はてなキーワード: 庄司とは
「あの女は君にほれているのか」
二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手の玄関から、図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。
「よくわからない」
「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」
三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実そのものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である。三四郎は首を傾けた。
「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。
「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」
「知らん」と言った。三四郎は黙っている。
「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。
「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。
三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、
「せんだってはありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。
手紙の文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものである。しかし感謝以外には、なんにも書いてない。それだから、自然の勢い、感謝が感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙をポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままである。それから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。
二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水の相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。
表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。
三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。
「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」
「そう、お遊びに?」
「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」
「いいえ、私も御用なの」
両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである。
「どうして御存じ」
三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。
「いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」
三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎を非難した。
二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。
三四郎の下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから、三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。
きょうは夜だから、屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。
「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリンは和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。
三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。
「そうか」
「うれしいでしょう。うれしくなくって?」
野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。
「ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。
「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」
三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。
「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行ってちょうだいって」
「里見さんといっしょに行ったらよかろう」
「御用があるんですって」
「お前も行くのか」
「むろんだわ」
野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんなのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、
「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、
「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。
「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別だとあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」
野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。
「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族が半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。
「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。
「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活のありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。
「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。
「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしかに佐々木に貸したんですね」
三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないから一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。
「ええ」
よし子はまた大きな声を出して笑った。
「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」
三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。
「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。
「よくってよ」と妹が拒絶した。
「よくはないよ」
「よくってよ。知らないわ」
兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。
「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」
三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。
人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分の下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。
下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分の運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯者である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上の風である。
三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命の翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。
https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く
この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパーの進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去におしんが初恋した相手、並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパーの土地買収における重要な場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。
なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。
「おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしんの失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマの伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしんの家出の理由も最終週で回収される最大級の伏線のひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子や演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである。
特に佐賀編では、あまりの過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。
第1話から第3話にかけては、おしんが並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者はおしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である。
実際には、おしんは失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパーの進出についての話である。並木商店の大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである。
その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしんに土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのである。おしん厳しすぎるだろ。
おしんは大手の進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木の土地の大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。
仁は、母のおしんが交渉に失敗したと思い込み、失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚を宣言する始末。家族の崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。
おしんは仁に、離婚を再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店を倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである。
事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。
前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしんが商売において大切にしてきた価値観なのである。しかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんのドラマの終盤最終話、終了わずか10分前の出来事である。すごい。
橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語のラストにはそのメッセージが強く反映されている。
竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀の実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。
竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺は自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。
私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しかし戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!
これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉のなかに隣組という言葉が出てくる。
明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制や隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部からの委託で工場を経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。
その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したものと想像していたのである。
日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争の責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要な役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任感から来ていたのである。おしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解したからかもしれない。
語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。
おしんが育った山形の貧困農家では、口減らしが普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性を犠牲にして平気な顔してきた作造も長男の庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組の責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。
しかし、どうだろうか。
竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃からの20年間、竜三は佐賀の実家へ依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。
禎の疎開のときですら、佐賀疎開という選択肢は排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。
太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀の実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーションが述懐している。
しかし、竜三が太い実家という表象の代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである。
おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これからは自由な社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。
敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後の物語では、昭和58年、物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢の海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。
ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代、翻訳、放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。
おしんのドラマは橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略や植民地支配の反省という視点は希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像はみえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体は動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組を他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。
同じ昭和時代の作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田で差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社の経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。
この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚を象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画「青春の門」筑豊編1980年で経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)
この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である。八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族の運命と二重写しに見える。植民地をいかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。
初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしんの長男・雄の戦死を契機に山形へ帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷なものであったといえよう。自殺を思いとどまり、米軍相手の娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしんの言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である。
「私こういうの嫌いだし興味無いけど、これは好き」
みたいな、マツコデラックスがよく言う構文を一般人が使ってると腹立つ。
マツコが偉そうにこの構文を使って何かを判断するのはキャラとして成り立つけど、何者でも無い一般人がネットのコメントでこれ言うと無性に腹立つ。
最近見たのはミキティのYouTubeチャンネルで夫の庄司とデートする動画にコメントで
「カップルチャンネルとか嫌いだし芸人もアイドルも興味無いけど、この2人は好き」
ってコメントにいいねメッチャ付いて気持ち悪かった。この構文を使って良いのは有名人だけやろ。しかも本人に向かって「アンタらみたいな人種は嫌いだけど特別に認めてやるわ」と上から目線で判断してるって気付いてないのかな。
いや、お前誰だよ。
(追記)
年 | 名称 | 概要 |
---|---|---|
463年 | 吉備氏の乱 | 雄略天皇が吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。 |
479年 | 星川皇子の乱 | 雄略天皇と吉備田狭の妻のあいだに生まれた星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。 |
527年 | 磐井の乱 | 朝鮮半島へ出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州の豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。 |
587年 | 丁未の乱 | 仏教の布教を巡って、大臣・蘇我馬子と、大連・物部守屋が対立し、戦に発展した。蘇我氏が勝利した。 |
645年 | 乙巳の変 | 中大兄皇子・中臣鎌足らが、朝廷を壟断していた蘇我入鹿を暗殺、続いて蘇我氏を粛清した。 |
672年 | 壬申の乱 | 天智天皇の後継者争いが発生し、皇太子・大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子が挙兵した。大海人皇子が勝利して天皇となった。 |
729年 | 長屋王の変 | 皇族の長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王は自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。 |
740年 | 藤原広嗣の乱 | 藤原四兄弟の死により藤原氏の勢力が退潮し、九州に左遷されて不満を持った藤原広嗣が太宰府で挙兵したが、朝廷軍により討伐された。 |
757年 | 橘奈良麻呂の乱 | 橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。 |
764年 | 藤原仲麻呂の乱 | 孝謙上皇と対立した太政大臣・藤原仲麻呂(恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。 |
780年 | 宝亀の乱 | 朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷の族長・伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純を殺害して反乱を起こした。 |
782年 | 氷上川継の乱 | 天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇の崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。 |
807年 | 伊予親王の変 | 藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王が自死したが、のちに冤罪と認められた。 |
810年 | 薬子の変 | 平城上皇と嵯峨天皇の対立が激化し、平城上皇は挙兵を決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇は出家した。 |
842年 | 承和の変 | 嵯峨上皇の崩御に伴い、皇太子・恒貞親王を擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王が皇太子となった。 |
866年 | 応天門の変 | 応天門に放火があり、大納言・伴善男が「左大臣・源信の仕業だ」と告発したが、逆に伴善男が真犯人だとされて流罪になった事件。 |
878年 | 元慶の乱 | 長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。 |
889年 | 寛平・延喜東国の乱 | 関東の治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望が勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。 |
901年 | 昌泰の変 | 右大臣・菅原道真が失脚し、大宰府に左遷された事件。左大臣・藤原時平の陰謀だとされる。 |
938年 | 天慶の出羽俘囚の乱 | 朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明。 |
939年 | 承平天慶の乱 | 東では坂東平氏の平将門が、西では藤原一族の藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。 |
947年 | 藤原是助の乱 | 伯耆の豪族・藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。 |
969年 | 安和の変 | 謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣・源高明が太宰府に左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。 |
986年 | 寛和の変 | 皇太子の外祖父であった右大臣・藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件。 |
995年 | 長徳の変 | 「花山法皇が自分の恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したことで藤原道長が台頭していく。 |
1028年 | 平忠常の乱 | 坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。 |
1107年 | 源義親の乱 | 源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲で乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏の繁栄のきっかけとなった。 |
1113年 | 永久の変 | 千手丸という童子が鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。 |
1156年 | 保元の乱 | 後白河天皇・藤原忠通派と、崇徳上皇・藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇は流罪となった。 |
1160年 | 平治の乱 | 信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝がクーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。 |
1180年 | 治承・寿永の乱 | いわゆる源平合戦。平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府が樹立された。 |
1184年 | 三日平氏の乱 | 平氏の都落ちのあと、伊賀の平田家継、伊勢の平信兼・藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。 |
1189年 | 大河兼任の乱 | 奥州藤原氏の家臣だった大河兼任が出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。 |
1199年 | 梶原景時の変 | 源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉を追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。 |
1201年 | 建仁の乱 | 梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠の越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府に鎮圧された。 |
1203年 | 比企能員の変 | 将軍・源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵の北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍の地位を追われた。 |
1203年 | 三日平氏の乱 | 二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢・伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅に鎮圧された。 |
1205年 | 畠山重忠の乱 | 平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。 |
1213年 | 泉親衡の乱 | 北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方をくらませた。続く和田合戦のきっかけとなった。 |
1221年 | 承久の乱 | 後鳥羽上皇が北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇は隠岐に配流された。 |
1293年 | 平禅門の乱 | 平頼綱は北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権・北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。 |
1305年 | 嘉元の乱 | 得宗・北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。 |
1325年 | 安藤氏の乱 | 津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官・安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。 |
1324年 | 正中の変 | 後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝が佐渡へ流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。 |
1331年 | 元弘の乱 | 後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。 |
1335年 | 中先代の乱 | 最後の得宗・北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉を占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。 |
1336年 | 建武の乱 | 後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏が勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇も吉野に逃れて南北朝時代が始まった。 |
1366年 | 貞治の変 | 室町幕府で権勢を振るった斯波高経・斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。 |
1375年 | 水島の変 | 九州に派遣された今川了俊が、同じ北朝の少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏や大友氏などが離反した。 |
1380年 | 小山氏の乱 | 鎌倉公方・足利氏満と下野守護・小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。 |
1387年 | 小田氏の乱 | 常陸の小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満が小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。 |
1389年 | 土岐康行の乱 | 有力守護の弱体化を図る将軍・足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。 |
1392年 | 明徳の乱 | 一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍・足利義満の挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。 |
1395年 | 田村庄司の乱 | 白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。 |
1399年 | 応永の乱 | 六カ国の守護である大内義弘が将軍・足利義満と対立、鎌倉公方と手を結び、土岐氏・山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。 |
1411年 | 飛騨の乱 | 飛騨国司・姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵、幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。 |
1413年 | 伊集院頼久の乱 | 島津家の後継者争いをきっかけに、当主・島津久豊と対立した重臣の伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。 |
1416年 | 上杉禅秀の乱 | 関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。 |
1422年 | 小栗満重の乱 | 室町幕府と鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東の武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。 |
1423年 | 越後応永の乱 | 室町幕府と鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護・上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。 |
1429年 | 大和永享の乱 | 幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝の越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。 |
1438年 | 永享の乱 | 鎌倉公方・足利持氏と関東管領・上杉憲実の対立から、室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。 |
1441年 | 嘉吉の乱 | 三カ国の守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍・足利義教を暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。 |
1443年 | 禁闕の変 | 南朝復興を唱える勢力が御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍に鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。 |
1455年 | 享徳の乱 | 足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。 |
1457年 | 蠣崎蔵人の乱 | 陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。 |
1457年 | 長禄の変 | 赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。 |
1467年 | 応仁の乱 | 畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから、東軍・細川勝元と西軍・山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。 |
1476年 | 長尾景春の乱 | 関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。 |
1479年 | 毛利次郎の乱 | 赤松氏らの支援を得た因幡の国人・毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。 |
1486年 | 江戸城の乱 | 扇谷上杉氏の当主・上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城を占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。 |
1487年 | 長享の乱 | 享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。 |
1487年 | 長享・延徳の乱 | 将軍・足利義尚が自ら軍を率いて近江守護・六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。 |
1489年 | 山名新九郎・小太郎の乱 | 前伯耆守護・山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護・山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。 |
1490年 | 佐竹の乱 | 佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠を攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。 |
1502年 | 伊庭氏の乱 | 長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔・挙兵するが、最終的に鎮圧された。 |
1507年 | 永正の乱 | 越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護・上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いから関東を二分する戦いに発展した。 |
加藤恵子 田中希 渡邉真史 河野正敏 吉村良夫 長嶺正樹 金子由紀 山中麻衣子 坂本真由 角田麻衣 関聡美 田代知子 杉本真由子 山崎一美 秋山美沙 谷口緑 江原陽子 三木加奈
小林友香理 増田ゆり 渡部礼子 原宏明 石川明宏 竹内昌彦 吉岡章 長岡桃子 武藤真紀子 東千絵 江藤千恵 中村令奈 山崎由紀恵 滝口順子 小平智美 永田真季 大友啓子 伴野裕
子 那須幸恵 樋口麗奈 新島真司 佐伯広斗 掛川亜梨沙 張替昌子 滝沢浩二 田中昭光 三宅善一 君嶋俊 浅野ひな 鈴木幸蔵 清水慶太 佐々木希 新垣結衣 大久保順子 黒岩健人 萩原奈々 吉田誠 小林剛 池田修 太田宏 山本隆弘 石川肇 佐藤幹也 高野浩司 石原武志 石原直哉 吉川順一 山下克典 佐藤匡史 山崎賢人 藤井浩史 山内耕一 川瀬正人 高田康太 水野克典 塚原直之 西尾竜太郎 森翔一郎 内藤浩哉 向中野亮 飯島竜兵 広須賀綾人 浦岡悠 庄司公久 戸取雄一郎 我修院達也 広瀬すず
まずは春夏秋と、県内3連覇を達成した仙台育英なしには語れない。昨夏の甲子園での敗北をきっかけに着手した打撃強化が実り、「打のチーム」と化した。また、1年生を積極的に登用し、層の厚さも県内随一。選抜での活躍が期待される。
その育英を終始追い詰めながらも、毎回あと一歩のところで敗れ続けた東北高校。特に秋は2戦とも勝利寸前まで持ち込んだにも関わらず逆転サヨナラ負け。打力は全国クラスだろうから、投手力アップがポイント。特に、秋の2戦でサヨナラの長打を許してしまった「打者・笹倉」対策は非常に重要。
昨秋、東北大会ベスト4という大躍進を果たした古川高校は、夏は育英へのリベンジを前に悔しい敗退。鉄腕エース・千坂、大黒柱・髙橋のバッテリーを中心に、長い間楽しい夢を見せてもらえたことに感謝。
その古川を春夏と破った東北学院榴ケ岡。下級生時から光るものを持った選手が多く、個人的には甲子園も狙えると思っていたが、育英の壁は高かった。正直に言うと、一冬でイマイチ伸び悩んだ感は否めない。だが、手負いの状態で育英を前半は完璧に抑え込んだ鴻巢のピッチングは、フォームとコントロールの大切さを改めて教えてくれた。
北部地区では、大崎中央も昨秋の東北大会でジャイアントキリングを達成し、実力に結果が追いついてきた学校だ。荒井世代が勝負の年と思いきや、遠山世代のポテンシャルの高さはさらに上をいくと見る。白石工業との再戦では、懸念されていた脆さが出て敗退してしまったが、個人的には観ていてとても楽しいチームでもあり、春に向けてさらなる進化に期待したい。
また、上記以外でも利府・古川学園・古川工業などの実力校を中心に、北部地区は年々レベルの向上が凄まじい。かと思えば、富谷・岩ケ崎・黒川・小牛田農林なども少ない部員数ながら安定した戦いぶりを発揮し、古川黎明・迫桜などの超無名校にも面白い選手がいる。
南部地区では、柴田高校は今年もベスト4の壁を破ることが出来なかった。柴崎・平間と2年連続で左腕の好投手を擁したが、悲願達成を考えると同格クラスの投手がもう1人欲しい。そういう意味では、新チームは頭数が揃っているので、個々のレベルアップに期待したい。
仙台南・仙台城南も、1年生の頃から活躍する選手が多かったが、頂点には届かなかった。しかし、いずれも下級生に好選手が複数残り、特に城南は昨秋の古高ポジとして東北大会ベスト4を達成。春も大いに期待したい。
東部地区では、東陵や石巻工業がリードしつつ、その後ろを気仙沼向洋、松島、塩釜などが追う構図が確立しつつある。佐沼・登米などの伝統校も侮れない。反面、実力校・石巻高校が年々元気を失いつつある感じがするので(応援団長の爺さんは相変わらず元気で何よりだが)、復活に期待したい。
また、志津川高校や宮城水産高校に多数の1年生が入部し、特に宮城水産が夏は数年ぶりに単独出場を果たしたのは、県内で最も少子化の影響を感じる(個人の感想)東部地区だけに、非常に明るいニュースであった。
宮城県高校野球の4つの地区のうち、最激戦区である中部地区では、中堅私学の躍進が目立つ1年だった。
春は、聖和学園が初の県4強、そして東北学院が初の東北大会で花巻東を破りベスト8。多彩な投手陣と攻撃パターンを駆使する、東北生文大高も安定した強さを発揮。
実業系学校では、なんといっても秋の県準優勝、そして東北大会でも強豪を相手に善戦した仙台商業の活躍が光った。公立古豪の活躍は、強豪校へプレッシャーを、そして同じ公立校へ勇気を与え、中堅私学の台頭とともに、県内の高校野球に活気をもたらすだろう。
仙商の飛躍を糧に、実業系学校の仲間であり、近年やや低迷している感のある仙台工業・宮城工業(市工・県工)の両校が意地を見せたい。
伝統校では、県内トップクラスの進学校である仙台一高・二高・三高のいわゆる「ナンバースクール」勢が、それぞれ違った特徴を有しており、興味深い。
・守備力向上が課題だが旧チームから強力な打撃を見せる選手が集う二高
・秋は部員20名未満ながら、各自のポテンシャルをフルに引き出す「らしさ」満載の三高
学力だけでなく、野球でも見所のある選手を育て、好ゲームを演じるナンバー勢も今後が楽しみだ。
今回挙げた学校以外にも楽しみなチームが沢山あり、県内には、私がまだ一度も試合を観たことのない学校も存在する。
宮城県の高校野球という、一見ごく限られた世界もその内情は実に奥深く、まだまだ私もその世界のほんの一部にしか触れられていない。
2020年も、1人でも多くの選手が、心身ともに健康で、大好きな野球を楽しみ、懸命にプレーしている姿を見ていきたい。
最後に、現時点で私が選んだ、個人的な2019年度、宮城県高校野球ベストナイン(10名、3年生限定)を掲載し、当記事の結びとさせていただきたく思う。特に投手、捕手、遊撃手を中心に人材が豊富で、選出に苦労した。企画のたびにメンバーが変わることは間違いないだろう。
【右投手】
1年から実質エース。東北大会ベスト4の原動力となった鉄腕投手。速球の球質、スタミナ、精神力の強さはおそらく県内ナンバーワン。味方にエラーが続出しても、明るく励まし続けた姿が印象的。
【左投手】
この選手も1年時から活躍。特に自らの代では、主将・エース・4番打者としてフル回転。投打の能力も高いが、千坂同様、マウンド上での振る舞いが素晴らしい。
【捕手】
春から捕手に。そうは思えぬ守備力と、4番を担う打撃力で夏のベスト4に大きく貢献した。次のステージでも「打てる捕手」にこだわって欲しい選手だ。
【一塁手】
丹治 基(東北生文大)
春の地区予選4HRのスラッガー。パワフルな体格から、見た目通りのスイング・打球を繰り出す。1本でいいから見たかった。
【二塁手】
センスや長打力はずっと光っていただけに、技術面での悪癖がそれらを殺していた姿が非常に歯痒かった選手。最後の夏にようやく完成させた打撃で、甲子園では大覚醒。
【三塁手】
異様なまでの勝負強さ。走塁時に相手野手の安全を第一に考えてプレーするなど、キャプテンだけあって人間性の良さも光る。
【遊撃手】
球際に強く、深い位置からも確実に刺してくる守備には華やかさもあり、将来メシを食える可能性すら感じさせる。
【左翼手】
古山 慎悟(東北高校)
東北大会で放った、逆方向へのHRはすごかった。ほとんど急造ながらも、夏は4番・投手としても活躍した二刀流。
【中堅手】
走攻守に優れた能力を備えた「スーパー1年生」も、甲子園の土を踏むことは出来なかった。次のステージこそは、全国出場を果たして欲しい。
【右翼手】
小濃 塁(仙台育英)
甲子園で得た借りは甲子園で返す。下級生時の悔しさを晴らした2本のHRは素晴らしかった。対戦相手の投手へドリンクを持っていく優しい一面も。実は内野手としても良い動きをしているので、大学では幅広い可能性を模索して欲しい。
日経スタイル 「職場に突然、ラグビー部員がわーっと入っていって、社員にボールをパスしたり、体を動かしてもらったりするんです。」(山本恭子人事部長の発言を表すかぎかっこつき)
NTTCom社員 ラグビーボールは飛んできません。(火消し)
ねとらぼ NTTコム本社で「押しかけラグビー」は行われています。(火消しの内容の否定)
日経Smart Work 企業の挑戦シンポジウム ー健康経営の新たな視点ー 2018年6月15日開催 PDF
ラグビー部の選手が予告なしにオフィスに現れ、社員を巻き込んでパスを回すなどしながら一人ひとりが健康について何らかの宣言をするという、社員の健康への意識を高めることを目指す押しかけラグビー。庄司(哲也 NTTコミュニケーションズ)社長は「ふだん職場にいて一緒に仕事をしている選手が押しかけて、自分の健康について関心を持つきっかけにしてもらう」と狙いを説明するとともに、社内で実施したときの様子を映像で紹介した。
ステージ上で選手自らが企画立案し社内で実施した、ラグビーボールをパスしながら健康を宣言する「おしかけラグビー」の映像が流れ、選手達の取組みが紹介されました。映像が終わると、会場に選手達が“おしかける”という演出で登場。
ステージに登壇した目崎啓志選手はこの取り組みの狙いについて「わたしたち社員が、普段一緒に仕事をしている仲間に直接働きかけることで、参加意識を高め、健康への関心を高めたいと思っています」と説明し、(略)
Smart Work経営 生産性を向上する社内コミュニケーション(2018年12月開催)の講演レポート(焼きプリン(特殊市民)さんのツイートから)
当社(注: NTTコミュニケーションズ)は社内の様々なアセット(資産)を組み合わせることで、創造的な発想を促す社内コミュニケーションを誘発している。
第1に人と技術の組み合わせだ。暗号解読やIoTサービスに関する社内コンテストを開催。職種を超えた多様な人材の交流を促し、社員のモチベーション向上や人材育成につなげている。
第2に人とラグビー部の組み合わせだ。当社のラグビー部に所属する選手が企画した「おしかけラグビー」は、職場におしかけてくる選手からパスを受けた社員が健康に関する宣言をし、次の人にパスを回すイベントだ。仲間の意外な価値観を知る機会にもなり、コミュニケーションの活性化につながっている。
第3に人とオフィスの組み合わせだ。本社移転を機にコミュニケーションが生まれやすいオフィスレイアウトを工夫した。それに加えて、定期的に席替えする「シャッフルアドレス」と「座席表ツール」を導入。意図的に人を交ぜる仕組みで交流を促している。
s5r 実在するらしいですよ、社員が観測できてないだけっぽい。 https://www.youtube.com/watch?time_continue=436&v=Q1eyOqf4W50
浦安市役所でのおしかけラグビー(参考情報 これは社内ではありませんが選手がユニフォーム着用といっているので)こちら浦安情報局(7分20秒から)
栗原大介選手 おしかけラグビーというものをやらせていただいていて、普通に仕事をしているんですけど、皆さん、そこにサプライズで突然ユニフォーム姿で僕たちが現れて、健康宣言をしながらパスをしていくっていうアクティベーションをみんなでいっしょにやるっていうことをやらせていただきました。
(テロップ)市役所でのおしかけラグビーは健康宣言をした後タックルをしました。
パスじゃなくてもタックルとかでも普段することないと思うので、もうちょっといってもいいかなと思っています。
川上雄也さんたちは押しかけラグビーの中止を山本恭子人事部長にこれから求めてゆくのですか?営業部ならやってよいと川上雄也さんたちは考えますか?
山本恭子人事部長が講演で取り上げた、社内コンテスト・シャッフルアドレス・座席表ツールは人材育成に役立つと、川上雄也さんたちは思いますか?
「そのようなわけでこの部分については中の人的には「そんなことやってへんやろー」っていう事実が歪んで伝わった程度の記事」と川上雄也さんは書きましたが、庄司哲也社長や山本恭子人事部長の発言をご覧になった後も、日経スタイルの記事は事実がゆがんでいますか?
川上雄也さんたちの間違いをもとに日経の記者を非難するコメントが数多く見られますが、どう思いますか?
overflow33 まあ、新聞記事なんてこんなもん。記事に都合のいいところだけ抜き出して、嘘にならない程度にまとめるだけじゃないかな。特に、意図した結果が撮れなかった時は、必ずと言ってもいいほど、編集でごまかすよね。
keijir 日経がポンコツなのか元々ポンコツなのが露呈してきたのか。校閲ガールは居ないってことだな
hidex7777 NIKKEIが悪いということか。
shikiarai 日経不買の理由がまたできてしまった
e-takeuchi 日経の記事を鵜呑みにするのが間違い。
at5u 記事元が全く信用できなくなる一件。インタビューを適当に繋げた記者の作文だったということか。
sds-page 日経スタイルの編集部に突然押しかけてラグビーボール投げつけるべき
stilo 話題になったNTTComの人事の記事は、日経の記者が面白おかしく書いただけで、実際とは異なるようです
tzk2106 日経は妄想で作った記事構想を押しつけてくるから嫌い
kantei3 日経がフェイクニュースだった。(何度目?)
tk_musik フェイクニュース(FN)てことか。普段FNに踊らされる人を笑ってた人らも、信じたい事実(外資>>>国産)にキャッチャーなフレーズが合わされば抵抗できんと。つまり、オレオレ詐欺には皆気を付けよう。
miraiez なんであんな記事になってしまったんだ。日経は謝罪記事ちゃんと書いとけよ
元キャバ嬢です。
例のキャバクラヨガで、キャバクラ扱いは職業差別ってどういうことですか?
容姿のいい子を揃えて、女の子と自由に連絡先交換、自由にアフター、それがキャバクラと言われるのの何がおかしいのかわからない。
てかキャバじゃん完全に。お酒はないけれど、色恋営業でしょ?そういう関係的なのを楽しんでるんでしょ?そういうのを売りにしているんでしょ?
もっと言えば狙ってグレーな営業の仕方をしているんだよね?無資格でマッサージって話もあるけれど。
真面目に風営法守っているキャバクラからすると、何それ?だよ。
はてぶでも擁護のコメント多いけれど、美容室とか取引先とLINE交換するしって、それは仕事だからという暗黙のルールがあるから。
美容師は色恋営業もいるし、他に代わりのいないような個人(少数)営業なら話は別だからね。
そうではなく、真面目にやっていてそれなりの数の人を雇っているようなところでということ。
スポーツジムのインストラクターだって、個人的な連絡先交換は普通はトラブルになりかねないからと禁止されているところが多いと思う。
ヨガスクールで「容姿を売りにしているインストラクター」と「連絡先交換OK」「アフターOK」は
それで、庄司さんと擁護派のいうキャバクラ扱いは職業差別って、批判している誰がどこでキャバクラを貶めているの?
「キャバクラ的な色恋営業もしているけれどキャバクラ扱いしないで」って言っている人の方がよっぽどキャバクラを馬鹿にしているよ。
作られた空間であっても時には恋人ごっこに付き合っても、お客さんが楽しく過ごしてまた明日頑張ろうと思ってもらえればいいと思う。
そう思って仕事している人たちを見下している。
話がとっちらかってしまったけれど、職業差別と別にもう一つ頭にきていることがある。
フェミニスト界隈であんまり盛り上がっているような様子はないけれど(観測範囲では)
これ、#MeTooで声上げている人たちにもものすごいダメージになるよ。こんなふうに女を都合よく使い分けているって思われていいの?
私は嫌だな。自分がキャバ嬢やっていたからこそ、そういうライン引きは必要だと思っている。
性別を売りにしている場を提供しているのなら、そういう場なんだよ。(だからといって別にだから卑下する必要もない)
健全だと言うのなら、女の部分を売りにしちゃいけない。
色恋営業でないというのなら、採用が容姿優先、連絡先交換OKアフターOKは従業員のためにも、勘違いする人を出さないためにもするべきじゃない。
今日12月25日はTYPE-MOONにとって特別な日であろう。
原初の聖杯を生み出すセイヴァーの生誕の日、かの魔術の王が英霊の座から永久に消え去った日、愛を知らぬ獣が『人の王』となった日。そして、
オルガマリー・アニムスフィアの命日であり、私がFGOというゲームから限りをつけるターニングポイントとなった日である。
私と型月との出会いはZeroアニメだった。そこから転がるように世界観に傾倒していき、レアルタ・ホロウ・らっきょ・月姫(漫画版チェンゲだが。リメイクはよ)等々沈みこんでいった。
私はキャラクターよりもそれを取り巻く「世界」に好意を抱く人間だ。そこで積み上げられた世界観を不特定多数で共有したい、そんな思いからネット上の聖杯戦争を下敷きにしたTRPGセッションによく参加していた。
所謂月厨がよい印象を持たれないことはよく分かっていたので、そのセッションと型月板以外では大人しくしていたと思う。それが周りから見て「いいファン」たりえてたかは、今となっては分からないが。
そしてFate/Grand Orderがサービスを開始した。あのメンテ地獄をどう乗り切ったか、既に忘却してしまったのだが、きっと同じ境遇の掲示板上の同好の士が支えてくれたのだろう。
長いメンテが終わった先にあったのは、初めて抱いたキャラクターへの好意だった。
いつか「所長目当てにFGOを始めたら誰も彼女が死ぬことを教えてくれなかった。愉悦部だ」といったツイートが流れてきた記憶があるが、それはどうだろうか。所長の魅力は彼女の死に対して最も輝いていたと思うのだが。
閑話休題。
ともかく序章が終わった時点で私のFGOへの一番のモチベーションは所長になった。
その後も所長のみを求めて本編・イベントを進めていった。自身の形質もあってか、幸い「推しを引かねばならない」という焦燥感に駆られることなく、『「好きなキャラを引く」ではなく「引いたキャラを好きになる」(当然そこにあるのは「愛情」ではなく「愛着」だが)』というスタンスで進めるという割と健全なプレイをしていたのではないかと思う。(結局課金は16年の福袋のみに徹した。余談になるが、私は意識高い系として散々弄られた庄司Pの「ゲームの価値は顧客一人一人が決めるもの」という発言だけはマーケティングのいち真理だと考えている。今となっては喧嘩別れのようなかたちで引退した身であるが、払った金額ぶんだけの価値はあったと思うし、そこに後悔はない)
恋の続く期間のひとつの区切りは3ヶ月だ、などという話をよく聞く。私の所長への一方的な恋は、その区切りを何とか乗り越えることができた。
しかしその恋心に対してFGOは残酷であった。マスターの皆様方ならお分かりであろうが、月見イベント以降シナリオ上で所長に関する言及がぱったりと途絶えるのである。
型月の世界観は愛していた。しかしその時の私はそれ以上に所長に対しての思いが勝っていた。
そんな私に与えられたのが所長の情報の断然だった。そんな状態で、所長への思いは潰えない代わりに型月世界観へのそれが立ち消えていくのは時間の問題だった。
きっかけが何だったのかはもう不明瞭であるが(戦闘が面倒だとか案外そんな今更な理由だったのかもしれない)、メインシナリオへのモチベーションが第六章の途中ですっかり折れてしまい、数ヶ月間に渡ってログインと必要最低限のイベント周回を行うのみになってしまった。パーソナル・レッスンは当然限凸したが。
時は流れ、2016年冬。そんなモチベーションの転機となったのが終章前のキャンペーンであった。適当な自己分析ではあるが、その時の思いは「所長・石30個への乞食感情・『リアルタイムならでは』という言葉に対しての勝手な勘違い(恥ずかしながら、『終章そのものが期間限定である』と思いこんでしまっていた。この齟齬がどう影響するかは後に話す)」であったと思う。その時の私は、単純計算でも半分以上義務感でシナリオを進めていたに過ぎなかった。(6,7章のシナリオこそ読み飛ばしはしなかったが。それでもなお最近のエレシュキガルフィーバーに「遠坂凛である、以上の湧き上がる理由がわからない」と言ったらモグリ扱いされるのだろうか、といった程度の読み方しかしていないが)七章まで終わらせたのは終章開始ほんの数日前、だったように思う。
そして終章。そこで待っていたのは「素材激ウマクエストを周回する権利」という自業自得な裏切りであった。これに関しては100%私が悪いのでFGOに対してどうこう言うつもりはない。モチベーションの柱がひとつ折れた。
マーリンは引けず、柱がもう一つ折れたなか、魔神柱は必要最低限の各一回のみ倒し、追悼動画なんてものをどこか冷めた目で見ていた。
もはや私に残されていたのは「最後に所長に関する言及があるかもしれない」という曖昧な希望だけであった。
そして来たる2016年12月25日。最後の魔神柱陥落の知らせを受けた私を待ちうけていたのは、純粋なストレスであった。
勝てない。
勝てない。
勝てない。
休止期間中に溜まりに溜まった林檎を齧り、手を替え品を替え鯖を替え礼装を替えても勝てない。羅刹王の効果がなかったのは未だに許していない。
その時の私は確実にスレていた。「聖晶石は『未来を確約するモノ』なのだからコンティニューは恥ずかしくない」なんて文章を見てしまったため、意地でも石を割るものか、と思ったほどだ。結局その意思すら割れてしまったが。
人理は修復された。そこまでのストレスと差し引いたらどうかとは思うが、悪い終わり方ではなかった。所長に対する言及さえなければ。
人理修復を達成したマスターならばここで疑問に思うだろう、終章にはオルガマリーのオの字も出てこなかっただろう、と。しかし言及はあった。あってしまったのだ。
そう、「語られない者」、二百名の「その他大勢」として語られてしまったのだ。
ただただ放心した。奈須きのこの中には、既にオルガマリー・アニムスフィアという存在はいないものなのだと、そう感じた。
言及されない、ということも覚悟はしていた。しかし現実に突き付けられたのは、「きのこは所長を覚えていない」という実質的な死刑宣告であった。私の中で、もしかしたら復活するかもしれない、という希望が立ち消え、最後の柱が折れた。
一回忌。
SNS上で多くの人間がFGOに対して感謝を述べるなか、漫然たる義務感と所長への思いだけで一年半継続してきた私は取り残されてしまった。
そこで私と他マスターとの間に大きな亀裂が生じてしまった。妬ましいのだ。
何で俺が救われていないのにお前らは救われたんだ、感謝の言葉を言えるんだ。そんな身勝手な、醜い嫉妬。
そんな思いから一気にFGOへの思いが覚めてしまい、止まってしまった私は先達を気持ち悪い内輪ネタとしか思えなくなってきた。
その後も惰性でログインとイベントだけ続けていたが、その惰性すらチョコ礼装のテキスト「いつかこれに乗って、""四人で""颯爽と聖地の荒野を渡る事を天才は夢見たのかもしれない。」に心折られ、近しいうちに引退した。
引退後は徹底的に自衛を行った。私の心理状態はアンチのそれに近しいものだっただろう。ただ、それを行動に出すのはみっともない、そうも考えていた。
「嫌なら見るな」とはよく言うが、本当にその通りだと思う。見えなければ怒りは湧いてこないのだ。そして、作品に対するアンチ行動は作品そのものではなく「その作品を楽しんでいる人間」そのものに向けられていることも理解した(私が特殊なだけかもしれないが)。
一年が経ち、作品そのものに対する不満は引いてきた。それを取り巻く人間に対しての嫉妬への対処は、まだもう少しだけ時間がかかりそうだが。
そして、この文章は一年という澱みに対する気持ちの整理である。一年前では良くも悪くもここまで冷静に物事を見れなかったであろう。
ただ、身勝手な望みでしかないのだが、願わくば所長には復活してもらいたくない。創造主から一度忘れさられたものをサルベージされたならば、それはもう菌糸類からのキャラクターへの愛情ではなく只のビジネスだ。
好きでもないキャラクターをビジネスとしてピックアップさせ、好きでもなかった人々から「ずっと待ってた」などと空虚な言葉をかけられ性的非性的に搾取される。
そんな未来は、きっと耐えられないだろう。
反応ありがとうございます。
ソラウリベンジ
悲惨な末路をたどるのは十分予想できたことであり(ぐだおでもネタにされてましたし)その「悲惨な末路」があったからこそオルガマリーというキャラクターに惹かれたのは先に記した通りなのでそこに文句はありません。
ただ、その「悲惨な末路」が作中だけでなくメタ的な扱いにおいてもそうであったというのが只々残念であるのです。
2部
今になって言及されても「2年近く言及をしてこなかった」という疑念は拭えませんし、プレイヤーに対する心証の悪さ(悪目立ちしてるのはほんの一握りだというのは理解しているのですが)はまだ癒えていないので再開してもストレスにしかならないでしょう。加えて引退において後腐れないように引き続きコードを電子の海に放出したため所長がどうこう関係なく面倒なので復帰の予定はありません。(スマホのスペック的にも去年はプレイに支障がなかった程度だったがそこから一年経って諸々追加されたらもうダメそう)
未完、収まりきらなくなったので分割 anond:20210626005632
2017/6/14に放映されたトップリードのツイッターBROSの中で村山彩希さんのAKB48の16期生メンバーに関するコメントを書きおこしました。
ゆいりー「拙者魚顔ですからー!シックスパック!」(というわけではじめます)
手汗が凄いで有名。握手会でも、この子手汗すごいわ!となる。でも、それで覚えやすいと思う。この子も凄く真面目。AKBは絶対にやるストレッチがあるんだけど、16期生は先輩と絡むときがあまりなくて、ストレッチができなかった。けど、私が教えるようになったら、最初にメモ取って皆に声をかけたりしていた。振りも結構教えてて、皆の事がしっかり見れている。MCのときも話を振ってあげられるところがある。リーダー的存在の子は何人かいるけど、一番っぽいかもしれない。
色んな曲に対応できて、歌もうまくて歌声を聴きにきてください。
私と同じ年なんです。さっきも公演でお誕生日おめでとうございますと言われました。私は明日二十歳になります。
岩立沙穂ちゃんのような後輩からいじられるようなキャラで、自己紹介が始まるときだけ観客側からおーー!という歓声が上がる。癒し系で、踊り方も初々しくて、教えるときも絵で描いてくださいと言われて、次の公演のときには直ってたので、絵で覚えるタイプみたいです。
岡田奈々の推しメン。私の一個下なんだけど、若く見える。闇っぽい曲のときの方が魅力的。喋り方がアナウンサーみたいで、透き通った声をしている。踊り方も好きで、苦手なステップを頑張ってるところもカワイイ。
大人っぽくて、この子の手先が本当に好き。踊ってるときの手先がとっても綺麗。自然と身についてる。
発言がおもしろい。鏡に向かって「私こんな顔なんだ」って言ってたりして、つっこみやすいし面白い。
推しメンが中西智代梨さん。本当に好きで自分じゃなくて、シングル買ってきて智代梨さんに投票するぐらい。踊ってるときはカワイイんですけど、MCでは割とぼけたりつっこんだりする側。MCではサバサバしている。ファンの方が好きな顔なんですよね。
なっきータイプでしっかりしている。頭が良くて、頭で理解して家で学んでくる。なので、言えばすぐに直る。凄く真面目。歌もうまいし、ダンスも癖がない。言えばできる子なので、色々言って行きたい。
すごい美人さん。ダンスが上手い。お笑いが大好きで勘が良い。サバサバしてて媚びない。後、熱狂的なファンの人が付きやすいのか、公演でのコールが凄いんです。12歳だけど、ナイスバディ。ゆいりんごよりナイスバディ。なので、ポニーテールもいいけど、髪の毛おろしてもいいかも。
皆覚えやすいのでは。一人だけしっかりしていて、入って半年なのに肝が据わっている。
背はちょっと低い方。完璧すぎて、いう事なくて怖いです。こんな後輩が居て。でも、ファンの方はフレッシュさとか求めちゃうので、やる気ないとか勘違いされやすい子でこれから予想外の壁にぶつかるかもしれない。
半年でここまでおついてるのもすごいんだけど、元気なのじゃなくてカッコいい曲とかやらせてみたい。
12歳で若い。メンバーからは西野美姫ちゃんにしか見えないと言われる。最近本当に美人になってきた。たっちゃんは、目に見える変化が一番早かった。公演で踊ってる姿を見てて本当に美人さんになってきた。
絶対美人になる。西野美姫ちゃんっぽくなるのか、清楚っぽいアイドルキャラっぽくなるのか。これからが楽しみ。
推しメンが私(村山彩希)なんです。アイドルが好きで、不器用だけど真面目。MCでメンバーをいじって面白くしようとする子。皆からはお姉さんと思われてる子。とても美人さんで、髪の色も薄目で大人っぽく見える。公演で、色んな曲をさせてみたくなる。
12歳ですね。二次元顔でアニメに居そう。一回泣かせてしまったことがある。16期生は18人居るけど、16人に私のプロデュースでは、絞らないといけない。その発表の前だったかもしれないけど、呼び出してこうしたほうが良いよと話をしたら泣かせちゃって。
でも、それは緊張感。16人に絞るのは16期生のためというか、13期生のときもセレクションがあり崖っぷちにさらされたりとかあって(良かったと思っている)。
12歳で子供だけど伸びしろが沢山あると思うので、周りから吸収していけば化けると思う。変だんだけど愛されキャラです。
踊りが苦手。先輩と一対一で教えても、体ではなかなか伝わらない。なっきーとかせいちゃんの初期な感じがある。もっと頑張ればプロ級に踊れるけど、壁を乗り越える前なんですよね。
努力次第だし、それは本人にも伝えている。今はちゃんと覚えて欲しいんですけど、小嶋さんみたいにぼまかしかたを覚えて欲しい。今はごまかし方も分からないし、心配は心配だけど、まだ14歳でこれから。
ポニーテールにして大正解で、本当に似合っている。落ち着いてて、リハーサルでも落ち着いててMCとかでも仕切ってて面白い。部活っぽくて中学生っぽい喋り方や若さが良い。え?頭良いんだ。割とバカなのかなと思ってたけど、頭良いんだ。ちょっと、ゆいりーと正反対はひどいw
突っ込むのが好きなのかもしれない。MCで仕切ってても安心して見てられる。
さきぽん。若いです。顔立ち大人っぽくて相笠萌さんに似ていると言われる。めっちゃ泣き虫で、ネ申すの企画で、ファンの前でUZAとBeginnerの公開振り入れをするときにずっと泣いてたので、私はずっと泣き虫って言ってます。美人さんなので、化けると思ってます。しゃべると子供なんだけど、顔立ち整ってて、どんな曲のジャンルでもいけると思う。
しっかりしてて、メイクさんからも評判が良い。後、本当に真面目。一度取材を受けたときに食べきれなくて、一部を差し入れしたら後日「差し入れありがとうございました」と挨拶をしてくれた。踊り方も武藤十夢さんに似てて、ステージ上でも目立つ。武藤十夢さんとの関係も好きで、めちゃくちゃ冷たいんですよ。それもあって16期生から、武藤十夢さんが怖がれてて。でも、そういう良い関係だと思ってます。Showroomとか見てても、良い関係だなと。
ツインテールで顔はカワイイ。一番ダンスは上手いと思う。癖がない踊り方をしている。笑った時の笑顔がギャップがある。声がハスキーで、色んな曲に対応できると思う。
ただ、髪型がツインテールなのがもったいない。かわいいってイメージを持たれてしまうので、かっこいい曲とかやりづらくなっちゃう。次髪型変えるときは、ストレートやポニーテールにすると良い。
この子は歌が上手い。48thのカップリングでダンスナンバーの曲で唯一選ばれた。すっごいダンスうまいし、真面目だし、美人。
この子は、一匹狼っぽい。私は好きです。未だにちゃんと話したことないけど、一人で黙々と先輩に頼らず個人で色々研究してストイックな感じで好きです。(熱が入ってスカートがめくれる)
もうちょっと肩の力を抜いても良いのかなと思う。完璧主義なんだけど、完璧すぎるより隙がある方がファンの方も好きだったりするし、この曲は力を抜くとかできるともっといい。
アイドルが本当に好きで、真面目に勉強してくる子。今日も公演にきて、ずっとメモしててえらいと思った。新入生のゲネプロを見に行ったときは、良い意味で
見ててブリブリだったので、女子から嫌われそうな子と思ったけど、裏では凄く真面目で、舞台上でアイドルとして完璧にやってる姿の両面を見たときに、本当に良い子だし本当にアイドルが好きなんだと思って、頑張ってほしいと思った。
以上!
・元MF文庫編集長の三坂泰二という方のカンパニー長就任記念に発行
・MF文庫を模した(というか中のひとが作ったからデータ流用してる?)同人誌で、世の中に10冊しかないらしい
・本文が170ページ、本編が20ページ程
・残りのあとがきは関係者数十名からのお祝いコメント。全員実名投稿で、名が多少知れてるひとだと庄司智がいる
・本編は戦記ファンタジー? タイジ率いるMF国が靴国やファミ2国を打ち破る話
・振るった編集が自滅する覇剣『はがない』や魔剣『IS』みたいな、自レーベルの作品を揶揄する記述がたくさん
・あとがきの中にも、『オーバーな人たちは泥舟で逃げ出したけど炎上で焼き固めていくから沈まないのある意味すごい』といった他社をこきおろす言葉がちらほら
・なんでかネット流出したらしく、たまにpdfがアップされてる