目である今回はというと……、
「お姉さんみのあるお兄さん」がメインで登場する作品をおすすめして欲しい!
というオーダーを出したよ。
ここで言う「お姉さんみのあるお兄さん」とは一体どんなキャラなのかというと、喩えて言うならば女優の桃井かおりさんや元女優の桜井幸子さんみたいな、優しそうでアンニュイな感じでどこかエッチな感じがして童貞を即落ちさせる雰囲気をまとうお姉さん(最近のコンテンツで言うならば『チェンソーマン』のマキマさんが近い気がするけどなんか微妙に違う気がする)みたいな感じのお兄さんだよ。でも単に女々しいのとは違って、ちゃんと男で一本筋の通った性格をしているキャラがいいな。
ちなみに「お姉さんみのあるお兄さん」という言葉自体はだいぶ前から見かけたけど、こんな風に定義してるのは私だけかもしれないよ。
なんか漠然としてるから例として分かりやすい様に私の思うさいこうの「お姉さんみのあるお兄さん」の出て来る作品を二つ挙げたよ。
『Badass』(ハジ)
でもってついでに、これまでDom/subユニバースの作品を読んだことがないので読みたいのだが、Domで受けの「お姉さんみのあるお兄さん」が出て来る作品がいいということもお願いしたよ。
私の基本情報は以下の通りだよ。
・依頼レベル
秋山くん
Badass
絵津鼓先生
ハジ先生
・地雷
なろう系
どちらでもない
5〜9年
というオーダーをしたら四人の受験者から合計7冊のBL漫画をおすすめされたよ。でも評価S〜Cの4段階のうちBとCしかつけられなかったよ。受験者にも不幸だけど私的にもプチ不幸だったよ。おすすめほぼ全部買って(1冊はKindleUnlimitedで読めた)一つも気に入るものが無かったばかりか申告した地雷を思い切り踏まれたからだよ。
おすすめされた本のタイトルは書かないけど、スト重系作品が多かったよ。でも私はストーリーを楽しみたいというより「お姉さんみのあるお兄さん」に萌えたかったんだよ、ミスマッチだね……。
・みんなセールストークがあまり上手くないみたい。モニター役はおすすめ作品を自腹で買って読んで評価するので、まず購買意欲を掻き立てられる言葉を求めていると思う。おすすめ本の内容がどんなにいいものかアピるのも大事だけど、モニターの嗜癖のどんな部分に着目して作品をチョイスしたのかをこそ書いて欲しい。モニターが自分の癖を理解されたということへの喜びを感じるような。
・自分のおすすめしたいものより、相手が読みたいものを優先した方がいいんじゃないかなぁ。今回、「お姉さんみのあるお兄さん」という、人によって解釈が様々なキャラクター像を挙げてるけど、こちらにとってそれはどの様なものなのかある程度詳しく説明したので、受験者個人の思う「お姉さんみのあるお兄さん」像を持ち出さないでほしかったなぁー。
・モニターの読書歴に目を通した人とそうでない人がいるみたい。ちゃんと読もうね。好きな作品と好きなBL作家の項目は必ずしも本当の事を書かなくてもいいと私は思っている。ただ嘘も書いていいという訳じゃなくて、自分の中の人生のトップ5を書かなくてもいいということ。
・実技試験は受験者とモニターとでコミュニケーションが全く出来ないという双方にとって不利でしかない方式で行われるから、モニターもなるべく希望に近いおすすめを受験者から引き出す為に手を尽くすんだよね。その手段として、好きな作品と好きな作家をマイフェイバリットというより今回読みたい作風に近いもの縛りで厳選するというわけ。モニターのみんながみんなそうではないと思うけど。
・地雷を踏む時はせめてわざわざ踏む理由を説明して欲しい。説明によっては地雷表現ありでも気分良く読めるかもしれないので。
・「お姉さんみのあるお兄さん」という言葉の構造に期待を持ちすぎたというか。「お姉さんの様なお兄さん」ではなく「お姉さん”み“のあるお兄さん」お姉さんっぽいところがあってもあくまで「お兄さん」であり男なのである。という事で、股間に一物が生えてるだけの女の子は求めていない事は伝わるんじゃないかと思ったら伝わらなかった。ちゃんと見た目性格ともに男っぽさもあるのがいいとか、見た目性格が女々しすぎるキャラは地雷とした方がよかった気がする。
・好きなBL作家に青井秋先生と絵津鼓先生を挙げる事により、このモニターはあまりエロ表現を求めてない人なんだなという印象をつけられるか、それとも線の細い女の子っぽい受けちゃんが癖な人なのかなと思われるのかどっちかなと思ったら、後者だったかな。もっとムキムキマッチョメンを描きがちな作家さんの名前を書けばよかったかもしれない。
・「エロエロ」を地雷に含めるかは最後まで迷ったんだけど含めて正解だったのかなぁ。「お姉さんみのあるお兄さん」という指定を「メスお兄さん」と読み替えられてしまった場合とDomsubというキャッチーな設定だけに注目されてしまった場合、えげつないレベルのどエロ作品ばかりお勧めされてゲロ吐きながら嫌々読む事態になりそうだと思ったので入れたけど、結局ドン引きレベルのエロエロ作品を勧められたのであまり意味なかった気もする。そもそも「お姉さんみのあるお兄さん」の出て来る作品の一例として挙げた『秋山くん』がエロエロ作品なので、なんか倫理観と癖が激しく乖離しているだけの人っぽくなってしまった。
・「お姉さんみのあるお兄さん」の「お姉さん」
を説明するのに「最近のコンテンツだとチェンソーマンのマキマさんかもしれないが違うかも」っていう一文は余計だったと思うけど、後でよくよく考えてつまり裏とか下心があって男を誑かして来るタイプは違うんだなと思った。「お姉さんみのあるお兄さん」の「お姉さん」にはもっと自由で気紛れであってほしく、行動原理が「目的を遂行するため」じゃなくて「ただ何となく」であって欲しいんだ! 胸のつかえが取れたぜ。あー、スッキリした♪
・毎回フィードバックの自由記述に何を書くか悩む。単に読んだ本の感想を書くだけで良いような気がしつつ、毎度種明かし的にどんな観点により読むと決めたのかばかり書くけど、それって要らんこと書いてるだけかなあ?
・複数人からおすすめを2冊くらいずつされたのに一つも琴線に触れるものがないというのは、オーダーをした私自身の手落ちなんだろうなと思う。コミュニケーション0でお勧めをする・されるのは難しい。出せる僅かな情報を上手いこと操作して受験者からいいお勧めを引き出さないとね。