さよなら大牟田貨物(1)朝の大牟田貨物(ED76編)
今日は休み。
天気はいいですが、家事などしながら家でマッタリしています。
大牟田にある三井化学の薬品輸送を担い、専用のタンクコンテナなどが特徴だった大牟田貨物が、昨日の返空便(8152レ)をもって運行終了となったそうです。
また同時に、JRと三井化学の貨車の受け渡しに使用されていた「炭鉱電車」こと三井化学専用鉄道の古参機関車たちも引退。
地元を通ることもあり、よく撮影していた貨物列車がなくなるということで、とても残念です。
最終列車は銀釜牽引でしたが、仕事の都合で撮りにも行けず・・・。
せめて、今まで撮った大牟田貨物の写真でもご紹介しましょうかね。
とはいえ、結構な数を撮り散らかしているので、とても1回の記事では納まりません。
なので、朝の便(おもに1151レと呼んでいた時期が長かったですが、かつては4175レでしたし、今年の3月以降は8151レになりました)のED76牽引分を最初に、次回EF81牽引分、そのあと午後の便というふうに、特徴的なのを選んで記事にしていきます。
では、朝の便のED76編をどうぞ。

まだ一眼に不慣れな頃に撮った、未更新の43号機。 '09.7.18 古賀
早朝5時台に地元停車後、発車するところ。
液化塩素は黄色いタキ5450でした。
銀タキは全廃され、銀タンコに変わったばっかりでした。

これも今は亡き1023号機牽引。 '09.8.18 古賀
ED76の中で一番最後の番号なのに、結構前に引退した釜でした。
黄タキ時代はあまり記録できていません。

黄タキことタキ5450。 '09.8.18 古賀
晩年は日本陸運産業の所有でしたね。
この年の12月頃、この黄タキから、黄色のタンクコンテナ(黄タンコ)に変わりました。

これも今は亡き1012号機。 '10.6.21 古賀
下り方のナンバーの配置が独特で、「ED76」は詰まっていて、「1012」はスカスカでした。
黄タンコ2両だけの編成。

これも今は亡き、未更新の1010号機。 '10.6.24 古賀
(やけに「今は亡き」が多いな・・・)

海上コンテナがついている時期もありましたね。 '10.7.23 古賀
機関車次位は大牟田で入れ替え作業をするDE10のムド(無動力)。
DE10の交代時に、こうしてぶら下がっていました。

同じ撮り方で、今は亡き59号機牽引のもの。 '10.8.18 古賀
海上コンテナは薄灰色のOOCLが多かったですが、こうして違うのが混じることもありました。

海上コンテナにOOCLがない時もありました。 '10.8.19 古賀
あ、1014号機も「今は亡き」か。
このころは頻繁に朝練撮影していたようです。
10年前か。若かったな~。

今は亡き58号機牽引で黄タンコ1両。 '11.6.21 古賀
銀釜牽引の4093レが追い越しです。

次位に銀釜がついて重連になった時。 '12.4.26 古賀
銀は確か、鳥栖まで行ったんだっけ。

前の年の熊本地震の復興を願い「がんばろう九州」のステッカーを付けた1021号機。 '17.7.15 ししぶ-古賀
朝日を受けて鉄橋を渡っていきます。

同じ場所。83号機牽引。 '18.7.21 ししぶ-古賀
朝日を受けて鮮やかに発色する車体と青空が何とも爽やか。

4093レが前パンに切り替え中、1151レが追い越し。 '18.7.31 古賀
なかなかレアな光景でした。
ダラダラとご紹介しましたが、以上で朝の便のED76編はおわり。
次回は朝の便のEF81編。
またダラダラとやる予定です(笑)
天気はいいですが、家事などしながら家でマッタリしています。
大牟田にある三井化学の薬品輸送を担い、専用のタンクコンテナなどが特徴だった大牟田貨物が、昨日の返空便(8152レ)をもって運行終了となったそうです。
また同時に、JRと三井化学の貨車の受け渡しに使用されていた「炭鉱電車」こと三井化学専用鉄道の古参機関車たちも引退。
地元を通ることもあり、よく撮影していた貨物列車がなくなるということで、とても残念です。
最終列車は銀釜牽引でしたが、仕事の都合で撮りにも行けず・・・。
せめて、今まで撮った大牟田貨物の写真でもご紹介しましょうかね。
とはいえ、結構な数を撮り散らかしているので、とても1回の記事では納まりません。
なので、朝の便(おもに1151レと呼んでいた時期が長かったですが、かつては4175レでしたし、今年の3月以降は8151レになりました)のED76牽引分を最初に、次回EF81牽引分、そのあと午後の便というふうに、特徴的なのを選んで記事にしていきます。
では、朝の便のED76編をどうぞ。

まだ一眼に不慣れな頃に撮った、未更新の43号機。 '09.7.18 古賀
早朝5時台に地元停車後、発車するところ。
液化塩素は黄色いタキ5450でした。
銀タキは全廃され、銀タンコに変わったばっかりでした。

これも今は亡き1023号機牽引。 '09.8.18 古賀
ED76の中で一番最後の番号なのに、結構前に引退した釜でした。
黄タキ時代はあまり記録できていません。

黄タキことタキ5450。 '09.8.18 古賀
晩年は日本陸運産業の所有でしたね。
この年の12月頃、この黄タキから、黄色のタンクコンテナ(黄タンコ)に変わりました。

これも今は亡き1012号機。 '10.6.21 古賀
下り方のナンバーの配置が独特で、「ED76」は詰まっていて、「1012」はスカスカでした。
黄タンコ2両だけの編成。

これも今は亡き、未更新の1010号機。 '10.6.24 古賀
(やけに「今は亡き」が多いな・・・)

海上コンテナがついている時期もありましたね。 '10.7.23 古賀
機関車次位は大牟田で入れ替え作業をするDE10のムド(無動力)。
DE10の交代時に、こうしてぶら下がっていました。

同じ撮り方で、今は亡き59号機牽引のもの。 '10.8.18 古賀
海上コンテナは薄灰色のOOCLが多かったですが、こうして違うのが混じることもありました。

海上コンテナにOOCLがない時もありました。 '10.8.19 古賀
あ、1014号機も「今は亡き」か。
このころは頻繁に朝練撮影していたようです。
10年前か。若かったな~。

今は亡き58号機牽引で黄タンコ1両。 '11.6.21 古賀
銀釜牽引の4093レが追い越しです。

次位に銀釜がついて重連になった時。 '12.4.26 古賀
銀は確か、鳥栖まで行ったんだっけ。

前の年の熊本地震の復興を願い「がんばろう九州」のステッカーを付けた1021号機。 '17.7.15 ししぶ-古賀
朝日を受けて鉄橋を渡っていきます。

同じ場所。83号機牽引。 '18.7.21 ししぶ-古賀
朝日を受けて鮮やかに発色する車体と青空が何とも爽やか。

4093レが前パンに切り替え中、1151レが追い越し。 '18.7.31 古賀
なかなかレアな光景でした。
ダラダラとご紹介しましたが、以上で朝の便のED76編はおわり。
次回は朝の便のEF81編。
またダラダラとやる予定です(笑)