はてなキーワード: 1979年とは
3月7日、石破総理のもとで提唱された高額療養費負担上限の改正案は取り下げになりました。
この改正は低所得者の負担上限が殆ど上がらない反面、高所得者の負担が大きく増加するため不公平であるとの反対がありました。
また、高所得者といっても年収1000万円程度で月の負担額が25万円ほどになると治療を諦めてしまう恐れが強いとの反発も多くあがりました。
さらに、高額療養費負担上限は70歳以上と未満で別れており、また収入によっても細かく分類され複雑な制度となっています。この分類のなかで負担額を大きく増やされるのは現役世代であり、医療費の大部分を占める高齢者の負担額を増やさなければ医療財政の根本的な改革に繋がらないとの指摘もありました。
ただ一方で、現行制度のままでは行き詰るのは明白である医療制度を現実的に改革していく動きとして肯定する意見もありました。
公平性が一つのテーマでした。近年の急速に進む円安やインフレを危惧する向きから財政規律を重視する人たちは増えています。しかしそのような人たちの間でさえ、この改正には反対する意見が多かったように見受けられました。それにはこの改正が、高齢者ばかりが優遇されているように見える"現役いじめ"として受け止められた側面がありました。
しかし、公平性とは一体何でしょうか?それはおそらく人によって異なります。医療に頼らなければ生存を脅かされる状態にある人にとって負担上限を大きく引き上げられることはほぼ死を意味します。そしてそういう状況の人は明らかに高齢者ほうが多いでしょう。(もちろん高齢者に対する無意味な医療は山程あります。しかしテーマでないためここでは一旦脇に置いて下さい。)彼らからしたって、金が無いから命を諦めろと言われても簡単には受け入れられないのもわかります。
なぜ自分が死ななければならないのか?そんなの不公平だ。そう感じるのはとても自然なことです。
たとえ医療制度の持続性を高めることが結果的により多くの人を救うことがわかっていたとしても、目の前の命を諦めることは簡単ではありません。
また、完全に公平な制度を作ることは現実的に不可能です。民主主義は数の力で決まります。高齢者が多数を占める日本で高齢者に優遇された制度になってしまうことをある程度受け入れなければ、実現しない目標をただ追い求める空虚な理想家になってしまうでしょう。そういう人、多いですよね。
今回の改正が取り下げられたことが良かったのかどうかは判断の分かれるところです。
ところで今回の高額療養費負担上限の改正は、半世紀近く続く医療財政の立て直しの一環でした。
1973年、田中角榮内閣は70歳以上の高齢者の医療費を無料にしました。1960年岩手県沢内村で老人医療費無料化が日本で初めて実施され、その後1969年には東京都でも無料化されるなど全国的な老人医療費無償化の流れを受けてのものでした。
しかし1973年から1978年の5年間で医療の受診率は1.8倍、医療費は約4倍に跳ね上がり、過剰受診が問題になりました。財政負担は深刻化し、見直しの機運が高まりました。
1982年自民党の鈴木善幸内閣において老人保健法が制定され83年から高齢者の自己負担が再開しました。それは外来で月400円、入院は月300円という少額のものでしたが、その後84年には健保加入者は1割負担となりました。
そこから長く停滞して、17年後の2001年小泉内閣では原則1割負担に、2008年麻生内閣では後期高齢者医療制度が始まり75歳以上は独立した医療制度になり現役並みの所得がある人は3割負担となりました。
更に14年ほどして2022年岸田内閣で、200万円程度の収入のある人は2割負担へと変化していきました。
これらの改革が全て自民党政権時に行われていることは興味深く感じますね。
このように、医療財政の逼迫に対して蝸牛の歩みで対応してきた歴史があります。なぜこれほどまでの長期間が必要だったのでしょう。
いきなりですが、TVアニメ機動戦士ガンダムの有名なオープニングをご存知でしょうか?
ガンタムではまず、「人類は増えすぎた人口を宇宙へ移民するようになった」というナレーションから始まります。
機動戦士ガンダムが放送された1979年から1980年、人々の関心の中には少子高齢化など微塵もありませんでした。代わりにあったのが人口爆発。人が増えすぎて食料不足になると危惧されていたのです。
しかし、1970年代には既に合計特殊出生率は低下してきており、1974年には人口の維持に必要な2.0を切っていました。
この統計データは当時から普通に公開されていましたが、将来の少子高齢化を予測していたのはごく少数でした。我が国の厚生省、人口問題研究所は優秀なことに1974年には人口長期予測のなかで21世紀初頭の少子高齢化を予言していましたが、その言葉が一般化するのは1990年代を待たなければなりませんでした。
統計データが少子高齢化を正しく予測しても、その事実が広まるまで15年以上かかったことを考えると、高齢者偏重の医療制度の改革が40年以上かかっていることもおかしな話ではないように見えます。
ところで1974年は今現在2025年の51年前です。現首相石破総理は68歳。当時は17歳でした。ちなみにアメリカのドナルド・トランプ大統領は78歳で石破総理の10歳年上です。
トランプ大統領は貿易赤字解消を掲げ、関税や多国間協定を行おうとしていますが、これは当時経済大国として台頭してきた日本を押さえつけた80年代のプラザ合意の感覚です。
高齢の政治家のなかには自身が活躍していた時代の感覚がいつまでも抜けず、時代錯誤を起こしている場合がありますが、トランプ大統領はその好例(高齢だけに)のように思えます。
それは政治家だけでなく有権者も同じでしょう。現在の高齢者のなかに少子高齢化を知らない人間は居ないと思いますが、感覚として重大なものと感じている割合は若者に比べて少ないはずです。それを変えていくことはなかなかに難しいだろうなぁとトランプ大統領の頑なな態度を見ても思います。
私は政治家の若返りは医療制度の持続性を高める上で、解決策になるとまでは言わないまでもベターなことだと思っています。
高齢者偏重の医療制度がなかなか改革できない原因はその数の力にあり、シルバー民主主義と呼ばれています。
これを少しでも正そうとするならば若者の投票率を上げるか、高齢者の投票率を下げるかの2つしかありません。
若い政治家の言葉のほうが若い有権者に届きやすいのは自明です。同じ時代に似たような感覚で生きてきた人のほうが、自分たちの境遇をより理解していると期待できるからです。
逆に高齢者は若い政治家の言葉などに耳を傾けることは少ないかもしれません。若い政治家が活躍するようになると高齢者の投票率は下がるのではないかと思います。
若い政治家が増えたほうがシルバー民主主義が緩和する可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
最近の国民民主党やれいわ新選組支持率の伸長をみると、SNSの活用で多くの高齢政治家よりも若い(玉木雄一郎は55歳、山本太郎は50歳)政治家の躍進が目立ちます。彼らの政策には現実味のかける部分が多く混乱(財務省解体デモなど)の原因あるいは遠因となっている面がありますが、投票率の低い若年層を投票に促している点では有意義と言えるでしょう。
前述の通り、高齢者の医療負担増加を実行してきたのは自民党です(老人医療費を無償化したのも自民党ですが)。
それが支持率低下を招くことは百も承知でしょうが、それでもなんとか通してきました。
もしも今よりも若者の投票率が高ければ、ここまでの改革に40年もかかっていなかったかもしれません。
先の衆院選から自民党の凋落が止まりませんが、自民党が存在感を完全に失うほど弱体化する未来は今のところ見通せません。であるならば自民党自体に変わってもらうことは日本のシルバー民主主義を食い止めるために有効であると言えるでしょう。
SNSの普及にあわせて公職選挙法を改正していくこと。そして政治家がSNSを上手く使いこなすようになること。これが出来れば若手の政治家が増えていくのではないかと思っています。
SNSの扇動に踊らされて財務省解体デモに繰り出す人たちを境界知能と呼ぶのはその通りなのかもしれないけれど、そもそも知能は正規分布するものであり、知能の高い集団もいれば低い集団もいるものです。
先程年齢の近い政治家の言葉のほうが届きやすいと言いましたが、おそらく知能においても同じでしょう。
高い知能集団に属する一部の人の考えを、低い知能の集団に伝播するために必要なのは、大多数を占める知能が高くも低くもない普通の人たち(自分もここに属すると思っています)かもしれません。
とかく相手を罵倒しがちなSNSで分断を融和に変えることはひょっとしたら不可能なのかもしれませんが、だからといってこのまま分断していくに任せるというのも違うと思います。
罵倒や嘲笑を自制する道徳のようなものも必要なのでしょう(自戒)。
地球全体で見たら、合理的で多角的な視点を含んだ考えを上から下まで国中に速やかに伝達していく競争が始まっているのかもしれません。
この点では恐らくどの国も横並びでしょうから、"日本人は礼儀正しい"と自認している我々がその本来の国民性を発揮していくことを期待します。
と演説したギレンは惨敗しました。この過激なセリフは多くの視聴者の記憶に残り、今でも時たまネットスラングで利用されるほどです。一方彼の父親はギレンほどの名言を残しませんでしたが、あのとき連邦と和平できていればララァも死なずに済んだわけです。
ギレン型の言説で目立つことばかりが持て囃されるSNSに対し、疲れている人も多いはずです。
穏健でつまらない話を欠伸しながら語り合うほうが、実は平和で良いのです。
多くの普通の人たち、とくにSNSで沢山フォロワーを抱えたりしていない人たちはぜひそのままでいるべきです。なんだか世の中には他人のフォロワーが少ないことを馬鹿にするひともいますが、私はそのままで良いと思います。
ただ、もしSNS上で愚かな言動をしている人をみかけても罵倒や嘲笑をせず、どうしても目障りならミュートやブロックをして関わらないようにするだけでもいいと思います。
仮に鋭い罵倒や皮肉で多少耳目を集めることが出来たとしても、砂浜に描いた落書きのようにすぐネットの海のなかに消えていくだけです。
相互理解や変化に繋がっていくことは無いでしょう。
と、つまらない話しかできずネット上で目立つこともないことへの自己弁護をしてこの長々とした話の結びと致します。
もし読んでくれる人がいたとしたら、ありがとうございました。
アメリカと台湾の関係は、1979年の「台湾関係法(Taiwan Relations Act)」によって規定されている
この法律では、アメリカは台湾に対して自衛のための防衛物資やサービスを提供する義務があるとされていますが、直接的な軍事介入を義務付けるものではない
つまり、アメリカが台湾を武力で守るかどうかは、法的義務というよりは政治的・戦略的な判断に依存していてホワイトハウスの判断次第である
トランプは大統領在任中(2017-2021年)、中国に対して強硬な姿勢を取ってた
中国に対して強気に出る一方で、直接的な軍事衝突を避ける傾向もあり、
台湾を守ることがアメリカの利益になるなら守るかもしれないし、リスクが高すぎると判断すれば距離を置く可能がある
彼の優先順位はあくまでアメリカの経済的・軍事的優位性で、台湾のために全面戦争を冒険するかは疑問であり、
個人的な印象だと、トランプは「守るポーズ」は見せるだろうけど、実際の大規模介入には慎重になるんじゃないかと思う
トランプの性格を考えると、彼は「勝てる戦い」や「目に見える成果」を好むだろう。
リスクが高く、長期的な泥沼化が予想される場合、距離を置く可能性が高い。彼は過去に「同盟国がもっと負担すべきだ」と主張しており、台湾や日本に自力での防衛を求める発言をするに違いない。
そして長期的な戦争を想定するとアメリカ海軍は中国海軍に勝てるかかなり厳しい。その理由は造船能力である。
アメリカと中国の造船能力を比較すると、現在の状況では圧倒的な差がある。具体的には、中国の造船能力はアメリカを大きく上回っており、複数の指標からそのギャップが明らかであり
まず、生産能力の規模で見ると、米海軍の情報機関(Office of Naval Intelligence)が公開したデータによると、中国の造船能力は約2325万トン(総トン数ベース)であるのに対し、アメリカは10万トン未満
れはつまり、中国の造船能力がアメリカの230倍以上とも言われるほど桁違いであることを示している
国連貿易開発会議(UNCTAD)の2022年のデータによれば、世界の造船市場におけるシェアは中国が46.6%でトップ、韓国が29.2%、日本が17.3%と続きますが、アメリカはわずか0.1%に過ぎない
軍事的な視点でもこの差は顕著です。中国人民解放軍海軍(PLAN)はすでに艦艇数で世界最大(2021年時点で355隻、2030年までに440隻予測)とされ、造船能力の大きさが戦時の新造や損傷艦の修復に直結する
対してアメリカ海軍は約290隻(2025年3月時点)で、艦艇数の増加ペースが中国に追いついていない
らに、アメリカの造船所は老朽化や労働力不足、予算の不安定さに悩まされており、新造船の納期遅延も頻発している
例えば、バージニア級潜水艦やコロンビア級潜水艦の建造では、数年単位の遅れが報告されている
そして、造船能力は海軍だけではなく陸軍を展開するための兵站能力のも直結するだろう
台湾は中国共産党と習近平にとって間違いなく「悲願」と言える存在である。これは歴史的、政治的、イデオロギー的、地政学的な理由が絡み合ったもので、中国共産党(CCP)にとっては国家的目標の中核に位置づけられていて、ロシアにとってのウクライナ以上の価値があり総力戦の覚悟で戦争をすることは想像に難くない
もし台湾が中国に占領され場合、湾は日本からわずか約110キロ(与那国島との距離)であり人民解放軍の海軍や空軍が台湾を拠点に活動すれば、日本の防衛線(特に南西諸島)が直接脅かされる
次にシーレーンの問題日本はエネルギーや食料のほとんどを輸入に頼っており、その大半が台湾周辺の海域を通るシーレーン(海上輸送路)を通る。
中国が台湾を掌握すれば、このルートをコントロールする能力が飛躍的に高まり、日本への経済的圧力や封鎖のリスクが現実味を帯びる
半導体サプライチェーン: 台湾は世界の半導体生産の約60%を担っており、特にTSMC(台湾積体電路製造)は日本の製造業にとって欠かせない存在であり、半導体の供給が途絶えるか、中国の影響下に置かれる可能性があり、日本の自動車や電子機器産業に壊滅的な打撃を与えるだろう
台湾から日本への難民流入が予想され、特に南西諸島や九州への影響が懸念される。今までの戦争は所詮地球の裏での出来事だったが台湾有事では大量の難民が直接くるだろう
台湾を手中に収めた中国は、日本への政治的圧力を強めるだろう。尖閣諸島問題での強硬姿勢や、経済的報復を通じて日本を牽制する動きが加速するかもしれない
そうなった場合歴史的に見ても、1940年代の満州国支配以降、中国が東アジアでこれほど支配力を拡大した例はなく、日本にとっては戦後最大の危機と言える事態でありウクライナを冷笑している場合ではないだろう
ガンダムって設定ガバガバだし、少なくともファーストの時点ではガバガバなんだし、言葉遊びみたいなのも多いし、
まあ、設定とかストーリーに隙があるからこそ、勝手に物語作ったり、二次創作、三次創作しやすいんだよね
逆に、士郎正宗漫画みたいに、ストーリーとか設定に隙がないと、容易に二次創作するのは難しい
本人が書いてないアップルシードとか、攻殻機動隊とか、あんまないでしょ…、
って言っても、アニメはある意味二次創作か…、神山氏と大喧嘩したらしいけど…
ただ、ガンダムは設定も緩かったし、やっぱり戦記って便利なんだな、架空線機とか…
例えば、第二次世界大戦の、どっかで、知られてない人たちが、こんな戦闘をしていた、って話を書こうと思えば、
第二次大戦の設定はそのまま持ってこれる、兵器とか、衣装とか、国家とか、みんな調べて持ってくればいい
どっかの、みんなは知らないレベルの兵隊とかの話なんだから、時代考証との合間でウソがつける
士郎正宗漫画の例を続けるなら、まず、アップルシードの年表があって、1999年に世界中に隕石が落ちてるはずだし、
隕石とかから世界的な紛争とかに発展していって、核を使わない戦争、非核大戦が起こったりして、
世界中の人類が混乱している間に、裏で世界中の平和主義者?みたいな人たちがコミュニケーションして、集って、
勝手に大西洋にオリュンポス作って、ライフサイエンス解禁にして、バイオロイド作ったり、多脚砲台を作って、
オリュンポスから、ある意味、世界を統治、再構築しようとしているわけだけど、
設定細かいし、かと言って、作者自身あんまり作品内のキャラクターとかに説明口調で説明するのを避けてる、
シンゴジラの台詞の中身とか速さと同じで、視聴者に不親切な方がリアリティがあるわけだよね
だって、軍人とか、特殊部隊とか、救急の人とかが、普段ツーカーで通じ合ってる言葉を使って喋るべきであって、
そこでいちいち視聴者のために説明口調してしまうと、逆に観てる側が冷めてしまう…
しかし、語られてない部分もデカいし、そこを勝手に埋めていいのかも分からない
考えてみれば、ガンダムってラヴクラフトの、いわゆるクトゥルフ神話、とも被るよね、二次創作を許してる
で、二次創作を重ねるうちに、どんどん年表とか設定が増えて、隙間が詰められていってしまうんで、
これって矛盾してね?みたいなのが増えてく…
厨二病の時期とか、幼少期とかに、誰もが勝手に考えたオレオレモビルスーツとかオレオレ怪獣描くと思うんだよね
子供の頃の自分は毎日のように、オレオレ怪獣とか、オレオレウルトラマンとか、そんなのばかり描いてた
でも、オリジナルのランドメイトを描こう、ってなると、あんまり描けない
ギュゲスもダミュソスだか超電導バリオン?だかで空飛ぶ前のもかなり好きだし、飛べないポリスランドメイト大好きだな
あの、片目がアイパッチのやつとか、警官同士で愚痴言い合ってるとムンマのテロリストに撃たれるんだっけ…
何が言いたかったのかというと、そんなガバガバな設定なのに、ネットで、おまえ、そんなことも知らんのか、とか、
その解釈はおかしい、とか言い合ってるのが、なんかマヌケに見えるので、フィクションでムキになるなよ、ってこと
高千穂遙の『異世界の勇士』(1979年)は、日本のファンタジー文学史において「異世界転移」ジャンルの嚆矢と位置付けられる作品である。
本論では、この作品の先駆性を検証するとともに、日本ファンタジーの発展過程と現代の隆盛を支える文化的基盤を分析する。
主人公・竜二が受験生として現実世界から異世界ガンギロドドアに召喚される物語構造は、当時の日本文学において画期的な試みであった。
横田順彌による解説が指摘するように「日本人作家が手をつけていなかったジャンルを開拓した」点が特筆される。
従来のファンタジーが神話的・民話的要素を基調としていたのに対し、コンピュータ文明を武器に現代的価値観を持ち込む設定は、後の「異世界チート」の原型とも言える。
マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889年)やC・S・ルイス『ナルニア国物語』(1950-1956年)といった西洋文学の影響を受けつつ、独自のヒロイック・ファンタジーを確立した。
安彦良和による表紙絵が示すように、当時のアニメ・漫画表現との親和性が、後のメディアミックス展開の基盤を作った。
1990年代の『十二国記』(小野不由美)が累計1000万部を突破するなど、異世界物は継続的な人気を獲得。
2004年の『ゼロの使い魔』を契機に、小説投稿サイト「小説家になろう」を中心とした創作活動が活性化し、2015年時点でネット小説大賞受賞作の90%が異世界転生・転移物語となった。
この現象は、従来の出版界が「事実上の異世界専門レーベル」を相次いで創設するまでに至った。
初期作品が「現実世界→異世界」の単方向転移を基本としていたのに対し、『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(2010-)のような双方向往来や、『異世界おじさん』(2018-)のような逆転移物語が派生。
転生(記憶保持型再生)と転移(物理的移動)の概念分化が、「小説家になろう」公式ガイドラインで明文化されるまでに体系化された。
仏教の輪廻転生思想と神道の「八百万の神」が醸成した多世界観が、異世界転生の受容を容易にした。
『古事記』における黄泉の国や浦島太郎伝説に見られる「異界との境界の曖昧さ」は、現代の異世界物語にも通底する。
民俗学者・柳田國男が指摘する「常世」と「現世」の往還概念が、無意識下の文化的受容基盤を形成している。
戦後日本の高度経済成長期に形成された「受験戦争」や「社畜」的労働環境が、現実逃避的需要を醸成。
主人公が異世界で「特別な存在」となる物語構造は、自己肯定感の補償メカニズムとして機能する。
特に『無職転生』(2012-)に見られる「現実での挫折→異世界での再挑戦」構図は、現代日本社会の病理を反映している。
スマートフォン普及率98.7%が支えるウェブ小説プラットフォームでは、1話完結型の「ておくれファンタジー」(読者が次の展開を催促する形式)が発達した。
このメディア特性が、異世界転移物語の量産的創作サイクルを可能にしている。
『異世界の勇士』が播いた種は、日本固有の宗教観・民俗基盤と現代社会の精神的要請が合致することで、他文化に類を見ない開花を遂げた。
異世界転生が「馴染みやすい観念」として受容される背景には、単なる物語形式の流行を超え、日本人の世界認識の深層に根ざす文化的連続性が存在する。
現代兵器と知識を駆使して戦国時代の戦乱に介入し、歴史を変えようとする。
現代人の知識や能力が、異世界(過去の日本)で大きな影響を与える。
タイムスリップした自衛隊が歴史に介入し、歴史が変わってしまう展開は、多くの異世界転生モノの基本設定となっている。
現代人が中世のアーサー王の時代にタイムスリップし、その知識や技術で活躍する物語。
子供たちが異世界ナルニア国に迷い込み、冒険を繰り広げる物語。
これらの作品も、異世界を舞台にした物語として、後の異世界転生モノに影響を与えたと考えられます。
戦国自衛隊は、異世界転生モノの元祖の一つとして非常に重要な作品ですが、異世界転生モノの定義や系譜は複雑であり、一概に「元祖」を特定することは難しいと言えるでしょう。
箇条書きにしたら、とんでもない家庭だなと。私は長男
1987年 父親ほのぼのレイク、アイク、武富士、ワイドから数百万の借金。祖父が返済
1989年 父親武富士、ワイドから数百万借金。母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた
父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親、長男を正座させ祖父と父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す
1995年 父親、アコム、武富士から数十万の借金。長男学資保険を解約し支払い
2000年 正月帰省時、出前の寿司のお金が支払えず地元の寿司屋から催促。2ヶ月分割
2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜、葬式時のお礼なし食事なし
箇条書きにしたら、とんでもない家庭だなと。私は長男
1987年 父親ほのぼのレイク、アイク、武富士、ワイドから数百万の借金。祖父が返済
1989年 父親武富士、ワイドから数百万借金。母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた
父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親、長男を正座させ祖父と父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す
1995年 父親、アコム、武富士から数十万の借金。長男学資保険を解約し支払い
2000年 正月帰省時、出前の寿司のお金が支払えず地元の寿司屋から催促。2ヶ月分割
2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜、葬式時のお礼なし食事なし
埼玉県八潮で道路が大きく陥没して3トントラックが転落する事故が発生した。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250128/k10014705621000.html
現場はここ。
https://maps.app.goo.gl/eCE2cJhPJ3T2BFMS6
実はここ、結構新しい道路なのだ。この交差点の西側は1970年代末に開通、東側は1990年代末の開通だ。
という事は地下埋設物もそれくらいなのでそこまで古くない。
まず最初に、穴が垂直である事。土が垂直に崩壊するなんてあり得ない。
そしてよく見ると横に線が見える。そして灰色。これってコンクリートではないか。
もう一つは穴が丸いだけじゃなくて、一か所直線になっている。ダイエーロゴを楕円にしたみたいな形だ。不自然である。
舗装は中央線で区切って半分ずつ工事することが多いから切れ目が出来る。その為に直線部分が出来た、と考える事はできる。でも不自然な点でもある。
なんか構造物があるのでは?
そこで古い航空写真を調べてみた。すると1979年に撮影された写真に注目すべき箇所がある。
真ん中が今回の事故現場だ。交差点は工事中で道路は西側だけしか出来ていない。
拡大するとなにか構造物があるのが判るだろうか?
そして現在の地図と比べてみると、トラックが転落した穴と重なるのだ。
構造物北辺の直線は穴の中に見える垂直壁と重なる。あの壁はこの構造物の壁だ。
ではこれは何か。恐らく地下貯水池ではないかと思われる。この辺りは元は水郷で、江戸時代に整備されるまで川はいくつにも分かれて出鱈目に流れぐっちゃぐちゃだった所だ。因みに整備される前は利根川と入間川の水が流れていた。今から考えると意味不明な川の流れだ。
要するにかなり出水しやすい地域だ。もとは辺り一帯田んぼだった。田んぼ幾らかの貯水力がある。そこが開発されたら洪水リスクが上がってしまう。
だから調節池を交差点地下に置いて豪雨時のバッファにしたんじゃないかと。
そういう訳で、どうやら今回の事故はこの調節池の天蓋板が割れてしまったのではないかと考える。
一般的には陥没穴は地下水路の破損で地下の砂が流されて重さに耐えきれなくなった上の部分が落ちるという形で出来る事が多いが、今回の場合はイレギュラーだと思われるよ。
ガンダムシリーズは1979年の『機動戦士ガンダム』放送開始以来、実に40年以上にわたって発展と進化を続けてきた巨大なメディアミックス作品である。その長い歴史においては数多くの派生作品や設定拡張、さらに小説や漫画、ゲームをはじめとするスピンオフが生まれ、今もなお新作が絶えず登場している。一方で、シリーズが長大化すればするほど、ファンコミュニティ内にさまざまな「こだわり」や「価値観の違い」も生じてくる。その中で昨今特に話題となるのが、いわゆる「一年戦争おじさん」と呼ばれるファン層だ。
「一年戦争おじさん」とは、初代『機動戦士ガンダム』に登場する一年戦争(宇宙世紀0079年から始まる連邦軍とジオン公国の戦い)を絶対視し、そこから外れる設定や作品を“ガンダムらしくない”“正史として認めない”と主張してしまうタイプのファンを揶揄する言葉である。もちろん一年戦争をこよなく愛するだけであれば、ただの好みの問題だ。しかし問題は、彼らの一部が新しい作品や異なる時代設定に対して攻撃的だったり、他者の好みに干渉しすぎたりするケースがあるという点にある。そうした態度が「有害な一年戦争おじさん」として批判される一因となっている。
彼らはなぜこうも一年戦争にこだわるのか。まず考えられるのは、1979年からのガンダムをリアルタイムで経験した世代、あるいはビデオやプラモデル、雑誌などを通じて“初代の衝撃”に強く感化された世代が、自分たちの「原体験」を何よりも重視しているという背景だろう。『機動戦士ガンダム』は、それまでのロボットアニメの常識を覆すようなリアルな戦争描写や群像劇、そしてプラモデル(ガンプラ)文化を生み出すなど、大きな社会現象となった。幼少期にそれを目の当たりにしたファンにとって、当時の熱狂と衝撃は特別な思い出であり、“ガンダムとはこうあるべき”という固定観念が強く根付くのも無理はない。
しかし、「ガンダムが好き=初代(または宇宙世紀)が絶対」という方程式は、近年のファンコミュニティにおいては必ずしも通用しなくなっている。ガンダムシリーズは大きく分けると宇宙世紀系と、それ以外の独立した世界観を持つアナザー系(『Gガンダム』『ガンダムW』『ガンダムSEED』『鉄血のオルフェンズ』など)に枝分かれしており、さらに宇宙世紀内にも『Zガンダム』『逆襲のシャア』『UC』『閃光のハサウェイ』など、数多くの作品が展開されている。もはや「ガンダム」と一言でくくっても、それぞれに異なるストーリー・設定・テーマを持った多彩な作品群になっているのだ。
にもかかわらず、「有害な一年戦争おじさん」は一年戦争こそが至高で、それ以外はすべてガンダムとは呼べない、あるいは認める価値が低いといった偏狭な主張をすることがある。具体的なエピソードとしては、新しいガンダムが発表されるたびにネット上やSNSで「こんなのガンダムじゃない」「富野(由悠季)監督が関わってないから駄作」などと早々に断じる、若いファンが語るアナザー系の魅力を嘲笑する、あるいはプラモデルに対して「やはりザクやガンダム(RX-78-2)が本命で、○○なんて邪道」などと強い調子で言い切ってしまうといった行動が挙げられる。
こうした振る舞いがファンダムに与える悪影響はいくつもあるが、その中でも特に顕著なのが「新規ファンの参入障壁を上げてしまう」という点だ。ガンダムシリーズはすでに膨大な設定を持ち、どこから見ればいいのか分からないという声もよく聞かれる。そこに対し、「本当のガンダムは一年戦争だけだ」「初代を見ないならファンではない」などと押し付ければ、初心者は萎縮してしまいかねない。もちろん、初代の重要性を説くこと自体は悪いことではないのだが、その言い方や姿勢が高圧的なものであれば、ガンダムに興味を持ちかけている人を遠ざける要因になってしまう。
さらに、「有害な一年戦争おじさん」はしばしば他の作品やファン同士の交流の場を“自分たちの思想”で塗りつぶそうとする傾向がある。例えばSNSや掲示板などで新作ガンダムについて語ろうとしても、「やっぱりガンダムは宇宙世紀じゃないとな」「○○監督なんて富野監督の足元にも及ばない」などというコメントが繰り返され、まともな議論が成立しなくなることも珍しくない。こうした現象は、結果的にコミュニティ内で対立や分断を生み出し、せっかく多様な楽しみ方を受け入れる余地のあるガンダムコンテンツの可能性を狭めてしまうのだ。
また、宇宙世紀作品や一年戦争そのものに強いこだわりを持つことは悪いことではない。作品世界への愛が深ければ深いほど、より詳しく設定を掘り下げて考察する楽しみもあるし、一年戦争を舞台にした外伝作品(『MS IGLOO』や『ザニーが登場する漫画作品』など)に注目することで、新たな切り口を見いだすこともできる。だが、「有害な一年戦争おじさん」が問題視されるのは、その深い愛情が排他主義や攻撃的な態度につながる場合が少なくないからだ。自分と同じくらい初代を崇拝しない人を“にわか”呼ばわりしたり、そもそもアナザー作品を語ろうとするファンを見下したりするような行動は、コミュニティ全体の雰囲気を悪くする大きな原因となる。
さらに、一年戦争の時代考証を「現実の軍事・政治的状況」に照らし合わせて論じる人々も少なくない。これはガンダムの世界観がある種のリアリティを大切にしていることの証でもあり、そこに惹かれるファンがいるのも理解できる。しかし、「有害なおじさん」は自分たちの“リアル論”こそが唯一の正解だと思い込み、他人の解釈や新解釈を一蹴する態度を取ることがある。たとえば「この機体は設定上あり得ない」「この時期にこんなMSは存在しない」などと、過剰に“リアル”を押し付けることで、多様な楽しみ方を否定してしまうのだ。
そして、こうした状況は次第に当事者以外のファンをも疲弊させていく。たとえばSNS上でガンダムについて呟くと、「その解釈は間違っている」「ちゃんと資料を読んでから発言しろ」と“マウント”を取られることがあり、ファン同士のやり取りが萎縮してしまう。また、イベント会場やプラモデル展示などリアルな場においても、一年戦争関連の作品や考証に異常な熱量で突っかかり、他のファンが楽しもうとする空気を壊してしまう例も耳にする。ガンダムは多様性を重んじる作品世界であり、多くのクリエイターがそれぞれの解釈やテーマで作品を生み出してきた経緯を考えると、こうした空気はあまりに残念としか言いようがない。
では、この「有害な一年戦争おじさん」問題にどう向き合えばいいのか。まず大切なのは、ファンコミュニティ全体が「自分の好きな作品を語るのは自由だが、他者の好きな作品を否定することは違う」という意識を共有することだろう。ガンダムは作品数が膨大であるがゆえに、自分の“推し”や“こだわり”を持ちやすい。それ自体はポジティブなことだ。しかし、それが「他の作品や意見を認めない」という姿勢につながっては、多様性がガンダムの魅力であるはずなのに、それを損なってしまう。
次に、若い世代や新規ファンが萎縮しないように配慮した場作りも必要だ。初心者には初心者なりの視点や疑問があるし、アナザー作品から入ったファンが後に宇宙世紀を好きになることだって十分あり得る。むしろ、入り口がどこであれ「ガンダムに触れて興味を持った」という事実こそが大切なのだ。そこを「いや、まずは初代を全部観ろ」や「一年戦争を知らないなんて話にならない」と圧をかけるのは、コミュニティ全体にとってマイナスだろう。作品世界を広げるためには、受け入れの姿勢が何よりも重要になる。
また、一年戦争こそが「リアルで硬派なガンダム」で、アナザー系は「子ども向け」や「リアルさが足りない」というステレオタイプなイメージも根強い。だが、実際にはアナザー系でも『ガンダムW』の政治劇や『SEED』の遺伝子差別問題、『鉄血のオルフェンズ』の社会構造批判など、リアルかつヘビーなテーマを扱う作品は多い。こうした多彩なテーマ性こそが、ガンダムシリーズ全体の魅力を支えているのであり、一年戦争だけが特別なわけではない。むしろ、宇宙世紀とアナザー系を併せて楽しむことで、ガンダムが描こうとしている「戦争」「人間性」「社会」の幅広さを再確認できるのではないだろうか。
さらに、宇宙世紀内の作品ですら、一年戦争を舞台にした『08小隊』や『0080』『0083』などは、初代から少し視点やテーマを変えて描かれている。その際にも、一部のファンから「こんなのは本当の一年戦争じゃない」と批判された例がある。だが、もともとガンダムという作品は多面的に戦争の悲惨さや人間模様を描くことを目指しており、一つの正解や正史しか認めないという態度は、ガンダムが持つ本来の魅力や思想に反するものではないか。ゆえに、「一年戦争」に対するこだわりも、ある程度の柔軟性を持って接するのが望ましい。
結局のところ、「一年戦争おじさん」が有害かどうかは、その人自身の立場や主張よりも、コミュニティにおける振る舞いに起因する部分が大きい。いくら一年戦争を崇拝していても、それを押し付けずに「自分はこう思う」「初代が好きだけど、他の作品も尊重したい」といった態度を示している人は、むしろ知識を共有し合える良き先輩ファンとなるだろう。問題なのは、自分の視点を唯一絶対のものとし、他の意見や好みを封殺してしまうタイプのファンである。これはガンダムに限らず、あらゆる長寿シリーズのファンダムで起こりうる軋轢と言える。
だからこそ、ファン同士が互いを尊重し合い、多様な切り口や解釈を認める姿勢が大切になる。ガンダムは「戦争を描くリアルロボットアニメ」であると同時に、「キャラクターを通じて人間性を問いかけるドラマ」であり、さらに「巨大産業として世界中に展開する商業コンテンツ」でもある。その多層的な側面を一括りにするのは困難であり、そこに魅力や可能性が詰まっているのだ。もしも“一年戦争だけ”という狭い視点に固執してしまえば、その豊かさの大半を見落としてしまうことになる。
以上を踏まえると、「ガンダムコンテンツにおける有害な一年戦争おじさん」は、単に宇宙世紀を愛するファンを指しているわけではない。むしろ、そうした愛情が誤った形で表出し、他者を排除しようとする態度が問題の核心にある。長寿シリーズとしてのガンダムがこれからも発展していくためには、新規ファンが参入しやすい環境と、多様な視点を受け入れる懐の深さが欠かせない。その一方で、ベテランファンが築き上げてきた蓄積や考察が大いに役立つ場面も多く、実際に後輩ファンを導く存在として機能しているケースもある。だからこそ、一年戦争ファン自身が自らの態度を省みるとともに、コミュニティ全体で「排他主義」に歯止めをかける仕組みを作ることが重要なのだ。
結論として、「有害な一年戦争おじさん」の存在は、ガンダムコンテンツの楽しみ方やファンコミュニティの健全さを損ねる要因になり得る。しかし、それを否定するだけでなく、彼らが抱く一年戦争への熱意や知識も、うまく共有・活用できればガンダムの魅力をより深く味わえるきっかけになるはずだ。問題なのは“一年戦争を好きかどうか”ではなく、“他を認められるかどうか”という姿勢にある。そしてガンダムという広大な世界を最大限に楽しむためにも、多様な視点や好みに対してオープンであることが求められる。もしガンダムの世界観が「戦争」によって多くの犠牲を生む愚かしさを描き出しているのだとすれば、ファンダムもまた、内部対立を生むのではなく、互いの違いを理解し合う歩み寄りこそが望ましいはずだ。そうすることで、ガンダムシリーズはこれからも世代や国境を超え、より多くの人々の心をつかんでいくことだろう。
1975年発売、バンドを代表する曲であり、時代を代表する曲でもある。
ハードロックとプログレッシブロックとオペラを融合させたような組曲となっている。
ミュージックビデオの重要性を世間に知らしめた最初期の曲でもある。
https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ
1979年に発売されたアルバム『In Through the Out Door』に収録されている曲。
バンド自体はロックバンドの歴史の中でもハードロックを代表しているのだが、この曲はハードロックとはかけ離れている。
シャッフルビート風で始まり、中間部で突如サンバのリズムが始まるという斬新な曲となっている。聞いてみるのが良いだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=I57nIP0vc44
1981年に発売されたアルバム『Reflections』に収録されている。このアルバムは大ヒットしてミリオンセラーになった(それまでにミリオンセラーとなったアルバムは3枚しかなかった)。
「二季」という表題の単語の通り、この曲の前半部分は冬、後半部分は夏のことを言及した歌詞となっており、曲風も歌詞の内容も対照的となっている。
前半部分は遠くにいる別れた恋人のことを想うようなメロウな曲風であり、後半部分は官能的であけすけな逢瀬を描いていてレゲエ風となっている。
https://www.youtube.com/watch?v=jmquxRbIM20
1976年に発売されたアルバム『招待状のないショー』の最後に収録されている。「むすびことば」と読む。
こちらもメロウでアンニュイな曲調から始まり、途中でアップテンポのカッティングギターを織り交ぜた中間部があり、最後の元の曲調に戻る、という複雑な構成をしている。
初期の井上陽水氏のストレートな歌い方がまだ残っている時期である。
https://www.youtube.com/watch?v=0yHlPAY5HzE
1997年に発売されたアルバム『OK Computer』の2曲目に収録されている。
メンバーは、ザ・ビートルズのHappiness is a Warm Gunのような組曲を目指して作成したようであり、極めてプログレッシブな曲である。
当時のアルバムの曲には厭世的かつ攻撃的な歌詞が多く、この曲にも皮肉や投げやりな内容が見受けられ、不吉でネガティブな印象の曲となっている。
https://www.youtube.com/watch?v=fHiGbolFFGw
他にもあればぜひ紹介してほしい。
戦争の原因として内政干渉が挙げられる例は、歴史を通じて数多く存在します。特に顕著な例をいくつか紹介します。
ベトナム戦争:ベトナム戦争では、アメリカ合衆国が南ベトナム政府を支持し、共産主義の拡大を防ぐために北ベトナムおよびその支持者たちと対立しました。アメリカは南ベトナムの政治、軍事、経済に深く介入し、その結果、長期にわたる戦争へと発展しました。
ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年 - 1989年):この侵攻は、ソ連がアフガニスタンの共産党政権を支持し、その政権が内政上の問題(ムジャヒディンの反乱など)に直面している中で行われました。ソ連は政権を安定させ、自国の影響力を維持するために軍事介入を決定しましたが、これが長期間にわたる紛争につながりました。
米国のグレナダ侵攻(1983年):米国は、グレナダにおけるクーデター後に共産主義政権が成立することを懸念し、軍事介入を行いました。この介入は、政府の安全を確保し、共産主義の拡散を阻止する名目で行われました。
これらの事例は、国家が他国の内政に介入し、政治的または安全保障上の目的を達成しようとする際に、しばしば軍事的衝突につながることを示しています。このような介入が国際的な緊張や戦争を引き起こすことは、国際関係において重要な議題となっています。
丸山静江
1979年、丸山静江の半生を次女の千鶴子が代筆し、『主婦と生活』誌に「母たちの遺産」を連載していた橋田壽賀子に送ったことがきっかけとなり、『おしん』の脚本作りに協力したという[1]。
『おしん』には奉公に出るためおしんが最上川を筏で下るシーンがあるが、静江も榛原郡金谷へと奉公に出るため大井川を筏で下った経験がある[1]。
2013年3月7日、静岡新聞社・静岡放送のサイト「アットエス」に掲載された記事で、静江の生涯と『おしん』との関わりを周知させようとする人々が紹介された。この記事において千鶴子は「おしんは母の半生そのもの。母が泣きながらドラマを見ていたのを覚えている」と語っている[1]。
確か砂の女も原作は山形が舞台だけど原作の舞台の庄内砂丘が狭すぎてロケに向かないから、映画は静岡の浜松砂丘(日本三大砂丘)で撮影されたんだよね。
コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
「漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
クインシー・ジョーンズは、音楽史において最も影響力のあるプロデューサーや作曲家の一人です。以下は彼が関わった代表的な10曲です:
1. 「スリラー」マイケル・ジャクソン - 1982年のアルバム『スリラー』のタイトル曲で、ポップ、ロック、ファンクを融合させた曲です。このアルバムは史上最高の売り上げを記録し、ジョーンズのプロデュースが際立っています。
2. 「ウィ・アー・ザ・ワールド」USAフォー・アフリカ - 1985年にマイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーと共に制作したチャリティソングで、アフリカの飢饉救済のために多くの有名アーティストが参加し、世界的な団結の象徴となりました。
3. 「ギヴ・ミー・ザ・ナイト」ジョージ・ベンソン - 1980年に発表されたこの曲は、ジョーンズの滑らかなプロデュースが光り、ベンソンにとってジャズとポップを融合させた代表的な作品です。
4. 「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」フランク・シナトラ - 1964年にジョーンズがアレンジを担当したこの名曲は、シナトラのキャリアを象徴するジャズのスタンダードとなりました。
5. 「ソウル・ボサ・ノヴァ」クインシー・ジョーンズ - 1962年のインストゥルメンタル曲で、映画『オースティン・パワーズ』で使用され、ジャンルを超えたジョーンズの創造力が示されています。
6. 「イッツ・マイ・パーティ」レスリー・ゴア - 1963年のこのヒット曲はジョーンズが手掛けた初期の代表作であり、彼のポッププロデューサーとしての名声を確立しました。
7. 「オフ・ザ・ウォール」マイケル・ジャクソン - 1979年にリリースされたアルバムで、ファンクやディスコ、ポップを見事に融合し、ジャクソンをスーパースターへと押し上げた一曲です。
8. 「スタッフ・ライク・ザット」アシュフォード&シンプソン、チャカ・カーン - 1978年のアルバム『サウンズ・アンド・スタッフ・ライク・ザット!!』に収録され、ファンク、ジャズ、R&Bを融合させたジョーンズらしい楽曲です。
9. 「P.Y.T. (プリティ・ヤング・シング)」マイケル・ジャクソン - 『スリラー』収録のこの曲もファンキーな曲調で、ジョーンズの緻密なプロデュースが光ります。
10. 「アイアンサイドのテーマ」クインシー・ジョーンズ - 1967年のTV番組「アイアンサイド」のテーマ曲で、特徴的なサイレン音と迫力あるホーンセクションが印象的です。
ジョーンズの影響はジャンルや世代を超えており、彼の代表作はポップ、ジャズ、R&Bといった音楽を形作る一端となっています。それぞれの曲が、彼の独自の音楽スタイルとトップアーティストとの協力を表しています。
○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。
元ネタ1:
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
元ネタ2:
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
最初はファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードからの移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。
ついでに他のハードも含め、80年代以前のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。
(追記)
コメントでの指摘を受け、ポートピアのジャンルをグラフィックアドベンチャーに修正。
アメリカのアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲーム。コンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカでアタリの時代が花開くことになる。
日本では翌年にタイトーとセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。
アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的なゲームの一つとして知られている。
日本ではタイトーとナムコが正規のライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本のゲーム産業が花開くきっかけとなった。
いまでは有名なメーカーが、正規のライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。
初の日本のメーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本のお茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品。
日本のアーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店やスナックのテーブルがこのゲームのテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。
数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲームの面白さの本質が詰まっている。
単独のゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。
初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、
そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。
横井軍平の代表作の一つであり、シャープと提携して電卓の技術で作られた玩具。この横井軍平とシャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。
ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本のアーケードの大ヒット作第二弾。
敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。
日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし、日本のゲームが世界で通用することを知らしめた。80年代のゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品。
ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dをコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品。
ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPGの基本的なシステムが完成されており、
ウルティマと共に、後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。堀井雄二も坂口博信もこのゲームをやり込んだという。
スペースインベーダー、ギャラガと続くシューティングゲームの系譜を完成させた作品。
シューティングゲームのフォーマットを決定付けた作品であり、これ以降に出たすべての縦シューは(あるいは横シューも)、このゲームの子孫である。
また初めて隠れキャラを採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。
グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン、航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素なグラフィックのゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。
何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語の神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。
説明不要、宮本茂の生み出したゲーム黎明期の最高傑作の一つである。
その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である。
どこまでも広がる世界の解放感、至るところに隠されたアイテムやボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン、
どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲームの古典的教科書の一つである。
アーケードからの移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンでしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場はアーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法が適用されたことも影響している。)
ウィザードリィやウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPGを日本人向けに大幅にアレンジして生まれた作品。
これ以前にも日本のメーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自のRPG=JRPGの市場が開拓されることになる。
とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などからは批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲームが国民的作品になることはなかっただろう。
反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。
ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画やラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。
宮本茂の最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性で世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム。
このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単に模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。
しかしゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。
近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。
◆◆◆
以上、10選終わり。
以降は選外となった作品。
世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープとアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。
研究所の見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品。
学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲームの草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか。
ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品。D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィ、ウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。
コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲームが元祖である。
正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。
宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオのデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれたジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。
グラフィックアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作はPC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。
コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルはドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。
最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連の科学者である。
ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっとも重要なゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋なパズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。
光栄の歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。
これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。
歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在の歴史物のゲームにも影響を与えている。
世界初の体感型ゲームにして、セガの体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム。
ゲームの主戦場がアーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードでしか実現不可能な臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケードが復権する鍵の一つとなる。
ドラクエ以前の日本のRPGで大きくヒットした作品。日本のPCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。
コナミを代表するシリーズの一つとなった作品。任天堂のメトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルを形成しフォロワーが多数現れている影響力を評価したい。
セガの体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲームの元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。
スクウェアの本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要な作品。
この表を見ると、出生数、合計特殊出生率ともに目に見えて減っているのは1966年の丙午なので、迷信が当時の人々の選択与えた影響が大きい事が分かる。
出生数、合計特殊出生率の推移
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
あと、全体的な出生率は割と急に減っているのが1950年代全体と、
のが1970年代前半の終わり頃(第二次ベビーブームの終わり)なんだけど、
わざわざ1989年で1.57ショックとか書かれているのに違和感ある。
1989年頃ってそれ以前から続く微減の途中経過にすぎず、そこだけ特筆するようなものではないのでは。
1960年代には微増しているから、単純に女性の進学率や社会進出で下がった!ってものでもないように思うね。
2000年代半ばからも微増しているけれど、多分バブル世代の駆け込み出産じゃないか?2010年に40歳の女性は1970年のバブル世代生まれなので。
それと、2019年でデータが途切れているからよく分からんけれど、2019年でもガクッと落ちてるように見える。2019年に40歳の女性は1979年生まれの氷河期世代だから、氷河期の効果が出始めるのがこの辺って事なのでは?