JR九州ウォーキング(黒崎駅)で大蔵線廃線跡めぐり(4月10日)~1尾倉橋梁
連休最後の今日は特に予定もなく、のんびり過ごしております。
嵐のような暴風雨だった昨晩、4月10日に参加したJRウォーキングの廃線跡めぐりの記事を書くため、歩いたルートと廃線跡ルートの検証作業をしていたら、日付を越えてしまいました。
4月10日は、鹿児島本線開業130周年記念で、YouTuberのスーツ氏を招いてキハ200を使ったツアーが開催され、私も参加してきたのですが、詳細の記事を書いていないままでした。
そこで、まずは博多から黒崎に移動後に参加したJRウォーキングについて、何回かに分けてご紹介します。
このウォーキングは、JR九州が各駅主催で開催しているイベントで、この時のは黒崎駅主催、鹿児島本線開業130周年記念として、黒崎~西小倉(当時は小倉)の開業当時の旧ルート(約12㎞)を辿り、今も残る遺構などを見学するというものでした。
鹿児島本線の開業当時は、戸畑や八幡などを通っている現在とは違って、内陸を通るルートでした。
海から外国の攻撃を受ける危険があることなどから、陸軍省が反対したそうです。
同じような話は、肥薩線を人吉経由で通したことに関しても聞いたことがあるように思います。
略歴は以下のとおり。
明治24年(1891年) 門司~久留米開業(小倉~黒崎は今回歩いた内陸経由の旧ルート)
明治31年(1898年) 大蔵(おおくら)駅開業
明治34年(1901年) 官営八幡製鐵所操業開始
明治35年(1902年) 海沿いルート(八幡経由)の戸畑線開業
明治40年(1907年) 九州鉄道の国有化
明治41年(1908年) 戸畑線が複線化され本線に、旧線は大蔵線に改称
明治44年(1911年) 6月九州電気鉄道(西鉄の路面電車)門司~大蔵~黒崎開通、9月大蔵線廃止
大蔵線のルートはわずか20年で幕を閉じてしまったのが不思議でしたが、こうして見ると、その間1901年に八幡製鉄所操業開始による海沿いルートの発展、最後は並行する路面電車の開通など、ハッキリとした要因があったことが分かります。
廃止後実に110年も経過し、その面影はほとんど失われていますが、わずかに橋梁・橋脚が3ヶ所現存しています。
黒崎駅で団体列車を下車、改札を出たところでパンフレットとお茶を受け取り、ウォーキングスタートです!
土地勘はほとんどありませんが、一般の方々も含め既に多くの方々が歩いていて、マップを見ながらその集団をたどれば大丈夫そう。
しばらくは国道3号を東進、桃園(ももぞの)2丁目から「まえだぎおん山笠通り」へ。
(注:水色は私が勝手に推定した大蔵線ルート、赤点線はウォーキングで歩いた道を示しています)
この辺りは整然とした都市計画道路という印象。
地形や土地の形状を超越した整備が行われ、廃線跡のルートどおりではない可能性もありますね。
左下に八幡病院を見ながら進む。
右手は斜面で、住宅が貼りついています。
まもなく、第1の目的地、尾倉(おぐら)橋梁です。
一旦廃線ルートを外れ、横道から橋梁をくぐる地点へ。
下から見た尾倉橋梁。
重厚な煉瓦のアーチ。
上に住宅が乗っかり、古びて草むしているのがまた味わい深い・・・。
アーチ周囲はレンガが交互に突き出た「下駄歯構造」。
将来複線化で拡幅する際にレンガが噛み合わせられるよう、準備してあったものです。
くぐった反対側(南側)。
こちらは下駄歯構造ではありません。
複線化する場合は向こう側に拡幅する意図があったことが窺えます。
また、下駄歯が片側のみということから、装飾的なものではないことも分かります。
南側にある石碑。
ここで、最近子守りが忙しくなかなかお会いできなかったスコッチ氏とバッタリ!
旅は道連れ。
以後、話ながら歩くことができ、楽しみも深まりました。
傍の階段から橋の上を走る道に出ることができます。
右に写っている某商会あたりの数軒が、橋の上に建っているものと思われます。
引き続き、その道をたどってコースを進みます。
いい感じの緩やかなカーブですが、ちょっと勾配がありますね。
このあとしばらくこのような景観が続き、大谷球場あたりの起伏に富んだあたりで廃線跡は途切れますが、八幡東区役所の東からまた辿ることができるようになります。
長くなってきたので、ここいらで一旦記事を終わりますね。
(つづく)
嵐のような暴風雨だった昨晩、4月10日に参加したJRウォーキングの廃線跡めぐりの記事を書くため、歩いたルートと廃線跡ルートの検証作業をしていたら、日付を越えてしまいました。
4月10日は、鹿児島本線開業130周年記念で、YouTuberのスーツ氏を招いてキハ200を使ったツアーが開催され、私も参加してきたのですが、詳細の記事を書いていないままでした。
そこで、まずは博多から黒崎に移動後に参加したJRウォーキングについて、何回かに分けてご紹介します。
このウォーキングは、JR九州が各駅主催で開催しているイベントで、この時のは黒崎駅主催、鹿児島本線開業130周年記念として、黒崎~西小倉(当時は小倉)の開業当時の旧ルート(約12㎞)を辿り、今も残る遺構などを見学するというものでした。
鹿児島本線の開業当時は、戸畑や八幡などを通っている現在とは違って、内陸を通るルートでした。
海から外国の攻撃を受ける危険があることなどから、陸軍省が反対したそうです。
同じような話は、肥薩線を人吉経由で通したことに関しても聞いたことがあるように思います。
略歴は以下のとおり。
明治24年(1891年) 門司~久留米開業(小倉~黒崎は今回歩いた内陸経由の旧ルート)
明治31年(1898年) 大蔵(おおくら)駅開業
明治34年(1901年) 官営八幡製鐵所操業開始
明治35年(1902年) 海沿いルート(八幡経由)の戸畑線開業
明治40年(1907年) 九州鉄道の国有化
明治41年(1908年) 戸畑線が複線化され本線に、旧線は大蔵線に改称
明治44年(1911年) 6月九州電気鉄道(西鉄の路面電車)門司~大蔵~黒崎開通、9月大蔵線廃止
大蔵線のルートはわずか20年で幕を閉じてしまったのが不思議でしたが、こうして見ると、その間1901年に八幡製鉄所操業開始による海沿いルートの発展、最後は並行する路面電車の開通など、ハッキリとした要因があったことが分かります。
廃止後実に110年も経過し、その面影はほとんど失われていますが、わずかに橋梁・橋脚が3ヶ所現存しています。
黒崎駅で団体列車を下車、改札を出たところでパンフレットとお茶を受け取り、ウォーキングスタートです!
土地勘はほとんどありませんが、一般の方々も含め既に多くの方々が歩いていて、マップを見ながらその集団をたどれば大丈夫そう。
しばらくは国道3号を東進、桃園(ももぞの)2丁目から「まえだぎおん山笠通り」へ。
(注:水色は私が勝手に推定した大蔵線ルート、赤点線はウォーキングで歩いた道を示しています)
この辺りは整然とした都市計画道路という印象。
地形や土地の形状を超越した整備が行われ、廃線跡のルートどおりではない可能性もありますね。
左下に八幡病院を見ながら進む。
右手は斜面で、住宅が貼りついています。
まもなく、第1の目的地、尾倉(おぐら)橋梁です。
一旦廃線ルートを外れ、横道から橋梁をくぐる地点へ。
下から見た尾倉橋梁。
重厚な煉瓦のアーチ。
上に住宅が乗っかり、古びて草むしているのがまた味わい深い・・・。
アーチ周囲はレンガが交互に突き出た「下駄歯構造」。
将来複線化で拡幅する際にレンガが噛み合わせられるよう、準備してあったものです。
くぐった反対側(南側)。
こちらは下駄歯構造ではありません。
複線化する場合は向こう側に拡幅する意図があったことが窺えます。
また、下駄歯が片側のみということから、装飾的なものではないことも分かります。
南側にある石碑。
ここで、最近子守りが忙しくなかなかお会いできなかったスコッチ氏とバッタリ!
旅は道連れ。
以後、話ながら歩くことができ、楽しみも深まりました。
傍の階段から橋の上を走る道に出ることができます。
右に写っている某商会あたりの数軒が、橋の上に建っているものと思われます。
引き続き、その道をたどってコースを進みます。
いい感じの緩やかなカーブですが、ちょっと勾配がありますね。
このあとしばらくこのような景観が続き、大谷球場あたりの起伏に富んだあたりで廃線跡は途切れますが、八幡東区役所の東からまた辿ることができるようになります。
長くなってきたので、ここいらで一旦記事を終わりますね。
(つづく)