はてなキーワード: 大人になってもとは
飲みの席に同席して思ったこと。
後でこのおばちゃんを介抱することになったことを考えても、全員をシラフで無くそうとする発言は合理的に思えない。
だいたいこちらが酒を飲んでいるかどうか、他人にはあずかり知らぬことではないのか。
つまり私が店の主人と申し合わせて、日本酒をオーダーしたなら、容器は通常通りで中身だけ水にしてもらうとする。
相手に口をつけさせない限り、私が酒と偽って別のものを飲んでいることなどバレようがない。
酔ってなかったとしても、酒に強いと言い訳すれば騙されてしまうはずだ。
大人になっても少しも酒の味が分からないのは恥ずかしいことだと、大人になる前から酒の味見をさせられたものだ。
私はそれで酒に魅力を感じることはなかったが、人によってはそこから漠然と美味しさを感じ、大人になると積極的な飲酒をするようになり「酒の味が分かる」段階までを辿っているのではないか。
酒の味が分からないことは恥ずかしいというのは社会を前提とした観念だ。
そんな社会のために酒の味が分かる人であふれていく。
そんな人たちが多数派になっていくのだから本当にそうでないことが恥ということになってしまう。
酒の味が分かるようになったら健康を害さないように飲酒量を管理することが難しくなるのだから、恥云々を度外視すれば、美味しくも無いと思っている人に対して無理に酒好きにさせるきっかけを与えることに合理性はない。
そう思う人たちが一定数現れれば、酒好きは今ほどの多数派ではなくなり、恥ずかしいことだから酒好きにさせようとするというような悪循環は無くなっていくのではないか。
アルハラだのなんだの言いつつ、実際の現場としては酔って理性がすり減った人たちの口からは「あなたも飲んだら?」というような同調圧力が横行しているのが現実だ。
ちなみに私は健康を害すると思っている状態で飲酒を楽しむことはできないタイプだ。「背徳感」と言って特定の食べ物を食べることに喜びを見出している人たちの気が全く知れないタイプだ。
そんな喉に小骨がつかえたような心理状態で物事が楽しめるのか、と思ってしまう。もっとも彼らにこそそういう感覚が無いのだろうが。
dorawiiより
普段話さない他の部署の人とも喋れたりして、すごくいい雰囲気だった。
俺も酒が進んでしまってその流れで、つい自分語りをした。大学生の頃の話をしたんだよ。
笑い話としてさ、何度かコンビニのゴミ箱を漁ったことがあるんだよねって話したんだ。
当時は冗談じゃなくお金がなくて、少しでも食費を浮かそうと思って廃棄頼りになったことがある。
今となっては完全に笑い話だけど、そういう経験もあったんだって話した。
その場では、みんな「えー!マジで!?」って笑ってたし、そこまで深刻な空気にはならなかった。
俺もネタ話として話したつもりだったんだ。
でも今年に入って、会社の人が陰で俺のことを「羅生門」って呼んでるってことを知ってしまった。
ある日、思い切ってそのあだ名を使っている一人に聞いてみたんだよ。
「あのさ、俺のこと羅生門って呼んでるらしいけど、何それ?」って。
そしたらその人、ちょっと気まずそうにしながら「あぁ…ゴミ箱を漁ってた人ですよね?」って。
あの瞬間、ほんとに心がズンって沈んだ。
いや、確かに言ったよ?笑い話として話したし、別に自分の黒歴史ってわけでもない。
でも、それをこんなふうに陰でネタにされてたのかと思うと一気に気分が悪くなった。
忘年会のとき、みんないい人だなって思ってた自分が馬鹿みたいみたいに思えてきた。
社会人になれば、そういう陰湿なことなんてなくなると思ってたし、誰かを馬鹿にすることで盛り上がるみたいな、そんな幼稚なことはもうしないんだろうって。
だけど、現実は違った。むしろ、大人になっても、いや、大人になったからこそ、もっと陰湿で、もっと狡猾な形で、人を笑いものにするんだなって思い知らされた。
みんな、あの時は笑顔で「すごいね!」とか「そんなことあるんだ!」なんて言ってたけど、裏ではこんなふうに俺のことを笑ってたのか。そう考えると、なんだかもう、全部が嫌になった。
人間って、本当はどす黒いんだな。
俺はそのことを、最近になってようやく思い出したよ。
下記の動画も良かったよ
下記も親子逆でも起こり得るので注意が必要やで
この動画は、「毒親に育てられるとどうなるのか」というテーマについて解説しています。ずんだもんというキャラクターが、自身の経験をもとに、毒親に育てられた人が大人になってから抱える可能性のある問題点について説明しています。
動画によると、毒親とは、子供を否定し、自分の価値観を押し付け、過度に干渉・支配しようとする親のことです。毒親に育てられた子供は、自己肯定感や自信を育むことが難しく、大人になってから様々な困難に直面する傾向があります。
動画では、毒親に育てられた人が抱えがちな問題として、以下の5つのポイントを挙げています。
毒親は自分の価値観を絶対的なものと考え、子供の意見を否定しがちです。
子供の頃から意見を否定され続けると、自己肯定感や自己尊重の念が育まれず、大人になっても自信が持てません。
その結果、自分の意見を言うことに不安を感じ、人前で発言することが苦手になります。
進路選択など、自分で決めたことに対しても自信が持てず、後悔することが多くなります。
毒親育ちの人は、子供の頃から自分の 興味や好みを尊重されずに育ったため、大人になっても趣味や興味を見つけることができません。
自由な時間があっても何をしたらいいかわからず、 自宅で寝たり、 スマホを眺めたりしてしまいます。
何か新しいことを始めようとしても、 興味もやる気も湧かず、何が好きかわからない状態です。
子供の頃、何かしたいと言っても「やめなさい」と言われ、したくないと言っても無理やりやらされた経験から、親の顔色をうかがって選択する習慣が身についてしまっています。
また、親が子供の人間関係にも干渉し、偏った人間関係の中で育ったため、学校生活でも空気を読むことができず、友達を作るのが苦手です。
毒親は、子供を兄弟や他人と比較することが多く、 子供の劣っている点を指摘します。
常に他人と比較されて育った子供は、 他人の目を気にして生きるようになります。
他人からどう思われるかを常に心配するため、 望まないことでもNOと言えなくなってしまいます。
また、他人と自分を比較して劣等感を抱き、生きづらさを感じてしまいます。
毒親は、自分の顔色を見て行動する子供を「素直で良い子」と考えがちですが、子供はただ 自分が耐えれば丸く収まると考え、抵抗することを諦めているだけです。
毒親育ちの人は、親に人生をコントロールされ、 選択のすべてを親に決められて育ちます。
そのため、大人になっても自分の人生を生きている感覚が持てません。
毒親は、子供を使って人生のやり直しゲームを始め、子供の人生をコントロールしようとします。
人生の選択を親に決められてしまうため、子供は内発的な動機を持つことができず、独立して人生を歩むことができません。
その結果、大人になっても自分の人生が他人事のように感じてしまいます。
大人になるまで親と離れても、毒親の影響は一生 続き、人生で困難を抱え続けることになります。
親と物理的に離れて暮らしても、毒親の呪縛から逃れることはできません。
子供は本能的に親に理解してもらいたいと願っているため、いつか親が変わってくれるのではないか、大人になれば理解し合えるのではないかと期待してしまいます。
しかし、毒親は相手の立場に立てない、人の気持ちを理解できないから 毒親であるため、変わることはありません。
彼らに期待し続けることは、 傷を深めるだけです。
親との関係構築に固執せず、他のところに目を向けることが重要です。家族がすべてではありません。
これからは、自分のことを自分で大切にして生きていくことが大切です。
正直、これはわからんでもない。ワイも親や親族のやらかしの穴埋めや借金の肩代わりしたからな
失敗した時の尻拭い誰がすると思ってるんだってヤツ
結論としては、毒親思考そのものであり、穴埋めや借金の肩代わりしないほうが良かった(失敗させた方が良かった)が、そうもできんしな
俺は音楽の授業で晒し者にされた記憶がある。で、大人になってYouTubeとかネットの記事見てそれなりに楽しさが分かったので、いきなり実践させて教えてくれないというのは体育に限らないと思う。
俺の言いたいこととして、公教育でできない子供までフォローするのは不可能なのではないか?
今にして思い起こすと、できない子供のフォローが出来ず、結果として晒し者になるのは体育に限らず、音楽、国語、算数でもよく起こってる。
ネットでこの手の話題で体育ばかり取り上げられるのは書き手のバイアスがかかっていて、国語で晒し者にされるような人は、大人になってもそういう経験を文章にして発表しないのではないか。
選択的だからセーフというより誰も死なないからセーフというべきだと思ってる
子どもが悲しむというが、子どもの心には可塑性があるので問題ない
小学生の時に受けたイジメを大人になっても根に持ってる人がいないように
たとえ、夫婦別姓に傷ついていても程なく慣れる
メタブで、安楽死制度も個人の選択なので選択しない人は気にしなくていい、って話が出ててハッとした。
確かに選択的夫婦別姓と同じだが現にカナダでの安楽死は問題になっている。。。
うーむ、分からん。。。
=追記=================================
先進国では当たり前の選択的夫婦別姓だが、別姓な家庭の子どもは少し不幸になるのか?
しかし既に日本の子どもの不幸率がヤバい、ってのは初めて知ったが・・・それ、まずくないか。。。
子どもが悲しむというが、子どもの心には可塑性があるので問題ない
小学生の時に受けたイジメを大人になっても根に持ってる人がいないように
たとえ、夫婦別姓に傷ついていても程なく慣れる
なんで子どもって「もし○○が△△だったらどうする~?」って有り得ない例え出して面白い答えを求めてくるんだろう。
いや、自分も小さい頃同じような質問した覚えがあるからウゼエって言えないんだけどめちゃくちゃウゼエ。毎回カスみたいな質問してくんな、どんな答えをお求めなんだよ、俺に何してほしいんだよいい加減にしろ、と怒鳴りつけたい気持ちを抑えつつ、質問の答え考えるフリをして子どもの期待にどう応えようか思案している。
いい年こいた大人になってもこういう質問というかクソリプ飛ばしてくるツイッタラー()もいて大変鬱陶しいので早く年相応の振る舞いができるようになってください。疲れる。なんだ寂しいのか?構ってほしいのか?自分の質問に答えてくれた=現実との繋がりを感じて安心できるとかそういうヤツか?大人はAIとやれ。
あまりよろしくない言い方だが自虐なのでお目溢しいただきたい——チー牛でさえ、ある。
だけど、全然男らしくは無いんだよ。
まあ、それは俺による性加害やセクハラのリスクに女性を晒さないためというよりは、誘う勇気がない、に近いが。
しかし結果から見ると、女性にとって安全安心無害な人間のハズだ。
カネも無い。
無いが、男女平等の時代なので女性側が大いに働いていれば釣り合いが取れると思う。
最新の価値観にシンデレラフィットしてるにも関わらず、一向に選ばれる気配のない現状にモヤる。
なので指摘に従ってチェックリストを付けてみた。
この本は、婚活アプリで出会った男女2人の視点で物語が描かれているんだけど。前半の男性目線パートは「ほんとそれな」っていう気持ちで読めて、後半の女性目線パートは「なるほどそういうことなのね」っていう答え合わせみたいな気持ちで読めた。なんで読んだかといえば、私自身、婚活アプリで今の妻と出会い結婚したっていう境遇の近さもあったし、結婚してまだ1年も経たないがうまくいっているとは言えず、私自身苦しく、今後どうしようか悩んでいたからだった(朝井リョウさんの帯書きがそんな私の状況に刺さる言葉だった)。
で、今読了したところなんだけど、圧倒的なリアルさに震えつつ、自分がぼんやり思っていたことを言語化するのに役立たせてもらった感謝、圧倒的感謝の気持ち。多分 "結婚" というワードに違和感をもったり漠然と不安を感じるひとは読むといいと思う。
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私は、私の妻はBPD(境界性パーソナリティ障害)ではないかと疑っていて、妻と私は共依存の関係なのではと思っている。一般的にそれぞれがどんな症状なのかはネットやAIに聞いてみてくれ。までも簡単にいうと、メンヘラとその親代わりなることに自身の価値を見出す人の不健全な関係といえるかも。
で当然ながら、私は自分の境遇をこの本の主人公2人に重ねて読んでいた。
すると、女性主人公である真実と毒親・過干渉な母とは共依存関係で、お互いに自他の感情・問題の境界が曖昧になってしまっているように読めるし、意を決して自立しようと親元を離れて自分自身で結婚相手を探してみても、結局は母の代わりとしての新しい依存先を探しているだけのようにも読める。それに、男性主人公である架くんの友達や第三者には「いい子」を演じてしまうあたりも、BPDにおける見捨てられ不安からくるものだし、そしてその背景には小さい時に母に植え付けられてしまった「いい子でいないと自分には価値がない」っていう生存戦略を大人になっても維持し続けてしまっていることが大きな要因としてあるんだろうなとも推測できる。
それに、ストーカーされているなんていう大嘘をついて男性主人公である架を結婚に踏み切らせる手法は(架の女友達からひどいことを聞いていたとしても)、明らかにBPDのいわゆる試し行為じゃないだろうか。「この子は私がいなくてはだめになってしまう、自分が守らないと」というある種善良な男性の依存心をくすぐるもの。それで結婚しても当然ながら前途多難で健全ではない関係なんじゃないか?と思う。
でも、それにひっかかる架くんも架くんなんだよね。本当に鈍感で女性の心理がまるでわかっていない、傲慢で脳内お花畑なんだろうなと(その言葉はそのまま自分に返ってくるんですけどね...)。本書ではあまり描かれていなかったけど、架の家庭環境ももしかしたら影響していたかもしれない。だって普通自分が70点をつけた相手が、プロポーズした後に失踪して半年以上も連絡がとれない状況になったら諦めない??自分の責任だって感じるのはわかるけど、仕事もないがしろにして探し回る様子は執着しているようにもみえるし、真実の無事と嘘が発覚したあとも式場をキャンセルせずに待ち続けるってどうなの?半年以上会ってないのに、再会してすぐ再プロポーズって実際どうなの?
それに、父親が亡くなってしまったときも、中堅の広告代理店で順調にキャリア積んでいたのをやめてまで父親の会社を継ぐのは、不自然に思える。おそらく母親のことを考えたのかもしれない。母親では父の仕事の代役はできないし、母を悲しませたくないから自分が犠牲になれば...みたいな。そういうところを見ても、人生の大事な選択を他人に任せてしまう、それはそれで真実とは違う角度で、自他の感情・問題の境界が曖昧になっているようにみえた。もちろん、その最たるものは、真実との結婚だけど。
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最後にエピローグとして、主人公たちが結婚する様子が描かれているんだけど。その慧眼に震えた。
エピローグを読まなければ、それは女性主人公である真実が自身の過去を克服して自立する物語になるし、エピローグまで読むと、一見いい話で終わるようにもみえるけど、BPD(の疑いのある)当事者とそのパートナーとの関係と考えると、実は救いのない残酷な物語になるんだよね。
「あぁ、この夫婦はいつまでもこんなことを繰り返すんだろうな。お互いに依存しあって振り回されて、そのたびにそれを乗り越えなきゃいけないんだな...二人とも心と身体持つかな...」
っていう。そういう意味で、エピローグではきれいな情景描写で終わっているけど、こっからがスタートであって、こっからが大変だっていうっていう結婚の大事なところは描かれていない。各自の親との関係性を不安視するところとか、「何考えてるの」のやりとりで、これからの大変さを表現しようとしていたのかな。でも全然足りない。私が感じている結婚の大変さからしたら。本の主題とか区切りとしては、そこまで描かないのはそりゃそうだけど。
なんにしても、自分の物語のように読めて、自分自身を客観視するのにとても役立ったし、妻に対する解像度や想像力が少し養われた気持ち。残酷ではあるけど、現実を突きつける良本だった。
https://anond.hatelabo.jp/20250128094649
この増田が挙げた例に対して、それは少女漫画じゃないという反論が付いてるけれど、大体は少女漫画でいいと思うけどねえ。
例えば集英社の少女漫画雑誌だと昔は読者の対象年齢層が低い順から、りぼん、マーガレット、ぶ~け、とあって
さらに上の年齢層向けにコーラス、その後継としてcocohanaが出来る。
この辺はりぼんでデビューした作家が連載する事が多く、読者層もほぼシームレスに移行。
主人公の年齢が中学生から高校生、高校生から大学生、大学生から社会人と変わるくらいで、内容的にはそこまで劇的には変わらない。
ジャンプの場合は週刊少年ジャンプとヤングジャンプとはそこまで繋がっていなくて、
作家もそんなに被ってないし内容そのものに結構劇的な断絶があるので
読者が大人になっても普通にWJを読んでたりするけれど、少女漫画の場合は年齢層が上の雑誌への移行も含めて少女漫画という一つの文化というか。
ハーレクインのような「いわゆるレディコミ」とは元々位置付けが違うから、矛盾する表現だが大人向け少女漫画という表現が一番しっくり来るんだよね。