そもそも「蓬莱電鉄」とは?
今日は昼過ぎまでソフトボールの練習試合。午後はここ数日の朝撮りとソフトの疲れのため自宅でまったりと過ごし、快晴の休日に非鉄という珍しい日でした。
なので新しいネタはないのですが、50000HITを記念してこの記事を企画しました。
そもそも、なんで「蓬莱電鉄」という名前なのか?
いつ頃、どういうふうにして誕生したのか?
そんな疑問をお持ちの読者の方もいらっしゃるのでは?
「蓬莱電鉄」の誕生は、平成2年に遡ります。(おお、今年で20周年やんか!)
私が高校1年の頃です。
これからご紹介する「バスノート」というモノが鍵となっています。
「バスノート」は私が中2のときに始まり、バス・電車好きな友人(助廣急行様)と1冊のノートを交換しながら思い思いのバスを描いていくという、何とも奇妙なものでした。
設定も架空会社で、塗装が飽きたからとかいって別の会社を立ち上げたりして、何社も設立していました。
それが3年余り、高校進学後2年生まで継続していたのです。(今考えてもすごい・・・)。
その最後らへんの成熟期に誕生したのが「蓬莱電鉄」です。
その頃は中学時代と違って鉄道模型(N)にも傾注していて、架空鉄道とレイアウトの構想もありました。
そんなNゲージの世界と「バスノート」の世界を、「蓬莱電鉄」というボロい地方私鉄に統合しようとしたのです。
名前の由来は、当時の教科書にのっていた「蓬莱の玉の枝」から。
「蓬莱」とは仙人の住む山。
地元の人たちが、そのユートピアのような住みやすさから「蓬莱」と名づけた田舎町ということにし、そこを走るボロい地方私鉄を「蓬莱電鉄」としたわけです。
大学時代は車両や模型よりも旅行や街並み、音楽に、社会人になってからは車や遊びに興味が移り、鉄道趣味が「オタク」と揶揄されるのと相まって、10年ぐらい鉄道・バスから離れてしまいました。
時が過ぎ、知らぬ間にアリイが「マイクロエース」として地元九州の模型(キハ66・67とか811系とか)を出し始めていることを知り、また、本屋で立ち読みしたNゲージレイアウトの本がキッカケとなり、まずNゲージから鉄道の世界に戻ってくることになります。
2004年、架空の地方私鉄の小型レイアウト作りに着手し、まもなくホームページを立ち上げ。架空鉄道の名前は迷わず「蓬莱電鉄」と名づけました。
(HPは削除済みです。)
そして、レイアウト製作や単車での街並み探訪をUPしていくのですが、どちらにも当てはまらないことを書くためサブ的に立ち上げたのが、このブログ「蓬莱電鉄の雑記帳」なんです。
(今やすっかりこっちのブログのほうがメインとなり、HPのほうはのちに削除。)
2007年5月にコンデジ導入、小遣い難もあって模型よりも実車の撮影に傾注するようになり、2009年6月にデジイチ導入。現在に至っています。
非常に長い前置きでしたが、その「バスノート」より、バスがメインだった蓬莱電鉄の黎明期をご覧ください。
バスノートの表紙。蓬莱電鉄は第9~12巻です。第12巻が最終で、それ以降はありません。
路線図。整理券のデザインまであります。白丸は鉄道線の駅、小さな黒丸を結ぶのが自動車(バス)線。右のほうの太いシマシマは接続するJR(国鉄)線。いずれも架空地名。
会社の概要が書いてあります。バスや電車の塗装まで決まっています。電車のほうはHPを見ていただくと分かるとおり、昔の西鉄電車の塗装を真似ています。
バス停まで・・・。
これは日野の一つ目ライトの中型バスですね。広島の芸陽バスの色合いで西鉄っぽい塗り分けですね。
手前から西工、日野、富士重工ですね。
手前は急行色、真ん中のは他社、奥は一般色です。
これも西工。福岡人ですし、西鉄の影響を強く受けていますね。塗装はこの特急の専用色。
実物にない車両も書いています。これはライト周りがオリジナル。フォグランプは片方欠損だそうです。
顔のガラス周りがいすゞのキュービックバスに似ていますが、むしろ北総開発鉄道あたりに触発されて考えた顔です。側面窓は、クモハ123が参考。流行のブラックフェイスを控えめにしたオリジナルデザイン。結構気に入っていました。