太宰府線「初詣号」
日付け変わって昨日は昼から外出可能となったので、西鉄の太宰府線に行っておりました。
正月だけの「初詣号」を撮ってみたかったからです。
正月に太宰府近辺に行くことはないので、ヘッドマークが付く「初詣号」を撮ったことがないんですよね~。
ヘッドマーク付がどうなふうに走っているのかも、全く分からず、テキトーに撮りに行ってみました。
ん~、いいね~!
これで満足。
太宰府天満宮の象徴的な梅の木、「飛梅(とびうめ)」に因んでいるのでしょう。
かつては「とびうめ国体」もありました。
県の花も梅ですし、県章も梅をかたどったものです。
私がいた昼間は、30分に1本これが来て、どうやら二日市で行き違っているようでした。
二日市のカーブで、あんまり得意でない縦撮りも。
この日の立ち回りを踏まえて、また1月3日に撮りに行きたいところですが、所要ありて断念・・・。
ちびバスの旗付き
今日は初詣やら年始やらで完全非鉄でした。
昨日二日市で撮ったバスから。
西工製の短い車体に通常の赤バス塗装。
正月ですので日の丸の旗がついてます。
側面窓は大きいのが2枚だけ。
しかも、非常口の後ろに窓なし。
このタイプのスマートループ塗装のもいるらしいのですが、未遭遇のまま。
西口のほうに回り込むと、こちらはバスセンターになっています。
右奥のほうにバスがいます。
いずれも旗付き。
明日は休みが取れたので、土日も含めあと3日休みです♪
和白駅並走~元は同じ会社
今日は天気もイマイチだったし車も使えなかったので、家でゆっくりしていました。
撮り鉄としてはゼロですが、超久々に模型をいじりました。
模型のほうもやりたいという思いはずっとあったので、これは大きな進歩です。
明日も模型する時間はありそうなので、ある程度進んだら記事にしましょうかね。
今日の記事は、年明け前に近場をウロウロしていて撮ったものです。
単線である西鉄貝塚線は、データイムでも1時間に4回ここで行き合うので、それを狙っている時に香椎線のキハも絡んでくれました。
香椎線のほうは近々DENCHAに入れ替わるだろうし、貝塚線の600形もかなり古いのでいずれ置き換えがあるだろうし、まあ撮っておいてよかった感じです。
どちらの路線も元々は博多湾鉄道汽船という会社のものでしたが、粕屋(かすや)線(のちの香椎線)が戦時買収されて別々の道を歩むことになっています。
同じ会社であった時代、貝塚線だけ電化されていたのですが、線路がつながっていたりしたのかもしれませんね。
明日は資源ごみの分別収集なので、早く起きねば・・・。
くろがね線E8502パンタグラフ換装(1)
超久々の模型製作記事です(汗)
くろがね線の機関車、E8502については、当初菱形パンタで落成させました。
製作している頃、実車のパンタは既にシングルアームに換装されていましたが、取り急ぎ手持ちの菱形パンタで落成させることとしたものです。
しかし、のちに後部補機のD705をその当時の最新に近い姿で製作したこともあり、E8502はシングルアームパンタにしなければと思っておりました。
菱形パンタが付いています。
これに近い形のパンタをいろいろ探しました。
そして辿り着いたこれ。
EH200、ブルーサンダーのです。
「パンタグラフの台座なんて、どのタイプでも合うはずでしょ!」なんて高をくくっていたのがいけなかった・・・。
パンタがない側(右)の台座も、菱形パンタの足に合わせた位置にしてありましたので、一緒に撤去です。
あ~、なんか大掛かりになってきたな~。
そして、新しい台座を切り出し。
台座部分だけを周囲と同じ色に塗り分けるのは難しいので、ある程度のエリアを区切って塗ることに。
ここで、半年間のスランプに突入・・・。
そして昨日、9連休の退屈さから、模型熱再燃!!
(つづく)
くろがね線E8502パンタグラフ換装(2)
昨日の記事の続きです。
くろがね線機関車のパンタ換装、この記事で完結です。
この状態で半年ぐらい放置・・・。
マスキングしたところとの色味がどこまで近づけられるのかが課題・・・。
一応、パンタ側(左)のほうが汚れがひどいという設定です。
一応、これで手を打ちました。
製品と違って、他にも、細かいパーツが外れたり、塗装が剥がれたりしてほころびが出ていましたので、製作者本人である利を生かし、これを機に修繕や色差しを行いました。
パンタがない側には、根元の碍子部分だけ残っています。
それをどう再現するか・・・。
手持ちのジャンクパーツを漁り、太さなどから、電車用の信号炎管が使えるのではないかと推測・・・。
(右端1本紛失・・・)
単体で見ると信号炎管っぽさが拭えませんが、4本揃うとそれなりの説得力があります。
細密感があって、なかなかいい感じです♪
これで、一連の作業が完了しました。
色味の統一感はイマイチですが、実車も結構つぎはぎ塗装ですので、まあこういうもんだと思って見てくだされば・・・(汗)
改めて眺めると、カッコいいです。
約1年間眠っていた機関車が、ようやく息を吹き返しました!!
いやぁ、よかったよかった・・・。
これで、長いスランプからの脱出となればよいのですが・・・。
30年前の今日、元号改正時の切符
30年前の今日は、「平成」という時代が始まった日でした。
前日の昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御され、小渕官房長官が新元号「平成」を発表、1月8日から平成元年となりました。
当時私は中学生。
「元年」という響きにも新たな時代の到来を感じたものでした。
早速、近くの駅に切符を買いに行きましたね。
後々記念になるのではないかと思って。
一部は以前ご紹介してますが、ここで改めて。
買ったのは、鹿児島本線の吉塚と箱崎。
当時チャリで届く範囲ということでしょう。
年数が「1」になっていて、それまで2ケタしか見たことがなかった私にとって、とても違和感のあるものでした。
入場券は今160円ですが、当時はまだ140円。
吉塚の「塚」が旧字体ですね。
箱崎のスタンプ切符も懐かしいです。
まだ磁気が入ってませんでした。
JR九州の各駅に自動改札機が導入されるのは、もう少し後です。
「記念になるかも」と思って一応買ったものの、まさか30年後の元号改正を控えて、こうして皆さんにご紹介するなんて、想像もしていませんでした・・・。
(5月1日に書く記事で、またこの切符をネタにする可能性があります・・・)
岡山ノスタルジー紀行(11)柵原の鉱山を味わう
ついに年を越してしまった岡山旅行ルポ。
行程も終盤ですので、あとちょっと頑張って書きましょうかね。
津山の機関庫から「レトロリレーバス」で「柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園」に到着したところからです。
時刻は11:40過ぎ。
ここは片上鉄道の吉ヶ原(きちがはら)駅跡に整備されており、撮りたい動態保存車たちがたくさんいますが、まずは柵原の鉱山について学ぶため、鉱山資料館へ。
ここは鉱山に関する展示はもちろん、鉱山ありし頃の昭和30年代の街並みや人々の暮らしを再現した展示や、鉱石輸送で活況を呈した片上鉄道の写真などもありました。
柵原鉱山は硫黄と鉄を含む「硫化鉄鉱」を産し、硫黄は硫酸や肥料の、鉄は酸化鉄の原料に使われ、東洋一の鉱山だったそうです。
石油精製過程で硫黄が生産されるようになるなどして硫化鉄鉱の需要がなくなり、1991年には閉山となったそうです。
事前に説明を受け、ヘルメットを着用。
廃線跡のトンネルでシイタケ栽培とか聞いたことがありますが、ここはいろんなことをやっているようです。
前日の晩、岡山市内で飲んだ時に地元の特産として出てきた「黄ニラ」も、こういうところで栽培されていたんですね。
無事故祈願の神様でしょうか。
幅の狭いレールが、ここが鉱山であったことを感じさせます。
坑内は基本的に撮影禁止でしたが、レールは構内の至る所に残っていました。
高地トレーニングができるのだそうです。
ヘルメットを返却、鉱石の重量当てで見事ニアピン賞をいただくなどして、14:50頃また吉ヶ原駅へ戻ってきました。
動態保存車の展示運転の最終便が15:00発ということで、バタバタ改札の中へ。
国鉄形の「キハ303」が、エンジンかけて発車待ち。
坑道農業ツアーが思ったより長く、肝心の動態保存車の走行が1往復しか見れなくなってしまいましたが、何とか間に合ってよかったです。
走る姿も撮りたい!乗る体験もしたい!
でもやっぱりここに来たのであれば、乗って走行音や振動を体感しないと!
よし、乗り込むぞ!
(つづく)
明日は休み。
電車乗って北上するかな。
DENCHA甲種輸送第2弾、来九
今日は休みでしたので、カメラ持ってウロウロしてました。
増備中のDENCHAことJR九州のBEC819系300番台の新しい仲間がまた増え、今日九州入りしましたよ。
・・・と言っても、下関寄りの埴生(はぶ)という駅です。
「鮫」ことEF66の100番台が、DENCHAを3ユニット牽いて下って来ました。
直流機を久々に見た気がするなぁ。
冬場・曇天の17:00前ということで結構暗く、ISO4000・・・。
それでも、床下にはDENCHA特有の青いバッテリーがはっきり見えますね。
これも暗い・・・。
「Z305」の表示が見えます。
ZG303、ZG304、ZG305の3ユニット、12月に来た301・302の続番ということでしょうか。
帰りついでの下関で、幡生でつけかえた金太郎(50番)牽引バージョンも捕獲。
もっと暗かった・・・。
おまけに、1番のりばに回送のキハがとまっていて、立ち位置が限られました。
このあと、小倉総合車両センターに入る前の西小倉でも撮れますが、同じようなのしか撮れないだろうから、帰りました。
明日は仕事のあと飲み会です。