久大本線⑤ もうすぐ夜明



あけましておめでとうございます。

あいさつもそこそこに、早速前々回の続きですよ。

写真① 筑後大石を出て、筑後川を渡り、夜明へ向かう途中です。
    左の畑は、名産の柿の畑でしょうか?
    人の手が届く範囲に木の高さが管理されているようです。

写真② 右下に国道386号と筑後川を見て進みます。
    そして、先のほうに赤い大きな橋が見えてきて、トンネルをくぐると夜明駅です。
    夜明駅で下車し、日田彦山線に乗り換えます。

古い消防団(消防組)格納庫




久大本線の旅の途中ですが、年末に見つけた古い格納庫をご紹介します。

ここは福岡県朝倉市(旧甘木市)南部の蜷城(ひなしろ)地区。
県道33号線沿いに、これはあります。

「かなり古いよなー。」と車をとめて見てみると、「消防団」ではなく
「消防組」とあり、銘板に「昭和十年」と書いてあるではないですか!
戦前ですよ、戦前。

消防団の歴史をひもとくと、江戸時代に大岡越前などにより作られた
江戸の「町火消」が、明治になって「消防組」として全国展開されました。
当時は警察組織の管理下にあり、消防署などの「常設消防」は
東京・大阪の両都市以外にはありませんでした。
その後、戦時中に「警防団」として防空監視や空襲爆撃下の救護活動なども
任務とされましたが、終戦後、警察組織から離れ「消防団」として
現在に至っています。

・・・で、何が言いたいかというと、「消防組」当時の建物は、それぐらい前の
もので、とても貴重なのではないかということです。
昔は、シーソーみたいな手押しポンプが格納されていたのでしょうね。
少なくとも、消防団員であり、旅行や出張の車窓で消防団格納庫が視界に入ると
漏れなくチェックしていて、格納庫が立地しそうな場所もある程度推察する私で
さえも、これほど古いものは見たことがありません。
でも、全国的にみると、こういうのがたくさん現存するのではないかと思います。

皆さんの周りにも、よく見たらこんな古いものが残っているかもしれませんよ~。

古い格納庫の銘板など




昨日の格納庫についていた銘板をご紹介します。

写真① 建設当時の銘板。寄贈者は久留米の酒造会社、工事請負者は「消防研究所」なるものです。
    そして、これに「昭和十年三月十日」と刻まれています。
    他に、村長や組頭などの名前が刻まれています。

写真② 「消防組員召集信号符」。ホーロー板でしょうか?
    火の見やぐらの鐘の鳴らし方で、出動の緊急度を聞き分けたようです。

写真③ 格納庫の傍に立つ石碑。「蜷城村消防組増設費寄付者芳名碑」とあります。
    「鉄骨警鐘台一式」のほか、「金六十円」から「金十七円」までの現金などの
    寄付者の名前が刻まれています。同じ苗字がいくつもあるのが「いかにも」って感じ。
    おそらく、この格納庫の上には火の見やぐらが建っていたのでしょうね。
    「金六十円」って、当時の貨幣価値はどのくらいだったのでしょう?

夜明駅に到着




話は久大本線に戻ります。

夜明駅に到着しました。
ここで久大本線の列車から降ります。

日田彦山線への乗換えまで、10分あまり時間があります。
「鉄子の旅」の影響か、駅を味わってみようかと思います。

写真① 夜明駅に到着した久大本線の列車。キハ125。日田行。
    交換相手の上り列車(久留米方面行)を待ちます。

写真② 日田方面から、キハ200の2連がやって来ました。

写真③ 両者が並びました。それにしてもカラフルですね~。
    夜明駅到着前から見えていた赤い橋も、情景に華を添えます。
    左奥に向けて久大本線の久留米方面、右奥に向けて日田彦山線の小倉方面の
    線路が伸びています。


明日は消防団の出初式(でぞめしき)。
終了後の新年会では、飲まされそうな予感・・・。
明日の更新がない場合は、酔いつぶれているとご想像ください。

夜明駅を出る列車を見送る



おととい予告したとおり、消防団の新年会で鍋フタ一気などにより
撃沈&記憶喪失。
帰宅後も吐き気に見舞われ、サイト更新どころではありませんでした。

今日は、久大本線の列車が夜明駅を出発していく様子をご紹介いたします。

写真① まず、上り久留米行キハ200が発車。赤い橋の方向に消えていきます。

写真② 次に、下り日田行キハ125が発車。あららー、電線が3本顔にかかってました。

下半分が白い夜明駅舎




今日は夜明駅の駅舎です。

写真① 上り線(久留米方面)ホーム側から見た駅舎。駅名票に「国鉄」を感じますね。

写真② 駅舎の中。乗換駅ですし、昔は駅員がいたのでしょうね。
    無人ですが、荒廃した様子はありません。

写真③ 駅舎の玄関側。それにしても、なぜ下半分だけ白いのでしょうか。
    そういえば、JRになった頃、木造駅舎に真っ白な化粧板を張るなどして
    駅が次々と白くなっていきましたよね。
    当時は「白くする」ことが古ぼけた国鉄のイメージを脱し、イメージアップする
    手段とされたのかもしれません。
    今は逆に「古さ」の価値が見直され、嘉例川駅のように観光商品となった
    例も見受けられます。

夜明駅と国道



夜明駅は高いところにあり、駅を出るとすぐ階段があり、国道386号に出ます。
3ケタですが、福岡方面から日田・湯布院・別府方面に向かう2ケタ並みのメインルートです。

写真① 国道脇の旧店舗から夜明駅を見上げる。
    ルートがかぶる大分自動車道(1/2記事の写真①左上方に少し写ってます)ができた
    とはいえ、トラックなどの交通量はあり、猛スピードで軒をかすめていきます。

写真② 駅舎から見下ろした駅前の様子。空腹だったため、道向かいの商店で菓子を買いました。
    国道は日田側のカーブで見通しが悪く、横断するのが怖いです。
    パンが欲しかったのですが、袋菓子などしかありませんでした。
    確かに、日配品をロスなく回転させるほどの客数は望めそうもありません。
    店の年配の女性曰く、昔はここで乗り換えて温泉など向かうお客がたくさんいて、
    食事の提供もしていたが、マイカー普及や高速道路の開通などで、当時の賑わいは
    なくなったとのこと。
    

夜明駅~国鉄時代の残骸


駅構内に、国鉄時代の残骸を見つけました。

かつてどの駅にもあった、朱色と水色の椅子です。

このようにして駅の片隅に打ち捨てられているのを見ると、

この椅子が何か語りかけてくるような感じがしてきます。

夜明駅~日田彦山線列車でGO!


向こうのケモノ道からおばあちゃんがホームに上がって来ると
まもなく日田彦山線の列車がやってきました。
キハ47(キハ147)の2連ワンマンです。

ワンマンですので、前の車両しかドアが開きません。

この写真を撮ってから乗り込んだのですが、前の車両まで行く手間もあり、
危うく乗り遅れそうでした。

日田彦山線発車


日田彦山線の行程がスタートしました。田川後藤寺まで行きます。

車窓を楽しみながら、夜明駅の向かいの店で買った菓子をつまみます。


自分の望んだ時に自分の望む物を手に入れられない不便さを、「旅の醍醐味」として

受容しながら、そのような状況下で手に入った食料の貴重さを噛みしめるのです。

プロフィール

蓬莱電鉄

Author:蓬莱電鉄
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福岡県の古賀を起点に活動している電車・バス好きのおじさん。
「蓬莱さん」と呼ばれることが多いです。

おもに近所での撮り鉄や鉄道模型(N)の加工を気ままに楽しんでおります。

Yahoo!ブログサービス終了に伴い、2019年6月1日からFC2ブログに引っ越ししてきました。

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