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はてなキーワード: 陶芸とは

2025-02-07

彼女のことでどうしても理解できない部分

数年前のことであるろくろ回してみたくない?って言ったら、めっちゃ興味ある!って言ってくれたので彼女陶芸体験をした。

そこは、ろくろを回させてくれて形を成形したら、釉薬の色を選んで後は仕上がり待ちって感じの体験教室だった。

初めてのろくろは思っていたより結構むずくて、先生に手伝ってもらいつつワイワイ楽しみながら、俺はお茶碗と湯呑みを、彼女ぐい呑みと片口を作っていた。

出来上がったものはそれなりに立派で、結構良いものだったと思う。茶碗に関しては自分で欲しい大きさが作れたこともあり、今も大事に使っている。彼女の方は、俺が作ったすとんとしたあんまり面白味もない形の湯呑みと違って、中程が膨らんでいる形で、口元も薄く口当たりが良さそうで、非常に良い出来だったと思う。先生も褒めていた。

しかし、同棲を始めたとき彼女荷物の中に作ったものが見当たらないのが気になっていて、あるとき聞いてみたところ、なんと捨てたらしい。

彼女曰く、体験のものはとても楽しかったができたもの大事に取っておくほど素敵な出来じゃない、新しい素敵な器買って場所もなかったし、自分のだから別にいかなって、とのことだった。

ちょっとショックだった。

とはいえ言っていることは理解できないわけじゃない。

そもそも彼女陶磁器が好きで、博物館などに眺めにいくこともあるし、小さいギャラリーに展示してあったお皿を買うような人である。(余談だが、街にある小さいギャラリーに入ることも、その場でそこに展示されてる作品を買うことも、それを作った人と話をすることも、全く自分のこれまでの生活になかったことなのでビビりまくったが、値段はそんなにすごいものでもなかったし、執拗押し売りされたりもしなくて、普通にこの色合いが素敵で、とかお話しした上で名刺みたいなものをもらっていた)

詳しくないと本人は言うが、これは〇〇焼かな?と言ったのが当たっていることもままある。釉薬貫入という言葉彼女のお陰で知った言葉だ。

そういうこだわりがあるからこそ、自分の作ったものいまいちだと思ったので捨てたのだろう。

それはわからなくもないけど、自分が作ったものから大事にした方が良いのでは?

そんな彼女は、俺が無闇に保管しているガチャガチャの景品や、乗った電車切符や、観光地ペラペラパンフレットなどは絶対に捨てたりしない。基本的ちゃんと保管してるけど、たまにテーブルに置きっぱなしにしていても勝手に捨てない。ちゃんと聞いてくれるか、置き場にしまっておいたよ、と言ってくれる。人にもらったものなども大切にして綺麗に使っている。

しか自分が買ったもの自分が作ったものに関しては全くためらいがない。邪魔になったらあっという間に捨てている。

他人のものやことは大事にできる人なのになんで?と思ってしまうのは、自分勝手に色々思いすぎなのだろうか。

2024-12-14

[]

岐阜県現代陶芸美術館の「人間国宝 加藤孝造 追悼展」を拝見してまいりましたわ

陶芸家の人間国宝の方ですけれど最初の展示は油絵からはじまります

絵での成功を考えていらしたのですけれど、東濃しかできない陶芸に転身したのですわ

でも、最後の展示室も初心に還るように絵でしたわ

陶芸と平行して絵を描くことは続けられたのですわ

机周りの再現展示は、一つ前に行われた荒川豊蔵展と同じになっているので

両方行った方は師弟比較を楽しめます

そんな二つの仕掛けに気づきましたわ

2024-12-09

anond:20241208220342

コピペ引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ

だってけが多いなっておもったのによ

NHK朝ドラ 実在する人物を描いた作品一覧

1964年うず潮

作家林芙美子モデル

原作放浪記」「うず潮」など。

1966年おはなはん

原作者・林謙一の母、林ハナ(旧姓:深尾)がモデル

林謙一「おはなはん

1977年いちばん星

昭和流行歌手第1号で日本初のレコード歌手

佐藤千代子がモデル。「あゝ東京行進曲」が原作

1978年おていちゃん

女優 沢村貞子の半世紀。

沢村本人の「私の浅草」「貝のうた」が原作

1979年マー姉ちゃん

漫画家長谷川町子の姉、長谷川鞠子がモデル

長谷川町子の役は、田中裕子が演じた。

サザエさんうちあけ話」が原作

1981年本日も晴天なり

NHKアナウンサー作家近藤富枝モデル

1984年心はいつもラムネ色

上方漫才代表する漫才作家秋田實モデル

わろてんか」では藤井隆が演じている役。

秋田實関連書籍

1986年はね駒

女性新聞記者草分け、磯村春子モデル

1987年チョッちゃん

黒柳徹子の母、黒柳朝自伝エッセイ

チョッちゃんが行くわよ」が原作

1990年凛凛と

早稲田テレビジョン開発者川原田政太郎モデル

発明家でもあり、特許取得数は60にも及ぶ。

1994年春よ、来い

戦争を乗り越え、大学に進学し脚本家として成功した後、

最愛の夫を見送るまでが描かれている。

原作である脚本家橋田壽賀子モデル

1997年あぐり

美容師草分け的存在で、

女優吉行和子の母、吉行あぐりモデル

原作梅桃(ゆすらうめ)が実るとき

2000年オードリー

本作の作者である脚本家大石静モデル

DVD未発売。

2003年てるてる家族

作詞家作家なかにし礼の妻で、

女優いしだあゆみの実の妹、石田ゆりモデル

原作てるてる坊主の照子さん

2006年芋たこなんきん

ソフト化されていない。

小説家随筆家田辺聖子自伝ドラマ

田辺本人のエッセイなどが原案

楽天少女通ります私の履歴書

2010年ゲゲゲの女房

漫画水木しげるの妻、武良布枝モデル

原案は、妻布枝の自伝エッセイ

ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!!」

2011年カーネーション

ファッションデザイナーコシノ三姉妹」の母、

小篠綾子モデル。「コシノ洋装ものがたり」

2014年花子とアン

児童文学翻訳で知られる、村岡花子モデル

村岡恵里(孫)「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」が原案

2014年マッサン

ウィスキー製造技術者ニッカウヰスキー創業者

竹鶴政孝とその妻リタ夫婦モデル

竹鶴夫妻 関連書籍

マッサンとリタ ジャパニーズウイスキー誕生

2015年あさが来た

炭鉱事業大同生命創業に参画、銀行女子大学

設立した女性実業家広岡浅子モデル

吉川智映子「土佐堀川 広岡浅子の生涯」が原案

2016年とと姉ちゃん

暮しの手帖編集者大橋鎭子モデル

大橋鎭子著書「「暮しの手帖」とわたし

2016年べっぴんさん

子供服を中心とするアパレルメーカー

ファミリア」の創業者のひとり、坂野惇子がモデル

坂野惇子著書「子供服にこめた「愛」と「希望」」

2017年わろてんか

吉本興業創業者吉本せいモデル

吉本せい関連書籍お笑い帝国を築いた女」

2018年まんぷく

チキンラーメンカップヌードル開発者で、

日清食品創業者安藤百福の妻、仁子がモデル

関連書籍チキンラーメン女房 実録安藤仁子」

2019年なつぞら

アニメーション時代考証担当した

アニメーター小田部羊一の亡き妻奥山玲子がモデル

漫画映画漂流おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一

2019年スカーレット

女性陶芸家草分け神山清子がモデル

自然釉薬を使った陶芸第一人者

ドラマ内の陶芸作品は、神山から借りた作品

緋色のマドンナ 陶芸家神山清子物語

2020年エール

作曲家古関裕而とその妻で歌手金子モデル

古関著書「鐘よ鳴り響け」

2020年「おちょやん」

松竹新喜劇活躍した女優浪花千栄子モデル

関連書籍昭和日本笑顔にしたナニワのおかあちゃん女優

2023年「らんまん」

植物学者、牧野富太郎モデル

牧野富太郎関連書籍

2024年ブギウギ

ブギ女王といわれた歌手笠置シヅ子モデル

笠置著書「歌う自画像 私のブギウギ伝記」

2024年「虎に翼」

日本初の女性弁護士の1人であり、

初の女性判事及び家庭裁判所長の三淵嘉子がモデル

三淵嘉子関連書籍

2025年あんぱん」

漫画家やなせたかしの妻、小松暢がモデル

関連書籍アンパンマン誕生までの物語

2025年「ばけばけ」

小泉八雲パトリックラフカディオ・ハーン)の

妻・小泉セツがモデル

関連書籍思ひ出の記」小泉節子

2024-10-18

上げ底陶芸体験が出来るところはあるか?

レタスの絵をかいから揚げ皿に出来るか?

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ここには、自ら築き上げてきたスーパー廃業も辞さなおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-09-13

anond:20240913191825

うそ

能登瓦礫撤去作業させたあとはそこで陶芸でもやらせとけってのな

ゴミがどいつもこいつも都市に集まってうぜーったらないわ!

無能から出ていけ!

都市には旧帝大卒だけが住めれば良し!

2024-09-11

anond:20240911123323

まぁそんなに悲観になりなさんな

そりゃ10から当たり前に日常生活恋愛を行っていた人を羨んでもしょうがない

言うなりゃ10から運動部社会人になってもずっとジムに通ったりで運動しているおっさんの腹筋が薄っすらと割れてるのを

運動経験なしのおっさんが憧れて腹筋を始めたって簡単割れるわきゃない

恋愛だって顔がよいだけのヤリチン例外として

普通相手のことを考える配慮 自分の見た目を整えるスキル 適度に距離を保った会話などを徐々に獲得しているわけで

さぁ仕事もできるようになったし金銭的余裕もできたからそろそろ恋愛をみたいな考えはどう考えても人生設計ができていない

でもな世の中おんなじように人生設計ができていない人たちは男女問わずたくさんいる

結婚相談所アプリではなく別のアプローチが良いと思う

なぜなら上記結婚目的の人たちの集いだから

悪く言うと結婚がゴールでその先の生活二の次から

興味がない趣味を無理に始めろとは言わないが

ボルダリング陶芸など自分が好きで一生続けたい一人でも楽しめる趣味を見つけるといいと思う

そこでの出会いはかならずあると思うが焦るのはやめてまずは趣味を優先する

そういうガツガツしていない人には必ず男女問わず友人ができるはず

好きなものが一緒というのは価値観の一致する部分があるので関係も持続しやす

年齢によっては子供を持つのは難しいかもしれないが気が合う大人が二人仲睦まじく一緒に暮らすという結婚もいいと思うけどな

2024-08-12

anond:20240812193737

休日リフレッシュする方法や新しい趣味アイデアをいくつか提案しますね。

1. 自然の中で過ごす

ハイキングキャンプピクニックなど、自然に触れることでリフレッシュできます。近場の山や公園に出かけてみるのも良いでしょう。

2. アートに挑戦する

絵を描く、陶芸写真撮影など、アートに触れることでクリエイティブな刺激を受けられますワークショップ教室に参加するのもおすすめです。

3. 料理お菓子作り

新しいレシピに挑戦して、料理お菓子作りを楽しむのも良いリフレッシュになります特に自分で作ったもの家族や友人とシェアするのは楽しいですよ。

4. 新しいスポーツを始める

ヨガピラティスランニングなど、気軽に始められるスポーツに挑戦してみてはどうでしょうフィットネスアプリオンラインクラス活用できます

5. ボランティア活動

地域ボランティア活動に参加することで、新しい人との出会いや、充実感を得ることができます

6. 新しい場所を探索

まだ訪れたことのない街やエリアを探索してみるのも、新鮮な気分転換になりますカフェ巡りや街歩きも楽しそうです。

7. 読書映画鑑賞

リラックスしながら新しい知識や感動を得ることができる読書映画鑑賞も良い過ごし方です。ジャンルを変えてみると、さらに新鮮に感じられます

これらのアイデアを取り入れて、次の休日を楽しんでみてください。

2024-05-29

anond:20240529133230

お金に加えて時間もかかるけど、何か習うのはどうだろう。パーソナルは契約するみたいだけど、クリエイティブ系のやつとか。絵、陶芸音楽ドローンボイトレ茶道農業あたりがぱっと思い浮かんだ。

 

実際に体験すると、やる前には想像しなかったところに発見があったり、刺激があったりするよ。

2024-03-07

モスクワ陶芸作家さんの作品

200点あまりが30分も経たずに完売。すごい。

ロシアとか戦争とか関係なく、ひとりのアーティストとして真摯に作った作品が瞬時に完売するというのは嬉しいだろうな。

スパチャで稼ぐより作品を作って売って稼ぐほうが健全だと自分は思う。

稼いだお金で良い土を買ったり釉薬を作ったり講座を受けて勉強したりして、また作品還元して更に成長していくことを願う。

2024-02-21

anond:20240217144643

暗号技術意味が無くなり

意味不明。きっとなにか重要なことが語らえてないだろうけども、暗号技術意味がなくなるステップがまるで見えないので意味不明。

SNSなりすましで溢れ、人類オフラインコミュニティ移行する

認証技術としての基盤である暗号技術が無いならそうかも。でも私には暗号技術がなくなるとは思え無いので、これも無いという結論になる。

> 今でも、インプレゾンビが湧いているが、あれが人間かどうか見分けが付かなくなる

迷惑アカウント人間だろうがAIだろうがどうっちでも良くないですか?どっちでも迷惑なことに変わりないうんこたかハエです。

> 優しい人や知人を装って、詐欺誘導するアカウントが増えると思う

フェイクは増えるので詐欺も増える。これは同意

> 3.デジタルな娯楽を作る人が居なくなる

それはないと思う。大量工業製品で溢れてる現代において陶芸裁縫結構趣味として確立している。AI無限データを作れることと人間が作らなくなることはイコールじゃない。

ただしここでのいなくなるが、少なくなると言う意味なら同意

ボタン一個押すだけで、ハリウッド映画無限に作れるようになるのに、わざわざ金使って映画撮る人おる?

いないと思う。想像の通り少なくなるでしょう。

> 他の分野もそうなるし、既に音楽イラストは手を引いてる人が出てそう

お金が稼げなくなると言う意味ならそうです。表現を辞めるかどうかは別の話。

人々は、音楽イラストも、スケボーとかダイビングみたいな自己表現趣味の一つであることを思い出すだけです。

AIを作っている会社がボロ儲け、AIを使う人が適度に儲け、使えない人は貧乏生活

> これは今の株価を見てもそうなると思う

そうだと思いますAIを動かす電気を作る人なんかはもっとかると思いますエネルギーセクター結構妙味があるかもしれません。(思いつき)

ゲームオンライン対戦なんかも機能しなくなるし、インターネット普及前の生活まで戻ると思う

対戦相手人間AIかわからないと言う意味ではそう。でもAIは十分人間と見分けがつかないレベルであれば、今までのオンライン大戦と何も変わりません。

なのでインターネット普及前までの生活に戻る。というのが意味不明で何を言っているのかわからない。同意できない。

なんか、もっとボロカスに書こうと思ったけどところどころ、同じ考えだった。

AI規制する必要はないと思う。ただし貧富の格差問題があるのでサポート必要。こんなところだろうか?

でも直近はAIが過剰評価されてる気もするので、社会ゆっくり変化していくから衝撃は限定的な気がしている。

2024-01-07

日曜日イオン漫画を買いに行った

昨日、博多駅丸善ユリイカpanpanya特集号とpanpanya漫画を買いに行った

panpanya漫画大分前に全部手放してしまたから、買いなおして評論と読み比べながらニヤニヤしようと思ったのだけど、漫画の方は一冊も売ってなかった

バスターミナルの方も行ってみたけど、こちらも一冊も置いてなかった

仕方ないのでユリイカだけ買って、今日地元イオンヴィレッジヴァンガードに行くことにした

久しぶりに渡るイオン建物二つをつなぐ陸橋は塗装が剥げたり、階段部分の金具が錆びたりしていて時の流れを感じさせた

陸橋を歩く間に祖父母小学生くらいの子供という組み合わせにのみ二度すれ違い、60歳で第二次性徴来る世界みたいだって思った

建物の中に入って、エスカレーターに乗った時にそば硬貨を入れて動かすタイプマッサージチェアが3つ並んでいた

頭まで覆いかぶさるタイプ近未来的なデザインのやつで、見たままをいうと宇宙船の操縦席みたいなやつ

三席とも埋まっていたんだけど、一番右端の席の人が気持ち良すぎて眠ってしまったのだろう

ももの上とかに置いていただろう、アクエリアスペットボトルオロナミンCを床に落としてしまっていた

陶芸体験をやっていて、子供たちが手を泥だらけにしているのがエスカレーターから見えた

人があまり集まっておらず、ショッピングモールの煌々とした照明とつるっつるの照り返しのある床の間での陶芸は少し異質に思えた

清潔感を保ちながら誰かの生活になじんでいるイオンには、子供時代に読んだSF小説で描かれた未来生活感を少し思い出した

他に目的もなかったのでヴィレッジヴァンガードpanpanya漫画数冊と座薬みたいな見た目のソフトキャンデーを買って帰った

ユリイカを読んだら、panpanya漫画って私小説な感じとか、写真から風景を起こして書いている感じとか、水木しげるとかつげ義春の影響あるよねとか書いてあった

路上観察とかの赤瀬川源平系譜だと思って読んでいたので、そういう考え方もあるかと思いながらパキッとソフトキャンデーの皮膜を奥歯で噛んで潰してねちっこい甘さを味わった

浅野いにお写真加工で風景作っていたよなと思い出し、手で書かれているか加工しているかの違いこそあれ、ヴィレッジヴァンガード風景写真元な漫画を好んで置く習性があると思った午後だ

2024-01-05

新卒で入った会社を辞めて無職になった時、一人旅してみたくて初めて出かけたのが金沢で、都内から夜行バスが到着した早朝からバスの一日券で兼六園とか美術館とか市場とか茶屋街とかからくり寺とか、まぁとにかくガイドブックに載ってるところひたすらまわった

次の日は山中温泉に泊まる予定で、金沢からバスに乗ったら停留所名の似た全然違うバス停でバス降りちゃって、次のバスも暫くないしタクシーも通る気配なくて途方に暮れてたらちょうどぽつんと立ってた寿司屋開店時間になって、ふらっと入っておすすめセットを頼んでタクシー呼んでもらったな…

山中温泉で泊まった宿はもう忘れちゃったけど、オフシーズンのど平日だったかグレードアップしてくれて、一人旅なのに和洋室ツインルームで内風呂ジャグジーのすごい部屋に通されて、暫く入り口呆然と立ち尽くしてた

ちょっと良い宿だったのか、客室にはお茶お茶けが用意されてて、夕飯の場もしっとり薄暗くて年配の夫婦が多くて、ますます場違いだなーって思ったけど、大浴場も空いてて夜にも朝にも入ったし、部屋風呂ジャグジーに浸かりながら日本酒も飲んだ

翌日はチェックアウトしてから温泉街商店街?をふらふら散歩して、共同浴場とか、その街最古の温泉?なんかに入ったり、卵かけソフトクリームみたいなわけわかんないの食べたり、駅まで一、二時間歩く途中でどでかい大仏みたいなのが見えてたり、急遽みつけた陶芸体験したり、行き当たりばったりの日だったけどそれもまた良かった

毎年旅に出たいと思ってるのに仕事や身内の訃報自然災害流行病でもう10年近く旅行してない

地震が落ち着いたらまた金沢行きたいな

京都北海道にも行ってみたい

お金時間に余裕ができるのはいつになるだろうなぁ…

2023-11-21

anond:20231121091607

描きたいから描くんじゃダメなんかな。絵画陶芸楽器趣味にしてるやつらは、普通にずっとそうしてきた。イラスト自尊心を満たしたり小遣いを稼いだりするツールとして使えた、ここ十数年がちょっとしたバブルだっただけ。

2023-10-22

やってみたいことが多すぎる

 

 23歳、栃木県で暮らす社会人2年目の女。5月末に2年付き合ったモラハラ彼氏を振ってから休みの日を一人で過ごすことが多くなったんだけど、やりたいことがポンポン湧き出てきて、時間全然足りない。

 職業柄、基本的に平日固定休だから一般的な土日休み友達とはあんまり出掛けられないんだけど、仲の良い会社の同期や上司を誘って、ここ数ヶ月は結構アクティブに過ごしてる。

 

 

●ここ数ヶ月でやったこ

・糀調味料作りワークショップに参加

味噌屋さん(厳密には、味噌屋さんが経営しているカフェ)で糀を使った調味料を作った。普段簡単自炊しかしてないから、糀ってそこまで馴染みがなかったけど、美味しかったし健康にも良いみたいで、勉強になった。これは同期を誘って行ったな。

 

・川で遊ぶ

前述したワークショップの後に川で遊んだ7月だったから山の中の涼しさと水の冷たさがちょうど良くて最高だった、自然が好きだからこういう遊びは定期的にしたい。

 

美術館に行く

隣県の美術館に行って企画展を見た。元々美術館に行くのは好きだったけど、彼氏が興味ないから、休みの日にデートで行くこともなく随分とご無沙汰だったと思う。久々にゆっくり絵を見て回るのは楽しかった。また行きたい。

 

・新たなコミュニティに飛び込んでみる

自宅からそう遠くないジャム屋さんの店主と仲良くなり、誘われるがまま店主の加入している絵画の会に参加させてもらった。その勢いで、私の描いた水彩画複数点、展示会に出展した。細々とやっている展示会だったけど、現地に置かれてた感想ノートに「増田さんの水彩、色が綺麗!」とあり、社会人になってこんな風に知らない誰かから褒めてもらうことあるんだな、存外嬉しいなと思った。

 

ガラスを吹く

山の中にあるガラス工房上司吹きガラス体験をした。漠然と「吹いてみたいな、ガラス…」と思っているという話を仲の良い上司に伝えたら、そのまま一緒に行くことになったが、めちゃくちゃ楽しめて嬉しかった。完成してから家に届いたグラスもすごく綺麗で毎日使ってる。

 

・山に登る

高校時代登山部として3年間山に登り続けて、卒業後は特に何もしてなかったけど、家にいてもやることがないので、せっかく山の近い栃木に転勤してきた訳だし…と登山を再開した。女が1人で登るには不安も多いので、とりあえず低山からお試し。ありきたりな感想しかないが、やっぱり登頂すると達成感があって嬉しい。

 

クラフトコーラを作る

突如思い立って、材料を買い集めて家で一人小鍋でぐつぐつとクラフトコーラを作った。一般的レシピで作ったから失敗もなく、シンプルに美味しかった。でも、まだまだ改良の余地がある気がする。自分好みのクラフトコーラを追い求めていきたい。

 

ナス狩りをする

同期の家が農家で、市場に出せない傷のあるナスが最終乱獲シーズンを迎えたとのことで、誘われるがまま行ってきた。山ほどナスを狩ってほっこり小学生の時の「せいかつ」の授業みたいで面白かった。秋だし栗拾いとか、ぶどう狩りとかしたいなと思ってたけど、ナス狩りもかなり良かった。

 

ろくろを回す(予定)

山の中にある陶房で陶芸体験をする予定。これは仲の良い上司ガラス吹きをした後に「次はろくろ回してえな…」「ですね…」と意気投合したので行くことに。紅葉シーズンでもあるので、今すごく楽しみにしてる。

 

 

 今のところ、予定こそ立てていないけど「星が見たい」とか「焚き火したい、そんで芋とマシュマロ焼きたい」「芋煮会をやってみたい」も願望としてある。ほかには、もう少し落ち着いたものだと「連作短歌を詠みたい」「金継ぎをしてみたい」「食品サンプル作ってみたい」とか。

 不思議なことに、どれもこれも彼氏と別れてから「やってみたい!」と思ったことだ。付き合っていた時は相手に合わせて、自分を押し殺してたのかなあと考えたりする。

 

 まあ、何がともあれ自分人生だし、やりたいこと、やりたい放題なんだから、楽しんでいこうという気持ちで日々過ごしてる。それにしても時間が足りない!まだまだ世の中にはきっと、楽しいことがたくさんあると思うのに!

 

 ほかに、もしおすすめの「楽しいからやってみて」があれば、教えてね。栃木で私がめちゃくちゃ楽しんでみせます

2023-09-24

よく「意欲作」って言うけど

無意欲作」を作ってみたい。

まずは陶芸でやってみる。

たまに忙しくて適当な昼ご飯を食う、あの無意欲さ。

あれを作品にしたい、

が、「したい」というのは意欲なので難しい。

2023-09-03

anond:20230830162115

性的価値がないっていうのが、セックス需要がないって意味なら大きな勘違いなので離婚してどんどん夜遊び男遊びして大いに楽しんで欲しい。

35オーバーで子なしのフリーなんて年上好きの猿みたいな若いからまだまだ現役なアラカンまで幅広くモテるし、割り切りつつも長続きするセフレみたいなの出来たらめちゃくちゃ楽しいよ。

型にハマった生き方しかしてなくて遊んでないからつまんないんだよ。

それはやりたいことがないからじゃなくて、やったことの数が少ないんだよ。

男とのセックス苦痛ならビアンかもしれないかビアン風俗相談してみたらいいよ。

案外バイだったりするよ。

やりたいことないのって、試した数が少ないからまだ見つかってないんだよ。

手っ取り早いのは夜遊び男遊び女遊びだけど、片っ端からやったことないことやってみたらいいんじゃない

バンジーでも陶芸でも華道でもボクシングでもSMでもハトバスツアーでもなんでも、ぴんからきりまでやってったらこの後の人生何年あっても足りないでしょ。

2023-08-21

anond:20230820171119

ちょっと、かなり、ズレるけど

父の還暦祝いの品を探しに百貨店へ行ったとき

屋外にいい器持って行って使ってみませんか、という「キャンプ x 陶芸」な催事をやっていて、

ふらっと見に行って一目ぼれしたのがこの器

https://marukaku.shop-pro.jp/?pid=167027466

緋色一つでここまで眺めてられるのか、って見てたらご本人がいらして話も聞いて、

家で千切りキャベツが盛られてたりするのです

2023-08-19

地方文化教養とか鼻で笑ってる

文化とか教養とか話題だけど、結局言ってることただの消費じゃねーか。

しろアーティスト地方暮らしながら作品発表してる人の方が多いくらいだよ。

絵、小説陶芸書道演劇現代アートetc

集団で作る作品だと東京の方が有利だけど、ソロで完結するなら絶対地方有利。

パッと思いつくだけで長野熊本沖縄、全部政令都市以外で暮らししてる。

しかもみんな稼いでて、普通以上の収入得てるなぁ。

そら消費したいなら東京一択でしょと思う。

2023-08-05

京都文化

京都文化はないという結論に達した

神社仏閣 単なる古い建物

仏壇仏具 仏教自体中国からの輸入

狂言 ただの古臭い踊りだし、そもそも北山

京料理 新鮮なものがないから無理やり作ったものしかない

陶芸 どこでもやってる

刀鍛冶 どこでもやってる

茶道華道 どこでもやってる

祇園祭葵祭ほか ただの夏祭りみたいなもので全国にある

節分祭 どこでもやってる

送り火 規模は違うがどこでもやってる

天下一品 どこでもある

京女 プライド高くて意地悪

2023-08-02

anond:20230802231953

趣味に逃げよう

仕事はなるべく低カロリーで済ませるようにして

ネトゲサバゲー陶芸絵画アプリ開発楽曲制作

なんかの趣味に邁進しよう

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