仕事終わってツイッターやニュースを見たら、台風21号が近畿・中部でとんでもない被害を与えていることを知りました。
地震、豪雨、台風と、今年は天災に見舞われてますね・・・。
今日は岡山旅行の続きをご紹介します。
吹屋の街並みを見て昼食後、レンタサイクルで周辺部を見て回りました。
街並みの端(高梁寄り)に、とんがり屋根の茅葺きも残ってました。
アップダウンの多い一般的な山間部の道路を走ること10分、数キロ進んだ先に、突如お城のような擁壁をもつ豪邸が現れました。
吹屋ではぜひ見ておきたかった広兼邸です。
レンタサイクルが電動アシスト付だったので来れましたが、普通の自転車だとちょっとしんどかったかも。
(「電動は快適やね~」とか言いつつ途中まで来て、電源が入ってなかったことに気付いて赤面したのも笑い話・・・)
銅山経営とベンガラ材料製造で財を成した庄屋のお屋敷で、文化8年(1810年)築。
映画「八つ墓村」のロケも行われたそうです。
案内標識。
あの巨大な石垣、見えてるのは半分なのか・・・。
さあ、見学してみましょう。
当時もこの坂を上らないと行けないようになっていたのですね。
建築資材も家具も、すべてここを通したと考えると、それだけでもすごいですね~。
当時はここに寝ずの門番も置いていたとか。
それほどの防犯対策が必要なぐらいの富が、この家に集まっていたのでしょう。
玄関横のお縁に座っている係員に入場料を払い、まずは母屋の端にある「水琴窟(すいきんくつ)」へ。
水琴窟・・・初めてです。
この岩の向こうにある穴に柄杓ですくった水を垂らすと、キラキラした微かな音が聞こえるというもので、ほんとキレイな音でした。
地面の下に大きな甕(かめ)が埋めてあり、甕にたまった水に水滴が落ちた際の音が共鳴し合うようになっているのだそうです。
お金持ちの風流な遊び心といったところでしょうか。
母屋は基本的には入れませんが、この付近はOKでした。
高~い天井、煙や蒸気で黒ずんだぶっとい梁、昔ながらの電線と碍子。
採光窓により、昼間はそれなりに明るいというのがすごいところ。
また、灼熱の外気と異なり、少し涼しい感じでした。
左の崖に湧水があり、それがこの家で使われているようでした。
獅子がシャチホコのように逆立ちし、しっぽはいくつもの渦を巻いているようです。
下男部屋・番頭部屋・下女部屋・厩・作業場などの長い建物。
ちゃんと消火設備がついているのが、文化財っぽい。
このあと、吹屋の街並みに戻りながら2か所見学。
吉岡銅山の笹畝坑道。
右の事務所でヘルメットをかぶり、赤いコーンの向こうに見えている坑口から入ります。
坑口に入って数メートルで、メチャクチャひんやり!
汗だくの身体が喜ぶのが感じられました。
薄暗い坑内は時折すごく広くなっていたりして、作業の様子を表す坑夫のマネキンがあちこちにあったりして、ちょっとホラーな感じも。
最後は上のほうにある別の坑口から出て左の階段を降りて戻ってきましたが、上のほうの坑道は全然涼しくなく、下のほうの坑道が涼しかったのは、地下水に沿っていたからかなと想像しました。
次に立ち寄ったのは、ベンガラ工場を再現したベンガラ館。
工程順に、ベンガラの製造過程が分かるようになってます。
街並みに戻ってきましたが、帰りのバスまで時間があるので、高梁から遠い側の端まで行ってみました。
カギ型の街路の向こうは白壁の豪商のイメージは薄く、しっとりと落ち着いた街並みでした。
格調高い木造校舎が現存しており、吹屋の見どころのひとつですが、あいにく改修工事中。
小学校のデザインに似せて作った鉄筋コンクリート造。
中学校の跡地で、元の校舎の部材も一部流用しているらしい。
木製の三角柱に時刻表の板というバス停。
街並みに合わせてあるのかもしれません。
三角柱の断面、バスから見えるほうに会社名と停留所名。
ついでに、バス停の目の前の郷土館も駆け足で見学。
ベンガラを取り扱っていた商人の邸宅。
太い柱、豪華な欄間、立ち並ぶ蔵など、当時ものすごいお金をかけて建造されたことが随所にうかがえました。
そして15:45、高梁バスセンター行のバスに乗車します。
今回の記事で登場した場所に、黄色で印をつけてみました。
吹屋の街並みは素晴らしく、広兼邸や小学校校舎、地域の隆盛を支えたベンガラや銅山などの産業遺産なども揃った観光地。
それでも、夏休み中の日曜日なのにお客が少なく、街並みは観光バスで来た人たちが見学してましたが、広兼邸、笹畝坑道、ベンガラ館などは私たちだけ。
係員に聞くと、映画「八つ墓村」放映時をピークに減り続けているらしい。
猛暑、ボンネットバスが走らない期間、小学校舎工事中などのマイナス要因を差し引いても、もっとお客がいてよさそうなんですけどね~。
ブームの時はいいけれど、その時建てた観光施設の維持管理はずっと続くし、閑散期にも店を開け(つまり他の就労ができない)、施設には係員を雇用・配置し続けないといけないし、なんでもボランティアに頼っては産業として成り立たないし、観光でやっていくことって難しいんだな~と考えさせられながら、吹屋の地を後にしたのでした。