はてなキーワード: 屁理屈とは
激しい光の中から主題歌と共に舞い戻るゼロの姿は、ゼクノバガンダムを彷彿とさせるよ。
それを迎える電波セリフの数々、屁理屈すぎるハッピーエンド、全部一緒だ。
機体人気もキャラ人気も高い。
何?会う話をしてたころからやり取り見てたのか?でもこんな予想外の屁理屈重ねられたらそういう疑念はとうぜん浮かぶだろ?なんで屁理屈言うの?
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トランプ政権への批判に対する冷笑について特に馬鹿だなと思うのが2つある
一つはトランプは原因ではなく結果だ
とかいうやつ
アメリカが経済成長をして富裕層はもっと豊かになる一方で貧乏人に適切な再配分が行われなかったからトランプが大統領になった
みたいな事を言いたいのか知らんがそれとトランプ自身が起こした数々の問題は別だろ
ってのが正しい
そしてもう一つの屁理屈はトランプが居なくなっても別の人間がまた同じ事をするから無駄
とかいうやつ
って言ってんのと変わらん
環境改善をやりましょうという意味合いで言ってるとしてもなんで馬鹿って世の中がシングルタスクでしか動かないと思い込むんだ
何かやらねばならないことがある、例えば資格取得だとかジムに言って汗を流すだとか、そういう事は不確定だ。
本当に達成できるかもわからない、でもまあやったほうがいいんだろう程度には同意していることっていうのがある。
これをやれるモチベーションのあるつよつよ人種ってすごいですね、人間の平均以上のやる気が発揮できるんですね、私にはとても無理ですとか言って一日中ごろごろして動画見ているような奴らの中には「トラウマでうごけないやつら」というのが一定量いる。
習慣として身についていない奴らとか、そもそも知能が低すぎて自分の快楽意外の選択肢を持つに至らなかった奴らもいる。
トラウマまみれの奴らはあれは出来るがこれはできないとか、そういうことじゃないって言うことは先に言っておこう。
トラウマで動けない奴らの特徴をいくつか書いてみることにする。思いつくままに書いているから読みやすい文章じゃない。俺も書いてて苦しいからな、そこはわかれ。
例えば「はいかいいえで答えるパターン」で「いいえ」とこたえようとするときだけ体が金縛りに合ったように動かなくなることがある。それどころかなにかに「はい」というように無理矢理に引きずられている感じすらすることがあるだろう。
「いいえ」と言わないとなにか結構な損をすると明らかにわかっているような場合でもなにかの力で無理やり「はい」と言っていることはないか?もう言わされていると言ったほうがいいだろう。
はいかいいえだけじゃない、右か左かだとか、何かしらの選択をするときに特定の選択だけがどうしてもできない場合、それはほぼトラウマと言っていいだろう。
例えば何かを断ったときに想像を絶するひどい目に合ったことはないか?
お前とクラスメート、お前と家族、という関係性の中で「いいえ」といったときはかなりの確率、または毎回執拗に食い下がられて結局「はい」と言うまで何時間でも何日でも粘られる、またはひどい批判を受ける経験をしていないか?「はい」と言ったらすんなり話は終わるのに、という経験をしていないか?
忘れているかもしれないが、頑張って思い出してみるといいだろう。一人でやることが不安ならプロに一緒に付き合ってもらうことを提案する。
ちなみに、これが対人のときに特に強く、例えばテレビゲームなんかだと全部の選択肢を選ぶまでやるとかはかなりの執念で実現したりする。
ちなみに後でその「はい」と選択した(トラウマに選択させられた)ことを「アーでコーデソーダからハイと言ったのが正解、10万払う羽目になったけど、まぁ、寄付したものとしていいことにするわ」とか周囲の人間からしたらわけのわからない理屈で正当化するのも特徴だ。ちなみに他のやつが同じことをすると信じられないほどの熱量で人知れず批判してものを壊したりしているのも特徴だ。なにかえぐられた気分になるんだろうな。
この引きずる力に打ち勝つにはかなりの感情の爆発が必要になる。なんであいつ断ったあとあんなに荒れるんだ?とかそういう人いないか?
完璧主義というのは、「完璧になるまでやめない」と思いこんでいる奴らがいるが、完璧主義の正体は「完璧じゃないならやらない(つまり何もできない)」が正しい。
以前も書いたがああでもないこうでもないと屁理屈こねまくって結局やらない奴らの中にはトラウマによる完璧主義でできない奴らがいる。他にもなにかの中毒になっているとか、依存症になっているとかそういうのもいるだろうが、出来る奴らは「やらない」とスパッと言ってやらない。
アイツラはモチベーションがすごいから出来るんだ、俺にはそんなモチベーションはない、というのはまぁわかりやすい話の一つだ。そして自分のモチベーションを高めることは結局しない、モチベーションのためのモチベーションがとか言い出して結局やらない。
動画ばかり見ている奴らがなんでそうなるかは簡単だ、動画を再生することに対して何も問題が起きないからだ
増田の世界では完璧主義的な観点でなにか反論してはいろんぱ、ってやっている一が多いが、まぁその中にはエンタメとしてじゃなくて自分の中のトラウマちゃんをめでたくてやっているやつもいるんだろうなと思っている。
セルフネグレクトと言ってもいいかもしれないが、トラウマまみれのやつが絶対に見ないものが自分だ。
自分の行動や言動を客観視することができなくなっている。過去の辛い体験から生き延びるために身につけた処世術とでも言ってもいいかもしれない。
自分の意見や思いを大事にしたらひどい目に合うが、自分の意見や思いを押さえつけて周りに合わせると褒められる、喜ばれる、という経験ばかりをしていたのだろう、辛かったよな。
ちなみにお前に対して褒めや喜びを持ってきた奴らはお前が自分を押さえつけたり捻じ曲げたりしているなんでこれっぽちも思ってないし、何なら必要だった、いいことをした、あいつのために俺達はむしろ頑張った、くらいに思っているからな。底だけは勘違いするなよ。
トラウマだらけの奴らは自分を粗末にすることが大好きだが、自分を粗末にしている、などと自分を見据えた分析は絶対にしないで、「ついつい周りの人を優先しちゃうんだよね、ホント自分はおせっかいないいやつだわ」くらいに思っているが、振り返って家の中を見るとゴミは散らばり領収書は山になりビニール傘で玄関が溢れかえり、やりたい目標は何一つ達成できていない、だから余計に自分を見たくなくなる。
出来る奴らは結局自分の時間を最優先にして、余った時間を他者のために使う。トラウマだらけの奴らからしたら「あいつら1日40時間くらいあるんじゃないか」って思うくらいに動けているかもしれないが、お前らの時間の使い方が下手くそすぎることと、彼らの時間の使い方がうまいことの差分でしかない。
基本寝転がって動画を見ている。
これ以上サボったら間に合わなくなるタイミングで全部一気に終わらせる。
1日が終わる。
全部一気に終わらせるのにかかるタイミングは1〜2時間だが、10時間以上動画を見ているので時間がいくら合っても足りないのだがそこにたどり着くことは徹底的に拒否する。
ちなみにトラウマまみれの奴らが粗末にする順位があり、一位が自分で二位が家族ないし親しい関係の人々だ。
カップルのときはすごい一生懸命尽くしてくれたのに結婚したら突然豹変したようになる人はまぁ、十中八九トラウマまみれだ。もしくはもともとラディカル・フェミニズムかなんかの洗脳を受けているかだろう。
周りからもっと自分を大事にせよとアドバイスを受けることもあるが、これが自分に対する攻撃に聞こえるのもトラウマまみれな奴らの特徴だ。
「自分を大事にしろとか言うけどさ、じゃぁ具体的にどうすりゃいいんだよ!」
とかブチ切れる奴らはいないだろうか?そんなん知らねーよ、客観的に見てお前が自分を粗末に扱い過ぎなんだよ、と言っているんだが、何故か「自分を大事にする方法の具体的な回答」までそいつに求め始めるのも特徴だ。
そこで「とりあえずジムに行って汗でも書いてみたら?」とか言おうものなら「草wwwwwジムに行ったくらいで解決するなら何も苦労なんかしねえよwwwwwお前こそ病院行ってこいよwwwwwそれ殺されてもおかしくないレベルの侮辱だぞwwwww」くらいのひどい回答は平気でする。
だがトラウマまみれの奴らはジムなんか行ったことがない「行くだけのモチベーションがない」とかいつもの屁理屈になるだけだ。
トラウマまみれの奴らは「とりあえずやってみる」がどうしてもできない、できない自分にかなり強いコンプレックスは持っているが自分を客観視して認めることだけは絶対にしたくないから屁理屈こねてやらないか、常に助けを求めている人のために自分の時間を浪費し続ける。
いっとくがこの文章はトラウマまみれの奴らをえぐるために書いている。コンサルとかカウンセリングとかのインチキな奴らを撲滅したくて書いている。インチキじゃないって言うならこのくらい言ってから責任感持ってとことん付き合ってみろよ。
トラウマまみれの奴らの問題っていうのははっきり言ってものすごく困難で難しい。週に数回、1時間位の面談でどうにかなるものじゃない。
どうせ「本人の心が持たない」だとか「段階を追ってやらないと大変ですから」とかいうんだろ?面会時間以外使いたくないって正直に言えよ、とすら俺は思っている。
トラウマだらけの奴らはトラウマを解決するふりだけするが、解決しようとは絶対に思わない、なんなら周りの奴らが理解してくれりゃそれでいいんだとすら思っている。だからアホみたいなサヨク思想に引っかかることもある。
少なくとも誰か特定の人のためになんか書いてねーよ、なんで俺がお前のために文章書くんだよ、舐めんな。
気が向いたらどうやって対策しているかはかくが、この文章読めりゃなんとなくわかんじゃねーかな、くらいには思っている。
そういえばもう一つ合ったのを思い出した。そしてこれがトラウマだらけの奴らの世界観を更に深刻に歪めていく原因にもなっている。これを書かずして本当はこのエントリーは終わらなかった。
それは、トラウマだらけの奴らの周りにはそれをいいように利用する奴らばかりが集まるっていうやつだ。
トラウマだらけでまともな判断ができない奴らを利用する奴らは、そいつがトラウマだらけで例えばNoを言えないのをいいことに金をむしったり人格を毀損したりと平気でやってくる。
どうしてそういう奴らが集まってくるのかというと、トラウマだらけの奴らが無意識に発している「自己評価が低いムーブ」を感じ取っているようだ。
まともな奴らは実は自己評価の低いやつとは付き合わずに距離を取る。そりゃそうだ、そいつらのために割り振る人生なんてのは持ち合わせていない。
トラウマだらけの本人 ーーー そいつのトラウマを利用して搾取する奴ら ーーー まともな奴ら
わかるか?進撃の巨人のように自分の周りをトラウマを利用する奴らが囲ってしまい、まともな奴らとのパスを遮断してしまうのだ。
そういうことに人間を利用することをためらわないクズ、というのは一定数いるが、そいつらがお前を利用しようとする。
女性の中にはどうやら置換の中で情報共有されているらしい女性というのがいるが、それを想像すればいいだろう。
そしてトラウマだらけのお前らの周りは同仕様もない人間で囲われて社会にさらに絶望する。
例えばやたらと人の手伝いばかりしているとか、「自分ごときが」という意味合いの言葉を割とカジュアルに出す、というやつだ。
そしてトラウマだらけの奴らはトラウマだらけのままでいてくれたほうがクズどもには都合がいいので、うまくトラウマに気づかれないようにアメとムチを使い分けてお前らをたらしこんでいく。
お前らもまともな人間と関わった経験が少ないし、そもそも人間なんてクズばかりだろみたいな斜に構えた世界観を持っているから、実はお前らとも相性がいい。
残念なことはお前らはただひたすらに利用され搾取されていくだけだってことだ。
わかるか?
一人でいるときはひたすら動画サイトに人生を吸い取られ、たまに誰かと合ってもそいつらからいいように利用される人生を送っている。
たまに友達にカラオケに誘われたから言ったが、結局そいつからなはたまに気が向いたときに「なにか歌う?」程度の言葉かけしかないだろうし、結局飲み物注文係になっていないか?
そしてお前は「俺はこれがやりたくて今日来たんだからいいんだよ」と思ってるだろうが、しっかり割り勘分は払わされる。
お前を利用する奴らからしたら「誘えば必ず来るし割り勘代も払ってくれるお手伝い」がきたくらいにしか思ってないぞ。
そしてそれを直視したくないから、以下にこの世がそういう世界か、以下に人間がそういうくだらない奴らばかりか、という理屈ばかり考えているってことだ。
わりと長い事、自分は成績優秀とは言わないが、そこそこに地頭はいい方だと思っていたのだが、最近になって全然バカだなということに気づいた。
最近というのはここ2年くらいで、最初のうちはそれを認めたくなくていろいろ屁理屈をこねていたんだけど、いよいよ弁解の余地がなくなって認めざるをえなくなった。
もう挽回は難しいと思うので、これからはバカとして生きていこうとは思っているのだが、長年染みついた賢しらな振る舞いが抜けず、周りの(あまり自分と交流のない)人間に変な誤解をされたり、その後失望されたりするのがしんどい。今になって気づくと、付き合いの長い人間は俺のバカをちゃんとわかってる人間ばかりだなということにも気づいた。数は相当少ないが、そういう人間がいてくれることにはとても感謝している。
元増田だ
そういえばなんとはなしにトラウマという言葉を使ってしまったのだが、この言葉はそもそもがあやふやな単語だったといまでは反省している。
どういう意味合いで使ったのか、そしてこのエントリーに俺の言うところのトラウマにまみれたような奴らがすごい勢いでたかりだしているのを見ると、それなりの人々に刺さった、もしくは喧嘩を売る結果になったのだろうと勝手に思っている。
これも俺は苦しみながら書いているから多分長いし読みにくい文章になるだろう。
トラウマって言うと、例えば戦争時代のトラウマで銃声を聞いたら殺人鬼になる、みたいなクソな定義の物語はたくさんあるんだが、トラウマは俺は「なにか後押しするもの」ではなく「なにかブレーキになるもの」というものとして書いている。
もうちょっと言うなら「自分がなにか主体的なことをしようとするとトラウマに邪魔されてしまうので受動的ななにかに逃げるもの、この邪魔をするものがトラウマ」という感じで書いている。
例えばこういうシナリオだ。
「・・・でも取ったからってなにか意味あるのか?そもそも俺英語好きでもなんでもないし、好きでもなんでもないものをキャリアに活かすのって苦痛だし、大体今どき英語喋れるやつなんて腐るほどいる、そこに俺が飛び込んだところでどうせ食い物にされて終わるだろう」
というこの2つ目の理屈だ。出来る奴らはこうは考えるだろう。
誠にシンプルだと思う。増田の反応を見てればわかるけど、前者の多いこと多いこと。
そして「本当に何もしないでやめること」のバツが悪いから今度はこう考える。
「アイツラは何時間も勉強するが、俺達は何時間も動画を見る、これってつまり同じことだろ」
プライドはあるもんな?アイツラがやっていることとなにか当価値なことをやっている、と思いたいんだろ?
能動的にやっているか受動的にやっているか、で全然違うのにこうやって結局「今のままの自分でいることを正当化する」ために「あーでもないこーでもないと屁理屈をこねる」がこういう奴らの性質だ。
言っといてやるが、受動的なことなんてのは何時間でもやってられるんだよ。能動的なことをやるときが人間は辛いし、取捨選択はしても逃げるべきじゃないことなんだ。
じゃぁなんで「今のままの自分でいたいのか」もっというと「俺にのしかかる重大な問題を解決することをここまで徹底的に拒むのか」というところの根本を知る必要があるだろうということを俺はいっている。
こういうトラウマだらけの奴らがまず能動的にやらなきゃならないのは「トラウマの正体を把握してどうやって生きていくかを決断する」という点だ。
この時点で出来る奴らよりはかなり重たいハンデを背負っていることは言っておく。本当に大変だと思う。
千葉県にある鋸山なんていう誰でも登れる山を登る条件に、一旦チョモランマ制覇を条件付けられてるのがお前らだ、ってことだからな。
出来る奴らはそのまま内房線に乗って向かうところをお前らはまず世界最高峰をクリアせよと言われているんだ。
そしてお前らのスマホは「鋸山の情報ならいくらでも差し上げますよ、チョモランマに登るとかそんなのはお前にトラウマを植え付けたアイツラがやるべきことだ、お前がやることじゃない、お前は間違っていない、アイツラが悪い、お前は何もしなくていい」と甘い言葉を囁いてくるんだ。
出来る奴らにもここはわかってあげてほしいと思っている。うっとおしいことこの上ないが、彼らがトラウマを持った責任は彼らにはなく、解決の責任だけが彼らにある、ということなんだ。不条理だと思う。
はっきりいうとこれは本当に個人差があると思う。幼稚園の頃にはもうトラウマまみれになっている子供もいれば、就職してからの人もいるだろう。
ただ、一つ言えることはたとえば「俺は自分の意思を主張してはいけないのだ」と思う瞬間がどこかにあり、そこに周囲の奴らが乗っかった期間があり、結果自分の意志を主張することが本人の中でタブーとして固定される、ということだ。
例えばやんちゃな子供がいたとする、親がいたずらをかなりきつめに諌めた後で子供がやんちゃをしなくなったとする。
親としては「やっと言うことを聞き入れてくれた」と安堵するかもしれないが、このとき子供の心にあるのは「自分の意思で動くと何が起きたかわかったもんじゃない、自分の意志は全部押さえつけて周囲の人の機嫌が良くなりそうなことだけ選んでいこう」になってしまうが、親は「いい子になってくれた」としか思わなくなる。
しばらくすると何を勧めてもやらない子供、怒鳴りつければ言うことを聞く子供、となっていく。
この行動原理がトラウマなのだが、その子供は「こうやって生きていく」が自然に刻み込まれているせいでそれがトラウマだとは全く気づかない。親も気づかないし、むしろそのトラウマを持ってくれていたほうが楽なので、トラウマを活用するようになる。
これは親だけじゃなくて、いじめっ子、取引相手、仕事上の関係者、友人、知人、と言った人々が本当になんの気なしに使っていることもある。
例えば、お前らがかりに出来る奴らだったとするが、友人リストの中に「俺のお願いにYesということが前提の付き合い」のやつはいないだろうか?
「そんなやつはいない、俺は誰がNoと言っても普通に聞き入れる」と思うかもしれないが、Noとい言われたらそのままじゃぁいいや、となる人と、微妙に食い下がりたくなる人がいないだろうか?そいつらがトラウマで生きている奴らだと思っていいだろう。
お前らも実はこういうトラウマを持った奴らをうっすら差別している、ってことには気づいてほしいと思っている。なんでこいつがNoって言うと食い下がりたくなるんだろう、なんでこいつがNoって言うと結構ムカついて引きずるんだろう、って考えてみろ。
トラウマまみれのお前ら、思い出を掘り返してみろ、「あぁ、自分は自分の考えを持っちゃだめなんだな」と思った瞬間はないか?その瞬間はすごく大事だと思う、そこを起点に誰かにほってもらうとものすごい勢いで出てくると思うぞ。
お前はYesとNoの両方をすんなり使えるか?これが出来るとできないとで人生の重さは格段に変わるぞ。
辛いし苦しいし、何なら適当なやつに攻撃したくなるかもしれないから本当にしんどいのだがやって見る価値はあると思う。
だけどな、セミナーとかスピとかだけは頼るな、これはお願いだ、お前らの精神がボロボロになる。
これは残念なことだが、俺はないと思っている。外科手術が必要な傷跡は一生消えないようなものだ。だが、トラウマがはっきりと見えてば「トラウマを持って生きていく」という方法は身につくだろう。
見えないままに生きていると、いたずらに気分に振り回されてしまい、人生がグダグダした単なる惰性になってしまうが、自分はトラウマのせいでこう考えてしまうのだ、ということが把握できれば「その考えに従うか否か」を選択する余地が生まれる。
こここそが重要だ。
「自分はこういう人間だから仕方がない」と思っているのか「自分はこう考えがちだがトラウマのせいでそう思うのだから従うかどうかは選択して良い」と思っているのかだけでも出来るやつほどじゃないが、だいぶ軽くなることは間違いがない。
ただ、ここには「助力を得ながらでもいいから自分でたどり着く必要がある」ということが重要だ。だからカウンセリングを受けたほうがいいと言った。
あぁ辛い苦しい、という気持ちを持ちながら書いたのだから、もし自分がトラウマに苦しめられていると感じているなら、一歩踏み出すことを考えてもいいと思う。
ちなみにこの「一歩」が「まずチョモランマを制覇せよ」っていうくらいに辛いことだ、っていうのは周囲の人もわかってあげてほしい。