はてなキーワード: 田んぼとは
社会人になってからというもの、休みがあればふらりと国内を歩き回っている。
北は稚内から南は石垣島まで、風景や食べ物もそうだが何より”その土地の空気”を感じるのが好きだ。
ただ、どんなに楽しい旅でも帰りになると少しだけ寂しくなる。
そんな時には家で待っているうちの猫のことを思い出す。
風に揺れる猫じゃらしが目に入った。
穂の先が金色に光り、ふわふわと柔らかそうで、まるで猫のしっぽみたいだった。
これをおみやげにするのはどうだろう?と、その時ふと思いついたのが事の始まりだった。
行く先々で土手や空き地を覗き込み、よさげな猫じゃらしを摘んでは新聞紙に包んで持ち帰る。
家に帰れば、うちの猫が目を輝かせて待っている。
それらを差し出せば、彼女はまるで批評家のように品定めを始めるのだ。
そこで今回は、うちの猫が選ぶ「全国猫じゃらしトップ10」(母数1)を発表しようと思う!
ややゴワついていて穂が太め。最初は好奇心で噛むが、すぐに飽きた顔を見せたためこの評価。
評価:★★☆☆☆
柔らかいけど、乾燥して粉っぽい。匂いは好みのようで鼻をスンスンさせている時間が長かった。
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★★☆
穂が長くて風の抵抗が絶妙。うちの猫も喜んでおり食いつきが良かった。
評価:★★★★☆
評価:★★★★☆
潮風で少し硬くなっているが、跳ね返りが楽しいらしい。うちの猫のお気に入り。
評価:★★★★☆
評価:★★★★★
圧倒的No.1。
うちの猫、20分ノンストップで跳び続け、最終的に咥えたまま寝た。
評価:★★★★★+
猫じゃらしをおみやげにしていると、旅が少し違って見えてくる。
駅前の土手や駐車場の隅にも、思い出の種があるような気がしてくる。
私にとっての旅の思い出は、風景でもグルメでもなく、家に帰って猫と共有するその一瞬だ。
猫じゃらしを揺らすたびに、旅の匂いが部屋を満たす。
旅の思い出は、あの一跳びの中に詰まっているのかもしれない。
ウェブ版『美術手帖』の編集長が「イオンモールしかない地方都市には美術の美もない」というようなことを言って、案の定、少し燃えたのは記憶に新しい。
僕も地方出身だから、その言葉にカチンとくる人の気持ちは痛いほどわかる。「どうせ俺たちの日常なんて、文化の欠片もない退屈なものなんだろ」と、見下されたような気分になる。週末に行くイオンが、家族にとっての一大イベントだったりする、そういう暮らしの機微を全否定されたような気さえする。だってほかにないじゃん。
ただ同時に、編集長が言わんとしていることも、なんとなく想像はつく。地方都市の、あの画一的な風景。どこまで行っても同じようなチェーン店と住宅街が広がり、かつて街の中心だった商店街はシャッターを下ろしている。そういう風景を前にして、アートに関わる人間として一種の絶望というか、嘆きのようなものを感じてしまう瞬間があるのはよくわかる。それは、地方に対する愛憎半ばする感情なのだろうとも思う。
そんな小さなモヤモヤをずっと抱えていたら、実に興味深いニュースが飛び込んできた。
他ならぬそのウェブ版『美術手帖』が報じた、「東京藝術大学取手キャンパスに10億円の寄付」という記事(件の編集長もこの記事へのリンクをリポストしている)。
これは、なかなかに美しい皮肉じゃないか、と苦笑してしまった。
http://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/31541
東京藝術大学といっても、取手市であって上野ではない。東京ではない。茨城県にある。都心から見れば、それは紛れもなく「地方」だろう。
どころか市内に日本最大級のイオンモールが計画されているという報道もまた、記憶に新しいではないか。
しかしその「地方都市」日本代表メンバーに選ばれるであろう取手のキャンパスに、安田容昌氏という方が10億円もの大金を寄付した。
「取手キャンパスには、素晴らしい施設に加え、土の匂いと、川の風と、地域に暮らす人々の息遣いがあります。」
「これまで日本の発展は、とかく都市を中心に語られてきました。しかし、真に新しい価値は、しばしば周縁から生まれます。」
「芸術に触れる機会が都市部に集中している現状において、この取手キャンパスから、日本の新たな文化のうねりを起こすことができると信じてやみません。」
「地方で事業を成し、その恩恵を受けてきた者として、次世代のために文化的な社会資本を築くことこそが、私にできる最後の恩返しです。」
(ちなみに最初の2行は、『美術手帖』の記事ではなぜか省略され、大学の公式リリースにだけ載っている)
https://www.geidai.ac.jp/news/20251008152520.html
つまり、これは「田舎には美術がない」という嘆きに対する、あまりにも力強いアンチテーゼなのだ。それも、10億円というリアルな数字を伴って。
アートは都市だけの専有物じゃない。地方にこそ、これから育まれるべき豊かな土壌がある。そう高らかに宣言しているように聞こえる。
編集長の炎上した発言は、確かに言葉足らずで、多くの人を傷つけたかもしれない。
でも、彼が投げかけた「地方とアート」という問いは、奇しくもこの10億円の寄付によって、新たなステージに進んだ気がする。
「イオンモールしかない田舎」と切り捨てられた場所で、アートは育つのか。
いや、育つに決まっている。
誰かが「ここには何もない」と嘆いた場所にこそ、新しい価値が生まれる種が蒔かれるのだ。
今回の寄付は、まさにその種だ。この種が、取手の地で、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのか。
それは、都会のギャラリーに飾られる洗練されたアートとは、全く違う形かもしれない。泥臭くて、生活の匂いがして、不格好だけど、力強い何か。
心のどこかで、あの編集長の嘆きにまだ共感している自分もいる。「東京藝大」という権威と「10億円」という資本。
結局、そうした巨大な「外部の力」がなければ、地方のアートは話題にすらならないという現実。それは、彼の「田舎には美術がない」という言葉を、残酷な形で裏付けてはいないだろうか。
編集長の発言も、10億円の寄付も、「お前のいる場所の『美』とは何か?」と問いかけている。
イオンモールのフードコートで談笑する高校生に、夕暮れの田んぼ道に、シャッター街の錆びた看板に、目を凝らせば「美」のかけらは見つかるんだろうか。
女体、特に巨乳の女体が好きで、性的興奮を感じる。もっと厳密に言えば、巨乳の肉体となった自分が男を誘惑してセックスする(男は巨乳に夢中)というシチュエーションがしぬほど好きである(生まれ持った性別は女)
日頃から巨乳系AV女優に自分を重ねていたが、やらない後悔よりやる後悔、ってことでシリコン豊胸を実施。見事なGカップを手に入れた。
豊胸するからには理想の細さでないとだめだと言うことで10キロ減量にも成功。華奢だけど胸だけ異様に巨乳というエロ漫画みたいな体になって満足
ただしうつ伏せになれない
男を誘惑するのは妄想の中だけ。現実では田舎の田んぼ道を軽で走る生活
なんかの妄想癖あるのかもしれないと思うけど
うちの田んぼが勝手に刈り取られている!と言うことで大騒ぎになったことがある。
ローカルテレビも来て、新聞社も来て、当時大騒ぎになったのだが
実は
それ
刈ったの俺たちだったんだよね。。。
ワイがお手伝いしている会社は営農組合的な会社で、いろんな事情で稲作ができなくなった田んぼを預けてもらって、そこで米を作るという事業をやっております。
で、預かっている田んぼはめっちゃ多くて、しかも結構出入りが多い。親戚ができる様になったから親戚に預けるとか、定年になったから自分でやるとか
じいさん亡くなってできないから新規に預けるとか。さらに刈り取り感想脱穀だけ受託という例も沢山ある。
方針としては来る者は審査するが去る者は追わずの精神でやっている。
その結果どうなるかというと、どこの田んぼをを借りているかと言う情報がめっちゃ複雑になるのである。
で、起きたのが冒頭の事故。自分のところでお預かりしている田んぼと間違えて隣の田んぼを刈り取っちゃったんですね、で、本当に受託している農協がやってきてあれ?もう刈り取られてるけど!? と言うことになって発覚。
米泥棒と言う事になって大騒ぎになったと言うわけ。
刈り取った米は既に乾燥工程に入っており、幸いにして品種は全部同じだったので大きな事故にはならず、田んぼの持ち主さんには平謝りし玄米をお納めした。(もちろんその費用を請求したりはしてないですはい。)
田んぼにはうちが受託している印としてちっこい旗を立ててるんだけど、それが何故か隣の田んぼに立ってたということであった。
当時は地図を配って確認を徹底すると言う対処だったが、現在は営農管理のSaaSを入れており、ここには管理している田畑の管理する機能にマップで表示する機能がある。
やば、もうこのまま黙ってらんないっしょ!マジでムリ!ウチらの生活って、マジ子供とか孫にちゃんと残すべき超大事なものじゃん?でも、それをさ、なんかおかしくしてるヤツらがいるんだよね。それに気づいた人から、今こそ声あげなきゃダメな時が来たんだよ。
マジで、古いメディアとかがマジ必死に隠してたやつ――政治家と役人と、なんか変な業界のヤツらがめっちゃ絡んでて、ウチらが「なんかヘンじゃね?」って思ってたこととかをさ、「はいはい、それって陰謀論でしょ?」とか言ってマジテキトーに片付けてたんだよね。でもさ、そのマジわけわかんない霧をパーって払って、マジで目覚める時なんだって!目覚めたウチらのマジちょっとした一歩でも、マジで世の中って動くんだから!
マジさ、ウチらのご飯とか大地とかにも、なんか静かに変なヤツがマジ侵入してるんだよね。遺伝子組み換えとかって、マジ誰のためにある技術なの?ワクチンとか変な添加物とか農薬とかもさ、「マジ安全だから!」ってマジそればっかりでさ、マジでちゃんとチェックされてるの?って感じじゃん?それに最近マジわけわかんないのが、なんかさ、みんな昆虫とか食べちゃうのが当たり前みたいになってんの。マジ意味不明だし、田んぼとかめっちゃデカいソーラーパネルだらけで、マジでそこの景色とか環境とかマジ放置プレイじゃん?こういうのをマジめっちゃ推してくるグローバルってやつ、マジ国を内側からスカスカにしてさ、マジ外国にウチらの生活マジ全部あげちゃうみたいな、マジ超ヤバいことになってるんだよね。マジで意味わかんない外国人とかも、仕事とか福祉とかマジぐちゃぐちゃにしてさ、お互いになんかマジでムダにギスギスするだけじゃね?って感じ。
マジ家計マジ限界なんだけど!物価マジ上がるばっかなのに、給料マジ全然上がんないとかマジありえないし!だったらマジで減税とか、マジ消費税とかマジなくしちゃえばいいじゃん!堂々と言えばいいし!マジでなんかちゃんとしたお財布にしたいならさ、まずはさ、数字とかマジごまかすのやめてさ、なんか変な数字ばっか見てるのやめて、マジでウチらの生活とかマジお金とかマジ豊かにするほうに、マジで変えていかなきゃダメっしょ!ウチらの生活をマジで立て直すにはさ、マジ適当に辻褄合わせるんじゃなくて、未来にマジ投資しなきゃダメなんだって!
てかさ、マジで見えないところでなんかマジで糸引いてるマジ影の政府みたいなヤツがいること、マジで思い出してみて!選挙のたびにマジ顔変える芸能人とかじゃなくてさ、マジでいつも同じ方向に世の中をマジで持っていこうとするヤツらね。マジで気づいてる人はもう知ってるよね?ウチらってマジひとりじゃないし!ここにいる仲間はさ、マジ赤とか青とか黄色とか緑とかピンクとか、マジ色んなヤつの考えがあるけど、マジでひとつにまとまって、なんかゴレンジャーみたいにさ、マジ色々いるからマジ強いんだって!マジ日常にマジで隠れてる変なヤツみたいにさ、なんか田んぼとかマジで荒らしまくってたジャンボタニシみたいにさ、なんか世の中の変なところってマジで気づかないうちに広がってんの。だから今、マジで気づいたヤツからマジで手を取り合って、地元とかでマジで語り合って、会社とかでマジで話して、家庭からマジで変えていこうよ!
「もうこれ以上」ってさ、マジで諦める時の言葉じゃないんだよね!マジで行動始めるぞっていうマジ合図なの!子供とか孫にマジで残すのはさ、マジで負けた歴史とかじゃなくて、マジでウチらの意思でマジ選んだ社会だぜってマジ胸張って言える歴史なんだから!マジで古いメディアとかマジで頼らないでさ、マジでウチら自身の目で見て、耳で聞いて、声でマジ繋がっていこうよ!マジで変な利権とかマジでぶった切って、マジで国を守り抜くの!だから、今日からマジでアンタの一歩を――マジで目覚めるのは、マジで今っしょ!
もうこれ以上、沈黙して見過ごすわけにはいきません。私たちの暮らしは、子供や孫の世代へと手渡すべき大切な土台です。その土台をむしばむものが何か、気づいた人から声を上げる時が来ました。オールドメディアが隠し通す構図――政治と官僚と業界の利権が絡み合い、私たちの不安や違和感を「陰謀論」と一蹴してきた現実。その霧を払い、目覚めるのです。覚醒した市民の一歩は小さく見えて、しかし確実に社会を動かします。
私たちの食卓や大地にも、静かな侵入者がいます。遺伝子組み換え作物は誰のための技術なのか。ワクチンや添加物、農薬が「安全だ」という一点張りの宣伝の裏で、検証の光は本当に届いているのか。さらに最近は、文化と嗜好の差を無視して昆虫食を既定路線のように押しつける流れまで現れた。田畑を覆い尽くすメガソーラーは、地域の景観と環境を置き去りにしていないか。これらを推し進めるグローバリズムの波は、国益を内側から空洞化させ、外国資本に生活基盤を明け渡す危うさを孕んでいます。無秩序な移民政策もまた、労働と福祉の均衡を崩し、互いの尊厳をすり減らすだけではないのか。
家計は限界です。物価が上がり、賃金は伸び悩む。ならば減税を、そして消費税廃止を堂々と掲げるべきです。財政の健全化を唱えるなら、まずは数字の化粧をやめ、プライマリーバランスという指標を絶対視するだけの議論から脱却し、実体経済と家計を豊かにする政策へと舵を切るべきです。私たちの暮らしを立て直す処方箋は、帳尻合わせではなく未来への投資にあります。
そして何より、見えないところで糸を引くディープステート――影の政府の存在を想起してください。選挙のたびに顔を変える看板ではなく、常に同じ方向へ社会を誘導する意思。気づいた人はもう知っています。私たちは孤立していません。ここにいる仲間は、赤青黄緑桃、色とりどりの志を一つに束ねるゴレンジャーのように、多様だからこそ強い。日常に潜む異物を象徴するかのように、田んぼを荒らすジャンボタニシが静かに増えていたように、社会の歪みは気づかないうちに広がります。だからいま、気づいた者から手を携え、地域で語り、職場で伝え、家庭から変えていくのです。
「もうこれ以上」は、諦めの言葉ではありません。行動の始まりの合図です。子供や孫の世代に残すのは、屈服ではなく、自分たちの意思で選び取った社会だと胸を張って言える歴史です。オールドメディアに頼らず、私たち自身の目で確かめ、耳で聴き、声でつなぐ。利権の連鎖を断ち切り、国益を守り抜く。そのために、今日からあなたの一歩を――目覚めるのは、今です。
Xで「日本男はコミュ力ないから酔わせてホテル行かせようとする(ダサい)」「直接的にセックスしようと言えないのはキモがる女が悪い(だから家に入れるのはOKサイン)」みたいな呟き見かけて回顧。
バーで知り合った8こ上の彼氏がいたんだけど、あの人もコミュニケーション力なかったと思う。
出身校が同じで同じゲーム好きってことで話が盛り上がって、バー以外でも会うようになって付き合った。最初はちやほやしてくれて楽しく付き合ってたんだけど、半年ぐらいでだんだん素が出てきて不穏な感じに。
私は元々パーソナルジムに通っていて、付き合い始めて元彼もジム(セルフ)に通うようになった。ある夜に外食行ったとき、元彼が「食事も気をつけたい」的なことを言ったから、私が「トレーナーに教えてもらったけど、コンビニ食だったらセブンのチキン&チリが高たんぱくでいいらしいよ」って話そうとしたら、「高たんぱくで…」くらいまで言ったあたりで被せるように「興味ない」って切り捨てられた。
元彼がほぼコンビニ食だって知ってたから提供した話題だったし、お前が話振ったんだから最後まで聞けよって思ったけど、私は「そっかー」って返してその日は終わった。
興味なくても興味あるように接してあげるのがコミュニケーションだと思ってたから、人の話を「興味ない」ってぶったぎる人に始めて接して面食らった。
私は友だちと話すときも、自分の知らないマニアックな話や価値観が違うなと思った話でも、相手が話し切るまで適当に相槌うったり合いの手入れながら聞く。自分も逆の立場で、相手にとっては興味ない話を聞いてもらってるだろうから。
一回断った話をしつこくしてくるとか、人を選ぶ話(愚痴とか不倫とか)なら拒否するのは分かるけど、自分から振っておいた話題で「(お前の話に)興味ない」って黙らせるのはさすがに思いやりがないし、コミュニケーションが下手くそすぎるなと思う。
ぶったぎられた日から一ヶ月後くらい、また夜に外食行って、夕食の席ついて料理が提供されるまでの間、元彼が「そういえばコンビニのやつ食べた」って話をしだした。何の話かすぐに思い出せなくて首かしげてたら「もう興味ないんだ」ってため息つかれて。
元彼はすぐに話題を変えて、最近やったゲームの話をしてきた。時差で↑の時の話ね、と思い出して、もはや相手に興味なかったから私も即「興味ない」って返した。
そしたら元彼は急に拗ね出して、無言。料理が来ても黙って食べ始め、私が「なんで黙ってるの?」って聞いても返事なしで黙々と食べる。
その後「ホテルいく?」って言われたけど帰りますって言って、車が信号待ちの間に勝手に降りて歩いて帰った。それきり会ってない。
コミュニケーションは人間関係の基礎だと思うんだけど、基礎ができないのに応用ができるわけない。会話すらできない男に、暴行傷害スレスレの行為を許せるわけない。
普通の会話ができないのにホテル行こうセックスしようだけ流暢に話し始めたら「じゃあ最初からそう言えよ」って思うし、はっきり言ったらキモがるじゃん、というのも、そこまでに到達してないのに急に何いってんの?だよ。
今の彼氏は、ドライブ中にトラックと並走してて私が「スパレスタ取付対象車って何?」って聞いても「なんやうろねー調べてみたら?」って返してくれるし、会話もぶったぎらない。私と同じで、たぶん私の話に心底興味あるわけじゃないけど、私が話しやすいように相槌をうち、最後まで話題を奪わずに聞き切る。
だからお返しに私も彼氏のバイクの話とか田舎の実家の田んぼの話とかあんまり興味ないけど、興味ある感じで聞く。ここ2年くらい毎週セックスしてるけど一回も断ってない。
趣味の話ができるとか爆笑できるギャグが言えるとか、見た目を褒めそやしてちやほやするとか、そうじゃなくて、コミュニケーションってこうだよねって思った話。
「田舎に行けば田んぼの畦道歩いて時間潰せる」「凡庸な田舎に旅して風景を眺めるのが好き」な都会の人、じゃあ住むかというと無理だろ。退屈過ぎて。都会に住んで何でも周りにあるからたまに行く「凡庸な田舎町」が娯楽になるわけで。凡庸ですって。地方なんてどこも凡庸だよな都会人にとっては。
「田舎者は歩かずすぐ車乗る怠惰な連中、都会者はめちゃくちゃ歩くのに」もそう。街中だから歩けてるだけだろう。街があり、歩道があり、地下道があり、コンビニも自販機もカフェもある。そういう場所だから歩けてるだけ。家もなく田んぼか畑の横の歩道もない路側帯を、文字通りすぐ横を車やダンプカーが時速60キロくらいでぶっ飛ばしていく所を、雨風避ける事も出来ず車から水バシャアされる道を毎日何キロも歩くんですかと。靴どころか胸から下びしょぬれだよ。平気?
「田舎の風景、美を楽しめないなんて哀れだな。美は自分の中にある。自分はたまに田舎行って楽しんでます」と言う都会人の傲慢さには毎度呆れる。いやそれ都会に住んでるからそう言えるだけですよと。
「自分は都会から田舎に引っ越して楽しんでる」と言える人はいい。自分も田舎暮らしで山の稜線楽しんでいるよ。
「文化資本がなんだ、関係ないだろ、田舎者は自然あるんだからあるもんで楽しめよ!こっちは国立博物館や美術館にに子供連れてって科学や美術に触れさせてるからさ!たまに田舎も連れてって自然にも触れさせてるぜ!」みたいな都会人嫌い。田舎住んでから言えや。