はてなキーワード: ハイヒールとは
海外よりは絶対治安はいいですが、女子が気を付けたほうが怖い目に合わずに過ごせるなと気づいたことをまとめました(一個人の意見です)
個人的にですが、
通学、通勤に公共交通機関を使わない(自転車、徒歩)方が明らかにQOLが高いです。特に一人暮らしで身軽な場合は。
毎朝パーソナルスペースにぎちぎちの人間がいるのは結構ストレスでしたので職場近くに物件を探して幸せになりました。
どうしても乗らなければならない場合に気を付けることです。
エスカレーターに乗る際は後ろをチラ見してから乗る(ビタ付けで盗撮してくる人はこれで防げる)
電車に乗るときは背後に男性がいない位置取りを心掛ける(痴漢の防止。男性の方も痴漢に間違われるの怖いと思うので)。
後ろになってしまったときはスマホは見ず、周囲を警戒しているようにふるまう(たまに振り返ったりするといいです)。
あやしい動きをされた場合はどうされましたか?と大きめの声を出す。
駅の個室トイレに入る場合は背後をつけられていないか警戒する。出るの時も確認したほうが良いですね。最近利用したら開けたときにおじさんが立ってて震えました。
個室では壁とウォシュレット部分に盗撮カメラがないか確認。ボールペン型やねじ型カメラが最近あるので不自然おいていないかチェックしましょう。
声をかけられた場合は愛想よく対応せず、最低限不愛想に対応する。
道を聞かれたら駅員さんが詳しいですよと言って立ち止まらない。
住居
共用部(廊下、階段、ゴミ捨て場)が汚い場合、居住者がやばかったり管理会社がずさんな場合が多くトラブルが起きやすいのでない件の際チェックする。
1階は覗かれるので住まない。
2階以上の場合でも付近の電柱や非常用梯子からベランダに侵入してくる場合があるので、内検の際はベランダに出で入ろうと思えば外部から入られてしまいそうかチェック。
鍵が容易に複製できるものかチェック。
近所のコンビニがトイレ貸出可能かチェック(治安が終わってると貸し出ししていない)。
コンビニの品揃えチェック(アダルト系漫画やストロングチューハイが多い地域は治安が不安な場合が多い)。
カーテンは透けないもの、さらに女子らしい色でないものを選ぶ。
洗濯物は外に干さない、ベランダに出ない(女子の部屋と特定されないため)。
帰宅したらチェーンと鍵両方をすぐ閉める。玄関を開けるときは背後を警戒する。
エレベーターに乗れなくても階段で登れる階の方がいざというときおすすめです。
生活習慣
マンション内にゴミ捨て場がある場合を除いて、夜にゴミ出しはしない。
女子っぽいアイテムをゴミに出す場合は外から見えないようにする。
飲み物をバックの外ポケットに入れない(薬を盛られた事例があるようです)。
ミニスカートは盗撮率が上がりがちなので基本履かない(ファッションは自己表現で自由ですが、私は自由より安全を選択しています)。
※近年性被害にあう方の服装が煽情的であるかと被害率は相関しないと示されているため明確な根拠はありません。
公共交通機関にのる日は下半身のラインがぴったり出る服や二の腕を露出する服は着ない(盗撮されやすくなる)。
ツインテールやハーフアップは舐められやすいのでしない(ショートカットのほうが嫌な目に合う確率が下がる気がする)。
ハイヒールはいざというとき逃げられないのでdoor to door移動日以外は履かない。
背後を定期的に振り返る。
防犯ブザーを握りしめておく。
車が止まっている場合、引っ張り込まれる恐れがあるのでドアが開いても引っ張り込まれない距離まで離れて歩く。
ウーバーなどのデリバリーは男の名前にして対面で受け取らない。
他にもあると思うので安全ハックがあったら教えてください。
『美とミソジニー』、読んでみたけれど、本当にほぼ全て「装飾」の話題なんだね
化粧とかハイヒールとか美容医療とか。特に豊胸手術とかは日本では一般的とは言えないし、あくまでも西洋の現状を描いた本であって日本にそのまま当て嵌めてはいけないだろうと思った(まぁこの本に書かれている事が現地の実態にどれだけ即しているのかも分からないが)。
唯一意義を感じたのは黒人女性に関する部分かな。黒人女性も白人女性基準での美を求められ、成功した黒人女性も白人的な容貌を持つ人ばかりとかの記述。でもアジア人については特に触れられていないようだったのでやっぱりあんまり。
日本において美とミソジニーと言ったら寧ろ、ナチュラルメイク信仰やショートカットは美人しか似合わない信仰といった
装飾しないありのままの容姿で値踏みされる事にあると思うので、「装飾」に焦点を当てて論じる事自体に違和感がある。
最近は日本でも美容整形が格段に普及したけれど、それだって骨格からしてブスなら美容整形でもどうにもならず、美容整形で可愛くなれるなら元々の素材が良いんじゃんって方向だし。評価されているのは「装飾」ではなくあくまで、「素のスペック」それ自体。
小泉さんに対する反応
・男の大多数
おっぱいおっきい!(スケベ顔)顔も悪くない、え、39歳…? でもおっぱいおおきくてエロいからOK。
恰好はたしかに年相応じゃないけど、エッチだからOK。エロければいい。
・女
39歳であの恰好w それは痛いよww あの膝なんなん? 玉木さん趣味悪いね(暗黒爆笑)
普段から「男が女のルッキズムを加速させているぅぅううう」とか「女のハイヒールや化粧は男からの押し付け。私たちは男に抑圧されているうう」とか
「欧米では女性がどんな格好してても引かれないのに(実際ノーブラ短パン当たり前)日本ではそんな恰好できない。男のせいで!」とか言ってるのに、抑圧してるの全部女じゃんって証明されちゃったね
私だけ特に背が高かった。
いつも二学年以上上に見られて、幼少期には知恵遅れと勘違いされた。
体育の時間で奇数の時は必ず私が一人余ったし、身体が弱くても力仕事を任された。少しでも小さく見られたくて、背を丸めて歩いたこともあったし、記念撮影の時に膝を少し曲げて背を低く見せてた。
標準体型だから悪いのかと思ってモデル体型まで痩せて、フェミニンな格好をして歩いても、たまに駅で「女装かな」って言われた。
化粧の問題かと思って2万円するメイクレッスンにも行って化粧を勉強しても、毎月美容室に通っても、歩いてたら知らないおじさんによくわからない言葉で罵倒された。(もしかしたら身長は本当は関係なくて、あのおじさんたちは、罵倒できたら誰でもよかったのかもしれない。それでも私は「デカい」からターゲットにされるんだと傷ついた。)
拗らせてしまった自意識もあると思うし、私の性格の悪さもあるんだと思う。でも「好きでこの身長になったわけじゃない」って泣き叫びたかった。
大人になって、やっと背が高いことを含めた自分を受け入れることができて、好きなハイヒールを履いたり(電車で頭ぶつけるけど)、胸を張って歩くことができるようになった。
でもデカいって表現で何度も泣いたから、たまにインターネットで見る「デカ女」という字面だけで辛くなる。小さな頃から背が高くて、たくさん泣いた自分を思い出して涙が溢れそうになる。
ずっと蔑称として使ってきてたじゃん、それ。
今週は午後4時からでした
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・03 炎色(反応
・05 [3択]キリン
・09 [近似値]448
・13 コシノジュンコ
・15 [3択]カンガルー(島
・16 ルイボス
・17 ふっかつ(のじゅもん
・20 990(点
・22 桂浜(水族館
・25 [3択]80 メートル
・26 タンザニア
・27 [3択]ショーメ
・29 [3択]文化
・31e ディーラー
現代は、かつてないほど多様性が認められているけれど、一方でルッキズムは強くなる一方。
LGBTも障害者もキラキラしたイケメン美女であることを前提に許されてる。
さまざまな属性や能力による差別を良くないものとした結果、一番プリミティブな外見による評価が残ったということだと思う。
社会が悪いんじゃないんだよ。子供の絵本だってシンデレラは美人でイジワルな継母や姉はブスにかかれてる。誰しも美しい人は良い人と認識してしまうのが自然なのだから仕方がない。
しかし、ここで「ブサイクだと人生終わりじゃん」って卑屈になってはいけない。
見方を変えると、一昔前は人間未満の存在とされていた人たちも外見が良ければ許されるようになったということでもある。
実は、外見を良くすることというのは他のマイナス属性をどうにかするよりは比較的簡単にできる。
頭や性格が悪いのは治せないが、顔が悪いのは治せる。
「単純に見栄え良くすれば生きづらさがマシになるのになんでやらないの?」というのが「清潔感を作れ」ってやつだ。
若い女子はそれを「垢抜け」と言ってる。清潔感と聞いて「風呂には入ってるし洗濯もしてるのに何が悪いのかわからない」勢は、垢抜けって言葉を聞いて必死にアカスリタオルで身体こするような努力をしてるみたいなもの
清潔感とはノイズをなくして黄金比に近づけることだと考えればいい。
肌を綺麗にして、髪や眉を整えて、体型も標準体のバランスに近づける、メイクやヘアスタイル、服装の選び方でバランスは調整できる。そういうことを言ってる。
一方、なぜオールドタイプのフェミがルッキズムを嫌い、メイクやハイヒールを忌み嫌うかというのは、かつて、女には外見以外のプラス属性というのが認められていなかったからだ。
女も男みたいに外見以外のプラス属性を評価してくれってことで声をあげてきたんだと思う。
しかし、男も外見が悪いと平等に足切り対象になる時代になってしまった今では、そういう主張も古臭いものに思えるし、外見をどうにかするのも能力のうち、ってことになりつつある。
エスカレーターの「下り」に乗せられてるようなもので、楽にしてたら自動的に立ち位置は下がっていくものに決まっている。
降りるっていうのは、じっとしていること。じっとしている結果、乗っているエスカレーターが下っていくのと同じスピードで落ちていくこと。
成功者になるために、一段飛ばし二段飛ばしで駆け上がろうとして無理した結果、
強者としてのポテンシャルや人運に恵まれた者は成功するし、普通の個体だった者は無理をしすぎて鬱病になるなど潰れたりもする。
というか成功者になるため爆速で駆け上がることをしなくても、位置を維持しようとゆっくり階段を上る動作をするだけで潰れる者もいる。それが弱い個体。
弱い個体なので、じっとしていることにする。維持もできず落ちていく。それが降りるということ。
男を降りるとは役立たず・無能・甲斐性なしになること。そして女を降りるとは醜く・好かれなくなること。必要とされない存在、居なくなっても気づかれない存在になること。
若い世代の適応に多いパターンは、半分手抜きして半分上がる、というものだと感じる。
男性だが、あまり稼げない。所得で自分の価値を証明しようとするのを半分降りて、共働き必須の年収300~450万の自分を受け入れる、
そしてスキンケアや体型管理でアンチエイジングイケメンを目指し、これまで女のみが求められていた美容役割やコミュニケーション役割を半分のぼる。
女性だが、飯炊き風俗嬢のように生きるのは疲れる。容姿磨きと媚びコミュニケーションで自分の価値を証明しようとするのを半分降りて、
ハイヒールやタイトミニスカートをやめ化粧も省力化する、そして専業主婦ではなく家計に貢献できるフルタイム正社員の共働き妻となる。
どちらにしろ自動的に下がっていくことに抗うことが適応、過労死したり潰れて鬱病にならないような程度を模索するのが適応。
運悪く体力弱者かつ頭脳弱者かつ容姿弱者に生まれ、完全に放棄して降りきってしまった者が、好かれたり、感謝されたり、尊敬されたりした時代はない。これからもこない。
「役に立って感謝され尊敬される」を男の役割、「美しく好かれ愛される」を女の役割としたが、性別と役割は常に一緒ではない。
無能のイケメンが許されていることもある。職能の高さにより敬意を持たれているブスもいる。
でも何もない個体が尊敬や好意を得られることはない。これまでもこれからも。これは新自由主義のせい、フェミニズムのせい、テクノロジーのせいなどではない。