はてなキーワード: クラウとは
日本経済の長期的な構造的停滞を打破するためには、「積極財政」「金融緩和」といった超短期志向の政策から脱却し、通貨価値の防衛と財政健全化を主軸とする緊縮的なマクロ経済運営が不可欠である。
本稿では、この主張を経済理論と歴史的実証に基づき論理的に補強し、緊縮政策の正当性を再確認する。
日本経済の深層的問題は、需要不足でも労働生産性でもなく、通貨と財政に対する信認の喪失である。
とりわけ長年にわたり維持された低金利と量的緩和によって、投資家と消費者の期待形成は歪められ、「無限に国債を発行しても破綻しない」という誤解が広がった。
この状況下で求められるのは、円の価値と日本国債の信頼性を回復することである。
円高は輸出産業にとって短期的には逆風となるものの、長期的には以下の効果をもたらす。
デフレは一般に経済活動を抑制する悪とされがちだが、それは需給ギャップが放置されたままの状態に限られる。制御されたデフレは、以下のような貨幣の質的向上をもたらす。
結局のところ、通貨に対する信認こそが経済の「共通言語」であり、持続的成長の基盤である。その信認を裏打ちするのが、円高・デフレ容認という冷静なマクロ政策なのだ。
国家の財政は単なる収支管理ではなく、通貨に対する信用と、国民の将来への信頼を裏付ける制度的基盤である。
財政再建を先送りすることは、通貨制度そのものを毀損する行為に等しい。
このような政策の目指すところは単なる「支出の削減」ではなく、国民の貨幣に対する信頼を維持・向上させる制度改革にほかならない。
近年再燃するリフレ派・MMT派・減税派の議論は、いずれも貨幣の本質を誤解している。
すなわち、「通貨とは政府の負債である以上、信用によってのみ成立する」という事実を過小評価しているのである。
これら政策が同時に採用された場合、以下のような悪性スパイラルが懸念される。
財政赤字拡大 → 国債市場の不安定化 → 長期金利の急騰 → 中央銀行による国債買い入れ強化 → 通貨の信認喪失 → インフレ加速 → 資産価格・実質賃金の歪み → 社会秩序の動揺(グレートリセット)
よく言われる「日本の債務は自国通貨建てだから問題ない」という主張は、貨幣制度における信用という中核的要素を見落としている。
たとえ形式的にデフォルトしなくとも、国債の価値が維持される保証はない。
中央銀行が国債を引き受け続ける場合、いずれは市中に流通する通貨の総量が実体経済を上回り、貨幣の過剰供給によるインフレリスクが顕在化する。
その結果、家計や企業の資産は目減りし、社会全体の信用・制度への信頼が損なわれる。
結局、国家の経済基盤とは、「借金が返せるかどうか」ではなく、「通貨がどれだけ信頼されているか」である。
「君の主張は直観的には理解できるが、財政学とマクロ経済学の理論的枠組みの複雑さを十分に踏まえていないように思える。
財政政策の最適化においては、政府予算制約条件(Government Budget Constraint)とマネタリー・ファイナンスのトレードオフを考慮しなければならない。
具体的には、リカード等価定理(Ricardian Equivalence)や合理的期待仮説(Rational Expectations Hypothesis)に基づくと、減税は単なる先取り的消費刺激に過ぎず、将来的な増税期待が家計の消費関数に反映され、乗数効果は限定的になることが多い。
加えて、動学的一般均衡(DGE)モデルの分析からは、財政赤字の拡大は、資本市場のクラウディングアウト現象を通じて民間投資の減退を誘発し、総供給曲線(Aggregate Supply Curve)にネガティブなシフトをもたらすリスクが示唆されている。
さらに、ニューケインジアン・フレームワークにおける価格および賃金の硬直性(Sticky Prices and Wages)は、財政政策の伝達メカニズムを複雑化し、政策効果の非線形性と不確実性を高めている。
現代貨幣理論(MMT)が主張する通貨発行を財源とする財政運営は、インフレーション・ターゲティングと金融政策の相互作用において限定的有効性を持つが、スタグフレーションやサプライショックに晒される日本経済の現状では、無制限のマネーサプライ増加は逆効果を生みかねない。
現在の国債残高はGDP比200%超に達し、持続可能な債務管理(Sustainable Debt Management)が求められる状況下、過度な財政拡大は国債の信用リスクを高め、ソブリン・スプレッドの拡大を誘発しうる。これが長期金利の上昇を招き、財政の負担増加をもたらすことは実証的にも示されている。
したがって、経済成長を持続的に実現するには、総需要管理政策だけでなく、規制緩和、人的資本投資、技術革新促進、労働市場改革などの構造改革を通じた供給側の生産性向上が不可欠である。
君の単純な減税要求は、これらの複合的な経済システムの動態とトレードオフを軽視しており、政策としての現実的な妥当性に欠けていると言わざるを得ない。」
「う、うるさい!税は財源じゃないんだ!」
「“税は財源ではない”という主張は現代貨幣理論(MMT)に由来し、理論的には一理ある。
しかし、それはインフレ率が制御可能で、経済が完全雇用に近い状態でない場合に限られる。
日本は既に少子高齢化に伴う供給制約が強まり、労働市場や生産性の硬直性が顕著だ。
無制限に財政赤字を拡大すれば、インフレ期待が加速し、名目賃金の硬直性も相まってスタグフレーションを引き起こすリスクが高い。
加えて、国債発行の急増は長期金利を押し上げ、国債市場の信認を毀損し、ソブリンリスクの顕在化を招く可能性がある。
そうなれば利払い負担が膨れ上がり、結果として社会保障の持続性が損なわれる。
だからこそ、『税は財源ではない』と言い切るのは、現状の日本経済に即していない。
理論は理論として、現実の経済環境と市場心理を十分に考慮しなければ、政策は逆効果になる。
つまり、減税を求めるなら、まずは生産性向上と労働市場改革による潜在成長率の引き上げ、
それがない単純な減税要求は、ただのポピュリズムに過ぎず、経済の複雑性を無視した短絡的な叫びだ。」
「そんなの知らねぇ!!国民は今、苦しいんだ!!俺たちを助けろ!!」
「その苦しみは俺たちも同じだ。だからこそ、感情的な叫びに流されるのではなく、冷静な分析と長期的視点を持つことが必要だ。
将来世代への負担、経済全体の持続可能性、社会保障制度の安定性――
だから今は、君の声を理解しつつも、感情に流されず、現実的かつ持続可能な経済政策を議論することが最優先だ。」
先に言っておくけど、真実を知ると、SF的な面白さなんか何もない、つまらない人にはつまらない話になる。
SF的な「面白い話」を期待している人は、以下を読んでも得られるものは何もないと思う。
これは、算数レベルに単純に説明できる、「エントロピー」の熱力学的意味を説明するだけの文章だ。
ファンタジーな想像力より、正しい意味合いが知りたい理系学生(と賢い子供)向け。
理論的に正しい考え方をするために、まずは熱力学で扱う「熱機関」の原理のポイントを明確にし、これを噛み砕くことで「エントロピーの増大」とは何なのかを小学生でもわかるように説明してみる。
熱機関とは、蒸気機関などの「熱から仕事を生む」機械を抽象的に表現したものだ。
カルノーサイクルで有名なカルノーは、この「熱から仕事を生む」が正確には「温度差から仕事を生む」なんだということを初めて明確にした人。
ここに、50℃のお湯を入れたビーカーがある。
このビーカーから生まれる上昇気流は、『外気温が50℃のとき』と『外気温が0℃のとき』で同じか?
外気温が低い、つまり温度差が大きいときの方がより気流が生まれそうなことは、誰でもわかると思う。
「熱(温度差)から取り出せる仕事」とは、つまりこういうことだ。
熱機関を考えるときは、この『低温熱源』(多くの場合、外気)の影響を常に意識して考えることが大切だ。
熱機関における高温熱源(絶対温度T_H)からの熱移動をQ_H、低温熱源(絶対温度T_C)への熱移動をQ_Cとすると、
Q_C / T_C ≧ Q_H / T_H
という関係があることがわかっている。等号は理想的な熱機関であるカルノーサイクルにおいて成り立ち、一般的にはただの不等号である。
このQ_HとQ_Cには、熱機関における両熱源以外との熱移動がないと仮定すると、エネルギー保存則から
W = Q_H - Q_C
熱機関が効率的でないとき、Wが小さく⇔Q_Cが大きくなる(仕事をせずに熱が捨てられる)ので、最初の式は一般的に左辺が大きくなる。
先に結論から言ってしまうと、「エントロピーは増大する」とは、この「仕事をせずに熱が捨てられる」を言い換えたものに過ぎない。
熱機関におけるエントロピーの定量的な定義(式)を知っている人がどれだけいるだろう。
それはほとんど算数で理解できるほど単純なのに、みんな『曖昧で文学的な説明』ばかり好むから、一般的には驚くほど知られていない。
ΔS = Q_C / T_C - Q_H / T_H
で計算できる。
この式が何を意味するのか?は、まだ考えなくてよい。
そもそも、これを見つけたクラウジウスさんも、それはわかっていなかった。
彼が考えたのはただ、ΔSをこう定義すると、前節の式から、カルノーサイクルにおいてΔS=0、その他の現実的なサイクルにおいてはΔS>0になる、ということだけだ。
エントロピーSはこのΔSを熱サイクルのたびに足し合わせたものになるわけだが、実はこれには何の意味もない。
よく「エントロピーは増大する」と、何か哲学的な命題のように繰り返される。
熱機関におけるエントロピーの絶対量Sには意味がないので、意味がある数であるΔS、つまりエントロピーの増加分が0より大きいという話をしているだけだ。
理想的な熱機関(カルノーサイクル)においてはΔS=0、つまり「エントロピーは維持される」が、普通は無駄がある。
無駄があるとは、ΔSの式におけるQ_C(仕事をせずに低温熱源に逃げるエネルギー)がカルノーサイクルより多いということなので、一般にΔS>0。
「理想的な熱機関でなければ、Q_Cが無駄に大きくなる(熱が捨てられる)」ということを言い換えただけのものが「エントロピーは増大する」という言葉だ。
一方で、熱機関におけるエントロピーの増加分ΔSは、各熱源におけるエントロピーの移動Q/Tの差分とも解釈できる。
このQ/Tと計算上等しくなるのが「状態の乱雑さ」という説明で表現される気体の状態量の変化だ。(複雑なので式は省略)
よく、部屋が散らかることを「エントロピーが増大した」などというが、正しくはエントロピーの増大則は「無駄な熱の移動」を意味するものであり、外から持ち込まれたもので部屋が散らかるくらいのことは、「エントロピーが移動した」と表現する方が適切だ。
エントロピーは、エネルギーの増加により分子が取り得る「状態数の多さ」なので、部屋の中のものが散らかっていようと整頓されていようとそれは全て分子の取り得る状態のひとつに過ぎないとも言える。まあ、比喩の意味を云々しても詮無いので深くは追及しないが。
単なる熱の移動は、仕事Wが0の熱機関とも言えるので、当然ΔS>0であり「エントロピーが増大した」と言えるが、仕事をしても無駄がある限りエントロピーは増大するので、この単純な熱移動だけをもって「エントロピーの増大」の説明とするのは混乱の元だ。
あくまで、エントロピーの増大則は、「無駄な廃熱のない熱機関はできない」ということを意味しているに過ぎない。
「エントロピーの増大則」「状態の乱雑さ」と関連して語られるのが、究極状態としての「宇宙の熱的死」という話だ。
エントロピーの増大により、最終的に宇宙全体の状態の乱雑さがピークを迎え、エネルギーが均一な「熱的死」に至る、というもの。
これも実は単純化され過ぎた理屈で「エントロピー」に対する誤解を生んでいる。
確かに「エントロピーの増大則」は「熱的死」が避け得ないことの科学的な証拠だ。
しかし証明の根拠となることは意味することが同じであることとイコールではない。
エントロピーの増大則は、あくまで「自分自身のエネルギー源となる熱(温度差)をロスなく作り続けられる熱機関と、そのエネルギーをまたロスなく利用できるヒートポンプは存在しない」ということだけを意味している。
仮に増大則に反してこれが可能であったとしても、それが即ち宇宙の熱的死が避け得る根拠にはならない。
エントロピーの増大則は、宇宙の熱的死に繋がる単純な事実(証明に至るほど確実なもの)のひとつであるに過ぎず、他の現実的な理由を上げれば限りがない。
「エントロピーが増大するから熱的死が起こる」は、「いずれ死ぬからずっと健康ではいられない」というくらいの大きな理論限界を意味しているのであって、そのことから「エントロピーの増大則」そのものを理解しようとするのもまた誤解を生む。
以上の要点をまとめると、
となり、SF的な「凄い言葉」としてエントロピーを解釈しようとするほど、エントロピーという単純な概念、熱機関の効率を考えるパラメータとしての数理的な意味の理解から遠のいてしまうことになる。
SFって、科学技術に対する想像力を培うこともあるけど、こういう誤解を増大する負の側面もあるから困りものだね、と理系は思うのでした。
無制限とか言ってないことを言い始めたな。
無制限あたりが代表的だが、全体的に財政破綻を喧伝してきた連中の書いた文章でも学習したかな?という印象・
これも無制限とか言ってないだろ、という話だが、結局実物資源の供給能力とのバランス次第だし、政府支出拡大は円安要因にもなるが円高要因にもなるのでアンバランスな解答だな、という印象。
内省的貨幣供給論踏まえてたらクラウディングアウトが起きる想定はしないはずだが。物事を考えられてるようでいて実際は相関を出してるだけ感を覚える。
しかし、日本のように高齢化が進み、需要が伸びにくい国では、供給された貨幣が実体経済に流れず、資産価格の上昇や円安といった形で影響が出る可能性がある。
これ以上聞いてもとっちらかるだけだと思うから俺はこれで終わりにするわ。
付き合ってくれてサンキュ。
ググっても債務残高と経済成長率の関係性のものしか出てこないんやけど。
データに基づきとか言ってるが経済みたいな複雑系を扱う分野で因果関係の推定するのってかなり難易度高そうやけどその研究はどうなんかな。
まああとエネルギー保存則が破られないように原理的にありえないことは演繹的に否定可能だよ、永久機関を否定するのにデータを取る必要はない。
万年筆マネーの信用創造の説明に関しては金融機関では常識レベルのことという話がチラチラ記事に出てくるがまあそんなこと言っても仕方ないか
次の国会質疑のページの信用創造で検索して安藤議員と藤田参考人(日本銀行企画局審議役)とのやり取り読めばいいんじゃない?
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000220020191023002.htm
その研究は知らんけど、MMT的にはクラウディングアウトは起こらない、が共通見解じゃない?
クラウディングアウトの発生原因は政府が国債を大量に発行することによって民間金融機関がプールしてる資金が不足することによって貸出金利が上昇して民間投資が抑制される、という理屈だが、
・そもそも民間銀行はプールしている現金を貸し出してるわけではなく預金通貨を信用創造して貸し出してるので貸出自体には資金が必要がないため資金が逼迫して金利が上昇するわけがない。
・民間銀行が国債を購入した場合、予算が消化されると最終的には民間銀行の講座に購入分の金額が返ってくる上に中央銀行は民間銀行に資金を供給可能なので資金の不足は人為的に解消可能。
なのでクラウディングアウトは発生しない。
「エントロピー」という概念がよくわかりません。 - Mond
https://mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
「エントロピー」は名前自体は比較的よく知られているものの、「何を意味しているのか今一つ分からない」という人の多い概念である。その理由の一つは、きちんと理解するためには一定レベルの数学的概念(特に、微積分と対数)の理解が必要とされるからであろう。これらを避けて説明しようとしても、「結局何を言いたいのかすっきりしない」という印象になってしまいやすい。
「エントロピー」を理解し難いものにしているもう一つの理由は、「エントロピー」という概念が生まれた歴史的経緯だと思われる。
エントロピーが提唱された時代は、物質を構成する「原子」や「分子」の存在がまだ十分に立証されておらず、それらの存在を疑う物理学者も少なくなかった。エントロピーの提唱者クラウジウスは、「原子や分子の存在を前提しなくても支障がないように」熱力学の理論を構築し、現象の可逆性と不可逆性の考察から「エントロピー」という量を発見し、非常に巧妙な手法で定義づけたのである。
その手法は実にエレガントで、筆者はクラウジウスの天才性を感じずにはいられない。だが、その反面、熱力学における「エントロピー」概念は簡単にイメージしづらい、初学者には敷居の高いものとなってしまったのだ。
その後、ボルツマンが分子の存在を前提とした(よりイメージしやすい)形で「エントロピー」を表現し直したのだが、分子の存在を認めない物理学者達との間で論争となった。その論争は、アインシュタインがブラウン運動の理論を確立して、分子の実在が立証されるまで続いたのである。
現代では、原子や分子の存在を疑う人はまず居ないため、ボルツマンによる表現を心置きなく「エントロピーの定義」として採用することができる。それは次のようなものである。
例えば、容積が変わらない箱に入れられた、何らかの物質を考えて欲しい。
箱の中の物質の「体積」や「圧力」「物質量」などは具体的に測定することができる。また、箱の中の物質の「全エネルギー」は測定は難しいが、ある決まった値をとっているものと考えることができる。
ここに、全く同じ箱をもう一つ用意し、全く同じ物質を同じ量入れて、圧力や全エネルギーも等しい状態にするとしよう。このとき、二つの箱の「巨視的状態」は同じである。では、内部の状態は「完全に」同じだろうか?
そうではあるまい。箱の中の物質の構成分子の、それぞれの位置や運動状態は完全に同じにはならない。これらの「分子の状態」は刻一刻と変化し、膨大なパターンをとりうるだろう。
このような分子レベルの位置や運動状態のことを「微視的状態」と呼ぶ。
「微視的状態」のパターンの個数(場合の数)はあまりに多いので、普通に数えたのでは数値として表現するのも難しい。そこで「対数」を用いる。
例えば、巨視的状態Aがとりうる微視的状態の数を1000通り、巨視的状態Bがとりうる微視的状態の数を10000通りとする。このとき、Aの「パターンの多さ」を3、Bの「パターンの多さ」を4、というように、桁数をとったものを考えるのである。
この考え方には、単に「とてつもなく大きな数を表現するための便宜的手法」という以上の意味がある。
先の例では、AとBを合わせた微視的状態の数は1000×10000=10000000通りであるが、「パターンの多さ」は7となり、両者それぞれの「パターンの多さ」の和になるのである。
「微視的状態のパターンの個数」をΩ通りとしたとき、エントロピーSは次のように表現できる。
S = k*logΩ
(ただし、kはボルツマン定数と呼ばれる定数であり、対数logは常用対数ではなく自然対数を用いる。)
この「エントロピー」は、同じ巨視的状態に対して同じ数値をとるものであるから、「体積」や「圧力」などと同じく「状態量」の一つである。
このような「目に見えない状態量」を考えることに、どのような意味があるのだろうか?
その疑問に答えるには、エントロピーとエネルギーの関係について考える必要がある。
再び箱に入った物質を考えよう。この箱に熱を加え、箱内の物質のエネルギーを増加させると、エントロピーはどうなるだろうか?
まず、総エネルギーが増加することにより、各分子に対する「エネルギーの分配パターン」が増える。さらに、個々の分子の平均エネルギーが増えた分、可能な運動パターンも増える。このため、エネルギーが増えるとエントロピーは増加すると考えていいだろう。
では、エントロピーの「上がり方」はどうか?
エントロピーは微視的状態パターンの「桁数」(対数をとった値)であるから、エネルギーを継続的に与え続けた場合、エントロピーの増加の仕方はだんだん緩やかになっていくだろうと考えられる。
ここで、多くのエネルギーを与えた「熱い物質A」の入った箱と、少量のエネルギーしか与えていない「冷たい物質B」の入った箱を用意しよう。箱同士を接触させることで熱のやりとりが可能であるものとする。
物質Aには、熱を与えてもエントロピーがさほど増加しない(同様に、熱を奪ってもエントロピーがさほど減少しない)。言いかえると、エントロピーを一定量増加させるのに多くのエネルギーを要する。
物質Bは、熱を与えるとエントロピーが大きく増加する(同様に、熱を奪うとエントロピーが大きく減少する)。つまり、エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギーが少ない。
箱を接触させたとき、AからBに熱が流入したとしよう。Aのエントロピーは下がり、Bのエントロピーは上がるが、「Aのエントロピー減少分」より「Bのエントロピー増加分」の方が多くなるので、全体のエントロピーは増加するだろう。
もし、逆にBからAに熱が流入したとするとどうか? Aのエントロピーは上がり、Bのエントロピーは下がるが、「Aのエントロピー増加分」より「Bのエントロピー減少分」の方が多いので、全体のエントロピーは減少することになる。
エントロピーが多いとは、微視的状態パターンが多いということである。従って、「AからBに熱が流入した」状態パターンと、「BからAに熱が流入した」状態パターンとでは、前者のパターンの方が圧倒的に多い(エントロピーは微視的状態パターン数の対数なので、エントロピーの数値のわずかな差でも、微視的状態パターン数の違いは何十桁・何百桁にもなる)。これは、前者の方が「起こる確率が圧倒的に高い」ということを意味している。
これが、「熱は熱い物体から冷たい物体に移動する」という現象の、分子論的な理解である。
冷たい物体から熱い物体へ熱が移動する確率は0ではないが、無視できるほど小さいのである。
物体が「熱い」ほど、先程の「エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギー」が多いといえる。そこで、この量を「絶対温度」Tとして定義する。
エントロピーの定義のときに出て来た「ボルツマン定数」kは、このTの温度目盛が、我々が普段使っているセルシウス温度(℃)の目盛と一致するように定められている。
さて、ここで用いた「エントロピーが減少するような変化は、そうなる確率が非常に低いので現実的にはほぼ起こらない」という論法は、2物体間の熱のやりとりだけでなく、自然界のあらゆる現象に適用することができる。
すなわち、「自然な(自発的な)変化ではエントロピーは常に増加する」と言うことができる。これが「エントロピー増大の法則」である。
ただし、外部との熱のやりとりがある場合は、そこまで含めて考える必要がある。
例えば、冷蔵庫にプリンを入れておくと、プリンの温度は「自然に」下がってエントロピーは減少する。
しかし、冷蔵庫が内部の熱を外部に排出し、さらに冷蔵庫自身も電気エネルギーを熱に変えながら動いているため、冷蔵庫の外の空気のエントロピーは内部の減少分以上に増加しており、そこまで含めた全体のエントロピーは増加しているのである。
最初に、「エントロピーの理解には微積分と対数の理解が必要」であると述べたが、なるべくそうした数学的概念に馴染みがなくても読み進められるようにエントロピーの初歩的な話をまとめてみた。如何だったであろうか。
筆者は熱力学・統計力学の専門家でもなんでもないので、間違ったことを書いている可能性もある。誤りがあればご指摘いただけると幸いである。
クラウジウスによる「原子・分子の存在を前提としない」エントロピーの定義については、筆者よりはるかに優秀な多くの方が解説記事を書かれているが、中でも「EMANの熱力学」https://eman-physics.net/thermo/contents.html が個人的にはおすすめである。興味ある方はご参照いただきたい。
違うんだよ常識的に考えて戦後5人目の東大社会学博士号を取った稀代の秀才がそんなこと知らないわけないでしょほんとのこと教えるとウーマン村上や望月イソ子Twitterの陰謀論アカなど取るに足らない知的に怠惰なインフォデミック加担者を敢えて持ち上げて社会をいち早く破壊しよりよい変革を促すための世直しの一環なんだよヘタレにはわからないだろうけど先生は若い頃から自己啓発に精通し空手やクラウマガの達人であるなど心身共に完璧に鍛え上げられた巨人でさ断固たる使命に対して誠実に従事してきた先生の情愛の深さや慧眼に救われた側からすると意図や結果や確からしさを推し量れずに表層の言葉に自動機械のように激昂するのなんて知的怠慢なことか自分で気付けないのほんと恥ずかしいよね先生はお前らヘタレが拘泥している自我やプライドなどとうの昔に捨てていて敢えてわかってやってるんだっつうの傷つけて傷の痛みに気づいたものが知的に学問的に小さな円で社会をよりよくしていく好循環のプロセスを邪魔するなってのお前らエセインテリには滑稽に見えるかもしれないけれど敢えて粗忽者のピエロを演じざるを得ない先生の悲哀を少しは恥じる知的学問的な誠実さを少しぐらいは持ったほうがいいんじゃないかな()