「メビウスの輪」を含む日記 RSS

はてなキーワード: メビウスの輪とは

2024-11-28

客の目が届く場所にゴキジェットプロ置くんじゃないよ

あのさ、本当にこれだけは言わせてくれ。

飲食業だけじゃない、オフィスワークでも何でもそう。

なんで客の目が届くかもしれない場所にゴキジェットプロ置くんだよ。

キジェットプロが準備万端で手の届く場所にあっていいのは家の中だけなんだよ。

あの緑色いぶし銀に光るデザインと、缶から伸びた長いノズル。

公共空間であれが目に入っただけで「ああ、ここは公共空間って自覚のない場所だな」って判断されるんだよ。

よくよく考えてみろよ。

キジェットプロが診察室の机の端に置いてある医者にあれこれ言われて信用できるか?

キジェットプロが洗面台の端にこっそり置かれている美容院で「髪流します」と言われて気持ちよく洗えるか?

キジェットプロのヘッドと長いノズルが少しカウンター越しに覗いている会社の受付で「最終面接会場はこちらです」と案内され本当に心から第一志望と言えるか?

キジェットプロを心強い自分たちの味方みたいに扱うんじゃないよ。

あれはゴキブリという生き物を殺すための道具だ。

命を奪う道具なんだよ。

人はゴキブリ共存できないが、共存せざるをえないのが社会だ。

まり光と影罪と罰永遠に解決しないメビウスの輪

答えの出ない事象に対して人はゴキブリ簡単に殺す手段を持っているが、ゴキブリにそれはない。

まず罪の自覚を持て。

その上で命を奪う時は、出来るだけ静かにしろ

お前がゴキジェットプロを使う時、ゴキブリも生と死の真理をはじめて悟るんだよ。

キジェットプロはその穢も真理もお前の代わりに受け止めてくれる。

お前の答えはお前が生きている間ずっと考えろ。

キジェットプロ自分が葬ったゴキブリの事はすぐに忘れるが、手に取ったお前のことは絶対忘れない。

いか、ゴキジェットプロ自分しか知らない場所にこっそり隠せ。

そしてそれを手に取るたびに自分の罪と向き合え。

あれは簡単に誰にでも晒していい道具ではない。

永遠に一番近い場所にある、真っ白で真っ黒な罪の象徴なんだよ。

2024-08-31

容疑者は「メビウスの輪から抜け出せなくて、いくつもの罪を繰り返した」などとほのめかしており、

警察は多くの余罪があるとみて捜査継続しています

2024-06-16

大学夏休み

24時間テレビと連動して24時間セックスをしてみない?と彼女に打診したことがある。

彼女は首肯した。

俺たちは若くて、馬鹿で、高校ときは真面目過ぎた。

その時の青春を取り戻そうとするみたいに、俺たちは24時間セックスをすることにした。

若さの限り何でも可能な気がしていた。

学生特有の、モラトリウムという名の万能感だったのだと思う。

当日、俺たちは馬鹿みたいに食料を買い込んで俺のアパートに帰ってきた時には17時過ぎで、18時過ぎから始まる24時間テレビに合わせて風呂に入った。

二人で狭いシャワーを浴びて、8帖の狭いリビングにあるのはベッドとテレビぐらいなもので、俺たちは缶チューハイを飲みながらベッドに腰かけるとテレビをつけた。

24時間テレビがはじまり飲みかけの酒をテーブルに置くと、俺たちはベッドに寝転んだ。

テレビではタレントがガヤガヤと喧しく喋り、24時間テレビの開始が宣告させると俺は彼女愛撫し始める。

セックスは遅々として、それでいて朗々としていた。

ゆっくりと。ときにはげしく。24時間セックスということを念頭に置けば当然のことだった。

それでも熱が入ればすべてを忘れて没頭し、俺たちは獣のようにセックスした。

あの時は常に息遣いが聞こえた気がした。息切れのような、興奮するような、相手を探し求めるような。

俺たちは電気の点いたアパートの中、暗闇に居たのだと思う。

何をしても満たされない。こんなものかという落胆と絶望恋人幸せ極致で、セックス天国じゃなかったのか。

俺たちは休憩し、服も着ずに酒を飲み、空のチューハイを増やし、24時間テレビのくだらない企画爆笑した。

だんだんと夜が更けていき辺りに静けさが増していく。俺は座ったまま窓辺に目をやり、カーテン越しに広がる明かりは既に消えていた。

彼女はベッドに寝っ転がり俺は背中越しに彼女視線を感じていた。

振り返ると彼女と目が合った。頷く。もう一度しよう。そう訴えかけるように。

俺は最初の時のように彼女愛撫し、それからゆっくりセックスを始めた。

まるでメビウスの輪のような倒錯感。最初に戻りそれは最後でそしてそれには終わりがない。

気付けば彼女は寝息を立てていた。俺はテレビを見た。確かに3時24分だった。今でも明確に覚えている。

不思議と眠気はなかった。疲れているはずなのに。

俺は明かりを消し、暗がりの中でテレビをじっと見つめた。くだらないバラエティが始まり、彼らは楽しそうで、夜の存在なんか信じていないようだった。

俺は少し泣きそうになる。ベッドから出て冷蔵庫を開けてチューハイを取りだすとすぐに開け、一気に飲もうとしたところで喉に詰まり嗚咽した。

長い長い夜だった。

俺はベッドに戻るのが急に怖くなった。

女々しくもベッドの傍に座ると膝を抱え、酒を飲みながら泣いた。

どうしてあれほど感傷的だったのか。それを言葉に出来たのなら俺はセックスなんていらない。

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-05-26

そんなことを言わずに、あぁ、メビウスの輪から抜け出せなくていくつもの罪を繰り返してしまいましたとくらい言ってくださいよ!

堕ろしたね!親父にも堕ろされたことなかったのに!

2024-04-25

漫画】環と周

・安定のおもしろさが得られる安心感作者様

名前の呼びが「たまき」となんやっけ…?ってなった

・なんか同性愛異性愛 家族のあり方ひと匙 的なテーマで各時代転生して出会い

つど様々な形の関係を築く2人 みたいな

イメージで読み始めたけど

戦後編で「ちょっと違う感じか…?」ってなった

その後の江戸編で「いややっぱりそういう感じか…?」って

振り幅大きかった

・愛ってLOVE以外に200色あんねん(恋愛とか家族愛以外にも親愛というか

人生ですれ違った的な人に分け与えるられる愛もあんねん)的な…?

でも戦後編は「元戦場上司の掴みきれないカラッとした あの人なんだったんだろうなあ

憎みきれない人」的な話だったからそんなに「愛」か…?

女学校でのありし日々編が一番感情動かされた

・すまん、「性別年齢時代性格外見を変えて何度も出会い続けるエモさ」は確実に伝えてくるが「伝えたい結論

このテーマについて読者にこう感じさせたい」的な決着点は感じられんかったんや

そもそもテーマもフワッとしとっ…た…

・あと名前共通なの意味ある(環のほうがケン属性で周の方がクール系とか 魂が覚えてるとか

初めて聞いた名前なのにそんな気がしないとか)のかな

とか思ったけど昭和?編で周の方が奔放キッズだったり

いや名前まで違ったら別人やんというかもう名前だけ同じ他人というか

それなら別の時代を生きた人々のオムニバスでも…いや…

記号的な意味以外 名前への意味づけはない…?」と思ってしまった

中学生ちゃんの「友達ちゃんに家にもう来ないで欲しい」って

言われた理由最終章とかで友達ちゃん視点で描かれて

「本当はそんなこと言いたく無かったけど何らかの都合により言わざるを得なかった」的な追加あるのかと思っていたが無かった

メビウスの輪から抜け出せなくて

・新連載たのし

2024-01-02

anond:20240102171527

逆シャアリバイバル上映でエンディングメビウスの輪を超えてを劇場大音量で聴きながら映画の余韻に浸ってたら、閃光のハサウェイの予告差しまれてキレそうになったの思い出した。

2023-12-18

anond:20231218085004

フェイ

1992年 虹の彼方へ テレビ神奈川ミュージックトマトJAPANテーマソング

星になれたら テレビ神奈川ミュージックトマトJAPANテーマソング

1993年 君の事以外は何も考えられない 矢崎総業CMソング

虹の彼方へ OVA湘南爆走族9 俺とお前のGOOD LUCK!』主題歌

Replay 江崎グリコポッキーCMソング

CROSS ROAD 日本テレビドラマ同窓会主題歌

1994年 innocent world 日本コカ・コーラアクエリアス ネオ/アクエリアス イオシスCMソング

Tomorrow never knows フジテレビ系水曜劇場若者のすべて主題歌

星になれたら フジテレビ系水曜劇場若者のすべて挿入歌

1995年es】 〜Theme of es東宝配給映画『【esMr.Children in FILM』主題歌

「'95 角川文庫の名作100」CMソング

1996年 名もなき詩 フジテレビ月9ドラマピュア主題歌

抱きしめたい フジテレビ月9ドラマピュア最終回挿入歌

また会えるかな 日産自動車ブルーバードCMソング

1997年 Everything (It's you) 日本テレビドラマ恋のバカンス主題歌

1998年 ニシエヒガシエ フジテレビドラマきらきらひかる主題歌

終わりなき旅 フジテレビドラマ殴る女主題歌

1999年 I'LL BE ブリストル・マイヤーズ スクイブSEA BREEZECMソング

ニシエヒガシエ フジテレビスペシャルドラマきらきらひかる2』主題歌

2000年 フジテレビスペシャルドラマきらきらひかる3』主題歌

NOT FOUND フジテレビ月9ドラマバスストップ』主題歌

2001年 Everything is made from a dream BIGLOBEMr.Children AlternativeCMソング

優しい歌 アサヒ飲料WONDACMソング

youthful days フジテレビ月9ドラマアンティーク西洋骨董洋菓子店〜』主題歌

君が好き フジテレビ月9ドラマアンティーク西洋骨董洋菓子店〜』挿入歌

2002年 蘇生 アサヒ飲料WONDACMソング

Any NTTドコモNTT DoCoMo Group 10th AnniversaryキャンペーンCMソング

HERO

2003年 名もなき詩 大王製紙エリエールCMソング

Drawing 日本テレビドラマ幸福の王子主題歌

くるみ NTTドコモCMソング

2004年 NTTドコモ東北CMソング

PADDLE NTTドコモFOMA 900iシリーズCMソング

Sign TBS日曜劇場オレンジデイズ主題歌

タガタメ 日清食品カップヌードル "NO BORDER"」CMソング

2005年 愛・地球博「国際赤十字赤新月パビリオンイメージソング

未来 大塚製薬ポカリスエットCMソング

and I love you 日清食品カップヌードル "NO BORDER"」CMソング

ヨーイドン フジテレビ教養番組ポンキッキーズエンディングテーマ

フジテレビ教養番組ガチャガチャポン!』オープニングテーマ

ランニングハイ 東映配給映画フライ,ダディ,フライ主題歌

2006年 僕らの音 日清食品カップヌードル "NO BORDER"」CMソング

箒星 トヨタ自動車「トビラを開けよう」キャンペーンCMソング

しるし 日本テレビ系水曜ドラマ14才の母主題歌

2007年 くるみ -for the Film- 幸福な食卓 松竹配給映画幸福な食卓主題歌

フェイ東宝配給映画どろろ主題歌

彩り オリンパスデジタル一眼レフカメラ E-410 E-510CMソング

旅立ちの唄 東宝配給映画恋空主題歌

NTT東日本CMソング

いつでも微笑みを 損害保険ジャパンCMソング

2008年 少年 NHKドラマ8『バッテリー主題歌

GIFT NHK北京オリンピックパラリンピック放送テーマソング

HANABI フジテレビドラマコード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-主題歌

花の匂い 東宝配給映画私は貝になりたい主題歌

2009年 HANABI フジテレビドラマコード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 新春スペシャル主題歌

風と星とメビウスの輪 フジテレビドラマコード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 新春スペシャル挿入歌

fanfare 東映アニメ映画ONE PIECE FILM STRONG WORLD主題歌

365日 NTT東日本NTT西日本CFタイアップソング

2010年 HANABI フジテレビ月9ドラマコード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 2nd season』主題歌

フジテレビ月9ドラマコード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 2nd season』最終回挿入歌

2011年 蘇生 BBC EARTH製作映画ライフ -いのちをつなぐ物語-』主題歌

2012年 祈り 〜涙の軌道 東宝配給映画僕等がいた 前篇』主題歌

pieces 東宝配給映画僕等がいた 後篇』主題歌

GIFT 資生堂「MAQuillAGE」CMソング

Sign 住友生命保険CMソング

Happy Song フジテレビ情報番組めざましテレビテーマソング

youthful days キリンビバレッジ大人キリンレモンCMソング

hypnosis 日本テレビ系水曜ドラマトッカン -特別国税徴収官-主題歌

Marshmallow day 資生堂「MAQuillAGE」CMソング

常套句 フジテレビドラマ『遅咲きのヒマワリ 〜ボクの人生リニューアル〜』主題歌

2013年 REM 東宝配給映画リアル ~完全なる首長竜の日~』主題歌

2014年 放たれる 東宝配給映画青天の霹靂主題歌

足音 〜Be Strong フジテレビ月9ドラマ信長協奏曲主題歌

Melody コーセーエスプリーク」CMソング

2015年 fantasy BMW「2シリーズ アクティブアラー/2シリーズ グランアラーCMソング

進化論 日本テレビ情報番組NEWS ZEROテーマソング

運命 カルピスカルピスウォーター」CMソング

街の風景 住友生命保険ヤングジャパンアクション2015活動」篇CMソング

Starting Over 東宝配給映画バケモノの子主題歌

また会えるかな テレビ朝日バラエティ番組あいつ今何してる?』オープニングテーマ

2016年 足音 〜Be Strong 東宝配給映画信長協奏曲主題歌

ヒカリノアトリエ NHK連続テレビ小説べっぴんさん主題歌

2017年

蘇生 花王アタック」30周年キャンペーン「30歳の挑戦者たち」CMソング

himawari 東宝配給映画君の膵臓をたべたい主題歌

HANABI フジテレビ月9ドラマコード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 3rd season』主題歌

君がいた夏 NTTドコモNTT docomo group × Mr.Children 25th Anniversary キャンペーンコラボCMソング

365日

花 -Mémento-Mori-

未発表曲DEMO[注釈 15]

抱きしめたい NTTドコモ dヒッツ「娘の帰り篇」CMソング

2018年 here comes my love フジテレビ木曜劇場『隣の家族は青く見える』主題歌

HANABI 東宝配給映画劇場コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-主題歌

SINGLES テレビ朝日木曜ドラマハゲタカ主題歌

2020年 Birthday 東宝配給映画ドラえもん のび太の新恐竜主題歌

君と重ねたモノローグ

The song of praise 日本テレビ情報番組ZIP!テーマソング

others キリンビール麒麟特製ストロング」「麒麟特製レモンサワーCMソング

turn over? TBS系火曜ドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり主題歌

Brand new planet カンテレフジテレビ系火9ドラマ『姉ちゃん恋人主題歌

2021年 others キリンビール麒麟特製レモンサワー」「麒麟特製辛口こだわりサワーCMソング

CROSS ROAD 東宝配給映画夏への扉 -キミのいる未来へ-』挿入歌

2022年 others キリンビール麒麟特製レモンサワー」「麒麟特製 酎ハイボール」CMソング

永遠 Netflix映画『桜のような僕の恋人主題歌

生きろ 東宝配給映画キングダム2 遥かなる大地へ』主題歌

GIFT キリンビール麒麟特製 豊潤レモンサワーCMソング

2023年 others キリンビール麒麟特製レモンサワーCMソング

2023-05-22

マリオ映画感想

はじめに

 マリオ映画を観た。

 まず私のプロフィールを明かしておく。

 大学院生社会学文学あいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。

 映画学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません

 匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SM実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。

 

 「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミック評論の場で散見される。

 これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用特に必要でない限りはしない。

 「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオ映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。

 メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。

試行する」快楽

 ゲームアニメとしたら、キャラクター解像度物語の運び方だけでなく、どのようにゲーム快感が写し取られているか重要ポイントに思う。

 マリオゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。

 「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアタスク消化に似た快感

 「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感

 マリオシリーズだけでなくゲーム快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか

 私はといえば、ゲームが苦手だった。

 クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。

 我ながらヘタクソなプレイであるしかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム快感がある。

 翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。

 アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。

 文学研究者藤田直哉上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662

 ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。

 周回前提のゲーム「ドキド文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。

 また、勉強不足と笑われそうだが、3D映像2Dフィールド表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。

父と息子の物語としてのマリオ映画

 「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。

 しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さら男性性との関わりについて分析する。

 https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq

 こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113

 クッパ名誉と所有、暴力原理においたキャラクターであり、婚姻幸せを直結させる家父長制を背負った男である

 ピーチ姫に対し無茶な論理婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人婚姻犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。

 この「有害男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。

 それは物語ラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫マリオとの恋愛成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。

 

 マリオゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。

 葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。

 しかマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。

 イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。

 そしてマリオ映画の終わりに藤田のいうところの「有害男性性」の発露であるクッパを倒し、父親から承認を得ることとなる。

 婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力ねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。

感想、あるいは魔王へのラブレター

 倒されたクッパは小さく、管理されるものとして扱われる。

 その是非について何か言いたいわけではない。

 現実では家父長制や異性愛規範同性愛差別トランス差別人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである

 その是非についても何か言いたいわけではない。

 ここまでが建前。

 私はフィクションにおいてこういう権威的な男性が大好きだ。

 「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。

 本気で惹かれると言っていい。

 だが彼の愛は決してピーチ姫には届かない。正しくないから。

 そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。

 異形はある意味孤独である

 槇原敬之の「軒下のモンスターから「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。

 三島由紀夫の「仮面の告白から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。

 

 ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。

 「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソング哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。

 私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。

 今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダークィア批評規範可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ

 本当は、弱者クッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまり感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。

 でも愛してる、魔王クッパ

 お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。

2022-01-26

子ども向け番組ルッキズムガバ論とか

子ども向け番組に感じた違和感の正体…ヒーローと悪役の見た目から考えるルッキズム山崎ナオコーラさんに聞く』

https://news.yahoo.co.jp/articles/1f4617873399c61edb2f30eb519e6312a2aa7d3e

ツッコんだ時点で負けのようなガバガバ論だったが、やはり突っ込まずにはいられなかったのでツッコんでおく(敗北)。

山崎さん(以下敬称略) 日本の子ども向けのアニメ番組戦隊ヒーロー番組などでは、悪役のキャラクターが黒っぽい色で表現されたり、目を細くつり上げられていたり、歯がギザギザとがっていたりすることがまだありますね。このように、外見とキャラクター悪者である、といった性格や設定)をひもづけるのがルッキズムです。

幼いころから「悪そうな見た目の相手はやっつけてもいい」とするルッキズムが刷り込まれしまっていたんですね。

お手本のようなガバ論。

この特徴で真っ先に思い浮かんだのは「Go!プリンセスプリキュア」のクローズ(https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/character/close.php)。

彼は悪役らしい見た目に違わず1話から主人公キュアフローラの敵として登場するが、しかし最終的にはフローラと対になる存在としても描かれ、彼女に新たな価値観を与え、ある種爽やかなエンドを迎える。

「悪そうな見た目の相手はやっつけてもいい」ではなく、寧ろ、「一見悪そうな見た目に見えても独自流儀を持ち、時として主人公サイドに劣らぬ価値観を持つ」ということを象徴するキャラクターである

『善と悪は戦いながら 終わりのないメビウスの輪 正義だって立場で変わる それが現実なんだね』(クローズ所属する敵組織キャラソン「Perfect Black」から引用)

上記山崎ナオコーラ氏の論に従うと、悪役キャラを悪役的な記号で示すのがそもそも間違いだということになるが、それは逆に危険な考えではないのか。

大切なのは「見た目に関わらず、作中で重要役割を持ち、活躍する」ことである

悪役らしい見た目のキャラが単に倒されるばかりの作品ならば議論に値するかもしれないが、現実の子ども向け番組はそうではない。寧ろテンプレの悪役キャラの方が珍しく、皆何かしらの主義主張や背景を持ち、既存価値観に一石を投じていくことが多い(時には喋らぬ怪獣すら)。

また、子ども向け番組では子ども一見して味方と敵を判断やすくするために、製作の都合上使われるカラーリング統一されがちであるということも付け加えておく。

次。

子供向けのアニメ特撮ものも、一見外見が良く、正義の見方と思われるキャラが、悪者って言う展開も、子供教育必要だと思う。

ヤフコメより引用したが、これはそもそも書いた人間認識が間違っている。

一見正義の味方に見えて実は悪者であるというキャラクター子ども向け番組にどれだけいることか!

例として最もわかりやすいのは「仮面ライダーゼロワン」より天津垓だろうか(https://www.tv-asahi.co.jp/zero-one/cast/gai.html)。

作中では大企業・ZAIAエンタープライズジャパン代表取締役社長であり、白基調服装クリーンイメージ言動も丁寧。

変身した姿・仮面ライダーサウザー金色王道にかっこよくデザインされており、動物モチーフには子どもに人気のコーカサスオオカブトが使われていて隙がない。

作中では、洗練された社会人である天津に対して、新米社長である主人公言動の粗が目立つというシーンも存在した。

ゼロワンだけでなく、実は悪者であるというキャラクターはそこら中におり、もはや子ども向け番組テンプレの1つと言ってもいい。

批判したり、提案をするならせめて事実に基づいてしてほしいところである

存在しない事実を挙げて教育を憂う人は一体何と戦っているんだろう...。

どうせならちゃん番組を視聴し、誠実に議論をしてほしい。

ということで自分から一点、子供向け番組ルッキズムに対する問題提起をしておく。

上でも紹介する仮面ライダーゼロワンでは「ヒューマギア」という、人間によってつくられた人間そっくりの人造ロボットが多数登場する。

ゼロワン世界ではこのヒューマギア一般流通して社会を支える歯車の1つになっているのだが、一覧(https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1749)を見るとしばしば既存価値観再生産のような見た目のヒューマギアもいる。

白衣の天使ましろちゃん」は素直に捉えれば「看護してもらうナース美人かわいい方がいい」という願望を反映した見た目・ネーミングだと考えられるし(他のヒューマギアはこんなにキラキラした名前ではない)、ラッパーと言えば黒人アフロだぜ!と言わんばかりの「MCチェケラ」などもいる(他の職業ヒューマギア殆ど一般的な日本人の見た目)。

前述の通りこのヒューマギアたちは人間によって開発された「商品」であり、これらの価値観ゼロワン世界意図的再生産されているというのは、議論余地がある点かと思う。

というかルッキズムって本来こういうのをもうちょっとどうにかしようよ、という話じゃないの?

2021-05-26

発注データーを簡単にしたい増田住まい田視認単価をーたー出野ウュチッハュ時(回文

おはようございます

あのさ、

お仕事で受発注の処理をするじゃない。

データーはデータであるんだけど、

それを介する際のゲートウェイは人の手書きっていうのがなんとも滑稽で

そこでミスが起きることが多くないかしら?

というか

その手書き時間ミスいかチェックする時間ゼロ

もっと効率よくできないかなーって

取引先ごとに表計算のシートのフォーマットの形が異なり違うから

それを人間が読み取って解読して別のシートに分かる様に入力もしくは手書きで書き直すって

なんだかアホらしい作業滑稽極まりない感じがして、

そういう所もっとデジタルなんじゃないの?って

人間を介すと急にヘボくなる

だいたいの原因はヒューマンエラーなんじゃないかしら?

もうメール使えるんだから

ファクシミリやめない?って思う反面

私は今受話器を片手にファックスしたこと電話で伝えるこれまた昭和時代から受け継がれているスタイル継承しつつ

伝統の技だから仕方ないんだよ!って

弟子名前が匠、

たくみって言う名前だったらよりややこしいわ!って思うのよ。

じっくり考えて表計算のシートをもっと便利にするぐらい、

まあ指原莉乃さん的に言うなら

クイックルワイパーでよくない?って

もういつまで雑巾がけ大変な目を喰らわなくちゃいけないのよ!って

これ受発注問題の極みだと思うんだけど、

よくよく考えてみたら、

デジタルってあとで改変し放題なので、

これをカチッとデジタルであるけど

変更出来ない仕組みが確立しないと、

いつまでたっても受発注作業手書きアンドファクシミリ簡単お仕事どえす!って求人募集も甚だしいんだけど

本当に、

オフィス複合機が壊れて調子悪いときメンテに来て貰った人に

さすがドキュメントカンパニーですね!って得意げに言ったものなら、

リコーさんの人があんまりいい顔しなかったのは

それ富士ゼロックスさんへの褒め言葉だったんだわ!って

苦笑いしそうなほどどうにかして欲しいものよ。

人類はいつまでたってもファクシミリから解放されることがないのかしら?

そんでね、

ファクシミリを送るとき

読み込んだ紙が出てくるじゃない

あれを筒になるように繋げて延々にファクシミリ送信!かつ

途中でメビウスの輪のようにねじれを加えてファクシミリ送信し続けたら、

ボイジャー1号か2号あたりにもファクシミリ届くんじゃない?って思うそんな発想の

受信先はメビウスの輪のようにつながれたファクシミリ

どういうカタチで印刷されるのかしら?

もうメビウスだけに目の付け所がシャープでしょ!ってやかましーわい!って

お後がよろしいようでって終わりたいんだけど

私は今日表計算一所懸命

つのところに命をかけるように頑張っていきたいものなのよ!

今日表計算の日にします!

でわでわ。

じゃんけんぽん!!!

うふふふふ。


今日朝ご飯

レタスサンドしました。

シャキシャキレタスあんまり食欲がないときでも

ぱくぱくいけちゃうから何か食べておかないと行けないときも調重宝するわよ。

サンドイッチは総合栄養食品としてランクインすべきべきよ。

私はそう思うな。

デトックスウォーター

いつか黄色スイカも食べてみたい!

食べたことある人いる?

クリームスイカとかって書いてあったけど

憧れるわね。

そんな黄色スイカを横目に

赤いスイカのカッツスイカにして

デトックスウォーターインよ。

カッツスイカウォーラー


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-05-12

ああ、メビウスの輪から、剥け出せなくて、

駐日エマニエル婦人

びよんびよんびよんびよん〜♪

2021-04-05

マリオカートに挑戦増田酢魔ん背うょ値にとー香織魔(回文

おはようございます

なんだか推し疲れです。

そう言った言葉あったらいいなと思うわ。

まあそんなことより、

マリオカート8

甥っ子や姪っ子たちといずれ戦うことになると思い、

事前にチケットもう1枚ソフト交換するのが余ってたから、

マリオカートに挑戦!って思ったの。

所詮子どもが遊ぶソフトだと思って

子どものためのと思ったけど、

大人の私も大満足というか、

あのボリュームなに?って感じよ。

走れるキャラクターや走れるコースがめちゃくちゃたくさんあって、

現実では不可能なぐねぐねメビウスの輪のようなコースもあったりするの。

もう上下左右関係ないって感じ。

私走るの上手いわ!って思ってたけど、

コースアウトしないようなイージー設定に最初はなってるらしく

コースアウトしない機能オフにしたら

たちまちコースアウトして奈落の底に落ちていくし

私の走りっぷりのヘボさ具合が如実に出まくる感じで、

これ、

甥っ子や姪っ子を倒す前に自分ももっと鍛錬しなくては!って思ったのね。

とりあえず、

一番下のクラスからグランプリックスを攻略していくんだけど、

アイテムを後ろに投げるやり方が分からないわ!

1位を爆走しててアイテムを持っていても、

どうやって使っていいのか分からないというか、

敵の人後目がけて投げてない?って

普通に緑の甲羅を喰らってしまったわ。

あと赤い甲羅って避けれないの?

ゲッソーとか青い甲羅とか仕掛けてくる人だれ?

あれって1位をかっ飛ばして走っていたら漏れなく喰らうお邪魔アイテムなの?

よく仕組みが分からないまま、

ただただ走り続けているだけよ。

しか子どもはこんなハイクオリティーゲームで遊んでいるの?って思うとゾッとするわ。

ベジータがまるでスーパーサイヤ人バーゲンセールだな!って皮肉を言う理由が分かるぐらいの、

スゴいゲームじゃない?

マリオカート初だったので、

冒頭でも言ったけど、

子どもが遊ぶやつでしょ?って思ってたら

痛い目にあったわ。

とにかく

私の好きなビッグブルーコースもあって思わずエキサイトバイクよ!

私はシズエちゃん疾走するわ!!!

あのキャラクターのほのぼのとした感じと

本格的なグラフィックとのギャップが笑っちゃうけど、

ハイライトもよくできていてリザルトも見ていて楽しいじゃない、これ!

あとインターネッツ対決も出来るみたいで、

どこかの知らない外国の人と早速バトルしたわよ!

その時は5人集まって、

私は初めて対戦したにしては堂々の3位!

なかなかの好成績じゃない?初めてとしては。

子ども騙しのマリオカートだと思ってたら

そうは問屋が卸さないぐらいのボリュームとデキと

走りを極めれば上手くなれる感もあって、

ストレッチパワーがじわじわ溜まるように

ドリフトしてターボが使えるようになるあの

紫色になるまでグッと我慢してドリフトする感じも

本当に上手く出来てるなぁって感心するばかりよ。

タコメータースピードメーターも何もないのに

あれだけ白熱するあの引き算の美学は本当に考え抜かれたモノなのかも知れないし、

コースアウトしない設定をオフにした途端

コースアウトしまくるまだまだな私の腕前だけど、

これはもう楽しくてスタンドアローンでも遊べまくれるんじゃない?って

とりあえずスタート前2秒でアクセル全開のなんか速いスタートができる技とかも

なにそれ?って調子に乗って3秒前からやったら

不発してスタートダッシュが上手に出来ないぐらいで、

なにそれそんなトラップあんの?ってビビるわ。

そんでもってさ、

コース名も

イキりまくった訳の分からない横文字を並べてイミフ名前じゃなくて、

ホネホネコースとかカラカラさばくとか

そこら辺もコース雰囲気のあった名前

老若男女を問わず楽しめそうで、

これ普通にお爺ちゃんとお婆ちゃんととかも混ぜて遊べるんじゃない?って

みんなこれでニッコリなのかしら?

最大何人まで同時に走れるのかと、

亀の甲羅を後に投げる方法が知りたいわ。

ちょっと最近ゲームがスゴすぎてビビるわって話しでした。

最近本当にゲームの話ばかりになってきたわね。

うふふ。


今日朝ご飯

カフェオレミルクたっぷりのみにしました。

週末食べ過ぎたセール開催していたので

食べ過ぎてしまった償いを罪悪感でカバーする感じね。

デトックスウォーター

ルイボスティーウォーラーしました。

この時期はまだ寒かったり暑かったりしそうなので、

ホッツでもコールドでもどちらでもいいかもしれないわね。

そう思うわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-04-23

夜のおかずに〜ノクターンノベルズ十選〜

拝啓コロナ禍により家ごもりの毎日を過ごしている候、増田ならびに紳士淑女の諸君に夜のおかずとしてノクターンノベルズおすすめ十篇を紹介したいと思う。あまり小説を読み慣れていない諸君を想定して、完結済みかつ出来るだけ短めの小説を選んでみた。各種ランキングには入ってこないような作品もあるので、嗜好が似ている人は参考にしてほしい(あとオススメ教えてほしい)。

言うまでも無いがノクターンノベルズとは男性向け18禁小説家になろうである女性向けのムーンライトノベルズは今回紹介しない。

紹介する作品は、「兄に惚れる妹などこの世に存在しないしオレも別に妹を愛しちゃいない 」、「茜色の世界に思いを馳せる」、「召喚術のいけない使い方 」、「注文の多い魔王攻略され記 」、「ある日突然男友達美少女になっているなんてよくある話で 」、「雪待茶屋 」、「恋愛金融 」、「魔界行きの鈍行列車の旅 」、「ウチのお嬢様の話を聞いてくれ 」、「彼女の妹しちゃだめですか? 」。

兄に惚れる妹などこの世に存在しないしオレも別に妹を愛しちゃいない (ttps://novel18.syosetu.com/n6755ey/)

まずは自分の中で最高で満点で珠玉であり毎週続編待機中の短編シリーズをご紹介。(初っ端から完結済みという言葉を疑われるチョイスだが、独立した三篇で緩いシリーズを成しているのでセーフ)。内容としてはタイトルのままである。つまり兄(ツンデレ)は妹を愛していないし妹(ツンデレ)も兄に惚れていない。ただお互いにどうしようもなく求め合っているだけであるシチュは三篇とも同じ。いろんな場所(主にベッド)で互いに貶し合い煽り合いながらイチャイチャするだけ。お互いに年季の入ったツンデレ(ツン9:デレ1)なので基本的に交わす言葉は甘いものを含まずトゲトゲ一辺倒である。その分、一瞬だが素直になる二人が本当ほんとうに…

どれも短編なのでとりあえずツンデレケンカップルのイチャラブにみえないイチャラブが好きな人は騙されたと思って読んでみてくれ。特に好きで無い人も騙されて読んでくれ。そして一緒にエピソードゼロと続編を待とう。私は一年以上待ってる。

茜色の世界に思いを馳せる (ttps://novel18.syosetu.com/n1413ci/)

連続して兄妹ものを紹介。これは上の作品と異なり、中学生から高校生にかけて兄妹二人の距離が変化する過程を丁寧に描写した長編になる。うん…長編でごめん。でも百話とかざらにある中だと短めだから。一般一般的とは…)にこういった作品は初めから互いに(もしくは片方が)思いを向けているものが多いのだが、この作品はまず肉親の肉体への嫌悪から始まるところが白眉二次性徴を迎えた妹の肉体に嫌悪を感じる兄という視点から物語が始まることで、魅力的な肉体を目の前にした肉欲と本能的な近親嫌悪に挟まれエロスという序盤の展開に重みがあり、行為への助走として実にマーベラスしか両思いになる過程嫉妬心であるという妙。と書いたものの、露悪的な作品ではなく中盤以降はラブラブなのでご安心を。(最後の方は悲恋感あるけど一応多分ハッピーエンド)。

男と女家族になるのではなく、家族男と女になる。それが近親もの醍醐味であると思う。

これは個人的メモだが本番行為は「ひぐらし」以降である

召喚術のいけない使い方 (ttps://novel18.syosetu.com/n1382p/)

次はこの長編をご紹介。これは言い訳できないほんとうに長編。すまぬ。現代日本から異世界に転生した主人公が身につけた召喚術で片思いをしていた同級生拉致して性的にいぢめちゃう物語…なんだけどいじめちゃうのはごく序盤だけ。主人公ヴィロ(前世名は長峰)は魔法使いとして元同級生に対して強く出ているけど、なんだかんだ本性は善良な市民なので、異世界の幼馴染テフィーが出てきたあたりからは完全に女性陣の尻にひかれる。この作品おすすめする理由は二つ。一つは料理描写召喚の手順などが丁寧で生活感に溢れる描写をされており、きっちりと日常パートに厚みを持たせる筆力があること。そしてもう一つが先述したサブヒロインのテフィーが純情可憐一途でしかも「ですわ」口調でうぶのお嬢様という自分のツボを完全に射抜くキャラクターをしていること。つまり、専門の小間使いがいたせいで自分で服を脱げず、人さらいから身請けされ隷属する立場なのに幼馴染特有空気感でどっちが主人なのかわからない間柄の存在で、それでいてヴィロに長年に渡る秘めたる片思いをしているというキャラクターにピンときたら読んで。恋心がバレるシーンが最高にいいんだよ…

あと作中に出てくる異世界風俗描写結構好き。特にテフィーがフィンガーボウルを用いて手づかみで食事するところがお気に入り。これはなろう全年齢版の「召喚術の美味しい使い方(ttps://ncode.syosetu.com/n5951bl/)」での話だが、カトラリーが導入されるけどうまく箸が使えないテフィーがヴィロに焼き魚をあーんして食べさせてもらうシーンもよき。

注文の多い魔王攻略され記 (ttps://novel18.syosetu.com/n5737cr/)

  • 長編(78話); 長く見えるけど一話が短めなのでそれほど長くは無い

一言で言うならば魔王勇者に完敗する話である。よくある魔王勇者エコシステムとして用いる世界の話(最近では魔王魔王らしく無いのがむしろ主流な気がするが)。本作ではいものごとく復活した魔王(復活した時点で世界の法により負けが確定している)が、毎度毎度のやられ役に飽き飽きして、鬱憤ばらしとして今世の女性のみで構成された勇者パーティーへの嫌がらせのためだけに魔王城をセクハラ城に改造する。まあそれはそれはイヤーなセクハラを仕掛ける魔王さまなのであるが、勇者パーティーはそれらをものともせず正面から突破してくる。流石は勇者名を冠する者たちである。だがそんな中、唯一、皆の希望の星には汚れて欲しく無いと、魔王セクハラから仲間たちに守られていた勇者。その心に意図せず触れてしま魔王運命で縛られた魔王勇者。覗き込んだ彼女の深く黒いひとみに彼は何を見いだすのか。

まりにも綺麗なほんとうにきれいな敗北を見せる魔王に、願わくは永い幸せが訪れんことを。一応書いておくけど、エロ薄めっぽく紹介しているがエロいところはしっかりエロいのでご安心を。ちなみに同作者のイン・女神クロニクル(超長い)もストーリーがしっかりしており面白い

ある日突然男友達美少女になっているなんてよくある話で (ttps://novel18.syosetu.com/n2965ei/)

  • 中編(7話)

ここらで TSMtFものを一つ。誰よりも気が置けない親友が異性になってしまったらどうしますか。デート体験? いつも通り格ゲー煽り合う? いやいや、男と女が一緒にいるなら合体一択、という頭の悪い内容であるTS ものには心まで女性化するものとそうでは無いもの(≒精神BL)があるのだが、本作はどっちとも取れる展開であるためその筋の方々にも認めていただけるでしょう。性愛親友の間柄を上書きすると考える人は前者、恋愛感情より親愛の感情の方が燃える方は後者を想定して読めばよろしいかと。

恋愛感情無いけど自然体でいられる関係っていいよね… あと男同士のノリのままアホな会話して、そのノリのままなし崩し的に合体して、なんか気まずくて照れる、って展開とってもいいよね…

雪待茶屋 (ttps://novel18.syosetu.com/n9579em/)

再び短編をご紹介。この作品は、正月の頭だけ神社で商いをする謎のお店「雪待茶屋」を訪れた男が茶屋姉妹ワンワンネタバレ)する話であるかわいい姉妹が切り盛りするこのお店は、SNS写真投稿するとエラーになる、店員が客の病気予知する、客の持っていた油揚げやいなりが気がついたら消えてしまう、など不思議な噂がある。腹に一物秘めた男は超高級品の限定いなり寿司をエサに二人に勝負を持ちかけ… 以下の展開は予想できるでしょう。

短編だがエロ以外の起承転結がしっかりしているので、おかずにはストーリー必要派にもおすすめである

豊富エロシーンが欲しいんだと言う人は、同作者のミックスベリーシリーズを読むべし。「花束」、「徒花」、「花園」合わせて二百話以上あるのでお気に入りシチュが見つかるでしょう。

恋愛金融 (ttps://novel18.syosetu.com/n2597cs/)

こちらの長編一言で表すと、エロくてストーリーがしっかりしていてしか青春もの個人的に濡れ場を置き換えたら青年向け漫画の題材にしてもいいような気がするほど。−−代金が払えなくて困っているクラスメイト女子に二百円を貸してあげたらお礼をするというので、「若い男に貸しを作って利息が金で済むと思ったかい?」と冗談を言った。そうしたらクラスメイト処女を散らしていた。それに加えてそのクラスメイトと「カシ」と「カリ」契約とする肉体関係を結ぶことになった−− エロ小説とはいえ普通女子の行動としておかしいと思う人はいると思うが、あなたは正しい。読み進めればすぐに分かることだが実際に彼女常識は少し歪んでいるのだ。この作品はそんな彼女「陽奈」を、要領の良い普通の男「森岡」が結んだ契約を通して少しずつ健全な道へ、健全関係へ導いていく青春ものである

一言だけ付け加えると、森岡聖人でもなんでもなく、陽奈の安全日を彼女より把握するほど並々ならぬ中出しへの情熱も持っている年頃の男である

魔界行きの鈍行列車の旅 (ttps://novel18.syosetu.com/n6204bm/)

今回紹介するなかでは一番ラノベっぽい作品。家のトイレに行ったら魔界召喚された主人公召喚である女の子魔王後継者。とても可愛らしい)に勝手に伴侶に指名され、魔王修行である魔界世直しに鈍行列車で出発するのであった。キーワードは旅、そしてイチャイチャである。そう、この作品はほぼ冒頭から純情爆裂の両思い全開イチャラブストーリーなのである! いやぁイチャラブはいい。読むだけで健康になる。もう二人が可愛いくていじらしくてたまらないの。主人公すばるは思いやりのあるいい子だし、ヒロインユーリは「〜のだ」口調ですばる大好きなやっぱりいい子だし、ラブ(LOVEしかない。はやく結婚しろだし実際結婚する。

初々しくも求め合うイチャラブを欲している人におすすめ

ウチのお嬢様の話を聞いてくれ (ttps://novel18.syosetu.com/xs3554a/)

悪役令嬢もの最近流行っているようなので、男性向けの短編シリーズをご紹介。乙女ゲー転生のフォーマットに則り、「転生したら乙女ゲー主人公!? 王子騎士団長の息子だけでも大変なのにさらに隠しキャラである王子許婚(悪役令嬢)の執事まで私を? キャァ(はーと)」 …というのが「ゲーム」での主人公ポジに転生したマリア嬢の思考。この話の主人公彼女いじめる悪役令嬢(イザベラお嬢様)の執事であるロウくんである出自平民にもかかわらず王子を侍らすマリア嬢をいじめお嬢様だが、主人公補整+ゲーム知識で毎回しっぺ返しをうけ、婚約者でもある王子本人にも遠ざけられる。そんな彼女ストレスの吐け口とされ酷い目に遭わされ続けるクロウ。あるとき堪忍袋の尾が切れてしまいついにお嬢様復讐を企て、睡眠薬を飲ませたお嬢様一方的に嬲る。だが、そのことがきっかけで自身の秘めたる恋心に気がついてしまう。叶わぬ恋心だったが… というようお話

ネタバレするけど、ちょっとご都合主義の面もあるがハッピーエンド

実は作者が短編を基に長編として連載しているので、ビビッと来た人は連載版も追いかけよう。

彼女の妹しちゃだめですか? (ttps://novel18.syosetu.com/n8294fi/)

  • 中編(15話)

あらすじを引用彼女持ちの癖にその妹と隠れて情事に耽る二人のお話」。うん…ほとんどこの通り。ただ、彼女視点だと NTR なのだが、もうちょっと事態は複雑で、中盤から上記に加えて主人公は現彼女との浮気関係を重ねるようになる。意味からないと思う。図示するとこう 彼女の妹 --(浮気)-- 主人公 --(妹の「彼氏」と浮気)-- 彼女。つまり主人公彼氏兼妹の彼氏(ただし互いに別人設定)という役割を持つのであるメビウスの輪で織られた三角関係か? とりあえず主人公最後までクズ。なんでいけないことに興奮してしまうのだろうか、ふう。

浮気しかしていない彼女の妹の純情さに対して、浮気したうえ彼氏も裏切る彼女がまじで淫蕩過ぎる。

終わりに。官能小説はえっちな漫画えっち絵、音声作品と比べて感覚器官を直接刺激しない分、それらと比べて見劣りを感じるかもしれない。しかしながら想像により興奮する、つまりシチュエーションや会話といった記号を直接インプットする分、好みの作品が見つかりやすくまた飽きにくい気がしている。さら創作コストが少ないため多種多様表現存在することも前者を助けるし、個人的には文字だけであるがゆえに他のものより生理的な拒絶範囲が小さい気がしている。

おまけにもう一篇

incest with myself (ttps://novel18.syosetu.com/n3394ba/)

入れようかと迷ったのだけど個人的思い入れもあるこの短編も紹介。自慰後なぜか幽体離脱してしま大学生兄貴の体を乗っ取ってしまった妹。せっかくだしと抜け殻状態自分の体で遊んでいると兄貴の兄の部分が反応してしまったので、自分自分を慰めるのはノーカン欲望に流されるまま自分を抱く話。男と女快感を同時に受ける妹ちゃん描写エロいことよ。女性一人称のものってなぜこんなにも淫靡なのか。この作品欲望暴走していく描写も実にエロいのであるが、個人的にはまったくエロ描写の無い最後段落が、行為のものより遥かにエロいと思う。この後めちゃくちゃセ構文に繋がる完璧セリフの一つである

実はこの作品を初読したのはノクターンではなく、何年も昔に個人ページの相互リンクからたどり着いた今は無き作者のホームページだった。なのでノクターンでこの作品発見して驚いたとともに懐かしさを感じたものだった。他にも同作者の長編「prismatic inane」も多少、人を選ぶがおすすめ主人公少女自傷行為のように自分の体を売るという実に痛い物語なのだが、大きな腕に抱きしめられるエンディングが待っているので気力がある人はぜひ読んでくれ。そして読後感を噛み締めてくれ。

2020-02-19

水溜りボンドが好き

水溜りボンドのファン層って、おおむねは仲良しでおもしろい2人をきゃっきゃと見守る女性視聴者たちで平和だなあと思ってみています割合ちょっと熱すぎるファンがいるのはどこもおなじとして)。

いつも平和な彼らの動画が、NON STYLE井上さんとのコラボですこし荒れている。

私も該当の動画をみたとき「いつもの前向きな気持ちで終われる動画ではなかったかな」と思いました。おもしろポイントも多々あったのにね。

荒れてる、の内訳はざっくりわけると

井上さんに怒ってる

・水溜りボンドらしくないと悲しんでる

の2派閥のように思えます

井上さんは嫌われていることがおもしろになっているタイプ芸人だけど、中にはガチで嫌いな人もいる。それはもうどうしようもない。この人たちの反応を水溜りボンドは気にしなくていい。0にはできないから。

後者の悲しんでいるタイプの人たちは過去にもカンタがメインで動画にしてまで釘を刺した「過保護視聴者」。

過保護視聴者は、カンタくんを保護したい。

いやな人に会ってほしくないし、やりたくないことをやらないでほしい。

毎日投稿される楽しい動画が少しでも色を変えると、心配と同時にこれじゃないという感情がとまらない。

これはある意味で、いままでカンタが積み上げてきた結果です。

水溜りボンドを好んで観る視聴者の多くは、過激お笑いをやらずにおもしろを追求する2人に惹かれているんだと思います

何かを傷つけたり、貶したりしない。

から当然2人も誰かから傷つけられたり、貶されたりしてほしくない。

そういう気持ちがふくらんで、気付いたら過保護になってしまう。

その視聴者たちに悪意はないんです。誰よりも応援したいと思ってる。

それゆえに盲目的なところがあって、他者攻撃する人も出てくる。これも0にはできない。カンタトミーは本意でないにしても5年間でそういうファンも育ててきた。

それで、じゃあこの騒ぎって視聴者が悪いの?と考えるとすこし複雑で、水溜りボンドも視聴者も「そんなつもりはなかった」でメビウスの輪みたいになってると思います

もともとお笑いサークル出身で賞レースにも挑戦していた彼らが、M-1王者であるNON STYLEさんと同じ画面にうつる

緊張もするだろうけど何よりうれしいだろうな、すごいな。YouTubeは夢があるな。

というシチュエーションのはずが、井上さん自身チャンネルを持ちYouTuberとして活動していたことで視聴者はややこしい気持ちになる。

YouTuberとしては紛れもなく水溜りボンドのほうがめちゃくちゃ結果を残してきている。えらいえらくないとかではなく、事実として。

なのでYouTubeコンテンツを楽しんでいる視聴者は、水溜りボンドにこの文化代表としてもっと堂々としていてほしかった。そんな感情がうまれたように思います

日ごろから特に芸人さんへの尊敬の意を示している彼らが、かつてテレビでみていたトップクラス芸人さんとコラボする。

どれだけ今勢いがあっても動画クリエーターという皮一枚をはいだらお笑い好きの青年なので、萎縮もするしいつものホームとまったくおなじに伸び伸びと撮影するのはむずかしくて当然だと思います

そういう点で、以前のカジサックさんとのコラボはカジサックさんがほんとうに研究配慮をしてくれていたことを再認識しました。

からといって今回の井上さんが悪ではなく、要するにこのスタイルカンタトミーが捌けなかったってだけだと思っています

井上さんの毒舌スタイルを、彼らのお笑いではにこにこ受け入れるしかできない。

彼らのクリエーターとしての姿勢も、元の人柄としても、残念だけど相性はよくなかった。

やろうと思えばできるにしても、彼らがゲストに強めのツッコミをしたらそれはそれでびっくりする視聴者がいますよね。本来の最適解はそこにあった気がするけど、彼らは今回できなかった。

その結果うまれた画が、一部のひとたちに「見たい水溜りボンドじゃない」という悲しみをもたらした。

カンタ編集がわるいわけではないし、井上さんは井上さんの仕事をした。

演者としてのカンタトミーも、相手を最大限敬いながら企画を楽しく進めてくれた。

ただ、彼らの芸風が噛み合わなかった。

シンプルにそれだけなんだと思う。

動画投稿から時間過保護派のコメントがどんどんいいねを増やしていくのを見ていました。

やがてカンタによる概要欄での補足が更新され、気付いた視聴者の「カンタくんごめんね」「このお笑い理解できてない人が多い」「2人が楽しいならいい」「私は楽しめた」という論調が増えてくる。

そして肯定的コメントカンタいいねをつけ始めたことで彼らが言ってほしい感想が浮き彫りになり、その意思に沿ったコメントもっと増えた。

更には序盤に支持を集めていたいくつかの過保護コメント便宜上こう呼びますが、正面から否定されるような攻撃的な内容ではなかった。あからさまに井上さんにアンチ的なコメントをしているものは、さすがに評価されにくい空気ちゃんとありました。)が削除された。

非難されそうな動きではあるものの、相手があることなので、多少の検閲っぽい動きは仕方ないかな、と思います

私も自作についたちげえんだよなあってコメントは削除することもあるし。それは自由です。

コラボした相手価値が下がるチャンネルであってはならないと、これもまた繰り返しトミーが言っていることなので。

動画の受け取り方の齟齬はこれまでも何度かあって、今回もきっとカンタはすごく気にしているしいろいろ考えてる。

笑って視聴してグッドボタンを押せなかったひとりとして、申し訳ないなと思います

水溜りボン2.0、今年は挑戦の年、新しいことは批判される。

彼らはそう言っているので、今回のこともそのうちのひとつとして処理するかもしれない。ちょっと違うんだけどな、という気持ちはあるけど、きっとそうなる。

どんなに2人が「すごく楽しかった」と言っても、私はなぐさめのような「楽しかったよ!」は言えないなと感じる動画であったことは事実です。

相性だけはどうしようもないんだよ!誰もわるくない!気に病まないで!!

って言いたいだけなんですけど、うまくまとまらなくてこうなりました。

人を楽しませるってほんとうにむずかしいな。

毎日おもしろ動画をつくってくれる2人はほんとうにすごい。紛れもないプロです。

2019-01-22

anond:20190122235241

よく出来たAIだな。

文章支離滅裂さが日本人の平均よりもずっと少ないぞ。

本当に日本人ときたらすぐにとっ散らかった話をするから困ったもんだ。

白いカラスがいないことは誰にも証明できないがハト平和象徴だと言うには奴らは灰色すぎるんだが」ぐらいのことは平気で言ってくれるんだから恐ろしいぜ。

それに比べるとお前の作ったAI前後の繋がりをよくよく考えると途中で話がメビウスの輪みたいに180度捻れてはいるが道筋が一本に繋がっていて途中で異次元空間突入していないんだから大したもんだ。

機械学習も侮れねえなあ

2018-06-27

低能先生」の生きているTwitterアカウント

https://twitter.com/hakobun00/with_replies

口調や内容からもほぼ間違いないと思う

Twitterから受ける印象はゆがんではいても彼なりの正義感があるのが見てとれるし

君の名は」が好きだったり、「この世界の片隅に」を見に行ったりしていて何か憎めない感じもある。

何年にもわたって気に入らない人にメッセージ罵倒)を送り拒絶されを繰り返されているのを見ると、

いきなり人を罵倒するような人間は拒絶されて当然なのだけど

彼に少しでも寄り添う人が一人でも居ればまた違った可能性もあったのではないかと思えてならない‥

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/hakobun00

メビウスの輪から抜け出せなくていくつもの罪を繰り返す低能先生

http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20160210/1455099679

昨日から謎のアカウントwが変なブコメをつけてきていてキモい - 今日も得る物なしZ

関連

かつてTwitterにいた「低能先生」とよく似たアカウント

http://lastline.hatenablog.com/entry/2018/06/27/110625

anond:20180627125053

anond:20170729131332

2018-03-03

学歴フィルターの話、通じてないっぽい

今回の学歴フィルター云々の話だけど全体的に議論が通じてないっぽい感が高い

別に学歴フィルタリングすること」自体否定しているわけではない(いや否定している人もいるようだけど)

ただただ、聞きたいことは「だったらなんで企業学歴フィルタリングしてることを公言しないのだ?」

と言う一点である

学歴採用基準とすることは差別ではなく区別なので問題ない

だったらなんでそれを最初から条件としてひた隠しにする必要があるのだ?

疚しいことなんて何も無いんだろ?

だったら企業採用ページに「弊社が採用する大学一覧表」みたいなのを記載すればいいのに、何故しないのだ?

しないなら、何故ひた隠しにする必要があるのだ?

明かせない企業コンプライアンスでもあるのか?

なんでなんでなんで?ねえなんで?

…結局議論されている一点はここなのではないだろうか?

学歴フィルターはありかなしか?」という議論と捉えてる人は、本核を見誤っているでしょ。

議論すべきこととは

学歴フィルターはアリなのに何故企業はそれを隠すのか?」だろう。

この一点から目を背ける限り、今回のようなしょーもない議論は毎年ああメビウスの輪のようにしょーもなく繰り返されるだろう。

2016-05-22

[]「加害者家族被害者家族百合

両親を失い大学を辞めて姉妹生活を支えるために働きだしたお姉ちゃん

しかし、どうしても妹の大学進学のための費用が足りず、妹には自分のようなキツい仕事はさせたくない、という思いから、思わず強盗をしてしまう。

さらに家主に見つかってしまい押し倒し、当たりどころが悪く家主を殺してしまった。

当然、警察に捕まり罰せられるお姉ちゃんだったが、妹の苦労はここから始まる。

最初はただただ姉を罵倒するだけだった妹だったが、1年、2年、10年とたち、姉妹での手紙のやり取りが続く中、

姉のとった行動は間違いだったが、それでも姉は妹である自分のことを愛しているし、自分は姉のことを愛していると、いつまでも家族であると誓う。

けれども、人生の節目節目に、姉の犯した罪により出ばなをくじかれ上手く行かない日々が続く。

犯罪者被害者を不幸にするのはもちろん、自分自身を、そして自分家族をも不幸にしてしまうのだ。

から、やっぱり、姉の事を愛していけないのだ、姉は1人で孤独に立ち向かわないといけないのだ、それが罪を犯すということなのだから……

と思い直し、被害者家族最後謝罪に行ったところ、

被害者家族の死んだお爺さんのことを全く覚えていない女子高生一目惚れされ、

家族が人を殺したことと、家族に人を殺されたことと、誰かが誰かを好きになることに関係なんてないし、

そもそも、そういう責任論押し付けてくる輩を片っ端から自分の愛の輪に取り込んでいけばいいのだ、

と言う独自宗教観とも言える女子高生の愛の素晴らしさを語る姿に打ちのめされ、

でもまあ、それはそれとして、服役を終えた姉との縁を切り、

妹は被害者家族女子高生と新しい家族を作り、

メビウスの輪から抜け出せず、いくつもの罪を繰り返している人間にとって、

平和とか自由とか正しさなんかより、ただただ君を望むだけの人生でありたい、と

今後も繰り返されるアースノイドスペースノイド戦争は決して止める事はできず、それは歴史証明してしまっていることの儚さに思いを馳せ、

マハラジャカーン隠し子であり、ハマーンの妹に当たる妹と、ギギは末永く、一緒にラブラブし、彼女達なりの「黄金の秋」を迎える場合


妹は日高のり子さん、

女子高生林原めぐみさんで決定です!

みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!

2015-12-21

自分のドロドロの感情に沈んで死にそうだ

すごくどうしようもないんだけど、本当に毎日ゲロ吐きそうなほどつらいから書く。

自分は30代に入ったアラサーの男で、本当にしがなく生きてきて、普通に働いてて、普通に友達がいて、たぶんそんなに駄目な人生は歩んでいない。

年収は多くはないが、まー平均よりはちょっと上くらいで、順調に役職ついている。

今、彼女はいないし、たまに枕にうっぷして「彼女ほしいいいいいよぉぉおふえぇぇぇえ」と叫びたくなることはあるが、

そうはいっても普通に毎日楽しい。いやまあ、ゲロは吐きそうになるんだけど。

それなりの進学校から偏差値高い大学いって、普通にサークル入って、モテたいとか思って外見を磨いたりして、

それなりに男女交際して、会社入って、で、「結婚適齢期」ってやつにみごとに足をツッコんだ。

というかもう30超えてて、アラフォーが目の前に見えてくるから結婚適齢期」はぶっちゃけすぎてる。

女の方がやり玉にはあがるけど、男もまー「どうなの?」ってしょっちゅう聞かれるようになる年齢だよな。

自分自身結婚願望は大きくなくて、というのもたぶん「子供が欲しい」と思ったことが一度もないからだ。

子供自体かわいいと思う。

別に子供嫌いではない。Facebookに流れてくる他人の子供へのヘイトを募らせることもないし、

の子供(姪)のことも「天使だ!」ってかわいがれる。めっちゃ貢いでる。

だが、子供が欲しいと思ったことがない。

から結婚」の必然性も感じたことがない。

なんなら「子供すごい好きで早く子供欲しいし結婚したい」っていう彼女のその言葉気持ち悪さとプレッシャーを感じて

「無理だ!」と別れたこともある。若かったのもあるが。

結婚」に重さを感じたわけではなくて無邪気な「子供が欲しい」という願望に気持ち悪さを感じた。

彼女に限らず、普通に子供欲しい」っていう男にも女にも一定気持ち悪さというか、異星人感をうける。

まじで「なんで?」って気持ちになる。

もちろん、厳密に言えば「出産」と「結婚」がイコールじゃないことなんてわかってる。

シングルでも子供を産んで育てることはできるけど、今の日本法制度の中ではあえてそうするメリットもないし、

風当りが強いのは確かだから、まぁほぼ同義ということで話を進める。

個人的にはシングルどうのとか関係なく、本当に腹の底から「ほしいいいいいいい」って願って収入のある(もしくは親に頼れる)人は

男女共にそれを選べばいいと思うし、そこに「片親かわいそす」とかいう奴は地獄に堕ちろとは思う。

(まぁ女性シングルになるのと、男が産んでもらってシングルやるハードル全然ちがうが)

話がそれた。

で、だ。俺が吐きそうになるのは、そうやって「結婚そんな興味ないな」と思っているのに

結婚制度」に乗らなきゃなーってどっかで思っているからだ。

明確に「子供がほしい」とか「結婚したい」って願望があるわけでもないのに、

結婚しなきゃ」ってプレッシャーに押しつぶされそうになる瞬間がめちゃくちゃある。

自分でもよくわからない。

他人目線を気にするな」と言われても、なんというかこちらが気にしてなくても「うっとおしい」と思うことを言ってくる人は

めっちゃいるし、実際「既婚じゃない」という理由の面倒な押し付けみたいな圧力もある。

姉が結婚してるから、あたりまえに両親も俺に「結婚はー?」と聞かれる。

不細工デブで非モテで彼女いなくて結婚できなかったら「やっぱり(とりあえず痩せろpgr)」

仕事ばっかりしていて社畜やってたら「やっぱり(仕事ばっかの男はびみょー)」

イケメンでちゃんとしててそこそこ市場ニーズがありそうなのに結婚できなければ「やっぱり(中身に問題が)」

ありとあらゆる論理で殴られる。

本当にうっとおしい。

なんでこんなに「結婚」だけでできそこない扱いされなきゃいけないのだろうか?

別に望んでない、といったらそれで済む話ではないのか?と厨二心が全開になる。

これだけならまだ外部圧だけの話だが。

結婚してないとまともじゃない人」というレッテルのつらさもそうなんだけど。

ぶっちゃけ「こいつでも結婚できたのに」と誰かを見てしまうことがあって自分の汚さに辟易する。

同級生でももう結婚してるは当たり前だし、子供もいるが、正直「なぜこいつが?」とか、ある。

それこそイジメやったことがあるのとかもいるし、お顔立ちが残念な奴もいる。

その人たちは賢く、うまく、相手とゴールしたのかもしれないし、

すごく愛し愛されて結婚したのかもしれないし、

俺のようにめんどくさい拗れがなく、普通にレールが「結婚」を通過したのかもしれない。

でもなんでこの人たちできて俺はできないんだろう。

俺なにかしたっけ?とか。

あれ理想高かったっけ?とか。

そもそも結婚したい理由なんだっけ?とか。

別にステータス「既婚」を手に入れるための結婚とか本末店頭だし意味なくね?って頭ではわかってて、

でも「積極的未婚」なわけでもないし、

「既婚」ステータス手に入れられないとずっと外部に殴られるんだよなっていう想像やす未来を思うと暗澹たる気持ちになる。

別に付き合わないでもセックスはできるんだけど、いまさらそんな性欲をぶちまけるパッションはないし、

ただただ「かわいいねー」って言うだけならペット飼うだけでいいし。

世の中の婚活本とか、セオリー本とか、全部まるっと含めて「結婚したいなら行動しろ」って言われるし、

いやそんなことは知ってますよって思うし、別に婚活自体が嫌なわけではないし、彼女いらねぇとか、

嫁いらねぇとか、結婚墓場からいやだとか思ってるわけでもないんだけど。

結婚したいから結婚する」っていう強固な信念を持てないからどうしても「人ベース」になってしまうんだけど、

じゃあ「合う」人と、無事「ゴール」決められるようになるまでこの精神摩耗が続くのかよって思うとこれまた地獄で、

なんかつらくてつらくてつらくて吐きそうになるし、もう勢い余ってこの世から消えたくなったりする。

いいとしこいたオッサンがなにしてんだ…って自己嫌悪も振ってきて結構どん底だ。

多かれ少なかれの人がきっともってる感情だと思うんだけど、上手くいった人の話きいたって意味ないし、

からといってうまくいってない人と一緒にいても意味ないし、

もはや俺には祈るしか道が残されていないのでは!?という飛躍思想帰結していくのだけども、

ここでまたフリダシに戻るのが「そんな結婚したいんだっけ?」「なんのために?」ってことなんだよね。

ごめんゴールも結論もないんだ。

とにかくこの出口のないメビウスの輪の中に囚われていて、吐き出さないと自分の吐しゃ物にまみれて死にそうだから書いてみた。

願う事は「結婚してもしなくても別に普通」な世界だけど、そんな世界がそんなくるとは思えないし、

その世界がくることを願うくらいなら「とりあえず」結婚してバツつけるほうが簡単なんではないかとも思うから

神様助けて下さいって神頼みしながら沈むこととする。

なんかもうとりあえずペット可マンション購入して、かわいい動物と暮らすのが俺にとって一番いい生活なのかなー。とか思ったりはする。

自分のつらさがわからん

2015-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20151016152249

とりあえず記事に目を通してきた。

現状では予算が取れないため、オリンピックの1ヶ月ボランティアをすることを条件にエンジニア育成のための予算をもらえるように交渉する。

明らかに必要性認識されている介護にも予算が回らない状態で、メリット認知されていないIT予算が出ないのは当然

→なので、メリットとしてオリンピック期間のボランティアを挙げてIT予算がもらえるようにする。

オリンピックのために育成されたエンジニア技術オリンピックが終わっても役立つものなのでwinwin

予算がとれたら)その金でエンジニアを育成する。育成されたエンジニアにはもらった恩(?)をボランティア活動によって返してもらう。(そういう契約を国として、育成のための予算をもらう)

……ということ? 同じことを言い方を変えて何回か言ってみました。なんとなく二匹の蛇が互の尻尾を喰いあって円になっている絵が浮かぶ。それかメビウスの輪

結局予算は取るのか取らないのか、個人や企業にどういった恩恵がもたらされる、または将来的な恩恵約束できるのか(返そうと思えるだけの恩を売ってくれるんですよね?)

4年掛けていいなら大学でがっつりやる方向かしら?

とにかく何をどう分配する(できる)のかだよなあと思った。金額の多寡はともかく最低限ボランティア有償にすべき。

頑張って好意的に汲もうとしたけどこんな感じ。業界ひとつにまとめるとかは正直よくわかんないです。労組いらないとか業界健全かいうのに至っては全くわかんないです。

まあどこに出しても恥ずかしいくらい実力のない自分エンジニアではないので関係なかったぜ。未経験就職した途端超有能スーパーハッカーになれるわけないじゃない。

どうでもいいけど客先にいたら自分意志で1ヶ月ボランティアとか無理じゃね? 自社でやってる仕事が1ヶ月止まるのも無理じゃね?

あとこれで予算取れた場合育成支援したんだから今後も国家事業は全部ボランティアでよろしく! 無理なら予算も出せないよってことになるのでは。

やっぱり無償(?)奉仕が前提になってんのはおかしい。具体的な奉仕がなくとも、育成支援の結果技術が向上して世の中が便利になれば結果として社会には貢献できているはずでは。

なんなんだ、どうすんだ。

2015-06-16

はてブスター狩りは脊髄反射的な思考しかできなくなった人にも向いている

家族が一時期、やたらと芸能人名前連呼して辟易したことがあった。

おそらく一回どこかでウケて成功体験が脳裏にこびりついてしまったのだろう。

あるいは単なるかまってちゃん的な嫌がらせだったかもしれないが。

実体験によると、はてブであればそんな連呼おバカさんでも、テンプレ発言の繰り返しでスターを稼げる傾向にある

ブコメを見る人が記事によって変化していくせいか、

大量のブコメの中の一ブコメとしてなら、繰り返していてもくどくないのか。

あるいはキャラクターとして認められているのか。うーむ。

マイナススターはないので(カラースターをそういう使い方をする人は一部にいるけど)、

お約束ブコメスターをつけてくれる人だけが目立つ結果になる。

裏では非表示にぶち込まれいるかもしれないけれど、

はてブ脊髄反射的な思考しかできなくなってしまった人にもスターという名の承認欲求を与えてくれる。

そして、脊髄反射的な思考が小さなメビウスの輪に閉じ込められ、廃人から脱出できなくなるのだ。

おそろしいおそろしい(テンプレ

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.101999年美少女ゲーム総括』

イントロ

今回の【N.C.P.】は、『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏と二人で、1999年度のベスト5を選ぶ……という、年間総括だったりします。あと、例によって筆者の暗い文章。とほ。

1999年ベスト5(へっぽこくん

おいら的に今年やったゲームって事で……(汗) 発売は去年かも……多数?

Kanon

ぱすてるチャイム

3 がんぶる

days innocent

EDENDOLL

1→久々にやりまくりでした~音楽と絵のタイミングがよかった。

2→コレットさんが成長しちゃうところがマイナスですが、ぶかTシャツスパッツはよい。

3→全てが丁寧に作られた感じがよいいなり。ただパッドがないと最後つらかった。

4→一部当てはまらないけど、精神的にはみんなずーれーだから

5→はじめて、ごんぽりーな女の子が可愛く見えた。(EDENは今年の作品なのかわからないけど……やったのは今年)

個人的総括】

 うーん、今年はKanonですかねぇ~。何はともあれ、音楽が好きかも~。当時はアレンジCD聴きまくってました。オープニングからかっちょよろしくて、ぶるぶるきました。他的には……う~ん『days~』がえろ~すゲームとしてはえろかったかなぁ。後は可愛いので選んでしまった感じ。

 実際、まだ全部のゲーム終えれてないので、今やってるママトトとかがランクインしてた可能性もあるんですけど、いかんせん、おいらゲームはじめる前にねかして熟成した頃にやるから(^^; 故に、ママトトやダークロウズは、すでに来年ゲームな位置づけなり。個人的には、大作なえろーすRPGをやりたいなり~(闘神都市2みたいな)

1999年ベスト5(更科修一郎

実は、キャラ的には沙耶(ぱすてるチャイム)だったりします……へふ。

フロレアール

Kanon

とらいあんぐるハート

くるみちゃん あ・そ・ぼ◆

5 憧れ

#「◆」はハートマーク代用です。

1→巧みに構築された論理悲劇……と書くと『総長賭博』っぽい?(誰も分かりません)

2→バランスの悪さはあれど、印象は強烈。でも、えろげーとしてはちょっと辛いかも……(全年齢版出るけど)。

3→昔気質ラブコメ魂と意地を感じさせる作品だと思う。中毒性はメチャ高い。

4→個人的なツボにストライク親子丼……え、えろ~……。

5→アダルト上品に抑えた雰囲気ナイス女教師ゲーとしては最強かも。

個人的総括】

 今年はエロゲー界のチェ・ゲバラこと、臭作さんのようなヒーロー不在で寂し……もとい、昨年に比べると、大手・中堅メーカーに意欲作が少なく、面白みに欠けたかも。大作ばかりでなく、味のある小品がもっと増えないと、全体の層が薄くなる一方だと思う……。

 あと、恋愛描写の水準は強まっているけど、全体的にえっち度が弱まっているような感じが、ちょっとあるなあ……。キャラ萌えストーリー重視な流れの弊害かも知れないけど、えろげーはやっぱり、エレクチオンさせてナンボ!って気はするですね(小池先生ライクな台詞)。……いや、Kanonもかなり好きですが~。

■本文。

 親がとある新興宗教狂信者だったので、生まれからずっと、カルト的なコミューンの中で育った。ある時、その閉鎖性に気づいて、家を飛び出した。でも、辿り着いたのは、[オタク]という別のカルトだった。

 それはそれとして、1999年美少女ゲーム界で最も気になっているのは、ジャンルとしての共通言語が失われつつあるな、ということだったりする。[萌え]と[泣き]の両極がそれぞれ先鋭化し、カルト的なコミューン形成されつつあるようにも見えるのだ。具体的に書く気すら起きないが、コミケ企業ブースやデジフェスで、毎回決まったように起こる混乱は、そのあたりの空気微妙に表していると言えるだろう。

 量的な飽和と多様化が、ユーザーの細分化をもたらしている。そのこと自体は悪くないと思うが、それがカルト的な求心力を持ってしまうことには、危惧を抱かざるを得ない。そして、[萌え]=キャラクター志向派、[泣き]=ストーリー志向派……という図式が発展していく過程で、両者がそれぞれ保守化し、一部では対立の構図も見られるようになっている……というのは、美少女ゲームというジャンル全体を考えるに、不幸な結果しかもたらさないのではないか? という気がするのだ。

 早い話が、筆者が、ある陣営ゲームについて、コラムを書くだけで、別の陣営には激悪な印象を与えている……という状況が、厳然と存在していて、どうも息苦しいのだ。

 さっき、「カルト的」と書いたのは、特定イデオロギーを通してでしかゲーム人間関係判断できない人が、あまりにも増えてしまたからだ。元々、美少女ゲームには、フェミニズムマッチョイズムに属することのできなかった人々にとっての宗教という側面はあるが……。

 例えば、神仏を信じられない人のために、心霊主義スピリチュアリズム)や科学信仰があるように、それ自体はごく自然ものなんだけど、行き過ぎると単なる狂信者になってしまうのは、どちらも同じだ。筆者も、昔は狂信の極みにいたしね。

 だから、このコラムも、印象批評的な文章はすっかり書けなくなってしまった。どうしても状況論的なものに終始してしまうのは、印象批評を書いた瞬間に、どちらかの陣営に与したと見なされ、筆者の友人は半分に減ってしまうからだ。これがまた、かなり実話だったりするから笑えないんだけどさ……。

 別に萌え]でも[泣き]でも、どちらでもいいのだ。出来上がったゲーム面白ければ。いや、本当に心を動かされるような良質の物語は、[萌え]と[泣き]を内包しつつ、そんなイデオロギーの枠組みすら超えてしまうはずなのだ。だいたい、イデオロギー抜きの意見を述べるのが最も難しいという状況は、冗談抜きでふざけているとしか思えない。好きなゲームを好きと言えないって、どういうことだい?

 まあ、美少女ゲーム業界に限らず、どこの世界でもそうなりつつあるのは確かである編集ライター生業とする筆者の周辺でも、オタク系とサブカル系でお互い反目しているので、人間関係では要らぬ苦労を強いられる。全てのジャンルにおいて、そういった対立構造が必ず存在し、延々と繰り返されているメビウスの輪の中で、閉塞感だけが肥大していく……そんな悪夢が年々、増幅されているような気がする。

 だから、もう嫌なのだオタク世界全体に漂っている、奇妙な停滞感が。何より、汲み取るべきものが見当たらないから、何も編集する気が起きないし。よって、編集者としては、秋から休業中だったりする。なんだか、自分の話ばかりで申し訳ない上に、冒頭から変なことをカミングアウトしているんだけども、今回の年間総括は、この連載を一年近く続けてきた、自分に対しての総括でもあるのです。申し訳ない……。

 最後に、[萌え][泣き]……どちらにしても、[癒し]を大量消費している構造には変わりはない。問題は、[癒し]という概念が、思考暴走を抑えるという、本来意味を失い、思考停止の為だけに使われていることである。何も考えないために、生まれてくる全てのものを消費していくのだとしたら、これほど不毛なことはない。これはもう、「終わらない日常」どころじゃない。だいたい、始まってもいないのだから何となく、『キッズ・リターン』のラストみたいだけども。

 この状況に対して本当に必要なのはノイズを削ぎ落とし、完成された構造作品ではなく、むしろノイズとされてしまった要素を積極的に取り込み、想像力領域を拡げ……ポストモダンを超えていく作品だと思う。新しい[魔法]の材料は、ノイズの中にしかないのだから

 しかし、閉塞を乗り越えた作品も時が過ぎていくにつれ、カルトに取り込まれ、更なる閉塞へ向かって保守化してしまう。そう、どんなに素晴らしい魔法も、[メディアミックス]という名の魔物による、カルト性を帯びた資本主義洗礼によって、いつかは解けてしまうのだ……。

 もっとも、商売としては、カルト化して、一定数のユーザー信者から、大量の金を収奪するシステムにしてしまった方が、美味しいんだろうけど……その辺は、世間を騒がせている『法の華』や『ライフスペース』の事件を見ても分かる通りで……カルト信者ほど、財布の紐が緩い人々はいないからねえ……。

 それでも……いや、だからこそ、作り手とユーザーは、次々と新しい魔法……新しい物語を目指さなければならないのではないだろうか?

 それは、思考停止して閉塞へと向かっていくカルトの罠から、自立していくために必要なことだ。更に言えば、進化と消費は、セットであるべきもので、乖離してしまっては、全く意味を成さないのだ。

 つーか、逃げるために消費するのは、もう止めようや。キャラクターへの愛情は、グッズに注ぎ込んだ金額じゃ計れないんだぜ!(←バカ

■総括の総括というか、感想

 毎年恒例(?)年間総括……と思ったら、周りにバランス良くえろげーをやってる人が、へっぽこさんしかいないという……いや、それ以前に、えろげーをバリバリやってる人もいない……何故~?

 という訳で……へっぽこさん、今回は本当に、ありがとうございました~。

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