はてなキーワード: 内乱とは
まさにその通りです。ウクライナは「ヨーロッパの朝鮮半島」的な立場にあると言えます。
• ウクライナはロシアと西欧(EU・NATO)の間に位置し、どちらの勢力圏に入るかで対立が激化。
• 朝鮮半島は中国・ロシア・日本・アメリカの影響を受けやすく、歴史的に争奪戦が繰り広げられた。
• ウクライナはロシア帝国、ポーランド・リトアニア、ソ連に支配され、独立が困難だった。
• 朝鮮半島も中国(清)、日本、アメリカ、ソ連の影響を受け、南北分断に至った。
• ウクライナはロシアから「ロシアの一部」と見なされ、ウクライナ語や文化が弾圧された。
• 朝鮮半島も日本統治時代に日本化政策を強制され、言語・文化の制限を受けた。
• ウクライナはホロドモール、ソ連の弾圧、現在のロシア侵攻など苦難が続く。
• 朝鮮半島も韓国戦争(朝鮮戦争)、独裁政権の弾圧、南北対立などの問題を抱えてきた。
• ウクライナはNATO・EU寄りになり、ロシアが反発して侵攻。
• 韓国はアメリカ側、北朝鮮は中国・ロシア側で、国際的な緊張の火種になっている。
違い
一方で、朝鮮半島は「南北分断」されたのに対し、ウクライナは今も統一国家を維持しようとしている点が大きな違いです。
しかし、2014年のクリミア併合や東部ドンバス地域の分離運動を考えると、ウクライナも「分断されかねない」状況にあります。
大楠公(楠木正成)の評価は、その生涯と行動をどのように捉えるかによって大きく異なります。ご指摘のように、もう少しうまく立ち回ることができれば、異なる結果になったのではないか、と考える方もいらっしゃるでしょう。
大楠公は、後醍醐天皇への忠義を貫き、理想の政治を実現しようとしました。しかし、そのために選んだ道は、必ずしも現実的なものではなく、結果的に失敗に終わってしまった側面も否定できません。
大楠公は、剛毅な性格で知られており、一度決めたことは最後までやり遂げるという強い意志を持っていました。しかし、この性格が、柔軟な対応を難しくし、周囲との関係を悪化させた可能性も考えられます。
南北朝時代は、激しい内乱が続く混乱の時代でした。大楠公の行動は、このような時代背景の中で、最善を尽くしたものだったと言えるかもしれません。
確かに、大楠公がもう少し柔軟な姿勢で、周囲との関係を円滑に進めることができれば、事態は変わっていたかもしれません。しかし、大楠公の行動は、その時代の価値観や状況の中で、最善を尽くした結果だったとも考えられます。
足利尊氏との関係は、大楠公の生涯において非常に重要な要素でした。もし、両者が協力関係を築けていれば、天下は統一されたかもしれません。
建武の新政は、短期間で崩壊してしまいましたが、もし大楠公が生き残っていたら、新政はどのように展開したのでしょうか。
後醍醐天皇との関係も、大楠公の行動を左右する大きな要因でした。もし、後醍醐天皇の意向をもっと汲み取ることができていれば、事態は変わっていたかもしれません。
これらの「もし」という仮定は、歴史に「もし」はないという点で、あくまで一つの考え方です。
大楠公の評価は、人それぞれです。歴史上の人物を評価する際には、その人物の置かれた状況や、当時の価値観などを考慮することが重要です。大楠公の行動を単純に「良かった」とか「悪かった」と一概に断定することはできません。
はてなに期待は持ってないし、将来性とか先見性とかもないだろうってことは前提にある
ただ、腐っても自由なネット文化の中にあるから、時には面白い事言う人や知見に出会えることもある
はてなブログしろ、増田にしろ、はてぶというフィルターがなければ事実上ほぼ機能していない
つまり、ブクマカの審美眼がものをいうんだが、そのブクマカが碌な人がいない
増田はその影響をモロに受けているから、深刻なイジメと悪口の温床にしかなってないよね
特に増田とブクマカはやたらと対立しているので、ブクマカはとにかく増田をコケにすることに全力になりやすく、まともな評価すらしていない
これ完全にブクマというコミュニティが出来あがっているのがわかって、本当につまらないんだよね
ブクマカは互いに傷のなめ合いか内乱を演じるためにはてぶを使っているのであって、キュレーションの役割はカス程も残ってないし
武装した兵士に対して武器を奪おうとする行為は、たとえ一時的に成功したとしても、周囲の兵士から反撃され、結果的に命を落とす可能性が高い。そのような行動は、無益で危険である。
兵士は基本的に命令に従って任務を遂行しているだけであり、多くの場合、それが生計を立てるための手段である。彼ら全員が高い職業倫理を持っているわけではなく、単に仕事として従事している者も多い。
武器を奪おうとするような行動や挑発は、兵士の反撃を招き、犠牲者を出すだけでなく、大規模な内乱に発展する危険性もある。そういった行為は社会全体の安定を脅かす。
一部では、そのような危険な行動を「民主主義」や「正義」として称賛する風潮が見られるが、それはむしろテロリスト的な行動と見なされ、批判されるべきものであると主張している。
結論として、この文章は、武装した兵士に挑発的な行動を取るべきではないという警告と、それを正当化する風潮に対する批判を含んでいます。
人工知能に聞いてみたけど女性人口過剰が引き起こす問題は貧困やそれに伴う社会保障費の増大(あくまで可能性。女性が皆自立すれば問題ない)の可能性なんだけど男性人口過剰がもたらすのは少数の女性を巡って女性を誘拐、人身売買、女性とつがえない男たちの暴動、それを抑える行政コスト、内乱など男が余る方が明らかに問題が大きくなる。
男は子供産むわけではないからそんなに多数はいらないし、女と違って異性がいないと犯罪や暴動まで起こす(史実)危険因子なんだから上澄だけ生かしておいて残りは処分か適当に二次元などのまやかしの女体を与えておいて労働奴隷として搾取する(子育て用の金もここから取れば良い。SNSでも独身は少子化社会に貢献できてないと投稿してる男が多いから本人たちも同意するだろう。)のが一番合理的。労働奴隷としての価値も先端技術が出てきて無能な男は本当にいらなくなってしまったけどな。
上澄の男にとっても下層の男などお荷物でしかない 男は女と同胞がいれば満足だから まあ虐待用としての価値はあるかもしれないが弱男とはいえ団結すると面倒なことになるので処分か生かさず殺さずが一番良いのだな。
そして世の中女が結婚したがってるという風潮だが、本質的な意味で異性を必要としているのは男側である。男は負け惜しみでセックスさえできれば良いと言うが、本当の意味で結婚できないと焦るのは男の方 風俗嬢やキャバ嬢にすら恋愛感情や人間性、「その先」を期待するのだから女の存在意義をセックスだけど考える男は少数派 別にそれを責めるつもりはないがこの点に自覚的であるべきだと思う
結論としては優秀〜中の上の男だけを生かして女と番わせその他の男は廃棄か奴隷 産めない女は産めないとはいえ子育てはできるだろう(男は無理。カーストの低いオスは自分の子でなければ子供を加害する危険性が高いため)から労働か育児だね
古代ローマの共和政は、ローマが都市国家、あるいは都市国家連合である時代には有効に機能した。
しかしながらローマが地中海世界のほとんどを支配する巨大国家になると、システムとして限界を呈してきた。
このような巨大国家の指導者の地位は、都市国家ローマの有力者の集まりにすぎない元老院や、首都ローマの市民の選挙によって選ぶ執政官には、とうてい務まらなくなったのである。
小規模な国家であれば市民や元老院の利害関係の調整も何とか機能したのであるが、国家が大規模化するとそれが機能せず、元老院議員たる貴族は私利私欲を優先させるようになった。
また市民集会への参加権利の無い属州民は、国家運営から完全に排除され、属州まで含めた大局的な見地での国家運営は、到底遂行しえない状態であった。
古代ローマは、主に貴族からなるパトロヌス(親分)が、主に平民からなるクリエンテス(子分)を従え、かつ保護する相互関係があった。
ローマが都市国家の段階では、貴族たるパトロヌスがクリエンテスを保護する事により、私利私欲を追求する存在ではなくノブレス・オブリージュの体現者となっていた。
しかしローマが巨大国家になると、貴族たるパトロヌスが保護するクリエンテスは国家の構成員の少数派となり、結果、貴族は自分に近い身内だけを利益を優先する存在となり、大局的な国家運営よりもクリエンテスの利益代表者としての立場を優先した。
この現状を打破するには、個々のパトロヌスとクリエンテスの複雑な上下関係を、ただ一人を頂点とする単純な上下関係へと整理する必要があった。
しかし、かつて王を追放し共和制に移行した歴史を持つ古代ローマでは、君主制は最大のタブーであった。
「内乱の一世紀」と呼ばれる動乱の時期を経て、終身独裁官に就任したカエサルは、共和政ローマの伝統を守ろうとする者たちによって暗殺される事になる。
その後を継いだオクタウィアヌスは、紀元前27年に元老院より「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を受け、古代ローマ最初の「皇帝」となったとされる。
だがそれは後世の認識であり、アウグストゥスは建前上は君主の地位に就いたわけではなく、共和政の守護者として振る舞った。
このような、実質上は皇帝の地位に就いたものの、建前としては古代ローマの伝統を墨守し共和政の体裁を守ったこの体制を、後世になって元首政(プリンキパトゥス)と呼ぶ。
アウグストゥスの統治はあくまで共和政の継続という外面を持っており、その権力も独裁官という非常時大権ではない、共和制平時のさまざまな権限を一身に帯びるという形で構成されている。
一つ一つは完璧に合法でありながら、それらを束ねると共和制とはひどく異質な最高権力者の地位となる。
こうした地位についてアウグストゥスは「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」と自身で表向きの説明をしている。
プリンケプスの地位を構成したうち、主要なものは執政官の権限、上級のプロコンスル(属州総督)権限、トリブヌス・プレビス(護民官)職権の3つで、プリンケプスの権力は基本的にはこの3つから説明される。
これら3つの権限はアウグストゥスがローマを合法的に統治する根拠であると同時に、執政官権限、上級属州総督権限の2つは合わせると実質全ローマ軍の統帥権を意味し、アウグストゥスが軍事力を掌握する根拠でもあった。
以上の行政権、軍事力のほかにアウグストゥス自身が述べるように圧倒的な「権威」が重要な要素であった。
アウグストゥスはポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)という神職にも就任しており宗教上の最大権威者となってもいたが、それ以上に「内乱の最終的な勝者」という軍事的実績を伴った権威は正面からの体制への挑戦者を寄せ付けなかった。
皆さんご存じの通り、れいわ新選組は中核派と呼ばれる一派から生まれた政党、公然活動団体である。
元々の出自が戦前からの日本共産党のやり方に不満…もっと暴力などを含む急進的な革命を望む層が分離し、内ゲバ(≒暴力を伴う内乱)を繰り返した末に残ったのがこの中核派。
なので、同一視されることが多いが、日本共産党とこの中核派は、公明党と共産党ぐらい仲が悪いのである。
そして今回の選挙。なんと共産党が8議席、中核派の公然活動団体れいわ新選組が10議席と、なんと議席で逆転してしまった。
共産党の傀儡委員長田村が、インタビューで何を聞かれてもひたすら「非公認の候補にも2000万円を暴いたのは我が共産党だから過半数割れを引きおこしたから実質勝利」と発言する人口無能botみたいな勝ち組を演じていて滑稽だったが、それよりも、お前中核派にまけてや~んの、やーいやーいばーかばーか、と言う方が響いているのではないかと思われる。
真面目に分析すると、潜在的な極左支持層が支持する可能性がある政党は、社会民主党、日本共産党、れいわ新選組の三つがある。
組織のでかさで言うと日本共産党が圧倒的で、その後社会民主党が細々とあり、れいわ新選組が続く。
政策は似たり寄ったりであると言え、最近はどんどんフェミニスト政策、表現規制推進(不快なものは掲示するな)と言う方向に傾いて言っているのは間違い無いのだが、それでもれいわ新選組はその中で比較的脱臭に成功している・・・逆に言うとまだ知られていないと言う感じがあり、それで潜在的極左の票を取り込んだのではないかと思われる。
さて、振り返って共産党であるが、結局田村が日和って地方組織を抑えきれなかったことと、勝ち戦を想定できず戦略を間違えたと言う事の二つに尽きる。
前回の選挙は大敗したものの、数字を分析すると野党共闘は比較的成果を出していたと言えた。しかし、数字ではなくイメージで責任逃れを図る国民民主玉木らによるスケープゴートにされ、今回は野党共闘路線をとれなかった。
それに対して今回である。
田村も日和ってしまい地方組織を抑えきれず、60台後半の自民党現職に70台のおじいちゃん共産党支部長を候補としてぶつけた結果、若手の立民候補と共に落選とか地獄の様な状況がいくつも見られている。
立民の言う事を聞いていれば良いと言うことではない。これは何かと言うと、今回勝てると思って戦略を立てていなかったという事だ。
勝てると思ってもう少し現実的に選挙戦略を立てて、政策を整えて、マスに切り込める戦略を立てられていたら勝てていた。例えば週休3日制の導入を目指すというのはなかなかに良かったが、その周辺がカスカスでさっぱりだっただろう。労働問題にフォーカスし、労働貴族連合とは別の道を示す事ができていれば、つまり、まっとうに社会主義革命と言う「手段」によって何を得ようとしていたか?と言う所の本懐に立ち戻って、政策を立て直すべきだったのである。
そうすれば、手段目的化の権化であるれいわ新選組に負けることはなかったのではないだろうか。
ということで、共産党はこの敗退を認め、それを名目に早く腐ったジジイ共を切り捨て、何をするべきかやらないといくらやっても中核派に勝てないし、下手すりゃ乗っ取られるという事を認識してほしい。
以下は、ブラジルによるX(旧Twitter)禁止に対する反応を肯定派、否定派、その他の意見に分けた要約です。
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