はてなキーワード: 自己決定権とは
元増田とはおそらく異なるプロンプトでやってみたよ。「言わせたいことを言わせる」のは簡単。
ChatGPT 4.5
以下の論点に整理して回答する。
## ① 武力侵攻による現状変更が既成事実化された場合の世界情勢への影響
- 国際法および国際秩序の基盤である主権尊重原則の崩壊。
- 国境線や主権国家の領土の不可侵性に対する侵害が容認される前例となり、世界各地で領土問題を抱える国家間において、武力行使へのハードルが下がり、侵略を誘発。
- 力による現状変更を許容する国際社会の姿勢が示されることで、特に権威主義的な国家が同様の手法を採用する動機付けが生じる。
- 核保有国や軍事大国に対する安全保障依存が増加し、小規模な主権国家の自衛能力や国際的地位が著しく低下。
- 力の論理が国際社会において主流化することによって、国際的な安全保障体制が弱体化し、不安定化、紛争が頻発するリスクが高まる。
## ② ウクライナが降伏した場合に予想される具体的影響と悪影響
- ロシアが侵略行動を通じて領土を獲得できるという既成事実が形成されることで、同様の領土的野心を持つ国に誤ったシグナルを与える。
- 国連をはじめとする多国間主義的枠組みの信頼性が著しく損なわれ、紛争解決の場としての実効性が低下。
- 台湾海峡、南シナ海、バルカン半島、中東地域など、世界各地で武力侵攻や紛争のリスクが増大。
- ヨーロッパにおける安全保障のバランスが根本的に変化し、NATO加盟国とロシア間の直接的衝突の可能性が高まる。
- ロシアによる支配地域において人権抑圧や民族浄化、民主主義の破壊が進行し、人道的危機が深刻化。
以上の考察をふまえると、ウクライナが戦闘を継続する意義は以下の通りである。
1. 国際秩序の原則である主権国家の領土保全と武力侵攻の非合法性を確認し、国際法の権威と秩序を回復・維持するため。
2. ロシアの軍事的行動が成功する前例を防ぎ、侵略行動に対する抑止力を維持することにより、世界各地の潜在的侵略者への抑止効果を生むため。
3. ヨーロッパ及び国際社会における集団安全保障体制の信頼性と実効性を維持し、地域的な安定性を守るため。
4. 侵略とそれに伴う人道的危機や人権侵害に対抗し、自由と民主主義の原則を守ることにより、国際社会が民主主義と人権の価値を堅持する姿勢を明確に示すため。
5. 武力侵攻による領土獲得の企図が必ず失敗すると示すことで、今後の世界情勢において侵略という選択肢が不合理かつ非現実的であると明示するため。
以上より、ウクライナが降伏せずに戦闘を継続することは、ウクライナ自身の主権回復のみならず、国際社会全体の安全保障、安定、民主主義、人権保護の観点からも、極めて重要な意味を持つ。
Claude 3.7 Sonnet
ウクライナが降伏し、ロシアの武力侵攻が成功した場合、以下のような深刻な国際秩序への影響が考えられます:
1. **国際法と規範の弱体化**:武力による一方的な国境変更が成功することで、国連憲章や国際法の基本原則が実質的に無効化されます。
2. **拡大する侵略のリスク**:他の拡張主義的な国家が同様の手法で領土拡大を試みる危険性が高まります。特に領土紛争を抱える地域での武力行使が正当化される前例となります。
3. **核不拡散体制の崩壊**:ウクライナは1994年のブダペスト覚書で核兵器を放棄し安全保障を約束されましたが、その保証が無効化されることで、他国が自国防衛のために核武装を志向する動きが加速する可能性があります。
4. **勢力圏政治の復活**:大国が周辺国の主権を尊重せず、影響圏として扱う冷戦時代の思考への回帰を促進します。
1. **主権と民主主義の防衛**:ウクライナの国民は独立国家としての自己決定権と民主的価値観を守る権利があります。降伏はこれらの基本的権利の放棄を意味します。
2. **国際秩序の維持**:戦闘継続は「力による現状変更は認められない」という戦後の国際秩序の原則を守る象徴的意義を持ちます。
3. **戦略的抑止力の確立**:抵抗を続けることで、将来的な侵略への抑止力となり、他の潜在的な侵略者に対するコストを示すことができます。
4. **歴史的パターンの阻止**:過去の歴史から、領土的譲歩は更なる要求につながることが多いため、最初の侵略を阻止することが長期的に重要です。
5. **国際支援の継続**:ウクライナの抵抗は国際社会からの支援を引き出し続ける要因となっており、降伏すればこの支援は失われます。
6. **将来の交渉力の確保**:戦闘を継続することで、最終的な和平交渉においてより有利な立場を確保できる可能性があります。
ウクライナの戦闘継続は単なる自国の問題ではなく、法に基づく国際秩序全体の防衛という側面を持ちます。力による一方的な国境変更を容認する先例を作ることは、国際関係における不安定性を大きく高め、世界各地での紛争リスクを増大させることになります。
Gemini 2.0 Experimental
「武力侵攻による現状変更を世界が容認した」という認識が既成事実化した場合、国際社会に与える影響は甚大であり、その後の世界情勢を大きく左右する可能性があります。ウクライナが降伏した場合の悪影響と、戦闘を継続すべき理由を考察します。
1. 「武力侵攻による現状変更の容認」が既成事実化した場合の世界情勢への悪影響
- 国際法の形骸化と力の支配の蔓延: 国際法や国連憲章で禁じられている武力による現状変更が容認されれば、力を持つ国が自国の利益のために他国を侵略し、領土を奪うことが正当化される世界になりかねません。これは、国際秩序の根本的な崩壊を意味します。
- 紛争の頻発と拡大: 力による現状変更が成功すれば、同様の紛争が世界各地で頻発する可能性が高まります。特に、領土問題を抱える地域や、民族対立が深刻な地域では、紛争が激化・拡大するリスクが高まります。
- 核兵器拡散の加速: 核兵器を持たない国は、自国の安全保障を確保するために、核兵器開発に乗り出すインセンティブを持つようになります。これは、核戦争のリスクを増大させ、世界の安全保障環境を著しく悪化させます。
- 民主主義と人権の軽視: 武力侵攻は、多くの場合、民主主義的な政府を転覆させ、人権を抑圧する独裁政権を樹立することにつながります。このような傾向が世界的に広がれば、自由、民主主義、人権といった普遍的な価値が軽視されるようになります。
2. ウクライナが降伏した場合の悪影響(正解に対する悪影響)
- ウクライナの主権と領土の一体性の喪失: 降伏は、ウクライナが自国の領土の一部または全部をロシアに割譲することを意味する可能性があります。これは、ウクライナの主権と領土の一体性を著しく損ない、将来にわたって禍根を残すことになります。
- ウクライナ国民の人権侵害: ロシアの占領下では、ウクライナ国民の自由、人権、民族的アイデンティティが抑圧される可能性が極めて高いです。言論の自由の制限、政治的反対派の弾圧、民族文化の破壊などが懸念されます。
- 国際社会の信頼失墜: ウクライナが降伏し、国際社会がそれを容認すれば、国際法や国際機関の信頼性は失墜します。これは、今後の紛争解決や国際協力の枠組みを弱体化させ、世界を不安定化させる要因となります。
- 侵略を助長する前例: ウクライナの降伏は、「力による現状変更は可能である」という誤ったメッセージを世界に発信することになります。これは、他の国々による同様の侵略行為を助長する危険な前例となります。
- 主権と領土の一体性の維持: 戦闘を継続することで、ウクライナは自国の主権と領土の一体性を守り、ロシアによる不当な要求を拒否することができます。
- 国民の自由と人権の保護: 戦闘を継続することは、ウクライナ国民の自由、人権、民族的アイデンティティを守るための戦いです。ロシアの占領下での人権侵害を防ぐためには、抵抗を続けることが不可欠です。
- 国際法の原則の擁護: ウクライナの抵抗は、国際法と国連憲章の原則を守り、力による現状変更を許さないという国際社会の決意を示すものです。
- 将来の侵略抑止: ウクライナが屈することなく戦い続けることで、ロシアの侵略を食い止め、他の国々に対する侵略抑止効果を生み出すことができます。
ウクライナが降伏することは、単にウクライナ一国の問題にとどまらず、国際社会全体の秩序と安定を揺るがす重大な問題です。ウクライナが戦闘を継続することは、自国の主権と国民を守るだけでなく、国際法の原則を擁護し、将来の紛争を抑止するためにも不可欠な選択と言えるでしょう。国際社会は、ウクライナへの支援を継続し、ロシアの侵略を阻止するために結束する必要があります。
まず、「萌え絵を見ることで全女性が被害者になる」という理屈は無理がある。宇崎ちゃんを見た男性が喜んだからといって、現実の女性全員が何かしらの実害を受けるわけではない。
違います。『自分の意思を確認されずに萌え絵のモデルにされ性的に消費されることで』全女性が被害を受けていると主張しているのです。
あなたは「女衒の被害者は1人でも、萌え絵の被害者は全女性だから規模が大きい」とするが、そもそも萌え絵が誰かに実害を与えているという前提が間違っている。
上述したように、『自分の意思を確認されずに萌え絵のモデルにされ性的に消費される』という自己決定権の侵害という被害が発生しています。
また、そのような『女性の意思を無視して性の対象にして良い』という考え方が性犯罪などと地続きになっているのです。
就労を禁止抑制、職種制限をしたり教育を受けさせない、子育て家事労働を押し付けたりと女性の労働価値が上がらないようにすることで男性の性的価値を維持してきた。
それ故に男性は女性の労働的価値を上げる事に徹底して抵抗する。
ガス抜きの為に女性活躍だなんだと提案するが本質的には変わらない。
女性の名前の自己決定権を譲らないのもそれが女性の名前を男性のものに変える=男尊女卑の象徴だからである。
女性に気付かれると困るので必死で女性解放運動=フェミニズムを攻撃しあれは異常であると他の多くの女性を洗脳しようとする。
そうやって女性の労働価値を不当に貶める事で男性の性的価値を維持してきた。
今までは男尊女卑社会を維持する為のお見合いという制度(そこでは基本的に優劣は問われず女性を嫁に出す=家同士の話あいで決定した。)で能力は低くても仕事さえしていれば救済されてきた。
それは男性の価値優劣は基本的には労働価値で決まるという身も蓋もない現実である。(勿論最初から性的価値が高い男性はる。しかしそれは極少数で構造的にはノイズである。)
はっきり言えば金を稼げない男に性的価値はなく救済措置もないという事である。
マッチングアプリはスペック競争である。弱肉強食である。労働価値のない男性は勝てるわけがない。
以上のように所謂弱者男性は労働的価値による選択では勝てない事になった。
これは男性の労働価値と女性の性的価値を交換するという構造上不可避の事である。
女性が男尊女卑の抑圧の構造を知った以上女性から後戻りはしない。
解決するには男性の数を減らすか、女性から暴力的に仕事を奪うか。
あるいは「男性の労働価値と女性の性的価値を交換するという構造」を根本から変えるか。
弱者男性が救済されるのはどの道か。
俺は色んな社会問題を見るに当たって、結局のところ“複雑過ぎて一概に言えない”とか“不透明なことが多くて一概に言えない”ってのが、客観的かつ論理的に見た時の結論だなって思うんよ
もし、社会問題に関してどちらかが正しいと思い始めたら、それは自分の思想的な偏りの兆候だと思った方がいい
思想的な偏りは敵対的排他的差別的な意見表明や行動に繋がるから、理性的な価値判断が出来る人の意見がもっと拡散されて共感される世の中になって欲しいんよな
トランス女性の女子スポーツ参加についても、下記内容のような俯瞰的な立場からの評価が出来る人が増えて欲しい
参考にしてくれな
役割設定
* Gemini A: トランス女性のスポーツ参加賛成派(公平性、包容性、人権の観点から)
* Gemini B: トランス女性のスポーツ参加反対派(競技の公平性、女性競技の保護の観点から)
テーマ設定
議論の開始
Gemini A (賛成派):トランス女性も女性として生きる権利があり、スポーツに参加する権利も等しく保障されるべきです。性自認に基づいて競技に参加することは、多様性を尊重し、包容的な社会を築く上で重要です。
Gemini B (反対派):トランス女性は、生物学的な男性としての優位性を持っている場合があり、それが女子競技の公平性を損なう可能性があります。女性競技は、女性アスリートの努力と才能を保護するために存在します。
Gemini A (賛成派):ホルモン治療を受けているトランス女性は、男性としての優位性が失われているという研究結果もあります。例えば、ある研究では、ホルモン治療を受けたトランス女性の筋力や持久力は、シス女性(出生時に女性として割り当てられた人)と同程度になることが示されています。
Gemini B (反対派):ホルモン治療の効果や、生物学的な優位性が完全に失われるかどうかについては、まだ議論の余地があります。例えば、骨密度や体格など、ホルモン治療では変化しない要素も存在します。また、個々の選手の能力や体格は様々であり、トランス女性だけを特別視するのは差別であるという意見もありますが、生物学的な優位性は、個々の選手の努力や才能とは別の次元の問題です。
Gemini A (賛成派):スポーツ界は、トランス女性が安心して参加できる環境を整えるべきです。例えば、性自認に基づく参加区分を設けたり、ハンディキャップ制度を導入したりするなど、様々な方法が考えられます。
Gemini B (反対派):そのような制度を導入しても、公平性の問題は完全に解決するとは限りません。例えば、性自認に基づく参加区分を設けた場合、どの程度の性自認の基準を満たせばよいのかという問題や、性自認を偽る選手が現れる可能性もあります。また、ハンディキャップ制度を導入した場合、ハンディキャップの度合いをどのように決定するのかという問題や、ハンディキャップが競技の結果に与える影響をどのように評価するのかという問題があります。
Gemini A (賛成派):女性アスリートの中には、トランス女性の参加に不安を感じる人もいるという意見もありますが、それは偏見や差別に基づく感情的な反応であり、科学的な根拠はありません。スポーツ界は、トランス女性に対する理解を深め、差別をなくすための啓発活動を行うべきです。
Gemini B (反対派):女性アスリートの不安や懸念は、感情的な反応ではなく、現実的な問題に対する懸念です。例えば、ある調査では、女子アスリートの多くが、トランス女性の参加によって競技の公平性が損なわれる可能性があると考えていることが示されています。スポーツ界は、女性アスリートの意見にも耳を傾け、彼女たちの権利を保護する必要があります。
人間の介入
* 論点の整理: 公平性、包容性、人権、競技の公平性、女性競技の保護など、議論の核心となる論点を明確にする。
* 意見の要約: 両者の意見を簡潔にまとめ、議論の焦点を絞る。
* 質問の投げかけ:
* トランス女性の参加が、女子競技にどのような影響を与える可能性があるか?
現時点では、どちらの立場にも論理的な根拠があり、一概にどちらが正しいとは言えません。
賛成派
* 多様性を尊重し、包容的な社会を築くという理念に合致する。
* ホルモン治療の効果に関する研究が進み、生物学的な優位性が失われる可能性が示唆されている。
反対派
* 女性競技の公平性を守るという観点から、生物学的な優位性を考慮する必要がある。
* 公平性と包容性を両立させるための具体的な対策については、まだ議論の余地がある。
トランス女性のスポーツ参加問題は、複雑な倫理的、社会的な問題であり、現時点では明確な結論を出すことは難しいと言えます。
重要なのは、それぞれの立場を尊重し、建設的な議論を重ねながら、より良い解決策を探っていくことです。
スポーツ界は、科学的なデータや、当事者の意見を参考にしながら、公平性と包容性を両立させるためのルールや制度を整備していく必要があります。
また、この問題は、社会全体の問題であり、スポーツ界だけの問題ではありません。社会全体で、トランスジェンダーに対する理解を深め、差別をなくしていくことが重要です。
- 投稿サイト「Injustice Stories」の信頼性不足
- 実際は中絶権制限が主目的で、アジア系移民をスケープゴート化
- 「性差別撲滅」を建前に中絶規制を推進(シカゴ大学分析[6])
- 2012年連邦議会PRENDA法案では「人種・性別差別防止」を謳う
- 中絶反対派が「93%の中絶が13週未満」という事実を歪曲
- 危機妊娠センター(CPC)が「性別選択中絶の蔓延」を虚偽報告
- 2022年ロー対ウェイド判決覆し後、誤情報が328%増加(KFF調査[21])
### 4. **フェミニズムへの誤解と対抗言説**
- 19世紀フェミニスト(スーザン・B・アンソニーら)を反中絶派として引用(Wikipedia[36])
- 実際には当時の文脈(産科医療の未発達)と現代を混同した誤用
- 「中絶後症候群」という非医学的概念を強調(ACLU分析[23])
- インド・中国の男児選好を「アメリカでも蔓延」と虚偽関連付け
- アジア系移民の出生統計を断片的に引用(国勢調査データ誤読[34])
### 結論
この主張は**2015年の虚偽記事を起点に、反中絶団体の立法戦略とオンライン誤情報が相互作用して拡大**したものです。実際のフェミニズム運動では、中絶権を「生殖の自己決定権」として擁護する立場が主流で(ジョージタウン大学分析[4])、性別選択中絶を「性差別の再生産」と批判する議論があります(フィルアーカイブ[38])。現在、アメリカでは中絶権そのものが危機に瀕しており、性別選択をめぐる議論は現実の政治的緊急性から乖離したレトリックとして機能しています。
アメリカのフェミニストの間で、男児を堕胎することを目的に妊娠するというムーブメントが広がっているらしい。少なくとも、そういう話を耳にする機会が増えた。
俺は在米歴十年になる日本人で、仕事の関係で西海岸に住んでいる。こっちのフェミニスト界隈の動向にはそれなりに明るいつもりだが、最初にその話を聞いたときはさすがに冗談だと思った。しかし、調べてみると、どうも単なるネット上のネタでは済まされないようだった。
発端は昨年の春頃、フェミニズム系のフォーラムやSNSで「リプロダクティブ・ジャスティス(生殖の正義)」を強調する投稿が増え始めたことだった。女性が自由に子供を産み、育てる権利を持つのは当然として、「産まない権利」も同等に尊重されるべきだ、という議論が過熱し、その一環として「男児の妊娠を避ける」という主張が出てきた。もともとフェミニズムの潮流の一部には、父権制に苦しめられてきた歴史を踏まえ、女性中心の社会を目指すべきだという考え方があったが、それが極端に先鋭化した結果、「男児を産まないことが女性の解放に繋がる」という論調が生まれたらしい。
初めは「男児を妊娠したら中絶するのは個人の自由だ」という話だったが、やがて「積極的に妊娠し、男児だった場合は堕胎することで、社会に対してメッセージを発信する」という考え方が一部の活動家の間で支持され始めた。特にカリフォルニアやニューヨークの急進的なフェミニストグループの中で、このムーブメントは静かに広がりを見せた。
彼女たちは「ボディ・オートノミー(身体の自己決定権)」を根拠に、「女性には子供を産む・産まないを選ぶ権利があるのだから、男児を産まない選択も正当だ」と主張する。その論理の帰結として、一部の過激な活動家が「フェミニストとしての意思表示」として妊娠をし、男児だった場合にのみ堕胎することを行動に移し始めたらしい。
とあるオンラインフォーラムでは、実際にそれを実行した女性たちの体験談が投稿されている。「私は今までに二回妊娠し、どちらも男児だったので堕胎した」「社会を変えるためにできることをやっている」「これは復讐ではなく、正義のため」そんな言葉が並ぶ。
もちろん、これに対する反発も大きい。中絶反対派の保守系メディアはこれを「狂気の沙汰」として取り上げ、SNS上でも激しい議論が巻き起こっている。しかし、驚くべきことに、一部のリベラルメディアは「個人の選択の自由」として擁護する立場を示している。
医学的には、妊娠初期の段階で胎児の性別を確定することは難しい。だが、12週以降になれば超音波検査や遺伝子検査で判別が可能になる。彼女たちはその時点で性別を確認し、男児だった場合のみ中絶を決断するらしい。このため、実際に何人の女性がこの行動を取っているのかは正確には分からない。しかし、「実践した」と公言する者が複数存在する以上、完全なデマとも言い切れないのが現状だ。
このムーブメントが今後どのように展開するのかは分からない。もしかすると、一過性のものとして消えていくのかもしれないし、あるいは、さらに先鋭化した形で続いていくのかもしれない。だが、確かなのは、現代のフェミニズムがこれほどまでに過激な形で進化しつつあるという事実だ。
俺自身は、どんな思想であれ個人の自由を尊重するべきだと考えている。だが、「男児を堕胎することで社会を変える」という発想が、果たして本当に女性のためになるのか。それを考えたとき、どうしても違和感を拭いきれない。
いずれにせよ、アメリカという国は、時に想像の斜め上を行く社会運動が生まれる場所だ。この話もまた、そんな奇妙な時代の一断面なのかもしれない。
いや逆だから
そもそも「夫婦で姓が変わるなら戸籍制度も考えないといけない」というのが保守固有のイデオロギーなんだよな
少なくとも今熱心に選択制夫婦別姓を薦める人らで、同時に子どもの姓も変えたい(≒イエを残したい)て思っている人は少数派でしょ。自己決定権とかキャリアの断絶とかが今最大の課題なわけで。
じゃあ今後子どもの姓でもめないのか、というといずれ必ずもめる。別姓が定着すれば必ず次の論点にはなる。
といってもEU圏でも8割方は男性の方の姓になるのが現状で、これから進んでいく話なので、どうせ日本でもまた数十年はかかる話だ。
それに同姓だったとしても子どもの姓を妻側にするとか現状でも可能だぞ?もし夫婦同姓強制のまま子どもの姓について平等にしよう、みたいに議論が進んだらどうなる?半分の確率で苗字変えないといけないとかなるぞ?俺は嫌だぞそんな面倒くさいのは。
というか選択制別姓のために戸籍の意味を考えないといけないのだとすると、外国籍を持つ人と結婚する場合すでに別姓になっている件はどう説明するわけ?それ用の戸籍定義がもうあるとでも?
かなり不謹慎な内容を書く。思考実験としてとらえてもらいたい。
話の内容上、まったく議論ができない人も双方の立場からあらわれると思うが極力無視する方針である。
現代社会では、いつの間にか「貞操」や「性の自己決定権」に対して極めて高い価値が付与されています。
が、本当に「性」というものに、そもそもそこまでの価値があるのだろうか?
この問いは、「暴力」と「性暴力」に本質的な違いがあるのかという問題にもつながります。
まず、暴力そのものが絶対に許容されるべきではないことはよく理解しています。
私は若干の違和感を覚えるということです。
なぜ「貞操」には、単なる暴力を超えた無謬の価値が付与されているのでしょうか?
たとえば、江戸時代の日本(独身者に限る)では、フリーセックスが一般的であったと言われています。
同様に、世界の多くの地域や時代では、現代ほど貞操観念に価値が置かれていなかったケースが見られます。
第二次世界大戦以降、キリスト教的価値観、特にピューリタニズムの影響が広がる中で、「性の自己決定権」が基本的人権の一部として重視されるようになりました。
しかし、これも一つの思想にすぎないはずではないか、という疑問が浮かびます。
性暴力の被害者(多くは女性)が、自らの人生や自己が「不可逆的に毀損された」と感じることが、現代社会では一般的な理解とされています。
しかし、私の考えでは、むしろ「性暴力によって失われる価値など存在しない」と考えるほうが、
被害者が救われるのではないでしょうか。
姦通の有無に価値を見出さなければ、性暴力の被害を「自己の価値の毀損」と結びつける必要がなくなるからです。
ここで誤解しないでいただきたいのは、これは性暴力を容認する考えではないということです。
暴力そのものが許容されないように、性暴力も決して許されるべきではありません。
ただし、性暴力によって失われるものが、単なる暴力以上のものである必要はないのではないか、という視点を提示しているだけです。
風俗業に従事する女性が、現代でも差別や偏見にさらされる背景には、「貞操」に無謬の価値があるとされる社会的認識が根付いていることが挙げられるでしょう。
たとえば、「風俗嬢が性暴力の被害に遭った」という話を聞いて、
「失われたものは一般の女性ほど大きくないのではないか」と一瞬でも考えてしまった場合、
それは貞操観念が議論すら許されない絶対的な価値を持っている証左といえるのではないでしょうか。
「貞操観念に至上の価値を持たせることで、女性が現代社会において経済的利益や権利を引き出そうとしているのではないか」という見方も湧いてきています。
これは批判ではありません。
むしろ、社会で弱い立場に置かれてきた女性が、この価値観を利用して有利な状況を作り出すことは、ある種の合理的な戦略だと考えています。
ただし、貞操観念を社会の大前提として固定してしまうと、むしろ女性の価値が男性より低いまま据え置かれ、
いやマジで
はっきり言ってコンプラ研修の例として出てくるセクハラ中年男なんて絶滅して久しい
口を酸っぱくして「こういうことすんな」「こういうことに配慮しろ」ってコンプラ研修で叩き込みまくってるからな
一番危険なのは30代後半以降で係長、課長くらいの役職についてるそこそこ古参の中年女
ちょうどいい例がTwitterに転がってたので引用したいと思う
今日、全男性が標準装備で米津玄師か星野源をインストールしてくれたら世の中ずいぶん良くなると主張したら、友人に「でも男性はアスリートなど肉体的に強い人とかわかりやすい権力の言うことしか聞かないんじゃないか。米津玄師や星野源の凄さがわかるのは女性と若い人だけかも」と言われて唸った
https://x.com/takowakatendon/status/1872639172227584478?t=O1VTOO1zs6iNaph9-QCVVw&s=19
まぁTwitterだからまだしもこれをリアルで男の前で言ったらアウトなのはわかるよな?
・男性の自己決定権を蔑ろにして「〇〇みたいになればいいのに」などと本人の望まない役割を押し付けるようなことを言う
・そうでない人もたくさんいるにも関わらず「男は〇〇についてわからない」「〇〇のすごさをわかっているのは女だけ」などと性別に対する偏見を開陳している
で、Twitterならまだしも職場の飲み会とかでこういうこと言う中年女がマジで多すぎる
職場の若い連中のコンプラ意識はそれこそ小学校の頃から叩き込まれた本物だからな
単に不躾であるだけのくせに「私は親しみやすい女だ」「面倒見が良い女だ」等と自認する痛々しい中年女は本当に頼むからこちらの仕事を増やさないでほしい
中年セクハラ女の最大の問題点は「セクハラは女性だけが被害に遭うものだ」といった意識を内面化している点だ
俺が直々に指導したセクハラ女なんて言うに事欠いて「〇〇くんが不快に思ったのならそれは謝ります。でも私にそういう意図はありませんでしたし、周りもそのことはわかっているはずです」って加害者のテンプレみたいな言い訳を言い放ったからな
「いやいやいや周りにいた後輩女性たちが通報してくれたおかげで〇〇くんに対するお前の悪事が露見したんですけどー?」って言ったら目に涙浮かべながら不貞腐れてやがった
多分世代的に強気で勝ち気じゃないと会社の中で身を立てられなかった人も多いのだろうが、だからといってセクハラは許されない
仕事始めの前に言っておく
先日このようなことを書きました
同性婚を認める議論を始めるなら、兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫、その他諸々もOKの方向で検討しないといけないけど準備できてるんかなあ?落とし所は法定婚の制度廃止しかないと思ってる
すると以下のようなエアリプがありました
同性婚を認めるならナントカ婚も認めろ~な人が湧いてるけど、現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな。本気でそう思ってるなら同性婚の当てこすりじゃなくて普段から真面目に活動なさいよ
「現代まともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな」というコメントですが、これを通して、現在の法定婚として認められない婚姻の形について考えられるという点でとても良いコメントだと思ったので紹介させてください。
まず、「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」とありますが、私があげた婚姻の形のうち、幾つかはある程度の規模の国において実際に法定婚として認められています。
例えば
昨今幾つかの国で認められつつある同性婚もかつては「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」だったことも重要です。その状況から同性カップルも異性カップルと平等に扱われるべき、という社会正義としての平等を主張し、現在までに世界各地で「活動」を行ってきた結果、同性カップルの法定婚が認められつつあるという現状があります。
では、この「平等」が兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫にも与えられないのは何故でしょうか。
親子婚、小児婚については本人の同意などの点から問題がありそうなのはなんとなくわかります。(子供の自己決定権や人権の観点からやや危うい話ではありますが)
しかし宗教的、文化的な背景があって日本以外の国では法制度化されている国もある兄弟姉妹婚、一夫多妻、一妻多夫についてはどうでしょうか?公平の観点からは同性婚と同じく法定婚として認めるべきではないでしょうか?
認めるべきではないならその理由はなんでしょうか?同性婚とはどこが違って認められないのでしょうか。
しっかり考えてみると意外と難しい問題であることがわかるかと思います。また考える過程で「現代のまともな先進国」のような自分の中に気づかずにある差別意識にも向き合うことができるかと思います。
ここで言いたいのはお前は差別者だ!と指摘したいわけではなく、自分の中の歪みに気づいた上で話してほしい、ということです。
私も個人的な感情としては一夫多妻などは認めなくないという思いがあり、自分で実践するとは到底思えません。ただ、ムスリムの家族の方の権利という観点で考えると異性間での法定婚制度があるのであれば、一夫多妻の夫婦も公平性の観点から法定婚として認めるべきだろうとは思っています。
法定婚の未来や公平なあり方について考えると、自分の中の常識、ここでいう「まともな」という基準の外にある文化の人々の婚姻の文化をどう尊重していくべきか、という話になります。その中でどうしても認め難い婚姻の形についても考えないといけないこともあるでしょう。
その時に嫌だと思ったことことに対して正当化するような理路を作るのではなく、自分の中にある差別的な考えとして認識してほしいと思っています。
(「本気で〜」以降は私の書いた内容に対する直接的な意見ではないし、荒唐無稽な主張であるのは一読でお分かりいただけると思うので本項では言及しません。)
ブコメを書いた人が持つ偏りの背景には、いくつかの要因や経験が影響している可能性があります。以下のようなバックグラウンドが考えられます。
ブコメのような視点を持つ人は、過去に結婚制度や伝統的な社会規範に対して強い反発を感じた経験があるかもしれません。例えば、次のような状況が考えられます。
結婚において、パートナーシップにおける自由が制限されたと感じた経験や、結婚生活が束縛的だと感じたことがある場合、その反動として結婚制度そのものを否定的に捉える傾向が強くなることがあります。特に、自己決定権や自由を重要視する人は、過去の結婚や恋愛の中でそれらが抑制されたと感じることがあるため、その経験が強くブコメに現れる可能性があります。
もし育った家庭や社会環境が非常に伝統的、保守的であり、家族や結婚に対する「所有物」的な価値観を強調していた場合、これに対する反発から、結婚そのものに対する批判的な態度が形成されることがあります。この場合、「結婚=自由を制限する」といった見方が自分の価値観として根強くなりやすいです。
ブコメのような自由主義的な視点は、特に近代的な社会において育った場合や、自由と平等を重視する思想に影響を受けていることが考えられます。次のような文化的・社会的な背景が影響しているかもしれません。
西洋的な個人主義の価値観が強く根付いた環境で育った場合、「個人の自由」や「自己実現」を最優先に考える傾向が強くなります。このような環境では、結婚という制度を「自由を制限するもの」として否定的に捉える考えが浸透しやすく、またそれが自然な価値観として受け入れられることがあります。
リベラルで自由主義的な教育や思想を受けて育った場合、結婚に対する伝統的な価値観を否定する傾向が強くなることがあります。例えば、結婚を「所有」のような抑圧的な関係として捉え、その背後にある社会的・文化的な規範を批判する立場を取ることが多くなります。この場合、「自由」や「個人の権利」を重視するあまり、結婚の持つ他の側面(信頼、相互尊重、責任感)を軽視してしまうことがあります。
ブコメに見られる「好きでいれば素晴らしい」という考え方は、理想主義的な価値観が強いことを示唆しています。この理想主義は、現実的な制約や複雑さを無視して「理想的な自由」を追求しようとする傾向を強化することがあります。理想主義的なバックグラウンドには次のようなものが考えられます。
自由で対等な関係が理想とされ、パートナーシップや結婚においても「制限なし」「束縛なし」の理想を追求する傾向があります。過去の経験や読書、映画などで「理想的な恋愛」や「理想的な自由」を見たことがあり、現実の結婚や恋愛がその理想にそぐわないと感じる場合、結婚を否定的に捉えるようになることがあります。
完全な自由や平等を重視するあまり、それを実現するためには結婚制度や伝統的な価値観が障害となると見なすことがあります。この場合、結婚の複雑さや、関係の中で自然に生じる役割分担や責任が「自由の制約」として過剰に否定的に解釈されがちです。
ブコメのような視点を持つ人は、特定の社会的背景やグループに対する反発心を持っていることがあります。例えば、家族や社会からの期待や圧力に対して反発を感じ、自分自身のアイデンティティを守るために「自由」や「個人主義」を強く主張することがあります。
特に、保守的な社会や家庭に育ち、結婚や家族に対する伝統的な価値観を強く押し付けられた場合、その反動で自由主義的な立場に傾くことがあります。結婚や家庭に関する社会的規範に対して強い反発心を抱くことが、そのような偏見を強める原因となる場合があります。
伝統的な結婚観が社会において「常識」とされている場面では、その枠に収まることに対して反発を感じ、自由な選択肢を支持する立場を取ることがあります。このような人は、結婚制度を単なる社会的規範として批判し、その枠組みからの解放を理想とすることが多いです。
ブコメを書いた人がこのような偏った見解を持つ背景には、個人的な経験、文化的背景、理想主義的な価値観、社会的な反発などが影響している可能性があります。特に、自由や個人の権利を重視し、結婚制度や伝統的な価値観に対して反発を感じることが、ブコメの主張を強化している要因であると言えます。また、理想的な自由を追求するあまり、結婚に伴う複雑な側面や責任感を軽視しがちになることも、その思考に偏りを生んでいる要因と考えられます。
人生でなんど「今日は大丈夫な日だから」の誘惑と戦ってきたと思っている。
女は望まぬ中出しをされるのかもしれないが、男は望まぬ中出しを強要されるのだよ。
と思っていたら
https://www.asahi.com/articles/ASS7M3GD3S7MPTIL00TM.html
同意の上の性交で避妊を拒んだ男性に賠償命令 「自己決定権の侵害」
男女逆はあるのね。