はてなキーワード: 舞踏とは
先月引っ越しました
その機会にまだ動くけどHDD壊れてSSDが500GBで結構かつかつ(SSDメモリ刺してなんとかしてた)のゲーミングPC(6年前に30万ぐらい)も
買い換えました(実家からの引っ越しなので、旧PCは実家で使ってます)
ディスプレイやスピーカ、キーボード、マウスも新調して必要最低限を揃えたらそれ以上が欲しくなる性
めっちゃいいんだけど、一番安い3kぐらいの買ったので、13kぐらいのやつが欲しくなってる
メーンのスピーカ(旧環境と同じ奴が型落ちして黒金で安かったからそれにした)も5kぐらいのやつなので更新したい
で、ミニマリストを目指してレンジ台以外の家具はクローゼット内の衣装ボックスとPCラック(地べた置きはNGらしい)以外すべてomitしてきたのでその反動でいろいろ欲しくなりがち
ウォータサーバとかワインセラーとか(家具レベルのやつも含めて)
今一番欲しいというか、今後必要になるのでは? というものがVRゴーグル
今のところ、Vtuberなろうとして2dのやつ自分で作ったけど、活動してないレベルでPCは動画見てゲームして漫画読む機械
ツイッタとかでVRCとかよいよって常々流れてくるし、FANZAとかで気になる作品がVR用だったりして、そのうち足を突っ込んだろうなと思いながら、手を出せずにいる
VRだったりMRかARだったり、今後多分MRのV寄りで落ち着くのではと思ってる
{ラブドールにテクスチャ張ってもらうだけだと、自室が汚いとしんどい(逆にエロいか)ので}
というわけで以下のものを購入しました(VRゴーグルは買ってないしまだ全然買うつもりない)
・ウィッグ
・偽乳(Dカップ)
↑ここまではバレても、ネタとか女装というか女装して動画とってバズりたかったんやーって言い訳きくもの
なので、みっつりんで購入。無事届いた(新居には宅配ボックスないので実家に届けてもらって無事回収)
↓流石に言い訳できないので、信長書店だったか、TENGAShopだったかで購入
トートバッグがパンパンなって、職質された時のシミュレーションをずっと考えながら電車乗って帰った
・ジョークグッズ(白いやつ)
結果、大勝利
なんかリアクションあったらまた詳細補足する(リアクションなんてするな)
結果としては生きててよかったレベルで、不満があるとしたら
エアラブドールとジョークグッズの相性が悪くて、ちょっと装着に手間取ったことぐらいなのですが、
もうエアラブドール(通称エアちゃん)と住むので、オナクラも行き収めだなと
今まで180点ぐらいの嬢にハマって長続きしたり騙されたりしてて、ちょうど今は超絶お気にが居なくて
130点ぐらいのと115点ぐらいの嬢とだけ居る状態で
115のほう3回目ぐらい
(ワンチャン130はエアちゃんに黙ってこっそり行くかもなので行き収めとしてはちょうどよかった)
かなりさばさばした口数少ないこで、でも今日は結構向こうから喋ってくれた
あかん合図。客も嬢も過去とか現状の悩みとかを言い出すと情がうつったりして変な風になる
ってわかって過去二回避けてたのに、将来の悩みとかを聞いてしまった
こちらもどれくらい騙されたとか、何万貸したとかのエピソードを(誰にも言えないのでずっと言う相手を探してしまっている)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E6%8D%A8%E6%9D%BE
近世以後ヨーロッパで確立された外交プロトコルでは、夜会や舞踏会が大きな役割を果たしていたが、その風潮は19世紀後半になってもあまり変わってはいなかった。列強の外交官は夫人同伴で食事や舞踏を楽しみ、時にはそうした席で重要な外交上の駆け引きも行う。幕末から明治初年にかけて欧米を視察した日本人にとって、それはひとつの大きな衝撃だった。日本人の女性がまだ人前での立ち振る舞いにまったく慣れていなかった時代、新政府の高官の多く[誰?]が即戦力となる芸者や娼妓を正妻として迎えた[34]理由のひとつもここにある。
どうも社会云々じゃなさそうなんだよなあ
そう言えばバッド・バニー(Bad Bunny)が♪今日はセクースしたーい、と歌った“Yonaguni(ヨナグニ)”がホテントリしてたなと思い出しつつ。
これだこれ(↓これ書いたのは自分じゃないです)。あ、去年の話だったわ。
The Chainsmokersの“I Love U”
ラジオではヘビロテされてたが、はてな界隈ではそんなに話題になんなかったな。
「イケイケ団長!」『グラブル』クラリスの声をサンプリングした経緯をザ・チェインスモーカーズが明かす - フロントロウ
front-row.jp/_ct/17549305
ザ・チェインスモーカーズの新曲「アイ・ラヴ・ユー」の冒頭と中盤で響きわたる「イケイケ団長、ガンバレガンバレ団長!」という日本語。~これは株式会社Cygamesと株式会社CyDesignationの共同制作によるソーシャルゲーム『グランブルーファンタジー』に登場するキャラクター、クラリスの声をサンプリングしたもの。
The Chainsmokers - I Love U (Japanese Lyric Video)
www.youtube.com/watch?v=Wh1bXssmBKA
リミックスとかじゃなく、「イケイケ団長、ガンバレガンバレ団長!」入ってるこれがオリジナルバージョン。
ラジオで初めて聞いた時、てっきり日本でDJがリミックスでもしたのかと。
オバマ元米大統領 2022年のお気に入り曲をまとめたプレイリスト公開 - amass
amass.jp/163387/
から。
第65回グラミー賞の「最優秀新人賞」にノミネートされたオマー・アポロの「タマゴッチ」。
ファレル・ウィリアムスとチャド・ヒューゴのプロデュース。
なのに再生回数まだそんな伸びてない。
www.youtube.com/watch?v=8lwdjNS8Ixk
スペインのシンガーソングライター、ロザリア。
オバマ元大統領は別の曲を推してたが、日本語絡みで「チキン・テリヤキ」。
CHICKEN TERIYAKI - ROSALÍA《和訳》 | おこめのブログ
ameblo.jp/carastiffany/entry-12769209019.html
きみには何もない、あるのはてりやきチキンだけ あっちで泣いてろ
ROSALÍA - CHICKEN TERIYAKI
www.youtube.com/watch?v=OG4gq9fCoRE
サビの部分のダンス、TikTokで流行りそうな気も。もう既に流行ってたりする?知らんけど。
ロザリアでもう1曲。「ヘンタイ」。
HENTAI - ROSALÍA《和訳》 | おこめのブログ
ameblo.jp/carastiffany/entry-12770032901.html
意味はそのまま「ヘンタイ」ですが、これに「変質者」などそういうネガティブな意味は含まれていません。外国語での「ヘンタイ」は、「日本のアダルトアニメや成人向け漫画、ギャルゲやエロゲ、又はその画風を模倣したもの」を指しているからです。
ROSALÍA - HENTAI
www.youtube.com/watch?v=_6YCNd3ONUU
Rosalía 『Hentai』女性主導女性目線のセックス観 全裸監督 - 電子計算機舞踏音楽
senotic.hatenablog.com/entry/rosaliahentai
アイカツは好きだ。
プラネット以外は全話見ている。
プラネットがなんで合わなかったのかといえば、プラネットは2.5次元のアイカツだったからだと今なら確信が持てる。
当時、アイカツプラネットを5話ほどで切った時自分は「演技の下手さに付き合うことにキツさを覚えたのだな」と自分を分析していた。
だが違った。
それが今回ハッキリした。
アイカツの舞踏館ライブはキャラクターと歌い手を積極的に繋げる作りだった。
ビジョンに映るアイカツのキャラクターに合わせて、その依代としての歌い手が次々に登場していく。
ここでもう自分は「アイカツの歌を歌う人達のライブ」としてではなく「アイカツキャラクター達によるライブを現実で再現しようとした儀式」として脳が認識してしまった。
歯車の噛み合わせ方を間違えた自分が悪いのかも知れないが、結果としてライブへの期待感は次々と違和感へと変わっていった。
「アイカツキャラを名乗るコスプレをした別人達によるライブ」は、自分が期待していた「アイカツのライブ」ではなかった。
それがコスプレだからこそ愛を感じるのだ努力を感じるのだと思う人はいるんだろうが、自分は「そんな努力をする必要があるのか?」と考えてしまった。
だって、アニメでやった方がより本物らしく、より完成度の高いものを作り出せるのだから。
キャラクターデザインが決められ、アニメーターが絵を用意し、そこに声が当てられる。
現実のライブも衣装デザイナーやメイキャッパーがいるが、ステージに立つ時1人の人間は1人の力しか出すことが出来ない。
それも1秒につき1秒分の力しか出せない。
だがアニメは違う。
3DCGを担当するグラフィッカーは数秒の映像のために何日もかけて準備をして何度もリテイクをし、最も上手くいった瞬間を繋ぎ合わせる。
声優だって同じように何度も撮り直すし、音響は完成した映像に合わせて何度も微調整をする。
リハーサルではなく本番を繰り返し、その中で最高のものが作り上げられる。
「一発勝負であること」を価値として提供するライブとの違いは「一発勝負でないこと」に強みを置いている部分だと言えるだろう。
「理想の瞬間」を目指すための努力ではなく、完成された「理想の瞬間」そのもので勝負してきている。
結局のところ、2.5次元というのは「3次元が頑張って2次元の理想に近づこうとする姿」なのだ。
それこそがアイドルの精神であると思う人が2.5次元に惹かれているのはわかる。
だが、自分は「より理想に近い姿が2次元でこそ実現できるなら、わざわざ3次元を触媒にする必要はない」と思ってしまうのだ。
この考えは穿ち過ぎなのかも知れないが……結局2.5次元をありがたる人はどこかで「3次元のほうが上」と思っているんじゃないだろうか?
2次元をより高次の次元である3次元へとアセンションさせていると感じているのではないか?
3次元に2次元を再現しようとしたことで産まれる違和感は、2次元のエネルギーがもともと3次元より低いことで発生しているから仕方ないとさえ思っているのでは?
すまない。一度落ち着く。
俺はおそらく、それと真逆なんだ。
理想を具現化するための媒体としては3次元よりも2次元の方が上だと思っているんだ。
だがその情報量の少なさがそれぞれの持つ理想にとっての最大公約数を取るのに都合がいいのだ。
つまりは「マスクをしていない方が美男美女に見える」だとか「見慣れてない外人の顔は美男美女に見える」と同じく、脳で情報を補うからこそそこに理想を見れるのだと。
結局俺たちが見たいのはそれぞれの目線から見える「理想のイデア」であり、そこにより近しいと感じられるものをこの世界に生み出すのには2次元の方が都合が良いと思うわけだ。
なぜそれをわざわざ3次元でやろうとするのか、きっとそれは単にその人にとっては「3次元のコンテンツを通して見たほうが2次元よりも理想のイデアに近いものが見やすい」からという結論で良いんだろう。
これはもう価値観の中でもより個々人の勝手でしかない趣味趣向の問題だ。
どっちが正しいとか間違っているとかではなく、どっちが合っているかでしかない。
そして自分にとっては2次元の世界で再現されるキャラクターの姿によって得られるものが、2.5次元で演じられたものより圧倒的に多いのだ。
得られるものについては「トキメキ」とでも言っておくしかない……表現力がなくてすまない。
今回、そのことに確信を持てた。
テニプリや弱虫ペダルのミュージカルと向き合った時は「きっと俺はそこまで原作が好きじゃなかったんだな」って終わっていた。
だが今回はそうじゃない。
俺はアイカツがすごい好きだけど、アイカツの2.5次元は2.5次元だったので受け入れられなかったのだと自信を持って言えるのだ。
たたた倒せたー!
初バトルから何度手持ちの中で組み替えても勝てなくて一年以上放置してたけどやっと倒せたー!
初見時、主人公が80レベル、仲間(変換が面倒だからこれで書くよ)が60後半。
仲間はどれも一撃死。主人公が耐性無視の防御力重視防具でギリギリ残る。そして他の技でオチる。
このゲームの死亡はベンチに落ちる仕様だから、普通の復活手順は
で2ターンかかるんだけど仲間が一撃死するんだからジリ貧どころかマッハ貧。
クラウ・ソラスに予備動作もクールタイムも無く毎ターン撃ってくるとわかったときは絶望した…
なんとか序盤を耐え切り攻勢できるか?というところに飛んでくる全体魅了!一気にパターンが崩れて壊滅する。
仲間の魅了とかの耐性ってわかりづらく結局主人公に耐性持たせて頑張るんだけど主人公の負担がマッハすぎるし今回攻略するまで無効アクセサリーがなかったから根性で1/3ぐらい魅了係のアモンを削っても耐性を貫通して乙る。
なんとかデバフをかけきって全員がギリギリ耐えられるようになったかと思えば
静寂の祈り→ラスタソウル→クラウ・ソラスでいきなり攻撃力4段強化クラウ・ソラスが飛んでくる。乙る。
デバフは必須として序盤を超えるにはバフなしでクラウ・ソラスを耐える必要がありさらにバフを積む必要がある。もちろん軽減したとはいえ大ダメージの回復も必要。
殴る暇ある!?
(クリア後に攻略を見たらバフデバフは3回に抑えるのではなく2回に抑えるべきだそうで。忘れてたよー)
極悪単体攻撃が特徴なボス戦だけど、対策としてヘイト管理みたいなタンク戦術ができない。
多分隊列の概念もないと思うから4人等しく大ダメージがふってくる。
しかも耐性無視だから、今までのようにレベルが低めでも役割や愛着があってつれまわしてる仲間を使うとかはできない。
道中すべて法則とか考えず適当に合体させまくって進行した結果か、強い味方を図鑑から探してみても、なんかぜんぜんブフ系覚えてる高レベル悪魔がいないの!
まあ技はソースでなんとでもなるんだけど、でもデフォで活躍できそうな仲間が全然居ない!
いやあるけど、普通のRPGに比べたら仲間はまったく成長しない。
クラウ・ソラスを耐えるにはステの体が50後半は欲しいなと見回してもそんな仲間は居ない。
かといって育てるのもかなり時間がかかるし上昇ステってランダムだよね?辛い。
今までちょっと苦労したボスは耐性を見比べてコイツで行けそうって体質型採用してたんだけど、今回は体目当てで募集したらだれも基準をクリアしてないの!辛い!
適当合体のツケで御霊もそろってないしだいだいそれで体をドーピングするのもかなりリソースが必要で面倒!
ゴリ押ししようと今まであまり使ってこなかった特殊合体や御霊合体をしようとしたら80レベルという終盤特有の費用のインフレがひどい。
普通に10万単位でマッカが飛んでいくのに収入は1戦1000ちょっと。やろうと思えば複数セーブできるとはいえ試行錯誤であれもつくってこれもつくってはやりにくい!
アクセサリー素材集め中にマッカビームを食らったときは本気でやめようと思った。(カンギテンだから宵越し銭金で50%だけどな!)
あとその稼ぎに付随して主人公のレベルが上がっちゃう。工夫で勝ちたいのに結果的にレベリングで勝てた感じになって辛い。
打撃耐性<炎無効以上 を目安にメギドフレイムを無視できるように。メギドラオン?あきらめよう!
おめめピカピカになった人。
久々にプレイしたらアレックスの感動的なムービーにデモニカスーツがダサくてダメだった。やってると慣れてくるんだけどね、耐性薄れてた。
剣 なんでも。使わない
ドラゴンベストとリングの素材集めが辛かった…シルキーどこに出るのよ…ファフニールもドロップ率渋い!
打撃吸収・炎反射
不屈の闘志(未使用)
メギドラ
体目当てで採用したら技がぼろぼろだった。
ラスタキャンディ目当てにヴィヴィアソースを使ったらついでについてきたマハブフーラがメイン火力になりました。
打撃耐性・炎反射
メギドラ
セイオウボソースでメデアラハンと招来の舞踏を継承させたデバフと回復役。幸運にランダマイザがブーストでついていたので隙があればデバフも。
毎ターン全体全回復を打つのはゲーム性を否定しているようで嫌だったけど、そうも言ってられなかった。
打撃耐性・炎吸収
ランダマイザ
そしてなぜか持っているデバフ。
スキルの追加無しのオリジナルのままで通用した意外な仲間ナンバーワン。
ジオダインはお供のことしか考えてなかった対アレックスの唯一の有効打になりました。MVP
ねえよんなもん!
バフデバフをかけ終わったら全回復とマハブフーラ!CO-OPは大事!
主人公はアイテムの最速利用を利用して宝玉を投げ!MP回復を投げる!
ラスタソウルがきたらデカジャの石を投げる!投球制限など知るか!右腕が壊れるまでアイテムを投げ続けろ!
とにかくアモンの効くかわからない魅了とメギドラオンの事故が怖いからアモン集中狙い!トールは殴る!
デバフのおかげでたまにクラウ・ソラスも外れるからアールマティもメギドラる!
流石に初見から10レベルも上げたら後攻全回復でメギドラオン込みでもセーフみたいで。
強敵が出るたび仲間がアイテムを使えたらもっと楽なのにねとよく思わされます。でもアイテム最速使用の仕様とトレードオフなら少し悩むかも。
そんなせわしない仲間のお世話係なママさん主人公は今後どうなるのか。
カオスルートの結末とは!?ラスボスの強さとは!?LやNルートでもアレックスと戦うのか!?周回するほどやる気があるのか!?
サークルの新歓にまつわる話し合いで表題の話を切り出しました。今後飲み会が増えていく時期ですので、ちょうど良いタイミングだと判断したからです。
詳細は後述しますが、反対意見ばかりで賛同は得られませんでした。
話を切り出した時は自分の意見や理由について整理できておらず、話し合いがうやむやになってしまったため、私が表題のように考える理由を整理してみたいと思います。
この2年間、対面での活動が制限され、多くの大学サークルが存続の危機に立たされています。特に、対面での課外活動をメインにしているサークルにとっては致命的で、実際に我がサークルと同じ活動をしている他大サークルがつぶれています。
幸い、我がサークルはコロナ禍の影響を受けながらも新入部員に恵まれ、順調に活動できています。今年度は対面での活動が解禁され、2年ぶりの新歓合宿ができるようになりました。
しかし、コロナ情勢の先行きは依然として見えない状況にあり、予断を許さない状況です。引き継ぎの失敗や新入生不足など、サークルが消滅するシナリオは数多く考えられます。
さて、私が未成年の飲酒をやめさせたい理由は、「法律で禁じられているから」という至極全うな理由に加え、サークルの存続に関わる問題になりかねないと考えているからです。
ここ十数年で未成年飲酒への社会的な認知が進んでいます。大学サークルの飲酒関連のトラブルや事件がネットやニュースで大きく取り沙汰されることも、今では珍しくありません。さらに、コロナ禍で飲み会への風当たりが強いことも見逃せません。
このような情勢から、飲み会がらみのトラブルはサークルの存続にかかわるようなリスクとなりえます。何らかのトラブルが起こった場合、大学側や学生保護者、一般世間が事態を重く見ることは想像に難くなく、大学当局からの活動停止処分や新入部員の激減などの事態を引き起こす可能性があります。
また、新歓で新入生に安心してサークルを楽しんでもらうことを考えたとき、未成年飲酒が横行する現場はあまり望ましいものではないと考えます。
新歓の時期は、信頼関係が完全にできていない先輩や同期たちに囲まれる状況になります。このような状況下では、たとえ飲酒を強要せずとも、「空気を読んで飲んだ方がいいのでは」と感じる人もいるではないでしょうか。
新入生に安心して新歓を楽しんでもらうために、彼ら・彼女らのストレスとなりうる要因はできる限り減らすよう努力するべきであると私は考えます。
前述の通り、部員の意見はおおむね反対ではっきりと賛成してくれる部員はいませんでした。この項では部員の反対意見とそれに対する私の考えを記述します。
・強制して飲ませたりせず、飲みたい人だけ飲むよう配慮すればよい
→本論にも書きましたが、たとえ「無理して飲まなくてもいいよ」と新入生に伝えたとしても、新入生が実際に断れるかどうかは別問題だと思います。
ほんの数ヵ月前まで高校生だった彼ら、彼女らにとって、大学生という存在は我々が考える以上に大きい存在に感じるでしょう。我々に飲酒を強要させる意図はなくとも、立場上新入生が飲酒を強要されているように感じてしまうこともあると思います。
・50年以上、このやり方で問題もなく存続してきたのだから大丈夫だろう
→近年の未成年飲酒に対する風当たりの強さに加え、コロナ禍という戦後類を見ない出来事の最中にあります。今までのなあなあなやり方を今後も続けられる保証はありません。
今後、未成年の飲酒に対する風当たりはますます強くなる一方だと思われます。今、飲酒意識の改革が求められる時期にあるのではないでしょうか。
飲酒した未成年に対する罰則は無し。未成年に酒類を販売した場合は50万円以下の罰金に課せられるが、成人の親や監督者が未成年の飲酒を見逃した場合は科料で済んでしまう。
大学からの懲戒処分としては、学校によるものの、停学から退学、訓告など幅が広い。
・同志社大舞踏サークルの合宿で、男子学生(当時19)が飲み会で一気飲み。後に急性アルコール中毒で死亡。(2016年)
・近畿大学の学生(当時20)が、テニスサークルの飲み会で飲酒後に急死(2017年)
・専修大学の男子学生(当時18)が、サークル仲間との旅行先で飲酒後に死亡(2017年)
ハックニー馬[※1]のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊《やなぎ》の並木《なみき》と陶製《とうせい》の白い空との下を、みじめな旅《たび》のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。
それにただ十六哩《マイル》だという次《つぎ》の町が、まだ一向《いっこう》見えても来なければ、けはいもしませんでした。
(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉《は》に変《かわ》ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊《こと》にその青いときは、まるで砒素《ひそ》をつかった下等《かとう》の顔料《えのぐ》[※2]のおもちゃじゃないか。)
ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤《おこ》って歩きました。
それに俄《にわ》かに雲が重《おも》くなったのです。
(卑《いや》しいニッケルの粉《こな》だ。淫《みだ》らな光だ。)
その雲のどこからか、雷《かみなり》の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。
(街道《かいどう》のはずれが変《へん》に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生《ちくしょう》。)
ガドルフは、力いっぱい足を延《の》ばしながら思いました。
そして間もなく、雨と黄昏《たそがれ》とがいっしょに襲《おそ》いかかったのです。
実《じつ》にはげしい雷雨《らいう》になりました。いなびかりは、まるでこんな憐《あわ》れな旅のものなどを漂白《ひょうはく》してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒《いっしょ》に堅《かた》いみちを叩《たた》き、枝《えだ》までがガリガリ引き裂《さ》かれて降《ふ》りかかりました。
(もうすっかり法則《ほうそく》がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度《いちど》きちんと空がみがかれて、星座《せいざ》がめぐることなどはまあ夢《ゆめ》だ。夢でなけぁ霧《きり》だ。みずけむりさ。)
ガドルフはあらんかぎりすねを延《の》ばしてあるきながら、並木のずうっと向《むこ》うの方のぼんやり白い水明りを見ました。
(あすこはさっき曖昧《あいまい》な犬の居《い》たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)
けれども間もなく全《まった》くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも、雷《かなみり》が素敵《すてき》に大きな咆哮《ほうこう》をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識《いしき》の明滅《めいめつ》のようでした。
道はまるっきりコンクリート製《せい》の小川のようになってしまって、もう二十分と続《つづ》けて歩けそうにもありませんでした。
その稲光《いなびか》りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨《おお》きなまっ黒な家が、道の左側《ひだりがわ》に建《た》っているのを見ました。
(この屋根《やね》は稜《かど》が五角で大きな黒電気石[※3]の頭のようだ。その黒いことは寒天《かんてん》だ。その寒天の中へ俺《おれ》ははいる。)
ガドルフは大股《おおまた》に跳《は》ねて、その玄関《げんかん》にかけ込みました。
「今晩《こんばん》は。どなたかお出《い》でですか。今晩は。」
家の中はまっ暗《くら》で、しんとして返事《へんじ》をするものもなく、そこらには厚《あつ》い敷物《しきもの》や着物《きもの》などが、くしゃくしゃ散《ち》らばっているようでした。
(みんなどこかへ遁《に》げたかな。噴火《ふんか》があるのか。噴火じゃない。ペストか。ペストじゃない。またおれはひとりで問答《もんどう》をやっている。あの曖昧な犬だ。とにかく廊下《ろうか》のはじででも、ぬれた着物をぬぎたいもんだ。)
ガドルフは斯《こ》う頭の中でつぶやきまた唇《くちびる》で考えるようにしました。そのガドルフの頭と来たら、旧教会《きゅうきょうかい》の朝の鐘《かね》のようにガンガン鳴《な》っておりました。
長靴《ながぐつ》を抱《だ》くようにして急《いそ》いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突《つ》きあたりの大きな室は、たしか階段《かいだん》室らしく、射《さ》し込《こ》む稲光りが見せたのでした。
その室の闇《やみ》の中で、ガドルフは眼《め》をつぶりながら、まず重い外套《がいとう》を脱《ぬ》ぎました。そのぬれた外套の袖《そで》を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻《かいがら》でこしらえあげた、昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。
(うるさい。ブリキになったり貝殻になったり。しかしまたこんな桔梗《ききょう》いろの背景《はいけい》に、楊の舎利《しゃり》[※4]がりんと立つのは悪《わる》くない。)
ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭《ぬぐ》って、はじめてほっと息《いき》をつきました。
電光がすばやく射し込んで、床《ゆか》におろされて蟹《かに》のかたちになっている自分の背嚢《はいのう》をくっきり照《て》らしまっ黒な影《かげ》さえ落《おと》して行きました。
ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、手探《てさぐ》りで開《ひら》いて、小さな器械《きかい》の類《たぐい》にさわってみました。
それから少ししずかな心持《こころも》ちになって、足音をたてないように、そっと次の室にはいってみました。交《かわ》る交《がわ》るさまざまの色の電光が射し込んで、床に置《お》かれた石膏《せっこう》像《ぞう》や黒い寝台《しんだい》や引っくり返《かえ》った卓子《テーブル》やらを照らしました。
(ここは何かの寄宿舎《きしゅくしゃ》か。そうでなければ避病院《ひびょういん》か。とにかく二階にどうもまだ誰《だれ》か残《のこ》っているようだ。一ぺん見て来ないと安心《あんしん》ができない。)
ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、それから一ぺん自分の背嚢につまずいてから、二階に行こうと段《だん》に一つ足をかけた時、紫《むらさき》いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、ガドルフはぎくっと立ちどまり、階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓《まど》の方を一緒《いっしょ》に見ました。
その稲光りの硝子《ガラス》窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。
(丈《たけ》がよほど低《ひく》かったようだ。どこかの子供《こども》が俺のように、俄かの雷雨で遁げ込んだのかも知れない。それともやっぱりこの家の人たちが帰って来たのだろうか。どうだかさっぱりわからないのが本統《ほんとう》だ。とにかく窓を開いて挨拶《あいさつ》しよう。)
ガドルフはそっちへ進《すす》んで行ってガタピシの壊《こわ》れかかった窓を開きました。たちまち冷たい雨と風とが、ぱっとガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、ガドルフは叮寧《ていねい》に云《い》いました。
「どなたですか。今晩《こんばん》は。どなたですか。今晩は。」
向《むこ》うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却《かえ》って注文《ちゅうもん》通《どお》りの電光が、そこら一面《いちめん》ひる間のようにしてくれたのです。
「ははは、百合《ゆり》の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤《もっと》もだ。」
ガドルフの笑《わら》い声は、風といっしょに陰気《いんき》に階段をころげて昇《のぼ》って行きました。
けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合《しらゆり》が、十本ばかり息もつけない嵐《あらし》の中に、その稲妻《いなずま》の八分一秒《びょう》を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。
それからたちまち闇が戻《もど》されて眩《まぶ》しい花の姿《すがた》は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚《まい》ぬれずに残ったフラン[※5]のシャツも、つめたい雨にあらわせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺《ゆ》らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待《ま》っていました。
間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃《ひら》めいて、庭《にわ》は幻燈《げんとう》のように青く浮《うか》び、雨の粒《つぶ》は美《うつく》しい楕円形《だえんけい》の粒になって宙《ちゅう》に停《とど》まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。
(おれの恋《こい》は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕《くだ》けるなよ。)
それもほんの一瞬《いっしゅん》のこと、すぐに闇は青びかりを押《お》し戻《もど》し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面《じめん》までも屈《かが》んでいました。
そしてガドルフは自分の熱《ほて》って痛《いた》む頭の奥《おく》の、青黝《あおぐろ》い斜面《しゃめん》の上に、すこしも動《うご》かずかがやいて立つ、もう一むれの貝細工《かいざいく》の百合を、もっとはっきり見ておりました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめていました。
それもまた、ただしばらくのひまでした。
たちまち次の電光は、マグネシアの焔《ほのお》よりももっと明るく、菫外線《きんがいせん》[※6]の誘惑《ゆうわく》を、力いっぱい含《ふく》みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。
美しい百合の憤《いきどお》りは頂点《ちょうてん》に達《たっ》し、灼熱《しゃくねつ》の花弁《かべん》は雪よりも厳《いか》めしく、ガドルフはその凛《りん》と張《は》る音さえ聴《き》いたと思いました。
暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から、北斎《ほくさい》の山下白雨のように赤く這《は》って来て、触《ふ》れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。
雨はますます烈《はげ》しくなり、かみなりはまるで空の爆破《ばくは》を企《くわだ》て出したよう、空がよくこんな暴《あば》れものを、じっと構《かま》わないでおくものだと、不思議《ふしぎ》なようにさえガドルフは思いました。
その次の電光は、実に微《かす》かにあるかないかに閃《ひら》めきました。けれどもガドルフは、その風の微光《びこう》の中で、一本の百合が、多分とうとう華奢《きゃしゃ》なその幹《みき》を折《お》られて、花が鋭《するど》く地面に曲《まが》ってとどいてしまったことを察《さっ》しました。
そして全くその通り稲光りがまた新《あた》らしく落ちて来たときその気の毒《どく》ないちばん丈の高い花が、あまりの白い興奮《こうふん》に、とうとう自分を傷《きず》つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、だまって横《よこた》わるのを見たのです。
ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ、丁寧《ていねい》にがたがたの窓をしめて、背嚢のところに戻って来ました。
そして背嚢から小さな敷布《しきふ》をとり出してからだにまとい、寒《さむ》さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、手を膝《ひざ》に組み眼をつむりました。
それからたまらずまたたちあがって、手さぐりで床《ゆか》をさがし、一枚の敷物《しきもの》を見つけて敷布の上にそれを着《き》ました。
そして睡《ねむ》ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、飢《う》えとつかれとが一しょにがたがた湧《わ》きあがり、さっきからの熱った頭はまるで舞踏《ぶとう》のようでした。
(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折《お》れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。
それから遠い幾山河《いくやまかわ》の人たちを、燈籠《とうろう》のように思い浮《うか》べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語《ことば》に聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。
ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんという足踏《あしぶ》みの音、怒号《どごう》や潮罵《ちょうば》が烈《はげ》しく起《おこ》りました。
そんな語はとても判《わか》りもしませんでした。ただその音は、たちまち格闘《かくとう》らしくなり、やがてずんずんガドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、けり合ったり撲《なぐ》り合ったり、烈しく烈しく叫《さけ》んで現《あら》われました。
それは丁度《ちょうど》奇麗《きれい》に光る青い坂《さか》の上のように見えました。一人は闇の中に、ありありうかぶ豹《ひょう》の毛皮《けがわ》のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏《からす》の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に、小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。
見る間に黒い方は咽喉《のど》をしめつけられて倒《たお》されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり、今度《こんど》はしたたかに豹の男のあごをけあげました。
二人はも一度組みついて、やがてぐるぐる廻《まわ》って上になったり下になったり、どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦《たたか》ううちに、とうとうすてきに大きな音を立てて、引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。
ガドルフは急いでとび退《の》きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。
そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるえながら立ちあがりました。
雷はちょうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思い出したように鳴《な》っているだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亘《わた》って、雲の濃淡《のうたん》、空の地形図をはっきりと示し、また只《ただ》一本を除《のぞ》いて、嵐に勝《か》ちほこった百合の群《むれ》を、まっ白に照《て》らしました。
ガドルフは手を強く延ばしたり、またちぢめたりしながら、いそがしく足ぶみをしました。
窓の外の一本の木から、一つの雫《しずく》が見えていました。それは不思議にかすかな薔薇《ばら》いろをうつしていたのです。
(これは暁方《あけがた》の薔薇色《ばらいろ》ではない。南の蝎《さそり》の赤い光がうつったのだ。その証拠《しょうこ》にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。街道の星あかりの中だ。次の町だってじきだろう。けれどもぬれた着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方《しかた》ない。おれの百合は勝ったのだ。)
ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考えました。
なんか自分のサークルでも勝てなかったってやつが結構いて不安になっちゃった…
ってことで大体前回書いた奴でいけるとは思うんだけど「VSシンボリルドルフ」のアドバイスだけ書いておく。
自分は3人(トウカイテイオー、ナイスネイチャ、ウオッカ)で勝てたのでその点も踏まえて書く。
海外のスーパーハカーがアレしてアレしたデータによると「汝、皇帝の神威を見よ」のスピードアップは
シューティングスター(スペ)、先頭の景色は譲らない(スズカ)、ヴィットーリアに捧ぐ舞踏(オペラオー)などのスキルに比べて約1.3倍ほど高いとされている。
つまり格が違う。発動されたらこっちが発動し返しても相手にアドバンテージを取られてしまっている。
(ちなみに「テイオーステップ」、オグリの「勝利の鼓動」も「汝~見よ」と同じらしいのでそれらは発動できればトントンか)
まず今回はこれを発動させないスキルにさせたほうがよいだろう。
今回はサイゲも鬼じゃない。なぜかシンボリルドルフを先行で起用してきた。
多分だが全体は
逃げ1 先行6(ここにルドルフ) 差し7 追込2 +プレイヤー
という構成になっているはず。(古い端末をひっぱりだして初期ゴルシを3回だした結果三回とも同じだったので)
じゃぁスキル見てみようか。
・コンセントレーション(出遅れ復帰)
・末脚(ラストスパートで速度アップ)
・食い下がり(最終コーナーで追い抜かれる差し替えやすくなる)
・コーナー巧者(最終コーナー速度アップ)
見てもらったら分かる通り「全力でプレイヤーを利用して汝してやる」という強い強い意思を感じる。
このルドルフの想定した動きはこうだろう。
逃げモブ追い越す→先行モブかプレイヤー(もしくは両方)を追い越す→プレイヤーが固有スキル使う→食い下がりで差し返す→汝
ションボリしてるので逃げモブ1+先行モブ6+プレイヤー1+差しのあんまり賢くない奴αで独占力発動してモブの速度落とす→プレイヤー以外抜く→汝
多分こんな感じの考えで作られているんじゃないかなと思う。
まぁ大体察していただいた通り半端な逃げ・ルドルフと順位争いをしてしまう先行はやばいのがわかったと思う。
(自分もよく考えたらテイオー以外差しだし、テイオーは不調だったので常にルドルフの後ろだったのが功を奏したのだろう。)
「じゃぁ差し・追い込みで!」というのがバクシン的模範アンサーだろう。
いやいるでしょ。現に逃げ・先行で勝ててる人もいるし「あの怪物から逃げられなかったらノルドと名乗りなさいよね。会長に殺されろっていうの!?」なんて煽られるのも嫌でしょ。
まぁその逃げ・先行で勝ててる人はルドルフに汝されるまでもなく逃げ切ってると思うのですが、そうじゃない場合は会長を前に押し上げてやればいいわけです。
「先行駆け引き」「先行けんせい」「先行焦り」あれ?親を先行に殺されたのかな?ってスキルがズラッと並んでるのが見て取れますね。
デバフがしっかりと噛み合っていて、まず「先行けんせい」で相手を疲れやすくして、中盤で「先行あせり」で更に相手を疲れやすくして、掛かってしまったら「先行駆け引き」で更に疲れやすくするような そりゃアニメでマックイーンがゲート入拒むわ みたいなスキル構成してるわけです。
「円弧のマエストロ」があるわけです。他のモブウマのスキルみても食いしん坊を確認したぐらいで大体は金じゃない回復スキル持ちしかいない。
そして当然シンボリルドルフほどのスタミナもない。
そうライスシャワーのスキルで先行全体にデバフをかけていって「逃げ・ルドルフ・プレイヤー」だけのレース場にしてしまえば差し返し含まなければ汝の発動はないわけです。
つまり先行デバフをいれていけばルドルフ自身のダメージを与えつつモブの封殺も可能。
マーベラスサンデーSRの「逃げためらい」「先行ためらい」も発動させてしまえばさらにさらにルドルフにダメージを与えて逃げにワンチャンすら与えない。
なのでおすすめデッキは前回とほとんど変わらないんですが、スキルを
・先行デバフ
をメインにとっていけばなんとかなるんじゃない。
がんばれ。
・どういう人?
フランス生まれ(1835-1921。七月王政~第一次大戦後)。小さいころは神童で、ピアノもオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラ、バレエ、合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術が流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルをフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年は時代遅れ扱いを受けた。
・普通に有名な5曲
ザ代表作。交響曲とかいうドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度が大事なフランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。
www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k
サン=サーンスといえば協奏曲。ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章、情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的な雰囲気が一度に楽しめる。
https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8
若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典を大事にもするけれど、形式の堅苦しさからは脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神のヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ。
www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc
本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスだからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト。
www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM
サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)から、オリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色の王女」も面白い。
www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk
・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲
20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンスが最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロとピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。
https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU
ドイツっぽいド根性(ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争でドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章とかにある。
https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY
ピアノの名人だったからピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅なワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い。
www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA
「オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンとチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。
www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ
そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲家はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタとファゴットソナタと合わせて三部作だからそっちもぜひ聴いてほしい。
思春期である。普通のプールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに、教科書や参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。
だいたい、カーニバル衣装のビキニのパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャの踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。
カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭りが起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター、復活祭に当たる。
ウィキペディアによれば、黒人と白人の音楽の混交から生まれた音楽・ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。
音楽としてのサンバはダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部の港町、バイーア(現:サルバドール)で生まれた音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代に確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人の生活や人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。
ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ人奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興である。ポルトガルの文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽を演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバの進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジルの文化的なアイデンティティとなっている。
現在のサンバショーでは現代の欧米のダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバは基本的に即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。
なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいか、キューバのマンボと混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。
Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像はリンク切れ)
The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events
カーニバルの仮装はイタリアにその起源を持ち、その伝統はポルトガルにまで広まった。それが植民地のブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。
1930年まではブラジルの社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装や仮面を見せびらかして歩いていた。仮面は動物や悪魔の形をかたどったものや、イタリアに起源をもつ道化の顔もあった。
1930年以降、庶民もカーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月のブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルのパレードは1932年に端を発する。
そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性は上半身裸、女性はビキニ姿になっていたことが確認される。水着のビキニが1946年に誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命的である。
1970年代になるとサンバ・スクールが組織化され、現代のように洗練され始める。この産業が衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバーの極彩色の衣装は露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバ・スクール(エスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏や衣装のスタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。
また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバを披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバ・スクールのパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロのサンボードロモの場合、中央のパレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコス、カーニバルのブロックもまた作られた。
現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国のタブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。
今のところ、全裸は許容されていない。とはいえ、ルールを守らない人もおり、そのせいでサンバ・スクールが時折資格を剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。
Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent
ここで記者は、カーニバルのビキニの女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまり、パレードで疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバの女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニの女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気で強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。
自分は、よその文化だから評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性が芸能界で活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージが社会全体に広がることで、あなたはあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたをあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。
過度に性的な空気は似たようなイベント、ニューオーリンズ・マルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。
Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター
https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]
あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子どもの権利を保護する団体が、彼女が性的に搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールにビキニの大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供の身体に有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生のビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。
ちょっと前まで子どもがすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真や動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分の身体を性的だと意識せざるを得ないし、子どもが自分の身体を守るための性教育の必要性は高まっている。何も幼稚園児からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体の特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックスの知識だけではないのだ。
2月の祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外の祭りを積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパシティは少ないのではないか。2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピがホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月の浅草サンバカーニバルや5月の神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。
私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンやイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンやイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。
それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。
商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか。2月には豆まきとバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか。
今回はテカテカビキニが50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出の自由、野外全裸、性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。
筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニは露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。
ところで前回の競泳水着の記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?
1895年にウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボールの派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代のカリフォルニア起源説、1915年のハワイ説がある。
プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルスで競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性の水着は、まだおとなしいものだ。
その後、この競技にはセクシーなイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体の解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部として、ビーチバレーがマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である。
その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーがオリンピックの正式な競技になったのは、1996年のアトランタ以来である。意外と遅い。
さて、英語版のウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟が1999年にユニフォームを標準化したとき、女性の衣装は2ピースのビキニであることが求められた。一方の男性の水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである。
しかも、次の記事によれば、2012年以前は幅7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうである。いくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正。2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグで露出度は高い。僕はセクシーなものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。
https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms
上の記事にあるように、幸いなことに、この規定は2012年に改訂された。これには、文化的・宗教的な理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性も男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーにセクシーなイメージがついてしまったのか、日本のショーツ型ブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰な姿勢があったのか、そこはわからない。
https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8
この記事の冒頭では「女子のビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。
しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうである。ウィキペディア英語版によれば「2004年の夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。
確かに、性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的に選手の勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。
美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したときに選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。
Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。
「ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」
「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまいます。けれども、私はスポーツをするときと身体を動かしているときだけは、私たちの精神に対して肯定的になれるのです」
(訳がこなれていなくて失礼)
スポーツのみならず、舞踏・広告などの表現における見せパンやブルマーについて、引き続き調査したい。
https://nyakapoko.github.io/post/10_engeki/
この記事、読み飛ばしてしまっているひとも多いと思うので、私の解釈で完結にまとめると、
2 演劇は他業種よりもクリティカルなダメージを負っている。他よりも援助が必要である。
3 専門分野ではないことについての言及を正確にするのはコストがかかる。
4 そのコストをケチって発言してもいいよね。だって困ってるんだし。
ということです。
だったら専門分野外のことについてワザワザ語らなければよいのではないか?
4を是とすれば、そのコストを聞き手、もしくは放言された当事者が負わなければいけないことがわからないのか。
そして、まさに現状がそれである、ということがわからないのか。
と思うところはたくさんですが、それより書きたいことがあります。
ただ酔っぱらっているのでしっかり書ききることができるのか少し不安です。
また、わたし自身、演劇についてたいして詳しくありません。なにぶん映像畑の分野なのでご了承ください。
まあ、そのコストをケチって発言してもいいよね。だってもやもやしてるんだし。
まず上のブログにある、演劇のコアの部分とは何かというと、観客との共犯関係なのですが、
これがライブで、そして観客の息遣いを感じられる距離でないと不可能であるという意見です。
これには一理あります。が、これが実際に“演劇”のコアなのか。
映画というのは、映像をつかってナラティブ(わかりやすく「物語る」と言い換えましょう)をすることと定義できますが映画狂から見れば、そうではありません。
(「いや映画は光と影で構成される芸術だ」という方もいらっしゃるでしょうが、今回はその定義を映像に渡してやって、映画の定義は狭くとらえます)
映画を観るというのは映画館で観る、もしくは”複数の観客がいる映像を主体とする場”で映画を観ることを、『映画を観る』と言います。
なぜなら、映画というのは観客と製作者との共犯関係にある芸術だからです。
例えば時代劇で、主人公と敵が刀に手を伸ばします。この画を1分間続けるとどうでしょうか、
映画館であれば観客は緊迫します。きっと固唾をのむことでしょう。
しかし、これスマートフォンのストリームだったらどうでしょうか。ダブルタップの15秒スキップかもしれません。
一緒に固唾をのむ観客がいない分、気持ち半分かもしれません。
映画と演劇は記録されたもの記憶されるものの違いがありますが、
観客との共犯関係で表現を強固にするのは、映画も演劇も変わりありません。
ブログではとても卑怯にも演劇とビデオという比較で書いていますが、
また映像芸術の中には特殊な上映形態をもって作品とするものもあります。
劇場でないと成り立たないのが演劇の特殊性とか馬鹿みたいなこと言っていますが。
むしろ、ライブで修正の効かない分、映画はどのように共犯関係を生み出すか、研究に研究を重ねております。
高級な映画(半分皮肉ですが)においては、視線誘導のため、まばたき一つ計算して撮影、編集しているわけです。
私は普段、何かの映画について話すとき、『映画そのもの』と、観客と生み出す共犯関係=『映画体験』をそれぞれ分けて話します。
演劇についても同じことが言えるのではないでしょうか。
上のブログの筆者が語るのは演劇体験についてです、これは確かに演劇を構成する一要素ですが、演劇そのものを単体としてみた場合に、
つまり、戯曲を演者がその身体性をもって物語るという行為についてですが、これはいったいそんなにも弱いものなのでしょうか?
身体というものには限界がありますが、その身体によって生み出される力強さというのは確かにあります。
現代舞踏なんてものはその身体という籠を生かした表現なわけでしょう。これは弱いものですか?
それを使って物語る。素晴らしいことじゃないですか。
演劇をライブで配信する。そこにはカメラがありスイッチャーがある。
ということは、それでもって映画体験の応用で演劇体験を、十分でなくても再現することはできませんか?
例えばブロードウェイの映像化なんてのは、セットを映像用に用意しカメラをかなり寄せて撮っているわけですが、
それでもあれを映画という人はいないでしょう、演劇であるという認識はしっかり与えることはできるわけです。
また演劇体験的なるものが本質になっているというので言えば、お笑いはどうでしょうか?
スポーツ選手のインタビューではよく魅せる試合なんてことが言われます。
それでも彼らは中継を行います。過去の試合の映像を販売します。
そういったことがもう何十年も前から行われている現代で、演劇は演劇体験なくして存在しないなんて本気でいってますか?
また演劇は映像にすると映画に食われてしまうなんて言ってますが、馬鹿じゃないのとしか思えません。
演劇はその身体に物語を預けていますが、映画は光と影に預けています。
映画の根本は影絵芝居といってもいいでしょう、影絵芝居は演劇に似ていますが、
影絵は物理的なものでなく、その像をうまく使えば、表現に限界はありません。
映画はその売れ筋として、マーケティング的に役者に頼ってることはあっても、大本の表現のベースとして役者や演技があるわけではありません。
勘違いしないでください。役者はあくまで影と光をフィルムに焼き付けるための遮蔽物にしかすぎません。
例えば先ほどのブロードウェイは演劇としましたが、ドッグヴィルはどうでしょうか?やはりドッグヴィル映画でしょう。
それはそれぞれ、映画として作られ、アニメとして作られたからに違いありません。
演劇として作られた映像が、映画に負けるだとか、勝つだとか、そういうことは絶対にありません。
演劇というのは、映画というより、むしろスポーツや音楽ライブの側なんですよ。
マシューボーンのなんちゃらと、タイガースの試合をまとめた奴と、ラッドピローズのライブ映像は一般の人からみたら同じ枠なんです。
で、それが映画と競り合ってるなんて印象はないです。初めから勝負なんて存在しないんです。
はっきりいってしまえばスポーツが無観客配信でなりたつというなら、演劇だって成り立ちます。
それが成り立たないというのは、おそらく上の文書にもある、演劇体験こそ演劇の本質であるという転換が原因じゃないでしょうか?
欝病再発を願いすぎ、、、人権意識がない人間が他人を「人権意識がない」って叩くのかよ、、、
G
@G3_ifrit
岡村の発言はテレビ出てたら即チャンネル変えるレベルのクズさだなぁ。また鬱になっても誰にも心配しないどころかさっさと自殺しろって言われるべ
G
@G3_ifrit
リアル黄色サチコメ。 FF11はえふえふじゅういちと読む派です。 吉田のFF14が嫌いです。ていうか吉田が嫌いです(=゚ω゚) SNSの『いいね』はただのブックマークだと思います。 断捨離してシンプルな生活を心がけたい。
下層
ゆみみん 1y2m 👶
@NVPlA958SJzEqB7
こいつ本当に最低やな
また鬱なれば?
恥を知れよ
ゆみみん 1y2m 👶
@NVPlA958SJzEqB7
H31.2.1出産。未婚。R1.5.28よりシングルワーママ。無言フォロー失礼します。産後うつをこじらせてます。いいねは共感やお疲れ様の意味で使ってます。全てのシンママさんに幸あれ‼️
息子の隣 晴れの国
@konkon77konkon
返信先: @YahooNewsTopicsさん
貧困により風俗で働くことを選んだ女性の選択を「面白いこと」ととらえる脳がもう腐りきってる。敢て私も酷い事を返させてもらう。「お前なんぞまた鬱になれば面白いな、そのまま死にさらせ低脳」元々嫌いだったが最近見直していた。大河やNHKに出てくれるなクズ野郎。
@konkon77konkon
何年かぶりのTwitter。徐々に慣らしていきます。#StayHomeSaveLives
@gjmwtpad11
返信先: @okamura_99annさん
また、鬱にでもなればイーのに
女をなんだと思ってる
@gjmwtpad11
きなこ(瀕死)
@Lilith_sexC
正直、感情に任せて言えば彼にはさっさと芸人降りてまた鬱病とかなんとか言って一生家に居て欲しい。他人の生活苦を娯楽化できるほどの資産がおありなんでしょ?被害者ヅラして騒いだ挙句他人の不幸を楽しみにするような心無い人間を一切目にしたく無いです。
きなこ(瀕死)
@Lilith_sexC
死にたがり風呂屋。家では飯炊きと猫の敷き布団やってる。放任型毒親の素で育ち無事鬱を発症した発達障害、サイコパスなあすぺと住んでカサンドラ症候群に進化したよ。地球早く爆発しないかな。疲れちゃった。
ひなた
@hina_investor
返信先: @chiakichi6さん
言い方悪いけどこの件でまた鬱になってしまえばいいなぁって思ったりする。
顔も見たくないわw
ひなた
@hina_investor
自由気ままな独身酒飲み🍺 #ひなた食堂 で作ったごはんを載せています🍴料理🍳猫🐈投資📈お酒🍺が好き♡
愛野 世織
@ainoseori
コロナという災難で困窮した女性を、自分の楽しみの種にできるという精神とそれを発言するとこが女性をものとしか見てない感じでゲス。売れててお金があってもそりゃ結婚できんわ。叩かれまくってまた鬱になってもう出てくるな
愛野 世織
@ainoseori
関西在住の在宅ワーカー5年生😃ブラック企業に勤め心身ともに疲れ果て退職😭派遣社員に転職後、在宅ワーカーへ😄日々のプライベートやビジネスで生き抜いていくために気づいた備忘録をつぶやいていきます😙欲しいものはウエストのくびれ😅
コギコギ
@surlyaxisZ
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@MetalGuruRock
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【鋼鉄騎士 五流語】ロックの神の申子。前世はマーク・ボラン。時空を超えて来ました。生まれつきロック依存症という不治の病に侵されてます。死ぬまで治りません。1000兆円の男を目指す精神年齢Ø歳のオカルトおっさん。インチキロックヴォーカリスト。1977年(音の日)AB型。射手座。
ROCK WORLD 69 STREET
のえりちゃんぬ 🔰 🐷
@noeri_chan
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風歴半年のハイパー低スペガール👧▷◁♡*。゚🏩🚗³₃ 貯金と返済の為に頑張ってるよ! 1番怖いのは 身・バ・レと汚・客˙˚ ᕱ⑅ᕱ ɞ˚˙ ♡。(???)ダイエットも程よく頑張るよ(*ˊᵕˋ*)੭ 好きな物はお肉とゲームとPCとかスマホ!同業の女の子はフォロバ100%◎ 男フォローしないで〜
当たり前のことが当たり前だろうと言えた時代に戻そう
@ramurin18
返信先: @hitomi_romeさん
こんどはこれか
世の女性の敵だ‼︎
誰もてめ〜の香りなんぞみたくもないわ
当たり前のことが当たり前だろうと言えた時代に戻そう
@ramurin18
なんでも知らぬ存じません!聞いておりません!そんな話が通用する国でいいのか?良い訳がない!権力にものをいわせてる腐敗した政治にはウンザリ!
鸞
@hiyoco_sama
岡村はまた鬱になってよし
鸞
@hiyoco_sama
鬱再発して 消えて欲しいな 今人口の70%くらいが思ってるよ
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【芸能】ナイナイ岡村「コロナが収束したら、お金に困った可愛い娘が風俗に流れてくる。 それまで風俗は我慢しましょう」と呼びかけ [1号★]
ツイッター始めました! 飲食店向けのコンサルと週末にはフリーランスでSEの仕事を請け負ってます。
はっち
@3hoom5J0cRHQqqa
#岡村隆史 が自分の発言で芸能界追放、もしくは鬱再発、どちらになるのか楽しみ!!
はっち
@3hoom5J0cRHQqqa
みつばちはっち
@silver_marron
@silver_marron
ランちゃん
@hUl1O9msONr6Y8D
岡村さん、岡村さんが鬱病で苦しかった時に頼ったお医者さんが、おっ!岡村さん炎上や!よっしゃまた再発して来るで!今は自粛で患者取らんと我慢やけどもうすぐ儲かる!楽しみや〜♪ってラジオで言ったらどう思う?
#岡村隆史
ランちゃん
@hUl1O9msONr6Y8D
@keeptryingakira
#岡村隆史
今回の女性蔑視発言だけじゃなく、プデュJPでの、韓国人練習生への差別発言も私は忘れてないからな!
これで今度、非難殺到にうつ病再発!~とかに逃げて、療養雲隠れして、世の中が忘れる時間稼ぎとかも絶対許さないからな!
もう、顔見たくないです👎
@keeptryingakira
政治垢とオタ垢(ぬい活)共存。注意です🙋 NO!差別!人種性別LGBTQ/肉球新党🐾/多様性の統一/アラフォ/鬱病休職中,HSP/歌ダンス好き/猫大好き/韓国語勉強中/Xジェンダー/K-POP好き➡️EXO종대all/BTS all/Amber.Liu/ZICO/DEAN//EXOペンと繋がりたい❤️
Instagram.com/uoometaroo
わるめのなにか(無害)
@cekmn2
自分大うつ病やったことあるから逆に岡村が再発してそうなったらざまぁって思うけどな
芸人は無駄にオトモダチがいるからなかなかそうはなれないだろうが、なんでもいいから苦しみ抜いて死んで欲しいってくらいには軽蔑するよ
わるめのなにか(無害)
@cekmn2
混沌を吸って吐くためのアカウント/今は時事ネタに寄ってる/舞踏/演劇/写真
@keiscale
昨日から岡村隆史の話題出てるけど、感想はクズだなー。たぶん今回叩かれまくってまた鬱やらトラウマやら再発して引き籠もりになっても別に知らんがな。元々繊細ヤクザなんだから毛根死滅しとけ
@keiscale
ベスティエ島
mimi
@buchakawai
返信先: @Gt5wnRjaTuS7JEWさん
あれ?ご存じないですか?
なんでもね、今は我慢の時だけど、コロナ収束したらお金に困ったかわいい子達が風俗に流れてくるから今から楽しみなんですって!
鬱再発して再起不能になればいいのに😡💢
mimi
@buchakawai
やっと自己流を掴んだかな?という兼業です。自分がやりたいこと、好きなことに囲まれて生きていきたい。値幅観測とライン研究中。極力シンプルなトレードを目指したい! 知識は力。継続も力。 勧誘、EAお断り。即通報します。
ガーナで『よさこい踊り』が独自の変化を遂げ、超クールなダンスへと進化していた「完全にアフリカンナイズされている」 - Togetter https://togetter.com/li/1287106
高知県民ではないので伝統のよさこいというのがどういうものなのか知らないが、
ググった限りだともともと盆踊りと同じようなスローペースの踊りらしい。
それが今やドラムやらベースやら電子音が鳴り響く音楽に合わせて踊る集団舞踏パフォーマンスとなっている。
現代の音楽と昔ながらのYOSAKOIの融合、初めて知った時、これは新しい時代の祭り始まったなと思った記憶がある。
地元で人気の踊りはそれなりにあるけれど、それらは地元を離れられない。
地元を離れても受け入れられ、ローカライズされてもなおアイデンティティを失わずに居るのはYOSAKOIだけだ。
あと関係ないけど東京に来て「よさこい」と表現されているものが