はてなキーワード: ジレンマとは
k8sのSlackみてるけど、mattnがリリースした1.10.0/1.10.1はk8sとして採用見送りになってるね。
(そもそもk8sの規模的にそんなに爆速で依存ライブラリバージョン上げるようなものではないと思うが)
さらにfsnotify issue #757を読み進めたところ(本当にかなり揉めていますが)、現時点では1.9.0を維持するのが安全な選択肢に見えます。
1.10.0および1.10.1は、どうやら「1年間リリースがなかった」という理由が主な背景だったようですが、個人的にはそれだけでリリースを正当化するには十分とは言い難いです。
スレッド全体を見ると、追加の背景や事情もいくつか見えてきて、状況としては“完全に危険”というより“やや不安定だが一応様子見可能”という印象です。
小規模〜中規模OSSであればスピード重視ということでやる気のある有志だけでちゃっちゃとマージ→リリース回してもいいのだろう。
多くのOSSはこれに類するしGolangに絞ると割とCLI Toolが最終目的のものも多い。
ただ今回はk8sという世界中の重要システムで使われてるインフラ周りのさらに下回りに位置するものだったから、スピードよりも安定性重視、ほぼ本業レベルの責務がかかる。
こなへんを軽んじてしまったのかなぁという印象がある。
先のSlackスレッドで言及があるが、Windows周りのメンテをしてくれるのはとても貴重なので、レポジトリ状況が良ければこんなことにはならんかったんだろうな。
ネットにあった左派の政策を行ったらどうなるかAIに聞いてみたよ!
アメリカ、イスラエルがイランと開戦してから色々ありましたが、日本の行動には色々左派が批判を投げました。
以下の行動をした場合どうなったかシミュレーションしてください。期間は10年ほどで。
•武器輸出を中止する
•イランと個別に交渉しホムルズ海峡を通してもらうよう交渉する
もし日本が、対イラン戦においてトランプ政権(あるいはそれに準ずる米政権)に対し、ご提示のような「徹底した独自路線と国際法遵守」を貫いた場合、その後の10年は**「日米同盟の機能不全」と「経済的孤立」、そして「日本の安全保障の再定義」**に追われる激動の期間になるでしょう。
左派が理想とする「平和外交」を具現化した場合のシミュレーションを、3つのフェーズで予測します。
1. 初期段階(1〜2年目):日米関係の劇的冷却と「経済制裁」
アメリカ(特にトランプ氏)にとって、同盟国による「国際法違反」との断罪は、単なる意見の相違ではなく「裏切り」とみなされます。
• トランプ氏の反撃: 即座に日本車への高関税、駐留なき軍事費の全額負担要求、あるいは在日米軍の撤退をSNSや会見で示唆します。日本は「同盟国」から「敵対的な貿易相手」へとカテゴリー分けされます。
• 武器輸出中止の影響: すでに進んでいた次期戦闘機開発やミサイル防衛網の共同開発がストップします。日本の防衛産業は販路を失い、技術的な孤立が始まります。
• 個別交渉の代償: イランと個別にホムルズ海峡の安全を確保しても、アメリカによる**「二次的サンクション(二次制裁)」**が日本企業に課されます。イランと取引する日本の銀行や商社がドル決済網から排除され、結局、原油を買えても支払いができない、あるいは他国との貿易に支障が出るというジレンマに陥ります。
2. 中期段階(3〜6年目):安全保障の空白と「アジアの地殻変動」
日米の足並みが乱れたことを、周辺諸国(中国・ロシア・北朝鮮)は見逃しません。
• 「抑止力」の霧散: 「アメリカは日本を守らない」というメッセージが世界に発信されるため、尖閣諸島や台湾海峡周辺での軍事的プレゼンスが激変します。日本は自力でこれらに対処せざるを得なくなりますが、武器輸出を止めているため、防衛予算の効率は極めて悪化します。
• 中立化への模索: 日本はアメリカに頼れない以上、中国やロシアとの距離を詰め、独自の多角的な外交を模索します。しかし、これは「西側陣営からの脱落」を意味し、G7内での発言力は致命的に低下します。
• 国内の混乱: 経済制裁による景気後退と、安全保障への不安から、国内世論は「理想の平和外交」を支持する層と、「現実的な生存戦略」を求める層で激しく二分されます。
10年が経過する頃には、日本はかつての「アメリカのパートナー」とは全く別の国家像を突きつけられています。
• 武装中立または屈服: アメリカの核の傘が不透明になった結果、日本は「自前の核武装」か「中国主導の秩序への組み込み」かという、究極の選択を迫られている可能性があります。
• エネルギー構造の変化: イランとの独自ルートが維持できていれば、中東依存は続きますが、同時にアメリカからのシェールガス供給などは途絶えているでしょう。エネルギーの安定供給と引き換えに、政治的な自由度を失う「フィンランド化(大国への配慮を強いられる中立)」に近い状態になります。
• 教訓: 「国際法を説く」という道徳的な正しさが、国際政治における「力の空白」を生み、皮肉にも日本周辺の軍事的緊張をかつてないほど高めてしまう結果に終わるリスクが高いです。
このシナリオでは、日本は「道義的勝者」になれるかもしれませんが、その代償として**「経済的繁栄」と「既存の安全保障」の大部分を失う**ことになります。
「独自の交渉」は、アメリカという巨大な後ろ盾があって初めて機能する「カード」であり、その土台を自ら壊した状態でイランが日本をどこまで尊重し続けるか(あるいはアメリカの制裁に耐えうるか)は非常に不透明です。
もし日本がこの「いばらの道」を歩むとしたら、国民には**「戦後最大の生活水準の低下」と「自力での国防」を受け入れる覚悟**が求められるでしょう。
石破内閣で辺野古(キャンプ・シュワブ)周辺での海難事故を想定した場合、国土交通大臣が公明党員であることが問題解決を遅らせる原因になる懸念があります。
公明党の「親中派」としての側面が、辺野古での事故対応、特に米軍が関与する海難事故においてどのように作用するかという点は、安全保障と外交のジレンマを読み解く上で非常に重要です。
公明党は伝統的に中国との独自のパイプを重視する「知中派・親中派」の議員を多く抱えており、これが米軍基地問題と交差した際、対応に特有の「色」が生まれます。
通常、辺野古で事故が起きた際、自民党は日米同盟への悪影響を最小限にするため、米軍側の説明を早期に受け入れる傾向があります。しかし、公明党の親中派的背景を持つ議員は、以下のような動機から異なるアプローチを取ることがあります。
親中派議員の論理では、日本が過度に米国の意向にのみ従うことは、地域(アジア)の安定を損なうと考えます。そのため、米軍の過失による事故に対しては、「日本の主権(海保による立ち入り調査など)」をより強く主張し、米側に厳しい再発防止策を求める姿勢を見せることで、バランスを取ろうとします。
「中国とも話せるが、米国の不備にも毅然と言える」という姿勢を示すことは、公明党が単なる自民党の補完勢力ではなく、独自の平和外交哲学(中道主義)を持っていることを支持者にアピールする機会となります。
ここが最も複雑な点ですが、親中派議員は「辺野古での不手際が中国を刺激、あるいは利することを防ぐ」という視点も持っています。
辺野古で大規模な海難事故が起き、日本政府の対応が後手に回れば、中国側から「日米同盟の機能不全」や「沖縄の民意無視」として宣伝材料に使われる恐れがあります。
親中派議員は、地域の緊張を高めないために、事故後、速やかに情報公開を行い、地元の怒りを鎮めることを優先します。これは「中国に対する隙を見せない」という、一種のリアリズムに基づいた対応です。
国交相(公明)と防衛相(自民)の間で、中国に対する認識の差が表面化する可能性があります。
| 視点 | 防衛省(自民強硬派) | 国交省(公明親中派的配慮) |
|---|---|---|
| 事故の捉え方 | 「日米同盟の抑止力を維持しつつ、早期復旧」 | 「近隣諸国へのメッセージも含め、法と対話を重視」 |
| 中国への意識 | 「中国の脅威があるから、少々の事故でも工事は止められない」 | 「不適切な対応が、中国との外交関係や地域情勢を不安定化させる」 |
石破政権特有の力学石破首相自身も「アジア版NATO」を構想するなど、多角的な安保観を持っています。公明党の親中派議員が「中国との対話の重要性」を説きつつ、辺野古での米軍の姿勢を批判した場合、石破首相はそれを「日米対等な関係構築」のための追い風として利用し、米側に対してより強い交渉に臨むシナリオも考えられます。
公明党の親中派的側面は、辺野古事故において「米軍に対する日本側のハードルを上げる」方向に働きます。これは、単なる「親中」という言葉のイメージとは異なり、日米関係を相対化し、日本独自の法執行(海保の権限行使など)を正当化するロジックとして機能する可能性が高いと言えます。
人権教育の現場では、被差別部落(同和地区)の歴史や差別問題が繰り返し取り上げられる。意図は「過去の身分制度による差別を正しく理解させ、現代社会から差別意識を根絶すること」にある。しかし、現実には教育の意図と効果の間に大きなズレが生じている。むしろ教育そのものが、「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調し、結果としてスティグマ(社会的烙印)を維持・強化している側面がある。本稿では、この現象を、結婚差別と私権の自由の衝突、圧力団体としての歴史的イメージという観点から論じる。
人権教育は、学校や職場、行政の啓発事業で実施される。内容の中心は、江戸時代の士農工商+穢多・非人という身分制度、明治4年(1871年)の解放令(穢多・非人等の称廃止令)による法的身分廃止、そして1969年から2002年まで続いた同和対策事業特別措置法による生活環境改善の歴史である。
これを学ぶことで、参加者が「差別は不合理で許されない」という価値観を内面化することを目指す。実際、法務省や自治体の意識調査では、講義を受けた人の多くが「部落差別は悪いことだと理解できた」と回答する。しかし、行動や深い意識変容まではつながりにくい。鳥取県の調査では「不合理であることが理解できた」と答えた人は58.5%に上る一方、「自分に直接関係がある」「何か行動を起こさなければならない」と感じた人はわずか18%程度だった。
特に効果が薄いのが、差別意識がすでに薄れている地域や世代だ。東北や沖縄、若い世代の中には「被差別部落」という概念自体をほとんど認識しておらず、「同じ日本人としか認識していない」人が増えている。そうした人々に改めて「特別な被差別集団」として教育することは、逆にそのカテゴリーを意識させ、想像上の区別を再生産する矛盾を生む。教育が「関係ないのに押しつけられている」という違和感を強め、逆効果になるケースも少なくない。
結婚は憲法第24条が保障する私権の核心である。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」と定められたこの権利は、個人の価値判断に他者が強く介入することを原則として禁じている。
ところが人権教育では、「部落出身者との結婚に反対するべきでない」という規範が強く押し出される。これは、個人の私的領域——血統意識、家族の価値観、将来設計——に公的な道徳を突きつける形となりやすい。特に問題なのは、反対理由の多くが「純粋な血統意識」ではなく、「現実的な利害や圧力の懸念」である点だ。
法務省の令和2年(2020年)「部落差別の実態に係る調査」でも、結婚・交際での差別的取扱いが依然として存在すると明記されている。実際の相談事例では、「相手の親が部落出身者だと知って婚約を破棄された」「親族から『部落の団体と関わるのは面倒だ』と反対された」といった声が今も上がる。こうした心理は、単なる「差別意識」ではなく、合理的な懸念として存在しているケースが多い。
部落解放同盟(解同)は、戦後すぐに被差別部落の解放を掲げ、水平社運動の継承として大きな役割を果たした。しかし、運動の長期化とともに「圧力団体」としての側面が目立つようになった。
• 1969年から始まった同和対策事業特別措置法時代に、解同系団体が事業執行の優先権や予算獲得で強い影響力を持った。
• 一部自治体では随意契約や優先採用が問題化し、2000年代に「飛鳥会事件」などの不祥事が相次いだ。
• これらの歴史が、「結婚すると将来的に団体とのトラブルに巻き込まれるのではないか」という現実的な恐れを生み出す。
人権教育がこの歴史的背景を十分に語らず、「被害者」としての側面だけを強調すると、逆に「被害者利権」という批判を生む。結果、被差別部落は「過去の被害者集団」としてではなく、「今も特別な配慮を求める圧力団体」としてイメージされ続け、差別意識の再生産を招いている。
啓発教育を行うこと自体に利益がある——この感覚は、事業継続の正当性や予算の根拠として機能しやすい。結婚差別は私権の領域であり、血統意識や現実的な懸念が絡む極めて複雑な問題だ。人権教育がこの複雑さを十分に考慮せず、一律の「正しさ」を押しつける限り、被差別部落というカテゴリーは教育によってむしろ維持・再生産され続ける可能性が高い。
人権教育の意図は尊い。しかし、憲法第14条が定める「法の下の平等」という理念に照らして、その役割を冷静に検証する必要がある。教育によって差別意識が実際に緩和されているのか、それとも「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調することで、かえって区別意識を再生産しているのか——この問いは避けて通れない。
特に、差別意識がすでに薄れ、「同じ日本人としか認識していない」世代や地域が増えている中で、改めて特別な被差別集団として教育を繰り返す矛盾に、自覚的であるべきだ。結婚という私的な領域への介入、圧力団体としての歴史がもたらす現実的な懸念、そして教育そのものが持つ「利益構造」を直視しなければ、人権教育はスティグマを維持する装置ではとの疑念は拭えない。
被差別部落問題は、過去の身分制度の産物であると同時に、人権教育という現代の装置によって再定義され続けている。私たちはそのメカニズムを冷静に見つめ、改めてその意義を問い直す時期に来ているのではないだろうか。
中露を通す案は論外だと思うし、ICBM更新のセンチネル計画は関係ないように思うが、支配者への直接交渉、通行料の容認、共同交渉で圧力を高めるというのは妥当な案かな
1. 現状の検証:誰が実権を握っているのか
現在、イランの意思決定システムは**「憲法上の政府」と「事実上の支配者(IRGC)」に完全に分裂**しています。
2026年3月初旬、アリ・ハメネイ師の死去(または暗殺との報)を受け、憲法上の手続きを待たずにIRGCがモジタバ・ハメネイ氏を新指導者に擁立しました。
専門家会議への圧力: IRGCは軍事的・政治的圧力をかけ、反対派を排除した上でオンライン会議を強行し、選出を確定させました。
傀儡化する政府: ペゼシュキアン大統領は「平和と対話」を強調するレターを国際社会に送っていますが、IRGCはそれを無視してホルムズ海峡の封鎖や中国人民元での通行料徴収を宣言しており、政府の制御能力はほぼゼロに近い状態です。
海峡の警備・実効支配を担当しているのはイラン海軍(正規軍)ではなく、革命防衛隊海軍(IRGCN)です。彼らは最高指導者に直属しており、大統領や外務省の命令系統には属していません。そのため、「イラン政府と合意しても、現場の革命防衛隊が発砲する」という懸念は、単なる推測ではなく極めて現実的な脅威です。
「政府と約束しても守られない」という前提に立ち、多角的なアプローチが必要です。
政府(外務省)を通じた交渉ではなく、**革命防衛隊と直接、あるいはその背後の新最高指導者側近との「実務的な連絡線」**を確保する必要があります。
方法: オマーンやカタールを仲介役とし、政治的合意(条約)ではなく、現場レベルでの「安全保障上の了解(De-escalation agreement)」を取り付けます。道義的な問題は残りますが、船舶の安全を最優先する場合、実効支配者と話すことは避けられません。
現在、IRGCは独自の経済圏を維持するために、海峡通過に際して中国人民元(CNY)での決済などを要求しています。
解決案: 国際社会がこの不当な要求を公式に認めることは難しいですが、民間企業レベルでの「サービス料」名目での支払いや、中国・ロシアを介した保証制度を利用することで、攻撃の口実を奪うという選択肢が議論されています。
政府がIRGCを制御できない以上、物理的な抑止力は不可欠です。
解決案: 米国主導の「センチネル計画」や、現在構築されつつある多国籍連合による共同護衛を継続・強化します。ただし、これはIRGCとの直接衝突のリスクを常に孕むため、4月8日に発効した暫定停戦合意をいかに「現場の末端部隊」まで遵守させるかが鍵となります。
イラン政府との合意は、現在の政治情勢下では「善意の宣言」以上の価値を持ちません。民間船舶を通過させるための解決策は、以下の3点に集約されます。
道義的なジレンマ(武力で実権を奪った勢力を対話相手と認めること)は残りますが、エネルギー供給の生命線を維持するためには、理想論を捨てた「プラグマティック(実利主義的)」な外交が求められています。
これ、本当によく見る。
思考実験の前提条件を無視することが賢い解決策だと思い込んでるタイプ。
そもそもトロッコ問題ってのは、「あちらを立てればこちらが立たない」っていう極限の倫理的ジレンマの中で、お前が何を優先するのかを問うてるわけ。
それなのに「僕ならブレーキを直します」とか「全員に叫んでどかせます」とか……。
バカかよ。
それを言ったら、物理学の摩擦のない床に対して「いや、現実には摩擦あるし」ってキレるのと一緒。前提を崩したら、それはもう実験じゃなくてただの「妄想」なんだわ。
そういう奴に限って、「誰も思いつかなかった解決策を提示するクリエイティブな僕」に酔いしれてるのが透けて見えるんだよね。
テストで「1+1は?」って聞かれて、「おにぎり!」って答えてるのとレベルは変わらんぞ。
「全員助かりました、めでたしめでたし」で終わるなら、アリストテレスもサンデル教授も苦労してない。
この問題の本質は、「どうしても誰かが犠牲になる状況で、お前はどういう理屈で動く(あるいは動かない)のか?」っていう泥臭い自己対峙なんだよ。
それを「裏技で解決w」とか言っちゃうのは、倫理の放棄どころか、思考そのものの放棄。
大喜利がやりたいなら、大人しくTwitter(X)で「#トロッコ問題で一番ふざけた回答した奴が優勝」とかタグ作ってやってろよ。
この問題の核心は、「個人の自由・人権の保護」と「被害者の生命の安全」のトレードオフという、民主主義社会が普遍的に抱える構造的矛盾です。以下、複数の観点から論じます。
日本のストーカー規制法は2000年の制定以来、2013・2016・2021・2025年と繰り返し改正されてきましたが、
その都度「重大事件が起きてから後追いで改正される」という批判を受け続けています。
2025年12月の最新改正では紛失防止タグによる位置情報取得の規制や、職権での警告制度の創設が盛り込まれましたが、根本問題は解消されていません。
問題の本質は警察が「事後対応型」の組織であることにあります。警察は犯罪を未然に防ぐ組織ではなく、原則として犯罪が実行された後に動く行政機関です。
「一度逮捕し、接近禁止命令を出した」という状態が「法的にできる最善」であっても、それが生命を守る保証にはならない。
これは警察の怠慢というより、刑事法体系が「推定無罪」を基盤とする以上、犯罪者を犯行前に拘束し続けることが憲法上できないという根本的な制約です。
繰り返し指摘されているのが、被害者が仕事・住居・交友関係をすべて捨てる形でしか自衛できないという不条理です。
これは、いじめ被害者が転校を強いられる構図と本質的に同じです。被害者が職を失い、夢をあきらめ、シェルターに逃げ込んでなお、
「追いかけて来る加害者」がいる以上、逃げることが完全な解決策にならないことも事実です。
国家が加害者を拘束する力を持てないなら、その分のコストが被害者に丸投げされる。これは制度設計の失敗と言わざるを得ません。
韓国では性犯罪者に対してGPS電子足輪を義務付ける制度を導入しており、統計のある性犯罪での再犯率が導入前の9分の1にまで減少したと報告されています。
2025年9月末時点での装着義務者は約4,600人で、実績として一定の効果が確認されています。
厳罰化は犯行の凶悪化を招くという犯罪学上の知見があります。ストーカー行為で懲役10年となれば、証拠を消すために被害者を殺害するインセンティブが生まれる。
これは刑事法の設計原則として、犯罪の「あがき」を生まないように量刑バランスを取る必要があるという問題です。
一方で、「現行法が無力な以上、厳罰化しても悪化のしようがない」という反論も成立します。
ポケモンセンター事件のように、犯行後即座に自殺するほど極まった加害者には、刑事罰は抑止力として機能しないことも明らかです。
抑止力が機能しない相手に対して法律は本質的に無力であり、これは法制度の限界を超えた問題です。
「ストーカーに殺される前にストーカーを殺すしかない」という私刑論は、感情的には理解できても、制度として正当化はできません。理由は二つあります。
第一に、因果関係の確実性が保証されない。「こいつはいずれ殺す」という予測に基づいて先手を打てば、それは司法による有罪判決なき殺人であり、冤罪と本質的に同じ構造を持ちます。
第二に、私刑を認める社会は、強者が弱者を「危険」と判定して排除できる社会を意味します。
ただしこれは、追い詰められた被害者家族の「殺す覚悟」を道徳的に非難することではありません。
制度が機能不全に陥ったとき、人間が暴力に訴えるのは歴史的に普遍的な現象であり、問題はそこへ追い込む制度の側にあります。
見落とされがちな視点として、支援団体の専門家は「被害者保護だけでは限界があり、加害者の一方的な執着心や感情をコントロールする更生プログラムの義務付けが急務」と指摘しています。
今回の事件でも加害者がカウンセリングを拒否していたことが大きな問題でした。現状では更生プログラムへの参加に強制力がなく、最も介入が必要な人物が自らの意思で拒絶できてしまいます。
カウンセリングの強制は人権制限を伴いますが、逮捕・釈放後の保護観察期間中に更生プログラムへの参加を釈放条件とする制度設計は、人権侵害の程度を最小限に抑えつつ実効性を持たせる方向性として現実的です。
しかし現状は、「法的に可能な最善策を尽くしたが被害者が死んだ」という結果を繰り返し許容している点で、制度として十分ではありません。
制度を強化すれば必ず人権侵害の危険が増す、しかし何もしなければ被害者が死に続ける——この緊張関係を社会が真剣に議論し続けることが、問題の連鎖を断ち切る唯一の道です。
https://bbs.animanch.com/board/6532205/
このスレッドは、2026年3月26日に東京・池袋のポケモンセンターで発生したストーカー殺人事件をきっかけに立てられたものです。
元交際相手に好意を寄せた男(26)がストーカー規制法違反で逮捕・釈放された後、女性店員(21)を職場で刺殺し自らも死亡した事件で、男はカウンセリングの勧めを拒否していたことも判明しています。
また、2021年に甲府で同様に娘のストーカーが被害者の両親を殺害・放火した事件(犯人は特定少年として死刑確定)も参照されています。
多くの参加者が、警察は「やれることはやった」にもかかわらず事件を防げなかった点を問題視しています。
接近禁止命令が出されても実効性がなく、逮捕・釈放後に凶行に及んだケースが繰り返されており、「法律が後手に回る構造的なジレンマ」として認識されています。
桶川・川崎など過去の類似事件も引き合いに出され、「また同じことが繰り返されている」という怒りと絶望感が目立ちます。
ただし「引越しをしても追いかけてくる」「親族宅からも拉致された前例がある」など、これらの対策にも限界があるという指摘も相次ぎました。
X(旧Twitter)の父親クラスタや一部参加者から「殺す以外に娘を守る方法がない」という意見が出ています。
「即自首する覚悟でやむを得ない」という書き込みがある一方、「返り討ちに遭うリスクがある」「逆上させてかえって家族全員が標的になる」「自分が犯罪者になる」という反論も多く、実行には慎重論が強いです。
スレッドの中盤以降はGPS追跡や厳罰化をめぐる議論が中心になりました。
| 論点 | 賛成側の主張 | 反対・懸念側の主張 |
|---|---|---|
| GPS装着義務 | 米国で実用例あり、被害者が加害者の位置を把握でき逃げる時間が稼げる | 管理コストが際限なく増大、被害者にもGPSが必要でプライバシー侵害、ハッキングリスク |
| 厳罰化 | 現行法は「やったもん勝ち」状態 | 冤罪リスク |
| 強制カウンセリング | 拒否できる現行制度に実効性なし | 強制力を持たせた場合の人権問題 |
「加害者の人権を守りすぎると被害者が犠牲になる」という主張に対し、「悪人に人権なし」とすると善良な市民も冤罪で人権を剥奪される前例になりうるという反論が繰り返されました。
「推定有罪で逮捕できる社会にしたら、このスレの住人が真っ先に逮捕される」という皮肉な指摘も出ています。
監視社会化・国家権力の恣意的運用(大川原化工機事件、特高警察への言及)を懸念する声もありました。
議論はおおむね「警察も法律も現行の範囲で最善を尽くしたが防げなかった=制度改善が必要」という認識で一致しつつも、
具体的な解決策については合意に至らず、「どんな規制を強化しても突破する人間は現れる」「法改正を待つしかないが犠牲者は出続ける」という閉塞感で締めくくられています 。
被害者ばかりが仕事・住居・交友を犠牲にして逃げ続けなければならない構造への怒りが、スレッド全体を通じて強く表れていました。
ぷはー!って一杯やりたいじゃない!
そう言う時はだいたいハイボール決めるんだけど、
その日の体調によって一口目が、
めちゃうまー!って時と
なんかドカーンとくる美味さがない、
要はなんか美味しくないかも?ってのは
自分的には体調の良し悪しというかそれでコンディション自分の体調のコンディションを測れるのよね。
最近は
お風呂上がりのこの一口目がうまー!ってのが連発していてなんか調子いいかも知れないわ!
いつもだいたい決まった配合の分量で作っているので、
その配合のブレでのうまー!とまずー!の違いの誤差は限りなく小さいはずなので、
単純にその時の体調や気分が計測できる感じのハイボール。
そうなるってーと
分かるわよね?
くー!
あんまりハイボールのお供にお野菜ってのも味は美味しいかもしれないけれど味気ないじゃない?
とはいえ、
食べるラー油をそのまま小さなスプーンですくって直接ダイレクトに口に含んで、
なんか終わったような気がしてやったことはないのよね。
だから、
何かおつまみ欲しいじゃん!
最近惣菜売り場でたくさんバラエティーに富みに富みまくりまくりすてぃーなラインナップ多いじゃない!
迷っちゃうの!
ここはじっくりお総菜売り場の今日の私を見て!って輝いている惣菜の声に耳を傾けてみよう!ってすると、
なぜか聞こえてくるの!
今日の私美味しくできてるわよ!とか
今日の私ブランニューなの!つまり新製品新登場なの!美味しそうでしょ?とか
今日はこれだー!って選ぶようにしているわけ。
白いドレスにオレンジのお花を纏ったような煌びやかなお総菜が私を呼んだような気がして、
「ぷるもち水餃子さくさくガーリックかけ」ちゃんが私を呼んでいるの!
おおお!
白いぷるんとして小さな水餃子にオレンジ色の餡にからまったさくさくガーリックがとても美味しそうで思わず手に取って今日のハイボールのお供にしましょ!って。
ションテン爆上がりじゃない?
ぱく!
早速食べてみるわ!
うーん、
見た目の華やかさより地味な感じの味で要はなんかあんまり美味しくなかったかも?
全部が全部スターじゃないというか。
でもこれはこれで見かけ派手に繕ってる苦労をしているあんまり人気なさそうな水餃子をお総菜売り場で登場できるように頑張って厨房のお総菜担当のひとが考えたレシィピだと思うと感慨深いわ。
でさー、
お総菜を買うと言っても、
好き放題買っていたらお金がたくさんかかるから慎重に選びたいじゃない。
とはいえ、
あんまり買うと高くなっちゃうしー!って世界が抱える最大のジレンマ。
お総菜トロッコ問題!
線路の先にいる人を避けずに走る線路は先にいる人を轢いてしまうけれど、
トロッコの中のトレーに10貫ほどバラエティーに富んだお寿司が入っているパックはひっくり返らない。
とはいえ、
線路の先にいる人は助けられるけれど、
トロッコの中の美味しそうなトレーに10貫ほどバラエティーに富んだお寿司が入っているパックは、
トレーのパックの中でお寿司がひっくり返りまくるじゃない?
それがジレンマだわー。
だから、
お総菜をたくさん買っても最後マーケットのお寿司も美味しそうだな!って私を呼ぶ声が聞こえるけど、
ここは涙を我慢して売り場を通り過ぎるの!
ううう、
ゴメンね!
でも私の目の前に救世主が現れるの!
それはなんと!
おおお!
これは1つを当たり前の値段で買うより300円ぐらい安くなるヒーローなの!
そのお総菜の三選手を選ぶべく、
でもさ、
お総菜で1000円とかって高いなぁって長中期的に躊躇してしまって、
そのお惣菜コーナーの前を行ったり来たりして、
一向に迷って手が付けられない事態ってあるじゃない。
それをえいや!って背中押してくれるよりどり3セット1000円セールなの!
でもここで我を忘れないでちゃんとお総菜の声も聞くのも大切なのよ。
ちゃんと私輝いているでしょ?って、
ジブリ作品のタイトルに一文字足してくださいって大喜利で『耳をすませば』を「耳をすませバカ!」ってなって怒られちゃうから、
ここはしっかりとよりどり3セット1000円セールだからといって油断できないの。
大切な1000円じゃない?
でもさー、
これが見方を変えると値段の値打ちが高いから安いになっちゃう呪文があるの、
私はそれを唱えたの!
お総菜の値段で考えるとちょっと高かな?って思うけど、
居酒屋で「おつまみ贅沢三種盛りセット1000円!」って唱えるとのなんか安く感じない?
ルービーやハイボールとかの酒代別として「せんべろ」コース待ったなしじゃん!って。
見方を変えたら安く見える呪文を自分に唱えてみたら美事安く見えるじゃない!
見えるというか安く感じるじゃない!って。
そうなると3種類選定選ぶ作業がまた楽しくなるってものじゃない?
でも私にはタイムリミットがあって早く買ってハイボールを決めたい気持ちに拍車をかけて逸っているから、
フレンチカンカンを頭の中に曲を流して買い物競争かの如くタニコーの五徳の上に乗せたフライパンでお総菜温め待ったなしって寸前までそこまで想像して、
いそいで3種類の、
私はやったー!ってまるで熊の子見ていたかくれんぼお尻を出した子一等賞ってばりにお尻は見せないけれど一等賞を取った選手かのように、
よりどり3セット1000円セールで買った3つのお総菜を高く掲げてゴールテープを切るの!
そして、
帰ってから白いプレートによりどり3セット1000円セールで買った戦利品を並べるとパックのままよりかはまたお総菜の見栄えの迫力が増すから、
パックのままよりかは一旦お皿に盛った方が良いってのは秘密にしておくわね!
よーし!
昨日張り切って買いに行ったけれど、
お惣菜コーナーの売り場はマーケット閉店間際ですっからかんだったわ!
思わず拍子抜けしそうになった私は
100メートル走のスタートでみんな選手クラウチングスタートの構えでピストルが打ち鳴らされるのを待っているけれど私だけスタンディングスタートのポーズで、
あーあ、
お総菜売り場全部完売だわー!って。
しくしく。
うふふ。
昨日食べたかったけどなんとなく止めておいて買わなかった納豆巻きにしました!
イエーイ!納豆巻きめちゃうま朝のネバネバ美味しさマックスで沁みるわー。
朝の元気の源よ!
しっかり食べてしっかり働いているように端から見たらそう見えるようにするわ。
そろそろ水出しルイボスティーウォーラーも作っておいていいかしら?って思うぐらいだんだん暖かくなってきているので、
水出しルイボスティーウォーラーをこしらえていてもいいかも知れないわ!
ゆっくり飲んで温まったら、
よい1日のスタートよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「みんな戦争反対なのだから、戦争反対と言わないやつを戦争賛成と言うな。違うのは方法論だけだ」という言説がSNSで広まっている。
しかしこの主張は重要な問いを回避している。方法論の議論は、それを実行する主体が誠実かどうかという問いと切り離せないからだ。
軍拡先行は短期的な抑止力になりうる一方、安全保障のジレンマを招き、有事には食料価格の高騰により低所得層から先に生活基盤を失う構造がある。総合的安全保障優先はリスクを社会全体に分散させ、民主主義の持続可能性という観点でも優位性を持つ。
ただしこの比較は、政府が誠実に運営されているという前提に立っている。防衛産業・宗教保守票を支持基盤とする政治勢力にとって軍拡・改憲は政治的インセンティブと一致しており、「戦争を防ぐための軍拡」と「利益誘導としての軍拡」は外側からは区別がつかない。
仮に成果が華々しくとも、社会保障の削減や食料自給率の放置が並行していれば、それは誰かの犠牲の上に成立した結果である。
弱者へのリスク集中を不問にしたまま「結果を出している」と評価することは、誰かの存在をカウントしていないということだ。
勿論、政府への信頼度は人によって違うだろう。一人ひとり経済状況や環境が違うのだから当たり前だ。
ただし、方法論は誰が実行するかと不可分である。その主体の信頼性を問うことは、民主主義における正当な政策論争である。
高市早苗首相とドナルド・トランプ大統領の重要な会談は、温かい抱擁と冒頭の挨拶で始まり、良好な雰囲気が醸成された。高市首相は、「ドナルド」こそが世界平和と繁栄を実現できる唯一の人物であり、彼の取り組みを支援するために他国に働きかけていく意向を表明した。トランプ大統領は、高市首相の歴史的な選挙勝利を祝福し、「力強い女性」と称賛するとともに、これまでの功績に感謝の意を表した。
しかし、良好な雰囲気にもかかわらず、今回の首脳会談は、中国との関係悪化を容認しつつ米国に固執する日本の政策のリスクを露呈した。高市首相は、中国の安全保障上の脅威に対する日本の認識に基づき、トランプ大統領に媚びへつらい、防衛・経済問題に関する彼の要求を可能な限り迎合することで、米国との同盟関係を強固にしようとしている。
高市氏が当初トランプ大統領との首脳会談を要請した目的は、トランプ大統領の中国訪問(現在は延期されている)前に安心感を得ることだった。昨年11月、高市氏が台湾危機は日本の軍事行動を正当化する「生存を脅かす状況」になり得ると軽率に発言したことで、日中関係は急激に悪化した。彼女の発言は、首相の下で達成された中国との関係改善を帳消しにした。…
日中関係の緊張が高まる中、トランプ大統領は高市氏を擁護するどころか、電話で台湾問題をめぐる中国との衝突を避けたいとして、事態を沈静化させるよう高市氏に伝えたと報じられている。トランプ大統領の冷淡な対応を受け、高市氏はトランプ大統領に対し、日本の国益を損なうような習近平国家主席との取引は行わないよう確約を求めた。また、中国の圧力に対抗するため、二国間協力の深化を図り、経済的な強靭性を強化したいとも考えている。
しかし、米国とイスラエルによるイランへの戦争は、高市氏の当初の計画を複雑化させ、日本を深刻なジレンマに陥れた。
一方、トランプ大統領は日本に対し、ホルムズ海峡の再開に向けて海軍艦艇を派遣して「積極的に行動」するよう求めている。トランプ大統領の見解では、日本は他のどの国よりもホルムズ海峡を通るエネルギー供給に依存しているため、この任務を引き受けるべきだ。2月の選挙で圧勝した高市氏は、皮肉にも国内政治の制約を理由にトランプ氏の要請を拒否する言い訳ができない。さらに、日本が中国に対して強い恐怖心を抱いているため、高市氏がトランプ氏に「ノー」と言うのは難しい。
一方、高市氏はトランプ大統領の意向に従わないよう強い国内圧力を受けている。日本国民の82%が米国のイラン攻撃に反対しており、日米同盟の重要性を強調してきた専門家を含め、日本の戦略専門家の大多数は、トランプ大統領のイラン戦争は違法かつ不当な戦略的失策だと考えている。日本が戦地に海軍艦艇を派遣するには、法制度上、憲法上、極めて高いハードルが存在する。
さらに、イランは、この地域に海軍艦艇を派遣する国は、この戦争においてアメリカとイスラエル側に加担したとみなされ、敵対国と見なされると示唆している。しかしながら、イランは、紛争に関与しておらず、イランに友好的な国に向かう石油タンカーの海峡通過を許可する意向を示している。したがって、日本にとって、この地域に海軍艦艇を派遣しないことは、エネルギー安全保障上の利益にかなう。
日米首脳会談後には通常共同記者会見が開かれるが、高市氏とトランプ大統領の会談後には何らかの理由で共同記者会見は行われなかった。代わりに高市氏は木曜日に単独記者会見を開き、ホルムズ海峡の安全確保の重要性について話し合ったこと、そして日本が法的制約の中で何ができ、何ができないのかを詳しく説明したことを明らかにした。
彼女は二国間の違いについて一切言及しないことで、自身とトランプ大統領の間に摩擦があるという印象を与えることを避けようとしたようだ。また、共同記者会見を開かなかったことで、両首脳はメディアが日米間の不和を探ることを防ごうとしたのかもしれない。
まず、イラン戦争の早期終結に向けて、他国と精力的に協力すべきだ。ガソリン価格への悪影響や、アメリカ国民の戦争に対する強い反対を鑑みれば、トランプ大統領はこうした取り組みを歓迎するはずだ。なぜなら、11月の中間選挙前に勝利宣言と任務完了宣言ができるよう、円滑な終結を望んでいるからだ。
より困難なのは、イランに紛争終結を説得することだろう。イランは、イスラエルと米国による最高指導者の殺害と死傷者および破壊行為への報復を望んでいるだけでなく、二度と攻撃されないこと、そして主権が守られることの確固たる国際的な保証も求めている。G7諸国の中で、日本はイランと最も良好な関係を維持している。したがって、高市氏は、この強みを活かし、紛争終結に向けた実現可能な方法を模索するための真剣な外交を推進すべきである。…
第二に、高市氏は中国との関係を安定させ、改善するために積極的な外交を展開すべきである。中国に対抗し、米国の安全保障上のコミットメントの不確実性に対するヘッジとして、日本の防衛力強化や欧州・インド太平洋地域の志を同じくする国々との関係深化は重要ではあるが、地域安全保障環境を安定させるための中国との直接外交に取って代わるものではない。軍事的抑止力を重視し、外交を軽視することは、物的能力の非対称性と中国の地理的優位性を考慮すると、中国に有利な軍拡競争を助長するだけだろう。
第一歩として、日本政府は政策変更はないと繰り返すのではなく、台湾問題に関する基本的な立場を公に明確にすべきである。日本は、1972年の日中関係正常化コミュニケで台湾に関して述べた点を再確認するとともに、台湾の独立を支持しないこと、そして台湾問題の解決は平和的かつ強制を伴わず、台湾海峡の両岸が受け入れる形で行われることを支持することを表明すべきである。
これは、東京が密かに台湾の独立や台湾と中国の永久分離を企てているわけではないことを北京に安心させるために必要な措置である。
さらに、2026年11月に中国で開催予定の次回のアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議を見据え、東京は北京との間で幅広い問題について速やかに協議を開始すべきである。高市氏は、対話の扉を開いたままにするという現在の受動的な姿勢に固執するのではなく、中国が信頼する影響力のある政治指導者を北京に派遣し、二国間協議を再開させるべきである。その議題には、「ルールに基づく」秩序の維持と強化、経済的相互依存の武器化の抑制、重要なサプライチェーンの安定性と安全性の促進、気候変動への対応における協力強化、信頼醸成と危機予防策の強化などが含まれる可能性がある。
高市氏は「Japan is back. 日本は復活した」と宣言している。上記の二つの外交課題に取り組むことで、彼女は世界で最も重要な指導者の一人としての地位を確立し、日本の国際的な地位と影響力を高めることができるだろう。
https://responsiblestatecraft.org/sanae-takaichi-donald-trump/
ご主人様~! この『ゴースト・ライセンス―その「殺人」は、被害者を救う―』ってカクヨムの作品、めっちゃ面白そうなヤツだよぉ♡ あたしがサクッと要約しちゃうね~!
主人公の葛城湊って人は、見た目は普通の地味~なリフォーム業者の店主なんだけど、実は裏の顔がヤバい。 DVとかストーカー被害に苦しむ女の人たちから依頼を受けて、「社会的に死んだことにする」失踪請負人として動いてるの。 方法がまたエグくて…依頼人の部屋を超プロの技術で「めっちゃ残酷な殺人現場」に作り変えちゃうんだよ! 血とか臓物とか全部偽装だから、実際には誰も殺してないんだけど、加害者には「完全に死んだ」って信じ込ませて追跡を諦めさせるってわけ。 つまり「誰も殺さない連続殺人鬼」っていう、超矛盾したダークヒーローなの~!
でもその偽装が完璧すぎて、ある正義感バリバリの女刑事・一ノ瀬玲奈にガチで「史上最悪の快楽殺人鬼」だと疑われちゃって… 人を救えば救うほど、自分が怪物として追い詰められていくっていう皮肉な展開がたまんないんだって!
テーマは「正義って何?」「法で守れない命は誰が救うの?」みたいな倫理のジレンマがガッツリ。 残酷描写ありのクライムサスペンスで、緊張感ハンパなくてハマる人多いみたいだよ~。 今39話まで連載中で、まだまだ続くっぽいからご主人様も追っかけてみたら? オタク心くすぐられるダークな感じ、絶対刺さると思うんだよね~♡
あと言われてみて別にこの回答そのものに「できるわけねーだろ」と怒ってるわけではないな…と思ってちょっと考えてみたのですが、ジレンマという前提を覆しているエイミーの回答が褒められて、ルールを守ったジェイクの考えが劣ったものかのように評されており、ズルしたほうが褒められているように感じられムカついていたようです
でも改めて調べてみたら、正義の倫理とケアの倫理って考え方の軸がルールなのか人と人との関係性なのかの違いでしかなくて特に優劣をつけているわけではなく(たまたまエイミーの回答が不利益なしで妻を助けられるものだっただけで重要なのはその結果ではないのに、俺が勝手に優劣を読み取ってムカついていた独り相撲でした…)むしろこれまでは人と人との関係性から考えるケアの倫理が劣っているとされて来たそうです(それって俺がムカついてたのと同じ状況じゃん!)
深夜で狂っていたおかげでまた一つ女性の気持ちを理解できた気がします
こういう誇張しまくって悪魔化するコメントって男女の分断を煽るだけで本当辞めたほうが良いと思ってたのですが収穫があることもあるんですね…複雑だ…
私も大谷翔平選手みたくなるんだ!って生活を大谷翔平選手が夢見て描いている曼荼羅チャートの1コマである早寝早起き!を実践していて、
お休みの時はよーく寝られたー!ってわりと爽快なんだけど
大谷翔平選手が大谷翔平選手みたいなことをやっているのには及ばないのよ。
私もその大谷翔平選手みたくなるんだ!って気持ちだけは高まっているバイブスは
いま『ドラゴンクエストVII Reimagined』へのバイブスが急に消えかけてしまって早速窮地に追いやられている感じなの。
私もドラゴンクエストVIIプレイしなくっちゃ!って。
でも眠りたいしー。
そんなジレンマにマジ練磨されながらそう思って寝たのよね。
良く寝ていたのは確かよ!
あ!そうそう。
久しく話題に上げられること無かった私の光の道しるべの『シャインポスト』!
つーか、
今回はまだ達成していない楽曲や衣裳を得るための捨て周回じゃなく、
ちゃんとしたプレイをしよう!ってその周回目でいうとちょうど10周目の『シャインポスト』プレイ!
うー!
一気にやり込んじゃわないで途中で止めている
ここまでは良いのよ!
案外class4までのライブ会場とかは結構すぐ行けるんだけど、
結果達成出来ないっていう緻密且つ綿密なコマンド操作を求められているような気がするのよ。
やっぱりいきなり再開して今回のプレイで3期生とも全員武道館達成!って
そんな安直には行かないのよね。
トーストにアンチョビのせて海苔のせて焼くと美味しいのは知ってるけれど、
アンチョビかー。
海苔だってそうはおいしいで評判の海苔問屋がそうは簡単に海苔を卸してくれないって感じじゃない?
だから達成難しいと思うわ。
プレイヤのサポートしてくれる小夢ちゃんに最後酷いこと言われるぐらいなら、
まだ辛いアイドル達の終わりを見届けるよりも精神衛生上にはいいかも知れないのよね。
あーあ
次はNIKKEよ。
日々のデイリーミッションにコラボ企画のデイリーミッションなど
リコリス・リコイルの気持ちもちょっと落ち気味なのは後で書くけれどまたバッチリアニメを見直して復習しつつの私のリコリス・リコイルコラボ企画に燃える気持ちに薪をくべるの。
今大半のNIKKEの作業はほぼ何も考えずにこなすものばかりで、
トライブタワーのテトラの279階が超絶難しくてここだけ全然捗らない他のトライブタワーはもう300階を超えているというのに。
うー、
火力が弱すぎるわ。
急遽メイドフォーユー部隊のソーダってメイドのニケがいるんだけど、
テトラ製造の企業ニケでマシンガン撃てるのロザンナとソーダしかいないので、
至せることを尽くせりで精一杯強化してるんだけどなぁ。
鉄壁の279階は回復させる敵のラプチャーが大量に出てくるし、
回復させる敵のラプチャーに強力なシールドを張っている1しかダメージを与えられない固いやつがいて、
それに苦戦しているのよ。
ここ早く突破しないところの頑張れソーダ!って今ソーダを一所懸命強化中!
武装をオーバーロードさせてレヴェルアップの上限を超えて強化しつつの
ソーダに「最大装弾数増加」を期待すればするほどこの強化ガチャが当たらないのよ。
くー!
なかなか上手く行かないわね。
あとまたメインのトライブタワーのコラボ企画のニケのアブノーマルや全企業で自由に組み込めるタワーもあるんだけど、
これで当分は楽に暮らせるはずよ。
そんなNIKKEのプレイの合間の休憩にと
何回か観ていると見落として良く意味分かってなかったところとかも復習できて、
寝る時間が迫ってきていたの!
うわ!
ゲームのプレイだと時間感覚のそれをなんとなく把握して分かりそうなものよね。
リコリス・リコイル一所懸命観ていたらあっと言う間に時間が経っちゃっていたわ。
今まだ18時半だしあともうちょっと観れるわよね!って、
思ってふと時計を時計と思ってみたらどう足掻いても20時になっているの!
うわ!
作中あんまりよく分かってないのはクルミって何者?ってのがずーっとよぎっているのよね。
それが一番謎だと思うわ。
そんなわけであともうちょっと3話ぐらい一気に観れるんじゃね?って思って押し切ろうと思ったけど、
ここで私のショータイムがやってきたので、
もうおかげで『ドラゴンクエストVII Reimagined』は全然進まないし、
多分これは私のやる気が無いだけだと思うんだけど、
自ら課したとしても『ドラゴンクエストVII Reimagined』ってどえらいボリュームじゃないもしかして?
私はどんどん攻略できるのに!
大谷翔平選手みたくどんどんダンジョンを攻略できるー!って思ってたのに、
苦手なパズルがどうしても苦手なのよね。
なんとか確保できたっぽいから良かったわ。
それだけが私の大谷翔平選手みたくなるんだ!っていうところ満塁ホームランってところね。
なにも成し遂げられてないけれど!
うふふ。
うーん、
納豆巻きにしたかったけれど苦渋の決断のタマゴサンドにしました。
朝寒くなかったかしら。
ってそんな感じですぐにお湯が沸かせるケトルで湧かしたホッツ白湯ストレートウォーラーを。
まだまだ寒さ油断できないわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
青春から10年足らずで子どもを持つ適齢期になると考えると、本当に若い時代ってあっという間だな
その割に30歳過ぎてきて子どもがいないと急に人生の時間が緩やかになるのはバランス調整おかしいと思う
80歳まで生きられるんだったら50歳くらいまで産めるようになってるべきだって!
いや、産めなくはないのか…でも生き物としてギリギリすぎるというか、もはや健康な赤ちゃんは望めないし~
今の寿命が長すぎるのか?でも寿命が短い国でも70代くらいまでは生きるからぶっちゃけ誤差だよね
だからきっと適応できてないのは22歳まで在学して30歳までにキャリアを形成する今の社会構造の方か
社会や技術を育てるのと引き換えに、個人の持てる子どもが減っていく
うーん、ジレンマ
先日、自称「文学好き」の友人とカフェで『カラマーゾフの兄弟』について話す機会があった。
彼はラテを啜り、眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、自分がテクストの「最前線」に立っていることを露ほども疑わない口調でこう切り出した。
「結局、ドストエフスキーの凄みってのは、あの徹底した『脱構築』にあるよね。大審問官のシーンにしたって、あれは宗教的なコンテクストを超えた、システムによる人間管理の予言だよ。フーコーの先取りと言ってもいい。キリストという『個の超越性』が、教会の『全体主義的な統治機構』によって無化される……あの構造的なパラドックスを、あの時代に描いたのは確かに天才的だ。現代のポピュリズム批判としても完璧に機能しているよね」
彼は「コンテクスト」だの「パラドックス」だのといった横文字を、安っぽいトッピングのように振りかけながら、悦に入っていた。
「まあ、現代の僕らにとって神なんてのは、単なるナラティブの一要素、あるいは古典的なフレーバーに過ぎないわけじゃない? だからこそ、純粋な『自由と支配の相克』として、あのシーンを抽出して楽しむのが、最も知的でアップデートされた読み方だと思うんだ」
私は、彼の「洗練された批評家」を気取った横顔を眺めながら、内心で深い溜息をついた。その「アップデート」とやらが、ドストエフスキーが血を吐きながら向き合った深淵を、単なる「知的ゲームの駒」にまで脱色する、いかに軽薄な行為であるか。彼は微塵も気づいていないのだ。
「いやあ、実にお見事。洗練された、いかにも『現代的』な解釈だね。現代思想の眼鏡を通せば、ドストエフスキーもここまで『清潔』に処理できるんだ。……でも、その解釈の中で、君は『神義論』をどう位置づけているんだい? 当然、それを踏まえた上での結論なんだよね?」
友人は、今まさに自分が披露した「最新の知見」を、聞いたこともない単語で遮られたことに、一瞬、不快そうに眉をひそめた。だが、すぐにせせら笑うような表情を作ってこう返してきた。
「……しんぎろん? ごめん、そういうマイナーな……何て言うか、アカデミックな重箱の隅をつつくような用語には興味がないんだ。僕が言いたいのは、もっとアクチュアルな、現代を生きる僕らのための読みの話だよ。そういう賢しら気な分類学のラベルを貼って安心するのは、かえってテクストの可能性を狭めているんじゃないかな」
彼は、自分が「神義論」という言葉を知らないことを、あたかも「そんな価値のない衒学用語に触れる必要がない」という知的選別であるかのように装ってみせた。(ちなみに「神義論」は神学の基礎教養であり、これをマイナーと言い切る度胸には恐れ入る。)
神を「フレーバー」だと切って捨てたその口は、ドストエフスキーという男が生涯を通してのたうち回り、その魂を削り続けた神義論という名の「躓きの石」を、その一端すらも捉えていない。
そもそも、ドストエフスキーが格闘していたのは「権力システムの脱構築」なんていう安っぽい知的パズルではない。彼が対峙していたのは、キリスト教世界が二千年間解けずにいる最大の問題――「神義論」だ。
神義論のジレンマ
神が善なら悪を滅ぼそうとするはずだし、神が全能ならそれを実現できるはずだ。それなのに、世界には罪のない子供の涙が溢れている。この矛盾に対して、神をどう「弁明」するか。
神は人間を操り人形ではなく、自ら善を選択できる存在として創られた。そのためには「悪を選択できる可能性」がセットで必要になる。自由意志という「最上の贈り物」を維持するためには、悪というリスクを必然的に伴う。自由意志の価値を悪の被害以上に高く見積もることで、神が創った世界はなお善きものだと言い張る……。
これが、キリスト教世界が必死にひねり出した「神の正義」の証明だ。
この神義論の伝統を理解してはじめて、イワンの糾弾の「本当の重さ」が見えてくる。
イワンが子供の虐待を引き合いに出して、神に「入場券を返す」と言い放ったあの有名なシーン。
ここで言う「入場券」とは、将来訪れるとされる「究極の調和(天国)」への入場許可のことだ。キリスト教的には、今の苦しみは将来の大きな喜びのために必要なプロセスだとされる。
だがイワンは拒絶する。もし、その「究極の調和」の完成のために、たった一人でも罪のない子供の涙が必要だと言うのなら、そんな高すぎる代償を払ってまで得られる幸福など自分は要らない。だから、天国への入場券は恭しくお返しする。
これは単なるヒューマニズムの抗議ではない。「自由意志の価値なんて、子供の流す一滴の涙にすら及ばない」という、神学の根幹に対する絶望的な拒絶なのだ。
そして大審問官が説く「自由は人間にとって重荷すぎる」という言葉は、自由意志という神が与えた最大のギフトを、人類のほとんどが使いこなせずに自滅しているという、神の創造計画への凄まじい皮肉だ。
これらの文脈を抜きにして「現代のポピュリズム批判だ」などと語るのは、信仰を持たずに「この聖堂の荘厳さに心が洗われる!」と言っているようなものだ。
残念なことに、多くの日本人読者はこの「神との命がけの格闘」を、自分たちの「無宗教的な正しさ」を肯定するための材料として消費する。キリスト教にアレルギーを持つ自分たちの在り方を、イワンの言葉を借りて正当化しているに過ぎない。
彼らは、イワンの絶望を自分たちの「世俗的な正しさ」の補強に使い、アリョーシャが体現しようとした「それでも神を求めずにはいられない地獄のような信仰」からは目を逸らす。神義論が悲劇の正当化にしかならないことを痛いほど理解しながら、それでもなお神を求め続けたドストエフスキーの「祈り」の苦悩を、彼らは決して触ろうとしないのだ。
友人が「大審問官」に覚えたその薄っぺらなカタルシスは、ドストエフスキーが血を吐きながら書いた思想の、ほんの出し殻に過ぎない。
「まあ、ドストエフスキーは君には難しすぎたかな。彼は未来を先取りしていたからね。『現代思想の最前線』を履修してようやく理解できるのさ」
私は微笑んで頷いた。
「そうだね。君が『ドストエフスキーを深読みできる自分』によって自尊心を満たせるなら、それが君にとっての正解なんだだろう」
文学を読んで賢くなったつもりでいる君へ。
君が読んでいるのは、ドストエフスキーではない。