キハ66・67民営化初期の形態研究
2男のテニス部の保護者の飲み会に参加しているヨメを迎えに行くため、禁酒にて待機中です。
台風24号の接近に伴い、今日は雨が降ってます。
風は強くなってませんが、明日どうなるか気になるところです。
今日は家でゆっくりしながら、先日模型を買ったキハ66・67の車番を何番にするか考えてました。
それに伴って、車番も決まってきます。
国鉄が分割民営化しJR九州に引き継がれた1987年以降、当形式は早々に九州色に塗り替えられましたが、前面帯の高さが違っていたり、タイフォンカバーがシャッタータイプ・スリットタイプ混在だったりと、形態差が色々とありました。
また、模型には付いているタブレットキャッチャーも、民営化後まもなく撤去されていきました。
いざ走らせたら何番とかどうでもいいのですが、元沿線住民でなじみ深かった私としては、そこんところも矛盾ないようにしておきたい・・・。
(クリックして拡大表示させると、文字がちゃんと読めると思います)
結構空きがあって、不明な部分が多いです。
写真はもうちょっといろいろあるのですが、車番が判然としないものが多いのが残念。
ただ、何となくの流れは掴めました。
タイフォンカバーは、国鉄時代の急行色ではおそらく全てシャッタータイプ。民営化直後の'88年・'89年頃から、暖地形のスリットタイプに変更される車両が出てきてます。寒冷地への転配がないことが決定したからでしょうか。
驚いたことに、8番編成のように、キハ66がスリット、67がシャッターというふうに、同一編成中で違うタイプが装着されていたものもいたということです。
1番編成はその逆で、66がシャッター、67がスリットだったようです。
3や11も同様と思われます。
2と6は初期の記録がありませんが、タイフォンカバーがその後もシャッタータイプなので、スリットからシャッターへの逆進はないと考えると、初期もシャッターであったと推測できます。
前帯の高さは、7,8,12番編成で当初低かったことが確認できましたが、いずれも後に高く修正されてます。
タブレットキャッチャーは、'90年以降に撮られた写真では撤去されていたので、'89年か'90年の初めには一斉に撤去されたものと思われます。
模型ではタブレットキャッチャーがついてますので、かつ九州色ということになると、'88年か'89年のどちらかの設定ということになります。
窓のHゴムは灰色。黒になってくるのは'00年か'01年頃からのようです。
また、その頃から屋上機器の簡略化によりベンチレーターやラジエーターなどが撤去された車両が出始め、長崎転属後の姿に近くなってきます。
んで結局、模型の2ユニットはそれぞれ何番にするのか、決まってません・・・(汗)
低い帯の7,8,12は塗り替えが必要なので×。
1は確定。
あとは資料不足ですが、タイフォンカバーが推測できる3と11が今のところの候補でしょうかね。
明日で9月も終わり。
天気も荒れそうだし、ソフトの試合も中止かな。